実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

神橋(しんきょう)とは何か―意味・種類・役割を解説

神橋(しんきょう)とは、神社に関係する橋のうち、神域への参入路、祭祀上の通路、または神社固有の由緒によって特別に位置付けられた橋です。神橋・御橋・反橋・太鼓橋の違い、配置と構造、通行の扱い、日光二荒山神社・皇大神宮・丹生都比賣神社・住吉大社の事例を解説します。

神橋の基本情報

用語 神橋
読み方 しんきょう
別表記 特になし。「御橋」は橋への尊称または神社固有の橋名として用いられ、常に「神橋」の別表記になるとは限りません。
英語表記 sacred bridge/Shinkyo(固有名称の場合)
意味 神社に関係する橋のうち、神域への参入、祭祀上の通行、または神社固有の由緒によって特別に位置付けられた橋
分類 神社境内施設・参道施設・橋梁
対概念 特になし
関連概念 参道・神域・御橋・反橋・太鼓橋・輪橋・禊橋・神幸祭

第1章 神橋とは

1-1 神社に関係する特別な橋

神橋は、一般に「しんきょう」と読みます。神社に属する橋、神域へ至る参道上の橋、御祭神や神輿の通路となる橋などのうち、神社の由緒や祭祀、名称によって特別に位置付けられた橋を指します。

ただし、「神橋」は本殿や拝殿のように、全国の神社で共通する一つの建築形式を示す語ではありません。日光二荒山神社では「神橋」が橋の固有名称です。一方、皇大神宮〈内宮〉では「宇治橋」、住吉大社では「反橋」、丹生都比賣神社では「輪橋」「禊橋」という名称が用いられています。これらは神社にとって重要な橋ですが、名称、形状、渡る人、祭祀上の役割は同一ではありません。

1-2 神社にある橋がすべて神橋とは限らない

神社の境内には、参道上の川を越える橋、池を鑑賞するための橋、神苑の園路を結ぶ橋、祭典で使用する橋などがあります。神社にあるという理由だけで、すべてを一律に神橋と呼ぶことはできません。現地の社号標、境内案内、神社公式資料、文化財名称、造営記録などを確認し、その橋がどのように呼ばれ、扱われているかを見る必要があります。

1-3 神橋を理解する三つの視点

神橋を理解するときは、第一に神社が用いる名称、第二に境内や参道における位置、第三に誰がどの機会に渡るのかを確認します。橋の色や反り方だけでは判断できません。朱塗りでない神橋もあり、強く反った太鼓橋であっても神社と関係のない庭園橋であれば、神橋とは呼ばれません。

第2章 「神橋」の読み方と名称

2-1 「神橋」は一般に「しんきょう」と読む

「神橋」は一般に「しんきょう」と読みます。英語では説明的に sacred bridge と訳せますが、日光二荒山神社の神橋のように固有名称として扱う場合は、Shinkyo または Shinkyo Bridge と表記されることがあります。「神社の橋」に一律に対応する確立した一語の英訳があるわけではないため、固有名称と説明訳を使い分けます。

2-2 「御橋」は尊称または固有名称

御橋は「みはし」「おはし」などと読まれます。「御」は敬意を表す接頭語であり、橋を尊んで呼ぶ場合や、個々の神社に伝わる橋名として用いられます。したがって、「御橋は神橋より格式が高い」「御橋は必ず神職や神輿だけが渡る」と全国共通の関係を定めることはできません。

2-3 橋の固有名称を尊重する

宇治橋、反橋、輪橋、禊橋などの名称には、それぞれの土地、形状、由緒、祭祀上の役割が反映されています。記事や現地案内では、これらをすべて「神橋」に置き換えず、初出で「神社に属する重要な橋」などと関係を説明したうえで、公式名称を用いるのが適切です。

第3章 史料から確認する神橋の名称と歴史

3-1 古代史料と現在の施設名を直結させない

『古事記』『日本書紀』には「天浮橋」が登場します。しかし、天浮橋は神話上の場であり、現在の神社境内に架けられた建築物としての神橋を説明する直接の造営記録ではありません。神話に橋が現れることと、後世の神橋がどのように成立したかは分けて考える必要があります。

また、『延喜式』の神祇関係の規定に「神橋」という全国共通の境内施設が定められているわけではありません。式内社の周辺に川や池があることだけを根拠に、古代から同じ場所に神橋が存在したと断定することも避けます。

3-2 日光二荒山神社の神橋

日光二荒山神社の神橋は、大谷川に架かり、日光山内への入口を示す橋として知られます。神社公式説明では、古くは「御橋」「山菅の蛇橋」などと呼ばれたとされています。勝道上人が大谷川を渡ろうとした際、深沙王が現れ、二匹の蛇を橋としたという由緒は、日光二荒山神社が伝える信仰上の伝承として紹介します。

寛永13年(1636)に現在につながる朱塗りの橋へ造り替えられ、その後の橋は明治35年(1902)の洪水で流失しました。現橋は明治37年(1904)の再建で、文化財名称は「二荒山神社 神橋」、構造は木造反橋・高欄付きとされています。神橋を日光東照宮の所有建造物とするのは正確ではありません。

3-3 個別の造営・修理記録を確認する

橋は川や池に架かるため、洪水、腐朽、橋板の損傷などの影響を受けます。そのため、現在見られる橋が創建当初の部材をそのまま残すとは限りません。橋の歴史を説明するときは、神社の由緒と、現橋の架橋年代、再建、修理、文化財指定を分けて記します。

3-4 全国共通の発展史を作らない

「古代は丸木橋、中世は欄干付き木橋、近世は朱塗りの反橋へ発展した」という一つの流れを、全国の神橋に当てはめることはできません。地形、参道、祭祀、造営者、材料の入手条件が異なるためです。本記事では、確認できる個別事例から神橋の多様性を示します。

第4章 神橋が設けられる場所

4-1 河川を越えて神域へ進む橋

参道の途中に河川がある場合、橋は参拝経路を成立させる実用施設となります。日光二荒山神社の神橋や皇大神宮〈内宮〉の宇治橋は、大きな流れを越えて先へ進む位置にあります。ただし、橋の手前と向こう側を直ちに「俗界」「神域」と二分できるかは、神社の公式説明と境内構成を確認して判断します。

4-2 境内の池や水路に架かる橋

住吉大社の反橋は正面神池に架かります。丹生都比賣神社の輪橋は鏡池に架かり、禊橋は境内を流れる禊川に架かります。同じ神社でも橋ごとに水域、配置、役割が異なる例があります。

4-3 境内内部の区画を結ぶ橋

橋が神社入口だけでなく、境内内部の区画や祭祀動線を結ぶ場合もあります。橋の位置は、鳥居、参道、神門、社殿との関係から読み取ります。すべての神社が「鳥居―神橋―神門―拝殿―本殿」という同一順序を持つわけではありません。

図1
河川・境内の池・境内内部の水路に神橋が置かれる三つの配置例

4-4 配置から役割を推測しすぎない

橋が水を越える位置にあることは確認できても、その水を禊の場とみなしていたのか、橋を結界と認識していたのかは別の問題です。配置図だけで宗教的意味を断定せず、橋名、祭礼、由緒、現地案内を合わせて検討します。

第5章 神橋の祭祀上の役割

5-1 参拝者の通路

一般参拝者が日常的に渡る橋では、橋は参道の一部です。皇大神宮〈内宮〉の宇治橋は五十鈴川を越える参入路として、多くの参拝者が渡ります。住吉大社の反橋も参詣者が渡る橋として案内されています。

5-2 御祭神・神輿・祭列の通路

神社によっては、橋が御祭神の通路と説明される例があります。丹生都比賣神社は輪橋を「御祭神のお渡りになる神橋」と案内しています。この説明は輪橋固有の祭祀的位置付けであり、全国の神橋がすべて御祭神専用であることを意味しません。

5-3 勅使や特定の参向者が渡る橋

日光二荒山神社の神橋は、寛永13年(1636)の造替後、神事や将軍社参、勅使の参向などに用いられたと説明されています。近代には幣帛供進使の参向にも用いられました。このように、時代や祭儀によって通行者が限定された橋もあります。

5-4 祓い・禊と結び付く橋

住吉大社は、反橋を渡るだけで「おはらい」になるとの信仰を紹介しています。丹生都比賣神社は、禊橋の擬宝珠に祓い幣と辰砂が納められ、その力によって渡る参拝者の心身を祓い清めると説明しています。祓いとの関係は、橋一般の性質としてではなく、それぞれの神社が伝える信仰として記します。

5-5 由緒をもつ建造物として大切に扱われる橋

橋の由緒、渡橋の制限、架け替えの儀礼などによって、橋自体が敬意を払われる対象となることがあります。一方で、すべての橋が独立した祭祀対象となるわけではありません。橋の役割は神社ごとに確認します。

第6章 神橋の形状・材料・通行区分

6-1 直橋と反橋

橋面が比較的平らな直橋に対し、橋全体が上方へ弧を描くものは反橋と呼ばれます。反りの程度はさまざまで、緩やかなものから階段状の踏板を備える急勾配のものまであります。「神橋」は神社との関係を表す名称、「反橋」は主として形状を表す名称であり、分類の基準が異なります。

6-2 太鼓橋という通称

大きく反り、側面から見た形が太鼓の胴を思わせる橋は、太鼓橋と呼ばれることがあります。太鼓橋は神社だけでなく、寺院、庭園、公園などにも見られます。したがって、太鼓橋であることだけを理由に神橋とは判断できません。

6-3 木造・石造・近代材料

神社に関係する橋には木造と石造があり、現在の安全性や維持管理に応じて鋼材、コンクリートなどを併用する場合もあります。材料だけで祭祀上の格付けを判断することはできません。木造橋では橋板、高欄、桁、橋脚、橋台などが構成要素となりますが、架構は橋ごとに異なります。

6-4 高欄・擬宝珠・親柱

神社の橋には高欄を設け、柱の頂部に擬宝珠を付ける例があります。擬宝珠は橋の印象を特徴付けますが、すべての神橋に備わるものではありません。日光二荒山神社の神橋は、文化財資料上「木造反橋、高欄付」と記録されています。

図2
木造神橋の橋板・橋脚・高欄・親柱・擬宝珠・石造橋台を示す説明図

6-5 通行方法による違い

橋は、一般参拝者が渡れるもの、拝観受付を経て渡るもの、祭礼など特定の機会だけ使用するもの、保存や安全上の理由で通行を停止しているものに分かれます。通行の扱いは修理や祭典により変わることがあるため、参拝当日の掲示を確認します。

第7章 神橋・御橋・反橋・太鼓橋の違い

7-1 名称・役割・形状を分けて考える

神橋、御橋、反橋、太鼓橋は、互いに完全に排他的な分類ではありません。一つの橋が、神社との関係では神橋、公式名称では反橋、通称では太鼓橋と説明される場合があります。住吉大社の橋は、その関係を理解する分かりやすい例です。

神橋・御橋・反橋・太鼓橋の比較

名称 主に示すもの 確認上の注意
神橋 神社との関係、固有名称、祭祀上の位置付け 全国共通の単一形式ではありません
御橋 橋への敬称、または神社固有の橋名 読み方や通行者は神社ごとに異なります
反橋 反りを持つ形状、または固有名称 反橋がすべて神橋とは限りません
太鼓橋 大きく反った形状を表す通称 神社以外にも設けられます

図3
神橋・御橋・反橋・太鼓橋を名称・役割・形状の違いから比較した図

7-2 宇治橋・輪橋・禊橋は固有名称を優先する

宇治橋は地名を含む橋名、輪橋は輪のように反った姿を表す橋名、禊橋は神社の説明において祓い清める役割と結び付いた橋名です。これらを紹介するときは、公式名称を見出しにし、「神社における重要な橋」という関係を本文で補足します。

第8章 神橋を伝える代表的な神社

8-1 日光二荒山神社―固有名称としての神橋

栃木県日光市の日光二荒山神社神橋は、「神橋」を固有名称とする代表例です。大谷川に架かる朱塗りの木造反橋で、日光山内の入口を示します。由緒と現橋の年代を区別し、勝道上人に関する内容は神社伝承、現橋は明治37年再建として記す必要があります。

日光二荒山神社と日光山信仰を紹介する記事です。

URL:https://shrineheritager.com/nikko-futarasan-shrine/

神橋を管理する日光二荒山神社と日光山信仰
日光二荒山神社 本社(日光市山内)〈世界遺産「日光の社寺」〉

日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は 標高2486m霊峰「男体山(二荒山)」をご神体として 古くから日光における信仰の中心となってきました 残存する最も古い記録には 767年に勝道上人が 日光山を開基したとあり 世界遺産「日光の社寺」の一群で 日光東照宮と日光山輪王寺の中間の位置に鎮座します

続きを見る

8-2 皇大神宮〈内宮〉―五十鈴川に架かる宇治橋

三重県伊勢市の皇大神宮〈内宮〉では、宇治橋が五十鈴川に架かります。参拝者が日常的に渡る大規模な木造橋で、内宮への参入路を構成します。式年遷宮に合わせて架け替えられる橋として知られますが、「神橋」という語へ置き換えず、正式な橋名である宇治橋を用います。

宇治橋を渡って参入する皇大神宮〈内宮〉の記事です。

URL:https://shrineheritager.com/kotai-jingu/

宇治橋を渡って参入する皇大神宮〈内宮〉
皇大神宮〈内宮〉(伊勢市宇治館町)〈伊勢神宮〉

皇大神宮(こうたいじんぐう)は 私たち日本人の総氏神「伊勢へ行きたい 伊勢路が見たい せめて一生に一度でも」と全国の人々で賑わう伊勢詣が有名です 通称を゛伊勢の内宮(ないくう)゛鎮座は゛垂仁天皇26年〈今から2000年前〉 御祭神は゛皇祖神 天照大御神゛御神体は皇位のしるし三種の神器の一つ゛八咫鏡(やたのかがみ)゛です

続きを見る

8-3 丹生都比賣神社―輪橋と禊橋

和歌山県伊都郡かつらぎ町の丹生都比賣神社では、鏡池の輪橋と、禊川に架かる禊橋が異なる役割を伝えています。神社公式案内は、輪橋を御祭神がお渡りになる神橋とし、禊橋については擬宝珠に納められた祓い幣と辰砂により、渡る参拝者を祓い清めると説明しています。輪橋は橋板損傷による閉鎖が案内されているため、通行可否は参拝時に最新情報を確認します。

輪橋・鏡池・禊橋を備える丹生都比賣神社の記事です。

URL:https://shrineheritager.com/niutsuhime-shrine/

輪橋と禊橋を備える丹生都比賣神社
丹生都比賣神社(かつらぎ町上天野)紀伊国一之宮

丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)は 創建は古く 少なくとも今から千七百年前のことと伝えられます 神功皇后の三韓征伐の時 丹生都比売大神の託宣によって 衣服・武具・船に朱砂〈丹〉を塗り戦勝されたので 応神天皇が 社殿と広大な神領を寄進されたとする 式内社であり 紀伊国一之宮でもあります

続きを見る

8-4 住吉大社―反橋・太鼓橋・神橋

大阪市の住吉大社では、正面神池の橋を「反橋」、通称を「太鼓橋」と案内し、同じ説明の中で「神橋」と位置付けています。神社との関係を示す神橋、公式名称としての反橋、通称としての太鼓橋が、一つの橋に併存する例です。住吉大社は、この橋を渡るだけで「おはらい」になるとの信仰も紹介しています。

大阪市の住吉大社と摂津國一之宮の由緒を紹介する記事です。

URL:https://shrineheritager.com/sumiyoshi-taisha/

反橋〈太鼓橋〉を伝える大阪市の住吉大社
住吉大社(大阪市住吉区住吉)〈摂津國一之宮〉

住吉大社(すみよしたいしゃ)は 『日本書紀』に神功皇后が三韓征伐の帰路 住吉三神の神託を得て 住吉大神の和魂(にきみたま)を鎮めて祀ったのが創建と記される 全国に2000社余ある住吉神社の総本社で 摂津國一之宮です 延喜式内社 住吉坐神社四座(並 名神大月次相嘗新嘗)(すみのえにます かみのやしろ しくら)です

続きを見る

代表例に見る名称と役割

神社 橋名 記事で確認する点
日光二荒山神社 神橋 固有名称・由緒・再建年代
皇大神宮〈内宮〉 宇治橋 参入路・架け替え
丹生都比賣神社 輪橋・禊橋 御祭神の通路と祓いの役割
住吉大社 反橋〈通称太鼓橋〉 神橋・反橋・太鼓橋の関係

第9章 参拝者が神橋を見るときの注意点

9-1 自由に渡れるとは限らない

神橋には、一般参拝者が自由に通行できる橋だけでなく、受付や拝観料が必要な橋、神事の際に限って使用する橋、保存上の理由で閉鎖されている橋があります。柵や立札がある場合は越えず、神社の案内に従います。

9-2 「中央を避ける」は全国一律の決まりではない

参道の正中を避ける作法が案内されることはありますが、すべての神橋について左右通行が定められているわけではありません。狭い橋、一方通行の橋、急勾配の橋では、安全確保のための誘導が優先されます。

9-3 橋上での撮影は通行を妨げない

橋は景観上の見どころでもありますが、狭い橋の中央で長時間立ち止まると通行の妨げになります。撮影禁止や三脚禁止の表示がある場合は従います。祭列が近づいたときは、係員の案内に従って橋や参道を空けます。

9-4 急勾配・濡れた橋板・段差に注意する

反橋や太鼓橋には傾斜が大きいものがあります。雨、霜、苔などで橋板や石面が滑りやすくなる場合もあります。高齢者、子ども、履物に不安がある人は、迂回路の有無を確認してください。

9-5 最新の通行情報を確認する

木造橋は点検や保存修理のため、期間を定めて通行を停止することがあります。この記事で紹介する通行状況も将来変わる可能性があります。参拝前に各神社の公式情報と現地掲示を確認することが確実です。

第10章 よくある質問(FAQ)

Q1 神橋とはどのような橋ですか。

神社に関係する橋のうち、神域への参入路、祭祀上の通路、または固有の由緒によって特別に位置付けられた橋です。ただし、全国共通の一つの形状を示す名称ではありません。

Q2 神社にある橋はすべて神橋ですか。

すべてが神橋とは限りません。境内には園路橋や鑑賞用の橋もあります。神社の公式名称、境内案内、祭祀上の使用法などを確認します。

Q3 神橋と太鼓橋は同じものですか。

同じ意味ではありません。神橋は神社との関係や祭祀上の位置付けを示し、太鼓橋は主として大きく反った形を表す通称です。一つの橋が両方に該当する場合はあります。

Q4 神橋と御橋はどう違いますか。

御橋は橋への敬称、または個々の神社の固有名称として用いられます。神橋との関係や読み方を全国一律に定めることはできません。

Q5 神橋は誰でも渡れますか。

橋によって異なります。一般通行できる橋、拝観時に渡れる橋、祭礼専用の橋、保存上の理由で通行できない橋があります。現地の案内を優先してください。

Q6 神橋では中央を避けて歩くべきですか。

全国共通の決まりとはいえません。神社が示す通行方向、安全上の誘導、祭典中の規制に従います。

Q7 神橋を渡ると心身が清められるのですか。

そのような信仰を伝える橋はありますが、すべての神橋に共通する説明ではありません。住吉大社の反橋や丹生都比賣神社の禊橋のように、それぞれの神社が明示する由緒として理解します。

Q8 朱塗りでなければ神橋ではありませんか。

朱塗りは条件ではありません。自然木の色を生かした橋や、石造の橋もあります。色ではなく、名称、由緒、配置、使用法から判断します。

第11章 Shrine Heritager編集部考察

神橋を理解するうえで大切なのは、美しい朱塗りの反橋という一つの姿に限定しないことです。橋名、架かる水域、参道との関係、渡る人、祭祀での使用法を個別に確認すると、それぞれの神社が橋に与えた意味が見えてきます。

「橋は境界である」「橋を渡ると清められる」という説明は魅力的ですが、史料や神社の案内を離れて全国へ一般化すれば、異なる由緒を同じ物語にまとめてしまいます。神橋の多様性を保ったまま比較することが、神社ごとの信仰と歴史を正確に伝える方法だと考えます。

第12章 関連項目(See also)・内部リンク

神橋に関連する用語と神社

項目 URL 関係
参道 https://shrineheritager.com/sando/ 神橋が組み込まれる参拝経路
鳥居 https://shrineheritager.com/torii/ 神橋とともに参入路を構成する施設
神門 https://shrineheritager.com/shinmon/ 境内の区画と動線を構成する門
境内 https://shrineheritager.com/keidai/ 橋の位置関係を理解するための空間
手水舎 https://shrineheritager.com/temizuya/ 参拝前の手水を行う施設
日光二荒山神社 https://shrineheritager.com/nikko-futarasan-shrine/ 固有名称「神橋」を伝える神社
皇大神宮〈内宮〉 https://shrineheritager.com/kotai-jingu/ 宇治橋を参入路とする神宮
丹生都比賣神社 https://shrineheritager.com/niutsuhime-shrine/ 輪橋と禊橋の異なる役割
住吉大社 https://shrineheritager.com/sumiyoshi-taisha/ 反橋・太鼓橋・神橋の関係

第13章 参考文献

一次史料・歴史資料

区分 文献・資料 本記事での扱い
一次史料 『古事記』上巻 国生み段 天浮橋は神話上の場であり、建築としての神橋の直接資料とはしません
一次史料 『日本書紀』巻第一 神代上 天浮橋の用例確認
文化財資料 文化庁「二荒山神社 神橋」国指定文化財等データ 文化財名称、年代、構造、指定区分

神社公式資料・公的ウェブ資料

発信主体 資料名 確認事項
日光二荒山神社 神橋 由緒、旧称、使用、再建
神宮司庁 皇大神宮〈内宮〉・宇治橋関係案内 宇治橋の位置、参入路、架け替え
丹生都比賣神社 境内のご案内 輪橋、禊橋、通行情報
住吉大社 住吉っさんの見所 反橋、太鼓橋、神橋、渡橋信仰

第14章 External Links(外部リンク)

文化遺産オンライン 二荒山神社 神橋

文化庁が提供する文化遺産情報です。二荒山神社神橋の文化財名称、所在地、年代、構造、指定区分を確認できます。

URL: https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/154895

日光二荒山神社 神橋

日光二荒山神社が、神橋の由緒、旧称、歴史、構造を案内する公式ページです。

URL: 文化遺産オンライン 二荒山神社 神橋

丹生都比賣神社 境内のご案内

輪橋を御祭神がお渡りになる神橋として説明し、禊橋の祓いとの関係や境内配置を案内しています。

URL: https://niutsuhime.or.jp/about/map/

住吉大社 住吉っさんの見所

反橋の通称、構造、寸法、由緒、渡橋と祓いに関する信仰を確認できる公式ページです。

URL: https://www.sumiyoshitaisha.net/grounds/highlights.html

第15章 更新履歴(Revision History)

神橋記事の更新履歴

版 更新日 内容
Edition 1 Revision 1 2026年9月15日 SHM-0002 Version 5.6に基づき全面再作成。神橋の一律定義、天浮橋との直接的系譜、全国共通の渡橋作法を見直し、名称・配置・祭祀・通行区分を個別に確認する構成へ改訂。住吉大社の誤った内部リンクを修正。
  • B!

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています