実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

服織田神社(牧之原市静波)

服織田神社(はとりだじんじゃ)は 社伝には゛景行天皇の年に勧請され゛とあり 鎮座地は 往古は服織田村と言われたが柏原町と改められたと宝暦八年の検地帳に記載されています 延喜式神名帳927 AD.所載式内社 遠江國 蓁原郡 服織田神社(はとりたの かみのやしろ)の論社です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

服織田神社(Hatorida shrine

通称名(Common name)

十二総さん(じゅうにそうさん)

【鎮座地 (Location) 

静岡県牧之原市静波1292

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》麻立比古命(あさたちひこのみこと)
   天八千千比(あめのやちちひめのみこと)

《合》天之忍穗耳命(あめのおしほみみのみこと)〈八王子神社〉
   市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)〈辮天神社〉
   木花咲夜比(このはなさくやひめのみこと)〈勝間田神社〉
   速玉男命(はやたまをのみこと)〈熊野神社〉
   猿田彦命(さるたひこのみこと)〈猪鼻神社〉
   蛭児命(ひるこのみこと)〈西宮神社〉
   石長比(いわながひめのみこと)〈白岩淺間神社〉
   大山祇命(おほやまつみのみこと)〈山神社〉
   猿田彦命(さるたひこのみこと)〈十二所神社〉
   少彦名命(すくなひこなのみこと)〈藏王神社〉

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

服織田神社 由緒

神社名 服織田神社

鎮座地 榛原郡榛原町静波一二九二番地

祭神名
 麻立比古命(あさたちひこのみこと)
 天八千千比売命(あめのやちちひめのみこと)

配祀神
 天之忍穗耳命(あめのおしほみみのみこと)
 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
 木花咲夜比売命(このはなさくやひめのみこと)
 速玉男命(はやたまをのみこと)
 猿田彦命(さるたひこのみこと)
 蛭児命(ひるこのみこと)
 石長比売命(いわながひめのみこと)
 大山祇命(おおやまつみのみこと)
 少彦名命(すくなひこなのみこと)

境内社 稲荷神社 津島神社

例祭日 十一二日
 職 (宮司)

 緒 服織田神社は延喜式神明帳に記載されており、景行天皇の年に勧請され上古は圭田を賜った。往古は服織田村と言われたが柏原町と改められたと宝暦八年の検地帳に記載されている。安政元年の大地震直後建立、明治月郷社に列せられた。

八王寺社・弁天神社・勝間田神社・猪鼻社・熊野社・西宮神社・白岩浅間神社・山神社・十二所社・蔵王社十社何れも明治月当社に合祀された。
明治四十十五日神饌幣帛料供進社に指定される。
昭和四十四二十三日明治百年記念事業として、拝殿幣殿が竣工した。

平成月吉日 奉納者 増田清

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【由  (History)】

活気に溢れる服織田神社の例祭

 服織田(はとりだ)神社は、市役所榛原庁舎の南東に社を構えており、周囲をクスノキに囲まれ厳かな雰囲気を見せています。
「織物の神様」として知られるこの神社では、 11月の第 1土曜日 (昨年までは 11月 2日 )に例祭が行われ、道案内の猿田彦命(さるたひこのみこと)(天狗 )を先頭に神輿(みこし)載せられたご神体が静波地域を巡る神輿渡御(みこしさぎょ)」などが行われます。
 また、この日の前後日を合わせた三日間には、その年の当番である静波区内二つの町内会がお囃子(はやし)とともに屋台を引き回し、若連や子どもたちが屋台上の舞台で踊りを披露。静波は祭りム—ドー色となり、活気に溢れます。

広報『まきのはら』2006年Vol.6より

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)遠江国 62座(大2座・小60座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)蓁原郡 5座(大1座・小4座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 服織田神社
[ふ り が な ]はとりたかみのやしろ)
[Old Shrine name]Hatorita no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

服織田神社の御祭神 麻立比古命(あさたちひこのみこと)について

四国の服織から移住してきた人々が奉斎した神であるとの説が伝わっています

四国の服織とは? 詳細は不明ですが
延喜式内社では 阿波國 勝浦郡 阿佐多知比古神社(あさたちひこのかみのやしろ)があります

阿波國 勝浦郡 阿佐多知比古神社(あさたちひこの かみのやしろ)の論社

・朝立彦神社(飯谷町小竹)

一緒に読む
朝立彦神社(徳島市飯谷町小竹)〈延喜式内社〉

朝立彦神社(あさだちひこじんじゃ)は 延喜式内社 阿波國 勝浦郡 阿佐多知比古神社(あさたちひこの かみのやしろ)です 江戸時代には 護王権現(ごおうごんげん)と称し 明治四年 朝立彦神社と改しました 境内には 年中水が涸れず 祈雨の神として霊験がある゛御甕(オカメ)゛〈現 「お亀の池」〉と云う 二尺余の岩穴があります

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服織田神社の御祭神 天八千千比(あめのやちちひめのみこと)について

服織田神社の御祭神
天八千千比
(あめのやちちひめのみこと)は 日本神話に登場する女神 天棚機姫神(あめたなばたひめ)の別名〈天八千千比売命や天衣織女命〉です

天棚機姫神(あめたなばたひめ)は 『古語拾遺』天岩戸の段で 天照大御神を天岩戸から誘い出す 神衣和衣を織ったとされる女神で 天羽槌雄神と共に機織の神(はたおりのかみ)として知られます
また 同じく機織の神である栲幡千千姫命と同一神という説もあります

別の説では 天棚機姫神は 天八千千比売命の母神とする説もあり 神道五部書の一つの『倭姫命世記』には 天八千千比売命は天棚機姫神の孫とされています 更に『茨城県神社誌』には 天速玉姫神の母神とされています

「服織(はとり)とは

服織(はとり)とは 機織(はたおり)の変化した語で 機(はた)を織ること および それを生業とする人を指します

又 服部(はとりべ)は 大化の改新以前に機織の技術をもって朝廷に仕えた品部です
機織部(はたおりべ)が転訛したもので のちに「部(べ)」の音がとれ「促音」が入「はっとり」とも発音されるようになりました

服部(はとりべ)について゛服部天神宮゛の記事を参照してください

・服部天神宮(豊中市服部元町)

一緒に読む
服部天神宮(豊中市服部元町)

服部天神宮は 服部(ハトリ)と云う地名の通り 秦氏(ハタウジ)が集団で居住し 社伝によれば かつて服部連(ハトリノムラジ)の本拠とした場所に医薬の神「少彦名命」を祀る祠があった〈これが服部天神宮の前身〉その後 延喜元年(901)菅原道真公が 大宰府への左遷途中で 持病の脚気に襲われて身動きが取れなくなったが 一心にその平癒を祈願されたところ脚気はたちどころに治った伝承地になります ゆえに「足の神様」として有名です

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『延喜式神名帳927 AD.』に所載の「服部神社(ハトリノカミノヤシロ)」について

『延喜式神名帳927 AD.』には 同名の神社が 3つあります

①大和國(ヤマトノクニ)城下郡(シキノシモノコオリ) 服部神社二座(ハトリノカミノヤシロ フタクラ) 鍬靫

・服部神社(田原本町蔵堂)〈村屋坐彌冨都比賣神社 境内摂社〉

一緒に読む
服部神社(村屋坐彌冨都比賣神社 境内摂社)

服部神社(はとりじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される古社です 社記によれば 旧鎮座地は 現在地より西2kmばかりの所に 大安寺村 字 神来森(カキノモリ)という土地があり そこに鎮座して波登里(ハトリ)村・阿刀(アト)村の氏神であったが 天正中(1573年~1591年)社殿兵火に罹り後 村屋坐社の本殿横の瑞垣の中に遷座して現在に至ります

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➁加賀國(カガノクニ)江沼郡(エヌマノコオリ)  服部神社(ハトリノカミノヤシロ)

服部神社(山代温泉)の記事をご覧ください

因幡國(イナバノクニ)法美郡(ハフミノコオリ) 服部神社(ハトリノカミノヤシロ)

服部神社(福部町)の記事をご覧ください

一緒に読む
服部神社(鳥取市福部町海士)〈三代實錄 服部神・延喜式内社 服部神社〉

服部神社(はっとりじんじゃ)は 『續日本紀』元明天皇 和銅五年(712)秋七月の条に因幡国にて綾錦を織られたと記載があり その頃の創立と思われ 又『三代實録』貞観十六年(874)五月の条に服織神 從五位上と神階の奉授が記される国史見在社であり 式内社 因幡國 法美郡 服部神社(はとりのかみのやしろ)でもあります

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他に『延喜式神名帳927 AD.』に所載されている 音が同じ「ハトリノカミ」を含む神社としては

・攝津國(セッツノクニ) 嶋上郡(シマカミノコオリ) 神服神社(カムハトリノカミノヤシロ)

一緒に読む
神服神社(高槻市宮之川原元町)

神服神社(かむはとりじんじゃ)は 第19代 允恭天皇(インギョウテンノウ)〈在位412~453年頃〉の時代に服部氏の氏神として創建し「服部神(ハトリノカミ)」と称した古社です この地は服部連(ハトリノムラジ)の本拠地であったとされ『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に「神服神社(カムハトリノカミノヤシロ)」と所載されます 

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伊勢國多氣郡 服部伊刀麻神社(はとりの いとまの かみのやしろ)

・服部伊刀麻神社 舊地(松阪市出間町)
〈二十五柱神社に合祀された服部伊刀麻神社の旧地

 

〈二十五柱神社に合祀された服部伊刀麻神社〉二十五柱神社(松阪市柿木原町)

 

伊勢國多氣郡 服部麻刀方神社二座(はとりのまとまの かみのやしろ ふたくら)

・須麻漏賣神社舊地 麻刀方神社舊地(松阪市垣内田町)
〈二十五柱神社に合祀された松方社(麻刀方神社)の舊地〉

 

〈二十五柱神社に合祀された松方社(麻刀方神社)〉二十五柱神社(松阪市柿木原町)

 

・神服織機殿神社(松阪市大垣内町)

一緒に読む
八尋殿・神服織機殿神社(松阪市大垣内町)〈皇大神宮(内宮)所管社〉

神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)は 八尋殿(やひろでん)の守護神を祀り〈機殿〉八尋殿で奉織した和妙(にぎたえ)の神衣は 神御衣祭(かむみそさい)で皇大神宮・荒祭宮に供進されます 起源は『倭姫命世記』垂仁天皇22年機屋を作り 25年磯宮に服織社を建て 五十鈴川上に御鎭座の時 大宮の傍に八尋の機屋〈宇治の機殿〉を建て 清寧天皇3年(482)服織社の地に移ったとします

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延喜式神名帳927 AD.所載社の内゛服織神(はとりのかみ)゛を祀る三ヶ所の神社について

延喜式内社 伊勢國 奄芸郡 服織神社(はとりの かみのやしろ)の論社 三社について

『延喜式神名帳』奄芸郡「服織神社」の論社は 付近一帯が 古代には 服部(はとり)郷であったので 諸説が生れたと云われる

・服織神社(鈴鹿市御薗町)

一緒に読む
服織神社(鈴鹿市御薗町)

服織神社(はとりじんじゃ)は 江戸時代には 八幡社あるいは神明の社と称され近郷の崇敬を集めていた 社伝には 延喜式内社で 元は神明の社と称し また服織神社と申し伝へて来たと伝わります 式内社 伊勢國 奄芸郡 服織神社(はとりの かみのやしろ)の論社となっています

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・服織神社(河芸町久知野)

一緒に読む
服織神社(河芸町久知野)

服織神社(はとりじんじゃ)は 往古は当地の南西 社宮地というところにあり、当地方 服部郷の信奉の社であったと云い 式内社の当時は「羽織社」と称えていたことが石碑にみえ 付近に衣手谷(きぬてだに)服反田(はだんだ)社宮神(しゃぐじん)などの地名が残っており その信仰は今の社にも受け継がれ「扇神」「扇さん」「オオギリさん」と慕われています

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・酒井神社(鈴鹿市郡山町)
酒井神社に合祀 服織神社 境内に 服織神社御旧跡あり
江戸時代の諸書には 郡山村 酒井神社境内の服織神社を称えるものが多かった

一緒に読む
酒井神社(鈴鹿市郡山町)

酒井神社(さかいじんじゃ)は 社伝は天智天皇10年(671)の創祀という 又 稻生三社大明神に日参していた信任長者と云う人に神託があり 郡山に稻生新宮を造立しました これが郡山大明神と伝わる 延喜式内社 伊勢國 奄芸郡 酒井神社(さかゐの かみのやしろ)の論社です その他に 境内には゛服織神社御旧跡〈延喜式内社 伊勢國 奄藝郡 服織神社の旧跡とも〉゛があります

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延喜式内社 遠江國 長上郡 服織神社(はとりの かみのやしろ)

・服織神社(浜松市東区豊町)

一緒に読む
服織神社(浜松市東区豊町)

服織神社(はたおりじんじゃ)は 古くは 天竜川沿いのこの辺には〈織物に関係した職人が集団〉服部(はとりべ)が住んでいたと伝わる 元明天皇の和銅元年(708)出雲国から 神様をお迎えして造られたのが創建と伝わる 延喜式内社 遠江國 長上郡 服織神社(はとりの かみのやしろ)とされます

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延喜式内社 遠江國 蓁原郡 服織田神社(はとりたの かみのやしろ)

・服織田神社(牧之原市静波)

一緒に読む
服織田神社(牧之原市静波)

服織田神社(はとりだじんじゃ)は 社伝には゛景行天皇の七年に勧請された゛とあり 鎮座地は 往古は服織田村と言われたが柏原町と改められたと宝暦八年の検地帳に記載されています 『延喜式神名帳(927 AD.)』所載の式内社 遠江國 蓁原郡 服織田神社(はとりたの かみのやしろ)の論社です

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・白羽神社(御前崎市白羽)

一緒に読む
白羽神社(御前崎市白羽)

白羽神社(しろわじんじゃ)は 社伝によれば゛旧社地は 御前崎市御前崎(厩崎)字本社に安閑天皇元年(531)11月鎮座 仁明天皇 承和元年(834)3月神様のお諭しにより宮処を廻り相応の処を定め 承和四年(837)2月現地に遷座した゛とあります 延喜式内社 遠江國 蓁原郡 服織田神社(はとりたの かみのやしろ)の論社です

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・駒形神社(御前崎市御前崎)
〈白羽神社(御前崎市白羽)の旧鎮座地〉

一緒に読む
駒形神社(御前崎市御前崎)

駒形神社(こまがたじんじゃ)は 延喜式に載る白羽官牧の地と伝えられ 社伝には゛往古沖で遭難した九十頭の馬の内一頭が岸にたどりついた地とされる 残りの馬は沖の御前岩(駒形岩)と化したと云う 白羽神社の元宮とされる゛とあります 延喜式内社 遠江國 蓁原郡 服織田神社(はとりたの かみのやしろ)の論社です

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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

牧之原市役所から東へ約500m 徒歩7分程度

服織田神社(牧之原市静波)に参着

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狛犬が座し 鳥居をくぐると すぐに手水舎があります

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境内の向かって右手には 玉垣に囲まれて御神木のクスノキがあります

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拝殿にすすみます
扁額には゛服織田神社

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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毎年11月の第1土曜日に行われる祭り屋台の巡行で有名な服織田神社祭典がありますが 祭礼用幟の案内がありました 参拝日は10月9日

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

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参道を戻ります

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参道の横には社務所があり 御神職が在所ならば 御朱印などを頂けます

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 服織田神社について には 海邊アル白羽村白羽大明神〈現 白羽神社(御前崎市白羽)〉としているが
鈴鹿連胤が考えるには かつての服織田村〈現 服織田神社(牧之原市静波)〉にあるのではないか?と疑問投げかけています

【抜粋意訳】

服織田神社

服織田は 波止利太と訓べし
〇祭神 猿田彦神、天鈿女命、風土記

〇惣國風土記四十八残缺云、遠江國 蓁原郡 服織田神社、景行天皇□□所祭猿田彦與 天鈿女命也、圭田三十三束、

考云、海邊アル白羽村白羽大明神也、参考同卜云、
連胤、按るに、惣國風土記 此神社の前に、服織田村云々とあ、この村名絶たるかぬべし、白羽は万葉廿に、等倍多保美志留波乃伊宗とある所にて、古今共に白羽といへば、服織とは別ならん 

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 服織田神社について 所在は 白羽村海邊にあり 白羽大明神〈現 白羽神社(御前崎市白羽)〉と記しています

【抜粋意訳】

服織田(ハトリタノ)神社

今 白羽村の海邊にあり、白羽大明神と云、蓋是也、
凡祭三月十一月中午日 之を行ふ、遠州一統志、遠江風土記傳、巡拝舊祠記、式社摘考、
蓋 長白羽神を祀る、子後拾遺

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』https://dl.ndl.go.jp/pid/815490著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 服織田神社について 遠江風土記傳 式社考 共に 白羽村白羽大明神〈現 白羽神社(御前崎市白羽)〉としているが
注進状に柏原村(植松村・柏原村・川崎町村・柏原町・勝十新田が合併して静波町)〈現 服織田神社(牧之原市静波)〉とあり 尚良く考えるべきと記しています

【抜粋意訳】

服織田(ハトリタノ)神社

祭神
祭日
社格

所在
 今按 遠江風土記傳 式社考 共に白羽村白羽大明神なりと云る 白羽は古語拾遺に令 長白羽神(ヲサシラハノカミ)種 麻ヲ以爲ニ青和幣(アヲニギテ)ヲ云々とある 注文に今俗 衣服ヲ謂フ之 白羽(シラハト)とみえて 此の服織田神社によしありて聞ゆるを
注進状に柏原村と定めたるは波取山の名に據たるにや 詳かならず猶考ふべし

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

服織田神社(牧之原市静波)ついて 白羽神社と共に 式内社 服織田神社の論社であると記しています

【抜粋意訳】

郷社 服織田(ハトリダノ)神社

祭神 麻立比古(アサダチヒコノ)命 天八千々比賣(アメノチチヒメノ)

合祭 忍穂耳命八王子神社)  市杵島姫命(辮天神社)
   木花開耶姫命勝間田神社速玉男命(熊野神社)
   猿田彦神(猪鼻神社)   蛭児命(西宮神社)
   石長比命(白岩淺間神社)大山祇命(山神社)
   猿田彦命(十二所神社)  少彦名命(藏王神社)

創立年代詳ならず、但社は、景行天皇年の勧請とすと雖も、偽書総風土記に証拠せるものなるが故に信ずるに足らず、明治月郷社に列せられ、明治月近郷の八社を合祀す。
社殿は本殿、拝殿、其他社務所等を具備し、境内は570坪(官有地第一種)あり、明治四十三年御料林一反十三渉を境内に編入許可せらる。
明治維新 神社取調の際、本縣より上申せる注進状には、当社を以て式内社服織田神社なりとせるが、其理由は特選神名牒に、「波取山の名にたるにや」と見え、明細帳には「地名も往古は服織田村と称せしが、年月詳ならず、柏原町と改めしと」と見えたり、兎に角 白羽神社と共に、後考を俟だざるべからず。

境内社 稲荷神社 津島神社

【原文参照】

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

服織田神社(牧之原市静波) (hai)」(90度のお辞儀)

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遠江国 式内社 62座(大2座・小60座)について に戻る 

一緒に読む
遠江國 式内社 62座(大2座・小60座)について

遠江国(とほとうみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 遠江国には 62座(大2座・小60座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています