駿河国(するかのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 駿河国の 22座(大1座・小21座)の神社です
駿河國(するかのくに)について
駿河国(Surukanokuni)は 令制国の一つ〈東海道に属する〉
現在の・静岡県中部・北東部(大井川以東)
645年 大化改新の前には
珠流河(するか)国(富士川以東)〈珠流河国造(するかのくにのみやつこ)〉
廬原(いほはら)国(富士川以西)〈廬原国造(いほはらのくにのみやつこ)〉
伊豆(いつ)国の3国があった
645年 大化改新による国郡制の施行により
3国が 統合されて駿河国(するかのくに)となる
680年(天武天皇9)伊豆国が分立し 駿河国の範囲が決まる
天正(てんしょう)10年(1582)
徳川家康(とくがわいえやす)公が 領有し江戸幕府成立後 駿府(すんぷ)城に隠居する
江戸幕府は 駿府(すんぷ)城代を置く 同時に数藩を併置 幕末に至る
慶応3年(1867)将軍 徳川慶喜公が 大政奉還を行ない 徳川氏の家督を徳川家達に相続 駿府 70万石に封じる
明治2年(1869)静岡藩が置かれ
明治4年(1871)7月 廃藩置県 静岡県となる
駿河国(するかのくに) 22座(大1座・小21座)
大社1座は 1社〈大社1社は 名神大社〉
小社21座は 21社
計22座は 22社
※座は神の柱数 社は神社数
郡として 6郡〈延喜式の当時〉
・益頭(ましつ)郡・有度(うど)郡・安倍(あべ)郡・廬原(いはら)郡・富士(ふじ)郡・駿河(するが)郡
益頭郡(ましづの こおり) 4座(並小)の論社について
神神社(みわの かみのやしろ)
・神神社(岡部町三輪)
飽波神社(あくはの かみのやしろ)
・飽波神社(藤枝市藤枝)
飽波神社(あくなみじんじゃ)は 社伝によれば 第16代 仁徳天皇6年(318)10月の創建と伝わり 志太平野で最古の神社で 飽波郷一円の鎮守とされています かつて岡出山の山裾の小石の周りから清水が湧き出て諸病に霊験があったと伝えられて 川関大明神と称せられています
飽波神社(藤枝市藤枝)
・高草山大権現(藤枝市岡部町)〈旧鎮座地〉
那閉神社(なへの かみのやしろ)
・那閉神社(焼津市浜当目)
焼津神社(やきつの かみのやしろ)
・焼津神社(焼津市焼津)
有度郡(うどの こおり) 3座(並小)の論社について
伊河麻神社(いかま かみのやしろ)
・伊河麻神社(静岡市駿河区稲川)
池田神社(いけたの かみのやしろ)
・池田神社(静岡市駿河区池田)
草薙神社(くさなきの かみのやしろ)
・古宮(静岡市清水区草薙)
〈草薙神社 創建の地〉
古宮(ふるみや)は 第12代 景行天皇が 日本武尊を偲び 草を薙ぎ払った゛天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)゛を御霊代として草薙剣(くさなぎのつるぎ)呼び この地に社を建てた草薙神社 創建の地です 故にこの辺りを天皇原(てんのうばら)と云い その後現座地に遷座したと伝わります
古宮(静岡市清水区草薙)〈草薙神社 創建の地〉
・草薙神社(静岡市清水区草薙)
草薙神社(くさなぎじんじゃ)は 日本武尊が天叢雲の剣で草を薙ぎ払い野火を止めた草薙剣(くさなぎのつるぎ)〈三種の神器〉故事ゆかりの地です 社伝によれば 景行天皇が天皇53年(123)当地に日本武尊の霊を奉斎〈御神体として草薙剣を奉納〉したのが創建と云う この草薙剣は 朱鳥元年(686)天武天皇の勅命により熱田神宮に移されたとも伝えています
草薙神社(静岡市清水区草薙)
安倍郡(あべの こおり) 7座(並小)の論社について
足坏神社(あしつきの かみのやしろ)
・足坏神社(静岡市葵区足久保奥組)
神部神社(かむへの かみのやしろ)
・静岡浅間神社(静岡市)
静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)は 神部神社・淺間神社・大歳御祖神社の3つの本社と4つの境内社を総称して 静岡浅間神社(通称 おせんげんさま)と言い 古くから駿河国総社として崇敬を受けています 徳川家康公(幼名 竹千代)が 元服式を行ったので 幕府の崇敬が厚く 現在の社殿は 江戸時代に60年の歳月をかけて再建され 総漆塗り極彩色の豪壮華麗な建築群で 大拝殿の高さは25mの大建築物です 社殿26棟の全てが国の重要文化財に指定されています
静岡浅間神社(静岡市)
建穂神社(たけほの かみのやしろ)
・建穂神社(静岡市葵区建穂)
建穂神社(たきょうじんじゃ)は かつて隣村の服織(はとり)〈現 静岡市葵区羽鳥(はとり)〉の「木枯森(コガラシノモリ)」の辺りに 境内を構えていたとされます この羽鳥(ハトリ)の地名は 機織(ハトリorハタオリ)の秦氏(ハタ ウジ)から発祥しています 駿府の「秦氏(Hata uji)」の拠点であったところです
建穂神社(静岡市葵区建穂)〈延喜式内社 建穂神社の論社〉
中津神社(なかつの かみのやしろ)
・住吉神社(静岡市葵区一番町)
・伊勢神明宮神社(静岡市駿河区向敷地)
・元 舟山神社境内碑(静岡市駿河区弥勒)
小梳神社(をけつの かみのやしろ)
・小梳神社(静岡市葵区紺屋町)
白澤神社(しらさはの かみのやしろ)
・白澤神社(静岡市葵区牛妻)
大歳御祖神社(おほとしみおやの かみのやしろ)
・静岡浅間神社(静岡市)
静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)は 神部神社・淺間神社・大歳御祖神社の3つの本社と4つの境内社を総称して 静岡浅間神社(通称 おせんげんさま)と言い 古くから駿河国総社として崇敬を受けています 徳川家康公(幼名 竹千代)が 元服式を行ったので 幕府の崇敬が厚く 現在の社殿は 江戸時代に60年の歳月をかけて再建され 総漆塗り極彩色の豪壮華麗な建築群で 大拝殿の高さは25mの大建築物です 社殿26棟の全てが国の重要文化財に指定されています
静岡浅間神社(静岡市)
・別雷神社(静岡市)
廬原郡(いほはらの こおり) 3座(並小)の論社について
御穂神社(みほの かみのやしろ)
・御穗神社(静岡市清水区三保)
御穗神社(みほじんじゃ)は 世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の内『芸術の源泉』としての構成資産゛三保松原(みほのまつばら)゛に含まれます その創建は古く〈927年12月編纂〉『延喜式神名帳』所載 駿河國 廬原郡 御穂神社(みほの かみのやしろ)です 「羽衣伝説」ゆかりの社としても名高く 朝野の崇敬をあつめてきました
御穗神社(静岡市清水区三保)〈駿河国三之宮〉
久佐奈岐神社(くさなきの かみのやしろ)
・久佐奈岐神社(静岡市清水区山切)
久佐奈岐神社(くさなぎじんじゃ)は 日本武尊が東征の途中この地に本宮を設けた旧蹟の地と云い 功績のあった副将軍の吉備武彦命が 後に廬原の国を賜った時に この地に尊を祀り社殿を造営 創祀した 又 日本武尊の東征に随伴の九万八千の諸神を祭祀奉る所として゛九萬八千社゛とも云い 古くは九万八千の幣帛を奉り 昭和までは九十八本の幣帛を奉っていたと社傳に云う
久佐奈岐神社(静岡市清水区山切)
豊積神社(ほつみの かみのやしろ)
・豐積神社(由比町屋原)
・豐由氣神社(静岡市清水区庵原町)
富士郡(ふしの こおり) 3座(大1座・小2座)の論社について
倭文神社(しとりの かみのやしろ)
・倭文神社(富士宮市星山)
倭文神社(しどりじんじゃ)は 古代 布織技術を誇った倭文氏が 祖神 健羽雷神(たけはつちのかみ)〈織物の神〉を祀った『延喜式神名帳927 AD.』所載の 駿河国 富士郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)とされます 又 鎮座地の星山は 星神として君臨して居た香々背男との関連も示唆し 常世国神(とこよのかみ)を奉じて大和朝廷に反した大生部 多(おおうべ の おお)〈不尽河〈富士川〉の辺に住む人〉の伝承にも通じています
倭文神社(富士宮市星山)
淺間神社(名神大)(あさまの かみのやしろ)
・富士山本宮浅間大社(富士宮市宮町)駿河国一之宮
富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は 第7代 孝霊天皇の時 富士山の噴火で国内が荒れ果てた この山霊を鎮祭する為 第11代 垂仁天皇が 浅間大神を山足の地に祀ったのが創祀 第12代 景行天皇の時には 日本武尊が 山宮の地に大神を祀り 大同元年(806)には 坂上田村麿が勅命に依り 社殿を現在の大宮の地に造営し 神霊を遷座した東海最古の名社です
富士山本宮浅間大社(富士宮市宮町)
・〈奥宮〉富士山本宮浅間大社 奥宮(富士山頂上)
富士山頂上 浅間大社 奥宮(ふじさんちょうじょう せんげんたいしゃ おくみや)は 元は富士山興法寺〈現 村山浅間神社〉の大日堂「表大日」・富士山頂上 久須志神社は(ふじさんちょうじょう くすしじんじゃ)は 元は須走浅間神社の薬師堂「裏薬師」でした どちらも明治の神仏分離令により仏像が取り除かれ 富士山浅間大社の奥宮として管理されることになりました
富士山頂上 浅間大社 奥宮 & 富士山頂上 久須志神社
・〈元宮〉山宮浅間神社(富士宮市山宮)
山宮浅間神社(やまみやせんげんじんじゃ)は 第11代 垂仁天皇の時 山足の地〈山麓全体〉に祀られた浅間大神を 第12代 景行天皇の時 日本武尊が 当地 山宮の地に 磐境を設けて大神を祀り 大同元年(806)坂上田村麿が勅命により 現在の富士山本宮浅間大社の地に社殿を造営し 遷座した富士山の山宮斎場の元宮です 今でも本殿はなく 溶岩を用いた石列が原始的な祭祀形態を留めています
山宮浅間神社(富士宮市山宮)
富知神社(ふぢの かみのやしろ)
・富知神社(富士宮市朝日町)
富知神社(ふくちじんじゃ)は 第五代 孝昭天皇二年〈BC474年〉の御世 富士山の神〈水神・農耕神〉が祀られたのが始まりとされ 当初の社地は 現在の富士山本宮浅間大社の鎮座地 大宮であったが 大同元年(806)平城天皇の勅命で坂上田村麻呂が社殿を造営し 浅間大神〈火神〉が遷座し祀られた為 富知神社は 現在地 立宿の地に遷し奉られたと伝えます
富知神社(富士宮市朝日町)
・富知六所浅間神社(富士市浅間本町)
富知六所浅間神社(ふじろくしょせんげんじんじゃ)は 創建年は不詳ながら第五代 孝昭天皇の御宇と伝えられ 大同5年(806)浅間五社を勧請するにあたり当神社を首座と定めた 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 駿河国 富士郡 富知神社(ふぢの かみのやしろ)の論社でもあります
富知六所浅間神社(富士市浅間本町)
駿河郡(するかの こおり) 2座(並小)の論社について
丸子神社(まろこの かみのやしろ)
・丸子神社 浅間神社(沼津市浅間町)
・丸子神社〈旧社地〉(沼津市本)
・二岡神社(御殿場市東田中)
桃澤神社(ももさはの かみのやしろ)
・桃澤神社(長泉町元長窪)
・桃澤神社 下宮(沼津市青野)
・桃澤神社 中宮〈愛鷹明神〉(沼津市宮本)
・桃澤神社 奧宮〈愛鷹明神〉(沼津市宮本)
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『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました このページは
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「東海道」に鎮座する(731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679)神社の一覧表です