高牟神社(たかむじんじゃ)は 元々は尾張物部氏の武器庫であったと云う 境内に 元古井(もとこい)古井ノ坂の地名の由来となった古井戸〈霊泉〉があり 「むすびの神」を祀る神社で゛古井(こい)の水を飲めば恋が生まれる゛と 縁結びのご利益信仰を集めます 延喜式内社 尾張國 愛智郡 高牟神社(たかむの かみのやしろ)の論社です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
高牟神社(Takamu shrine)
【通称名(Common name)】
・古井之八幡(こいのはちまん)
【鎮座地 (Location) 】
愛知県名古屋市千種区今池1-4-18
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》高皇産靈神(たかみむすびのかみ)
神皇産靈神(かみむすびのかみ)
応神天皇(ほんだわけのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
式内 高牟神社 御由緒略記
鎮座地 名古屋市千種区今池一ノ四ノ十八(千種区元古井一ノ十八)
御祭神 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
神皇産霊神(かみむすびのかみ)
応神天皇(ほんだわけのみこと)御由緒 第十三代 成務天皇(一三一年)の御代の御鎮座にして、第五十六代 清和天皇(八五八年~八七六年)御時 御造営に際し勅して、応神天皇を配祀せしめられる。
延喜式神名帳(九〇一年)愛知郡の部に「高牟神社あり、小社なり」、国内神名帳に「従三位高牟久天神」 参考本国帳に「従三位高牟久天神一本作ニ正四位下高牟久」(古井村号八幡)とあり。
信 仰 造化三神中の二柱で陰陽両面を顕わされた、むすび信仰の神で万物の生成化育発展の生命神と仰ぎ奉るべき最上の祖神様であります。
御祭日 十月十四日(例大祭)十五日(氏子大祭)
現地案内板より
高牟神社由緒
第十三代成務天皇(131)の御代の鎮座にして、第五十六代清和天皇(895)の御時御造営に際し勅して応神天皇を配祀せしめられる。
応神天皇御神像は束帯乗船の香木座像で世に出船八幡とも申され俗に古井八幡と称せられる。
延喜式神名帳(901)愛知郡の部に「高牟神社あり小社なり」国内神名帳に「従三位高牟久天神」
参考本国帳に「従三位高牟神社天神一本作正四位下高牟久(古井村号八幡)」
尾張国式社座地目録に「高牟神社(鳴海庄古井村)」
尾張神名帳集説、参考本国神名帳集説、塵点録には「按姓氏録日、高向朝臣、武内宿祢六世孫、猪子臣之後也、云々私曰、武内宿祢仕応神帝有勲功、故石清水祭之、号上高良、称八幡者、有其故乎」といへり
嘉吉元年(1441)、寛正2年(1461)11月、天文元年(1532)9月、永禄8年(1565)5月、慶長8年(1603)11月等に改造あり。
寛永11年(1634)正月山下大和守氏勝修理を加へ天和3年(1683)9月藩守光義(瑞龍院)修覆せられし以来城南の鎮護として崇敬せられ絶えず修造料を賜はる。
元禄11年(1698)5月、宝永6年(1709)12月、享保7年(1722)4月、寛保元年(1741)寛延3年(1750)9月、宝歴8年(1758)天明6年(1786)8月、弘化4年(1847)2月に各修造御遷宮がありました。
明治初年式内に治定され、同5年5月御社に列せらる。
大正13年4月社務所火災にて焼失す。同年7月本殿、祭文殿、渡殿、楽舎、神饌所内外玉垣等を改築東し、神楽殿、宝庫、社務所を新築大正15年10月13日竣工遷宮祭を行った。
昭和15年県社昇格事業として御本殿(5坪)斎館(30坪)の新築及御拝殿改増築を行ふ。昭和19年県社昇格内定される。※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【由 緒 (History)】
『尾張名所図会』前編 巻5 愛智郡 に記される内容
物部(もののべの)神社は 図の右上田畑の中に 丘のような場所に祀られています
高牟神社本殿の背後に在り 高牟神社の奥宮の如く描かれています
【抜粋意訳】
高牟(たかむの)神社
古井村にあり
成務天皇の御宇に鎮座なり 延喜式に高牟神社 本國帳に従三位高牟天神とあるは此社にて 俗に古井八幡と称す
〇本社〔祭神 高皇産靈(たかみむすびの)尊 清和天皇の勅によりて 應神天皇を合祭れり 毎年正月元日 寅の刻より辰の刻まで開扉あり 御正體は舩に乗りへる神像なり 故に船出八幡とも称す 寛永十一年 山下大和守民勝 修復を加へたり〕
例祭 九月十五日 お相撲あり
神宝 辨慶が書写せしといひ伝えたる大般若経五十巻あり
物部(もののべの)神社
俗に石神堂といふ 建中寺此東南車道の東にあり 自然に地より出たる一巨石(きょせき)の上に社をたてたり 延喜式に愛智郡物部神社 本國帳に従三位物部天神とあるこれなり
祭神 宇摩志麻知(うましまちの)命 古社は荒蕪袁廃せりを 元禄年中 國君祠と重宝し石碑を立させ給へり
【原文参照】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
高牟神社(名古屋市千種区今池)について 式内社の高牟神社とするが 他の説として 御器所村神宮寺〈現 御器所八幡宮(名古屋市昭和区)〉とする説あり と記しています
【抜粋意訳】
〇愛知縣 尾張國 愛知郡千種(チグサ)町
郷社 高牟(タカムノ)神社
祭神 高皇産靈(タカミムスビノ)神
神皇産霊(カミムスビノ)神
應神(オウジン)天皇成務天皇の御宇の創祀なりといふ(張州府志、尾張名所圖會、尾張名勝地志)、清和天皇の御宇 社殿を修造して 応神天皇を合祀す(府志、名所圖會)、一に古井八幡と称す、
社傳によれば 成務天皇の御宇 今の地に鎮座す、始め皇神二神を祭りしが、清和天皇の御宇 勅に依りて 應神天皇を配祀すと見えたり、
古本神名帳には從三位高牟天神とあり(府志)、後水尾天皇 寛永十一年山下大和守民勝 私に修営す(府志、名所圖會)、東山天皇 元禄十二年幕命によりて再建す(府志)、
本國帳に「愛智郡從三位高牟久天神とあるは式の高牟神社に當れりとなすものあり、されど之には異説あることにして、式及び国帳所載の高牟神社は御器所村神宮寺の社なるべし(地名考)といひ、或は本國帳の集説本に古井村八幡と云へるは誤なり、古井は古山田郡地なるべしなど云ひ、式内社なることを疑ふものなり、
明治五年五月郷社に列す。社殿は本殿、拝殿、祭文殿、渡殿、神饌所等を具備し、境内地六百二十三坪(官有地第一種)あり、
御神體は船に乗りたまへる神像なり、されば一に船出八幡ともいふ(名所圖會)、当社には武藏坊弁慶の手になれる大般若経五十巻を藏し、又同人手植松と称するあり、高さ五丈周囲一丈ばかりあり。境内神社 神明社 金刀比羅社
【原文参照】
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・高牟神社 拝殿
・狛犬・神楽殿
・狛犬・授与所
・撫で牛
〈撫で牛の奥に 二つの境内社〉
・高牟龍神社《主》地主神
・北野天神社《主》菅原道眞公
〈六社合殿〉・多賀社・金刀比羅社・厳島社・神明社・白山社・津島社
・厳島社
〈社殿向かって左 三つの境内社〉
・徳義稲荷社《主》倉稲魂命
・祖霊社《主》氏子崇敬者の祖霊
・秋葉社
〈元古井発祥之地〉
・手水舎
古井之八幡 靈泉
昔このあたり尾張物部氏集落の地で常世の草香島と呼ばれ各所に自然の清泉湧出し、当社の境内も往古より滾々として清冷つきることのない古井があり、應神天皇御誕生の砌り、長寿の祝水として産湯にこの靈泉の水を献上したと伝へられる。このゆかり深い古井から元古井の地名が起源している云はれております。
この由緒ある手水舎も昭和丗四年秋の伊勢湾台風で全壊しましたが 心ある方々の御寄進で一早く再建することが出来ましたことは御神徳の尊嚴今更に仰々拝する次第でございますどうぞこの霊水で身も心も清めてむすひの御神徳をお受け下さい 終りに寄進者の御芳名を記し略記と致します
昭和丗五年八月一日
寄進者 ・・・文字判読できず現地案内板より
元古井(もとこい)伝説地
昔、このあたりは常世(とこよ)の草香島(くさかじま)と呼ばれ、あちこちから清泉が湧き出ていたところで、後に井となり、元古井の地名の起こりとなったといわれ、その跡が今も神社の境内に残っている。
また、この付近一帯は、尾張物部(もののべ)氏の集落の一画であったといい、村人たちの武器や農具を納めた倉が、後に高牟(たかむ)神社になったといわれている。
名古屋市教育委員会
現地立札より
・社務所新館
・東門
・南門・蕃塀
・西門
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)愛智郡 17座(大4座・小13座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 高牟神社
[ふ り が な ](たかむの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Takamu no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
尾張國の式内社には 高牟神社(たかむの かみのやしろ)が 春日部郡と愛智郡の二ヶ所に所載されています
延喜式内社 尾張國 春日部郡 高牟神社(たかむの かみのやしろ)の論社について
・高牟神社(名古屋市守山区)
・松原神社(春日井市東山町)
・高田寺白山社(北名古屋市高田寺)
・八所神社(豊山町豊場木戸)
・五社神社(春日井市玉野町)
・勝川天神社(春日井市勝川町)
延喜式内社 尾張國 愛智郡 高牟神社(たかむの かみのやしろ)の論社について
・高牟神社(名古屋市千種区今池)
高牟神社(たかむじんじゃ)は 元々は尾張物部氏の武器庫であったと云う 境内に 元古井(もとこい)古井ノ坂の地名の由来となった古井戸〈霊泉〉があり 「むすびの神」を祀る神社で゛古井(こい)の水を飲めば恋が生まれる゛と 縁結びのご利益信仰を集めます 延喜式内社 尾張國 愛智郡 高牟神社(たかむの かみのやしろ)の論社です
高牟神社(名古屋市千種区今池)〈古井之八幡(こいのはちまん)〉
・高針高牟神社(名古屋市名東区高針)
高牟神社(たかむじんじゃ)は 元々は尾張物部氏の武器庫であり 高牟(たかむ)とは 古代の武器゛鉾゛の美称とされます 高針村の産土神として 江戸時代には應神天皇を祀り八幡社と称していました 昭和26年(1951)高牟神社と改称されました 延喜式内社 尾張國 愛智郡 高牟神社(たかむの かみのやしろ)の論社です
高牟神社(名古屋市名東区高針)〈延喜式内社の論社〉
・御器所八幡宮(名古屋市昭和区)
御器所八幡宮(ごきそ はちまんぐう)は 第54代 仁明天皇の勅願所として熱田社の鬼門を守護するために創建と社伝に云う 御器所(ごきそ)の地名は『吾妻鏡』に この地で熱田社の神事に使う土器を焼いていたことから名付けられたと記述があり 尾張國 愛智郡の二つの式内社〈・高牟神社・物部神社〉の論社となっています
御器所八幡宮(名古屋市昭和区御器所)〈八所大明神〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR中央西線 千種駅から東へ約290m 徒歩4分程度
境内の東南の位置に立つと 右に南入口 左に西入口があります
今 歩いてきたの境内の西側です
西入口から 鳥居をくぐり境内へと進みます
高牟神社(名古屋市千種区今池)に参着
南入口には 鳥居 又社殿の正面になる為 蕃塀があります
元古井(もとこい)伝説地の立札があります
社号標には゛式内 高牟神社゛と刻字あり
境内は正面に社殿があります
向かって左手には境内社が祀られています
拝殿の左手前には 元古井発祥の地 として 霊泉が手水舎となっています
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿に一礼をして 東口から出ます
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 高牟神社について 所在は゛古井庄古井村に在す、今 八幡宮と稱す゛〔出船八幡〕〈現 高牟神社(名古屋市千種区今池)〉と記しています
【抜粋意訳】
高牟神社
高牟は多加武と讀り
〇祭神 高皇産靈尊、〔府志〕
○古井庄古井村に在す、今 八幡宮と稱す、〔集説、府志〕
集説に、高向朝臣祖と考へたるも覚束なし、
〔連胤〕按るに、こは春日部郡なると同神なるべけれど共に知れがたし、類社
當國 春日部郡 高牟神社神位
国内神名帳云、從三位高牟天神、〔一本作に高牟久〕
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 高牟神社について 所在は゛今 鳴海庄 古井村にあり、゛〈現 高牟神社(名古屋市千種区今池)〉と記しています
【抜粋意訳】
高牟(タカムクノ)神社
〔〇按 國内神名帳一本、高牟を高牟久に作る、〕
今 鳴海庄 古井村にあり、
凡 其祭一月五月九月十五日を用ふ、〔國内帳集説、式社考、尾張式社確定記、愛智縣神社調〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 高牟神社について 所在は゛鳴海莊古井村 (愛知郡千種町)゛〈現 高牟神社(名古屋市千種区今池)〉と記しています
【抜粋意訳】
高牟神社
祭神 應神天皇
今按 社傳 祭神 應神天皇一座とし 又 高皇産靈神 神産靈神 應神天皇とあり この高皇産靈神は社號の高牟と云によりて云出たる説なるべければ信がたし 其は國内神名帳に高牟久天神ともあれば 高皇産靈神に非ること明けし 神産靈神は産靈神を並べ挙たるにて意義なし かくて思ふに高牟久は こむくにて高牟をも こむくとよみしなるべく 書紀に應神天皇の皇女 澇來田(コムクタ)皇女とあるを 古事記に高目(コムク)郎女とあるに巾ありて 應神天皇を祭りし社なるを高牟と云によりて 後人の産靈神二座を祭る由云そめつるなるべし 故今 應神天皇と云ふ説によりて記せり
祭日 一月五月九月並十五日
社格 郷社所在 鳴海莊古井村 (愛知郡千種町)
【原文参照】
高牟神社(名古屋市千種区今池)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
尾張国 式内社 121座(大8座・小113座)について に戻る
尾張国(おわりのくに・をはりのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 尾張国には 121座(大8座・小113座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
尾張國 式内社 121座(大8座・小113座)について