高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)は 『六国史』に承和二年(835)熱田の御子神〈日割御子(ひさきのみこの)神・孫若御子(ひこわかみこの)神・高座結御子(たかくらむすひのみこの)神〉三前が並んで 名神を授ったと記される 延喜式内社 尾張國 愛智郡 髙座結御子神社(名神大)(たかくらむすひみこの かみのやしろ)です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
高座結御子神社(Takakura musubimiko shrine)
【通称名(Common name)】
・高座さん(たかくらさん)
【鎮座地 (Location) 】
愛知県名古屋市熱田区高蔵町9-9
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》高倉下命(たかくらじのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・子育て・無病息災の神様
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・ 熱田神宮 摂社
【創 建 (Beginning of history)】
高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)
祭神 高倉下命(たかくらじのみこと)
高倉下命は 天孫降臨の折に 天磐船に乗って 天下った
饒速日命(にぎはやひのみこと)の御子で 豊かな穀物の貯蔵を司る 神さまともいわれる 鎮座は本宮の熱田神宮とほぼ同時期で千九百年の歴史を持つ 過去の造営には 織田信長や蜂須賀家政等の地元大名の 協力が残されている 現在の社殿は 昭和三十八年五月に竣功した
例祭は六月一日で 子供を健やかに育ててくださる神さまとして 信仰が厚く「手育ての神」と称され 多くの方々が子供を伴って参拝する この日御井社の井戸を覗かせると「虫封じ」になるという 特殊な信仰が伝承され 俗に「高座の井戸のぞき」としで有名である
境内には左記の四末社か鎮座する
鉾取社(ほことりしゃ)祭神 鉾取神(ほことりのかみ)
新宮社(しんぐうしゃ)祭神 素戔嗚尊(すさのおのみこと)
御井社(みいしゃ) 祭神 御井神(みいのかみ)
稲荷社(いなりしゃ) 祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)現地案内板より
【由 緒 (History)】
高座結御子(たかくらむすびみこ)神社
俗に高蔵の森、高座さまといわれ、子育ての神として信仰を集めている。
祭神は高倉下命(たかくらじのみこと)を祀る熱田神宮の摂社で延喜式内社である。
社伝によれば、織田信長が本殿を造営し、のちに蜂須賀氏が修造を加えたとある。
末社である御井社の「高座井戸のぞき」の神事は、毎年六月一日に行われ、子供の虫封じに霊験があるとして評判が高い。
名古屋市教育委員会
現地立札より
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・本殿
・拝殿
・鉾取社(ほことりしゃ)《主》鉾取神(ほことりのかみ)
〈社殿向かって 右手前の境内社〉
・新宮社(しんぐうしゃ)《主》素戔嗚尊(すさのおのみこと)
・社務所・授与所
・御井社(みいしゃ)《主》御井神(みいのかみ)
井戸のぞき
昔々天皇様の娘様がお病気になられた時、稲妻と共に天から一匹の龍が現れて姫様をその身に包みました。
龍が身体を離すと見事に姫様の病気は治り、元気を取り戻されました。
喜んだ天皇様が「ほうびは何が良い?」と龍にお尋ねになると、龍は「どこかわたしの住める場所を下さい」と答えられ、天へと帰っていかれました。
天皇様が皆と相談したところ「高蔵の森に社を建てて、そこに井戸を掘り、龍を呼ぶ事にしよう」ということになりました。
その井戸に龍は住まいを移され、それ以降龍が住む井戸をのぞくと子供は病気にかからないといわれるようになりました。
現地案内文より
高座神社の「子預け」について
高座さんは「子育ての神様」として有名で、子預け虫封じの厚い信仰があり、高歴の「井戸のぞき」として広く知られております。子預け祈願とは可愛いい幼児の無事成育と虫封じとをお祈りして十五才まで神様にお預けし、お守りをいただき、満期(十五才)になったら御礼参りをするという信仰です。
当神社では現在五万人余のお預かりしたお子さまの名を台帳に登録して 毎月一日、無事成育の祈願祭を執り行っております。またこの期間は、神様にお預けした子供ですから、頭をたたいてはいけないとも云われています。
このように可愛いい子供の無事成育を願ううるわしい信仰と伝統を末長く守りつづけて行きたいと存じております。
現地案内板より
・手水舎
・高蔵貝塚
高蔵貝塚(たかくらかいづか)
明治の末年、この地から東の大津通の改修工事の折に、一大貝塚が発見された。弥生土器や石器ならびに大量の貝、複数の獣骨が確認でき、弥生時代から鎌倉時代までの遺構、遺物により往時の生活状況が立証された。尾張地方の代表的な弥生遺跡として有名である。
現地立札より
・御神木 クスノキ
・高座稲荷社(いなりしゃ)《主》宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
〈太閤出世稲荷〉
末社 稲荷社(太閤出世稲荷)
御祭神
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)宇迦(うか)は 食(うけ)と同じ意味で食物の意味。五穀・食物を司る神様です。
多くの稲荷神社の御祭神となっています。祭典日
稲荷社祭 初午(うま)の日 午前十時
高座稲荷講社春季大祭 旧初午の日 午後一時
高座稲荷講社秋季大祭 十一月八日 午後一時御神徳
当社は太閤秀吉公が幼き頃、母に手をひかれお参りされたとの言い伝えから、「太閤出世稲荷」と称され、古くから立身出世・商売繁盛のお稲荷さまとして篤い信仰をうけ、ご神威にあやかろうとする方々のお参りが絶えません。特に春と秋に執り行われる高座稲荷講社大祭には、境内は終日賑わいを呈します。高座稲荷講社
当社へ格別の念を寄せられる方々によって、昭和二十五年「高座稲荷講社」が組織され、神徳の宣揚と社運の隆昌とを図るため活動をしています。
○ご崇敬の誠を表す、朱鳥居の奉納・幟の奉納・高座稲荷講社への入構のご希望がございましたら、社務所までお申し出ください。現地案内板より
・西参道の鳥居
・表参道の鳥居
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
高座結御子神社は 熱田神宮の境外 摂社です
熱田神宮は 別記事を参照ください
・熱田神宮(名古屋市熱田区神宮)〈延喜式内社 名神大社〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式・風土記など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ
記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『續日本後紀(Shoku nihon koki)〈貞観11年(869)完成〉』に記される伝承
熱田の御子神 三前が並んで 名神を授っています
【抜粋意訳】
承和二年(八三五)十二月壬午〈十二〉
○壬午
尾張國
日割御子(ひさきのみこの)神
孫若御子(ひこわかみこの)神
高座結御子(たかくらむすひのみこの)神
惣て 三前を奉て預れむ名神に 並に熱田ノ大神の御兒神(みこのかみ)也(なり)
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭(Meijin sai)」の条 285座
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
延喜式巻第3は『臨時祭』〈・遷宮・天皇の即位や行幸・国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で『名神祭(Meijin sai)』の条には 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています
名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています
【抜粋意訳】
巻3神祇 臨時祭 名神祭二百八十五座
園神社一座 韓神社二座〈已上坐宮内省〉
・・・
・・・
・・・
・・・大神「神」社一座〈或大作多、〉 真墨田神社一座 大県神社一座 熱田神社一座 日割御子神社一座 孫若御子神社一座 髙座結御子神社一座〈已上尾張国〉
・・・座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合〉加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える
【原文参照】
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)愛智郡 17座(大4座・小13座)
[名神大 大 小] 式内名神大社
[旧 神社 名称 ] 髙座結御子神社(名神大)
[ふ り が な ](たかくらむすひみこの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Takakura musuhi miko no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
熱田神宮の摂社・末社について
熱田神宮
・境内には 本宮をはじめ・別宮1社・摂社8社・末社19社が祀られ
・境外には ・摂社4社・末社12社が祀られ
すべてあわせて45の社をお祀りしています
・熱田神宮の摂社・末社について
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
地下鉄 名城線 西高蔵駅から 西へ約170m 徒歩2~3分程度
西参道の入口に 鳥居が建ちます
高座結御子神社(名古屋市熱田区高蔵町)に参着
社号標には゛熱田神宮摂社 式内名神大社 高座結御子神社゛と刻字されています
一礼をしてから鳥居をくぐり 参道へと進みます
参道を進むと 左手に゛高座稲荷大神゛の幟旗が立ち並んでいます
正面には 手水舎が見えています
高座稲荷社の社頭です
立ち並ぶ 稲荷鳥居をくぐり抜けていきます
境内社ながら 実に立派な拝殿が建ちます
太閤秀吉公の出世稲荷とのことで 信仰が篤いと云われています
お参りをして 入ってきた方向とは 別のもう一方の鳥居を戻ります
こちらの参道を進むと 高座結御子神社の拝殿のすぐ左手前に出ます
こちらの参道入口にも 立派な鳥居が構え扁額には゛高座稲荷社゛と記されています 鳥居の脇には 境内社の゛新宮社゛が祀られています
手水舎は 表参道の鳥居脇にありますので 一度 手水舎に戻ります
手水舎で清め 境内を振り返ると 左手の手前には 境内社゛御井社゛その隣に゛社務所゛先程 境内に入ってきた稲荷社からの参道があります
正面には 拝殿が建ちます
境内の右手には゛手水舎゛の隣に゛高蔵貝塚゛ 拝殿の右手前には境内社゛鉾取社゛が祀られています
社務所には 主な祭典が掲示されています
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の向かって右手には゛御神木゛があり 案内板には「本殿裏から参拝 入口」と矢印が示されています
まず 御神木に祈りを捧げます
本殿の透塀の脇を裏手に抜けて行きます
ちょうど本殿の真裏に拝所が設けられています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
本殿の透塀の脇を廻りながら 境内へと戻ります
社殿に一礼をして 境内を戻ります
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 高座結御子神社 名神大について 所載は゛千竃庄 機綾(ハタヤ)村に在す、゛〈現 高座結御子神社(名古屋市熱田区高蔵町)〉と記しています
祭神については ゛仲哀天皇゛だが 高倉下命が夢に見た 韴霊(フツミタマ)劔と云う説も考えるべきである とも記しています
【抜粋意訳】
高座結御子神社 名神大
高座結は 多加久良牟須毘と訓べし、御子は 前に同じ、
○祭神 仲哀天皇、〔頭注、社傳〕
〇千竃庄 機綾(ハタヤ)村に在す、〔集説〕
○式三、〔臨時祭〕名神祭二百八十五座、〔中略〕尾張国 高座結御子神社一座、〇頭注云、日本武第二子 仲哀天皇也、
考証に、舊事紀云、高倉下命 夢 韴霊(フツミタマ)當 置に汝庫裏、祝之有劒、取而献焉、按、高倉下命 尾張氏祖也、韴霊(フツミタマ)石上大神也、御子者非謂に継嗣、此族類之神也、諸社其例多、と云るは考へ証すベし、
神位
國内神名帳云、從二位 高座結御子明神、名神
續日本後紀、承和二年十二月壬午、尾張國 高座結御子神、預に名神、熱田大神御児神也、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 高座結御子神社 名神大について 所載は゛大宮を去る十町北、機綾村にあり、゛〈現 高座結御子神社(名古屋市熱田区高蔵町)〉と記しています
祭神については ゛熱田大神の御子神也、゛と記しています
【抜粋意訳】
髙座結御子(タカクラムスビミコノ)神社
今 大宮を去る十町北、機綾村にあり、〔國内帳集説、海邦名勝志、神名帳考証、張州府志、〕
熱田大神の御子神也、
仁明天皇 承和二年十二月壬午、名神に預り、〔續日本後紀〕
醍醐天皇 延喜の制、名神大社に列る、〔延喜式〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 高座結御子神社 名神大について 所載は゛熱田大宮 北十町幡綾村、゛〈現 高座結御子神社(名古屋市熱田区高蔵町)〉と記しています
【抜粋意訳】
髙座結御子(タカクラムスビミコノ)神社 名神大
祭神 足仲彦(タラシナカツヒコノ)天皇
名神 仁明天皇 承和二年十二月壬午 尾張國 高座結御子神 預に名神 熱田大神御児神也
祭日 二月上未日 十一月上卯辰日
社格 (明細帳になし)所在 熱田大宮 北十町幡綾村
【原文参照】
高座結御子神社(名古屋市熱田区高蔵町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
尾張国 式内社 121座(大8座・小113座)について に戻る
尾張国(おわりのくに・をはりのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 尾張国には 121座(大8座・小113座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
尾張國 式内社 121座(大8座・小113座)について