実践和學 Cultural Japan heritage

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小國神社(周智郡森町一宮)〈延喜式内社・遠江國一之宮〉

小國神社(おくにじんじゃ)は 遠江国一之宮で御霊顕(ごれいけん)あらたかな社として 大国主命を祀ります 社名の「小國(おくに)」の語源は 大國神を祀るきれいな場所と云われ 許当麻知神社(ことまち=願い事を待つ)・事任神社(ことのまま=願い事のままに)とも称されていました 

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

  小國神社(okuni shrine)
 (おくにじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

 一宮様(ichinomiya sama)

【鎮座地 (location) 】

静岡県周智郡森町一宮 3956-1

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大己貴命 (onamuji no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

・家内安全 Pray to God that the home is peaceful
・商売繁昌 Pray to God that the business will flourish
・厄払祈願 Prayer at an age considered a milestone in life
・八方塞除祈願 Pray to God so that I can avoid the calamity caused by the nine stars
・交通安全 Pray to God not to have a traffic accident
・初宮詣 Pray to God for the birth and growth of the newborn
・七五三詣 Dedicate your child's growth and thank God
・命名奉告 Consecrate the name of the newborn and pray to God for safe growth
・安産成就 Pray to God so that I can give birth safely
・良縁成就 Pray to God for a good bond
・身体健全 Pray to God for a healthy life
・病気平癒 Pray to God to cure illness
・人形清祓(焼納祈願) Pray to God that the soul of "Hina Doll/May Doll" is peaceful
・職場安全 Pray to God for a calm workplace
・渡航安全 Pray to God for the safety of trip and stay
・方除 Pray to God so that there is no calamity due to direction and direction.
・等 etc

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
・ 遠江国一之宮(totomi no kuni ichinomiya)
・ 別表神社

【創 建 (Beginning of history)】

創祀は神代と伝えられ 上代の事で詳らかではありませんが、
延宝8年(1680)の社記によると、
人皇第29代 欽明天皇の御代16年(555)2月18日に本宮峯(本宮山)に御神霊が鎮斎せられました。
後に、都より勅使が差遺せられ、山麓約6kmの現在地に社殿を造営し、正一位の神階を授けられました。

それ以来、年々奉幣に預り勅使が下向され、
文武天皇大宝元年(701)春18日に勅使奉幣の際、特に十二段の舞楽を奉奏されました。
延喜7年(907)の延喜式では式内社に列せられ、中世には武将をはじめ朝野の崇敬が極めて篤く近世に至りました。

元亀3年(1572)の戦では、徳川家は御神霊を別所に遷し、願文と三条小鍛治宗近作の太刀を奉り戦勝を祈願した後、社殿を全て焼失しました。
天平3年(1575)に勝利を得た徳川公は、御本殿の造営、拝殿・楼門を再建され、更に社領五百九十石の朱印を奉り、以降代々の徳川将軍家より、社殿の改造・修復料を寄進されました。

明治6年6月13日に国幣小社に列せられ、明治15年3月に再度の火災により御本殿以下建造物などことごとく失いましたが、明治19年に復興され現在に至っております。

平成17年には御鎮座一四五〇年祭が斎行され、「遠江國一宮さま」として崇敬され親しまれております。

公式HPより

【由 緒 (history)】

御祭神 大己貴命は
御神徳須佐之男命の御子にして 父神の命により 豊葦原の国を開発し 稲穂の稔る瑞穂の国に造り上げ 天孫に国土を奉つた大功を称へて 大国主命とも 国作之大神とも 大穴牟遅神と称へ 
又 農業 山林 鉱業 縁結び医薬禁圧の法を授け給ふ徳を称へて 大物主神とも 宇都志国玉神とも 大国玉神と称へ
又 艱難辛苦の修養を積まれ 統治者となられ 国中の悪神を平定せられた質実剛健と勇気を称へ 葦原醜男命とも 八千矛命と申し 尊貴を称へて 大己貴命と申す等 国土開発 福徳縁結び 山林 農業 医薬 知徳剛健等の守護神と敬はれ 御神徳極めて高い

本社を小國神社と申すのは
出雲の大本宮に対する遠江国地方の美称であつて 当社は 古来より 許当麻知神社(願い事を待つ意)とも 事任神社(願い事のままに叶う意)とも 固有の別名がある

御由来創祀は
神代と伝へられ 上代のことは詳でないが 社記によれば
人皇第29代欽明天皇の御代18年2月18日本宮山に御神霊が出現せられ 奇瑞あり 天聴に達し 勅使を差遣せられ 社殿を造営し 正一位の神階を授けらる
第60代醍醐天皇の延喜7年に勅して 社殿を改造せられ 延喜式内社に列す承和7年及貞観2年16年従四位の神階を奉る
第96代後醍醐天皇の元弘建武変乱以来 勅使が廃れ神主代りて 其の式を行い戦乱相次ぐ室町時代に至も神事祭礼欠くる事無く 朝野の崇敬極めて篤く 遠江国一宮と称へられる

「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から

【境内社 (Other deities within the precincts)】

 並宮(nami no miya)

《主》伊邪那美命(izanagi no mikoto)
   事解男命(kotosakao no mikoto)
   速玉男命(hayatamao no mikoto)

明治15年炎上前は本殿玉垣内にありましたが、並座を以て並宮と称し、社殿の結構・祭典の儀式に至るまで古より本社に準じていました。

炎上後は境内社八王子社に祀られていましたが、明治100年を記念し、昭和43年玉垣内旧社地に復興造営されました。

公式HPより

全國一宮等合殿社(zenkoku ichinomiya togoden sha)

延宝8年の社記、諸古文書の社頭配置図によると全国一宮等御祭神七三柱が境内社として各所に祀られていましたが、明治の初めに本社焼失時または腐朽等により明治15年より境内末社八王子社に仮に合祀されたものを平成元年12月氏子崇敬者の守護神として復興鎮祭されました。

公式HPより

宗像社(munakata sha)

《主》田心姫命(tagorihime no mikoto)
   田霧姫命(tagirihime no mikoto)
   市杵島姫命(itsukishimahime no mikoto)

弁天社ともいい、女性の守護神と敬われ、また、水徳の神とも敬われています。 往古よりの古社で延宝の社記によれば、社前に於いて阿部善八郎が小國神主と会して本社に大身槍を奉納したと記されています。

公式HPより

・八王子社(hachioji sha)

《主》国狭槌命(kunisazuchi no mikoto)
   五男神 三女神の八柱の神

1月17日の例祭には奉射神事があります。
八王子社での奉射神事に引き続き本社での御弓始祭が執行されます。

公式HPより

・鉾執社(hokotori sha)

神社に奉仕された先祖代々の杜家神人の魂を神と仰ぎ感謝し、後商の繁栄御加講を祈念しつつ、中執持の功績を称へ鉾執社として創建し今日に至ります。

公式HPより

飯王子社(iioji sha)

《主》保食神(ukemochi no kami)

昔、遠州横須賀の地方に毎年旱天長雨の為、五穀稔らず住民こぞって一宮様に詣で祈り、豆を捧げしところ、村長の霊夢に「端殿を横須賀の方に向け、保食神を飯王子社と称へ奉らば五穀みのらむ」との神託により社殿を横須賀の方に向け祭り、以来此の地に不作絶へたと言はれ、また、2月15日の祭りに上げた大豆を馬や牛に与えれば災なく無病に育つと伝えられています。 この古事にちなみ、特殊神饌として小豆・大豆をお供えします。

公式HPより

瀧宮(taki no miya sha)

《主》須佐之男命(susanowo no mikoto)

延宝の社記の図に古くより記されている小國神社の末社の一社で、社殿すぐ近くには小さな滝がひっそりとたたずんでいます。

公式HPより

白山社(hakusan sha)

《主》菊理比売命(kukurihime no kami)

延宝の社記の図に、古くより記されている小國神社の末社の一社であり、もとは大杉の根もとに祀られていたと伝えられています。

公式HPより

愛宕社(atago sha)

《主》彦火々出見命(hikohohodemi no mikoto)

古くからの末社で安産・子育て火防の神として祀られています。
公式HPより

・本宮山 奥磐戸神社(hongusan okuiwato jinja)

《主》大己貴命荒魂(onamuchi no mikoto aramitama)

本社の北約6キロメートルにあり、標高511メートルの山頂には奥宮として奥磐戸神社があります。

御神霊が出現せられた神域で小國神社が現社地に移転し、以後本宮山と称し荒魂神を祀ります。 荒魂を祀り、1月6日には例祭が斎行され5月6日には青葉祭が執行されます。

遠江国の中央に位置し東西南北国中を一望の下に聚め、天竜川・遠州灘の南景は格別です。

公式HPより

塩井神社(shioi jinja)

《主》塩筒老命(shiotsutsu no o no mikoto)

延宝8年今より300余年前の一宮の社記の一部に「此の塩井は一宮山の内八分目あたり常に干満あり味わい潮の如しつ霖雨洪水の時分塩無之時は此の塩水を汲みて用ふる也」と記されて居ります。

古来より一宮の末社として塩井神社は伏間の郷の守護神と里人より敬はれ塩水は胃腸の薬とお祓いの魔除けになると古老より伝へられ塩井汲みの崇敬者も遠近より参詣せられております。

公式HPより

・山神社(yama jinja)

《主》大山祇神(oyamatsumi no kami)

古来より神沢地区の守り神として奉斎されています。

公式HPより

・白髭神社(shirahige jinja)

《主》猿田彦尊(sarutahiko no mikoto)

白鬚神社は旧領地粟倉村(現円田)にあり、古くより小國神社の末社でした。御祭神は猿田彦尊であり、言い伝えによると小國神社がこの地に鎮座されるにあたり先導の神さまとして祭られたとも言われ、神社と深い関係があった末社です。 白鬚神社は明治初年の一村一社制の令により明治8年(1875年)八雲神社に合祀されました。その後、平成2年9月8日八雲神社より分祀、白鬚神社に遷座し平成6年11月7日末社に編入されました。

公式HPより

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)The shrine record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)遠江国 62座(大2座・小60座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)周智郡 3座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社名 ] 小國神社
[ふ り が な  ](をくにの かみのやしろ)
[How to read ](wokuni no kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

徳川家康公との関係について

元亀3(1572)年 駿河へ侵攻した甲斐の武田信玄との「三方原の戦い」では 強力な武力の前に 徳川家康公が 領内の神社に「敵は多勢 我は無勢 かくなる上は この社の神力に頼るのみ」といった願文をおさめたとされる神社が小國神社です

社記によると

元亀3(1572)年 徳川氏の目代 武藤刑部氏定が武田信玄に味方し 甲斐の軍勢を招き 当社に叛いた時、神主 小国豊前重勝は 霊夢に感じ、子息 千松麻呂を人質として徳川氏に訴えた。
家康公は 神主に命じて 御霊前を別所に遷し、願文と三条小鍛冶宗近作の太刀を奉り、戦勝を祈願した後に、社頭に火を放ち全部の社殿を焼失した。

その後、徳川方が 勝を得て
天正3(1575)年 家康公は 本多重次に命じて、先ず本堂を造営、遷宮させ、次いで同11年(1583)12月7日 天下泰平の報賽として末社・拝殿・廻廊を造営・・・・・・慶長8年(1603)8月28日 家康公は更に社領として590の朱印を奉り・・・・」 神社配布資料より

この時の「徳川家康公奉納の三条小鍛冶宗近銘の大刀二振、大身槍一振」が神社の宝物とされています

神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

遠江一宮駅から 県道280号経由 約4km 車10分程度
駐車場は 正面の大鳥居の直ぐ脇にあります

小國神社(okuni shrine)に参着

案内看板にあるよう に広い参道は真っ直ぐに社殿に向かっています

一礼して大鳥居をくぐり抜けます

直ぐ左手に境内社がありお詣りをします

飯王子社(iioji sha)
《主》保食神(ukemochi no kami)

参道には御神橋が掛かり 古木の中を参道が延びています

参道の左手に「手水舎」があり 清めます

参道の左手には 雨に濡れるちょっと幻想的な雰囲気の「事待池」があります

本社に詣で 願掛けをして心願成就すれば池に鯉を放つので「ことまち池」という 又池の水 を汲み「いぼ」に付けると「いぼ」が とれるというので「いぼとり池」 ともいう

境内案内より

「事待池」の中島にある 境内社にお詣りします

宗像社(munakata sha)
《主》田心姫命(tagorihime no mikoto)
   田霧姫命(tagirihime no mikoto)
   市杵島姫命(itsukishimahime no mikoto)

更に 朱色の神橋を渡ると

・八王子社(hachioji sha)
《主》国狭槌命(kunisazuchi no mikoto)
   五男神 三女神の八柱の神

参道の左手に玉垣に囲まれて「神幸所(shinkojo)」神輿を迎える場所で 4月の御例祭時に 一年に一度だけ御祭神が神輿にのり遷られます

木々に覆われた参道の先が開けて 二の鳥居の先に社殿が見えてきます

左手に境内社がありお詣りをします

全國一宮等合殿社(zenkoku ichinomiya togoden sha)

二の鳥居の左脇には「家康公の立ちあがり石」が置かれています

一礼して 二の鳥居をくぐり抜けます

参道は広い石畳となって 正面には 拝殿が建ちます

右手には「舞楽舎」「舞殿」が建ちます

左手には 社務所があり 神札授与所があります

拝殿にすすみます 

賽銭をおさめ お祈りです 

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

社殿の向かって右横には「神徳殿(shintokuden)」と呼ばれる御祈祷所があります

奉納の樽酒が置かれています

拝所がありますので 合わせてお祈りをします

社務所の前には「金銀石」が置かれています この石を撫で、松の幹を撫でれば「金運 良縁に恵まれる」という言い伝えがあるそうです

お賽銭を納め 触らずにお祈りをしました

しかし、触れたほうが良いようです

金銀石

古老の伝えによれば御祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)が遠江の国造りをされ この地に留まりて、諸業を教え給う中に 金銀の印として この石を授けたと云われ 以来 諸民 此を金銀石と称し、松を願掛け松(待つ)という。
石を撫で 松の幹を撫でれば 金運や良縁に恵まれるという。

案内板より

参道を戻ります

参道脇の杉並木には「勅使参道」が残されています 一般参拝者は通行できません

勅使参道

人皇第二十九代 欽明天皇の御代に奇瑞ありて 天聴に達し 正一位の神階を授けられ 大宝元年 春十八日 勅使参向し 十二段舞楽を奉奏 以来 毎年勅使奉幣し 舞楽を奉奏せられた当時の勅使参道路にて一般参拝者は通行しない

鳥居をくぐり抜けて 振り返り一礼をします

神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『続日本後紀(shoku nihon koki)』承和7年(840年)6月14日条に記される伝承

国史に「小國神社の初見」とされるのが『続日本後紀(shoku nihon koki)』

840年(承和7)に「矢奈比賣天神(磐田市)」と共に神階を授かっています

※文中では 天神とされていますが? 

意訳

「遠江国 周智郡の無位の小国天神 磐田郡の無位の矢奈比賣天神に 並びに 従五位下を授け奉る」

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

遠江国一之宮で御霊顕(ごれいけん)あらたかな社として 大国主命を祀ります

小國神社(okuni shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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