実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

山神社(高島市マキノ町牧野)〈『三代實録』麻氣神『延喜式』麻希神社〉

山神社(さんじんじゃ)は 『高島郡誌』神社誌に 西庄村大字牧野に鎭座する「山神社」の社傳として「社傳に云、もと麻氣神社と稱し、字 眞毛野に鎭座ありしが、中古 彌馬野(ヤマノ)に移して 彌馬野神社と稱したり」とあり 延喜式内社 近江國 高嶋郡 麻希神社(まけの かみのやしろ)とされています

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

山神社(San shrine)

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

滋賀県高島市マキノ町牧野625

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大山祗命(おほやまつみのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・ 国史記載社〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』)に記載されている神社

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

山神社 (サン)

御祭神 大山祗命

御神紋 左三ツ巴

御由緒

 社伝によると、昔 麻希神社と称し 字真毛野に鎮座して居たが 中古 弥真野に移されて 弥真野神社と称した。尚 式内 麻希神社については論社とされる。

滋賀県神社庁HPより
https://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=1315

【由  (History)】

『式内社調査報告第十巻』昭和59年に記される内容

【抜粋】

第十 近江國

麻希(マケノ)神社
【社名】

史大には九條家本により「マケノ」と讀んでり、他もこの讀みと同じである。比定されるマキノ町牧野の神社は 山神社とせられ、舊稱社、彌眞野神社などしたとされてる。

【所在】

 殆んどが所在不明としてをり、『神祇志料』には「帳考證」の説として
  麻希村に在り
とあるが、この麻希村がどこか不明である。ただ『高島郡誌神社誌によると、西庄村山神社の項に
 西庄村大字牧野にマキノ町牧野六二五

とし、その社として
 、もと麻神社とし、字座ありしが、中古 彌馬野(ヤマノ)に移して 彌馬野神社としたり
との論が述べられてる。これにれば、マキノ町牧野の山神社がこれに該することなる。しかし、この説は他の神祇関係の書に全然採用されてないので、一参考意見とすべきであらう。牧野知内川が南折するところ、西の扇状地の最北端に位置してる。付近は高島殿最北端の顕著な群集地帯であるとともに、製遺跡の所在地としても知られてゐる。

 国鉄湖西線から北約五・三キロメートル。

【祭神】

 山神社の祭神は明細書によれば大山祇命である。しかし、前述の如くこの神社を社とすることに疑問も存するので、麻希神社の祭神と大山祇神が直接結つくかどうか不祥もある。

 麻希の神は次の由緒の項で追べる如く三代實録に神階授位の記事があるやうな神であるから相當有名な神であつたと考へられる。
・・・
・・・〈中略〉
・・・

【由緒】

 麻希神社に就いては、三代 貞觀九年九月の條に
 十四日庚戌・・・近江國六位上山主神、麻氣神 並授従五位下

とあるのが唯一の資料である。『滋賀縣史』には
 祭神所在共に詳かでない。但し貞觀九年九月從五位下を授けられている。

と述べ、『高島郡誌』」でも

 所在不祥、貞觀九年九月十四從五位下

と、この三代實録の叙位のことだけを挙げて、所在不明としてゐる。山神社の神社明細書も、『高島郡誌」に依るとして、所在の項で追べた同誌のが書かれてるだけである。従って正確には不明とすべきであるが、た、「もと麻神社とした」といふ所から一應式内社希神社の論社として述べておく次第である。

【祭記】

 山神社の例祭日は明細書に四月二十二日、春祭三月五日、秋祭は十一月二十二日とあり、神職は十郎氏が兼任で奉仕し、氏子七二世帯で祀られてる。

【境内と社殿】

 南牧野から牧野に出る途中の林間にある二二〇の境内で、松林の中に鳥居、拜殿(坪)、本殿、社務所が配されてる。本殿ははれた屋舎の中に建つ一聞社造の物である。(宇野健一・西田弘)

【原文】

『式内社調査報告第十二巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

大風雨による被害 が報告され 風雨災害に関係する地域の鎮護の神として 神階授与が記されているのであろうと思われます

【抜粋意訳】

卷十四 貞觀九年(八六七)九月十四日庚戌

○十四日庚戌

大風雨がありて (き)(たち)(や)(はなつ)

近江國 正六位上 山主神(やまぬしのかみ)麻氣神(まけのかみ)並從五位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)近江國 155座(大13座・小142座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)高島郡 34座(大2座・小32座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 麻希神社
[ふ り が な ](まけの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Make no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳』に記載される「まけのかみのやしろ」の社号をもつ式内社の類社について

延喜式内社 大和國 城下郡 鏡作麻氣神社(かかみつくり まけの かみのやしろ)

・鏡作麻氣神社(田原本町小阪)

一緒に読む
鏡作麻氣神社(田原本町小阪)〈『延喜式』鏡作麻氣神社〉

鏡作麻氣神社(かがみつくりまけじんじゃ)は 延喜式内社 大和國 城下郡 鏡作麻氣神社(かかみつくり まけの かみのやしろ)とされます 鎮座地の周辺には 鏡作の守護神を祭祀した式内社「鏡作坐天照御魂神社・鏡作伊多神社」などが鎮座し 古くは鏡を製作していた技術者集団が居住した古代 大和國「鏡作郷」であったとされます

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延喜式内社 近江國 高嶋郡 麻希神社(まけの かみのやしろ)

・山神社(高島市マキノ町牧野)

一緒に読む
山神社(高島市マキノ町牧野)〈『三代實録』麻氣神『延喜式』麻希神社〉

山神社(さんじんじゃ)は 『高島郡誌』神社誌に 西庄村大字牧野に鎭座する「山神社」の社傳として「社傳に云、もと麻氣神社と稱し、字 眞毛野に鎭座ありしが、中古 彌馬野(ヤマノ)に移して 彌馬野神社と稱したり」とあり 延喜式内社 近江國 高嶋郡 麻希神社(まけの かみのやしろ)とされています

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延喜式内社 越前國 丹生郡 麻氣神社(まけの かみのやしろ)の論社

・麻氣神社(南条郡南越前町牧谷)

一緒に読む
麻氣神社(南条郡南越前町牧谷)〈『延喜式』麻氣神社〉

麻氣神社(まきじんじゃ)は 創建不祥とされるが 一説として荒樫神社の伝があり「大男迹王(継体天皇)二歳にして 御生母(振媛命)と是の国に御鳳來の時 先づ麻和介命(振媛の兄)の家に御着留ありと云 此の如き御親戚の因なみに依り祭りしものなり」とあります 延喜式内社 越前國 丹生郡 麻氣神社(まけの かみのやしろ)の論社です

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・麻氣神社(丹生郡越前町真木)

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麻氣神社(丹生郡越前町真木)〈『延喜式』麻氣神社〉

麻氣神社(まきじんじゃ)は 『越前官社考』に「此御社は眞木村に座す〔牧神社 牧村ならんが神龜三年(726)民部省のロ宣に依て麻気の二字を用ひしものなり〕つまり郡や郷名を二文字の「好字」で表せとの詔勅に対応して゛麻氣゛としたと云う 延喜式内社 越前國 丹生郡 麻氣神社(まけの かみのやしろ)の論社です

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・酒列神社(越前市牧町)

一緒に読む
酒列神社(越前市牧町)〈『延喜式』麻氣神社〉

酒列神社(さかつらじんじゃ)は 神社明細帳には「創建不詳と雖も 從來 當村 稲葉山峰に安置したると村老の云、然る處 明治十年(1877)四月 類焼に罹り社殿失より該地に再建す」とあり 地名「牧」祭神「少名彦尊」の類似から延喜式内社 越前國 丹生郡 麻氣神社(まけの かみのやしろ)の論社とされています

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延喜式内社 越前國 足羽郡 麻氣神社(まけ かみのやしろ)〈廃絶〉

・廃絶とされる 所在など不明

延喜式内社 丹波國 船井郡 麻氣神社〔名神大〕(まけの かみのやしろ)

・摩氣神社(南丹市園部町竹井字宮ノ谷)〈延喜式内社 名神大社〉

延喜式内社 隠岐國 知夫郡 眞氣命神社(貞)(まけのみことの かみのやしろ)

・眞氣命神社(隠岐 西ノ島町宇賀)

一緒に読む
眞氣命神社(隠岐 西ノ島町宇賀)〈『延喜式』眞氣命神社〉

眞氣命神社(まけのみことじんじゃ)は 隠岐 西ノ島の物井地区に鎮座する『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の式内社とされます 江戸時代には所在不明とされていましたが 明治初期の式内社調査で比定されています 祭神の眞氣命については おそらく地主神であろうとされています

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR湖西線 マキノ駅から県道287号経由で北西方向へ約5.3km 車での所要時間は10~12分程度

県道287号は メタセコイア並木があり 紅葉のシーズンは見事だと云います

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県道287号の南牧野のバス停の十字路を西へ折れて250m程です

山神社の社頭から北方向の景色です

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山神社(高島市マキノ町牧野)に参着

鳥居の扁額には「山神社」 一礼をしてから くぐり抜けます
鳥居の柱の中程に注連縄が廻されていて いやが応でも 頭をたれて 鳥居をくぐり抜ける事となります

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鳥居の先には 両側に大杉が締め柱の如く建っていて 神域への結界を通り抜けるような感じがします

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境内に進むと 石灯籠があり 向かって左手に手水舎 正面に拝殿が建てられています 社殿 境内は ほぼ東向き〈東と東南東の間ぐらい「東微南」〉です 

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拝殿にすすみます
この時
突然に日差しが差し込んで来ました

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拝殿内には 天井に太鼓が設置されています

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拝殿内の額は字が薄れていますが 歌詠だろうか

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拝殿を廻り込むと 奥に一段高い基壇が設けられていて 覆い屋の内に本殿が祀られています

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覆い屋の中にある賽銭板に
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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振り返ると 拝殿は前後に壁がありませんので 本殿から見る境内の様子がわかります

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 麻希神社について 祭神・所在は良くわからないと記しています

【抜粋意訳】

麻希神社

麻希は字也

○祭神 在所等詳ならず

類社
 大和國城下郡 鏡作麻氣神杜越前國丹生郡、同國足羽郡 麻氣神社、各一座、丹波國船井郡 麻氣神社、名神大

神位
 三代実録、貞観十四日庚戌、近江國正六位上 麻氣神  從五位下、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 麻希神社について 所在は゛今 麻希村に在り、゛〈現 山神社(高島市マキノ町牧野)〉と記しています

【抜粋意訳】

麻希(マケノ)神社

〔〇按 三代実録、麻希氣に作る並同〕

今 麻希村に在り、〔神名帳考証〕

和天皇 貞觀九年九月庚戌正六位上 麻氣神從五位下く〔三代実録〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 麻希神社について 祭神・所在は 未記入です

【抜粋意訳】

麻希神社

祭神
神位 清和天皇 貞觀九年九月十四日庚戌 近江國正六位上 麻氣ノ神ニ  從五位下ヲ

祭日
社格

所在

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

山神社(高島市マキノ町牧野) (hai)」(90度のお辞儀)

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近江国 式内社 155座(大13座・小142座)について に戻る

一緒に読む
近江國 式内社 155座(大13座・小142座)について

近江国(おうみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 近江国には 式内社 155座(大13座・小142座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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