実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

神明社・八幡宮合殿(名古屋市北区中杉町)〈『延喜式』大目神社〉

神明社・八幡宮合殿(しんめいしゃはちまんしゃあいどの)は 神明社はこの地に寛永七年(1630)創建 八幡社〈天文一〇年(1541)杉村字八幡越に勧請〉は清水小学校開校に伴い敷地に充てるため明治39年(1906)奉還合祀 又 境内社合殿の大日社は 延喜式内社 尾張國 山田郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)の論社です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

神明社・八幡宮合殿(Shimmeisha hachimansha aidono)
明治39年(1906)合祀〉

通称名(Common name)

杉の宮(すぎのみや
杉の宮神社(すぎのみやじんじゃ)

【鎮座地 (Location) 

愛知県名古屋市北区中杉町1-18

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神》
 〔神明社〕国常立尊(くにのとこたちのみこと)
 〔八幡社〕譽田別尊(ほんたわけのみこと)〈第15代 應神天皇

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社〈境内の合祀社 大日社が論社

【創  (Beginning of history)】

神明社 八幡社 合殿 (杉ノ宮由緒記

鎮座地 名古屋市北区中杉町一丁目十八番地(大杉小西信号北入)

  国常立尊・應神天皇

  桐・橘

 

 神明社は、寛永七年一六三〇尾張藩、藩士小笠原総左衛門により、此の地に創建される。又、八幡社は天文一〇年一五四一杉村字八幡越に勧請される。後に、明治三九年、清水小学校開校に伴い敷地に充てるため、此の宮に奉還合祀し、神明社・八幡社合殿とする。大正九年一九一一村社となる。平成二五年十月大灯篭撤去、主鳥居補修震災対策、こま犬鎮座、社務所新築、現在に至る。

神社等級 昭和三十七年九月 愛知県神社廳 七等級

例大祭  五月五日平成二十三年改正五月十五日より変更

 殿  本殿神明造、拝殿、七十五平方米 境内千百平方米

年間神事 左義長一月十三日、春祭三月十五日、茅の輪・赤丸神事・龍神祭七月二十一日、秋祭十一月十五日

  神宮含め十一社

氏子崇敬者 二千五百戸 壱千名

以上

現地案内板より

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【由  (History)】

由緒

 神明社は寛永7年1630創立、八幡社は天文10年1541八幡越に勧請、明治39年1906神明社に合祀する。大正9年1920指定村社

皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究部会HPより
https://jinja-net.jp/jinja-all/jsearch3all.php?jinjya=3048

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・〈境内社〉神宮 熱田社 天神社 春日社 八劔社

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・〈境内社〉竜神社《主》水波女命

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・〈境内社〉金比羅社 大日社 津島社 愛宕社 熊野社 秋葉社

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境内社に合祀されている「大日社〈西杉村の大日堂」について 延喜式内社 尾張國 山田郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)の論社ともされます

『式内社調査報告第巻』昭和59年に記される内容

式内社 大目神社の論社の一つとして゛西杉村の大日堂はもと大目神社であった゛と記しています

【抜粋】

尾張國 山田郡 大目神社

【論社】

木立英世氏は「式内社大目神社 (山田郡 )の座地の問題」 ( 『郷土文化』40-2 )で、大目神社の候補地として西杉村・守山村・大留村・東志賀村・赤津村の五ケ所を挙げ、各々資料を紹介し説明する。以下それを参考に若干の説明を加へてみることとする。

① 西杉村説春日井郡山田庄杉村。現名古屋市北區)

 細野要齋の随筆『感興漫筆』卷十五(安政二年)に載せる(『名古屋厳書』第二十番所収)説。西杉村の大日堂はもと大目神社であった。目の一字が日に變化して今 佛像を安置して祀るといふ説である。『尾張志』もこの西杉村の大日堂説を紹介するが、「いかゝあらん」と疑問視をする。

【原文】

『式内社調査報告第八巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より

『尾張志』6〈明治31年(1898)〉に記される内容

【抜粋意訳】

大目神社

・・・
・・・〈中略〉
・・・


西杉邑の大日の森を大目の誤字より傳へ誤りて かく大日と呼へならひたりといふ説もありて 此社なるへしといふ考へもあれどいかかあああらん

原文参照

深田正韶 等編 ほか『尾張志』6 春日郡,博文社,明31.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/764867

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

境内社に合祀されている「大日社〈西杉村の大日堂」が論社とも云われます

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)山田郡 19座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 大目神社
[ふ り が な ](おほめの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ohome no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳』〈927年12月編纂〉に所載される「大目神社(おほめの かみのやしろ)」の論社について

延喜式内社 尾張國 山田郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)の論社について

・大目神社(瀬戸市巡間町)

一緒に読む
大目神社(瀬戸市巡間町)〈『延喜式』大目神社〉

大目神社(おおめじんじゃ)は 鎮座地が古くは「大目森」とも「御守塚」とも呼ばれていたので神社の名称が大目神社となったと云われています 創建年代は不祥ですが 奈良時代に遡るとも云い 延喜式内社 尾張國 山田郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)の論社となっています

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・神明社・八幡宮(明治39年(1906)合殿)杉の宮神社(名古屋市北区中杉町)
〈西杉村の大日堂が式内社の論社⇒現在の境内社合殿 大日堂氏神八幡宮〉

一緒に読む
神明社・八幡宮合殿(名古屋市北区中杉町)〈『延喜式』大目神社〉

神明社・八幡宮合殿(しんめいしゃはちまんしゃあいどの)は 神明社はこの地に寛永七年(1630)創建 八幡社〈天文一〇年(1541)杉村字八幡越に勧請〉は清水小学校開校に伴い敷地に充てるため明治39年(1906)奉還合祀 又 境内社合殿の大日社は 延喜式内社 尾張國 山田郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)の論社です

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・〈参考論社〉神明社(春日井市大留)
〈下大留村の天神が式内社の論社〉

・天目社(尾張国春日井郡東志賀村)〈所在不明〉
〈現(名古屋市北区志賀町)だが 該当神社なし 所在不明〉『尾張志(1844年)』には記載あり

・社名不明(名古屋市守山区のどこか)〈所在不明〉

延喜式内社 佐渡國 羽茂郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)の論社について

・大目神社(佐渡市吉岡)〈佐渡國二之宮〉

一緒に読む
大目神社(佐渡市吉岡)〈『延喜式』大目神社・佐渡國二之宮〉

大目神社(おおめじんじゃ)は 延喜式内社 佐渡國 羽茂郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)で 佐渡國二之宮とされる由緒ある古社です 創建年代など不祥ですが 『佐渡志』に「徳治二年(1307)七月 吉岡地頭本間遠江守 この社を修理せし時の棟札は今も残れり」とあります

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

名鉄瀬戸線 尼ケ坂駅から北へ約650m 徒歩での所要時間9~12分程度

神明社・八幡宮(明治39年(1906)合殿)杉の宮神社(名古屋市北区中杉町)に参着

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社頭の鳥居をくぐり抜けて

拝殿にすすみます

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 大目神社について 所在は゛祭神在所等詳ならず゛〈所在は不明〉と記しています

【抜粋意訳】

大目神社

大目は於保女と訓べし

○祭神在所等詳ならず
 考證に物部目連、』集大眞連云々と云る共に推當の

類社
 佐渡國 羽茂郡 大目神社

神位
 國內神名帳云、從三位大目天神、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 大目神社について 所在は゛ 山田庄赤津村八王子社、即是也゛〈現 大目神社(瀬戸市巡間町)〉と記しています

【抜粋意訳】

大目神社、

 山田庄赤津村八王子社、即是也、〔尾張國式社確定○按 本社に本國神名帳古寫本一巻あり、抜文に奉納 大目八王子宮と云る、証とすべし

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 大目神社について 所在は゛山田庄赤津村〔今屬 春日井郡〕(東春日井郡赤津村)゛〈現 大目神社(瀬戸市巡間町)〉と記し

又゛下大留村神明ならんと云説もあれど この所は春日部郡なれば信がたし゛〈現 神明社(春日井市大留)〈下大留村の天神が式内社の論社〉〉も挙げています

【抜粋意訳】

大目(オホメノ)神社

祭神
祭日
社格 村社

所在 山田庄赤津村今屬 春日井郡(東春日井郡赤津村)

 今按 この地 往昔は山田郡なり邑民 大目森 又 御守塚と云ひ 内陣に本國帳の古冩卷物ー卷あり その奧書に奉納 大目八王子宮と記せるなど證とすべし 然るを下大留村神明ならんと云説もあれど この所は春日部郡なれば信がたしと云り

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

神明社・八幡宮(明治39年(1906)合殿)杉の宮神社(名古屋市北区中杉町) (hai)」(90度のお辞儀)

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尾張国 式内社 121座(大8座・小113座)について に戻る

一緒に読む
尾張國 式内社 121座(大8座・小113座)について

尾張国(おわりのくに・をはりのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 尾張国には 121座(大8座・小113座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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  • B!

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