実践和學 Cultural Japan heritage

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砥鹿神社 里宮(豊川市一宮町)〈三河国一之宮〉

砥鹿神社 里宮(とがじんじゃ さとみや)は 約1300年前 大宝年中(701~704年)に本宮山の奥宮より分霊し 御祭神「大己貴命(onamuchi no mikoto)」を里宮として お祀りしたのが始まりと伝わります 社殿は荘厳な檜造りです また 摂社「三河えびす社」が並び建ち こちらには 本社の御子神「智徳の神・事代主命(kotoshironushi no mikoto)」と「体徳の神・建御名方命(takeminakata no mikoto)」を祀ります

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

  砥鹿神社 里宮(toga shrine satomiya)
 (とがじんじゃ さとみや)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (location) 】

 愛知県豊川市一宮町西垣内2

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大己貴命(onamuchi no mikoto)

【御神格 (God's great power)】

・家内安全 Safe and comfortable home life
・商売繁盛 Wishing business prosperity
・厄除   Prayer at an age considered a milestone in life
・心願成就 Realization of wish of heart
・諸難防除 Prevents and eliminates various difficulties
・車の祓い Please pray for road safety and pledge safe driving to your heart.
・健康長寿 Health and longevity
・等 etc

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
・ 三河国一之宮
・ 別表神社

【創 建 (Beginning of history)】

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三河国一宮 砥鹿神社(里宮)

祭  神 大己貴命(おおなむちのみこと)
例  祭 5月3.4.5日
特殊神事 1月3日 田遊祭(たあそび)

1月8日 弓始祭(ゆみはじめ)
2月7日 火舞祭(ひのまい)

当神社は、太古より本宮山にお祀りされていたが、今から約1300年前の大宝年間、現在地にお遷しした。
爾来、三河国一宮として、或いは、東海地方の総鎮守として、広く朝野の崇敬を寄せられてきた。
現在は、交通安全、厄除守護、家運隆昌のご神徳が仰がれている。社殿は、昭和37年に造営成った、総桧造りの荘厳な建物である。

境内案内板

【由 緒 (history)】

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由緒

砥鹿神社は大己貴命(大国さま)を祀る旧国幣小社で東海地方の総鎮守の神として各方面から篤い崇敬をいただいています。

昔は本宮山にお祀りされていましたが、御神託により今から約1300年程以前の文武天皇 大宝年中に現地にお迎え申し上げてより、里宮本社と本宮山奥宮の二社となり、三河国一宮として広く尊崇せられ、交通安全、家運隆昌、厄難消除の御神徳が皆様に仰がれています。

摂社 二宮社は事代主命(えびす様)をお祀りし「三河えびす社」とも申し上げています。
又、三宮社は建御名方命(諏訪様)をお祀りし、共に御本社の御子神で崇められています。

社殿は総檜造りの荘厳な建物であります。

三河湾に面した美しい姿の本宮山(海抜789メートル)は、1000年近い大木の杉檜が林立した神山で、頂上附近の自然林は神域として保護され数百種の草木が繁茂し、愛知県天然記念物として指定されています。

頂上には 三河国一宮 砥鹿神社の奥宮が鎮座し、霊験あらたかな大己貴命(大国様)をお祀りしています。

本宮山は 古代人より持ちつづけた信仰の中心であり、人生の哀歓、苦悩、願望等の生活社会の精神面問題も御神徳の御力により私共を自然の心に立ち帰らせ、幸せに導いて下さいます。

近年頂上まで本宮山スカイラインが開通し、起伏に満ちた山々、又アルプス連峰、富士山の秀峰、浜名湖の景観と丸山公園のツツジの花園、森の緑は参拝者の心を癒し、名実共に三河国唯一の霊山であります。

「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]

【境内社 (Other deities within the precincts)】

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摂社

・三河えびす社 (mikawa ebisu sha)

 二宮社《主》事代主命(kotoshironushi no mikoto

 三宮社《主》建御名方命(takeminakata no mikoto)

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末社

・八幡宮(hachiman gu)

 《主》誉田別命(hondawake no mikoto)
    天児屋根命(ame no koyane no mikoto)

・守見殿神社(morimidenjinja)

  《主》大己貴命和魂(onamuchinomikotononigimitama)

  《合》倉稲魂神(ukanomitama no kami)
     加久神(kaku no kami)

末社

・八束穂神社(yatsukaho jinja)

 《主》天穂日命(ame no hohi no mikoto)

・荒羽々気神社(arahabagijinja

《主》大己貴命荒魂(onamuchinomikotonoaramitama)

・秋葉神社(akiba jinja)

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・一宮町護国神社《主》護国の英霊

神社から1km北に鎮座 境外社

・饌川水神社(omonogawa jinja)

  《主》罔象女命(mizuhanome no mikoto)

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)The shrine record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)参河国 26座(並小)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)宝飫郡 6座(並小)

[名神大 大 小] 式内 小社

[旧 神社名 ] 砥鹿神社

[ふ り が な  ](とかの かみのやしろ)
[How to read ](tokano kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

「奥宮」と「里宮」の双方に祀られている「荒羽々気神社(arahabagi jinja)」について
御祭神は 《主》大己貴命荒魂(onamuchi no mikoto no aramitama)となっていますが 詳しくは 奥宮の記事【オタッキーポイント】をご覧ください

一緒に読む
砥鹿神社 奧宮(豊川市上長山町)〈三河国一之宮〉

砥鹿神社 奧宮(とがじんじゃ おくみや)は 古くから「霊山」とされている海抜789mの本宮山の山頂近くに鎮座しています 1300年以上前には 麓にも社殿が造営されたと伝わり 山頂の社(yashiro)を奥宮 里の社殿を里宮(砥鹿神社)と称しています どちらも 三河国一之宮として 二所一体の崇敬をあつめています

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

三河一宮駅から R498経由 約700m 徒歩10分程度
交差点に案内板があります

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R151号沿いに 西側から参道があります
「一の鳥居」が建ち 社号標「三河國一之宮 砥神社」とあります

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砥鹿神社 里宮(toga shrine satomiya)に到着

一礼して「一の鳥居」をくぐると 真っ直ぐに参道が続きます

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右手には「砥鹿神社 奥宮と里宮」の案内板があります

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参道を横切る車道があり 横断歩道を渡ると 
その先に 由緒案内板と石灯篭と「二の鳥居」が建ちます

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神門が建ち 手前右に「手水舎」があり 清めます 神門をくぐりますと境内です

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左手に社殿が並び立っています

奥 に「砥鹿神社 里宮(toga shrine satomiya)」が建ちます
手前が「三河えびす社」

・三河えびす社 (mikawa ebisu sha)にお詣りします

  二宮社《主》事代主命
  三宮社《主》建御名方命

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「三河えびす社」奉納提灯のおすすめ と看板があります

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拝殿の扁額には「二宮」とあり 殿内の天井には 奉納提灯がたくさん掛かります

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賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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続いて
「砥鹿神社 里宮(toga shrine satomiya)」にお詣りです

6月初旬の参拝でしたので
「夏越の祓」の茅の輪(chi no wa)をくぐり 罪穢れを祓います

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拝殿にすすみます 扁額には「砥神社」とあります

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賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の真正面にも 御神門があります

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その脇に「手水舎」が建ちます
「七五三詣り」と書かれた石柱があり 50~200の目盛りが刻まれていて 七五三詣りに訪れた子供の成長を測るために寄進されたのでしょうか 微笑ましい

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その後ろには 立派な「太鼓楼」があります
横には大木があり 中々雰囲気があります

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大きさ日本一と言われる「さざれ石」もあります

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反対側には「神亀石」があり 社務所が建ちます 一角には「神符守札 授与所」があります ご朱印などをお受けします

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再度拝殿に一礼して 境内を後にします

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拝殿真正面の御神門をくぐり抜けて 振り返り一礼

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末社にお詣りします

・八束穂神社(yatsukaho jinja)
 《主》天穂日命(ame no hohi no mikoto)

・荒羽々気神社(arahabagijinja)
  《主》大己貴命荒魂(onamuchinomikotonoaramitama)

・秋葉神社(akiba jinja)

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『但馬続風土記(tajima no kunifudoki)』と「社伝」にある伝承

「但馬続風土記」によれば、
神代 大己貴命は国土を開拓し、諸国を巡幸されて 但馬国朝来郡赤淵宮にお移りになって、更に東方三河国に向かわれたとあり、

社伝にはその後命は「本茂山(ほのしげやま)」(本宮山)に留まって、この山を永く神霊を止め置く所「止所(とが)の地」とされたとある。

公式HPより

『三河国一宮 砥鹿大菩薩 御縁起』(天正二年)にある伝承

里宮に大神が鎮まるに至った経緯を
「三河国一宮 砥鹿大菩薩 御縁起」(天正二年)は次の様に伝えている。

文武天皇の大宝年間に天皇の病を鎮める為、草鹿砥公宣卿が勅使として
「煙巌山」に使わされた。公宣卿は三河の山中において道に迷うが、この時出 現した老翁の導きにより無事祈願を果たし、天皇の病も平癒された。

天皇は この老翁に礼を尽くすため、再度この地に勅使を使わされた。
公宣卿は 再び三河国本茂山に入って老翁と面会し、その望みにより山麓に宮居を定めることとなった。

その時老翁は 衣の袖を抜き取り、宝川の清流に投じたが、公宣卿はこれを追って山を下り、山麓辰巳の方の岸辺に留まった袖を取り上げて、

七重の棚を作り七重の注連縄を引廻らして斎き祀ったのである。 

古くから朝廷の崇敬篤く、文徳天皇 嘉祥三年に従五位下とあり、順次神階を進め、貞観十八年には従四位上に至った。
こうして平安時代には、「延喜式内社」に列せられ、
次いで三河国の国司が 国内神社に巡拝奉幣する筆頭神社「一之宮」となったのである。

その後江戸時代に入っても周辺藩主の信奉篤く、文政十年に正一位が授けられ、また明治四年には国幣小社筆頭に列せられた。

公式HPより

里宮は 大宝年中(701~704年)に本宮山の奥宮より 分霊し御祭神「大己貴命(onamuchi no mikoto)」を里宮としてお祀りしたのが始まりと伝わります

砥鹿神社 里宮(toga shrine satomiya)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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奥宮の記事もご覧ください

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