実践和學 Cultural Japan heritage

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菅田神社(近江八幡市中小森町)〈菅田首が 祖神〈天目一命〉を祀る 延喜式内社〉

菅田神社(すげたじんじゃは 御祭神は 天津日子根命の御子 鍛冶屋の祖とも伝えられている天目一命(あめのまひとつのみこと)です 古代には この子孫である蒲生稲置や菅田首が 神〈天目一命〉を祀り 蒲生平野一帯治めていたとされます 延喜式内社 近江國 蒲生郡 菅田神社(すかたの かみのやしろ)の論社です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

菅田神社(Sugeta shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

滋賀県近江八幡市中小森町1207

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天目一命(あめのまひとつのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

社歴略掲 式内 菅田神社

祭神
 天目一命(あめのまひとつのみこと)

由緒

 当社は延喜式神明帳に列する名神であります

創設は 人皇五十 桓武天皇 延暦と十三年爾来 日野川の洪水 或は兵火の災禍にあい 歴史の流れとともに変遷はあった

 古事記にみえる天津日子根命の御子が天目一命であります この方の子孫の蒲生稲置や菅田首が 蒲生平野一帯を治めていた
 和名抄にみえる桐原郷は菅田首が治めていたので その祖先の天目一命を祖神として広くこの地域の人々が敬仰し 氏神として今日に至っているのであります

  祭神は 鍛冶屋の祖とも伝えられていることは 新しい技術を導入しこの地域の開発に後見された所以であります

境内石碑文より

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【由  (History)】

菅田(スゲタ)神社

御祭神 天目一命

御神紋 三ッ巴

御由緒

 当地に鎮座する延喜式神名帳に記載される名神であり、姓氏録、古事記共に菅田首の祖神を祭祀した祭壇で、天津比古禰命の御子 天目一命を祭神とすると記されてある。
中古 京都 新日吉社の社領に納められた一時期、祭神を大己貴命という謬説が出たが、文禄元年の社記 及び 古史伝に何れも明確に天目一神と記されている。
明治九年村社に加列、同四十二年神饌幣帛料供進神社に指定された。(式内社については現在論社とされる。)

本殿・境内建物
〔本殿〕一間社流造 間口五尺 奥行四尺三寸
〔拝殿〕入母屋造 間口二間一尺 奥行二間一尺

〔その他〕

境内社(摂社・末社)
 大島神社 白髪神社 厳島神社 天満神社 稲荷神社

滋賀県神社庁HPより
https://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=303

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

菅田神社 本殿・神門〈拝所〉

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〈瑞垣内 本殿向かって右の境内社

大島神社《主》少彦名命

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〈瑞垣内 本殿向かって左の境内社

・天満神社《主》菅原道真公
厳島神社《主》市杵島姫命
白鬚神社《主》猿田彦命

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・神門の狛犬

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菅田神社 拝殿

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・境内

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・手水舎

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・参門

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・表参道の鳥居

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・社頭

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・稲荷社

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・東参道

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・社務所

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・東参道の鳥居

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)近江國 155座(大13座・小142座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)蒲生郡 11座(大1座・小10座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 菅田神社
[ふ り が な ]すかたの かみのやしろ
[Old Shrine name]Sukata no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

鍛冶の神゛天目一箇神(あめのまひとつのかみ)゛について

天目一箇神は 鍛冶の神とされ
『古事記』の岩戸隠れの段で鍛冶であった゛天津麻羅(あまつまら)゛と同神ともされ 別名も多く 天目一命(あまのひとつめのみこと)とも呼ばれます

神名の゛目一箇(まひとつ)゛とは 鍛冶師は 製鉄の時 片目をつぶり 鉄の色を見て温度を見た事によるとも 鍛冶の職業病として 鉄を打つ火の粉によって片目を失明する゛一つ目(片目)゛の意味であろうとされます

式内社 天目一箇神社(あめのまひとつのかみやしろ)の論社が 多くある「多可町」には ゛鍛冶屋(かじや)と云う 地名があるのも頷けます゛

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゛天目一箇神(あめのまひとつのかみ)゛を祀る 播磨國の式内社について

播磨国は 古くから製鉄や鍛冶が行われていたと伝わり 鍛冶の神゛天目一箇神(あめのまひとつのかみ)゛を信仰する製鉄・鍛冶の拠点に祀られたと考えられます

①播磨國 佐用郡 天一神玉神社(貞)(あめのひとつかんたま かみのやしろ)

・天一神社(佐用町東徳久)

一緒に読む
天一神社(佐用郡佐用町東徳久)〈播磨國風土記・六国史・延喜式に所載の社〉

天一神社(てんいちじんじゃ)は 社伝には゛今より約二千年前(彌生時代)に創立 日本でも最古の神社で寶剣(銅剣)が御神體なるは天智記に「安置御宅」゛と記され 『六国史』天安元年(857)天一神に從五位下が奉授 その7日後に官社に列すと記され 『延喜式』播磨國 佐用郡 天一神玉神社(あめひとつかんだまの かみのやしろ)です

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②播磨國 多可郡 天目一神社(あまめのひとつの かみのやしろ)の論社

式内社 天目一神社は 江戸時代には所在不明となっていました

所在地が不明であった天目一神社について 明治以降に多可郡内の数カ村の神社が名のりを上げました

・天目一神社(西脇市大木町)

一緒に読む
天目一神社・平野神社(西脇市大木町)〈天目一箇命を祀る古社〉

天目一神社(あめのまひとつじんじゃ/てんもくいちじんじゃ)は 天正八年(1580)兵火にあい記録類を失い 江戸時代には社地も不明でした 明治維新の後 当時 惣堂天王社のあったこの地を式内社 天目一神社(あまめのひとつの かみのやしろ)の跡地と定め 鎮守である平野神社も合祀され 大正12年(1923)復興されたものです

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・青玉神社(多可町加美区鳥羽)

一緒に読む
青玉神社(多可郡多可町加美区鳥羽)〈祭神の天戸間見命は 鍛冶の神 天目一箇命〉

青玉神社(あおたまじんじゃ)は 伝承では 祭神の天戸間見命は 鍛冶の神 天目一箇命で 初め三国岳の山頂に祀られていた ある時 鳥羽(とりま)の村人が三国山に狩りに行くと 急に背中が重くなり不思議に思いながら下山した 村はずれで急に背中が軽くなり「背中に乗った神様が降りられた」として社を建てたのが現在の社地と云う

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・稲荷神社(多可町中区糀屋)

一緒に読む
播州糀屋稲荷神社(多可郡多可町中区糀屋)〈創建は推古2年(594)〉

糀屋稲荷神社(こうじやいなりじんじゃ)は 創建は推古2年(594)に字「土井の後」に鎮座 天平時代 称徳天皇の崇敬厚く 慶雲3年(706)社殿の建立となり勅使を使わせられ 神託により天安元年(857)現在地に移ったと伝えられます 延喜式内社 播磨國 多可郡 天目一神社(あまめのひとつの かみのやしろ)の論社です

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・天目一神社(多可町中区間子)
〈加都良神社 境内社〉

一緒に読む
式内 天目一神社(多可郡多可町中区間子)〈加都良神社の境内摂社〉

式内 天目一神社(多可郡多可町中区間子)は 式内社 加都良神社の境内摂社として祀られています 天目一命は 多可町内では他に 青玉神社(山寄上やまよりかみ) ・青玉神社(鳥羽とりま)・西宮神社(清水きよみず)で主祭神として 大歳金比羅神社(鍛冶屋かじや)・加都良神社(間子まこ)では 摂社として祀られています

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・荒田神社(多可町加美区的場)天目一神社(的場 御田上

一緒に読む
荒田神社(多可町加美区的場)〈播磨國二之宮〉

荒田神社(あらたじんじゃ)は 社伝に゛孝謙天皇 天平勝寶元年(749)゛少彦名命゛が降臨し創建と云う 一方『播磨国風土記』〈霊亀元年(715)頃〉には゛天目一命゛と゛道主比賣命゛の伝承が語られ 延喜式内社 播磨國 多可郡 荒田神社(あらたの かみのやしろ)とも 天目一神社(あまめのひとつの かみのやしろ)とも云います

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〈参考論社〉
・大歳金刀比羅神社(多可郡多可町中区鍛冶屋)〈境内摂社 天目一箇神社〉

一緒に読む
大歳金刀比羅神社(多可郡多可町中区鍛冶屋)〈境内摂社 天目一箇神社〉

大歳金刀比羅神社(おおとしこんぴらじんじゃ)は 往古は 鍛冶の神 天目一命(あまのまひとつのかみ)を奉祀したと推測され 現在も本殿相殿・境内摂社に天目一箇神(あめのまひとつのかみ)が祀られています 明治44年(1911)在来の大歳神社に〈摂社〉金刀比羅神社〈寛政6年(1794)讃岐琴平宮より勧請〉を合祀し 現社号に改称

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③播磨國 賀茂郡 菅田神社(すかたの かみのやしろ)

『新撰姓氏録』に〈天目一箇神の別名〉天久斯麻比止都命(あめのくしまひとつのみこと)の後裔として「菅田首」があり 「菅田氏」が祖神を祀った神社とされています

・菅田神社(小野市菅田町)

一緒に読む
菅田神社(小野市菅田町)〈鍛冶の神〈天目一箇神の別名〉天久斯麻比止都命を祀る〉

菅田神社(すがたじんじゃ)は 鍛冶の神〈天目一箇神の別名〉天久斯麻比止都命(あめのくしまひとつのみこと)の後裔とされる「菅田(すがたの)首(おびと)」が祀った神社と云われ 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 菅田神社(すかたの かみのやしろ)とされます その後 加古川流域には住吉信仰が広まり当社にも住吉神が祀られていきました

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・住吉神社(小野市中番町)

一緒に読む
住吉神社(小野市中番町)〈延喜式内社 菅田神社(すかたの かみのやしろ)〉

住吉神社(すみよしじんじゃ)は 「菅田首(すがたのおびと)」が祀ったとされる 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 菅田神社(すかたの かみのやしろ)が分祀し 保安年間(1120~1123)今の地へ遷座したものとされます その後 加古川流域には住吉信仰が広まり 住吉大社の神領として 住吉三神を配祀し 住吉神社と改称されています

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・山王神社(加東市厚利)

一緒に読む
山王神社(加東市厚利)〈延喜式内社 菅田神社の論社〉

山王神社(さんのうじんじゃ)は 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 菅田神社(すかたの かみのやしろ)の論社である・菅田神社(小野市菅田町)・住吉神社(小野市中番町)は 東條川を挟んで その南北の岸に祀られています 同じく論社とされる当社は そこから東條川を上流に向かって4km程遡った辺りの北岸に鎮座しています

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・八坂神社(小野市中番町)

一緒に読む
八坂神社(小野市中番町)〈゛天目一箇神゛を祖神とする菅田族の祭祀した神社〉

八坂神社(小野市中番町)は 当地方に゛天目一箇神゛を祖神とする菅田族〈砂鉄を採集して武器 農具を作成〉が祀った延喜式内社 播磨國 賀茂郡 菅田神社(すかたの かみのやしろ)とされ やがて農業に転換した里人は 農地に適した現在地〈その後 住吉大社神領となる〉に移住 神社も保安年間(1120~1123年)住吉三神を合祀し移転したと云う

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「菅田氏」が居住し 祖神を祀った式内社 菅田神社について

菅田神社小野市菅田町と同様に 祖神 天目一箇神を祀る式内社

菅田(すがたの)首(おびと)の一族は 大和国添上郡筒井郷(現在大和郡山市)と近江国蒲生郡桐原郷でも鍛冶を営んでいたとされ この両郡には 式内社の菅田神社が建立されています

菅田神社と号されるのは どちらも 菅田首が 播磨国加茂郡(のちの加東郡)東条の菅田を発祥地としたからであるとの説もあります

『新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく)815年(弘仁6年)には 「菅田首 天久斯麻比止都命之後也」とあり この゛天久斯麻比止都命゛は 天目一箇命と同神とされています

延喜式内社 大和國 添下郡 菅田神社(すかたの かみのやしろ)の論社

・菅田神社(大和郡山市八条町)〈全国 鍛冶の神の総社〉

一緒に読む
菅田神社(大和郡山市八條町)〈製鉄の神 天目一命を祀る 延喜式内社〉

菅田神社(すがたじんじゃ)は 古代 製鉄・鍛冶を営んだ菅田首(すがたのおびと)が 『新撰姓氏録〈弘仁6年(815)〉』に載る祖神「菅田首 天久斯麻比止都命之後也」を祀ったとされます この祖神゛天久斯麻比止都命(あめのくしまひとつのみこと)゛は 鍛冶の神゛天目一箇神(あめのまひとつのかみ)゛と同神とされます

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延喜式内社 近江國 蒲生郡 菅田神社(すかたの かみのやしろ)の論社

・菅田神社(近江八幡市中小森町)

一緒に読む
菅田神社(近江八幡市中小森町)〈菅田首が 祖神〈天目一命〉を祀る 延喜式内社〉

菅田神社(すげたじんじゃ)は 御祭神は 天津日子根命の御子で 鍛冶屋の祖とも伝えられている天目一命(あめのまひとつのみこと)です 古代には この子孫である蒲生稲置や菅田首が 祖神〈天目一命〉を祀り 蒲生平野一帯を治めていたとされます 延喜式内社 近江國 蒲生郡 菅田神社(すかたの かみのやしろ)の論社です

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・竹田神社(東近江市鋳物師町竹田)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR東海道本線 近江八幡駅から線路沿いに南西へ約2.9km 車6分程度

琵琶湖の沿岸に広がる蒲生平野を進みます

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東参道の社頭 案内板には菅田神社の文字あり

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菅田神社(近江八幡市中小森町)に参着

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一礼をして鳥居をくぐります
扁額には 菅田神社 とあります

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東参道を進みます 参道の先に鳥居が設けられています

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鳥居を抜けると 境内の拝殿の脇に出ました

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左手〈南方向〉に参門があり その先に鳥居が見えます
ここで 今進んできた参道は 裏参道であって 参門が表参道であるとわかりました

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一旦 表に戻り 表参道からお参りがしたくなりましたので 参門を抜けて表に出ます

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表参道の鳥居を一礼をしてくぐります

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大きな社号標があり 参門にも扁額がありどちらにも゛式内 菅田神社゛

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拝殿にすすみます

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舞殿のような拝殿には 絵馬が奉納されていて 本殿前の神門まで 屋根が付けられています

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神門が一般の拝所となっています

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 東参道を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 菅田神社について 所在は゛在所詳ならず゛〈所在不明〉と記しています

【抜粋意訳】

菅田神社

菅田は須賀太と訓べし、和名抄、郷名部篠田、篠は菅の誤なるべし

○祭神 菅田首祖神歟

○在所詳ならず

 姓氏録、山城國神別菅田首、天久斯麻比土都命之後也、

類社 (く)

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 菅田神社について 所在は゛ 桐原村にあり、゛〈現 竹田神社(東近江市鋳物師町竹田)〉と記しています
按 桐原村、今 鋳物師村と云゛とあり 当時から鋳物師の村と呼ばれていたようです

祭神については゛天津日子根命の子 天麻此都命を祀る、即 菅田首 蒲生稲置の祖神也゛としています

【抜粋意訳】

菅田(スガタノ)神社

 桐原村にあり、〔神名帳考証、滋賀縣注進狀、〕
〔〇按 桐原村、今 鋳物師村と云、村北に字菅田あり、古へ稲置の舊地と云、〕

盖 天津日子根命の子 天麻此都命を祀る、即 菅田首 蒲生稲置の祖神也〔参取氏新撰姓氏錄古事記〕

凡 毎年九月十九日祭を行ふ、此日 稲置の稲六十穂を伊勢多度神社に送るを例とす、〔滋賀縣注進狀〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第1巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 菅田神社について 所在は゛鋳物師村〔舊名 桐原ノ郷〕゛〈現 竹田神社(東近江市鋳物師町竹田)〉と記しています
稻置の稲六十穗を伊勢國多度神社へ送るを稻置の古事゛とあり゛多度神社は天津彦根命にませば 其ノ神緣を以て 稻穂を奉る古例ありしなるべければ 此 社傳を證とすべし゛ としています

又 ゛而るに小森村にも菅田ノ神社ありと云へど 祭神も大己貴命など云傳へて疑しければとらず゛〈現 菅田神社(近江八幡市中小森町)〉は 論社としないと記しています

【抜粋意訳】

菅田(スカタノ)神社

祭神 天津日子根ノ命

今按 新撰姓氏錄 菅田ノ首 天ノ久斯麻比止都命の之後也とみえ 桑各ノ首 天津彦根ノ命の男 天久之比乃命之後也とあるを思ふに 社傳に祭神 活津彦根命と云るは 御兄弟の御名の同じきによりて 誤れるものなるべく 實は菅田ノ首の祖 天久斯麻比止都命を主として 御父神を相殿に祭りけんより 御父神の御名のみ傳はりしなるべし さて本社の祭神 麻比止都ノ命なる時は 御父子の神緣によりて 次に記せる祭事もあること明かに聞ゆる也 されど姑く社傳によりて活津を天津と訂せり

祭日 四月中申日
社格 村社

所在 鋳物師村〔舊名 桐原ノ郷〕

 今按 社傅に當村の北に字菅田あり 往古 稻寸の舊地と云 又九月十九日の祭事に 當社稻置の稲六十穗を伊勢國多度神社へ送るを稻置の古事とす 今は其事止たれど 稻穂を多度の社の方へ奉るのみにて 社の南に多度の拜所ありとみえたる 多度神社は天津彦根命にませば 其ノ神緣を以て 稻穂を奉る古例ありしなるべければ 此 社傳を證とすべし 故今之に從ふ

 而るに小森村にも菅田ノ神社ありと云へど 祭神も大己貴命など云傳へて疑しければとらず

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

菅田神社(近江八幡市中小森町) (hai)」(90度のお辞儀)

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近江国 式内社 155座(大13座・小142座)について に戻る

一緒に読む
近江國 式内社 155座(大13座・小142座)について

近江国(おうみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 近江国には 式内社 155座(大13座・小142座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています