島大國魂神社は かつて 上対馬 豊(豊漁港)の北東にある 椎根島の白水山(シロミズヤマ)に鎮座していました〈旧 鎮座地〉 この白水山に続く海岸沿いは 不通浜(トオラズガハマ)と呼ばれて 神聖ゆえに近づくことすら許されず 禁足地としての掟が厳しく 立ち入ると大風が吹く 腹痛に見舞われる 災害が起きる さらに 白水山には老人が住んでおり そこで見聞きしたことを他言すると死んでしまう という伝承もあります 決して近づいてはならない神域です 下の写真は望遠にて撮影
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
島大國魂神社(Shimaokunitama Shrine)〈旧 鎮座地〉<Old location>
(しまおおくにたまじんじゃ)〈きゅう ちんざち〉
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
長崎県上県郡上対馬市大字豊字シレイ409
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
豊港口東岬の白水山に奉祀
《主》素盞鳴尊(Susanowo no mikoto)
天狭手依比賣(Ameno sadeyori hime)
※天之狭手依比売は〈・伊耶那岐神・伊耶那美神の二神の国生みにより生れた神 津島(対馬)の亦名としてみえる神〉
現在の合祀先「那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社(三社合祀)」の祭神の案内板より記載
天狭手依比賣 古事記によれば有史以前 対馬 最初の国司として 御神徳高い御女神と拝察する
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
神社のプロフィール
上対馬豊(豊漁港)の北東、椎根島の白水山(しろみずやま)に島大國魂神社、東に1キロの海辺に若宮神社が鎮座していましたが、現在は集落内の那祖師神社に3社が合祀されています。
白水山は禁足地としてのタブーが激しく、立ち入ると大風が吹く、腹痛に見舞われる、災害が起きる、さらには、白水山には老人が住んでおり、そこで見聞きしたことを他言すると死んでしまう、という怖い伝承もあります。
白水山に続く海岸沿いの道は、不通浜(とおらずがはま)と呼ばれています。 南部の龍良山などと同様に、神聖ゆえに近づくことすら許されず、遥拝所(遠くから拝むための建物など)を造り、それが神社になっていく、という古い信仰のあり方をよく示しています。
『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋
〈一般社団法人 対馬観光物産協会 2017/3出版〉より
http://blog.kacchell-tsushima.net/?eid=221
【由 緒 (History)】
※参考
ソシモリから戻った
素盞男命(Susanowo no mikoto)の最初の寄港地なのかもしれません
暴風神・スサノオノミコト
【対馬の伝承・異伝】
おもに対馬の北部から北東部にかけてスサノオノミコトおよび子神のイソタケルノミコト渡来の伝承地がいくつもありますが、いずれも強烈なタブーの地とされ、植樹に関する伝承が残されています。本来は 出雲の神であるスサノオノミコトが、どのような経緯で対馬に祭られるようになったのかは不明ですが、ヤマタノオロチを退治してその尻尾からクサナギの剣を得る、という神話は、暴れ川の治水および川から得られる砂鉄と、熱源となる樹木を利用した製鉄の比喩とされています。
想像をたくましくすれば、朝鮮半島の森を刈りつくした製鉄者集団の首長スサノオミコトが、対馬を経由して出雲に渡っていった、という物語も見えてきます。
『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋
〈一般社団法人 対馬観光物産協会 2017/3出版〉より
http://blog.kacchell-tsushima.net/?eid=221
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
当神社は『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載の2つの神社の論社となっています
①「對馬嶋 上縣郡 嶋大國魂神社」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 嶋大國魂神社
[ふ り が な ](しまおおくにたまの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Shima okunitama no kamino yashiro)
②「對馬嶋 上縣郡 大嶋神社」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 大嶋神社
[ふ り が な ](おほしまの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ohoshima no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
当神社は『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載の2つの神社の論社となっています それぞれの論社をご紹介します
①「對馬嶋 上縣郡 嶋大國魂神社」
・嶋大國魂御子神社(対馬 佐須奈)
嶋大國魂御子神社(しまおおくにたまみこじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「對馬嶋 上縣郡 嶋大國魂神御子神社」の有力な論社とされています 参道には 天然記念物であるムクロジと大杉の立派な御神木があります
嶋大國魂御子神社(対馬 佐須奈)
・島大國魂神社(対馬 豊)
島大國魂神社は かつて 上対馬 豊(豊漁港)の北東にある 椎根島の白水山(シロミズヤマ)に鎮座していました〈旧 鎮座地〉 この白水山に続く海岸沿いは 不通浜(トオラズガハマ)と呼ばれて 神聖ゆえに近づくことすら許されず 禁足地としての掟が厳しく 立ち入ると大風が吹く 腹痛に見舞われる 災害が起きる さらに 白水山には老人が住んでおり そこで見聞きしたことを他言すると死んでしまう という伝承もあります 決して近づいてはならない神域です 下の写真は望遠にて撮影
島大國魂神社(対馬 豊 白水山)〈旧 鎮座地〉
・那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社(三社合祀)
那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社〈三社合祀〉は もともとは 豊(トヨ)の村人たちが 豊漁港の北東にある 椎根島の白水山(シロミズヤマ)に鎮座していた「島大国魂(シマオオクニタマ)神社の遥拝所」としていた処であったとされます ここに 旧 藩政時代 国主により「那祖師(ナソシ)神社」が建立されます やがて 島大国魂神社と 北東にあるナンガ浦〈豊と泉の中間辺り〉に鎮座する若宮(ワカミヤ)神社も合わせ 豊(トヨ)に鎮座する3社が合祀されて 現在に至ります
那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社〈三社合祀〉
・島大國魂神社(対馬 御岳)
島大國魂神社(しまおおくにたま じんじゃ)は 御岳(ミタケ)の山頂に磐座(イワクラ)があり かつては禁足地でした 山岳信仰〈修験道〉の霊場とされ た対馬北部の上県町「御岳(ミタケ)」は ・雄岳・雌岳・平岳が連なり 御岳と呼ばれます 対馬南部の「白嶽(シラタケ)」と並んで古くから知られた修験道の聖地です
島大國魂神社(対馬 御岳)
②「對馬嶋 上縣郡 大嶋神社」
・和多都美神社(対馬 仁位)
和多都美神社(わたつみじんじゃ)は 伝承によれば 山幸彦(彦火火出見尊)が 豊玉姫命を妃として留まったワタツミノ宮の古跡され 古くから竜宮伝説が残ります 社殿裏手の深い森の中に 磐座〈豊玉姫の墳墓〉があり 本殿から正面へと海へ向かって海中に鳥居が建ち 満潮時にはまるで海に浮かぶ竜宮城のような神秘的な光景が広がります
和多都美神社(対馬市豊玉町仁位字和宮)〈延喜式内社 和多都美神社(名神大社)〉
・元嶋神社(対馬 唐洲)
元嶋神社(もとしまじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「對馬嶋 上縣郡 大嶋神社(おほしまの かみのやしろ)」の論社です 写本によっては「大嶋(オホシマ)」が「本島(モトシマ)」と書かれている場合があり ここから当社が論社となっています
元嶋神社(対馬 唐洲)
・那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社(三社合祀)
那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社〈三社合祀〉は もともとは 豊(トヨ)の村人たちが 豊漁港の北東にある 椎根島の白水山(シロミズヤマ)に鎮座していた「島大国魂(シマオオクニタマ)神社の遥拝所」としていた処であったとされます ここに 旧 藩政時代 国主により「那祖師(ナソシ)神社」が建立されます やがて 島大国魂神社と 北東にあるナンガ浦〈豊と泉の中間辺り〉に鎮座する若宮(ワカミヤ)神社も合わせ 豊(トヨ)に鎮座する3社が合祀されて 現在に至ります
那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社〈三社合祀〉
・島大國魂神社(対馬 豊)
島大國魂神社は かつて 上対馬 豊(豊漁港)の北東にある 椎根島の白水山(シロミズヤマ)に鎮座していました〈旧 鎮座地〉 この白水山に続く海岸沿いは 不通浜(トオラズガハマ)と呼ばれて 神聖ゆえに近づくことすら許されず 禁足地としての掟が厳しく 立ち入ると大風が吹く 腹痛に見舞われる 災害が起きる さらに 白水山には老人が住んでおり そこで見聞きしたことを他言すると死んでしまう という伝承もあります 決して近づいてはならない神域です 下の写真は望遠にて撮影
島大國魂神社(対馬 豊 白水山)〈旧 鎮座地〉
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
津島空港から R382号を北上 上対馬の北端にある 豊(豊漁港)を目指します
約70KM 車90分程度
豊地区で漁港方面に曲り 漁港へ流れる川(入り江?)の脇を進みます
漁港に着いたら 進行方向に少し戸惑いますが そのまま直進します
車を留めて 港の先の磯場へ向かいます
実は 昨日も来たのですが 途中から 潮が満ちていて進めませんでした
今日は 潮を調べてきました 足元も万全ですので 何とかなりそうです
少し きつめの岩場もありますが まったく波のない日でしたので 落ち着いて進めます
対岸に 椎根島の白水山(シロミズヤマ)が見えてきました 一番左に灯台のある島 一番右手の島が椎根島
祟りが恐ろしいので 不通浜(トオラズガハマ)まで行く気は毛頭ありませんが もう少し進んでみたい気分になりました
進むと湾の奥に入るので かえって遠くなったりします
まだ行けそうです
不通浜(トオラズガハマ)が見えてきます
磯場も厳しく まだ干潮の最中なので これ以上は進めません
ちょうど 祟られぬ程度の離れ具合でもあります
この先の入り江で 漁船を修理していた人がいました それによって まだ 不通浜(トオラズガハマ)には 至っていないことが判りましたので 安心してここまで進めました 良かったです
但し ここは磯場なので 釣り人の方は判りますが 普通の道ではないこと 潮の満ち引き 風雨の状況も含め 海辺である事の危険も理解していなければなりません
ここから
島大國魂神社(Shimaokunitama Shrine)〈旧 鎮座地〉<Old location>を遥拝
その時の簡単な動画をUPします
島の中央に石碑が建っています 現在 島には 祠はなく 豊の集落内の那祖師神社に合祀されています
お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
磯場を戻ります
島大國魂神社〈旧 鎮座地〉に振り返り一礼をします
豊漁港迄戻ると 対岸に 現在の合祀先「・那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社(三社合祀)」の鳥居が見えます 那祖師神社へ向かいます
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』延喜元年(901年)成立 に記される伝承
對馬嶋(上縣・下縣)の式内社の神々とともに 神階の昇叙が記されています
意訳
貞観12年(870)3月5日 丁巳の条
詔(ミコトノリ)を授(サズ)くに
對馬嶋(ツシマノシマ)の
正5位上 多久都神(タクツノカミ)に 従4位下
従5位上
和多都美神(ワタツミノカミ)
胡簶神(コロクノカミ)
御子神(ミコノカミ)
嶋大國魂上(シマオオクニタマノカミ)
高御魂神(タカミタマノカミ)
住吉神(スミヨシノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
太祝詞上(フトノリトノカミ)
平神(タイラノカミ)
並びに 正5位下大吉刀神(オオヨシカタナノカミ)
天諸羽神(アマノモロハノカミ)
天多久都麻神(アマノタクツマノカミ)
宇努神(ウノノカミ)
吉刀神(キトノカミ)
小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)
行相神(ユキアイノカミ)
奈蘇上金子神(ナソカミカネコノカミ)
嶋御子神(シマミコノカミ)
国本神(クニモトノカミ)
銀山神(カナヤマノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
敷嶋神(シキシマノカミ)
並びに 従5位上
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス
『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=
『神名帳考証土代(jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承
御嶽(ミタケ)に鎮座する「島大國魂神社」を比定しています
意訳
島大國魂神社
神位 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・正5位下
〇伊奈郷仁田村 仁田嶽島・・・社あらん 御嶽は上津郡第一の高山 この山頂に峒(トウ)あり その窟の中に 昔 神を祭りたる処ありて 瓶子(ヘイシ) 皿(サラ) 杯(サカズキ) 等 于今(イマニ)〈今もって〉有なりと云々
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』明治3年(1870年)に記される伝承
白水山(シロミズヤマ)に鎮座する「島大國魂神社〈旧 鎮座地〉(Shimaokunitama Shrine)<Old location>」を比定社としています
但し 祭神は 大國魂神としています
意訳
島大國魂神社
島大國魂は 志麻乃於保久邇多麻(シマノオホクニタマ)と訓ずべし
〇祭神明らかなり
考証 大己貴命
古蹟集 素盞男尊といふ 共に今は従わず古事記伝9の巻 倭大國魂神 云々の条に
各 その国 処に経営の功徳ありし神を 如(ゴトク)これ申して祀れるなるべし云々
その中には 大穴牟遅命を祀るもありぬべし又 曰く
書紀『日本書紀』に 一名 大國玉神
『古語拾遺』に 大國魂神とあるのは すべて天下を経営ましまし故なり
御名の同じきをもって 思い混じうる事なかれと云うは然(シカル)るべし
連胤〈鈴鹿 連胤(スズカツラタネ)〉
按るに〈考慮するに〉
当社を「島首社」と称するも この島を経営し給う 首の神なればなるべし
類社 大和国 山邊郡 大和坐大國魂神社 の條を見あうべし
神位 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・正5位下
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』1 『神社覈録』2
『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876)に記される内容
白水山(シロミズヤマ)に鎮座「島大國魂神社〈旧 鎮座地〉(Shimaokunitama Shrine)<Old location>」を比定社としています
意訳
島大國魂神社
祭神 狭手依姫命
素盞男尊
今 按〈考えるに〉
明細帳に祭神 素盞男尊と見えていることを
長崎県式内社記に 国史に徴考するに 狭手依比賣神なるべし よって加祭すとあるのは 『古事記』で 津島の又の名を 天狭手依比賣と云えるによるものなるべし
されど 旧説も 全く無稽(ムケイ)〈拠りどころがない〉とは定めがたく 故 今姑く 式内社記に従って2神を記せり神位 清和天皇 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・正5位下
祭日 6月3日
社格 村社
所在 豊村 字 白水山
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
島大國魂神社(Shimaokunitama Shrine)〈旧 鎮座地〉<Old location>に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
『對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について』に戻る
對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています
對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について