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節分祭(せつぶんさい)とは?追儺・豆まきの由来と神社祭祀を解説

SHD-0325 節分祭(せつぶんさい)とは?追儺・豆まきの由来と神社祭祀を解説
 
節分祭(せつぶんさい)は、立春の前日に神社で行われ、災厄を祓い、氏子・崇敬者の無病息災や招福を祈る祭祀です。古代宮中の追儺と、暦上の節分、中世以降の豆まきが重なって成立した歴史をたどり、祭式、豆をまく意味、地域差、代表的な神社まで史料に基づいて解説します。
 
基本情報
用語 節分祭
読み方 せつぶんさい
別表記 節分追儺祭(せつぶんついなさい)・追儺祭(ついなさい)・節分大祭(せつぶんたいさい)など
英語表記 Setsubun Festival / Setsubun Purification Rite(説明的表記)
意味 立春の前日を中心に神社で行われ、災厄を祓い、無病息災・厄除招福などを祈る祭祀
分類 神社祭祀・年中行事・厄除招福の祭祀
対概念 特になし
関連概念 節分・立春・追儺・鬼やらい・豆まき・厄除・招福・大祓

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第1章 節分祭とは

1-1 立春の前日に災厄を祓い福を願う神社祭祀

節分祭(せつぶんさい)とは、一般に立春の前日に神社で行われる祭祀です。神前で祭典を執り行い、災厄を祓うとともに、氏子・崇敬者の無病息災、厄除招福、家内安全などを祈ります。

祭典の内容は神社によって異なりますが、修祓(しゅばつ)、献饌(けんせん)、祝詞奏上(のりとそうじょう)などの神事に続き、追儺(ついな)の所作や豆まき、福豆・福餅などの授与が行われる例があります。年男・年女、著名人、氏子総代などが豆をまき、多くの参拝者でにぎわう節分祭もあります。

ただし、豆まきは節分祭のすべてではありません。神社における節分祭の中心は、季節の移り変わりにあたり、神前で災厄の消除と新しい春の平穏を祈る祭典にあります。参拝者が参加する豆まきや福物の授与は、その祈りを目に見える形で表す行事の一つと位置づけられます。

1-2 「節分」と「節分祭」の違い

「節分」と「節分祭」は密接に関係していますが、同じ意味の言葉ではありません。

節分は、もともと季節の分かれ目を表す暦上の名称です。これに対して節分祭は、その節分の日に神社が執り行う祭祀を指します。家庭で行う豆まきや柊鰯(ひいらぎいわし)などの習俗も節分行事に含まれますが、それだけで神社の節分祭と同一になるわけではありません。

節分・節分祭・豆まきの基本的な違い

名称 性格 主な実施場所・主体 主な内容
節分 季節の分かれ目を示す暦上の名称 家庭・地域・寺社など 豆まき、厄除け、柊鰯など多様な年中行事
節分祭 神社で行われる祭祀 神社 神前の祭典、厄除祈願、追儺、豆まき、福物授与など
豆まき 災厄を象徴する鬼を払い、福を願う行為 家庭・神社・寺院・地域行事など 豆をまき、「鬼は外、福は内」などの言葉を唱える

神社の節分祭を理解する際には、暦上の節分、家庭や地域に伝わる習俗、神社で行われる祭祀を区別したうえで、それぞれが歴史の中で結びついてきたことを見る必要があります。

1-3 節分祭は必ず2月3日とは限らない

現在の節分は、一般に立春の前日を指します。立春は二十四節気の一つであり、日付は太陽の運行に基づいて定められます。このため、節分の日も必ず2月3日になるとは限らず、年によって2月2日などになることがあります。

神社の案内で「節分の日」とされている場合は、その年の立春の前日に祭典が行われるのが基本です。一方で、参拝者の参加や祭典運営などを考慮し、神社によっては2月3日に固定したり、節分に近い休日に行ったりする場合もあります。参拝を予定する場合には、その年の神社公式情報を確認する必要があります。

したがって、「節分祭は毎年2月3日の祭り」と説明するのは正確ではありません。「原則として立春の前日に行われる祭り」とするのが適切です。

1-4 神事と豆まき行事を分けて考える

大規模な節分祭では、豆まきや著名人の参加が広く報道されるため、節分祭そのものが豆まき行事であるように受け取られることがあります。しかし、神社では豆まきに先立って神前の祭典が行われる例が多くあります。

神前では、参列者を祓い清め、神饌(しんせん)を供え、祝詞を奏上して、災厄の消除や無病息災などを祈ります。その後に追儺の所作、鳴弦(めいげん)や蟇目(ひきめ)の弓、豆まき、福物の授与などが続くことがあります。

ただし、この流れは全国の神社に共通する固定された祭式ではありません。祭名、祭日、祈願内容、奉仕者、豆まきの有無、用いられる祭具や掛け声には、神社の由緒や地域の伝承による違いがあります。本記事では、共通して見られる要素と各神社固有の神事を区別して解説します。

第2章 「節分」の意味と名称

2-1 節分とは季節の分かれ目

「節分」という言葉は、文字どおり季節を分けることを意味します。ここでいう季節の区切りは、二十四節気の立春(りっしゅん)・立夏(りっか)・立秋(りっしゅう)・立冬(りっとう)です。それぞれの前日が、季節の終わりと次の季節への移り変わりを示す節分にあたります。

季節の変わり目は、古くから生活の区切りとして意識されてきました。なかでも冬から春へ移る立春は、新しい年の始まりとも関係づけられ、その前日にあたる節分が特に重視されるようになりました。

現在、単に「節分」といった場合は、一般に立春の前日を指します。ただし、もともとの言葉の意味まで立春前日だけに限られていたわけではありません。

2-2 立春とは何か

立春(りっしゅん)は、二十四節気の一つで、暦の上で春の始まりを示す日です。二十四節気とは、太陽の一年の動きを基準として一年を24の節目に分けた暦の仕組みで、立春・立夏・立秋・立冬のほか、春分・夏至・秋分・冬至などが含まれます。

現在の暦では、太陽黄経が315度に達する時刻を含む日が立春とされます。太陽黄経とは、地球から見た太陽の通り道を角度で表したものです。太陽が315度の位置に達する日時は年によってわずかに変わるため、立春の日付も一定ではありません。

立春は、多くの年では2月4日頃になりますが、年によって2月3日になることもあります。その前日が節分であるため、節分も2月3日に固定されず、立春の日付に応じて変わります。

なお、立春は気温や植物の状態から実際の春の到来を判定する日ではありません。まだ寒さが続く時期であっても、暦の上では冬から春へ移る節目とされます。この暦上の区切りが、新しい春を迎える前に災厄を祓う節分祭の意味と深く関係しています。

2-3 本来は年に四回あった節分

立春・立夏・立秋・立冬の前日をすべて節分と考えると、節分は一年に四回あります。しかし、現在の年中行事として広く知られているのは、立春前日の節分です。

立春は、旧暦の正月前後に訪れる重要な節目でした。旧暦では、暦上の正月と立春が必ず同じ日に始まるわけではなく、年内に立春を迎える「年内立春」や、正月を迎えてから立春となる「新年立春」もありました。それでも立春は春の始まりとして重視され、その前日の節分には、一つの季節を終えて新しい春を迎えるという意味が強く意識されました。

このような暦と年中行事の重なりが、立春前日の節分を特別な日として定着させた背景の一つと考えられます。

2-4 立春前日の節分が重視された理由

立春前日の節分が重視された理由は、一つだけではありません。春の始まりを迎える暦上の節目であったことに加え、旧年の災厄を払い、新しい時期を清らかに迎えたいという願いが重なったと考えられます。

追儺と節分が結びついていく経緯は、第3章で史料に即して確認します。

2-5 節分祭・節分追儺祭・節分会などの名称

神社では「節分祭」のほか、「節分追儺祭」「追儺祭」「節分大祭」「節分厄除祭」などの名称が用いられています。名称が異なるからといって、必ずしも祭祀の目的が完全に異なるわけではありませんが、「追儺」を祭名に含む神社では、鬼や災厄を追い払う古式の所作を重視する場合があります。

寺院では「節分会(せつぶんえ)」「節分追儺会(せつぶんついなえ)」などの名称が多く用いられます。寺院の節分行事では、法要、護摩、読経、星祭、追儺式などが行われることがあります。

神社と寺院の節分行事は、豆まきや厄除けなど共通して見える要素を持っていますが、祭祀・法要の対象や作法、宗教的な説明は同一ではありません。本記事では、原則として神社で行われる節分祭を扱い、寺院の節分会との違いは第7章で整理します。

第3章 史料にみる追儺と節分

3-1 『続日本紀』慶雲3年(706)の疫病と大儺

日本における大儺の早い記録として知られるのが、『続日本紀』慶雲3年(706)の記事です。『続日本紀』は、文武天皇元年(697)から桓武天皇の延暦10年(791)までを記す勅撰の歴史書で、六国史の第二にあたります。

原文

是年、天下諸国疫疾、百姓多死。始作土牛大儺。

読み下し

是の年、天下の諸国に疫疾あり、百姓多く死す。始めて土牛を作りて大儺す。

現代語訳

この年、全国各地で疫病が流行し、多くの人々が亡くなりました。そこで初めて土牛を作り、大儺を行いました。

ここにみえる「大儺」は、疫病をもたらすと考えられたものを追い払う儀礼です。「土牛」は土で作られた牛で、季節の変わり目に設けられる土牛・土人などの習俗とも関係します。

ただし、この記録をそのまま現在の神社の節分祭の開始とすることはできません。『続日本紀』の記事が示しているのは、疫病の流行を背景として国家が行った大儺の古い記録です。そこには、現在広く知られる福豆の豆まきや「鬼は外、福は内」という掛け声は記されていません。

3-2 宮中の大儺・追儺

古代から平安時代の宮中では、年末に大儺・追儺が行われました。疫鬼や災いを宮中の外へ追い出し、新しい年を迎えるための儀式です。

平安時代の儀式書『儀式』巻十「十二月大儺儀」には、大晦日の夜に行われる大儺の次第が記されています。方相氏(ほうそうし)や侲子(しんし)と呼ばれる役、桃の弓、葦の矢などが儀礼に関わりました。

方相氏は、もともと恐ろしい姿によって目に見えない疫鬼を追い払う役を担いました。ところが、日本の宮中儀礼では時代が下るにつれて、方相氏自身が追われる対象、すなわち目に見える「鬼」のように扱われる変化も確認されています。追儺の役割や意味は、古代から中世まで全く同じ形で固定されていたわけではありません。

『延喜式』巻十六「陰陽寮」には、追儺に用いる桃の弓・桃の杖・葦の矢を準備する規定があります。

原文抜粋

凡追儺料、桃弓杖、葦矢、令守辰丁造備。

読み下し

凡そ追儺の料の桃の弓・杖、葦の矢は、守辰丁をして造り備えしむ。

現代語訳

追儺に用いる桃の弓・桃の杖・葦の矢は、陰陽寮の守辰丁に作らせ、準備させます。

桃や葦を用いた弓矢は、災厄を追い払うための祭具として扱われました。現在でも、弓の弦を鳴らす鳴弦、音の出る蟇目の矢、神矢などを節分の追儺神事に用いる神社があります。ただし、それぞれの神社の神事が『延喜式』の宮中儀礼をそのまま継承していると断定することはできません。祭具や所作に共通点がある場合でも、各社の由緒と伝承を個別に確認する必要があります。

3-3 平安時代の記録にみえる節分

一方、「節分」という語は、平安時代の貴族の日記にも現れます。藤原資房(ふじわらのすけふさ)の日記『春記(しゅんき)』や、平信範(たいらののぶのり)の日記『兵範記(ひょうはんき)』などには、立春前日の節分に関する記事があります。

これらの記録からは、当時の節分に災害を避け、延命や長寿を願う読経などが行われたことが確認されています。しかし、この段階の節分は、必ずしも宮中の追儺や現在の豆まきと同じ内容ではありませんでした。

したがって、古代宮中の追儺から現在の節分祭までが、一つの祭式として変わらず続いたと捉えるのは適切ではありません。年末の追儺、立春前日の節分に行われた祈り、中世に広まった豆打ちなど、異なる系統の行事が次第に接近したと考える必要があります。

3-4 『臥雲日件録』にみえる豆打ちと掛け声

節分に豆をまく行為がいつ始まったのかは、明確には分かっていません。しかし、中世の記録には、立春前日の節分に豆をまき、「鬼は外、福は内」と唱えたことが記されています。

京都・相国寺の禅僧である瑞渓周鳳(ずいけいしゅうほう)の日記『臥雲日件録(がうんにっけんろく)』文安4年(1447)12月22日条には、翌日の立春を前に豆をまいた様子が記されています。

原文

明日立春。故及昏景家毎室散撒豆。因唱鬼ハ外福内四字。

読み下し

明日は立春なり。故に昏景に及び、家ごとに室に豆を散撒す。因って「鬼は外、福は内」の四字を唱う。

現代語訳

明日は立春です。そのため夕暮れになると、それぞれの家で室内に豆をまき、「鬼は外、福は内」の四字を唱えました。

この記録から、15世紀中頃には、立春前日に豆をまき、「鬼は外、福は内」と唱える習俗が行われていたことが分かります。

ただし、『臥雲日件録』が記しているのは、各家で行われた豆まきです。現在の神社の節分祭における豆まきの祭式を記録したものではありません。それでも、節分、豆、鬼払い、招福が中世には結びついていたことを示す重要な史料です。

3-5 追儺と節分はもともと別の行事だった

史料を年代順に見ると、現在の節分祭を単一の起源から説明できないことが分かります。

『続日本紀』にみえる大儺は、疫病の流行を背景として行われた国家的な儀礼でした。平安時代の宮中では、大晦日に追儺が行われ、桃の弓や葦の矢などを用いて災厄を追い払いました。一方、立春前日の節分には、災害除けや延命・長寿を願う行事がありました。さらに中世になると、節分に豆をまき、「鬼は外、福は内」と唱える習俗が史料に現れます。

つまり、追儺と節分は、初めから同一の行事だったのではありません。旧暦の年末と立春が近い時期に訪れること、どちらにも古い時期を終えて新しい時期を迎える性格があったこと、災厄を退ける祈りが共通していたことなどを背景に、両者の要素が次第に重なっていったと考えられます。

その後、豆まきによる鬼払いが広く行われるようになり、神社や寺院の祭事・法会にも取り入れられました。今日の神社の節分祭は、古代宮中の追儺だけを直接受け継いだ祭祀ではなく、暦上の節分、中世以降の豆まき、神社ごとの厄除祈願や特殊神事などが重なって形成された祭祀として理解するのが適切です。

第4章 節分祭の歴史

4-1 古代―疫病を背景に行われた大儺

日本における追儺の歴史を考えるうえで、重要な出発点となるのが古代国家の大儺(たいな)です。第3章で確認したように、『続日本紀』慶雲3年(706)の記事には、諸国で疫病が流行し、多くの人々が亡くなったため、土牛を作って大儺を行ったことが記されています。

この大儺は、現在の神社の節分祭と同じ祭式ではありません。国家が疫病の流行に対応するために行った儀礼であり、現在広く知られる福豆の豆まきや「鬼は外、福は内」という掛け声は確認できません。

大儺の背景には、疫病や災厄を人の目には見えない疫鬼などの働きとして捉え、それを儀礼によって領域の外へ追い払おうとする考え方がありました。古代の人々にとって、疫病は医学的な問題だけではなく、国家や人々の暮らしを脅かす災厄でもありました。

この段階で確認できるのは、「豆をまく節分祭」の直接的な成立ではなく、季節や年の境に災厄を追い払う儀礼の古い形です。

4-2 平安時代―宮中の追儺と立春前日の節分

平安時代の宮中では、大晦日の夜に追儺が行われました。『儀式』巻十「十二月大儺儀」や『延喜式』巻十六「陰陽寮」などから、方相氏(ほうそうし)、侲子(しんし)、桃の弓、桃の杖、葦の矢などが儀礼に関わったことが分かります。

方相氏は、もともと疫鬼を追い払う役でした。しかし、平安時代後期以降の宮中儀礼では、方相氏が追われる側へ変化していったことも指摘されています。追儺は、目に見えない疫鬼を追う儀礼から、鬼に見立てた役を人々が追う儀礼へと、その表現を変えていきました。

一方、立春前日の節分には、災害を避け、延命や長寿を願う読経などが行われていました。つまり、平安時代の段階では、大晦日の追儺と立春前日の節分は、時期も儀礼の内容も同一ではありませんでした。

ただし、大晦日と立春はいずれも古い時期から新しい時期へ移る境にあたります。旧暦では年末と立春が近接することも多く、災厄を退けて新しい時期を迎えるという両者の性格が、後世の融合を促したと考えられます。

4-3 中世―節分の豆打ちと鬼払い

中世になると、立春前日の節分に豆をまいて鬼を払う習俗が史料に現れます。

伏見宮貞成親王(ふしみのみやさだふさしんのう)の日記『看聞日記(かんもんにっき)』応永32年(1425)正月8日条には、節分の夜に「鬼大豆打」が行われたことを示す記述があります。また、『臥雲日件録』文安4年(1447)12月22日条には、翌日の立春を前に各家で豆をまき、「鬼は外、福は内」と唱えたことが記されています。

これらの史料から、15世紀には節分、豆、鬼払い、招福が結びついていたことが確認できます。ただし、豆打ちの正確な起源や、いつ、どのような過程で広がったのかについては不明な点が残ります。

また、中世の記録にみえる豆打ちは、現代の神社で行われる大規模な豆まきと同じものではありません。まず宮廷や公家・武家の生活の中で確認され、やがて各地の家々や寺社の行事へ広がっていったと考えられます。

4-4 近世―豆まきの普及と多様な節分習俗

江戸時代になると、節分の豆まきは広く人々の暮らしに定着していきました。家の内外に豆をまき、鬼を追い出して福を迎えるほか、豆を食べて無病息災を願う習俗も各地で行われました。

文化10年(1813)頃に屋代弘賢(やしろひろかた)が各地へ送った『諸国風俗問状』には、12月の項目として節分の豆まき、掛け声、柊や鰯を用いる習俗、厄払い、占いなどについての質問があります。その回答からは、節分行事が広く行われる一方で、掛け声や豆の扱い方には地域差があったことが分かります。

たとえば、「鬼は外、福は内」と唱える例だけでなく、「福は内、鬼は内」と唱える例も記録されています。鬼を一律に外へ追い出すのではなく、鬼に関する伝承や信仰によって異なる掛け声が用いられてきました。

豆まきのほかにも、柊の枝に焼いた鰯の頭を付けて戸口に置く柊鰯、厄落とし、年占いなど、多様な節分習俗が行われました。現在の節分祭を理解するには、全国一律の作法ではなく、各地で異なる習俗が受け継がれてきたことにも注意が必要です。

4-5 近代以降―神社の節分祭としての展開

近代以降も、節分の豆まきや厄除けの習俗は、家庭、地域、神社、寺院などで続けられました。神社では、神前の祭典に追儺の所作、厄除祈願、豆まき、福物の授与などを組み合わせた節分祭が各地で行われています。

ただし、現代の節分祭がすべて同じ時期に、同じ祭式によって成立したわけではありません。古い追儺神事を伝える神社がある一方、地域に伝わる豆まきや火の行事を取り入れた神社、参拝者の厄除祈願を中心とする神社、福豆や福餅をまく行事で知られる神社もあります。

また、多くの参拝者が集まる節分祭では、豆や福物を受け取る際の事故を防ぐため、撒き方、参拝区域、参加人数などに配慮した運営が求められます。袋入りの福豆を手渡す、豆まきの回数や参加区画を分けるなど、祭祀の趣旨を守りながら安全性を高める工夫も見られます。

現代の節分祭は、各神社の由緒、地域に伝わる習俗、参拝者の安全を含む祭典運営に応じて、多様な形で行われています。

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第5章 節分祭に込められた祓いと招福

5-1 季節の境で災厄を祓う

節分祭の中心的な意味は、冬から春へ移る季節の境に災厄を祓い、新しい時期を清らかに迎えることにあります。

「祓う」とは、単に目に見える汚れを取り除くことではありません。神道の祭祀では、人が日々の生活の中で負った罪や穢(けがれ)、災いにつながると考えられたものを除き、神前に向かう状態を整えることを意味します。

節分祭では、祭典の初めに修祓を行い、神職や参列者、神饌、祭具などを祓い清める例があります。そのうえで祝詞を奏上し、無病息災、厄除招福、家内安全などを祈ります。

節分祭の「祓い」は、豆を鬼に投げる行為だけに表れるものではありません。神前の祭典、弓の音、火、豆、掛け声など、神社ごとの祭式に応じたさまざまな形で示されます。

5-2 「鬼」が表す疫病・災害・不安

節分祭で語られる「鬼」は、角を持つ特定の姿だけを意味するものではありません。追儺の歴史では、疫病をもたらすと考えられた疫鬼、目に見えない災い、秩序を乱すものなどが、追い払う対象として表現されてきました。

『続日本紀』慶雲3年(706)の大儺が疫病の流行を背景としていたことからも、鬼払いの背後に、人々の生命を脅かす病への恐れがあったことが分かります。中世以降の豆まきでは、このような災厄が「鬼」という目に見える姿で表されるようになりました。

ただし、日本の鬼に関する伝承や信仰は多様です。鬼は常に排除される悪の存在とは限らず、神の使い、土地を守る存在、祖先や異界から来訪する存在として扱われる例もあります。このため、神社や地域によっては「鬼は外」と唱えず、「鬼は内」「福は内」と唱えることがあります。

節分祭の鬼を説明するときには、「鬼は悪であり、必ず外へ追い出すもの」と一律に捉えるのではなく、各神社や地域の伝承を確認する必要があります。

5-3 厄を祓うことと福を迎えること

節分の代表的な掛け声である「鬼は外、福は内」には、災厄を外へ退けることと、福を内へ迎えることの二つの方向が示されています。

災厄を祓うだけではなく、その後に平穏、健康、実り、家内安全などを願うところに、節分祭の招福の性格があります。節分祭では、厄除祈願と招福祈願が相反するものではなく、一続きの祈りとして表されます。

神社で授与される福豆、福餅、神矢、御札なども、祭典で祈願された福を参拝者が持ち帰るものとして受け取られています。ただし、授与品の種類や説明は神社によって異なるため、その意味を全国共通のものとして断定することはできません。

豆まきも、単に鬼へ物を投げつける行為ではありません。豆によって災いを払い、福豆を受け、食べることで新しい時期の健康を願うという、祓いと招福の両面を持っています。

5-4 氏子・崇敬者と地域の人々の平穏を願う

神社の節分祭では、個人の厄除けや無病息災だけでなく、氏子・崇敬者、参拝者、地域の人々の平穏を願う祭典が行われることがあります。

年男・年女、氏子総代、祭典奉仕者などが豆まきに参加する例では、祭典を執り行う神職だけでなく、神社を支える人々も祭事に関わります。境内に集まった参拝者が福豆や福物を受けることによって、神前で祈られた厄除けと招福の願いが多くの人々へ広がります。

地域によっては、節分祭と火の神事、神楽、鬼の舞、弓の神事などが結びつき、氏子によって長く受け継がれている例もあります。このような祭事を考える際には、抽象的に一括するのではなく、誰が祭祀を担い、誰の平穏を願い、どのような形で受け継いでいるのかを具体的に見ることが重要です。

5-5 大祓との共通点と相違点

節分祭と大祓(おおはらえ)は、いずれも災厄や罪穢を祓い、人々の平穏を願う祭祀ですが、同じ祭祀ではありません。

大祓は、一般に6月と12月の晦日に行われ、半年の間に知らず知らずのうちに犯した罪や身に付いた穢を祓う神事です。人形(ひとがた)に罪穢を移す、祓物を用いる、大祓詞を奏上するなどの形があります。

これに対して節分祭は、立春の前日に行われることを基本とし、冬から春へ移る季節の境で災厄を祓い、福を迎える性格を持ちます。追儺、鬼やらい、豆まき、厄除祈願などが組み合わされる点にも特徴があります。

ただし、節分祭に人形による祓いを取り入れる神社もあり、両者の祭具や祈願内容が部分的に重なる場合があります。違いは「祓うかどうか」ではなく、祭日、成立の経緯、祭式、象徴的な表現にあります。

第6章 神社の節分祭はどのように行われるのか

6-1 修祓・献饌・祝詞奏上

神社の節分祭では、一般の祭典と同じく、神前で修祓、献饌、祝詞奏上、玉串拝礼などを行う例があります。ただし、祭式の順序や内容は神社によって異なり、全国共通の一つの式次第があるわけではありません。

修祓では、祭典に先立って神職や参列者、神饌、祭具などを祓い清めます。献饌では神前に神饌を供え、祝詞奏上では、その神社の御祭神に祭典の趣旨を申し上げ、氏子・崇敬者の無病息災、厄除招福、家内安全などを祈ります。

神前の祭典が終了した後、境内や特設の舞台で豆まきが行われる場合があります。祭典と豆まきは連続して実施されることがありますが、神前の祭儀と参拝者参加型の行事を区別して理解する必要があります。

6-2 追儺神事・弓矢・追儺板

古式の追儺を伝える神社では、豆まきだけでなく、弓矢、追儺板、太鼓、火などを用いて災厄を払う神事が行われます。

弓を用いる神事には、弦を引いて音を響かせる鳴弦や、先端に穴を設けた蟇目を射て音を発する蟇目式などがあります。弓矢を実際の武器として用いるのではなく、その音や所作によって邪気を払う意味が示されます。

追儺板を打つ神事では、板を打ち鳴らす音によって災厄を払います。寒川神社では、節分の日に追儺板を打つ古式の神事が行われ、その後に年男・年女による福豆や福物撒きが行われると伝えられています。

一方、五條天神社の「うけらの神事」では、蟇目式、うけらを焚く神事、病鬼との問答、豆まきが続きます。このように、追儺の表現は神社によって大きく異なります。

6-3 年男・年女による豆まき

節分祭の豆まきでは、その年の干支にあたる年男・年女が奉仕する例が広く見られます。神社によっては、氏子総代、崇敬者、地域の代表者、著名人などが加わることもあります。

まかれるものは炒った大豆を基本とする例が多いものの、袋入りの福豆、福餅、菓子、縁起物、引換券などが用いられる場合もあります。豆を直接ばらまくか、袋に入れてまくかについても、神社の伝統や安全上の判断によって異なります。

掛け声には「鬼は外、福は内」がよく用いられますが、すべての神社が同じ言葉を唱えるわけではありません。御祭神、神社名、鬼に関する由緒などを理由に、「鬼は内」「福は内」と唱える神社や、鬼を外へ追い出す言葉を用いない神社もあります。

したがって、特定の掛け声を「神社における正式な全国共通作法」とすることはできません。

6-4 福豆・福餅・福物の授与

神前に供えられた豆や、祭典で祈願された豆は、福豆として参拝者へ授与されることがあります。家庭へ持ち帰って豆まきに用いるほか、無病息災を願って食べる例もあります。

節分祭で授与または撒かれるものは、豆だけではありません。福餅、菓子、神矢、御札、福杓子、縁起物など、その神社の由緒や祭事に応じた福物が用意される場合があります。

福豆や福物を受ける行為は、単なる景品の受け取りではなく、神前で祈られた厄除けと招福の願いにあずかるものとして説明されます。ただし、授与品の宗教的な意味や扱い方は神社ごとに異なるため、授与した神社の案内に従うことが大切です。

6-5 神楽・火焚き・特殊神事

節分祭では、神楽、舞、火焚き、鬼の舞、弓の神事、厄除祈願などが行われることがあります。こうした特殊神事には、神社の由緒、御祭神の神徳、氏子に伝わる祭事、地域の歴史などが反映されています。

賀茂神社(群馬県桐生市)の御篝神事(みかがりしんじ)では、人形に災厄を移して祓いを受け、節分の豆まきを行った後、神前の斎火から御篝に火を移す神事が伝えられています。豆まき、人形による祓い、火による災厄除けが組み合わされた例です。

五條天神社(東京都台東区)の「うけらの神事」では、薬草の朮(うけら)を焚き続け、病鬼との問答や豆まきを行います。医薬祖神を祀る神社の由緒と、病をもたらす鬼を払う追儺が結びついた神事として知られています。

これらは、すべての神社で行われる節分祭の標準的な式次第ではありません。それぞれの神社に伝わる個別の祭祀として理解する必要があります。

6-6 祭式には神社ごとの違いがある

神社の節分祭には、祭名、祭日、祈願内容、祭具、奉仕者、豆まきの方法、掛け声、授与品などに違いがあります。

神前の祭典だけを執り行い、一般参拝者を対象とする豆まきを行わない神社もあります。反対に、複数回の豆まきや福物撒きを行い、多くの参拝者が参加する神社もあります。追儺の古式を伝える神社、鬼を追い出さない神社、火や弓矢を用いる神社など、その形は一様ではありません。

また、神社の節分祭と寺院の節分会では、豆まきなど外見上似た行事があっても、祭祀・法要の対象や作法が異なります。大規模な豆まきだけを見て両者を同一の宗教行事と捉えることは適切ではありません。

節分祭を紹介するときには、一般的な説明と、その神社に固有の由緒・祭式を分けて記す必要があります。参拝する場合も、日時、参列方法、豆まきへの参加条件、撮影や立入区域などを神社の公式案内で確認することが重要です。

Please do not reproduce without prior permission.

第7章 節分祭と類似する行事との違い

7-1 節分祭と家庭の豆まき

神社の節分祭と家庭の豆まきは、いずれも立春前日の節分に行われ、豆によって災厄を払い、福を願う点で共通しています。しかし、実施する主体と祭祀の構成は異なります。

家庭の豆まきでは、家族が家の内外に豆をまき、「鬼は外、福は内」などの言葉を唱えるのが一般的です。柊鰯(ひいらぎいわし)を戸口に置く、年齢に応じた数の豆を食べるなど、家庭や地域に伝わる習俗を伴う場合もあります。

これに対して神社の節分祭では、神職が神前で祭典を執り行い、御祭神に無病息災、厄除招福、家内安全などを祈ります。その後に年男・年女などによる豆まき、福豆や福物の授与が行われることがあります。

家庭の豆まきは各家で行う年中行事であり、神社の節分祭は神前の祭祀です。豆をまくという共通点だけで、両者を同一のものと捉えることはできません。

7-2 節分祭と追儺

追儺(ついな)は、疫鬼や災厄を追い払う儀礼です。古代から平安時代の宮中では、大晦日の夜に方相氏、侲子、桃の弓、葦の矢などを用いた大儺・追儺が行われました。

一方、節分祭は、立春の前日を中心に神社で行われる祭祀です。現在の節分祭には追儺の要素が取り入れられていますが、追儺と節分祭はもともと同一の行事ではありません。

神社によっては、祭名を「節分追儺祭」「追儺祭」とし、弓矢、追儺板、火、鬼との問答などを用いた神事を行います。しかし、豆まきを中心とし、古式の追儺を直接表す所作を行わない神社もあります。

したがって、追儺は節分祭の歴史や祭式を構成する重要な要素ですが、すべての節分祭を追儺だけで説明することはできません。

7-3 神社の節分祭と寺院の節分会

神社では「節分祭」「節分追儺祭」などの名称が用いられ、寺院では「節分会(せつぶんえ)」「節分追儺会(せつぶんついなえ)」などの名称が多く用いられます。

神社の節分祭では、御祭神に神饌を供え、祝詞を奏上し、厄除招福などを祈ります。寺院の節分会では、読経、法要、護摩、星祭、追儺式などが行われる場合があります。

豆まき、鬼の登場、福物の授与など、外から見て似た行事が行われることもあります。しかし、神社の祭祀と寺院の法要では、祈りの対象、祭式・法式、宗教的な説明が異なります。

寺社それぞれに独自の由緒と作法があるため、「節分祭」と「節分会」を名称だけ置き換えられる同一の行事として扱うのは適切ではありません。

7-4 節分祭と大祓

節分祭と大祓は、いずれも災厄や罪穢を祓い、人々の平穏を願う点で共通しています。しかし、祭日、成立の経緯、祭式の構成が異なります。

大祓は、一般に6月30日と12月31日に行われ、半年の間に身に付いた罪穢を祓う神事です。大祓詞の奏上、人形による祓い、夏越の大祓における茅の輪くぐりなどが知られています。

節分祭は、原則として立春の前日に行われ、冬から春への季節の境で災厄を払い、福を迎える祭祀です。追儺、豆まき、弓矢、火、福物の授与などが行われる場合があります。

節分祭に人形による祓いを取り入れる神社もあるため、両者の要素が部分的に重なることはあります。それでも、大祓と節分祭を同じ名称の祭祀として扱うことはできません。

7-5 節分祭と厄除祈願

節分祭では、節分の日に合わせて厄除祈願を受け付ける神社があります。しかし、節分祭と厄除祈願も同じ意味ではありません。

節分祭は、神社が定めた日に執り行う祭典です。これに対して厄除祈願は、厄年などにあたる人が災厄を免れることを願って受ける個人または家族単位の祈願です。神社によっては、節分祭の祭典中に年男・年女や厄年の人々を祈願し、その後に豆まきへ参加してもらう場合があります。

厄除祈願を受けられる時期、申込方法、初穂料、豆まきへの参加条件などは神社によって異なります。節分祭への参列だけで個別の厄除祈願を受けたことになるとは限らないため、神社の公式案内を確認する必要があります。

節分祭と類似行事の違い

行事 主な時期 主な実施主体 中心となる内容 主な目的
節分祭 原則として立春の前日 神社 神前の祭典、追儺、豆まき、福物授与など 災厄消除・無病息災・厄除招福
家庭の豆まき 立春の前日 各家庭 家の内外に豆をまく 家内の災厄除けと招福
追儺 古代宮中では主に大晦日 古代の朝廷、追儺を伝える寺社など 疫鬼を追う所作、弓矢、音、火など 疫病・災厄の消除
節分会 立春前日を中心とする時期 寺院 法要、読経、護摩、追儺式、豆まきなど 除災招福・厄除けなど
大祓 一般に6月30日・12月31日 神社 大祓詞、人形による祓い、茅の輪など 半年間の罪穢を祓う
厄除祈願 神社が定める期間または随時 神社と祈願を受ける本人・家族 個別の祈願祭 本人や家族の災厄消除

第8章 節分祭・追儺神事を伝える代表的な神社

節分祭は神社によって祭式が異なります。本章では、Shrine Heritagerに公開記事があり、節分祭または追儺神事の内容を確認できる神社から、性格の異なる三社を紹介します。

8-1 寒川神社(神奈川県寒川町)

相模国一之宮の寒川神社(さむかわじんじゃ)では、節分の日に追儺板を打つ古式の神事が神前で行われます。その後、年男・年女によって福豆と福物がまかれます。

寒川神社では、節分祭とは別に1月2日の「追儺祭」も伝えられています。1月2日の追儺祭では、神職らが追儺板を打ち、太鼓の音に合わせて社殿を巡り、邪気や災厄を祓います。黒木の弓と葦の矢も用いられます。

同じ神社の祭事暦に、1月2日の追儺祭と立春前日の節分祭が別々に存在することは、追儺と節分祭を常に同一の行事として扱えないことを示す例です。

追儺板を打つ古式の神事と、年男・年女による福豆・福物撒きを伝える寒川神社のShrine Heritagerに公開記事です。

URL:https://shrineheritager.com/samukawa-shrine/

追儺板を打つ古式神事を伝える寒川神社
寒川神社(寒川町)〈『六国史』寒河神『延喜式』寒川神社(名神大)〉相模國一之宮

寒川神社(さむかわじんじゃ)は 約1600年以上の歴史を持つとされ 古くは朝廷から さらに歴代の武将〈源頼朝公 武田信玄公 徳川将軍家など〉や 民間からも幅広い信仰がありました 今でも 八方除の守護神〈全国唯一〉として 全国各地から参拝者が絶えない 相模國一之宮です

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8-2 五條天神社(東京都台東区)

東京都台東区上野公園の五條天神社(ごじょうてんじんしゃ)では、節分の日の夕方に「うけらの神事」が行われます。医薬祖神である大己貴命(おおなむじのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀る神社の由緒と、病の鬼を祓う追儺神事が結びついた祭事です。

うけらの神事では、蟇目式(ひきめしき)、朮(うけら)を焚く神事、病鬼との問答、豆まきが続きます。儀式の間は朮が焚かれ、邪気を祓うとされています。

当日には、追儺の御札や神矢のほか、朮餅、鬼討豆、福杓文字、追儺の絵馬などが授与されます。弓の音、薬草の煙、病鬼との問答、豆まきが組み合わされた、特徴ある節分の追儺神事です。

蟇目式・朮・病鬼との問答・豆まきからなる「うけらの神事」を伝える五條天神社のShrine Heritagerに公開記事です。

URL:https://shrineheritager.com/gojo-ten-shrine/

病の鬼を祓う「うけらの神事」の五條天神社
五條天神社(台東区上野公園)〈第12代 景行天皇の御代に創建 都区内屈指の古社〉

五條天神社(ごじょうてんじんしゃ)は 今から約1900年前 第十二代景行天皇の皇子 日本武尊が東夷征伐の折 忍ヶ岡(上野の古名)を通られ 薬祖神二柱の大神に御加護を頂いた事を感謝され 両神を奉斎されたのが当社の創祀とされる都内屈指の古社です 古代からは 想像出来ないほどに激変した 世界のTOKYO を見つめ続けています

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8-3 賀茂神社(群馬県桐生市)

群馬県桐生市広沢町の賀茂神社(かもじんじゃ)では、節分の時期に御篝神事(みかがりしんじ)が行われます。この神事は、桐生市指定重要無形民俗文化財に指定されています。

神事に参加する氏子は、人形(ひとがた)に生年月日と名前を記し、身体を撫でて災厄を移したうえで祓いを受けます。その後、拝殿の外へ向かって豆をまき、鬼に扮した氏子が外へ逃げます。

境内には斎竹(いみだけ)と注連縄で区切られた御篝場が設けられ、古札、古い神棚、だるまなどが積まれます。神前の斎火から人形を介して火が移され、御篝となります。

賀茂神社の御篝神事は、人形による祓い、豆まき、鬼を追う所作、神火による焼納が組み合わされた祭事です。節分の祓いが豆だけでなく、人形や火によっても表される例として位置づけられます。

人形による祓い、豆まき、神火を用いる御篝神事を伝える賀茂神社のShrine Heritagerに公開記事です。

URL:https://shrineheritager.com/kamo-shrine-2/

節分の御篝神事を受け継ぐ賀茂神社
賀茂神社(桐生市広沢町)

賀茂神社(かもじんじゃ)は 第10代 崇神天皇の朝 豊城入彦命が 東国鎮護のため山科国の賀茂神を勧請したと伝えられ 桓武天皇 延暦十五年(796)官社に列せられ その後 陽成天皇 元慶四年(881)正五位下勲十二等を授る由緒ある古社です 『延喜式神名帳927 AD.』所載 上野國 山田郡 賀茂神社(かもの かみのやしろ)です

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代表的な神社の節分祭・追儺神事

神社 所在地 主な神事 特徴

寒川神社(神奈川県寒川町)

神奈川県寒川町 追儺板を打つ神事、福豆・福物撒き 1月2日の追儺祭と立春前日の節分祭を別に伝える

五條天神社(東京都台東区)

東京都台東区 蟇目式、朮、病鬼との問答、豆まき 医薬祖神の信仰と病鬼を祓う追儺神事が結びつく

賀茂神社(群馬県桐生市)

群馬県桐生市 人形による祓い、豆まき、御篝 祓い・鬼追い・神火による焼納を組み合わせる

第9章 地域や神社によって異なる節分祭

9-1 「鬼は外」と唱えない場合

節分の掛け声として最もよく知られているのは「鬼は外、福は内」です。しかし、この掛け声は全国共通の決まりではありません。

鬼に関する伝承を持つ神社や地域、鬼を守護的な存在として扱う場所、神社名や祭神の由緒から「鬼」を外へ追い出さない場所では、「鬼は内」「福は内」と唱えることがあります。また、「福は内」だけを唱える場合や、豆まきで決まった掛け声を用いない場合もあります。

江戸時代の各地の習俗を記録した『諸国風俗問状答』にも、「福は内、鬼は内」と唱える例が記されています。このことからも、掛け声の違いは近年生まれたものだけではなく、各地の信仰や伝承と関わることが分かります。

したがって、「鬼は外、福は内」だけを正式な豆まきの掛け声とすることはできません。参拝先の神社で豆まきに参加するときは、その神社の作法や案内に従うのが適切です。

9-2 大豆と落花生の地域差

節分の豆まきには炒った大豆が広く用いられますが、地域によっては落花生をまく習俗も見られます。特に北海道、東北地方、信越地方などでは、殻付きの落花生を用いる例が確認されています。

落花生は殻に包まれているため、雪の上や床に落ちても拾いやすく、まいた後に中身を食べやすいという実用的な面があります。ただし、落花生を用いる理由や普及した時期は地域によって異なり、一つの理由だけで全国の事例を説明することはできません。

また、家庭で落花生をまく地域であっても、その地域の神社が必ず落花生を用いるとは限りません。神社の節分祭では、由緒や祭事の形式に基づいて大豆を用いたり、袋入りの福豆や福物をまいたりする場合があります。

9-3 豆以外の福物をまく神社

神社の節分祭では、豆のほかに福餅、菓子、みかん、縁起物、福物の引換券などがまかれる場合があります。地域の産物や神社独自の授与品が用いられることもあります。

こうした福物撒きは、多くの参拝者に福を分かち渡す行事として親しまれています。一方で、祭祀の中心を福物の獲得だけに求めると、節分祭が持つ災厄消除や招福の祈りが見えにくくなります。

福物は単なる景品ではなく、神前で祈願されたもの、または祭典に伴って授与されるものとして扱われます。受け取った後の扱い方について特別な案内がある場合は、授与した神社の説明に従います。

9-4 火・弓矢・神楽を伴う神事

節分祭の災厄除けは、豆まきだけで表されるものではありません。神社によっては、火、弓矢、太鼓、追儺板、神楽、鬼の舞などを用います。

火には、古札や祓物を焼納する働きとともに、災厄を祓い清める意味が重ねられる場合があります。弓矢を用いる神事では、鳴弦や蟇目の音によって邪気を払います。太鼓や追儺板を打つ大きな音も、災厄を退ける所作として用いられます。

神楽や鬼の舞では、鬼を退治する物語だけでなく、鬼が改心する、神仏の力に従う、福をもたらす存在へ変わるなど、さまざまな筋立てが表現されます。

これらの神事を「豆まきの変形」として一括するのではなく、それぞれの神社に伝わる祭祀として由緒と内容を確認する必要があります。

9-5 現代の安全対策と行事運営

多くの参拝者が集まる節分祭では、祭祀の継承とともに安全な運営が重要になります。福豆や福物を受け取ろうとして人が一か所に集中すると、転倒や接触などの危険が生じるためです。

神社によっては、豆まきを複数回に分ける、参拝者の区域を区切る、子ども向けの時間を設ける、袋入りの福豆を手渡す、まく品物の大きさや重さを調整するなどの対応を行います。

また、食品を扱う行事では、落花生などによるアレルギー、地面に落ちた食品の扱い、境内の清掃、鳥や野生動物への影響などにも配慮が必要です。参加者も、押し合わない、立入区域を守る、神職や係員の案内に従うなど、安全な参列を心がける必要があります。

天候、境内の状況、感染症の流行などによって、豆まきの中止や授与方法の変更が行われる場合もあります。過去の開催方法だけを前提とせず、その年の公式案内を確認することが大切です。

9-6 観光行事だけでは捉えられない節分祭

著名人による豆まきや多くの露店でにぎわう節分祭は、冬の観光行事としても注目されます。しかし、節分祭の意味は、参拝者数や催しの規模だけでは捉えられません。

節分祭では、神職が神前で災厄の消除や無病息災を祈り、氏子・崇敬者、年男・年女などが祭事に奉仕します。古式の追儺、人形による祓い、火の神事、神楽などを受け継ぐ神社では、祭祀を担う人々の準備と奉仕によって神事が維持されています。

豆まきや福物撒きは、節分祭を参拝者に分かりやすく伝える重要な行事です。その一方で、神前で何を祈っているのか、どのような由緒を持つ神事なのかを知ることで、節分祭をより深く理解できます。

節分祭を紹介するときには、にぎわいだけを強調せず、祭典、祈願、奉仕者、地域差、安全な運営まで含めて記録することが重要です。

第10章 よくある質問(FAQ)

Q1 節分祭は毎年2月3日に行われますか

必ず2月3日に行われるわけではありません。節分は立春の前日であり、立春の日付は年によって変わるため、節分が2月2日などになることがあります。

神社によっては、その年の節分の日に祭典を行うほか、2月3日に固定する、または参拝者が参加しやすい節分前後の日に行う場合もあります。参拝を予定する場合は、前年の開催日ではなく、その年に神社が発表する公式情報を確認してください。

Q2 節分祭と節分会は同じ行事ですか

同じ行事ではありません。「節分祭」は主に神社で用いられる祭名であり、「節分会(せつぶんえ)」は主に寺院で用いられる名称です。

神社の節分祭では、御祭神に神饌を供え、祝詞を奏上し、厄除招福などを祈ります。寺院の節分会では、読経、法要、護摩、星祭、追儺式などが行われる場合があります。

豆まき、鬼の登場、福物の授与など、外見上似た行事もありますが、神社の祭祀と寺院の法要では祈りの対象や作法が異なります。

Q3 神社の節分祭では必ず豆まきをしますか

必ず行うわけではありません。神前で節分祭を執り行っても、一般参拝者を対象とする豆まきを行わない神社があります。

豆まきの代わりに福豆を授与する神社、追儺板や弓矢を用いる神事を行う神社、火の神事や神楽を行う神社もあります。また、安全上の理由などから、豆まきを中止したり、袋入りの福豆を手渡したりする場合もあります。

節分祭の中心は豆まきだけではなく、季節の境に神前で災厄の消除と招福を祈ることにあります。

Q4 なぜ節分に豆をまくのですか

豆をまく理由については、複数の説明があります。大豆などの穀物には生命を育む力があると考えられ、その力によって病や災いを払うという信仰が背景にあったとされます。

また、豆を「魔目」、豆をまいて魔を滅することを「魔滅」とする語呂合わせや、鬼の目に豆を投げて退治したという伝承も知られています。ただし、これらの言葉だけを豆まきの唯一の起源とすることはできません。

中世の『看聞日記』や『臥雲日件録』には、節分に豆をまいて鬼を払う記録があります。豆まきは、穀物に対する信仰、追儺の鬼払い、立春前日の節分が重なりながら定着した行事と考えられます。

Q5 「鬼は外、福は内」と言わない神社もありますか

あります。「鬼は外、福は内」は広く知られた掛け声ですが、全国共通の決まりではありません。

鬼に関する由緒を持つ神社や地域、鬼を守護的な存在として扱う場所などでは、「鬼は内」「福は内」と唱えることがあります。「福は内」だけを唱える場合や、特定の掛け声を用いない場合もあります。

神社の豆まきに参加するときは、自分の判断で掛け声を変えず、その神社の案内や祭典奉仕者の唱え方に合わせるのが適切です。

Q6 年男・年女とは誰のことですか

年男・年女とは、一般に、その年の十二支と同じ干支に生まれた男性・女性を指します。たとえば午年であれば、午年生まれの人が年男・年女にあたります。

神社の節分祭では、年男・年女が神前で厄除けなどの祈願を受け、豆まきに奉仕する場合があります。ただし、年男・年女だけが豆まきに参加するとは限りません。氏子総代、崇敬者、地域の代表者、著名人などが加わる神社もあります。

参加条件、年齢、奉納金や申込方法は神社によって異なります。希望する場合は、事前に神社の募集要項を確認する必要があります。

Q7 節分祭には誰でも参列できますか

境内から参拝できる節分祭は多くありますが、すべての祭典や豆まきに誰でも参加できるとは限りません。

神前の祭典は申込者や関係者だけが昇殿する場合があります。豆まきへの奉仕も、年男・年女、厄年の人、氏子、崇敬者、事前申込者などに限られることがあります。

また、境内の混雑状況によって入場制限、参列区域の指定、整理券の配布などが行われる場合もあります。開催日時、受付、参列方法、撮影の可否については、その年の神社公式情報を確認してください。

Q8 節分祭と厄除けにはどのような関係がありますか

節分祭は、冬から春へ移る季節の境に災厄を祓い、新しい時期の平穏を願う祭祀です。このため、節分祭に合わせて厄年の人を対象とする厄除祈願を行う神社があります。

かつては立春を年の重要な区切りとして捉える考え方があり、その前日の節分は、古い時期の厄を祓って新しい春を迎える日と意識されました。年男・年女や厄年の人が節分祭に奉仕する例も、この季節の区切りと関係しています。

ただし、節分祭に参拝することと、個別の厄除祈願を受けることは同じではありません。正式な厄除祈願を希望する場合は、神社で受付を行い、定められた祈願祭を受けます。

第11章 Shrine Heritager編集部考察

季節の境を祓い、新しい春を迎える祭祀

節分祭の特色は、異なる時代に成立した祓いの要素を、各神社がそれぞれの由緒と祭式に即して受け止めている点にあります。豆、弓矢、音、火、人形などの違いは、祭祀の優劣ではなく、伝承と奉仕のあり方の違いを示します。

豆まきのにぎわいだけでなく、神前で何を祈るのか、誰が祭典を支えるのか、どのような作法が守られているのかを確認することで、節分祭を季節の境に災厄を祓い、新しい春の平穏を願う祭祀として理解できます。

第12章 関連項目(See also)・内部リンク

節分祭の歴史、祓いの思想、追儺神事、各地の節分行事を理解するための関連項目とShrine Heritager公開記事です。

節分祭の関連項目・内部リンク

項目名 URL 関係・内容
追儺 作成予定 疫鬼や災厄を追い払う古代宮中の儀礼で、節分祭の歴史を考えるうえで重要な関連項目です。
大祓 作成予定 罪穢を祓う神社祭祀で、節分祭との共通点と相違点を理解するための関連項目です。
寒川神社 https://shrineheritager.com/samukawa-shrine/ 1月2日の追儺祭と、立春前日の節分祭を別に伝え、追儺板を打つ古式神事が行われます。
五條天神社 https://shrineheritager.com/gojo-ten-shrine/ 蟇目式、朮、病鬼との問答、豆まきからなる「うけらの神事」を伝えます。
賀茂神社 https://shrineheritager.com/kamo-shrine-2/ 人形による祓い、豆まき、神火による焼納を組み合わせた御篝神事を伝えます。
羽浦神社 https://shrineheritager.com/haura-shrine/ 和耶神社に関する伝承と、豆打ちや「ワヤワヤ」の唱え事を伴う節分行事を紹介しています。

第13章 参考文献

13-1 一次史料・古典籍

  • 『続日本紀』慶雲3年(706)是歳条。疫病の流行と、土牛を作って大儺を行った記事。

  • 『儀式』巻十「十二月大儺儀」。平安時代の宮中で行われた大儺の祭場、奉仕者、方相氏、桃の弓、葦の矢などに関する儀式次第。

  • 『延喜式』巻十六「陰陽寮」。追儺に用いる桃の弓・桃の杖・葦の矢の準備に関する規定。

  • 藤原資房『春記』。平安時代の節分に行われた祈りを確認するための貴族日記。

  • 平信範『兵範記』。平安時代の節分に関する行事を確認するための貴族日記。

  • 伏見宮貞成親王『看聞日記』応永32年(1425)正月8日条。節分の「鬼大豆打」に関する記録。

  • 瑞渓周鳳『臥雲日件録』文安4年(1447)12月22日条。立春前日の豆まきと「鬼は外、福は内」の掛け声に関する記録。

  • 屋代弘賢『諸国風俗問状』。近世各地の節分、豆まき、掛け声、柊鰯、厄払いなどを調査するための質問項目。

  • 中山太郎編『諸国風俗問状答 校注』東洋堂、1942年。『諸国風俗問状』に対する各地の回答を収録。

13-2 基礎文献・専門研究

  • 仲川みなみ「追儺と節分行事の形成」『伝承文化研究』第14号、國學院大學伝承文化学会、2016年、83~100頁。

  • 加藤友康・高埜利彦・長沢利明・山田邦明編『年中行事大辞典』吉川弘文館、2009年。「節分」「豆まき」および各地の節分行事に関する項目。

  • 福田アジオ・新谷尚紀・湯川洋司・神田より子・中込睦子・渡邊欣雄編『日本民俗大辞典 上』吉川弘文館、1999年。「鬼やらい」「節分」に関する項目。

  • 西角井正慶編『年中行事事典』東京堂出版、1958年。追儺、節分、豆まきなどの年中行事に関する項目。

  • 田中宣一編『三省堂年中行事事典 改訂版』三省堂、2012年。「節分」に関する項目。

13-3 公的機関・研究機関資料

  • 国立国会図書館「第1章 節分と豆まき」『本の万華鏡 第21回 大豆―粒よりマメ知識―』。追儺と節分が本来別の行事であったこと、『続日本紀』『看聞日記』『臥雲日件録』などにみえる節分・豆まきの歴史を確認。

  • 国立国会図書館「節分と邪気払い」NDLイメージバンク。節分、追儺、豆まきと大豆の関係を確認。

  • 国立国会図書館サーチ「追儺と節分行事の形成」。仲川みなみ論文の書誌事項を確認。

  • 国文学研究資料館「国書データベース」。『続日本紀』『臥雲日件録抜尤』『貞観儀式』などの書誌・画像資料を確認。

  • 国際日本文化研究センター「古事類苑全文データベース」歳時部「追儺」。『延喜式』をはじめとする追儺関係史料を確認。

  • 国立天文台暦計算室「こよみ用語解説 二十四節気」。立春と二十四節気の定義を確認。

  • 農林水産省「節分の日に豆をまくのは、どうしてですか。」豆、病や災い、追儺の関係についての公的解説を確認。

  • 桐生市「御篝神事」。賀茂神社御篝神事の開催日、場所、奉仕者および文化財情報を確認。

  • 台東区「五條天神社の節分(うけらの神事)」。蟇目式、白朮、病鬼との問答、豆まきなどの内容を確認。

13-4 神社公式資料・Shrine Heritager確認記事

  • 寒川神社公式サイト「節分祭」。神前の祭典、年男・年女による福豆撒きなどを確認。

  • 五條天神社公式サイト。節分の日に斎行される「うけらの神事」の祭日情報を確認。

  • Shrine Heritager「寒川神社(寒川町)」。1月2日の追儺祭と立春前日の節分祭に関する記録を確認。

  • Shrine Heritager「五條天神社(台東区上野公園)」。うけらの神事、蟇目式、病鬼との問答、豆まき、授与品を確認。

  • Shrine Heritager「賀茂神社(桐生市広沢町)」。人形による祓い、豆まき、御篝神事の内容を確認。

  • Shrine Heritager「羽浦神社(阿南市羽ノ浦町中庄千田池)」。和耶神社に関する伝承、豆打ち、「ワヤワヤ」の唱え事を確認。

第14章 External Links(外部リンク)

国立国会図書館「第1章 節分と豆まき」:https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/21/1.html。追儺と節分が本来別の行事であったこと、『続日本紀』『看聞日記』『臥雲日件録』などにみえる豆まきの歴史を紹介しています。

国立国会図書館「節分と邪気払い」:https://www.ndl.go.jp/imagebank/column/setsubun。所蔵資料の画像とともに、節分、追儺、豆まき、大豆による邪気払いを解説しています。

国立国会図書館サーチ「追儺と節分行事の形成」:https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000004-I029726141。仲川みなみ「追儺と節分行事の形成」の掲載誌、巻号、掲載頁などの書誌情報を確認できます。

国文学研究資料館「国書データベース 臥雲日件録抜尤」:https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/200019821。『臥雲日件録抜尤』の書誌情報と所蔵資料を確認できます。

国際日本文化研究センター「古事類苑全文データベース 追儺」:https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/?%E6%AD%B3%E6%99%82%E9%83%A8%2F%E8%BF%BD%E5%84%BA%E3%80%88%E5%9C%9F%E7%89%9B%E7%AB%A5%E5%AD%90%E3%80%89%E3%80%88%E4%BD%B5%E5%85%A5%E3%80%89=。『続日本紀』『延喜式』などに記された大儺・追儺関係の記事をまとめて確認できます。

国立天文台暦計算室「こよみ用語解説 二十四節気」:https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/faq/24sekki.html。立春を含む二十四節気の名称、太陽黄経、暦上の位置づけを確認できます。

農林水産省「節分の日に豆をまくのは、どうしてですか。」:https://www.maff.go.jp/j/heya/sodan/2001/01.html。豆に託された病や災いを祓う力と、追儺との関係を簡潔に解説しています。

寒川神社公式サイト「節分祭」:https://samukawajinjya.jp/festival/setsubunsai.html。神前で行われる節分祭と、年男・年女による福豆撒きについて案内しています。

五條天神社公式サイト:https://www.gojoutenjinsha.com/。節分の日に行われる「うけらの神事」の祭日・斎行時刻などを確認できます。

台東区「五條天神社の節分(うけらの神事)」:https://t-navi.city.taito.lg.jp/event/1433。蟇目式、白朮、病鬼との問答、豆まき、授与品など、うけらの神事の内容を紹介しています。

桐生市「御篝神事」:https://www.city.kiryu.lg.jp/kankou/event/1010673/1001900.html。賀茂神社御篝神事の開催日、所在地、主催者、文化財情報を案内しています。

ヤフー・データソリューション「節分は寺社仏閣がアツい!検索ビッグデータから見えた、節分祭の注目スポットは?」:https://note.com/ds_yahoojp/n/ndfc5850021cb。Yahoo!検索の実検索データを用いて、節分祭に関する寺社名検索の動向を分析しています。

第15章 更新履歴(Revision History)

SHD-0325「節分祭」更新履歴

日付 版・改訂 状態 変更内容
2026年8月10日 Edition 1 Official Master Approved 立春の具体説明、由来説明の重複整理、内部リンクの公開確認、図1~3の配置指定、HTML構造・表・ショートコード・文字数の監査を行い、完成版としました。

 

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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