鷹居神社(たかいじんじゃ)は 和銅3年(710)に八幡神〈応神天皇〉の御神霊を祀る祠が 初めて造営された地です 八幡神の御神霊は 欽明天皇29年(571)宇佐の亀山(小椋山)に出現されてから 当地「鷹居山」に鎮座されて その後 「小山田」を経て 現在の「小倉山(宇佐神宮)」に遷座されて 現在に至ると伝わっています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(shrine name)】
鷹居神社(takai shrine)
(たかいじんじゃ)
[通称名(Common name)]
鷹居八幡神社
【鎮座地 (location) 】
大分県宇佐市上田字1435
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》応神天皇(ojin tenno)
仲哀天皇(chuai tenno)
神功皇后(jingu kogo)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・宇佐神宮行幸会 境外8摂社
【創 建 (Beginning of history)】
鷹居公園内の鷹居神社の歴史
和銅元年(708)、八幡神は鷹の姿となって駅館川のほとりの松の木に現れました。このため、大神比義と辛島勝乙目(からしまの すぐりおとめ)が神殿を建てお祭りしました。本公園はかつての高居社の境内としての重要な歴史を有しています。
宇佐市役所 都市整備課公園緑化係案内板より
【由 緒 (history)】
由 緒
応神天皇の神霊は 元明天皇 和銅3年(710)の御出顕で、御父仲哀天皇、御母神功皇后の神霊は後に合わせ祭るとある。
応神天皇の御神霊を八幡大神と称し奉るは、人皇30代欽明天皇の御宇29年(568)豊前国宇佐郡宇佐の亀山(小椋山・菱形山)の麓に三才の小児とあらわれ「吾れは応神天皇の神霊 広幡八幡麻呂なり」と大神比義に諭された。
その後、神殿を造営するにあたり、人皇43代元明天皇和銅3年(710)この鷹居山に三歳の小児が鷹となって飛来し、再度大神比義に諭された。
比義は朝廷に社殿のご造営を奏され、ここに八幡大神の神霊を祀る最初の霊地「やしろ」が造営された。
霊亀2年(716)この官道(国道)は人の往来が激しいので 小山田の林に移りたいとの託宣により、小山田社に移祀され、また、この小山田社も境内がせまいので、小椋山に移りたいとして、神亀2年(725)、現在の宇佐神宮へ移祀された。
以後、この鷹居社、小山田社の二社は江戸末期まで宇佐神宮の摂社として存続したが、明治維新以後、各神社は地域住民の鎮守のヤシロとされた。
平成16年3月 宇佐市商工会議所 観光部会 部会長 賀来聖壱 他部会員
一同社頭の案内石板より
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
「宇佐八幡 行幸会(gyokoe)」について
行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています
「行幸会(gyokoe)」の行幸順は 次のように伝わります
宇佐八幡→①田笛社→②鷹居社→③郡瀬社→④泉社→⑤乙咩社→⑥大根川社→(薦神社)→⑦妻垣社→⑧小山田社→宇佐八幡
かつては 宇佐八幡の境外8摂社とされていました
詳しくは「宇佐八幡 行幸会(gyokoe)」について の記事をご覧ください
行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています
「宇佐八幡(Usahachiman) 行幸会(gyokoe)」について
神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
宇佐駅から R10号経由 約6.2km 車15分ほど
国道10号線沿いに 民家に挟まれて鳥居が建ちます
その先には 田の畦道のような参道が続きます 駅館川の右岸(東岸)に鎮座します
鷹居神社(takai shrine)に到着
社号標には「鷹居八幡神社」とあります
境内は平地で 公園化してあります
古墳のような盛り土の上には 地藏尊がたたずみ手を合わせます
そのまま進むと 正面に社殿が見えてきます
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
本殿は覆屋で囲われてわかりません
社頭の社号標に戻り 一礼して 境内を後にします
神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『八幡宇佐宮御託宣集(hachiman usanomiya gotakusenshu)』に記される「鷹居瀬社」の伝承
「鷹居瀬社(takaise no yashiro)」とは
昔 八幡大神が
鷹の姿となって瀬を渡り 東岸の「鷹居」の松に居て
空を飛んで 西岸の「郡瀨」の地におりたので 駅館川(yakkan gawa)の東岸に鎮座する「鷹居社」(鷹居神社)と西岸に鎮座する「郡瀬社」(郡瀬神社)の2つの神社を合わせて「鷹居瀬社」(takaise no yashiro)と伝わります
これは 辛島氏と大神氏が 居住区を分けていた駅館川(yakkan gawa)の両岸に 両氏各々が 八幡神を祀った経緯として捉えられていて
「鷹居神社」では 辛島勝乙目(karashimano suguriotome)が大神比義(oga no higi)と神殿を祀ったとありますので 大神氏による辛嶋氏の服従化・協力化が進んで 合同祭祀が開始したと考えられます
【原文】
自利其至流鷹居 云々 次 郡瀨 云々 自利其至流郡瀨 云々
此兩所者 有宇佐郡大河 化鷹渡瀨居東岸之松 又飛空遊西岸之地 故云鷹居瀨社 斯鷹是大御神之變也 大神比義祀祈顯之 立祠致祭也意訳
「 それより鷹居(takai)に至ります うんぬん
次 郡瀨(konose)うんぬん
「それより郡瀨に至ります」うんぬんこの両所(futa tokoro)は 宇佐郡(usa no kohori)の大河にあります
鷹に代って 瀨を渡り東の岸の松に居ましたまた空を飛び 西岸の地に遊す
故に 鷹居瀨社(takaise no yashiro)と云います
この鷹は これ大御神の変(kawari)なり 大神比義(ohoga no higi)祈り奉り これを顯(araha)す 祠を立て 祭を致すなり 」
八幡神(応神天皇)の御神霊を初めて祀る祠として 造営[和銅3年(710)]された地とされています
鷹居神社(takai shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
宇佐神宮の記事もご覧ください
宇佐神宮(うさじんぐう)は 全国4万社余りの八幡社の総本宮です 豊前国一之宮でもあります 神亀2年(725)創建以来 皇室から「伊勢神宮」につぐ「第二の宗廟(sobyo)」としての崇敬を受けています 信仰の地となってから約1300年 境内に足を踏み入れれば 日本の息吹が伝わります
宇佐神宮(宇佐市南宇佐)
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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています
「宇佐八幡(Usahachiman) 行幸会(gyokoe)」について