実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

温泉神社(大崎市鳴子温泉字湯元)〈『續日本後記』玉造温泉神『延喜式』温泉神社〉

温泉神社(おんせんじんじゃ)は 承和4年(837)の大噴火により噴出した温泉 この湯を鳴声(なごえ)の湯と称し これを鎮めるために建立されたと伝わる 『續日本後記』承和10年玉造温泉神に従五位下が授けられ 『延喜式』には陸奥國 玉造郡 温泉神社(ゆのいつみの かみのやしろ)と所載されています 

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

温泉神社(Onsen shrine

通称名(Common name)

鳴子温泉神社(なるこおんせんじんじゃ)

【鎮座地 (Location) 

宮城県大崎市鳴子温泉字湯元31-1

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大己貴命(おほなむちのみこと)
   少彦名命(すくなひこなのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

・ 国史見在社(こくしげんざいしゃ)
〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』)に記載されている神社〉

【創  (Beginning of history)】

延喜式内社 温泉神社縁起

祭神
 大己貴命(オオナムチノミコト)
 少彦名命(スクナヒコナノミコト)

例祭日 九月七、八、九日

 温泉神社の創建は古く、続日本後紀に次のように記されている。「仁明天皇の御代、承和四 年(八三七)四月、鳥谷ヶ森にわかに鳴動すること数日、遂に爆発し熱湯を噴出、河となつて流れた。里人は驚いて朝廷に報告した。朝廷は温泉の神を祀り、この年十月九日從五位下を賜る」と。里人はこの湯を鳴声(なきご)の湯と称した。これが現町名 鳴子(なるご)の起りである。(宮城県郷土史)
 また朝廷では、延喜五年(九〇五)全国の神社を調査した。その時、延喜式神明帖に登載された神社を延喜式内社と言うが、当神社は、その延喜式内社で由緒の深い神社である。明治七年村社に列せられ、昭和十九年知事により、神饌幣帛料供進神社に指定された。
 祭神の大己貴命は、出雲の神として親しまれる大国主命ともいわれ、少彦名命と共に縁結びの神、農耕の神、また病気治癒の医療の神として知られ、多くの人々の篤い信仰を集めてきた。

 秋に行われる祭典には、近郷近在から大勢の若者を集め、寄せ太鼓も賑々しく相撲を奉納することを常として。この相撲は「文治五年(一一八九)源頼朝が、平泉の藤原泰衡を征討した。この時、当神社に戦勝を祈願し、ことの成就後神の御加護を謝して、部下の勇士による相撲を奉納したことに始まる」とされている。鳴子相撲は九州の「明鳥」東京の「浅草」と並び、日本の三大田舎相撲の一つとして有名である。

 昭和十年、拝殿建立に続き昭和十九年には本殿の竣工をみた。総けやきの権現造りである。
例祭には、前記勧進相撲をはじめ、全国こけし祭りなどの特色のある行事が、町を挙げて盛大に催され、氏子だけでなく訪れる人々の大きな 楽しみとなっている。

昭和六十年九月八日
撰文 宮司 芦立 忠
建立 温泉神社 総代会

現地石碑文より

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【由  (History)】

温泉神社(おんせんじんじゃ(ゆのかみのやしろ)) 由緒

承和2年4月(835)鳴子温泉鳥谷ケ森俄かに鳴動すること数日にして遂に轟然と爆発し熱湯を噴出した。この年の10月朝廷は、この地に一社を建てて、温泉神社を祀った。この湯を鳴声(なきごえ)の湯と称した。
続日本後記巻六承和10年9月5日に玉造温泉神に従五位下が授けられた。
明治7年8月村社に列格。昭和19年8月供進社に指定された。延喜式内社である
愛媛道後温泉の湯神社、兵庫有馬温泉の湯泉神社、栃木那須温泉の湯泉神社、福島湯本温泉の温泉神社とは類社でとくに島根県の玉造湯神社とは深い縁があると思われる。

宮城県神社庁HPより
https://miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310020456

由緒

 当社は、玉造郡鳴子町に鎮座しており、大己貴命、少彦名命をお祀りしている。延喜式内の神社にて玉造三社のひとつである。
仁明天皇の承和4年(837)山岳震動すること七日七夜、遂に噴火して熱湯を湧出した。土地の人この状をみて朝廷に奏し温泉の神を祀り、従五位下を賜る。
相撲奉納の起源は、文治五年源頼朝が、平泉藤原泰衡征討に下降のみぎり、戦勝を温泉神社に祈願し泰衡を討取り凱旋の際、神恩に感謝し部下の勇士に相撲をとらせ奉納した。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・社殿

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・拝殿

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・標柱゛延喜式内社 温泉神社(ゆのかみのやしろ)゛

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・参道・鳥居

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・湯神大石

湯神大石(ゆのかみのいし)

 この大石(約十トン)は承知四年(837)浮沼湖の大噴火のさい斜面を一気に流れ下る火砕流により転石したと言い伝えられている鳴子温泉の原点を知る記念の石である
温泉神社

現地立札より

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

鳴子温泉郷には 川渡温泉 鳴子温泉 東鳴子温泉の3箇所に それぞれ温泉神社が祀られています

川渡温泉

・温泉石神社(大崎市鳴子温泉字川渡)について 詳しくは別記事を参照

鳴子温泉

・温泉神社(大崎市鳴子温泉字湯元)について 詳しくは別記事を参照

一緒に読む
温泉神社(大崎市鳴子温泉字湯元)〈『續日本後記』玉造温泉神『延喜式』温泉神社〉

温泉神社(おんせんじんじゃ)は 承和4年(837)の大噴火により噴出した温泉 この湯を鳴声(なごえ)の湯と称し これを鎮めるために建立されたと伝わる 『續日本後記』承和10年玉造温泉神に従五位下が授けられ 『延喜式』には陸奥國 玉造郡 温泉神社(ゆのいつみの かみのやしろ)と所載されています

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東鳴子温泉

東鳴子温泉には JR陸羽東線の鳴子御殿湯駅の北西約400mの線路脇に温泉神社が鎮座します
鳥居と神社の間を線路が通っていて 線路をくぐる参道となります

東鳴子温泉神社(大崎市鳴子温泉車湯)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『續日本後紀(Shoku nihon koki)〈貞観11年(869)完成〉』に記される伝承

玉造温泉神は 温泉石神社(大崎市鳴子温泉字川渡)であるとも 鳴子温泉神社(大崎市鳴子温泉字湯元)であるとも 云われています

【抜粋意訳】

卷十三承和十年(八四三)九月庚寅

○九月丙戌朔庚寅

奉授に 陸奧國
 從五位下 多久都神正五位下
 勳九等 伊波止和氣天神
 无位 玉造温泉神
 无位 伊佐酒美神 並に從五位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)陸奥國 100座(大15座・小85座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)玉造郡 3座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 温泉石神社(貞)
[ふ り が な ](ゆのいつみの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Yunoitsumi no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳』に記される 「玉造・玉作」(たまつくり)に関連する神社について

「玉造・玉作」(たまつくり)を郷名や社名に持つ式内社について

いずれも温泉と深く関わっています

延喜式内社 出雲國 意宇郡 玉作湯神社(たまつくりゆの かみのやしろ)

・玉作湯神社(玉湯町玉造)

一緒に読む
玉作湯神社(松江市玉湯町玉造)【前編】〈『出雲国風土記』・『延喜式』所載社〉

玉作湯神社(たまつくりゆじんじゃ)は その名の通り 古代には勾玉や各種玉類の一大生産地でした 且つ・1300年を遡る「神の湯・美肌の湯」と云う玉造温泉の地に鎮座します 御祭神は・玉作の神「櫛明玉神(くしあかるたまのかみ)」・温泉の神2柱「大名持神(おほなむちのかみ) 少毘古那神(すくなひこなのかみ)」を祀ります

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一緒に読む
玉作湯神社(松江市玉湯町玉造)【後編】

玉作湯神社は その名のとおり 古代から勾玉や各種玉類の一大生産地で 且つ・1300年を遡る「神の湯・美肌の湯」といわれる玉造温泉の地に鎮座しています 御祭神は・玉作の神「櫛明玉神( kushi akarutama no kami)」・温泉の神「大名持神(onamochi no kami) 少毘古那神(sukunahikona no kami)の2柱の神」を祀ります

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延喜式内社 伊豆國 田方郡 玉作水神社(たまつくりのみの かみのやしろ)

・玉作神社(沼津市黒瀬町)

・愛鷹神社(三島市三好町)

・神明宮(三島市平田)

延喜式内社 近江國 伊香郡 玉作神社(たまつくりの かみのやしろ)

・石作神社・玉作神社(長浜市木之本町千田)

延喜式内社 陸奥國 玉造郡 温泉神社(ゆのいつみの かみのやしろ)

・温泉神社(大崎市鳴子温泉字湯元)

一緒に読む
温泉神社(大崎市鳴子温泉字湯元)〈『續日本後記』玉造温泉神『延喜式』温泉神社〉

温泉神社(おんせんじんじゃ)は 承和4年(837)の大噴火により噴出した温泉 この湯を鳴声(なごえ)の湯と称し これを鎮めるために建立されたと伝わる 『續日本後記』承和10年玉造温泉神に従五位下が授けられ 『延喜式』には陸奥國 玉造郡 温泉神社(ゆのいつみの かみのやしろ)と所載されています

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延喜式内社 陸奥國 玉造郡 温泉石神社(貞)(ゆのいつみのいしの かみのやしろ)

・温泉石神社(大崎市鳴子温泉字川渡)

玉造部(たまつくりべ)の祖神 玉祖命(たまのおやのみこと) 同神〈・豊玉神(とよたまのかみ)・天明玉命(あめのあかるたまのみこと)〉を祀る式内社について

延喜式内社 甲斐國 山梨郡玉諸神社(たまもろの かみのやしろ)

・玉諸神社 奥宮(甲州市塩山竹森)
〈玉諸神社(甲州市塩山竹森)の奥宮(御神体)〉

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玉諸神社 奥宮(甲州市塩山竹森)〈『延喜式』玉諸神社〉

玉諸神社 奥宮(たまもろじんじゃ おくみや)は 社伝によれば かつて高さ7尺 周囲6尺8寸の水晶の玉が神体として祀られおり この神体が神社名の由来と云う 玉諸神社(甲州市塩山竹森)の北東約600m竹森山(水晶山)中腹に奥宮として鎮座する 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 玉諸神社(たまもろの かみのやしろ)の論社です

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・玉諸神社(甲州市塩山竹森)

一緒に読む
玉諸神社(甲州市塩山竹森)〈『延喜式』玉諸神社〉

玉諸神社(たまもろじんじゃ)は 創建勧請の年代は不祥ですが 祭神は 天羽明玉命〈八坂瓊五百箇御統玉(やさかにのいほつみまるのたま)を造った神〉を祀り 高さ七尺余(約212cm)周囲六尺八寸(約206cm)許りの水晶を御神体としていると伝わる 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 玉諸神社(たまもろの かみのやしろ)の論社です 

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延喜式内社 周防國 佐波郡 玉祖神社二座(たまのをやの かみのやしろ ふたくら)

・玉祖神社(防府市)

一緒に読む
玉祖神社(周防国一之宮)

玉祖神社(たまのおやじんじゃ)は 『延喜式神名帳』に「玉祖神社二座」と所載されています 三種の神器の一つ 八坂瓊曲玉(yasakanino magatama)を造られた「玉祖命(tamanoya no mikoto)」が御祭神 他一座は不詳です また 社伝では『日本神話』でも有名な「天照大神の天の岩戸隠」の時に 集めて鳴かせた「常世 長鳴鶏」を 玉祖命が この地に この鶏をつれて留まられたとして「黒柏 発祥の地」としています 黒柏は 天然記念物に指定されて境内で飼育されています

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR陸羽東線 鳴子温泉駅から南下して約400m 徒歩で7分程度

鳴子温泉駅から鳴子温泉街を進みます

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温泉神社参道゛の案内板があります

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温泉神社(大崎市鳴子温泉字湯元)に参着

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石段を百段くらい登ると参道があり その先に鳥居が建っています

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゛延喜式内社 温泉神社(ゆのかみのやしろ)゛の標柱があります

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして参道を戻ります

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石段を下り鳴戸温泉街へ

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 溫泉神社について 所在は゛啼見村湯本に在す゛〈現 温泉神社(大崎市鳴子温泉字湯元)〉と記しています

【抜粋意訳】

溫泉神社

溫泉は由と訓べし

〇祭神 大己貴命〔頭注〕

〇啼見村湯本に在す、〔参拝録、参考〕

例祭 月 日

〇當郡溫泉石神社もあり

 観聞老志云、啼見温泉、〔郷俗作に鳴子非也、須考に之事実〕在に啼見村、自に岩畔出、克治に瘡疾、其下亦有に溫、此地也 相傳、往昔義經北行、夫人開に胎于龜毀坂、仍弁慶養に之笈中、來に於此地、始出に呱々馨、故後人號に啼見、溫泉在に其地、神名帳所謂 溫泉神社是也、

類社
 攝津國有馬郡 溫泉神社の條見合すべし

神位
 績日本後紀、承和十年九月庚寅、奉授に无位玉造溫泉神從五位下、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 溫泉神社について 所在は゛ 鳴子村湯元温泉の側にあり゛〈現 温泉神社(大崎市鳴子温泉字湯元)〉と記しています

【抜粋意訳】

温泉(ユノ)神社

 鳴子村湯元温泉の側にあり、〔奥羽聞老志、封内風土記、参拝舊祠記、

大己貴命を祀る、〔本社傳説〇按 延喜式、出雲國意宇郡に玉作湯神社、同社坐韓國伊太弖神社あるに據らば、色麻郡伊達神も、本社も亦 由縁あり、極めて同神なり、姑附て考に備ふ、〕

凡 八月八日祭を行ふ、〔参拝舊祠記

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 溫泉神社について 所在は゛鳴子村〔字湯元〇今属 陸前國〕(玉造郡温泉村大字鳴子)゛〈現 温泉神社(大崎市鳴子温泉字湯元)〉と記しています

【抜粋意訳】

温泉神社

祭神 大己貴命 少彦名命

神位
 仁明天皇 承和十年九月庚寅 奉授 陸奧國 無位 玉造温泉神 從五位下

祭日 八月八日
社格 村社

所在 鳴子村〔字湯元〇今属 陸前國〕(玉造郡温泉村大字鳴子)

【原文参照】

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温泉神社(大崎市鳴子温泉字湯元) (hai)」(90度のお辞儀)

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陸奥国 式内社 100座(大15座・小85座)について に戻る

一緒に読む
陸奥國 式内社 100座(大15座・小85座)について

陸奥国(むつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 陸奥国には 100座(大15座・小85座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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