実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

船守神社(出雲市塩津町)

船守神社(ふなもりじんじゃ)は 出雲国風土記「宇美社(うみのやしろ)」・延喜式内社「宇美神社(うみのかみのやしろ)」とされる「石上神社(出雲市塩津町)明治四年(1871)に合祀した神社です

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

船守神社Funamori shrine

 [通称名(Common name)]

八王子大権現(はちおうじだいごんげん)

【鎮座地 (Location) 

島根県出雲市塩津町

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》國狭槌命(クニノサヅチノ ミコト)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

航海の安全・豊漁等

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社の一時合祀先

【創  (Beginning of history)】

創建年代不詳

【由  (History)】

船守神社

祭神 國狭槌命(クニノサヅチノ ミコト)

御由緒ノ沿革

旧社名 八王子大権現
御祭神 八王子大明神

明治四年 船守神社と改名され 御祭神も國狭槌命に改められる
古来より船玉(船霊)と称され 航海の安全・豊漁等、海の神
として奉斎されている
古い棟札として室町期 天文二年(1535年)の棟札が現存する

境内社
木野山社 御祭神 大山祇尊 豊玉彦命 大己貴命
荒神社  御祭神 須佐之男命

平成十五年十一月吉祥建立

境内案内石板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

木野山社《主》大山祇尊 豊玉彦命 大己貴命

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・荒神社《主》須佐之男命

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

出雲国風土記「宇美社」・延喜式内社「宇美神社」とされる「石上神社(出雲市塩津町)明治四年(1871)に合祀した神社です

石上神社(出雲市塩津町)は 明治四年(1871)「船守神社合祀されから 現在地に再度遷座しています

・石上神社

一緒に読む
石上神社(出雲市塩津町)

石上神社(いしがみじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡 神祇官社「宇美社 (うみ)のやしろ」とされています 本来の御祭神は「海童(カイドウ)=和田津見命(ワタツミノミコト)」とされ ご神体の「石」から「いしがみさま」と呼ばれていました

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出雲風土記(izumo no kuni fudoki)733 AD.所載の楯縫郡 神祇官社「宇美社 (うみ)のやしろ」の論社は 二ヶ所ありもう一社は

・宇美神社

一緒に読む
宇美神社(出雲市平田町)

宇美神社(うみじんじゃ)は 熊野社に天正十六年(1588)に諸社を合祀し熊野権現社となり 合祀社の一つに式内社の論社〈廻大明神〉があって『雲陽志1835AD.』には 布都御魂命(ふつみたまのみこと)を祀る所の迫大明神(さこだいみょうじん)「風土記に沼田郷 宇美社というは この社なり」と記されます

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

雲州平田駅から 県道232号と23号経由で 北上 日本海に面する塩津漁港を目指します 約10.5km 車20分程度

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塩津漁港が見えてきたら そのまま進むと漁港を見下ろす高台に鎮座します
船守神社(出雲市塩津町)に参着

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一礼をして 鳥居をくぐります 扁額には「船守神社」とあります 高台にあるので 海風を防ぐために 海側は分厚いコンクリートの擁壁で守られています

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拝殿にすすみますと社殿内の木製扁額には「船守神社」

賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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本殿の奥 左右に鎮座する境内社にお参りをして 境内を戻ります

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鳥居の先には 穏やかな塩津漁港を眺めながら 振り返り一礼

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『雲陽志(unyo shi)1835AD.』楯縫郡 塩津 にある伝承

『雲陽志(unyo shi)では

八王子と記され
國狭槌尊なり
 本社四尺と五尺 西向き 拝殿一間半と二間
 祭礼 正月十四日 神田植 九月九日神祭あり
 天文四年 建立の棟札を考えて 百七八十年以前の事なり」と記しています

『原文』参照

※『雲陽志(unyo shi)』[黒沢長尚著]天保6 [1835]国立公文書館デジタルアーカイブ『雲陽志』写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002424&ID=&TYPE=&NO=画像利用

船守神社(出雲市塩津町)に (hai)」(90度のお辞儀)

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石上神社(出雲市塩津町)へ向かいます

一緒に読む
石上神社(出雲市塩津町)

石上神社(いしがみじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡 神祇官社「宇美社 (うみ)のやしろ」とされています 本来の御祭神は「海童(カイドウ)=和田津見命(ワタツミノミコト)」とされ ご神体の「石」から「いしがみさま」と呼ばれていました

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