実践和學 Cultural Japan heritage

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神明神社(笛吹市石和町窪中島)〈『延喜式』神部神社〉

神明神社(しんめいじんじゃ)は 社記には「創祀は允恭天皇八年秋九月(西暦四一九年)当社は神部の神社にて 伊勢大神宮勧請最初の霊場石和総郷の鎮守なり」とあり 「石和御厨(いさわみくり)」〈伊勢外宮の御厨〉があった場所で 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name)】

神明神社(Shinmei shrine

【通称名(Common name)】

【鎮座地 (Location) 】

山梨県笛吹市石和町窪中島1

〈旧住所〉山梨県東八代郡石和町窪中島1

【地 図 (Google Map)】

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天照皇大神(あまてらす すめ おほかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創 建 (Beginning of history)】

由緒沿革:

 甲斐国志によると当時の口碑に伝へる歌に「石和河森の木陰の暗ければ昼も篝を焚く鵜舟かな」とあるやうに市部より四日市場に至る三里(六町一里)の間、当社境内の鬱蒼たる森が続いてゐたと記されてゐる。

 社記の「創祀は允恭天皇八年秋九月(西暦四一九年)当社は神部の神社にて伊勢大神宮勧請最初の霊場石和総郷の鎮守なり」を裏付けるものと云へる。
 石和町誌に依ると伊勢神宮の神領、石和御厨は伊勢神宮領で甲斐國で確認される唯一の御厨で有り、外宮(豊受大神宮)領で有ったと記されてゐる。当社は其の御厨内の伊勢神宮分祀社ではなかったかとの記述もある。社記に「当時は当国より伊勢参宮の者は帰国後必ず参詣された事が申し伝へられてゐたが、天下大乱に依り社頭は衰退致し天正十七年(一五八九年)八月洪水の大慌にて社地も砂場と成り神事絶えて三年後に本殿、拝殿共に建立した」とある。

 境内神社に山神社、道祖神社、蚕影神社、秋葉神社、石尊社が祀られてゐる。

山梨県神社庁HPより
https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/3016

【由 緒 (History)】

『甲斐史蹟』上巻〈大正10年〉に記される内容

今の石和町の南に「石和御厨(いさわみくり)」〈伊勢外宮の御厨〉があった
神明神社(笛吹市石和町窪中島)については「窪中嶋(くぼなかじま)に大神宮の祠あり、神領地(しんりやうち)たるが故に齋(いは)ひ祀(まつ)れるなるべし」と記しています

【抜粋意訳】

石和御厨(いさわみくり)

 今の石和町は舊(もと)石和郷(いちわがう)といふ、石釆(いさは)とも書き、石澤(いさは)とも書き、伊澤(いさは)とも書きたり。

 大石和(おほいさわ)、小石和(こいさわ)、河内(かうち)、川田(かはだ)等の諸部落、皆 石和郷に属し、其 境域(きやういき)頗(すこぶ)る廣漠(くわうばく)たりしが如し。

 神鳳抄(しんほうせう)に『外宮(げくう)の神領 石禾街厨(いさわみくりや)二百五十町(ちやう)』とあり、王朝の頃には伊勢の神領にて、御厨〈みくりや〉の名を負(お)ふと知らる、 (伊勢(いせ)の神領を御厨(みくりや)といふ、神饌供進所(しんせん けうしんじょ)の謂(いひ)にて、諸國に四百五十箇所ありきとぞ)

 今も町の南力(なんぽう)窪中嶋(くぼなかじま)に大神宮の祠あり、神領地(しんりやうち)たるが故に齋(いは)ひ祀(まつ)れるなるべし。

・・・〈以下略〉

【原文参照】

野沢保麿 編『甲斐史蹟』上巻,甲府史蹟刊行会,大正10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/965714

【神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神明神社 本殿

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神明神社 拝殿

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・〈本殿奥〉祀られている丸石

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神明神社 社殿

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神明神社 社務所〔窪中島公民館・児童館〕

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・境内 参道

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・境内 石燈籠

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・〈境内参道脇〉石祠・庚申塔・丸石など

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・〈祀られている石碑〉蚕影山〈蚕影神社〉・秋葉山〈秋葉神社〉

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・手水舎

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境内参道の入口

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・御神木

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・境内 広場

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・鳥居

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)甲斐國 20座(大1座・小19座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)山梨郡 9座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 神部神社
[ふ り が な ]かむへの かみのやしろ
[Old Shrine name]Kamuhe no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式』に所載されている神部神社(かむへの かみのやしろ)について

 『延喜式』には 駿河國に一か所 甲斐國二ヶ所が 所載されています

延喜式内社 駿河國 安倍郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社

・静岡浅間神社(静岡市)

一緒に読む
静岡浅間神社(静岡市葵区宮ヶ崎町)〈『延喜式』神部神社・大歳御祖神社〉

静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)は 駿河国総社として崇敬され(通称 おせんげんさま)と云い 神部神社・淺間神社・大歳御祖神社の3つの本社と4つの境内社の総称です 徳川家康公(幼名 竹千代)の元服式より幕府の崇敬が厚く 現在の社殿は 江戸時代に60年の歳月をかけて再建された総漆塗り極彩色の豪壮華麗な建築群です

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延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社

・神部神社(甲州市塩山)

神部神社(甲州市塩山上萩原)〈『延喜式』神部神社〉

神部神社(かんべじんじゃ)は 貞観二年(860)の創建とされ 古くから岩間を湯山に作る霊泉があり 温泉湧出の霊験から岩間明神とも湯山明神とも称されたと伝わります 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です 往古は 当地は 神戸神社の鎮座により神戸荘と云われたそうです

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・神部神社(山梨市上神内川)

神部神社(山梨市上神内川)〈『延喜式』神部神社〉

神部神社(かんべじんじゃ)は 社記によれば 景行天皇43年 甲斐国造 塩海足尼勅を蒙り 近江国 比叡山より分霊し 神日吉と云ふをもって゛神部゛これによって神部神社と称し 国郡鎮護の社とされ 江戸時代には゛山王権現゛と称されました 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です

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・賀茂春日神社(笛吹市春日居町)

賀茂春日神社(笛吹市春日居町加茂)〈『延喜式』神部神社〉

賀茂春日神社(かもかすがじんじゃ)は 賀茂社〈欽明天皇の御代(540)〉春日社〈文武天皇(698)〉が並んで祭祀されていたが 天正十年に社殿が兵火に罹り神寶古文書等が焼失 天正十四年(1517)洪水で両社共に流失し 相殿として合併されたと云う 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です

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・神明神社(笛吹市石和町窪中島)

神明神社(笛吹市石和町窪中島)〈『延喜式』神部神社〉

神明神社(しんめいじんじゃ)は 社記には「創祀は允恭天皇八年秋九月(西暦四一九年)当社は神部の神社にて 伊勢大神宮勧請最初の霊場石和総郷の鎮守なり」とあり 「石和御厨(いさわみくり)」〈伊勢外宮の御厨〉があった場所で 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です

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延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社

・〈旧 三輪神社の山宮〉八幡神社(南アルプス市上宮地)

一緒に読む
八幡神社(南アルプス市上宮地)〈『延喜式』神部神社の山宮〉

八幡神社(はちまんじんじゃ)は 嘉永年間(1848~1854年)三輪神社〈今の・神部神社(南アルプス市下宮地)〉の山宮であった 大神山伝嗣院より この八幡神社に遷座し゛三輪山宮社゛と称したと伝わり 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の山宮と考えられています

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・〈旧 三輪神社の里宮〉神部神社(南アルプス市下宮地)

一緒に読む
神部神社(南アルプス市下宮地)〈『延喜式』神部神社〉

神部神社(かんべじんじゃ)は 垂仁天皇の御代 大和の三輪神社から大物主神を勧請し「三輪明神」とも云う 上古 甲府盆地は湖水で 社前迄湖であった 例祭の゛舟引祭゛は 大和から奉遷の時 船にて此地に渡った遷座の状況を神事として伝えていると云う 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です

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・白山神社(明野町上神取)

一緒に読む
白山神社(北杜市明野町上神取)〈『延喜式』神部神社〉

白山神社(はくさんじんじゃ)は 社記に延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)と云う 第二十三代顕宗天皇の御宇(485~487年)の勧請 天文十一年(1542)火災となり現在地に遷座と伝へられます 明治四十年(1907)三月勅令を奉り 白山神社に諏訪神社 伊勢神明社を合祀されました

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・神部神社(須玉町小尾)

一緒に読む
神部神社(北杜市須玉町小尾)〈『延喜式』神部神社〉

神部神社(かんべじんじゃ)は 崇神天皇の御代 当社前の御門 神戸は神地とされたと云う 又 日本武尊が東征の折り 東小尾で湯治し当社前を通り猛獣 毒蛇 叛賊を退治して東征に向かったと伝わり 文武天皇の大宝元年(701) 四柱を祀ったのが創立と云う 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です

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・熱那神社(北杜市高根町)

一緒に読む
熱那神社(北杜市高根町村山西割)〈『延喜式』神部神社〉

熱那神社(あつなじんじゃ)は 社伝には 創立の年代は不詳であるが その昔 日本武尊の神徳を尊崇し 地主神として社に奉祀し 石剣を奉安し神体とした 古来 神部神社 又は 熱那神総社と称し 近傍九ヶ村の総称 熱那ノ庄の総社なることは明白であると伝わる 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)とされます

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・南宮大神社(韮崎市大草町)

一緒に読む
南宮大神社(韮崎市大草町上条東割)〈『延喜式』神部神社〉

南宮大神社(なんぐうだいじんしゃ)は 社記によれば 平安時代の名将 源義光〈新羅三郎義光〉が 甲斐任国の時 崇敬して社壇を造営したと云う 武田一条氏が 当社を産土神として崇敬し その支族の武川衆諸氏も協力して当社に奉仕した記録も伝へている 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です

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・神部社(南アルプス市寺部)

一緒に読む
神部社(南アルプス市寺部)〈『延喜式』神部神社〉

神部社(かんべしゃ)は 社記には 草創古代鎮座 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)と伝わっています 鎌倉時代に大井荘地頭の加賀美信濃守遠光が 京都石清水八幡宮を分祀勧請して八幡大神を祀り 加賀美 秋山 南部 小笠原等の氏神を称し 以来 国主武田家の歴代崇敬うけたと伝わります

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR中央本線 石和温泉駅から駅前通りを南下して約1.4km 車での所要時間は5~6分程度

神社の北側から境内の横を抜けると道路上に 両部鳥居が建っています

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神明神社(笛吹市石和町窪中島)に参着

一礼をしてから 鳥居をくぐり抜けて境内へと進みます

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境内に入ると グラウンドの様に整備された広場があり 正面が神社 向かって右手に巨大な御神木が聳え立っています

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〈祀られている石碑〉蚕影山・秋葉山

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境内参道の中央には 石が埋め込まれています
正中を進まないような配慮でしょうか

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石燈籠の先に拝殿が建ちます

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 透塀が廻されていて 御垣中に本殿が祀られています

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社殿に一礼をして 境内参道を戻ります

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境内広場を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 神部神社について 祭神 在所等は不明と記されています

又『甲斐名勝志』に゛加茂村加茂明神、祭神 別雷神也、相殿春日明神を祀れり゛〈現 賀茂春日神社(笛吹市春日居町)〉との説
萩原郷神戸村 岩間明神、祭神九座、゛〈現 神部神社(甲州市塩山)〉との説
゛『甲斐叢記云、神部山は玉井郷にあり、都留郡の界なり〈現 神部神社(甲州市塩山)を挙げています

【抜粋意訳】

神部神社

神部は加牟倍と読り

○祭神 在所等詳ならず

○当國 巨摩郡 神部神社あり

 甲斐名勝志云、加茂村加茂明神、祭神 別雷神也、相殿春日明神を祀れり、云々、延喜式所載 神部神社なり、
又云、萩原郷神戸村 岩間明神、祭神九座、云々、相伝 延喜式所載 神部神社也、
神戸  ガウトと唱ふ、前に云 加茂神社も神部の説あれば、何れか是なる事を考分ちがたし、』
甲斐叢記云、神部山は玉井郷にあり、都留郡の界なりといへり、

類社
 駿河國 安倍郡 神部神社の條見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 神部神社について 所在は゛今 上荻原村にあり、岩間明神と云、゛〈現 神部神社(甲州市塩山)〉と記しています

【抜粋意訳】

神部(カンベノ)神社

今 上荻原村にあり、岩間明神と云、〔甲斐名勝志、甲斐國志、山梨縣取調書〕〔〇按 社の東方に神戸山あり、岩間奥御殿と云しとぞ

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 神部神社について 所在は゛上萩原村〔字麦行田〕(東山梨郡神金村大事萩原)゛〈現 神部神社(甲州市塩山)〉と記しています

又 別の説として
゛一説 加茂村加茂明神を木社なりと云ひ゛〈現 賀茂春日神社(笛吹市春日居町)
上神内川村山王社なり〈現 神部神社(山梨市上神内川)〉を挙げています

【抜粋意訳】

神部神社 稱 岩間明神

祭神
 今按 社傳 祭神 神直日神 八十柱津日神に三柱筒男神 三柱少童神とあれど こは何れも後人の附會と聞ゆれば信がたし

祭日 三月二十九日
社格 村社

所在 上萩原村〔字麦行田〕(東山梨郡神金村大事萩原)

 今按 一説 加茂村加茂明神を木社なりと云ひ 又 上神内川村山王社なりと云へど 神部と云ふ證なし 唯 萩原村なるは往古 上中下萩原郷を神部庄と號すと云ひ 又 神戸神田等の地名あり 又 當社の東方に神部山と云ありと云ふもの證とするに足れり 故今定めて記しつ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

神明神社(笛吹市石和町窪中島) (hai)」(90度のお辞儀)

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甲斐国 式内社 20座(大1座・小19座)について に戻る

一緒に読む
甲斐國 式内社 20座(大1座・小19座)について

甲斐国(かひのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 甲斐国には 20座(大1座・小19座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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