実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

石津神社(堺市堺区石津町)〈『延喜式』石津太社神社〉

石津神社(いしづじんじゃ)は 起源は古く 人皇五代孝昭天皇(西暦前475)の御宇7年8月10日、勅願により創建されたと伝えています 人皇十一代垂仁天皇の御宇 天穂日命14世孫 野見宿禰を当宮の神主と定めたと云う 延喜式内社 和泉國 大鳥郡 石津太社神社(いはつたの かみのやしろ)の論社です

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

石津神社(Ishizu shrine

通称名(Common name)

戎神社(えびすじんじゃ)

【鎮座地 (Location) 

大阪府堺市堺区石津町1-15-21

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神
八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)
大己貴神(おなむちのかみ)〈八重事代主神の父神〉
天穂日神(あめのほひのかみ)

相殿神
誉田別神伊邪那美神白山比水分神高野神高龗神
〈明治421026日合祀 村社 六所神社(神石村大字市)の祭神

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

Please do not reproduce without prior permission.

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

石津神社(いしづじんじゃ)

 当社の起源は古く、延喜式内社です。主祭神は八重事代主命(やえことしろぬしのみこと)(戎神)・大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主神)・天穂日命(あめのほひのみこと)で、末社に野見宿祢命(のみのすくねのみこと)、菅原道真公(すがわらみちざねこう)が祀られています。

 石津の地名は、戎神がこの地に降誕した際、五色の神石を携えてきたことに始まるとされています。

 垂仁(すいにん)天皇(紀元前29~70)の時、天穂日命 十四世の孫の野見宿祢命が神主と定められました。野見宿祢命は、相撲の起源とも伝わる当麻蹶速(たいまのけはや)との力比べや、天皇の埋葬時に埴輪を置くことを考案した人物としても知られています。

 明治42年(1909)には神石市之町の村社を合祀し、現在も、この地域の氏神として広く信仰されています。

 江戸時代に刊行された名所案内記である「和泉名所図会(いずみめいしょずえ)」(寛政8年(1796)刊)には、境内のすぐ南側を石津川が流れ、その水を用いたこの地域の地場産業である「石津の晒し」が行われていた様子が描かれています。

現地立札より

Please do not reproduce without prior permission.

【由  (History)】

由緒

 当宮の起源は古く、人皇五代孝昭天皇(西暦前475)の御宇7年8月10日、勅願により創建されたと伝えている。
 当宮は延喜式神名帳にも見られる日本最古の戎神の宮として広大無辺の御神徳を垂れ給い、石津の地はもとより付近各地の人々の心の拠り処として篤い崇敬を集めております。

 社伝を抜粋しますと、往古、事代主神、此地に降臨のとき五色の神石を携え来りて此に置き給う、故に石津と名づく。
人皇十一代垂仁天皇の御宇、天穂日命14世孫、野見宿祢を当宮の神主と定め給う。
仁徳天皇、石津に行幸あり、祈年穀の祭には毎年官幣使を立て給う。
孝徳天皇、白雉3年(西暦兵庫県神戸市兵庫区)に当宮に行幸ましましてこの時、御手洗川に御鏡を落とし給う。是れに依りて御手洗川を益鏡の小川という。(石津川)
孝謙天皇、天平勝宝元年(西暦749)に行幸し給い同5年春正月、神主紀伊守を内裏に召して禄を給う。同天平宝字元年夏5月、紀伊守に藤原朝臣の姓を給いて従三位大納言を授けられ、河内の狭山・野田の二村を神領とせられる。当時は社頭も広く、新堂の岸を西にして、それより八町四方に及ぶ。
大社と云えることは、柱は太く板は厚く造り、社頭は巍々とし殿宇は厳然として広大結構類いなく、出雲大社に次ぐ御社なればなるべし。
その後 平火の為に社殿悉く烏有に帰し、広大なる神領も失われ、後、漸次建営せり。
後醍醐天皇行幸し給いて奉幣し給い、その上、神官に冠、及び沓を賜る。
元禄10年(西暦1697)征夷大将軍、徳川綱吉公より神田8石9斗余の貢米を免ぜられ朱印地を賜り、河内四郡及び堺の付近は悉くその氏子なりき。
桜町天皇の寛保3年(西暦1743)飛騨守石津連、陸野茂基を従六位下に叙せらる。以上のように朝廷武家の尊崇が篤く、これは偏に御神威の重きによるものであります。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

・由緒書きの石碑

Please do not reproduce without prior permission.

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

石津神社 社殿

Please do not reproduce without prior permission.

・〈境内社〉宿禰神社《主》野見宿禰・石津王命

・〈境内社〉天満宮《主》菅原道真公

Please do not reproduce without prior permission.

・〈境内社〉猿田彦社《主》猿田彦命

Please do not reproduce without prior permission.

〈境内社〉行者堂

Please do not reproduce without prior permission.

・〔界生まれ〕与謝野晶子の歌碑

Please do not reproduce without prior permission.

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・飛地境内 御旅所(旭ヶ丘南町)

Please do not reproduce without prior permission.

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)和泉國 62座(大1座・小61座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)大鳥郡 24座(大1座・小23座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 石津太社神社
[ふ り が な ](いはつたの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ihatsuta no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 和泉國 大鳥郡 石津太社神社(いはつたの かみのやしろ)の論社

・石津太神社(堺市西区浜寺石津町中)

一緒に読む
石津太神社(堺市西区浜寺石津町中)〈『延喜式』石津太社神社〉

石津太神社(いわつたじんじゃ)は 太古 蛭子命が 葦船に乗せられ漂着されたと伝承される聖地(石津浦)が現在の御旅所〔発祥の地〕孝昭天皇7年(紀元前469年)創建と伝え 孝徳天皇が白雉3年(653)孝謙天皇も天平勝宝元年(749)に参拝したと云う 延喜式内社 和泉國 大鳥郡 石津太社神社(いはつたの かみのやしろ)です

続きを見る

・石津神社(堺市堺区石津町)

一緒に読む
石津神社(堺市堺区石津町)〈『延喜式』石津太社神社〉

石津神社(いしづじんじゃ)は 起源は古く 人皇五代孝昭天皇(西暦前475)の御宇7年8月10日、勅願により創建されたと伝えています 人皇十一代垂仁天皇の御宇 天穂日命14世孫 野見宿禰を当宮の神主と定めたと云う 延喜式内社 和泉國 大鳥郡 石津太社神社(いはつたの かみのやしろ)の論社です

続きを見る

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

阪堺電気軌道 石津駅から府道206号経由で石津川に沿うように東へ約750m 徒歩での所要時間11~15分程度

R26号と府道206の交差点「石津神社」の歩道橋を渡ると社頭です

Please do not reproduce without prior permission.

社頭には「日本最古の戎宮 石津神社」の案内板があります

Please do not reproduce without prior permission.

石津神社(堺市堺区石津町)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

一礼をして鳥居をくぐり抜けて 境内へと進みます

境内入口の向って右側に大きなクスノキがあり「日本笑姿初石津大社」の石柱あり

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

手水舎があり 清めます

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

言い伝えでは「えびす神は 耳が遠いとされており」石津神社では本殿横に木槌で叩いて願い事を唱える板が設置されています

願い事があれば こちらから

Please do not reproduce without prior permission.

御神紋は「丸に三つ柏」

Please do not reproduce without prior permission.

社殿に一礼をして境内を戻ります

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 石津太社神社について 所在は゛石津郷 下石津村に在す、゛〈現 石津太神社(堺市西区浜寺石津町中)〉と記しています

【抜粋意訳】

石津ノ太ノ杜神社

石津は以之都と訓べし、和名鈔、郷名部〕石津、假字上の如し」

太は意富と訓べし、〔國内神名帳に多ノ字を用ふ、大和國 多ノ社太ノ字を用ひたる同例歟、」

杜は衍字歟、出雲本考異の説に從ふ

〇祭神分明ならず、惣國風土記に天穂日命、式社考に蛭子尊といふ

○石津郷 下石津村に在す、和泉志今天神とす、泉州志、式社考、

 泉州志云、孝昭天皇七壬申年日、始建社、後合 祭天神、陸野氏代々為 神主、縁起按、  以之都意富神社、然則與 大和國十市郡 太坐彌志理都比古社 同神也、今號 天神乃此神歟、
連胤云、今 天神といふは合祭る多神かと、石橋直之がいへるは臆断なれど、後勘の為に挙ぐ、

神位
 國内神名帳云、從五位上 石津多社、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 石津太社神社について 所在は゛ 下石津村にあり、゛〈現 石津太神社(堺市西区浜寺石津町中)〉と記しています

【抜粋意訳】

石津太社神(イシツオホカミノ)

〔〇按 和泉國内神名帳、太を多に作る、太多 共に同義也、此社の外に石津社あるを以て、大社と云て別たるのみ 附て考に備ふ、

 下石津村にあり、〔和泉志、三才圖會、〕

盖 石津連の祖 野見宿禰を祭る、〔新撰姓氏録〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 石津太社神社について 所在は゛(泉北郡濱寺村大字下石津)(上石津村に石津神社 下石津村に石津太神社あり共に村社なり)゛〈現 石津神社(堺市堺区石津町)〉〈現 石津太神社(堺市西区浜寺石津町中)〉の二社があり゛この上下二村の内 何れ本社ならむ決がたし゛〈2社のうち どちらかは決め難い〉と記しています

【抜粋意訳】

石津太社神社

祭神

今按 本社祭神 上石津村の社傳に事代主命 總國風土記に天穂日命 式社考に蛭兒尊など云へど 皆うけ難し
石津は地名にて 太社神社は太氏の神社なる由なり 國内神名帳に從五位上 石津多社を以て 大和國市郡 太坐彌志都比古社を四時祭式に多社と書ると同じかるべし 然らば意富氏の祖神を祭れるなるべし

祭日
社格 村社

所在 (泉北郡濱寺村大字下石津)(上石津村に石津神社 下石津村に石津太神社あり共に村社なり)

 今按 和泉志には下石津村とあるを 堺縣の注進に上石津村とあり この上下二村の内 何れ本社ならむ決がたし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

石津神社(堺市堺区石津町) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

和泉国 式内社 62座(大1座(月次新嘗)・小61座(並官幣))について に戻る

一緒に読む
和泉国 式内社 62座(大1座(月次新嘗)・小61座(並官幣))について

和泉國(いづみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている官社〈延喜式内社〉の事で 和泉国には 62座(大1座(月次新嘗)・小61座(並官幣))の神々が 坐します

続きを見る

  • B!

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています