別宮 八劔宮(べつぐう はっけんぐう)は 熱田神宮境内の南に鎮座し 熱田神宮の本宮と同じ御祭神をお祀りし 社殿も本宮と同じ造りで 年中祭儀も同様に執り行われます 社伝には 元明天皇の和銅元年(708)寶劔を新たに鋳造し創祀されたと云う 延喜式内社 尾張國 愛智郡 八劔神社(やつるきの かみのやしろ)です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
別宮 八劔宮(Hakkengu)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
愛知県名古屋市熱田区神宮1丁目1−1〈熱田神宮境内〉
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
〈熱田神宮 本宮と同じ御祭神をお祀りする〉
《主》熱田大神(あつたのおほかみ)
〈御霊代(みたましろ)草薙神劔(くさなぎのみつるぎ)〉
《配》天照大神(あまてらすおほかみ)
素盞嗚尊(すさのをのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
宮簀媛命(みやすひめのみこと)
建稲種命(たけいなだねのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・ 熱田神宮 別宮
【創 建 (Beginning of history)】
別宮 八剣宮(べつぐう はっけんぐう)
元明天皇の和銅元(708)年、宝剣を新たに鋳造し創祀されました。一の鳥居(南門)の西側に鎮座し、本宮と同じ御祭神をお祀りします。社殿も本宮と同じ造りで年中祭儀も同様に執り行われます。
八剣宮は武門の信仰が篤く、織田信長、徳川綱吉等により社殿の修造造営が行われてきました。なお、別宮とは名が示すように本宮の別れとして祀られ、篤い崇敬を受けます。
熱田神宮公式HPより
https://www.atsutajingu.or.jp/jingu/about/yukari.html
【由 緒 (History)】
『名所案内名古屋節用 : 附・熱田枇杷島』〈明治26年(1893)〉に記される内容
【抜粋意訳】
八劔神社
本社南三丁にあり摂社七所の一社
本國帳(ほんこくてう)に 正一位 八劔大名神(はつけんだいめうじん)としるせり
和銅元年 九年御鎮座(ごちんざ)祭神は 十座神秘なりと 又 新造(しんぞう)の寶劔(ほうけん)を納給(おさめたま)ひて八劔宮と稱し奉り別官(べつかん)とぞ〔延喜式には八劔神社〕
本殿は五月十九日〔舊 四月四日〕遷宮(せんぐう)の式執行され各町近郊より笹提燈の奉納ありたりし そして外宮と稱せらるる
【原文参照】
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
『張州府志』附図に記される 八劔宮の境内図
【抜粋意訳】
『張州府志』附圖(八劔宮總社)
【原文参照】
〈『張州府志』附図〉の説明で 現在の写真を見ると良くわかります
・南門・拝殿・祭文殿・渡殿・正殿
・南門
・太郎庵椿
太郎庵椿(たろうあんつばき)
やぶつばきの一種で 樹齢三百年を超えた大樹の「ひこばえ」である
十一月の末から四月のはじめまで淡紅色の花をつける 江戸中期名古屋の古渡に住む高田太郎庵 という茶人が愛好したのでこの名がついた現地立札より
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
別宮 八劔宮は 熱田神宮の境内摂社です
熱田神宮は 別記事を参照ください
・熱田神宮(名古屋市熱田区神宮)〈延喜式内社 名神大社〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式・風土記など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ
記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『日本書紀(Nihon Shoki)〈養老4年(720)編纂〉』に記される伝承
天智7年(668)僧・道行が 草薙剣を盗み 新羅に持ち去ろうとしたが 船が嵐で難破し失敗して帰る と記されています
【抜粋意訳】
天智天皇(即位7年)
この年 沙門(ホウシ〈法師〉)の道行(ドウギョウ)は 草薙劔(クサナギノツルギ)を盗んで 新羅に逃げて行きました
しかし 途中の道で 雨風にあって 迷い帰りました
【原文参照】
朱鳥元年(688)6月 天武天皇の病を卜占すると 草薙の剣に祟りあり とされたので 即日 熱田神宮に送り置かれた と記されています
【抜粋意訳】
天武天皇(即位15年)六月戊寅〈6月10日〉
天皇の病気を卜〈占う〉 草薙劔(クサナギノツルギ)に祟(タタリ)ありとす 即日 尾張国の熱田社(アツタノヤシロ)に送り置きました
【原文参照】
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)愛智郡 17座(大4座・小13座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 八劔神社
[ふ り が な ](やつるきの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Yatsuruki no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
熱田神宮の別宮・摂社・末社について
熱田神宮
・境内には 本宮をはじめ・別宮1社・摂社8社・末社19社が祀られ
・境外には ・摂社4社・末社12社が祀られ
すべてあわせて45の社をお祀りしています
・熱田神宮の摂社・末社について
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
熱田神宮は 別記事を参照ください
・熱田神宮(名古屋市熱田区神宮)〈延喜式内社 名神大社〉
熱田神宮 正門 (南門・一の鳥居)をくぐるとすぐに 表参道の左側〈西側〉にある上知我麻神社と同じ境内にあります
摂社 上知我麻神社(せっしゃ かみちかまじんじゃ)は 八剣宮の南西に鎮座しています
上知我麻神社は 別記事を参照ください
・上知我麻神社(名古屋市熱田区神宮)
〈昭和24年(1949)熱田神宮の境内に遷座〉
上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)は もとは「源太夫社」と称し ここから200メートル程南に鎮座していましたが区画整理によって 昭和24年(1949)熱田神宮境内に遷座しました 祭神は尾張國造 乎止與命(おとよのみこと)を祀る 延喜式内社 東海道 尾張國 愛智郡 上知我麻神社(かむつ ちかまの かみのやしろ)とされます
上知我麻神社(名古屋市熱田区神宮)〈昭和24年(1949)熱田神宮の境内に遷座〉
境内に入ると 右手の奥に 大きな楠木かあり その奥に南を向いて社殿が建っています
別宮 八剣宮(名古屋市熱田区神宮 熱田神宮境内)に参着
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
八剣宮は 熱田神宮の別宮であり 社殿は 熱田神宮の本宮と同じ祭神をお祀りし 社殿も本宮と同じ造りで年中祭儀も同様に行われるらしく 本宮では良く見えないのですが 八剣宮では比較的 社殿の構造体がわかりやすいと思います
手前から・南門・拝殿・祭文殿・渡殿・正殿
社殿に一礼をします
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 八劒神社について 所在は゛熱田宮南に在す、或下宮と称す、゛〈現 別宮 八劔宮(名古屋市熱田区神宮 熱田神宮境内)〉と記しています
八劒宮の八劒とは 草薙劒であるとする説や 新造の寶劔蔵である説など 諸説を考証しています
【抜粋意訳】
八劒神社
八劔は夜都留岐と訓べし
○祭神 草薙及七劒霊歟
○熱田宮南に在す、或下宮と称す、〔集説〕
張州府志に、謹按、神名秘書、有に道行為に奸後、造に加七柄劒為に八劒宮之説、然亦異に於社傳而巳、天智天皇 七年戊辰 外賊盗に草薙劒、朱鳥元年 還座日造に別祠、此劒徳以爲に八洲鎮 名稱に八劒神社、
一説、元明天皇 和銅元年戊申九月九日、新造に寶劔蔵之、多治比真人池守為に勅使奉祀、云々、源平盛衰記説云、造に具神劒四口立に社頭裏、一禰宜教授一人時有に以に五指差示之様、自余人不知に本劒新劔云々、是謂に本宮歟、抑謂に八劒社歟、不可に得知焉、凡依に八劔之名世以に八口劔者非也、
倭姫世記、謂に草薙八劒則非に八口之劒、
又 細川藤高東國陣道記曰、當社中 八劒宮者為に日本武尊由有に演説云々、然則不異に本宮歟、凡諸祭以に臺盤十面、」集説に、和銅元年九月鎮坐、素戔鳴尊和魂也、
按、日本紀曰、蛇頭尾各有に八岐云々、斬至尾有に一劒、〔名 草薙八劔〕
神名式曰、出雲國大原郡 八口神社、〔風土記八作矢〕
杵築社記曰、大原郡斐伊郷中 簸川邊有に杉八本祭に蛇頭、仁田郡〔田當作多〕尾原村祭に蛇尾、乃石壺大明神、〔風土記 未官 知社 石壷云々〕由此見之、則八口称に頭有に八岐也、八劒称に尾有に八岐也、神劒出に於出雲國奉に尾張國、謂に此熱田上宮、和銅帝建に別宮称に下宮者蓋有故歟、又当社所摂有に八子神社、疑移に祭出雲國八口神以為に頭尾配合乎、其實共崇に素戔鳴尊霊徳者也、と云るは即ち八口劔の説也、神位
國内神名帳云、從三位八劒明神、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 八劒神社について 所在は゛今 大宮の南にあり、下宮と云、゛〈現 別宮 八劔宮(名古屋市熱田区神宮 熱田神宮境内)〉と記しています
八劒宮とは゛新に社を建て新造寶劍を納奉る號て八劍宮と云゛とする説などを考証しています
【抜粋意訳】
八劔(ヤツルギノ)神社
今 大宮の南にあり、下宮と云、〔國内帳集説、神名帳考証、式社考、張州府志、〕
元明天皇 和銅元年九月丁卯、新に社を建て新造寶劍を納奉る號て八劍宮と云、即是也〔熱田正縁起、神社傳説、〕〔〇按 神名秘書、平家物語劍卷、並云、奸僧道行の事ありし後、七柄の劔を造り加へて、同殿に祝奉る、之を八劔宮とす、源平盛衰記、又此説を挙て云、道行神劔を盗奉りし後、末代に又かかる者もありなんとて、四ツの劔を本劔の如く造りて、社に立られたり、一の社官の外、本劔新劔を知らずと云り疑らくは 後人 八劔の名に依て附會せる説なるべし、故今とらず、〕
凡 年中祭祀 熱田神社に異なる事なし、祈年新嘗二祭を除くの外 神饌を熱田に備ふる每に必先 本社に奉るを例とす、〔海邦名勝志、熱田社問答雑録、東海道名所圖繪〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 八劒神社について 所在は゛熱田大宮二町南゛〈現 別宮 八劔宮(名古屋市熱田区神宮 熱田神宮境内)〉と記しています
八劒宮とは゛和銅元年九月 新建別社 祝祭神劔徳號 八劔宮とあり゛なので 本来の祭神は゛八劔神゛と載せるべきだろう と記しています
【抜粋意訳】
八劔(ヤツルギノ)神社
祭神
天照大御神(アマテラスオホミカミ)
須佐之男命(スサノヲノミコト)
天之忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)祭日
社格 熱田摂社(無格社)(新宮坂町熱田神宮摂社 八劔神社ならんか)所在 熱田大宮二町南
(本宮舊記に 和銅元年九月 新建別社 祝祭神劔徳號 八劔宮とあり 天照大御神以下三座を祭神とせるは本宮の注意に従ひし者なれど 舊記 及 社號に従て祭神 八劔神と載すべき歟)
【原文参照】
別宮 八劔宮(名古屋市熱田区神宮 熱田神宮境内)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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尾張国(おわりのくに・をはりのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 尾張国には 121座(大8座・小113座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
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