実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

三明神社(小牧市林北)〈『延喜式』非多神社〉

三明神社(さんめいじんじゃ)は 承和8年(841)創建 戦国時代までは大縣神社の摂社と社伝に云う 又 江戸時代の編纂物『尾張志』『尾張地名考』『尾張名所圖會』等は「林村字平野と云所に稗田天神 又 樋田天神ありしが今廃して三明神相殿」と 延喜式内社 尾張國 春日部郡 非多神社(ひたの かみのやしろ)てあると記しています

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

三明神社(Sanmei shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

愛知県小牧市林北101-1

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》国常立尊(くにのとこたちのみこと)

《配》豊斟諄尊(とよくむのみこと)
国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
 

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

由緒

 社伝によれば、承和8(841)年の創建とされ、戦国時代までは大縣神社の摂社であったとされます。また、書物によっては当社を式内社非多神社に比定するものもあります。

「東春神社考」各社案内・由緒 三明神社
https://toshun-shrine.org/archives/post_type_shrine/%e5%b0%8f%e7%89%a7%e5%b8%82%e6%9e%97%e4%b8%89%e6%98%8e%e7%a5%9e%e7%a4%be

【由  (History)】

『東春日井郡誌』大正12年(1923)〉に記される内容

【抜粋意訳】

第十一章 第三節 村社 三明神社

所在 篠岡村大字林字宮前4六百九十番

社格 村社〔明治四十年十月二十六日 神饌幣帛料供進指定〕

祭神
 國常立命
 豊斟諄尊
 国狭槌尊

例祭日 陰曆九月一日

由緒

 延喜式内の神社なるも、由緒之を詳になし難し、左に諸書を引きたれば尚考ふべし。

 延喜神名式に曰く、春日部郡 非多神社。
 尾張本國帳に日く、従三位 非多天神。
 尾張國內神名牒、春日井郡二十座の部に曰く、従二位上 樋田天神。
 神名帳考證に曰く、「集説」味岡庄林村〔有稱ニ 稗田地〕「國帳」從三位 非多天神、非一作 卑、或作樋、多一作田、按、伊勢國飯野郡 意非田神社 同之歟。〔飯野社也〕

 尾張志に曰く、延喜神名式に春日部郡 非多神社と記し、本國帳に従三位 非多天神と見へて、其一本に稗田天神  樋田天神等書く、尾張風土記に卑田宮とあるも是歟、本國帳集説に卑田は林村の内の地名にある由いへり。
 尾張地名考に曰く、「天野信景曰く」味岡庄林村 三明神歟、此村に卑田といふ地あり、「里老曰」三明神の宮は村方 祥雲寺〔曹洞宗〕の控也、此宮は往昔は二の宮の別宮なりしに、天正戦国のころ二宮の社人これを放捨て逃去しより以來、祥雲寺へ拾ひたりとなり、「正生考」駒犬いと古物なり、疑らくは本國帳に載たる爾波郡正三位 三明神社は、是にはあらぬ歟、郡界は違ふといへども 其の間も近く、二の宮山へ續きたり、今の本宮山を三明神とせるは後歟。

 尾張名所圖會に曰く、非多天神社 林村にあり、本國帳に従三位 非多天神とある官社なり集説に味岡庄林村 卑多とする地あり、是かと見えたり、非一本に卑とし 叉 樋ともあり。
 明細帳に曰く、勧請年月不詳卜雖モ、目今 古老ノ口傳ニハ、當社ハ古昔 式内 比多神社ニシテ、夫故 當村字名ニモ比艮野 又 比良池アリ、又 地名天神トアリト、此或古書ニモ見ヘタリト云、

寶物 棟札 元祿七甲戌年九月吉祥日 一枚
境内 九百十坪

境内神社

 熱田社 祭神 日本武尊
 神明社 祭神 天照大神
 金刀比羅社 祭神 大己貴命
 秋葉社 祭神 加具土命
 天神社 祭神 國常立命
 津島社 祭神 須佐之男命
 八幡社 祭神 大鷦鷯命
  明細帳に曰く、創立年月不詳卜雖モ、往古 當村字鳥坂ニ鎮座ノ所、明治十年二月当社境内エ移轉。
 山神社 祭神 大山祇命
  明細帳に曰く、創立年月不詳卜雖モ、往古 當村字平野ニ鎭座ノ所、明治十年二月當社境内エ移轉。

【原文参照】

東春日井郡 編『東春日井郡誌』,東春日井郡,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/978680

東春日井郡 編『東春日井郡誌』,東春日井郡,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/978680

『式内社調査報告第巻』昭和59年に記される内容

『式内社調査報告』に記される式内社 非多神社の参考論社として゛林村字平野と云所に天神社ありしが今廃して三明神相殿にまして゛〈現 三明神社(小牧市林北)〉の説を挙げています

【抜粋】

尾張國 春日部郡 非多(ヒタノ)神社
【追記】

 非多神社は、江戸時代の編纂物をみていくと、「西春日井郡山田村比良」とするものはみられない。

『本國神名帳集説』に、
従三位非多天神、〔非一作 稗、或 作 樋、多一作 田、〕味岡庄林村、
按 伊勢國飯野郡 音非田神社同レ之歟、〔飯野ノ祖也〕

 『尾張志』『尾張地名考』『尾張名所圖會』等も、この説を受け、味岡庄林村(現 小牧市味岡字林)の三明神社をあててゐる。

『参考尾張本國帳』は、
従三位非多神社〔天神〕〔一本作ニ 非田、或作ニ 稗田 或 作ニ 樋田、〕
〔尾張國風土記 有 稗田宮 蓋是歟、〕
とみとるが、中島郡といふことで疑問としてゐる。

『特選神名牒』では、
 林村字平野と云所に天神社ありしが今廃して三明神相殿にまして其趾に山神の小祠ありと云れど今 村中に非多と稱する地名もなく たしかなる證もあらねば猶考へて決むべし
とみられる。

『神祇志料』(第十二卷)にも、「今 味岡庄林村あり〔國内帳集説、式社考、○按 村中地名 稗田と云ふ處あり、即是なり、」とみえる。『東春日井郡誌』も、これにもとづいて、東春日井郡篠岡村大字林字宮前(現 小教市林字宮前)の三明神社を非多神社としてゐる。

また天野信景は、林村に稗田といふ地名があるとの指摘もある。(日本歴史名大系23、『愛知の地名』「小牧市・三明神社の項」平凡社)。

 三明神社が提出した『神社明細書』は、延喜式外とし、由緒において、丹羽郡に所屬してをり、春日部郡に入りたることなしとして否定されてゐる。
 三明神社の祭神は、國常立命・豊斟諄命・国狭槌を奉祭してゐる。造化三神の古い神を祭つてゐる。

 社傳として、二の宮の別宮といふ傳承を持ち、天正戦国のころ二宮の社人これを放捨て逃走しより以来、祥雲寺へ拾ひたりといふ。二の宮とは、大縣神社(國幣中社、犬山市字宮山、式内社、丹羽郡〔名神大〕)である。この三明神社は現在は大縣神社とは特別な關係はみられない。また、大縣神社には、摂社に三明神社を持つてゐる。

 式内社の調査を行った結果、比良村から、非多神社の傳承を持つ神社がみられた。しかし、江戸時代に、味岡庄林村の三明神社を非多神社にあてる説がみられた。式外社に三明神社をだしてゐる説をみると、否定できるのかもしれないが、それすら根據は不明である。三明神社の祭神は、適化三神といふ古い神を奉斎してゐる。また、大縣神社の社領の變遷などを考へねばならないし、大縣神社との關係も推測され、古い神社とも考へられる。

 三明神社側の社傳では否定されてゐるが、ここでは、〔追記〕という形で、舊来の傳承として参考に掲載し、今後の研究をまちたい。

大縣神社は、江戸時代の初期に火災にあい、多くの古文書を焼失してゐるので、古い記録がみられない。また、大縣神社にみられる三明神社との関係も考へねばならない。ただし、大縣神社の三明神社の社傳は不明であつた。

(劔持悦夫)

【原文】

『式内社調査報告第八巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・大縣神社(犬山市宮山)

三明神社(小牧市林北)承和8(841)年の創建〉の社伝によれば 戦国時代までは大縣神社の摂社であったとされます

延喜式内社 尾張國 丹羽郡 大縣神社(名神大)(おほあかたの かみのやしろ)

大縣神社については 下記の記事を参照

・大縣神社 奥宮〈本宮社(本宮山頂)〉
・大縣神社(犬山市宮山)

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)春日部郡 12座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 非多神社
[ふ り が な ](ひたの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Hita no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 尾張國 春日部郡 非多神社(ひたの かみのやしろ)の論社について

・六所神社(名古屋市西区比良)
〈本殿の両脇に2つの式内論社・非多神社・ 大江神社 その内の・非多神社〉

一緒に読む
六所神社(名古屋市西区比良)〈『延喜式』非多神社・乎江神社〉

六所神社(ろくしょじんじゃ)は 創建年代は不祥 本殿の両脇にある2つの境内社(・非多神社・ 大江神社)が式内論社とされていて〈①延喜式内社 尾張國 春日部郡 非多神社(ひたの かみのやしろ) ②延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)〉 二つの式内社の論社となっています

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・〈参考論社〉三明神社(小牧市林北)

一緒に読む
三明神社(小牧市林北)〈『延喜式』非多神社〉

三明神社(さんめいじんじゃ)は 承和8年(841)創建 戦国時代までは大縣神社の摂社と社伝に云う 又 江戸時代の編纂物『尾張志』『尾張地名考』『尾張名所圖會』等は「林村字平野と云所に稗田天神 又 樋田天神ありしが今廃して三明神相殿」と 延喜式内社 尾張國 春日部郡 非多神社(ひたの かみのやしろ)てあると記しています

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

名鉄小牧線 味岡駅から県道178号経由で東へ約4.4km 車での所要時間は8~11分程度

社殿 境内 社頭は南を向いています

三明神社(小牧市林北)に参着

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石段を上がると 祭文殿となります

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両側に境内社が祀られています

向って右手には〈境内社〉3宇と石碑が3つ

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向って左手には〈境内社〉4宇

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祭文殿を廻り込んで
拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 非多神社について 所在・祭神など不明と記し
論社として゛味岡庄林村有稱 卑田地゛〈現 三明神社(小牧市林北)〉とする説を挙げています

【抜粋意訳】

非多神社

非多は假字也

○祭神 在所 等詳ならず

○味岡庄林村有稱 卑田地、〔集

類社
 越後國頸城郡 斐太神社、出雲國秋鹿郡 日田神社、

神位
 國内神名帳云、從三位非多天神、(一非作卑、或作樋田、一作田)

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 非多神社について 所在は゛ 味岡庄林にあり゛〈現 三明神社(小牧市林北)〉と記しています

【抜粋意訳】

非多神社、

 味岡庄林にあり、
〔國内帳集説、式社考、○按 村中地名 稗田と云ふ處あり、即是なり、

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 非多神社について 所在・祭神など未記入ですが
論社として゛本社所在 里人の申傳に林村字平野と云所に天神社ありしが  廃して三明神相殿にまして゛〈現 三明神社(小牧市林北)〉とする説を挙げています

【抜粋意訳】

非多神社

祭神
社格
祭日

所在

 今按 本社所在 里人の申傳に林村字平野と云所に天神社ありしが  廃して三明神相殿にまし 其趾に山神の小祠ありと云れど  村中に非多と地名もなく たしかなる證もあらねば 猶考へて決むべし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

三明神社(小牧市林北) (hai)」(90度のお辞儀)

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尾張国 式内社 121座(大8座・小113座)について に戻る

一緒に読む
尾張國 式内社 121座(大8座・小113座)について

尾張国(おわりのくに・をはりのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 尾張国には 121座(大8座・小113座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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  • B!

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