中和神社(ちゅうかじんじゃ)は 上代には植杉川の上流に鎮座 旧跡地には「久那止荒魂神社」が祀られます 参拝の不便もあり 何時の時代かに里宮として現在地に移されたと云う 「三代実録」「貞観6年(864)8月己巳美作国従五位下久止神授従五位上」・『延喜式』美作國大庭郡 久刀神社(くとの かみのやしろ)の論社となっています
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
中和神社(Chuka shrine)
【通称名(Common name)】
・くるまどさん
・〈旧称〉久那止神社(くなとじんじゃ)
【鎮座地 (Location) 】
岡山県真庭市蒜山下和1946
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》久那止神(くなどのかみ)
《配》大己貴命(おほなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
《合》天忍穂耳命,天穂日命,天津彦根命,活津彦根命,熊野久須比命,多紀理比売命,狭依比売命,多岐津比売命,天照大神,別雷命,大国主命,大山咋命,速玉男命,黄泉事解男命,八衢毘古命,八衢毘売命,大年神,品陀和気命,大山祇命,伊邪那美命,弥都波能売命,迦具土命,埴山姫命,金山彦命,瓊瓊杵尊,須佐男之命,味高彦根命,菅原神
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・牛馬守護 悪魔除け
【格 式 (Rules of dignity) 】
・ 国史に記載される神社
〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇實録』『日本三代實録』)に記載されている神社〉
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
由緒
当社の創建年月は不祥であるが、元禄4年編纂の「作陽誌」には「車戸神社在下和村此村氏神也、在一の茅岸頭近渉於下鍛冶屋云々」とある。
上代においては植杉川の上流に鎮座していたが 何時の時代かに里宮として現在地に移され、旧跡地は今では「久那止荒魂神社」が祀られている。「三代実録」には「貞観6年(864))8月己巳美作国従五位下久止神授従五位上」とあり、又神祇志料には美作国八の宮とある式内社で、古くは久刀神社、久那止神社、或いは車戸大明神と称していた。
明治44年12月村内各神社を合祀、大正2年3月村名を以て社号となし中和神社と改称今日に至っている。
尚本殿中央に奉斎されている久那止神の、内宝殿には宝暦10年(1760)3月備前国国府湊より久世まで水上にて運んだことが墨書されている。古くから「くるまどさん」の愛称で親しまれ、牛馬の守護神として崇敬され、今尚山陰方面からの講参りが連綿として今日まで続いている。棟札によれば現在の本殿は明治4年の建築である。
主祭神の久那止神は伊邪那岐命が、亡くなられた妻(伊邪那美命)を慕い給い死人の国を訪れられた時に、多数の魔神に追われて急ぎ逃げ帰られた際に黄泉津平坂に於いて「ここよりこちらには来るなかれ」と、大きな岩にて道を塞いだ古事があり、この時の岩をつかさどった神が即ち久那止神である。古来より牛馬守護の神としてはもとより、魔除け、厄除け、道中安全の神として信仰されている。皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会HPより
https://jinja-net.jp/jinjacho-okayama2/jsearch3okayama.php?jinjya=6681
【由 緒 (History)】
御祭神
久那止神 大己貴命 少彦名命。
合祀神
天忍穂耳命 天穂日之命 天津彦根命 活津彦根命 熊野久須比命 多紀理比賣命 狭依比賣命 多岐津比賣命 天照大神 別雷命 大国主命 大山咋命 速玉男命 黄泉事解男命 八衢毘古命 八衢毘売命 大年神 品陀和気命 大山祇命 伊邪那美命 弥都波能売命 迦具土命 埴山姫命 金山彦命 瓊瓊杵尊 須佐男之命 味鋤高彦根命 菅原神。
祭日
4月29日祈年祭、7月15日牛馬祭、10月9日例祭、11月23日新嘗祭。
御由緒
創建年月は不祥であるが、元禄4年編纂の「作陽誌」には「車戸神社在下和村此村氏神也、在一の茅岸頭近渉於下鍛冶屋云々」とあり上代においては植杉川の上流に鎮座ありしが何時の時代かに里宮として現在地に移され、旧跡地は今では「久那止荒魂神社」が祀られている。
「三代実録」には「貞観6年(864)8月己巳美作国従五位下久止神授従五位上」とあり、又神祇志料には美作国八の宮とある式内社で、古くは久刀神社、久那止神社、或いは車戸大明神と称していたが明治44年12月村内各神社を合祀、大正2年3月村名を以て社号となし中和神社と改称今日に至っている。
尚本殿中央に奉斎されている久那止神の、内宝殿には宝暦10年(1760)3月備前国国府湊より久世まで水上にて運んだよしが墨書されている。古くから「クルマドサン」の愛称で親しまれ、牛馬の守護神として崇敬ことに篤く、今尚山陰方面からの講参りが連綿として今日まで続いている。
棟札によれば現在の本殿は明治4年の建築である。主祭神の久那止神は伊邪那岐命が亡くなられた妻(伊邪那美命)を慕い給い死人の国を訪れられた時に、多数の魔神に追われ給うて急ぎ逃げ帰られた際に黄泉津平坂に於いて「ここよりこちらには来るなかれ」と、大きな岩にて道を塞ぎ給いし古事があり、この時の岩をつかさどり給うた神が即ち久那止神である。古来より牛馬守護の神としてはもとより、魔除け、厄除け、道中安全の神として信仰されている。境内社
八幡神社 品陀別命 息長帯姫命 武内宿袮 稲荷神社 宇賀廼魂神 豊櫛神社 豊磐窗命 櫛磐窗命
※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
中和神社・ほこ杉のひみつ
平成25年度 中和小学校の3・4年生が総合学習で調べました。
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中和神社
旧鎮座地と社名について
「 ぼくは、中和という名前のことを、調べました。
昔は、一のかやに中和神社があったそうです。もともとは、中和神社ではなく、久那戸神社といっていたそうです。それがいいやすいように、車戸神社というようになったそうです。そして、ーのかやにあった神社は、森や川があって行きにくかったから、中和小学校があるところに移動させたそうです。」
幣殿について
「 わたしは、神社の中のことをしらべました。神社のおくには、かんぬしさんしか入れない場所がありました。そこには、かがみがありました。かがみのとなりには、たいこがありました。」
本殿について
「 そのおくには、本でんといわれるたてものがありました。かんぬしさんにきいてみたら、神樣がいると教えてくれました。みんながおがむと、かみさまが出てきて神社の中にあるかがみに入りおねがいをきいてくれるそうです。」
中和神社の裏山の古墳などについて
「 ぼくは、中和神社のむかしのことをしらペました。
中和神社のうら山には、大きなおはかがあるそうです。中和神社があるところには、むかし、小さなお宮があったそうです。中和神社はそこにたてました。中和神社は一回やけたそうです。だから火を消すどうぐがあります。」
狛犬について
「 ぼくは、こま犬のことも調べました。
こま犬には、ちゃんとまっつているわけがあります。右のこま犬は、「あ」といって、左のこま犬は、「ん」といっているそうです。こま犬の仕事は、人間の悪い心を追いはらうことだそうです。」
神輿について
「 ぽくは、中和神社の倉庫のことを調べました。
倉庫の中には、おみこしがありました。おみこしの中にはふだんは何も入っていないけど、お祭りでみこしをかつぐときには、神社のほんでんから、神様ののりうつった鏡をみこしの中にいれて.中和地区をまわるらしいです。」
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境内社 御門神社について
「 私は、中和神社のおくにある小さな神社を調べました。
御門神社は新しい神社だそうです。
御門神社は、惡い物が入らないように門を守る神様をまつっています。
御門神社は、中和神社全体を守る神様といわれています。」
境内社 稲荷神社について
「 次に調べた神社は、いなり神社です。
いなり神社は、食べ物の神様です。むかしは、きつねは神聖なもので、神様のつかいとしてまつられています。」
境内社 八幡神社について
「 最後に調べた神社は、八幡神社です。
八幡神社は、戦いの神様をまつっています。昔、ぶしの、三船氏が建てたそうです。戦いや、勝負に勝てるようにおねがいをしたそうです。」
守り牛について
「 ぼくは中和神社のみどりの牛のことをしらべました。
中和神社には、みどりの牛と子牛がいました。みどりの牛と子牛は親子です。牛は、田んぼのしごとをしてくれるので、とても大切だったそうです。だから、神社にまつっています。みどりの牛は中和の牛たちのまもりがみです。」
農耕と牛について
「昔は今みたいに、きかいがなかったから、牛は大事でした。だから、まつってあります。おや牛と子牛があるのは、持ってきた人がちがうから、おや牛と子牛がいるそうです.鳥取には牛がすくなかったので、中和まで牛をかりにきて、田んぼをたがやしていたそうです。」
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ほこ杉の名前の由来について
「 ぼくは、ほこすぎの名前のゆらいをしらべました。
ほこすぎの名前のゆらいは、むかしのぶきの、「ほこ」からつけられました。むかしは、すぎの木の先がとんがっていてよくにていたことと、やりのように、まっすぐのびているので、「ほこすぎ」と名づけられたそうです。」
神社と杉の関係について
「 わたしは、神社に、なんでスギをうえたかということをしらべました。
スギは、神社をたてかえるときのざいりょうにするそうです。むかしは、スギはたくさんありました。でも、グラウンドをつくるために.何本か切ったそうです。次に、中和神社をたてかえるときは.ほこスギは切らないそうです。ほかの山から切ってくるそうです。」
ほこ杉の樹齢について
「 ぼくは、ほこスギの年をしらべました。
本には、ほこスギの年令は、300才から400才と書かれていました。かんぬしさんにきいたら、400才いじょうと言われました。
ほこスギは、うえられたんじゃなくて、かってにはえてわたそうです。
むかし、学校のグラウンドをつくるとき何木も切ったそうです。」
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・〈旧鎮座地〉久那止荒魂神社(真庭市蒜山下和)
参拝には地元の許可が必要です
上代においては植杉川の上流に鎮座ありしが何時の時代かに里宮として現在地〈中和神社(真庭市蒜山下和)〉に移され 旧跡地は今では「久那止荒魂神社」が祀られている
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
久止神に神階の奉授が記されています
【抜粋意訳】
卷九 貞觀六年(八六四)八月十五日己巳
○十五日己巳
美作國 從五位下 長田神 兎上神 田神 加佐美神 形賣神 壹粟神 横見神 久止神 高野神等 並に授に從五位上を
是日 制す 筑前國 香椎廟司を 以て六年を爲に任限と
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陽道140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)美作國 11座(大1座・小10座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)大庭郡 8座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 久刀神社
[ふ り が な ](くとの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kuto no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 美作國大庭郡 久刀神社(くとの かみのやしろ)の論社について
・二宮(真庭市社)〔式内社 五座が鎮座〈・壹粟神社二座・久刀神社・菟上神社・長田神社〉〕
〈二宮(真庭市社)境内に4社並んで鎮座する社の内 向かって右から1番目 久刀神社〉
二宮神社(ふたみや)は 式内社 美作國大庭郡八座の内 4社五座①壹粟神社二座(いちあはの かみのやしろふたくら)②久刀神社(くとの かみのやしろ)③菟上神社(うさかみの かみのやしろ)④長田神社(なかたの かみのやしろ)が祀られます 本来 別々の場所に祀られていた神を現在地に集めたとも推測されますが 定かではありません
二宮(真庭市社字於和佐)〈『三代実録』壹粟神・大佐々神・長田神・兎上神・久止神〉
・〈中和神社の旧鎮座地〉久那止荒魂神社(真庭市蒜山下和)
参拝には地元の許可が必要です
上代においては植杉川の上流に鎮座ありしが何時の時代かに里宮として現在地〈中和神社(真庭市蒜山下和)〉に移され 旧跡地は今では「久那止荒魂神社」が祀られている
・中和神社(真庭市蒜山下和)
〈久那止荒魂神社(真庭市蒜山下和)の里宮であった〉
中和神社(ちゅうかじんじゃ)は 上代には植杉川の上流に鎮座 旧跡地には「久那止荒魂神社」が祀られます 参拝の不便もあり 何時の時代かに里宮として現在地に移されたと云う 「三代実録」「貞観6年(864)8月己巳美作国従五位下久止神授従五位上」・『延喜式』美作國大庭郡 久刀神社(くとの かみのやしろ)の論社となっています
中和神社(真庭市蒜山下和)〈『三代實録』久止神『延喜式』久刀神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR姫新線 久世駅から久世ICで中国横断自動車道経由 北上 湯原ICを出てから さらに北上して合計約31.8km 車での所要時間は35~40分程度
R313号を北上しながら 湯原温泉を過ぎて 新熊居トンネルを抜けます
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中和小学校脇というか 校庭に地続きです
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社殿 境内は南西方向を向いています 正面には 収穫間近の稲穂が垂れている田があります
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中和神社(真庭市蒜山下和)に参着
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中和小学校 校庭に地続きです
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一礼をして 鳥居をくぐり境内へ進みます
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拝殿にすすみます
拝殿の後ろの杉は通称「ほこ杉」
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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境内は 中和小学校の校庭に地続きですが グラウンドを作る時には 杉の大木を何本も切ったとの事です
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社殿に一礼をして境内を戻ります
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〈中和神社の旧鎮座地〉久那止荒魂神社(真庭市蒜山下和)には
参拝には地元の許可が必要です
上代においては植杉川の上流に鎮座ありしが何時の時代かに里宮として現在地〈中和神社(真庭市蒜山下和)〉に移され 旧跡地は今では「久那止荒魂神社」が祀られている
とありますので
すぐ傍の植杉川の上流辺りまで
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 久刀神社について 所在は゛社村に在す、゛〈現 二宮神社(真庭市社字於和佐)〉と記しています
【抜粋意訳】
久刀神社
久刀は假字也
○祭神詳ならず
○社村に在す、〔作陽誌、式社考、〕、例祭 月 日、
類社
大和國 平群郡 久度神社の條見合すべし神位
三代實錄、貞觀六年八月十五日己巳、美作國 從五位下 久止神 授ニ從五位上、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 久刀神社について 所在は゛今 社村 兎上社の東に在り゛〈現 二宮神社(真庭市社字於和佐)〉と記しています
【抜粋意訳】
久刀(クトノ)神社
今 社村 兎上社の東に在り、八宮と云ふ、〔作州記、作州風土略、作陽誌、〕
清和天皇 貞観六年八月己巳、從五位下 久止神に從五位上を授く、〔三代実録〕
凡 毎年二月十一月十二日を以て祭を行ふ、〔作陽誌〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498
栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 久刀神社について 所在は゛社村(眞庭郡湯原村大字社)゛〈現 二宮神社(真庭市社字於和佐)〉と記しています
別説に゛下和村 久那止神社あり 是式の久刀神社にて社村なるは後に移祭れるなりと云り゛〈現 中和神社(真庭市蒜山下和)・久那止荒魂神社(真庭市蒜山下和)〉を挙げています
【抜粋意訳】
久刀神社
祭神 久那止神
神位 清和天皇 貞觀六年八月十五日己巳 美作國 從五位下 久止神 授從五位上
祭日 九月九日
社格 村社所在 社村(眞庭郡湯原村大字社)
今按 明細帳 下和村 久那止神社あり 是式の久刀神社にて社村なるは後に移祭れるなりと云り 何れか是ならん今決めかたし
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
中和神社(真庭市蒜山下和)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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美作国(みまさかのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 美作国には 11座(大1座・小10座)の神々が坐します 現在の論社についても記しています
美作国 式内社 11座(大1座・小10座)について