実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

矢田八幡神社(京丹後市久美浜町佐野)(『延喜式』矢田神社)

矢田八幡神社(やたはちまんじんじゃ)は 崇神天皇の御代 四道将軍 丹波道主命が勅命により丹波国に至り 山陰の平定祈願のため矢田神社〈矢田部の祖神〉を創祀 奈良朝に至り蘇我氏との争いに物部氏亡び 恐れた矢田部氏は宇佐八幡宮を勤請し矢田八幡と改称 延喜式内社 丹後國 熊野郡 矢田神社(やたの かみのやしろ)の論社です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

矢田八幡神社(Yata hachiman shrine

通称名(Common name)

・八幡社(はちまんしゃ)

【鎮座地 (Location) 

京都府京丹後市久美浜町大字佐野字地シワ177

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》神天皇(おうじんてんのう)
   神功皇后(じんぐうこうごう)
   武諸隅命(たけもろすみのみこと)

《配》孝元天皇(こうげんてんのう)〈第八代天皇〉
   内色姫命孝元天皇の奥后(妃)〉

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『京都府熊野郡誌』大正12年に記される内容

【抜粋意訳】

第貮編 第五章 上佐濃村 三 神社

矢田八幡神社 村社 上佐濃村大字佐野小字地シワ鎭座

祭神 応神天皇 仲哀天皇 武諸隅命

由緒

 當社は往古 宇佐八幡宮を勧請せりといひ傳ふ。而して元十四ケ村の氏神として崇敬せる處にして、今尚 例祭に参加せる古例を存せり。現社殿は文政三年九月の再建造営に係る事は棟札により明なる處にして、境内樹木の状態より察するも古社たるを知る。而して設備財産等夙く完成を告げ、大正五年十二月幣饌料供進神社として指定せられし處なり。

一 本 殿 入母屋造三間社唐破風向拜付檜材 屋根檜皮葺 建坪六坪八合六勺
一 廻 廊 切妻造松材 屋根本瓦葺 建坪六坪
一 神楽所 入母屋造栗松材 屋根萱葺 建坪拾壹坪八合七勺
一 興休所 入母屋造松材 屋根萱葺 建坪拾三坪七合外庇付
一 境内坪数 式千四百坪内
一 氏子戸数 百八十六戸

境内神社
 高良神社 祭神 武内宿禰
 水無月神社 祭神 月読命
 若宮神社 祭神 卯の御神
 御霊神社 祭神 応神天皇
右社は元小字シワに鎭座ありしが、明治四十一年九月許可を得、境内社として移転せる處なり。

【原文参照】

『京都府熊野郡誌』,熊野郡,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/925932

『京都府熊野郡誌』,熊野郡,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/925932

【由  (History)】

由緒

 崇神天皇10年 四道将軍の一人丹波道主命は 勅命により山陰地方平定のため丹波国(今の丹後国)に至り、比治の真名井に館を構えられたが無事平定を祈願のため矢田部の部民をして祖神を祭らしめられ、熊野郡では矢田神社を祭祀せられた。

 当初の祭神は 饒速日命、孝元天皇、その奥后内色姫命であったが、奈良朝に至り、当時の物部氏と蘇我氏の争いからついに物部氏亡び 蘇我氏の探索は当地にまでおよび矢田部一族はそれを恐れ、宇佐八幡宮を勤請して社名を矢田八幡と改めた。

 その後 建武より文亀に至る160年間は 山城岩石清水八幡宮 佐野別宮と称せられていた(古文書あり)。
当時 佐野谷14ケ村の氏神として崇敬されてきたが、現在は 佐野、小桑2ケ村(部落)の氏神となっている。

 明治の中葉 社務所焼失のためほとんどの文書を焼失したが、焼残り文書の一つに「神霊由来記」がある。
それによると「丹後国熊野郡佐野村 延喜式神名(中間破損)矢田八幡神社十一座の内 矢田神社 矢田者則八幡之中略也(以下略)とあって、当社が熊野郡式内神社十一座の一社である事を示している。
 当社の付近に矢田谷という地があるが、住古 矢田部族の住居地であったと伝承し、今 古墳屋敷跡用水池などが残存し、時々高杯布目瓦等の出土し その一部は神社に保管してある。

 大正5年12月幣饌科供進神社に指定を受けた。境内地坪2,400坪、外に宮所有山1町1反、

社殿は文政3年9月再建。
孝元天皇と内色姫命の両神像(木造)は京都府文化財保護課神島技官の鑑定にて藤原時代の作と認められ、康治(平安)2年薬師像(木造)有り、古文書は建武2年(1335)、貞治2年(1363)、文亀2年(1502)の3通い何れも石清水八幡宮の文書冩にして当社に関するもの、及び延享2年(1745)豊岡県神社神主書状一巻。(式内社調査報告による)

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

矢田八幡神社 本殿

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矢田八幡神社 拝殿

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・〈拝殿石段下〉狛犬

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・〈境内社〉7社あり

・〈本殿向かって右横〉社日社《主》天照皇大神,倉稲魂命,少彦名命,大己貴命,垣安媛命

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・〈拝殿石段 向って左下〉招魂碑《主》護国の英霊

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・〈参道石段の途中〉若宮神社《主》卯の御神

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・《拝殿向かって境内右下》覆い屋の中に2祠

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・その内 右側には 半鐘(はんしょう)の下がる境内社〔神仏習合の名残り〕

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・〈表参道石段の下〉御堂のような境内社・多数の石仏〔神仏習合の名残り〕

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資料には 以下 4つの境内社が記されていますが どの祠に該当するのか?

・高良神社《主》武内宿禰命
・水無月神社《主》月読命
・御霊神社《主》応神天皇
・薬師像《主》薬師如来

・割拝殿

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・表参道 石段

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・裏参道 石段

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・裏参道 鳥居

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・裏参道 入口

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・表参道 入口

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹後國 65座(大7座・小58座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)熊野郡 11座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 矢田神社
[ふ り が な ](やたの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Yata no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の内゛矢田゛と号する式内社について

いずれも物部系氏族の「矢田部氏」に関連する神社とされています それぞれの論社について

大和國 添下郡 矢田坐久志玉比古神社 二座(並大 月次 新嘗)(やたのます くしたまひこの かみのやしろ ふたくら)の論社

・矢田坐久志玉比古神社(大和郡山市矢田町)

一緒に読む
矢田坐久志玉比古神社(大和郡山市矢田町)〈延喜式内社〉

矢田坐久志玉比古神社(やたにいます くしたまひこ じんじゃ)は 延喜式内社です『先代舊事本紀』故事由来には 物部氏の祖神 櫛玉饒速日命が 天神御祖の詔により天孫降臨をされた時 天磐舩(あまのいわふね)に乗り 射放たれた三本の天乃羽羽矢(あめのははや)が この地〈矢田〉に落ちたので゛矢落社(やおちしゃ)゛と称されます

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丹後國 與謝郡 矢田部神社(やたへの かみのやしろ)の論社

・矢田部神社(与謝野町石川)

一緒に読む
矢田部神社(与謝郡与謝野町石川矢田)〈延喜式内社〉

矢田部神社(やたべじんじゃ)は 物部氏の祖 伊香色雄命(いかがしこをのみこと)〈一説には 伊香色雄命の孫 武諸隅命(たけもろすみのみこと)〉を祀ると云われる 物部系氏族の゛矢田部氏゛に関連する神社です 延喜式内社 丹後國 與謝郡 矢田部神社(やたへの かみのやしろ)であるとされます

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丹後國 丹波郡 矢田神社(やたの かみのやしろ)の論社

・矢田神社(京丹後市峰山町矢田)

丹後國 熊野郡 矢田神社(やたの かみのやしろ)の論社

・矢田神社(京丹後市久美浜町海士)

一緒に読む
矢田神社(京丹後市久美浜町海士)〈『延喜式』矢田神社〉

矢田神社(やたじんじゃ)は 口碑によれば 元の鎭座地は 御祭神 建田背命〈丹後国造 但馬国造等の祖〉別名 神服連海部直(かんはとりのむらじあまべのあたえ)の館跡 六宮廻(ろくのみやまわり)辺り 矢須田(久美浜町橋爪)と云い 廃絶後 中世に現在地に遷座した 延喜式内社 丹後國 熊野郡 矢田神社(やたの かみのやしろ)です

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・矢田八幡神社(京丹後市久美浜町佐野)

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矢田八幡神社(京丹後市久美浜町佐野)(『延喜式』矢田神社)

矢田八幡神社(やたはちまんじんじゃ)は 崇神天皇の御代 四道将軍 丹波道主命が勅命により丹波国に至り 山陰の平定祈願のため矢田神社〈矢田部の祖神〉を創祀 奈良朝に至り蘇我氏との争いに物部氏亡び 恐れた矢田部氏は宇佐八幡宮を勤請し矢田八幡と改称 延喜式内社 丹後國 熊野郡 矢田神社(やたの かみのやしろ)の論社です

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

京都丹後鉄道 宮豊線 久美浜駅からR312号 経由で東方向へ約9.5km 車での所要時間は14~16分程度

R312号を進み 久美浜町佐野に入り 佐濃谷川がR312号の真横を流れる位置に 小桑口の変形4差路の交差点があり この変形4差路の交差点内に 表参道の入口があります 参道入口は西を向いています

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矢田八幡神社(京丹後市久美浜町佐野)に参着

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しかし 周囲には長時間駐車するスペースはなく 神社側の道を道なりに250m程進むと 東南方向を向いている鳥居がありました 一台ほどの駐車スペースがありました

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一礼をして 裏参道の鳥居をくぐります すぐに獣除けの扉がありますので 開閉をして境内へと進みます

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裏参道と言っても しっかりと石段もあり 石燈籠も中々に立派な参道です

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上がって行くと 途中で 表参道に合流します
表参道を振り返ると西方向へとまっすぐに伸びています

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こちらが今 上ってきた裏参道です

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表参道を上がって行きます

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石段を上がり切ると 割拝殿が建てられています

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割拝殿の中には 絵馬が掲げられていて 又 社殿の写真があって かつての社殿の様子がわかります

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割拝殿をくぐり抜けると 社殿の建つ境内地に出ます
正面石段の上には 拝殿が立ち 石段の下には狛犬が座しています
向って左下の石碑は〈境内社〉招魂碑《主》護国の英霊です

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割拝殿のすぐ横には 覆い屋の中に2祠が祀られています

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2祠の内 右側の祠には〔神仏習合の名残り〕半鐘があります

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石段を上がり 拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には本殿が祀られ〔神仏習合の名残り〕「八幡大菩薩」と神名が記されています

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本殿の裏周りは急斜面です

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しかし 人の手が入った形跡がある平地があり(切り岸)の左に人の歩けそうな けもの道のような箇所があり 参道には思えないので 出逢った里人に聞いたところによると 矢田八幡城跡へと通じているとの事

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社殿に一礼をして 境内の石段を下り割拝殿まで戻ります

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割拝殿をくぐり抜けて 急な石段を下って戻ります

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表参道と裏参道の分岐点迄戻ってきました

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来た通り 裏参道を戻ります

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裏参道口まで戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 矢田神社について 所在は゛海士村に在す゛〈現 矢田神社(京丹後市久美浜町海士)〉と記しています

又 〈現 矢田神社(京丹後市久美浜町海士)〉の旧鎮座地について゛元は矢須田村 橋爪村といふ〕在し゛とした上で゛近来また、橋爪村にも社を建て祭祀れり゛と 橋爪村に近年〈現 矢田八幡神社(久美浜町橋爪)〉新たに建てたと記しています

【抜粋意訳】

矢田神社

矢田は假字也

○祭神詳ならず

○海士村に在す式社考

○當國 丹波郡 矢田神社もあり

 國人佐治云、元は 矢須田村 橋爪村といふ〕在しを、何の頃か、海士村に遷坐す云傳へたり、其譯知れず、然るに近来また、橋爪村にも社を建て祭祀れりといへり、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 矢田神社について 所在は゛ 酒士村にあり、矢田明神と云゛〈現 矢田神社(京丹後市久美浜町海士)〉と記しています

【抜粋意訳】

矢田(ヤタノ)神社、

 酒士村にあり、矢田明神と云、神社覈録、豊岡縣式社考証、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 矢田神社について 所在は゛海士村〔字宮ノ谷〕(熊野郡海部村大字海士〉と記しています

又 旧鎮座地について゛橋爪村より海士村へ移せりといへども橋爪に跡なし゛として橋爪村が〈現 矢田八幡神社(京丹後市久美浜町佐野)〉の旧鎮座地と云うが その後がない と記しています

別説として゛佐野に古記あり曰 矢田八幡と云 矢田は八幡の中略なり云々゛と〈現 矢田八幡神社(京丹後市久美浜町佐野)〉との説も挙げています

【抜粋意訳】

矢田(ヤタノ)神社
祭神

 今按 明細帳 祭神 和田津美(ワタツミノ)神とあるは 此社の鎭座の名を海士と云ひ 當社世襲の神職 海部直なるとによりて云るが 疑らくは矢田部姓の祖神ならん されど矢田部姓は姓氏録に矢田部連(ヤタベノムラジ)一伊香色乎命(イカツシコヲノミコト)之後也 矢田部ハ饒速日ノ命七世ノ孫 大新河命之後也 また 矢田部ハ鴨ノ縣主 同祖 鴨建津身(カモタケツミノ)命 之後也と 二流あれば何れの分とも定め難けれど 鴨建角身ノ命は丹波の伊可古夜比賣に由あれば 鴨建津身命を祭れるなるべし

祭神 九月十三日
社格 村社

所在 海士村〔字宮ノ谷〕(熊野郡海部村大字海士

 今按 道志流倍に 此神社 橋爪村より海士村へ移せりといへども橋爪に跡なし 窃に疑ふ 佐野八幡宮 備へ正しき社地なり 且 佐野に古記あり曰 矢田八幡と云 矢田は八幡の中略なり云々 餘は皆 應神天皇の事のみなれば云に足ねど 矢田八幡と云ばかりは據べきなり そは板列八幡宮などみな本名を冠せたるの類なりと云る 當社にもよしありて聞ゆれば附た後考に備ふ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

矢田八幡神社(京丹後市久美浜町佐野) (hai)」(90度のお辞儀)

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丹後国 式内社 65座(大7座・小58座)について に戻る

一緒に読む
丹後國 式内社 65座(大7座・小58座)について

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  • B!

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