実践和學 Cultural Japan heritage

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粟神社跡(泉大津市式内町)〈『延喜式』粟神社〉

粟神社跡(泉大津市式内町) 神社合祀令によって明治41年(1908大津神社に合祀された 延喜式内社 和泉國 和泉郡 粟神社(あはの かみのやしろ)の旧鎮座地です 祭神「天太玉命」を祀り「粟直」の祖と云われ安房國安房郡 安房坐神社〔名神大月次新嘗〕と同神であると伝えられています

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

粟神社跡(Site of Awa Shrine)

通称名(Common name)

俗に粟堂と称していた

【鎮座地 (Location) 

大阪府泉大津市式内町99

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

 《祭神》
 明治41年(1908大津神社に合祀

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社の旧鎮座地

【創  (Beginning of history)】

泉大津ふるさと文化遺産
 平成一八年一二月認定[認定四号]

粟神社跡

所在地 泉大津市式内町九九(地番)

 粟神社跡は、泉大津市南端、大津川に隣接した式内町内に位置する。

敷地面積はは九・九一㎡。一八世紀に成立した『泉州志』(一七〇〇年)『和漢三才図会』(一七一二年頃)『和泉志』(一七三六年)などの地誌には、この旧宇多大津村にあった粟神社を、『延喜式』「和泉郡二十八座並小」中の「粟神社」に比定している。粟神社跡が現存する「式内町」という行政町名は、粟神社が式内社であつたことに因み、昭和十九年(一九四四年)に施行された。寛政一二年(一八〇〇年)の『和泉国泉郡大津村神社之写』には、戦国時代に焼失するまで式内社として一定の勢力を有していたことが伝承されている。

 江戸時代には大部天王社(別名「あはど宮」)と呼ばれ、室町時代に建築されたと考えられる社殿が建っていた。敷地面積は八四坪(約二七七・七㎡)で、その地は宮地のため年貢が免除され除地であった。この社を中心とするこの付近の字名は、「あはど」と呼ばれ、一、七二二坪(五、六九二・六㎡)の面積があり、粟神社焼失伝承以前の敷地を想起させる。

 明治時代に入ると、粟神社は同じく旧宇多大津村にあった宇多神社(旧 牛頭天王社)とともに旧大津村の村社となったが、明治四一年(一九〇八年)には大津神社へ合祀されるに至った。祭神は天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀る。社殿は合祀の際、大津神社境内に移築され現存している(平成九年三月、市指定有形文化財に指定)。現在跡地に建てられている「式内粟神社舊址」碑は、明治四四年に発起人二四人を中心とした氏子により建立されたものである
「泉大津ふるさと文化遺産」とは、市内の歴史遺産や文化財等のうち重要なものを泉大津市文化財保護委員会が認定し顕彰するものです。

現地案内板より

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【由  (History)】

式内 粟神社

延喜式神名帳にのせられた神社であって、泉大津市内では三社(穴師・曽根・粟)である。
(延喜は醍醐天皇の時、九一三年)宇多大津村の氏神であったが明治四十一年 現 大津神社に合祀され社殿も大津神社拝殿奥に保存さる。

現地案内板より

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『大阪府誌』第5編に記される内容

【抜粋意訳】

粟神社

延喜式内の古社にして同村大字 宇多大津に在り、太玉命と祀り、俗に粟堂と稱せり、蓋、安房國に鎭座せる官幣大社 安房神社と同神なるより稱へしものならんと云ふ、南海鐵道の汽車 大津驛を南し左方直ちに一叢と認むるもの即是れなり、社域八十四坪にて村社なり、

【原文参照】

『大阪府誌』第5編,大阪府,明36.4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/765475

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・大津神社(泉大津市若宮町)

粟神社(泉大津市式内町)は 明治41年(1908大津神社に合祀されました

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)和泉國 62座(大1座・小61座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)和泉郡 28座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 粟神社
[ふ り が な ](あはの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Aha no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載の「粟神社(あはの かみのやしろ)」について

粟神社(あはの かみのやしろ)は 2社が所載されています

延喜式内社 山城國 綴喜郡 粟神社(あはの かみのやしろ)

・粟神社(城陽市市辺大谷)

延喜式内社 和泉國 和泉郡 粟神社(あはの かみのやしろ)

・大津神社(泉大津市若宮町)
〈大津神社に合祀 粟神社(泉大津市式内町)〉

・粟神社跡(泉大津市式内町)
〈大津神社に合祀 粟神社の旧鎮座地〉

一緒に読む
粟神社跡(泉大津市式内町)〈『延喜式』粟神社〉

粟神社跡(泉大津市式内町)は 神社合祀令によって明治41年(1908)大津神社に合祀された 延喜式内社 和泉國 和泉郡 粟神社(あはの かみのやしろ)の旧鎮座地です 祭神は「天太玉命」を祀り「粟直」の祖と云われ安房國安房郡 安房坐神社〔名神大月次新嘗〕と同神であると伝えられています

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『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載「(あはのかみのやしろ)」の音を持つ神社

延喜式内社 大和國 添上郡 率川阿波神社(いさかは あはの かみのやしろ)

・率川阿波神社(奈良市本子守町)〈率川神社 境内〉

一緒に読む
率川阿波神社(奈良市本子守町)

率川阿波神社(いさがわあわじんじゃ)は 創建について 社伝には「宝亀二年(771)藤原是公 夢のお告げ」によるとされ 当初は奈良市西城戸町に鎮座していましたが 時代と共に衰微し 大正9年に率川神社の境内に社殿を建立し その後 末社 春日社・住吉社と共に現在地に遷座 式内社の率川阿波神社とされます

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延喜式内社 伊賀國 山田郡 阿波神社(あはの かみのやしろ)

・阿波神社(伊賀市下阿波)

延喜式内社 伊豆國 賀茂郡 阿波神社〔名神大〕(あはの かみのやしろ)

・阿波命神社(神津島村)

延喜式内社 安房國 安房郡 安房坐神社〔名神大 月次 新嘗〕(あはのます かみのやしろ)

・安房神社(館山市大神宮)〈延喜式内社 名神大社・安房国一之宮〉

一緒に読む
安房神社(館山市大神宮)〈延喜式内社 名神大社・安房国一之宮〉

安房神社(あわじんじゃ)は 日本神話「天の岩戸」では 天太玉命〈忌部氏の氏神〉が 天照大御神の出現を願い 祭祀を執り行いました 故に 古代の大和朝廷では 忌部氏が・祭祀に必要な鏡や玉・神に捧げる幣帛や織物・威儀物の矛や楯など武具・社殿の造営などを司っていました  日本における全ての産業の総祖神としても崇敬されています

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延喜式内社 下野國 寒川郡 阿房神社(あはの かみのやしろ)

・安房神社(小山市)

延喜式内社 美作國 大庭郡 壱粟神社二座(いちあはの かみのやしろ ふたくら)

・二宮(真庭市社)式内社 四座が鎮座〈・壹粟神社二座・久刀神社・菟上神社・長田神社〉
〈二宮(真庭市社)境内に4社並んで鎮座する社の内 向かって右から2番目 壱粟神社〉

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

南海本線 泉大津駅から線路沿いに南西方向へ約900m 徒歩での所要時間12~14分程度

粟神社跡地は紡績工場に隣接しています

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紡績工場の金網フェンス沿いに参道が設けられていて 近づくことが出来ます

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北向きに鳥居が建てられています

粟神社跡(泉大津市式内町)に参着

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跡地には の石柱が建っていて
向って右側に「南無妙法蓮華経…」
向って左側に「式内 粟神社舊址」と刻まれています

拝所が設けられています

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鈴もあり

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 粟神社について 所在は゛下條郷大津村に在す、今 粟堂と称す、゛〈現 大津神社に合祀 粟神社の旧鎮座地・粟神社跡(泉大津市式内町)〉と記しています

【抜粋意訳】

粟神社

粟は阿波と訓べし、和名鈔、稲穀部粟、假字上の如し

○祭神 粟直祖神歟、云、天太王命、

○下條郷大津村に在す、今 粟堂と称す、和泉志、式社考、

類社
 山城國 綴喜郡 粟神社の條見合すべし

神位
 國内神名帳云、正五位下 粟社、

氏人
 續日本紀、寶龜七年六月甲子、近衛大初位下 粟人道足等十人賜 姓粟直、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 粟神社について 所在は゛今 宇多大津村にあり粟堂といふ゛〈現 大津神社に合祀 粟神社の旧鎮座地・粟神社跡(泉大津市式内町)〉と記しています

【抜粋意訳】

(アハノ)神社、

 宇多大津村にあり粟堂といふ

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 粟神社について 所在は゛宇多大津村〔字アハト〕 (泉北郡大津村大字宇多大津)゛〈現 大津神社に合祀 粟神社の旧鎮座地・粟神社跡(泉大津市式内町)〉と記しています

【抜粋意訳】

粟神社

祭神 天太玉命

 今按 古語拾遺〔神武〕令  率日驚命之孫 求肥饒地遣阿波國 殖穀麻種云々 天富命更求 沃壌分 阿波齋部率 往東土播殖麻種云々 阿波忌部所居便名 安房郡〔今 安房國是也〕天富命 即於其地立 太玉命社 今謂之 安房社云々 神名式 安房國安房郡 安房坐神社〔名神大月次新嘗〕とある安房神と同神にて 忌部氏の此地に住る者の祭りし所なるべし 神名帳考證 天太玉命也とあり故 今之に從ふ

祭日 九月十三日
社格 村社

所在 宇多大津村〔字アハト〕 (泉北郡大津村大字宇多大津)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

粟神社跡(泉大津市式内町) (hai)」(90度のお辞儀)

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和泉国 式内社 62座(大1座(月次新嘗)・小61座(並官幣))について に戻る

一緒に読む
和泉国 式内社 62座(大1座(月次新嘗)・小61座(並官幣))について

和泉國(いづみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている官社〈延喜式内社〉の事で 和泉国には 62座(大1座(月次新嘗)・小61座(並官幣))の神々が 坐します

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