実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

玉依神社(亀岡市東別院町湯谷岳山)〈『延喜式』神野神社〉

玉依神社(たまよりじんじゃ)は 『特選神名牒〈明治9年(1876)完成〉』に村老の説に山城加茂明神の分社也」とあり 延喜式内社 丹波國 桑田郡 神野神社(かむのの かみのやしろ)の論社として挙げられています 鎮座地の湯谷(ゆや)は 口伝には 小野小町が当地に来て 薬師堂にて参籠して湯浴み〈湯治〉をしたと伝えています

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

玉依神社(Tamayori shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

京都府亀岡市東別院町湯谷岳山78

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)
   玉依姫命(たまよりひめのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

口伝には 貞観十六年(874)創建と伝わります

【由  (History)】

由緒不祥

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』には
湯谷嶽の麓 湯谷村に玉依神社あり樹木繁茂 眞に幽邃の古社なり 神前釣燈籠に承安元年辛卯源三位賴政奉之とあり 村老の説に山城加茂明神の分社也と 蓋此社 玉依彦か玉依姫か共に伊可古夜日女の子也 神野神社に所緣ありと云れど 古記の證とすべきものなければ今詳ならず」と記されていて 式内社 神野神社 の論社となっています

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

玉依神社 本殿覆屋〈中に本殿〉・その横に扉のみの遥拝所・後ろに巨大な磐座

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玉依神社 本殿覆屋〈中に本殿〉・左右に境内社の祠あり

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玉依神社 本殿

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・参道石段

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・〈参道石段途中 境内社〉水神社

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・〈参道石段の下〉開けた境内

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・〈境内参道の先〉石燈籠

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・境内参道

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・鳥居

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・社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・〈鎮座地〉亀岡市東別院町湯谷(ゆや)

湯谷(ゆや)の地名は 往古 温泉が湧き出していたことに由来していると思われます
伝承によれば 戦いに敗れた平家一族が移り住んだとも云われますが 一説に は 湯谷の始まりは 平安時代初期以前からとも云われ 口伝によれば 小野小町が当地に来て 薬師堂にて参籠して湯浴み〈湯治〉をしたとの伝えもあります

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹波國 71座(大5座・小66座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)桑田郡 19座(大2座・小17座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 神野神社
[ふ り が な ]かむのの かみのやしろ
[Old Shrine name]Kamuno no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 丹波國 桑田郡 神野神社(かむのの かみのやしろ)の論社について

・宮川神社(亀岡市宮前町宮川神尾山)

一緒に読む
宮川神社(亀岡市宮前町宮川神尾山)〈『延喜式』神野神社〉

宮川神社(みやがわじんじゃ)は 第42代文武天皇 大宝年間(701~708)京都下賀茂神社の祭神 玉依姫命の母神゛伊賀古夜姫命゛を祭神として神野山の山上に鎭めたのが起源〈現在も下賀茂神社との関係は深く葵祭の行列に毎年宮川神社の氏子が参列奉仕します〉延喜式内社 丹波國 桑田郡 神野神社(かむのの かみのやしろ)とされます

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・玉依神社(亀岡市東別院町湯谷岳山)

一緒に読む
玉依神社(亀岡市東別院町湯谷岳山)〈『延喜式』神野神社〉

玉依神社(たまよりじんじゃ)は 『特選神名牒〈明治9年(1876)完成〉』に「村老の説に山城加茂明神の分社也」とあり 延喜式内社 丹波國 桑田郡 神野神社(かむのの かみのやしろ)の論社として挙げられています 鎮座地の湯谷(ゆや)は 口伝には 小野小町が当地に来て 薬師堂にて参籠して湯浴み〈湯治〉をしたと伝えています

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・道相神社(南丹市美山町宮脇ヒノ谷)

一緒に読む
道相神社(南丹市美山町宮脇ヒノ谷)〈『延喜式』神野神社〉

道相神社(どうそうじんじゃ)は 第十代崇神天皇御宇<前97~前30年>四道将軍として丹波地方に遣わされた丹波道主命が この地方開発のため宮脇の地に野々宮御所を創建されたのが起源と云う 社傳には允恭天皇の皇子 木梨軽皇子が この地に潜まれた時に土地を経營し給ひ 神日本磐余彦命 五瀬命の二柱を奉祀したとも云う

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・住吉神社〈下鴨宮〉(南丹市八木町観音寺裏山)

延喜式内社 丹波國 氷上郡 神野神社(かむの かみのやしろ)の論社について

・円通寺(丹波市氷上町御油字マガリ)〈神野神社の南300m 古社地〉

・神野神社(丹波市氷上町御油字マガリ)

・鴨神社(丹波市市島町梶原字カモ)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR山陰本線 亀岡駅から府道6号・46号経由で南下して約15km 車で30分程度

府道46号から府道733号へと曲がり 栢原川を遡るように進むと湯谷(ゆや)への矢印板があります

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湯谷ケ岳の麓に湯谷(ゆや)の集落が見えてきました

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湯谷(ゆや)の集落の一番奥まった辺りに桜の木が一本と建屋があり その前に石灯籠が建っています

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建屋は゛湯谷集会所゛でした

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湯谷集会所の正面が 参道の入口となります

玉依神社(亀岡市東別院町湯谷岳山)に参着

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参道を進むと 山桜の木の先が森となっていて その中に鳥居が建てられています

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一礼をして 鳥居をくぐり抜けると 緩やかな斜面にコンクリート製の参道が続いています

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参道を上がると 石燈籠が建ちます

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石燈籠の先には 開けた境内があり そこから石段が続いていて 社殿が見えてきました

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石段の下には 石組の何かがあり〈何なのかは不明〉 石段を上がります

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石段の上まで来ると 社殿は覆い屋の中にある事がわかります

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿の奥は 巨大な岩壁となっていて おそらくは磐座だと想われます

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社殿に一礼をして 石段を下り 開けた境内へ戻ります 境内の中央には 祓火を炊いた跡がありました

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参道を下り 鳥居の所まで戻ってきました

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参道の入口から見た湯谷集会所と集落です

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 神野神社について 所在は゛宮傍村に在す゛〈現 道相神社(南丹市美山町宮脇ヒノ谷)〉と記しています

【抜粋意訳】

神野神社

神野は 加美乃と訓べし

〇祭神 伊可古夜日女命

〇宮傍村に在す〔啓蒙〕

〇頭注云、賀茂建角身命 錨伊賀古彌日賣命也、玉依彦玉依姫母也、玉依姫鴨御祖神也、玉依彦可茂縣主等遠祖也、

〇當國 氷上郡 神野神社もあり

【原文参照】

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『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 神野神社について 所在は゛ 観音村に在り、下鴨宮と云ふ、゛〈現 住吉神社〈下鴨宮〉(南丹市八木町観音寺裏山)〉と記しています

【抜粋意訳】

神野(カミヌノ)神社

 観音村に在り、下鴨宮と云ふ、〔三才圖會、國華万葉記、〕〔〇按 観音疑らくは、神野の轉音也、〕

賀茂建角身命の妃、神野神伊加古夜比賣命(カミノ カムイカコヤヒメノミコト)を祀る、〔参取袖中鈔引賀茂縁起、山代風土記、神名帳頭注、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 神野神社について 所在は゛丹波國桑田郡宮脇村゛〈現 道相神社(南丹市美山町宮脇ヒノ谷)〉と記しています

又 宮川村神尾山金輪寺鎭守とする説もあるが 寺に言い伝えが無く
  宮川村の宮川神社は神尾山の麓に鎭座す
又 湯谷嶽の麓 湯谷村に玉依神社あり との説も挙げています

【抜粋意訳】

神野(カムヌノ)神社

祭神 神伊加古夜日女(カムイカコヤヒメノ)命

 今按 山城風土記に賀茂建角身命 娶 丹波國 神野神伊可古夜日女 生子名 玉依日子 次曰 玉依日賣とみえたるを思ふに此神に神野の字を冠らせたるは其鎭座の地名なるべし

祭日
社格

所在
 今按 丹波式社啓蒙云 軽野社在 丹波國桑田郡宮脇村 按神野之轉乎とあり 今之を考るに宮脇村は氏子数十ヶ村にわたり 土人は木梨軽王子を祭ると云ふ 盖 神野の轉に非る也
 或云 同郡宮川村神尾山金輪寺鎭守かと云れど 同寺に其説を傳ふることなし 宮川村の宮川神社は神尾山の麓に鎭座す 此亦古社なり
 又 湯谷嶽の麓 湯谷村に玉依神社あり樹木繁茂 眞に幽邃の古社なり 神前釣燈籠に承安元年辛卯源三位賴政奉之とあり 村老の説に山城加茂明神の分社也と 蓋此社 玉依彦か玉依姫か共に伊可古夜日女の子也 神野神社に所緣ありと云れど 古記の證とすべきものなければ今詳ならず

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

玉依神社(亀岡市東別院町湯谷岳山) (hai)」(90度のお辞儀)

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丹波国 式内社 71座(大5座・小66座)について に戻る

一緒に読む
丹波國 式内社 71座(大5座・小66座)について

丹波国(たんばのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 丹波国には 式内社 71座(大5座・小66座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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