天伊弉奈姫神社(あめのいざなひめじんじゃ)は 祭神の天比女若御子大神が 氣比大神の御子神であると『続日本後紀』承和7年(840)9月13日(乙酉)の条に「奉授 越前國 從二位勳一等 氣比大神之御子 无位 天利劔神 天比女若御子神 天伊佐奈彦神 並從五位下」と記される由緒格式ある古社です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
天伊弉奈姫神社(Amenoizanahime shrine)〈氣比神宮境内〉
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
福井県敦賀市曙町11-68〈氣比神宮境内〉
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天比女若御子大神(あめひめわかみこのおほかみ)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
天伊弉奈姫神社
[あめのいざなひめじんじゃ]
祭神は天比女若御子大神。式内社、社家伝記に、伊佐奈日女神社、伊佐奈日子神社は造化陰陽の二神を祀りしものなりと云う。古来縁結びの御神徳が顕著である。氣比神宮公式HPより
https://kehijingu.jp/map/keidai_03.html
【由 緒 (History)】
天伊奈姫神社(あめのいざなひめじんじゃ)
摂社(式内社)。祭神は天比女若御子大神。社家伝記に、伊佐奈日女神社、伊佐奈日子神社は造化陰陽の二神を祀りしものなりと云う。古来より縁結びの御神徳が顕著である。現地案内板より抜粋
境内社 (Other deities within the precincts)】
九社之宮
神明両宮 御由緒 (鳥居側より)伊佐々別神社(いざさわけじんじゃ)
摂社。祭神は御食津大神荒魂神。漁労を守る神であり北方の海に面す。応神天皇皇太子の時当宮に参拝せられ、夢に大神が現れ御名を易える事を約し、その威徳により翌朝笥飯の浦一面余る程の 御食の魚(みけのな)を賜わった。天皇嬉び御神威を畏み、気比大神の荒魂を勧請崇祀された社である。擬領神社(おおみやつこじんじゃ)
末社。社記に武功狭日命(たけいさひのみこと)と伝えられ、一説に大美屋都古神又は玉佐々良彦命とも云う。旧事紀には「蓋し当国国造の祖なるべし」とある。天伊弉奈彦神社(あめのいざなひこじんじゃ)
摂社(式内社)。祭神は天伊弉奈彦大神。続日本後記に、承和七年(八四〇)八月、越前國従二位勲一等 気比大神御子 無位 天利劔神、天比女若御子神、天伊奈彦神、並従五位下を奉授せらるとある。天伊弉奈姫神社(あめのいざなひめじんじゃ)
摂社(式内社)。祭神は天比女若御子大神。社家伝記に、伊佐奈日女神社、伊佐奈日子神社は造化陰陽の二神を祀りしものなりと云う。古来より縁結びの御神徳が顕著である。天利劔神社(あめのとつるぎじんじゃ)
摂社(式内社)。祭神は天利劔大神。仲哀天皇当宮に参拝、宝を奉納せられ霊験いと奇しと云われる。後に祠を建て天利劔宮と称え信仰される。鏡神社(かがみのじんじゃ)
末社。神功皇后角鹿に行啓の際、種々の神宝を当宮に捧げ奉った。其の中の宝鏡が霊異を現わしたので別殿に國常立尊と共に崇め天鏡宮と称え奉ったと云う。慈悲之大神として知られる。林神社(はやしのじんじゃ)
末社。林山姫神を祀る。福徳円満の大神。延喜式所載の越中國防波郡林神社は当社と御同体である。
延暦四年(七八五)、僧最澄気比の宮に詣で求法を祈り、同七年再び下向して林神社の霊鏡を請い」比叡山日枝神社に遷し奉った。当社が江州比叡山気比明神の本社である。金神社(かねのじんじゃ)
末社。素盞鳴尊を祀り、家内安全の神とされる。延暦二十三年(八〇四)八月二十八日、僧空海 当宮に詣で、大般若経一千巻を読求法にて渡唐を祈る。弘仁七年(八一六)に再び詣でて当神社の霊鏡を高野山に遷し鎮守の杜とした。即ち紀州高野山の気比明神はこれである。剣神社(つるぎじんじゃ)
末社。祭神は姫大神尊。剛毅果断の神として往古神明の奇瑞があり、両生野村(旧敦賀郡)へ勧請し奉ったと伝えられる。神明両宮(しんめいりょうぐう)
末社。祭神 天照皇大神(内宮)、豊受大神(外宮)。外宮は慶長十七年(一六一)三月二十八日、内宮は元和元年(一六一五)九月二十八日伊勢の神宮よりそれぞれ勧請奉祀される。現地案内板より
・伊佐々別神社(いざさわけじんじゃ)《主》御食津大神荒魂(みけつおおかみあらみたまのかみ)
・擬領神社(おおみやつこじんじゃ)《主》建功狭日命(たけいさひのみこと)
〈式内社〉摂社
・天伊弉奈彦神社(あめのいざなひこじんじゃ)〈第七之王子宮〉
《主》天伊弉奈彦大神(あめのいざなひこのおおかみ)
・天伊弉奈彦神社〈氣比神宮境内〉(敦賀市曙町)
天伊弉奈彦神社(あめのいざなひこじんじゃ)は 祭神の天伊弉奈彦大神が氣比大神の御子神であると『続日本後紀』承和7年(840)9月13日(乙酉)の条に「奉授 越前國 從二位勳一等 氣比大神之御子 无位 天利劔神 天比女若御子神 天伊佐奈彦神 並從五位下」と記される由緒格式ある古社です
天伊弉奈彦神社〈氣比神宮境内〉(敦賀市曙町)
〈式内社〉摂社
・天伊弉奈姫神社(あめのいざなひめじんじゃ)〈第六之王子宮〉
《主》天比女若御子大神(あめひめわかみこのおおかみ)
・天伊弉奈姫神社〈氣比神宮境内〉(敦賀市曙町)
天伊弉奈姫神社(あめのいざなひめじんじゃ)は 祭神の天比女若御子大神が 氣比大神の御子神であると『続日本後紀』承和7年(840)9月13日(乙酉)の条に「奉授 越前國 從二位勳一等 氣比大神之御子 无位 天利劔神 天比女若御子神 天伊佐奈彦神 並從五位下」と記される由緒格式ある古社です
天伊弉奈姫神社〈氣比神宮境内〉(敦賀市曙町)
〈式内社〉摂社
・天利劔神社(あめのとつるぎじんじゃ)〈第五之王子宮〉
《主》天利劔大神(あめのとつるぎのおおかみ)
・天利劔神社〈氣比神宮境内〉(敦賀市曙町)
天利劔神社(あめのとつるぎじんじゃ)は 祭神の天利劔大神が氣比大神の御子神であると『続日本後紀』承和7年(840)9月13日(乙酉)の条に「奉授 越前國 從二位勳一等 氣比大神之御子 无位 天利劔神 天比女若御子神 天伊佐奈彦神 並從五位下」と記される由緒格式ある古社です
天利劔神社〈氣比神宮境内〉(敦賀市曙町)
末社
・鏡神社(かがみのじんじゃ)〈第四之王子宮〉
《主》神功皇后奉献の宝鏡の神霊(天鏡尊)
末社
・林神社(はやしのじんじゃ)〈第三之王子宮〉
《主》林山姫神(はやまひめのかみ)〈福徳円満の大神〉
末社
・金神社(かねのじんじゃ)〈第二之王子宮〉
《主》素盞嗚尊(すさのをのみこと)〈家内安全の神〉
末社
・剣神社(つるぎじんじゃ)〈第一之王子宮〉
《主》姫大神尊(ひめのおおかみのみこと)
末社・神明両宮(しんめいりょうぐう)
《主》天照皇大神(内宮) 豊受大神(外宮)
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
本殿の東北約100m程 敦賀北小学校〈廃校〉校庭に鎮座
伊奢沙別命は 笥飯大神(けひのおおかみ)御食津大神とも称し 2千有余年 天筒の嶺に霊跡を垂れ 境内の聖地(現在の土公)に降臨したと伝承される
神籬磐境(ひもろぎいわさか)の形態を留めている
・土公(どこう)〈氣比神宮 古殿地〉(敦賀市曙町)
大宝2年(702)社殿造営以前の神籬(ひもろぎ)氣比大神降臨の地
氣比神宮 土公(どこう)は 氣比之大神 降臨の地とされます 御祭神 氣比之大神は 伊奢沙別命(いざさわけのみこと)とも 笥飯大神(けひのおほかみ)御食津大神(みけつおほかみ)とも称し 2千有余年 天筒の嶺に霊跡を垂れ 境内の聖地(現在の土公)に降臨したと伝わり 神籬磐境(ひもろぎいわさか)の形態を今に留めています
氣比神宮 土公〈氣比大神降臨の地〉(敦賀市曙町)
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越前国 126座(大8座・小118座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)敦賀郡 43座(大7座・小36座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 天比女若御子神社
[ふ り が な ](あめひめわかみこの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Amehimewakamiko no kamino yashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』に所載の”氣比大神の御子神”について
六国史の一つ『続日本後紀』には 承和7年(840)9月13日(乙酉)の条に「氣比大神之御子 无位 天利劔神 天比女若御子神 天伊佐奈彦神 並從五位下」と 後の延長5年(927年12月編纂)『延喜式神名帳』に所載の三社が 記されています
氣比神宮の境内には”氣比大神の御子神”七柱が祀られています
氣比神宮 本殿の西側に 祀られている「九社之宮」には ”氣比大神の御子神”七柱と”氣比大神の荒魂””越前國國造の祖”が祀られています
鳥居の側(向かって左から)から順番に①”氣比大神の荒魂”➁”越前國國造の祖” ➂~➈”氣比大神の御子神”を祀ります
①〈氣比大神荒魂神〉摂社 伊佐々別神社
➁〈国造の祖〉末社 擬領神社
➂〈第七之王子宮〉摂社 天伊弉奈彦神社
④〈第六之王子宮〉摂社 天伊弉奈姫神社
➄〈第五之王子宮〉摂社 天利劔神社
⑥〈第四之王子宮〉末社 鏡神社
➆〈第三之王子宮〉末社 林神社
⑧〈第二之王子宮〉末社 金神社
➈〈第一之王子宮〉末社 劔神社
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR北陸本線 敦賀駅から北へ約1.1km 徒歩15分程度
氣比神宮 表参道には 旧国宝の氣比の大鳥居が建ちます
氣比神宮(敦賀市曙町)に参着
・氣比神宮(敦賀市曙町)
氣比神宮(けひじんぐう)は 太古 伊奢沙別命(いざさわけのみこと)〈氣比大神〉1柱を祀りましたが 大宝2年(702)文武天皇の勅命で 仲哀天皇・神功皇后・日本武尊・応神天皇・玉妃命・武内宿禰命の神々が合祀され七柱の御祭神となりました 延喜式には「祭神七座並 名神大社」とあります
氣比神宮(敦賀市曙町)
一礼をして 大鳥居の鳥居をくぐります
社殿の西 授与所の横には 鳥居が建ち 本殿向かって左手に・九社之宮 神明両宮が鎮座します
鳥居をくぐると 北を向いて2社〈伊佐々別神社・擬領神社〉
次に東を向いて7社が並びます その左から二番目に鎮座するのが天伊弉奈姫神社
天伊弉奈姫神社〈氣比神宮境内〉(敦賀市曙町)に参着
社殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
九社之宮 神明両宮を順にお詣りをして 氣比神宮に戻ります
・氣比神宮(敦賀市曙町)
氣比神宮(けひじんぐう)は 太古 伊奢沙別命(いざさわけのみこと)〈氣比大神〉1柱を祀りましたが 大宝2年(702)文武天皇の勅命で 仲哀天皇・神功皇后・日本武尊・応神天皇・玉妃命・武内宿禰命の神々が合祀され七柱の御祭神となりました 延喜式には「祭神七座並 名神大社」とあります
氣比神宮(敦賀市曙町)
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『続日本後紀(Shoku nihon koki)〈貞観11年(869)完成〉』に記される伝承
氣比ノ大神の御子に それぞれ神階の奉授を 記しています
【抜粋意訳】
承和7年(840)9月13日(乙酉)の条
奉授に 越前國 従二位勲一等 氣比ノ大神の御子
无位〈無位〉天利剱神 天比女若御子神 天伊佐奈彦神 並びに 従五位下を
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 天比女若御子神社の所在について 氣比宮の境内と記しています
【抜粋意訳】
天比女若御子神社
天比女若御子は 阿女乃日賣和加美古と訓べし
〇祭神明らかなり
〇氣比宮社内に在す 官社考神位
『続日本後紀』承和7年(840)9月13日(乙酉)
奉授 越前國 從二位勳一等 氣比大神之御子 无位 天利劔神 天比女若御子神 天伊佐奈彦神 並從五位下
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
祭神 天比女若御子神は 氣比大神の御子神である と記しています
【抜粋意訳】
天比女若御子神社
祭神 天比女若御子神
今按〈今考えるに〉
この神も 下分に記せるが如く 氣比大神の御子神なり神位
仁明天皇
承和7年(840)9月13日(乙酉)
奉授 越前國 從二位勳一等 氣比大神之御子 无位 天利劔神。天比女若御子神。天伊佐奈彦神並從五位下社格 氣比摂社
所在 氣比神社域内(敦賀郡敦賀町氣比神宮境内)
【原文参照】
天伊弉奈姫神社〈氣比神宮境内〉(敦賀市曙町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
越前国 式内社 126座(大8座・小118座)について に戻る
越前国(えちぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 越前国には 126座(大8座・小118座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
越前國 式内社 126座(大8座・小118座)について