実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

男嶽神社(壱岐市芦辺町箱崎本村触)

男嶽神社(おんだけじんじゃは 天比登都柱(あめのひとつばしら命(つくよみのみこと)が 降臨されたとの伝承があり 元の月讀宮とされます すなわち式内社 月讀神社(名神大)〈現 箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)〉の当初の鎮座地です 現在の境内祭神 猿田彦にちなみ石猿群有名です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

男嶽神社(Ondake shrime

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

長崎県壱岐市芦辺町箱崎本村触1678

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》猿田彦命(さるたひこのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

家内安全、合格祈願、子宝祈願など

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社の旧鎮座地

【創  (Beginning of history)】

天比登都柱(あめのひとつばしら)や月命(つくよみのみこと)が 降臨した地との伝承があり
月讀神社〈現 箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)〉の当初の鎮座地とされます

明治時代までは山全体が御神体とされていて 一般人の入山が許されていなかったほどの神聖な場所です

【由  (History)】

男嶽神社(おんだけじんじゃ

壱岐の三岳の一つ男岳山(おんだけさん)(昔は、五百鳩山(いおとりやま)といわれていた)の頂上にある神社で、島の北で鬼門に位置すると言われ、災いが入ってこないよう強い神様(高神様)でもあり、その昔はここにご神体の石だけがありました。
お祀りしてある神様は、サルタビコノミコト(猿田彦命)で、天上の神の道案内をしたことから「導きの神様」と言われ豊作・豊漁・縁結び交通安全など、なんでも皆の幸せを導き、願いを引き受けて下さると言われています。
ここにお参りに来られる人たちは、サルタビコノミコト(猿田彦命)にあやかって願い事や願いが叶うようにと石の猿を奉納しています

はこざきまちづくり協議会

現地案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

・御祭神 猿田彦にちなみ 境内に並石猿群(猿の石像彫刻)

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

京畿七道諸神267社とともに神階の奉授が記されています

【抜粋意訳】

 貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申〉の条

○廿七日甲申
京畿七道諸神 進階及新叙 惣二百六十七社
奉授 淡路國无品勳八等伊佐奈岐命一品 備中國三品吉備都彦命二品
・・・・・
・・・・・

壹岐嶋 從五位下 海神 住吉神 兵主神 月讀神  從五位上

【抜粋意訳】

二十一 貞觀十四年(八七二)四月廿四日癸亥〉の条

○廿四日癸亥

宮主從五位下 兼行丹波權掾伊伎宿禰是雄卒。是雄者。壹伎嶋人也。本姓卜部。改爲伊伎。始祖忍見足尼命。始自神代。供龜卜事。厥後子孫傳習祖業。備於卜部。是雄。卜數之道。尤究其要。日者之中。可謂獨歩。嘉祥三年爲東宮々主。皇太子即位之後。轉爲宮主。貞觀五年授外從五位下。十一年叙從五位下。拜丹波權掾。宮主如故。卒時年五十四

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭Meijin sai)」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Meijin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

名神ノ祭 二百八十五座

・・・
・・・
月讀(つきよみの)神社 一座
中津(なかつの)神社 一座
天手長男 (あまのたなかをの)神社 一座
天手長比賣(あまのたなかひめの)神社 一座 巳上 壱岐

・・・
・・・
・・・

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩
嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合
加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)壱岐島 24座(大7座・小17座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)壱伎郡 12座(大4座・小8座)

[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 月讀神社(名神大)
[ふ り が な ]つきよみの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Tsukiyomi no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

壱岐島(いきのしま)に祀られる 式内社 月讀神社(名神大)(つきよみの かみのやしろ)

神社考に曰、顯宗天皇三年二月、天月神命ノ神託に依り壹岐縣主先祖押見宿禰の祭る所にして 月讀神社には高皇産靈尊の裔 天月神命を祀り 高御祖神社には天月神命の祖 高皇産靈尊を祀る云々

延寶4年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者 橘三喜の式内社調査〉では 月讀神社(壱岐市芦辺町国分東触)式内社と比定ました これ里人が鎮座地「清月(きよつき)」「ふかつき」とも呼んでいたことに因ります
しかし「ふかつき」の語源深淵 ふかふち」 橘三喜比定は誤りで 式内社の月読神社は箱崎八幡神社とされています

・月讀神社(壱岐市芦辺町国分東触)

一緒に読む
月讀神社(壱岐市芦辺町国分東触)

月讀神社(つきよみじんじゃ)は 延寶4年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者 橘三喜の式内社調査〉により 里人が鎮座地の「清月(きよつき)」を「ふかつき」〈深淵 ふかふち〉とも呼んでいたことに因り 式内社 月讀神社(名神大)(つきよみの かみのやしろ)と比定されましたが この比定は誤りとする説が有力視されます 延寶の調以前は「山の神」と称されていた云われます

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・箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)

一緒に読む
箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)

箱崎八幡神社(はこざきはちまんじんじゃ)は 相殿に天月神命と高皇産霊神が祀られます 式内社・月讀神社(名神大)・高御祖神社の両社は 同じ所に鎮座したと伝わり 当社がそれとされます 故に祭神 天月神命(あめのつきかみのみこと)は『日本書紀』顕宗天皇三年の段に記される壱岐の「月神」〈高皇産霊命を祀れと憑依神勅をした〉であると伝わります

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・男嶽神社(壱岐市芦辺町箱崎本村触)〈(月讀宮)箱崎八幡神社の旧鎮座地〉

一緒に読む
男嶽神社(壱岐市芦辺町箱崎本村触)

男嶽神社(おんだけじんじゃ)は 天比登都柱(あめのひとつばしら)・月讀命(つくよみのみこと)が 降臨された地との伝承があり 元の月讀宮とされます すなわち式内社 月讀神社(名神大)〈現 箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)〉の当初の鎮座地です 現在の境内には御祭神 猿田彦命にちなみ並ぶ石猿群が有名です

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『日本書紀』顕宗天皇紀にある 山背国 葛野郡 歌荒樔田(ウタアラスダ)られた〈月の神〉〈現 月読神社京都市西京区

葛野坐月讀神社(名神大 月次 新嘗)(かとのにます つきよみの かみのやしろ)

・月読神社(京都市左京区)

一緒に読む
月読神社(京都市西京区松室山添町)

月読神社(つきよみじんじゃ)は 『日本書紀』顕宗天皇の段 三年(487)に 壱岐島から月神(つきのかみ)を勧請したと 創建について記されます 『延喜式神名帳927 AD.』所載 山城國 葛野郡 葛野坐月讀神社(名神大 月次 新嘗)(かとのにます つきよみの かみのやしろ)に比定され 現在は 松尾大社の境外摂社となっています

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壱岐島(いきのしま)に祀られる 式内社 髙御祖神社(たかみおやの かみのやしろ)

神社考に曰、顯宗天皇三年二月、天月神命ノ神託に依り壹岐縣主先祖押見宿禰の祭る所にして 月讀神社には高皇産靈尊の裔 天月神命を祀り 高御祖神社には天月神命の祖 高皇産靈尊を祀る云々

・高御祖神社(壱岐市芦辺町諸吉仲触)

一緒に読む
高御祖神社(壱岐市芦辺町諸吉仲触)

高御祖神社(たかみおやじんじゃ)は 社伝に 嵯峨天皇 弘仁2年(811)に建立とあります 紀州田邊の熊野権現を勧請したとされ 延寶の調(1676)〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉により 式内社 高御祖神社と改められました

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・箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)

一緒に読む
箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)

箱崎八幡神社(はこざきはちまんじんじゃ)は 相殿に天月神命と高皇産霊神が祀られます 式内社・月讀神社(名神大)・高御祖神社の両社は 同じ所に鎮座したと伝わり 当社がそれとされます 故に祭神 天月神命(あめのつきかみのみこと)は『日本書紀』顕宗天皇三年の段に記される壱岐の「月神」〈高皇産霊命を祀れと憑依神勅をした〉であると伝わります

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『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の内 高御魂と号した式内社は 合わせて五座〈厳密には 六座 大和の目原は二座〉

・大和の宇奈多奢(うなたり)・大和の目原(めはら)・山城の羽束師(はつかし)と対馬の豆酘(つつ)にあり それを宮中の高御産日神を合わせて五座〈厳密には 六座 大和の目原は二座〉となります

①「宮中神 御巫等祭神八座 並大 月次新嘗 中宮 東宮御巫亦同」

御祭神 (八座) 
神産日神高御産日神玉積日神生産日神足産日神大宮賣神御食津神事代主神

②「大和國添上郡 宇奈太理坐高御魂神社 大月次新嘗」の論社は3つ

・宇奈多理坐高御魂神社(奈良市) 

一緒に読む
宇奈多理坐高御魂神社(奈良市法華寺町)

宇奈多理坐高御魂神社(うなたりにいますたかみむすびじんじゃ)は 創建年代は不詳ですが 奈良時代中期〈天平17年(745)〉法華寺(ほっけじ)が創建されるとその後 鎮守社になったと云われていて 江戸時代には楊梅神社とも云われていました 境内一帯は 第51代 平城天皇〈在位806~809年〉の楊梅宮址とか春日斎宮の斎院址とかの学説もあります

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・井栗神社(春日大社 境内) 

一緒に読む
井栗神社・穴栗神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町)

井栗神社(いぐりじんじゃ)・穴栗神社(あなぐりじんじゃ)は もとは奈良市横井町付近〈横井村〉に鎮座していた 井栗神社は 雨多利(ウタリ)と云う田畝にあり 式内社の宇奈太理坐高御魂(うなたりにますたかみむすひ)神社とされていました 保延元年(1135)八月三日 穴栗(穴吹)・井栗の二社を現在地の春日大社境内へ遷座したと伝わります

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・穴栗神社(奈良市) 

一緒に読む
穴栗神社(奈良市横井)

穴栗神社(あなぐりじんじゃ)は 元々は 横井村の北西に鎮座していたが 江戸時代初期の寛文年間〈1661~1673年〉に現在地〈古市村〉に遷座したと伝わります 二つの式内社「宇奈太理坐高御魂神社(うなたりにますたかみむすひの かみのやしろ)」「穴次神社(あなつきの かみのやしろ)」の論社とされています

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➂「大和国十市郡 目原坐高御魂神社二座並大月次新嘗」の論社は3つ

・天満神社(橿原市) 

・耳成山口神社(橿原市) 

・山之坊山口神社(橿原市) 

④「山城国乙訓郡 羽束師坐高御産日神社大月次新嘗」の論社は1つ

・羽束師坐高御産日神社(京都市伏見区)

一緒に読む
羽束師坐高御産日神社(京都市伏見区羽束師志水町)

羽束師坐高御産日神社(はづかしにます たかみむすひじんじゃ)は 社伝によれば 創建〈雄略天皇21年丁己(477)〉と伝わり 京都でも古社となります 高皇産霊神(たかみむすひのかみ)を祀る 延喜式内社 山城國 乙訓郡 羽束師坐高御産日神社(大月次新嘗)(はつかしにますたかみむすひの かみのやしろ)です

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➄「対馬島下県郡高御魂神社 名神大」の論社は1つ

・高御魂神社(対馬 豆酘) 

一緒に読む
高御魂神社(対馬 豆酘)

高御魂神社(たかみむすびじんじゃ)は『日本書記』顕宗天皇3年条に「対馬の日神の託宣(タクセン)により 高皇産霊神に磐余(イワレ)の田14町を献上し その祠官として対馬下縣直がつかえた」という記載があり 『延喜式』の名神大社として大変立派な由緒を持つ古社です 元々は 豆殿浦の東側の海岸に鎮座しましたが 昭和32年(1957)豆酘中学校の建設により 現在の多久頭魂神杜の境内に遷座しました

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

芦辺から北上して 男岳を目指します

男嶽神社への参道を上がると駐車場があります

Google ストリートビュー

男嶽神社(壱岐市芦辺町箱崎本村触)に参着

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一礼をして鳥居をくぐり 参道石段を進みます
向かって境内の左側には社務所 右側には手水舎があり清めます

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男嶽神社社叢植物について

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 石畳みの参道が廻されていて 御神体の石が祀られています

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祭神の猿田彦にちなみ 境内に並石猿群 昔は石牛を奉納することが多かった云われます

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狛犬だけではなく 狛猿

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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鳥居のすぐ横にある階段を上がると 男嶽展望台からの眺望は 絶景です

観光の人が地元の人に連れられてきましたが 鳥居内に停車して 境内に入っていきました
せめて 鳥居をよけて車を停車する そうした神への崇敬は必要でしょう

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男嶽眼下に在る湖は 男女岳ダム湖で 対岸の山が女になります
山頂には 神社《主》天鈿女命 が鎮座しています

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男嶽から 女神社を遥拝して 男嶽参道下ります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本書紀(Nihon Shoki)〈養老4年(720)編纂〉』顕宗天皇 三年の段 に記される伝承

顕宗天皇 三年の段に 任那と高麗との通交に関して 壱岐の「月神」と対馬の「日神」が「高皇産霊命(タカミムスビノミコト)を祀れ」と憑依し神勅が記されます
この「月神」は 箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)に祀られる「天月神命であると伝わります

歌荒樔田(ウタアラスダ)に〈月の神られたのは山背国の葛野郡にあり〈現 月読神社京都市西京区〉です

【抜粋意訳】

顕宗天皇 三年の段

春二月丁巳朔の条

顕宗天皇3年2月1日
阿閉臣事代(アヘノオミコトシロ)は命を受け 日本から任那に使者として出た
すると月神(ツキノカミ)が 人に神掛かって云うには
我が祖先の高皇産霊命(タカミムスビノミコト) 最初に鎔けあっていた天地を創造した功績がある 民地(カキトコロ)我が月神に奉れ この請うままに献上するならば 福慶(サイヨロコビ)があるだろう

事代(コトシロ)は それで京大和に帰詳細に申し上げました
それで歌荒樔田(ウタアラスダ)に〈月の神られた 歌荒樔田は山背国の葛野郡にあり〈現 月読神社京都市西京区
壱岐県主(イキノアガタヌシ)の先祖 押見宿禰(オシミノスクネ)が祠(マツリ)仕えました

顕宗天皇 三年)3月上巳

後苑(ミソノ)に出られて 曲水宴(メグリミズノトヨノアカリ)を催された

(顕宗天皇 三年)夏4月5日

日神(ヒノカミ) 人に神掛かって 阿閉臣事代(アヘノオミコトシロ)に語って云うには
「磐余(イワレ)の田を 我が祖先 高皇産霊(タカミムスヒ)に奉れ

事代は すぐに天皇に奏上 神が乞(コワシ)請うままに田14町を献上した
対馬下直(ツシマシモノアガタノアタイ)を祠(マツリ)に侍らせた

(顕宗天皇 三年)夏4月 13日

福草部(サキクサベ)を置かれた

(顕宗天皇 三年)夏4月 25日

天皇は八釣宮(ヤツリノミヤ)で崩御された

顕宗天皇 三年)この年

紀生磐宿禰(キノオイワノスクネ)は 任那(ミマナ)を経由して高麗と交通(カヨイ)ました
西の三韓(ミツノカラクニ)の王にならんとし 官府(ミヤツカサ)を整え治め 神聖(カミ)と自称した 任那の左魯(サル)那奇他甲背(ナカタカフハイ)たちは 策謀し 百済の適莫爾解(チャクマクニゲ)を爾林(ニリム)で殺した 爾林は高麗の土地
帯山城(シトロモロノサシ)を築き 東道を防った 粮(カ食料を運ぶ津〉を遮断した 軍隊は飢え 苦しみ 百済の王はとても怒り 領軍(イクサ)の古爾解(コニゲ)と内頭莫古解(ナイトウマクコゲ)たちを派遣した 軍隊を率いて帯山に行き攻めた 生磐宿禰(オイワノスクネ)は 軍隊を進め逆に迎え撃ちた 胆気益壮(イキオイマスマスサカリ)で 向かうところで敵を皆破り 一人で敵100人に当た しばらくして武器は尽き枯れた それで事が成らないと分か任那へと帰
これにより百済国は佐魯(サル)那奇他甲背(ナカタカフハイ)たち300人あまりを殺した

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047528&ID=M2017042515415226619&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047528&ID=M2017042515415226619&TYPE=&NO=画像利用

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

式内社 月讀神社(名神大)所在について 国分村〈現 月讀神社(壱岐市芦辺町国分東触)〉と記しています

【抜粋意訳】

月讀神社(名神大)

三代実録 貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申〉の条 壹岐嶋 從五位下 海神 住吉神 兵主神 月讀神  從五位上

旧事記 天月神命 壱岐縣主等祖
書 紀 顕宗記 顯宗天皇三年二月朔 阿閉臣事代、銜命、出使于任那。於是、月神、著人謂之曰「我祖高皇産靈、有預鎔造天地之功、宜以民地、奉我月神。若依請獻我、當福慶。」事代、由是、還京具奏。奉以歌荒樔田歌荒樔田者、在山背國葛野郡也、壹伎縣主先祖押見宿禰、侍祠

畧志 国分村にあり

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館蔵『壱岐名勝図誌』〈文久元年(1861)に完成〉に記される伝承

伝承として 男嶽神社は「宋社八幡宮より以前の鎮座なり」 つまり箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)の旧鎮座地であると 記しています

【抜粋意訳】

第廿五巻 箱崎村 併 瀬戸浦 之部

陰陽両嶽

女嶽大明神 在岳山頂

祭神 天鈿女命 無社 建鳥居

陽嶽(ヒタケ) 五百鳩(イヲツリ)に一云 磯山

この嶽 本村の東にありて いと高く 峠木立ちも殊に神さびておのづから神霊のとどまります地なれば 村中の鎮守なりとかや 雲霧深くたなび煙氣常にたたえ 山を五百鳩とも付たるは 八幡大神の敷地を定め給はむため 村の南矛嵜といふ所より 御矛をふかし給ひたろ時 此山より鳩鴿五百ばかり飛来りて・・・・・・

八幡海宮の説 男嶽といふ故は 国内三岳の 其の一なり 東西五町余 南北五町五十三間余 周囲十五町三十五間余 満山橋木繁茂して枝條をつくり・・・
・・・登臨する人稀にれはかる奇勝の名山なることを知者少なく事を恨むのも山上に御社なり

是即ち 男岳大明神なり 神名帳に載さるといへども 宋社八幡宮より以前の鎮座なり むかし御神は山の頂上 大盤石この間に西に向いてまします 東山口 石鳥居より神前まで 二町十二間

陽嶽大明神 在 五百鳩

祭神 猿田彦大神

石祠 酉戌向き

【原文参照】

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 月讀神社(名神大)所在について 国分村〈現 月讀神社(壱岐市芦辺町国分東触)〉と記しています

【抜粋意訳】

月讀神社(名神大)

月讀は 都岐與美と訓べし
〇祭神 天月神命 〇今按るに 壱岐縣主の氏神なるべし
〇国分村に在す
〇式三 臨時祭 名神ノ祭 二百八十五座 中略 壱岐島 月讀神社一座

類社
山城国 葛野郡坐月讀神社の條見合うべし

神位
三代実録 貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申〉の条 壹岐嶋 從五位下 海神 住吉神 兵主神 月讀神  從五位上

氏人
三代実録 貞觀十四年(八七二)四月廿四日癸亥〉の条 宮主從五位下 兼行丹波權掾伊伎宿禰是雄卒。是雄者。壹伎嶋人也。本姓卜部。改爲伊伎。始祖忍見足尼命。始自神代。供龜卜事。厥後子孫傳習祖業。備於卜部

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 月讀神社(名神大)所在について 箱崎村〈現 箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)〉と記しています

【抜粋意訳】

月讀(ツキヨミノ)神社

今 箱崎村にあり八幡といふ 正慶元年棟札 壱岐国式社沿革考
月讀尊を祀る 日本書紀 延喜式

顕宗天皇御世 阿閉臣事代 任那使する時 月神の神教を得て 高皇産靈神を祭らしめ給ひき所謂 月神蓋 此神なり 日本書紀

清和天皇 貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申〉の条 壹岐嶋 從五位下 海神 住吉神 兵主神 月讀神  從五位上 三代実録

醍醐天皇 延喜の制 名神大社に列る 延喜式

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 月讀神社(名神大)所在について 箱崎邑宋社八幡宮と御同殿〈現 箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)〉と記しています

【抜粋意訳】

月讀神社(名神大)

祭神 月讀命

神位 清和天皇 貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申〉の条 壹岐嶋 從五位下 海神 住吉神 兵主神 月讀神  從五位上 三代実録

祭日 九月二十三日
社格

所在
今按〈今考えるに〉
延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉また明細帳 長崎縣式内社記ともに國分村にありとす
神社考に國分邑深渕の岸の上山端に山神と称するあり この深渕を訛りて ふかつきと云り 其の淵 今埋まりて尚水の溜れる淵の跡ありきよつきども云ふ
延寶〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉の時きよつきの名に因て 月讀神社を定む然れ 共 延寶以前 社なかりしほどなれば式社にはあるべからずとみえ
式社沿革考に式社略考に箱崎邑と記せしや正しからむ 其は内殿の棟札に箱崎 八幡宮壱岐国壱岐郡 月讀宮釣瓶庄潮安郷 奉造立 内殿一宇 大宰少武兼 筑後森藤原景資」「右の傍に」正慶元年「左の傍に」八月五日」大宮司云々 伊岐末茂云々 とある文による時は 月讀神社は箱崎邑宋社八幡宮と御同殿にます神ならん 箱崎邑釘丘郷 天月(テツキ)の里ら天月神社あり 是その古社なるべしと云る証ありて聞ゆれば箱崎邑と定めて可ならん

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

『壱岐国神社誌』(Ikinokuni jinjashi)〈昭和16年(1941)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

箱崎村ノ部 村社 男岳神社

鎭座地 箱崎村本村触
 神 猿田彦命
例祭日 九月十八日
境内地 四十二

〔由緒沿革〕
昭和十一年十一月九日 村社ニ列セラル

【原文参照】

『壱岐国神社誌』国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1035221出版昭和16年(1941)著者 長崎県神職会壱岐支会 編 出版者 長崎県神職会壱岐支会

男嶽神社(壱岐市芦辺町箱崎本村触) (hai)」(90度のお辞儀)

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壹岐嶋 式内社 24座(大7座・小17座)について

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