実践和學 Cultural Japan heritage

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勝川天神社(春日井市勝川町)〈『延喜式』髙牟神社〉

勝川天神社(かちがわてんじんゃ)は 正和二年(1313)無盡禅師によって創建と伝え もとは高山という所にあったが 後世 今の地に移し 神仏混淆の時代には地蔵寺が祭祀を掌ったと云う 又『又張神名帳集説訂考』には従三位 高牟天神すなわち 延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社(たかむの かみのやしろ)とする説があります

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

天神社(Tenjin sha

通称名(Common name)

勝川天神社(かちがわてんじんじゃ

【鎮座地 (Location) 

愛知県春日井市 勝川町(かちがわちょう)1丁目3-2

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》菅原道眞公(すがわらのみちざねう)

《合》天照大御神(あまてらすおほみかみ)
   菊理姫命(くくりひめのみこと)
   大山須美命(おほやますみのみこと)
   豐受皇大御神(とようけのすめおほみかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

由緒

鎮座名 天神社

  菅原道眞、天照大御神,菊理姫命、大山須美命,豊受皇大御神

祭禮日

 例   祭 十月十日
 新 年 祭 一月一日
 学業祈願祭 一月上旬
 春祭(天神祭)四月上旬
 虫   祭 七月上旬
 新 嘗 祭 十一月二十三日
 大 祓 式 十二月三十日

末社
 八幡社 春日社 厳島社 護國社 津島社

沿革

 当神社は正和二年 (西暦一、三一三年) 無盡禅師によって創建されたと伝えられている、もとは高山という処にあったが 後世 今の地に移し、神仏混淆の時代には地蔵寺の僧が祭祀を掌ったという。
尾張地名考に陸奥国二本松城主 丹羽加賀守の屋敷の鎮守であつたとも伝承されている。明治四十年十月村社に指定され 同四十二年勝川地内にあった神明社、洲原神社、山神社、神明社四社を合祀し古くから勝川村の氏神とし人々の厚い信仰を得ている神社である。終戦と同時に神社は国家管理を離れ宗教法人「天神社」として今日に及んでいる。

現地石碑文より

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由緒

 無尽禅師正和2年1313この社を創建せりと云う。いつの頃からかこの村の氏神として崇敬されてきた。
 尾張誌には、天神の社 勝川にあり、正和2年1313に創立、以前は高山(春日市内)にあったのを後世この地に移し天文九年1540長曽根縫殿修復す。尾張地名考に勝川の天満宮は、旧加賀守(陸奥國二本松の城主)の屋敷の鎮守と記されている。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【由  (History)】

尾張神名帳集説訂考(おわりじんみょうちょうしゅうせつていこう)』〈嘉永3年(1850年)序、明治2年(1869年)追補〉に記される内容

春日部郡 従三位 高牟(たかむの)神社の項目に 旧所在地は髙山(たかやま)といふ所に在り と記されていて 勝川天神社(春日井市勝川町)の社伝に一致しています

【抜粋意訳】

尾張神名帳集説訂考(巻五 春日部)

従三位 高牟(たかむの)神社〔一本作ニ 正四位下 高見〕天神

『正生考』勝川宿〔〕天神是なるべし

『府志』云 舊地ハ髙山(たかやま)といふ所に在り
『和名抄』春日部郡(かすかべのこほり)柏井郷(かしはゐのさと)

【原文参照】

愛知県図書館デジタルアーカイブ『尾張神名帳集説訂考』(著者名 津田正生/つだ まさなり)より抜粋https://wwwb7.musetheque.jp/aichi_pref_library_archives/detail?cls=collect11&pkey=000006

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

勝川天神社 社殿

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社殿向かって左 境内社3祠

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・〈境内社〉八幡社《主》応神天皇
・〈境内社〉春日社《主》武雷神
・〈境内社〉厳島社《主》市寸島姫命
・〈境内社〉護國社《主》護国の英霊
・〈境内社〉津島社《主》素戔嗚尊
・〈境内社〉神明社 山神社 洲原神社 等の近隣神社を合祀

・境内

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・社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)春日部郡 12座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 髙牟神社
[ふ り が な ](たかむの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Takamu no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

尾張國の式内社には 高牟神社(たかむの かみのやしろ)が 春日部郡と愛智郡の二ヶ所に所載されています

延喜式内社 尾張國 春日部郡 高牟神社(たかむの かみのやしろ)の論社について

・高牟神社(名古屋市守山区)

・松原神社(春日井市東山町)

一緒に読む
松原神社(春日井市東山町)〈『延喜式』髙牟神社〉

松原神社(まつばらじんじゃ)は 元明天皇の御代 和銅四年(711)創建と伝え 社地の辺りは古来地名を高牟(たかむ)と呼び 社名も古くから高牟神社と号し 延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社(たかむの かみのやしろ)とされます 中世に稲荷信仰が普及して合祀され 江戸時代の棟札には高牟稲荷大明神と記したものがあります

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・高田寺白山社(北名古屋市高田寺)

一緒に読む
高田寺白山社(北名古屋市高田寺)〈『延喜式』髙牟神社〉

白山社(はくさんしゃ)は 創建年代は不祥ですが 社伝に「延喜神名式 髙牟天神」即ち 延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社(たかむの かみのやしろ)であると伝わっています 又『尾張国内神名帳』に載る「従三位 高牟天神」とも「従三位 小高薗天神」とも云われます

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・八所神社(豊山町豊場木戸)

一緒に読む
八所神社(豊山町豊場木戸)〈『延喜式』物部神社・髙牟神社〉

八所社(はっしょしゃ)は 物部氏一族により開拓されたこの地に 物部氏神〔大和の石上神宮より分神を勧請〕を斎き祀った社とされ 社伝に「和銅二年(709)創建 元 物部神社(八所太明神)と稱した」とあり延喜式内社 尾張國 春日部郡 物部神社(もののへのかみのやしろ)であると云う 又 髙牟神社(たかむのかみのやしろ)とも云う

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・五社神社(春日井市玉野町)

一緒に読む
五社神社(春日井市玉野町)〈『延喜式』髙牟神社〉

五社神社(ごしゃじんじゃ)は 社伝は明らかではありませんが 『張州府志』に「五社祠 玉野村に在り 明神、神明、天神、八幡、多度、の五社を祀り 永享元巳酉年(1429)村民之を建てる」とあります 一説には 延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社(たかむの かみのやしろ)とする説があります

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・勝川天神社(春日井市勝川町)

一緒に読む
勝川天神社(春日井市勝川町)〈『延喜式』髙牟神社〉

勝川天神社(かちがわてんじんしゃ)は 正和二年(1313)無盡禅師によって創建と伝え もとは高山という所にあったが 後世 今の地に移し 神仏混淆の時代には地蔵寺が祭祀を掌ったと云う 又『又張神名帳集説訂考』には従三位 高牟天神すなわち 延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社(たかむの かみのやしろ)とする説があります

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延喜式内社 尾張國 愛智郡 高牟神社(たかむの かみのやしろ)の論社について

・高牟神社(名古屋市千種区今池)

一緒に読む
高牟神社(名古屋市千種区今池)〈古井之八幡(こいのはちまん)〉

高牟神社(たかむじんじゃ)は 元々は尾張物部氏の武器庫であったと云う 境内に 元古井(もとこい)古井ノ坂の地名の由来となった古井戸〈霊泉〉があり 「むすびの神」を祀る神社で゛古井(こい)の水を飲めば恋が生まれる゛と 縁結びのご利益信仰を集めます 延喜式内社 尾張國 愛智郡 高牟神社(たかむの かみのやしろ)の論社です

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・高針高牟神社(名古屋市名東区高針)

一緒に読む
高牟神社(名古屋市名東区高針)〈『延喜式』高牟神社〉

高牟神社(たかむじんじゃ)は 元々は尾張物部氏の武器庫であり 高牟(たかむ)とは 古代の武器゛鉾゛の美称とされます 高針村の産土神として 江戸時代には應神天皇を祀り八幡社と称していました 昭和26年(1951)高牟神社と改称されました 延喜式内社 尾張國 愛智郡 高牟神社(たかむの かみのやしろ)の論社です

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・御器所八幡宮(名古屋市昭和区)

一緒に読む
御器所八幡宮(名古屋市昭和区御器所)〈八所大明神〉

御器所八幡宮(ごきそ はちまんぐう)は 第54代 仁明天皇の勅願所として熱田社の鬼門を守護するために創建と社伝に云う 御器所(ごきそ)の地名は『吾妻鏡』に この地で熱田社の神事に使う土器を焼いていたことから名付けられたと記述があり 尾張國 愛智郡の二つの式内社〈・高牟神社・物部神社〉の論社となっています

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

名鉄小牧線 味鋺駅から県道162号経由で東へ約1.3km 車での所要時間は4~6分程度

当日は 庄内川の土手から北上して 勝川町に向いました

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社頭は南を向いていて 南に隣接する地蔵ケ池公園の西北の角地が参道の入口となっていて石灯籠が建てられています

勝川天神社(春日井市勝川町)に参着

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一礼をして鳥居をくぐり抜けます

参道は 参拝者が正中を進まないように配慮されていて わずかに折れていますが 社殿は社頭と同じく南を向いています

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の脇には由緒書きの石碑があります

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その石碑の奥 社殿の向かって左には 境内社が祀られています

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 高牟神社について 所在は゛山田庄高田寺村に在す、今白山と称す、゛〈現 高田寺白山社(北名古屋市高田寺)〉と記しています

【抜粋意訳】

高牟神社

高牟は多加武と讀り

○祭神詳ならず

○山田庄高田寺村に在す、今白山と称す、〔府志〕

 張州府志云、集説以ニ 此祠爲ニ 小高苑神社、按、和名鈔曰、春日部郡高苑、中世稱ニ 高田郷、然則小高園祠 亦當在ニ 此邑、今不可尋、

類社
 當國愛智郡 高牟神社

神位
 國内神名帳云、從三位高牟天神、〔一本作高見〕

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 高牟神社について 所在は゛安食庄瀬古村にあり、高見島天神と云、゛〈現 高牟神社(名古屋市守山区)〉と記しています

【抜粋意訳】

高牟(タカムノ)神社

 安食庄瀬古村にあり、高見島天神と云、〔尾張國式社確定〕

高御產靈尊を祭る、〔本社傳説〕

毎年八月廿五日祭を行ふ、〔愛智縣神社調〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 高牟神社について 所在は゛安食村瀬古村〔字高見島〕(東春日井郡坂下村大字瀬古 郷社 高牟神社)゛〈現 高牟神社(名古屋市守山区)〉と記しています

その他の説として 3説を挙げているが証するものがない と記しています
高田寺村白山社゛〈現 高田寺白山社(北名古屋市高田寺)
勝川村下原村にもあり゛〈現 勝川天神社(春日井市勝川町)
豐場村 八所明神゛〈現 八所神社(豊山町豊場木戸)

【抜粋意訳】

高牟神社

祭神 高皇產靈神

 今按 社傳 高皇產靈尊の外に國常立尊 豐斟渟尊 國狹槌尊をも祭ると云へど信がたし 故今とらず

祭日 八月二十五日
社格 村社(明細帳に郷社)

所在 安食村瀬古村〔字高見島〕(東春日井郡坂下村大字瀬古 郷社 高牟神社)

 今按 尾張國式社考に張州府志に高田寺村白山社を高牟神社とするは據もなく高牟と高田とまかふべき地名にも非れば取がたし
 勝川村下原村にもありと云ひ
 豐場村 八所明神なるべしと云説もあれど 何れも證なしと云り

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

勝川天神社(春日井市勝川町) (hai)」(90度のお辞儀)

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尾張国 式内社 121座(大8座・小113座)について に戻る

一緒に読む
尾張國 式内社 121座(大8座・小113座)について

尾張国(おわりのくに・をはりのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 尾張国には 121座(大8座・小113座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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  • B!

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