実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

月讀神社(京田辺市大住池平)

月讀神社(つきよみじんじゃ)は 大隅國(おほすみのくに)〈鹿児島〉から当地へ来住した隼人らが祀ったともいわれ 大同四年809大住山に霊光を拝して神殿造営され創建 貞観元年859八月に月讀宮と称え 延喜式927)に神社(大月次新嘗)つきよみの かみのやしろとあり 承暦元年1077には天下疱瘡に悩むにつき勅使奉幣ありと伝わる古社です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

月讀神社(Tsukiyomi shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

京都府京田辺市大住池平31

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》月讀(つきよみのみこと)

《配》伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)
   伊邪那美尊(いざなみのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

月讀神社々記

月讀神社は月讀尊(天照大御神の弟)とその両親の伊邪那岐尊、伊邪那美尊の三柱を祀り、明治十年に延喜式内の神社と定めらる。

本社は平城天皇の大同四年、天皇譲位の後、宮殿を平安京より平城京に遷されんとせられし時、造宮使がその途、大住山において、霊光を拝し、ここに神殿を造りしに創まるという。

貞観元年八月に月讀宮と称え、承暦元年には天下疱瘡に悩むにつき勅使奉幣ありという。

建久六年、源頼朝が鎌倉より上洛し、当社に神馬を献じ、松井及び河内交野郡招堤を神領として寄進したと。貞應二年二月には鴨武隅命の裔葛野家友によって社殿再建、元弘元年九月には笠置山に後醍醐天皇が遷られし時、大住の一族並に岡本弾正久織等味方に走せ加わり、当地戦乱の巻となり、神殿兵火にかゝるという。
貞治三年には葛野義威神殿再興し、至徳三年八月、御牧の伊豆前司基足と大住飛騨守義季と争い合戦のため御霊神社兵火のため焼失し、康應元年四月に大住若狭守義宣が再建、延徳三年八月には岡村城主城五郎左衛門尉伴行宣神殿修理し、天文十一年には大住城主、大住石見守元保と八講寺城主東長門盛章等社前にて勧進能を行ない、江戸時代となっては文久戊年九月十八日神輿再興し、慶應四年正月六日には石清水八幡宮が遷座のことあり。それより神饌料として玄米一俵奉納あるを恒例とした。毎年一月八日これを行い来ったが今は絶えている。

明治時代には明治二十六年十二月に本殿改築し、帝室技芸委員名古屋の伊藤平左衛門の設計により竣工した。これ時の社殿なり。
昭和五十一年十一月拝殿改築。昭和五十四年六月舞殿改築。昭和五十八年十二月社伝改築。これ現在の社殿なり。
昭和六十年三月三日 宮司 南啓史 総代一同

付記
天照大御神の次に生まれた月讀尊は各地で祀られ式内社でも十社ほどあり、最も有名なのは伊勢の両宮付近に祀る月讀宮である。京都の松尾神社の南にある月讀神社、鹿兒島県の西桜島の月讀神社、大隅の串良町の月読神社も有名である。月読神の信仰は特に薩隅に多く伝承された。月神を祀る隼人の神楽が隼人猿楽であり、それが南山城の大住郷に伝来したことから能楽が発祥した。古事記によれば月讀尊は夜の食国(オスクニ)を、天照大御神は高天原を治められ、そして須佐之男命は滄海原を分治された。

現地案内板より

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【由  (History)】

月読神社(つきよみじんじゃ)

京田辺市大住池平三一番地

 月読尊(つきよみのみこと)・伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)・伊邪那美尊(いざなみのみこと)をまつる式内社で、大社に位置づけられていた。

 中世にはたびたび兵乱を受け、社殿の焼失・再建を繰り返したという。本社が位置する大住地域の多くは平安時代末期以降、室町時代まで奈良興福寺の領地であった。

 神宮寺(じんぐうじ)として、法輪山福養寺(ほうりんさんふくようじ)が明治初めまで存在した。同寺には奥ノ坊・新坊・中ノ坊・西ノ坊・北ノ坊・東ノ坊の六坊があり、大住小学校は北ノ坊のあった場所と伝えられる。神社境内には奥ノ坊の庭園の跡が残っている。

 慶応四年(明治元・一八六八)、伏見鳥羽の兵乱が及ぶのをさけて、八幡の石清水八幡神が当社境内に一時遷座されたこともある。

 現在の本殿は、東に面する一間社春日造(いっけんしゃかすがづくり)、銅板葺(もとは檜皮葺(ひわだ))の建物で、明治二十六年(一八九三)に名古屋の伊藤平左衛門により設計された。本殿を囲む玉垣の正面に鳥居を配置する珍しい構造が見られる。春日造は奈良春日大社の本殿の形式で、現在の奈良市を中心に、奈良県・京都府南部・大阪府・和歌山県北部に分布する。

例祭 十月十五日 宵宮には大住隼人舞が奉納される

京田辺市教育委員会 京田辺市文化財保護委員会
現地案内板より

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由緒

月読神社は月読尊・伊邪那枝尊・伊邪那美尊を祭り旧村社「延喜式内社」大住国から当地へ来住した隼人らが祀ったともいわれ、又一説には平城天皇の大同4年(西暦809)大住山に霊光を拝して神殿を造営されたのに始まり、その後貞観元年8月に月読神社といわれている。貞治三年葛野義威が神殿を再興し慶応4年正月石清水八幡宮が戦火を避けて当社へ、一時遷座された事のある格式の有る神社です。本殿は東面し、一間社・流造・板葺で明治26年再建。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・本殿・幣殿・拝殿

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・御霊神社〈本殿の向かって左横〉

明治時代以前〈式内社に比定される以前〉月讀神社「御霊社」と呼ばれていた 〈貞観元年859八月に月讀宮と称え 承暦元年1077には天下疱瘡に悩むにつき勅使奉幣あり〉とあり 医薬の神とされているので こちらが本来の本社か?

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御霊神社

少名毘古那神(スクナビコナノカミ)を祭神とし、薬の神様として信仰を集め、又 クサガミさんの名でしられている。腫物に霊験有りと言う。
掲示板より

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・宝生座発祥の碑

宝生座発祥の碑

月読神社の神宮寺を宝生山福養寺といい、老松の茂る池には亀が遊んでいた(今の大住中学校の地)この神社と寺に奉納した能楽座を宝生座(古くは外山座とも)と称した。
平成二年二月建国記念の日
文学博士 志賀剛 撰文 中西鋼二 書 下村信夫 建之
現地石碑より

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・神武天皇遥拝所

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・辨財天〈境内の池の島〉

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・天満宮・八幡宮拝所〈参道向かって右手〉

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・足之神様〈二の鳥居向かって左側〉

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・二の鳥居

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・金比羅神社〈参道向かって右側〉

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・稲荷神社〈参道向かって左の丘の上〉

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・手水舎

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・一の鳥居

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隼人舞の発祥之碑

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この大住の地は奈良朝以前七世紀ごろから九州の大隅薩摩日向の三國隼人が移住して月読神社に奉仕したといわれ日本芸能の主流とされている
昭和四十七年四月に大住隼人舞保存会を結成した
昭和五十年十二月十九日に田辺町指定文化財(無形)第一号に指定された
御大典を記念し記念碑を建立す
平成二年十一月十二日 月読神社総代一同 大住隼人舞保存会一同

石碑の陰碑文より

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隼人舞伝承地

京田辺市大住、月読神社

九州南部の大隅隼人が七世紀頃に大住に移住し、郷土の隼人舞を天皇即位にともなう大嘗祭のときなどに朝廷で演じ、また月読神社にも奉納して舞い伝えてきた。隼人舞は岩戸神楽と共に日本民族芸能の二大源流ともいわれ、『古事記』や『日本書紀』の海幸彦山幸彦の神話に起源するといわれている。文学博士志賀剛氏(一八九七~一九九〇)は能楽五座のうち外山座が月読神社の外山神楽座であるという。

更に、隼人舞継承考牧山望氏(一九〇〇~一九九一)によって隼人舞が復元され毎年十月十四日の秋期例祭宵宮に奉納されている。現在では地元の人々を中心に大住隼人舞保存会が結成され大住隼人舞、隼人踊りが継承されている。大住隼人舞は、昭和五十年(一九七五)十二月十九日に田辺町(現在は京田辺市)指定文化財第一号に指定された。

京田辺市教育委員会 京田辺市文化財保護委員会

現地案内板より

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・社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

諸国 267社の神々とともに神階の奉授〈表記は゛樺井月読神゛〉が記されています

【抜粋意訳】

卷二 貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申

○廿七日甲申 京畿七道諸神 進階及新叙 惣二百六十七社 奉授

淡路國 无品 勳八等伊佐奈岐命一品
備中國 三品 吉備都彦命二品

・・・・
・・・・

山城國
正二位勳二等 松尾神 從一位
葛野月讀神 平野 今木神 並正二位
正四位下 稻荷神 三前 並正四位上
正四位下 大若子神 小若子神 酒解神 酒解子神 並正四位上
平野從四位下 久度古開神 從四位上
正五位 上貴布禰神 正五位下
乙訓火雷神從五位上 水主神等 並從四位下
正五位下 合殿比咩神 正五位上
從五位下 樺井月讀神 木嶋天照御魂神 和攴神 並正五位下
從五位下 祝園神 天野夫攴賣神  岡田鴨神 岡田園神 樺井月神 棚倉孫神 許波多神 出雲井於神 片山神  鴨川合神等 並從五位上
正六位上 與度神 石作神 向神 簀原神 鴨山口神 小野神 久我神 高橋神 雙栗神 水度神 伊勢田神 无位小社神 並從五位下

・・・・
・・・・

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次

月次祭つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)
「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」

大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています

【抜粋意訳】

月次祭つきなみのまつり

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 三百四座 並大社 一百九十八所

座別に絁五尺、五色の薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、倭文纏刀形(まきかたなかた)、絁の纏刀形、布の纏刀形各一口、四座置一束、八座置一束、弓一張、靫(ゆき)一口、楯一枚、槍鋒(ほこのさき)一竿、鹿角一隻、鍬一口、庸布一丈四尺、酒四升、鰒、堅魚各五両、腊二升、海藻、滑海藻、雑の海菜各六両、堅塩一升、酒坩(かめ)一口、裹葉薦五尺、祝詞(のとこと)座料短畳一枚、

前一百六座
座別絁五尺、五色薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、四座置一束、八座置一束、楯一枚、槍鋒一口、裹葉薦五尺、
 右所祭之神、並同祈年、其太神宮(かむのみや)、度会宮(わたらひのみや)、高御魂神(たかむすひのかみ)、大宮女神(おほみやめのかみ)には各加ふ馬一疋、〈但太神宮、度会宮各加籠(おもつを)頭料庸布一段、〉
前祭五日、充忌部九人、木工一人を、令造供神調度を、〈其監造并潔衣食料、各准祈年、〉祭畢即中臣の官一人率て宮主及卜部等を、向て宮内省に、卜の定供奉神今食に之小斎人(みのひと)を、
供神今食料
 紵一丈二尺、〈御巾料、〉絹二丈二尺、〈篩(ふるい)の料、〉絲四両、〈縫篩等料、〉布三端一丈、〈膳部巾料、〉曝布一丈二尺、〈覆水甕料、〉細布三丈二尺、〈戸座襅(へさたまき)并褠料、〉木綿一斤五両、〈結ふ御食(みけ)料、〉刻柄(きさたるつか)の刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚、筥六合、麁(あら)筥二合、明櫃三合、御飯、粥料米各二斗、粟二斗、陶瓼(すえのさかけ)[如硯瓶以上作之]瓶【瓦+并】(かめ)各五口、都婆波、匜(はふさ)、酒垂各四口、洗盤、短女杯(さらけ)各六口、高盤廿口、多志良加[似尼瓶]四口、陶鉢八口、叩盆四口、臼二口、土片椀(もひ)廿口、水椀八口、筥代盤(しろのさら)八口、手洗二口、盤八口、土の手湯盆(ほん)[似叩戸采女洗]二口、盆(ほとき)四口、堝十口、火爐二口、案(つくえ)十脚、切机二脚、槌二枚、砧二枚、槲四俵、匏廿柄、蚡鰭(えひのはた)槽[供御手水所]二隻、油三升、橡の帛三丈、〈戸の座服の料、冬絁一疋、綿六屯、履一両、〉
右供御の雑物は、各付内膳主水等の司に、神祇官の官人率神部等を、夕暁(よひあかつき)両般参入内裏に、供奉其の事に、所供雑物、祭訖て即給中臣忌部宮主等に、一同し大甞会の例に、

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭

嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り

式内大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われ

春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する

【抜粋意訳】

新嘗祭(にいなめのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所

座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿
社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺

前一百六座
座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を
右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る
伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城国 122座(大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)綴喜郡 14座(大3座・小11座)

[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 神社(大月次新嘗)
[ふ り が な ]つきよみの かみのやしろ
[Old Shrine name]Tsukiyomi no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

壱岐島(いきのしま)に祀られる 式内社 月讀神社(名神大)(つきよみの かみのやしろ)

神社考に曰く、顯宗天皇三年二月、天月神命の神託に依り 壹岐縣主先祖押見宿禰の祭る所にして 月讀神社には 高皇産靈尊の裔 天月神命を祀り 高御祖神社には 天月神命の祖 高皇産靈尊を祀る 云々

延寶4年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉では 月讀神社(壱岐市芦辺町国分東触)を式内社と比定しました これは里人が鎮座地の「清月(きよつき)」を「ふかつき」とも呼んでいたことに因ります
しかし「ふかつき」の語源は「深淵 ふかふち」橘三喜の比定は誤りで 式内社の月読神社は箱崎八幡神社とされています

・月讀神社(壱岐市芦辺町国分東触)

一緒に読む
月讀神社(壱岐市芦辺町国分東触)

月讀神社(つきよみじんじゃ)は 延寶4年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者 橘三喜の式内社調査〉により 里人が鎮座地の「清月(きよつき)」を「ふかつき」〈深淵 ふかふち〉とも呼んでいたことに因り 式内社 月讀神社(名神大)(つきよみの かみのやしろ)と比定されましたが この比定は誤りとする説が有力視されます 延寶の調以前は「山の神」と称されていた云われます

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・箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)〈月讀宮〉

一緒に読む
箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)

箱崎八幡神社(はこざきはちまんじんじゃ)は 相殿に天月神命と高皇産霊神が祀られます 式内社・月讀神社(名神大)・高御祖神社の両社は 同じ所に鎮座したと伝わり 当社がそれとされます 故に祭神 天月神命(あめのつきかみのみこと)は『日本書紀』顕宗天皇三年の段に記される壱岐の「月神」〈高皇産霊命を祀れと憑依神勅をした〉であると伝わります

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・男嶽神社(壱岐市芦辺町箱崎本村触)〈箱崎八幡神社の旧鎮座地〉

一緒に読む
男嶽神社(壱岐市芦辺町箱崎本村触)

男嶽神社(おんだけじんじゃ)は 天比登都柱(あめのひとつばしら)・月讀命(つくよみのみこと)が 降臨された地との伝承があり 元の月讀宮とされます すなわち式内社 月讀神社(名神大)〈現 箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)〉の当初の鎮座地です 現在の境内には御祭神 猿田彦命にちなみ並ぶ石猿群が有名です

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壱岐島(いきのしま)に祀られる 式内社 髙御祖神社(たかみおやの かみのやしろ)

神社考に曰く、顯宗天皇三年二月、天月神命の神託に依り 壹岐縣主先祖押見宿禰の祭る所にして 月讀神社には 高皇産靈尊の裔 天月神命を祀り 高御祖神社には 天月神命の祖 高皇産靈尊を祀る 云々

・高御祖神社(壱岐市芦辺町諸吉仲触)

一緒に読む
高御祖神社(壱岐市芦辺町諸吉仲触)

高御祖神社(たかみおやじんじゃ)は 社伝に 嵯峨天皇 弘仁2年(811)に建立とあります 紀州田邊の熊野権現を勧請したとされ 延寶の調(1676)〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉により 式内社 高御祖神社と改められました

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・箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)

一緒に読む
箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)

箱崎八幡神社(はこざきはちまんじんじゃ)は 相殿に天月神命と高皇産霊神が祀られます 式内社・月讀神社(名神大)・高御祖神社の両社は 同じ所に鎮座したと伝わり 当社がそれとされます 故に祭神 天月神命(あめのつきかみのみこと)は『日本書紀』顕宗天皇三年の段に記される壱岐の「月神」〈高皇産霊命を祀れと憑依神勅をした〉であると伝わります

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山城國 葛野郡 葛野坐月讀神社(名神大 月次 新嘗)(かとのにます つきよみの かみのやしろ)

『日本書紀』顕宗天皇紀にある 山背国葛野郡歌荒樔田(ウタアラスダ)に奉られた〈月の神〉〈現 月読神社(京都市西京区)〉

・月読神社(京都市左京区)

一緒に読む
月読神社(京都市西京区松室山添町)

月読神社(つきよみじんじゃ)は 『日本書紀』顕宗天皇の段 三年(487)に 壱岐島から月神(つきのかみ)を勧請したと 創建について記されます 『延喜式神名帳927 AD.』所載 山城國 葛野郡 葛野坐月讀神社(名神大 月次 新嘗)(かとのにます つきよみの かみのやしろ)に比定され 現在は 松尾大社の境外摂社となっています

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山城國 綴喜郡 月讀神社(大 月次 新嘗)(つきよみの かみのやしろ)

・月讀神社(京田辺市大住池平)

一緒に読む
月讀神社(京田辺市大住池平)

月讀神社(つきよみじんじゃ)は 大隅國(おほすみのくに)〈鹿児島〉から当地へ来住した隼人らが祀ったともいわれ 大同四年(809)大住山に霊光を拝して神殿が造営され創建 貞観元年(859)八月に月讀宮と称え 延喜式(927)に月讀神社(大月次新嘗)(つきよみの かみのやしろ)とあり 承暦元年(1077)には天下疱瘡に悩むにつき勅使奉幣ありと伝わる古社です

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伊勢神宮の別宮として祀られる゛月讀神゛式内社

伊勢國 度會郡 月讀宮二座(荒御魂命一座・並 大 月次 新嘗)(つきよみのみや ふたくら)

・⽉讀宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉

一緒に読む
月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉

月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮は 各々が皇大神宮(内宮)の別宮で 明治6年(1873)現在の四つ宮並列した形で鎮座しました 『皇太神宮儀式帳(804年)』には「月讀宮一院 正殿四区」と一宮に四殿と記し 『延喜式〈927年〉』には「伊佐奈岐宮・伊佐奈彌社が瑞垣を巡らしたー院」「「月讀宮・月讀尊荒御魂社で一院」と二宮であったと記されています

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伊勢國 度會郡 月夜見神社(つきよみの かみのやしろ)

・月夜見宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉

一緒に読む
月夜見宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉

月夜見宮(つきよみのみや)は 古くは 高河原(たかがわら)と呼ばれ 農耕の神を祀る神社であったと云います 延喜式〈927年12月編纂〉式内社 伊勢國 度會郡 月夜見神社(つきよみの かみのやしろ)の時は 外宮摂社の首位でした その後 土御門天皇の承元四年(1210)土宮の嘉例に淮じ豊受大神宮(外宮)の別宮に昇格しました

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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

田辺北ICから西へ約1.8km 車5分程度

京田辺市大住池平の大住小学校の南側に鎮座します

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月読神社(つきよみじんじゃ)

当神社の創祀はあきらではありませんが、延喜5年(905)から編集された「延喜式神名帳」にもその名がみえ、大社の格を有していました。祭神は月読命ですが、後世、伊邪那岐、伊邪那美の二神をも配祀したと社記にあります。
鎌倉時代初めに、源頼朝から神馬の献上があったとも伝えられています。

明治維新の折りには、鳥羽伏見の戦いを避けるため、石清水八幡宮が一時遷座され、ご神宝が薬師堂に安置されました。今の社殿は明治26年(1893)に建立されたものです。

毎年、1O月14日の宵宮には大住隼人舞(市指定文化財)と隼人おどりが奉納されます。

京田辺市の名所・観光施設ご紹介の地図より

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社号標には゛式内月讀神社゛と刻字

月讀神社(京田辺市大住池平)に参着

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一礼をして 一の鳥居をくぐります ここから十数段でと僅かですが階段を下ります 所謂 下り参道です

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鳥居を過ぎて 振り返ると下りの階段が判ります 左手の朱色の鳥居は稲荷社です

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稲荷社にお参りをすると その正面には金比羅神社があります

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二の鳥居に一礼をして 境内へと進みます

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 本殿があり その左横には御霊神社

月讀神社は 明治時代以前〈式内社に比定される以前〉「御霊社」と呼ばれていた

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社殿に一礼をします

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桜の花も咲く右手の池に弁財天が祀られ お参りをします

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境内を戻ります

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社頭は 東を向いていますので 遠くに見えている山々は 木津川を超えて城陽市辺りでしょうか?

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この地は゛大住゛(おおすみ)と云い 大隅隼人の発祥の地は゛大隅゛
約1300年前 九州南部の薩摩・大隅地方から現在の京田辺市大住に移ってきた大隅隼人によって 地名転移して「大隅」が「大住」になったと云う

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隣の幼稚園には ゛おおすみ幼稚園゛と看板があります

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 神社大月次新嘗〕について 所在は 大住村に在す、今御霊と〈現 月讀神社(京田辺市大住池平)〉と記しています

【抜粋意訳】

神社大月次新嘗

は都岐與美と訓べし

○祭神 天月神命

○大住村に在す、今御霊とす、山城志

類社
當國 葛野郡 葛野坐月神社名神大月次新嘗〕、
壹岐島 壹岐郡 神社名神大〕、

神位
三代録、貞観元年正月廿七日甲申、奉授山城國從五位下 樺井月 從五位上、

蓮胤按るに、樺井の二字創るべし、樺井月神は、同日奉授正五位下と前文に見えたり、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 神社大月次新嘗〕について 所在は 今 大住村にあり、御霊と云ふ〈現 月讀神社(京田辺市大住池平)〉と記しています

【抜粋意訳】

月讀神社

今 大住村にあり、御霊と云ふ、山城志

月讀命を祀る、

清和天皇 貞観元年正月甲申、從五位下 樺井月讀神に正五位下を授く、 蓋是也、〔三代実録〕
醍醐天皇 延喜の制、大社に列り、月次新嘗祈年案上の祭に預る、延喜式

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第1巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 神社大月次新嘗〕について 所在は 大住村字池平〈現 月讀神社(京田辺市大住池平)〉と記しています

【抜粋意訳】

讀(ツキヨミノ)神社大月次新嘗

祭神 讀神

今按 本社傳説に祭神 讀尊 伊弉諾尊 伊弉冉尊とあれど 今は延喜式によりて祭神一座を記せり

神位 清和天皇貞観元年正月二十七日甲申奉授に山城國 從五位下〔樺井〕二字恐桁 讀神 從五位上

祭日 九月二十三日
社格 村社

所在 大住村字池平 (綴春郡大住村大住 )

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971155

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971155

月讀神社(京田辺市大住池平) (hai)」(90度のお辞儀)

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山城国 式内社 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)について に戻る 

一緒に読む
山城國 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)

山城国(やましろのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 山城国 の122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)の神社のことです

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