実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

大井神社(亀岡市大井町並河)〈『延喜式』大井神社〉

大井神社(おおいじんじゃ)は 和銅3年の創建。祭神の木俣命が保津川を鯉に乗って上がってきたと伝えられ、通称「鯉明神」といわれています。この地域ではでは鯉を神の使いと考えられ、鯉を食べず、鯉のぼりも揚げない風習が伝わっています

Please do not reproduce without prior permission.

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

大井神社 (Ohi shrine

通称名(Common name)

鯉明神(こいみょうじん)

【鎮座地 (Location) 

京都府亀岡市大井町並河1丁目3-25

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》月讀命(つきよみのみこと)
   市杵島比賣命(いちきしまひめのみこと)
   
木俣命(きのまたのみこと) 別称:御井の神

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

大井神社の概要

祭神 木股命 月及び 市杵島姫命

社殿 元明天皇の御宇 和銅三年(紀元七一〇年)に創建された

由来 一神は出雲より來り給うも 二神が松尾大社から亀に乗り急流に至りて鯉に乗り移り大堰川を沂らせ給いて當地に鎮座された

社格 明治六年郷社に明治十年延喜式内神社に又明治四十年神饌幣帛料供進神社に指定された

祭礼
 八月十九日夏祭(花祭)
 夜の祭であって各地区より立花を  氏子有志は生花を 境内では盆踊を行い 夜遅く迄賑わう

 十月十六日秋祭(例祭)
 祭神は神輿に移らせ給い 稚児楽人神職總代 並びに武者姿の人達が多数供奉し 氏子中を神幸さ  神社の馬場に於ては武者姿の氏子達が競馬を行い 終日賑わう 尚此の競馬は清和天皇の御宇 貞観八年(紀元八六六年)に始めて許され以後續いて居る

有志 昭和四十三年(紀元一九六八年)記

現地案内板より

Please do not reproduce without prior permission.

【由  (History)】

大井神社(大井町並河)

和銅三年(七一〇)の創建、光秀の兵火で焼失した社殿を天正十二年(一五八四)秀吉が片桐且元を奉行として再建せしめたものという。

祭神は御井神、月読神、市杵島姫命で、伝説によると御井神(木俣神)が市杵島姫命と洛西松尾 大社から神使の亀に乗って大堰川を遡上されたが、保津の急流が乗り切れなかったので、鯉に乗りかえて、ここ大井に上陸して鎮座されたということである。

爲に当社の氏子は鯉を尊び、食用は勿論、捕えることを禁じ五月の節句に鯉のぼりもあげない風習が続いている。十月十六日の例祭には古く貞観八年(八六六)に始まったという勇壮な競馬が当社の馬場で武者姿の氏子により奉納される。

現地案内板より

Please do not reproduce without prior permission.

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

○京都府 南桑田郡 郷社

○京都府 丹波國 南桑田郡大井村大字並河

鄉社 大井(オホヰノ)

祭神
 股命(キノマタノミコト)、月讀(ツキヨミノミコト)

本社は元明天皇 和銅三年九月の創建なり、初め元明天皇の聖を得て、大井の郷に一社を設け、清和天皇 貞観八年九月に至り競馬を許されたり、其後 天正年間、明智の兵燹に罹りて書類焼失したるを以て、今其の由緒の詳細を知るに由なし、神祇志料に「大井の神社、今 大井村にあり、大井大明神と云ふ、本村及 並川村の産神也〔湯島道之記、神名帳、神名帳打聞、神社覈録

 松尾に坐 胷形中都(ムナカタナカツ)大神を祀る〔本社傳説、酌本朝月令、〕
は市杵嶋姫命に坐り〔古事記〕
凡其祭 七月十九日、九月十六日之を行ふ〔神社明細帳〕と見ゆ、即ち延喜式桑田郡小十七座の内の一なり、明治六年六月郷社と定められ、同十年六月式内神社に列す、社殿一宇、手水舍等を備へ、境内數百坪(官有地第一種)を有す。

境内神社
 天満宮 出雲神社 蛭子神社 愛宕神社 大原神社 厳島神社

神饌幣帛料供進 指定年月日 明治四十年三月一日 告示第八十四號
氏子戶數 四百十一
崇敬者員數 未詳

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・〈大井神社旧鎮座地〉大井神社(亀岡市河原林町勝林島)

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹波國 71座(大5座・小66座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)桑田郡 19座(大2座・小17座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 大井神社
[ふ り が な ](をほゐの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Wohoi no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

「大井神社(おほゐの かみのやしろ)」と『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載の式内社と論社について

延喜式内社 山城國 乙訓郡 大井神社(おほの かみのやしろ)の論社

・大井神社(京都市右京区嵯峨天龍寺造路町)

一緒に読む
大井神社(右京区嵯峨天龍寺造路町)〈『三代実録』山代大堰神『延喜式』大井神社〉

大井神社(おおいじんじゃ)は 渡月橋の北の詰にあり 大堰神社とも称し 大堰川の守り神として『三代実録』貞観十八年(867)山代大堰神と記載があります 又『延喜式』山城國 乙訓郡 大井神社(おほゐの かみのやしろ)の式内論社ともされています

続きを見る

・綾戸國中神社(京都市南区久世上久世町)

一緒に読む
綾戸國中神社(京都市南区久世上久世町)〈『延喜式』大井神社・國中神社・茨田神社〉

綾戸國中神社(あやとくなかじんじゃ)は 元は綾戸宮と國中宮の二社でしたが 現在は合祀され 左が綾戸宮 右が國中宮となっています 3つの式内社〈延喜式内社 山城國乙訓郡 大井神社(おほゐの かみのやしろ)・國中神社(くになかの かみのやしろ)・茨田神社(まむたの かみのやしろ)〉の論社となっています

続きを見る

延喜式内社 伊勢國 鈴鹿郡 大井神社二座(をほゐの かみのやしろ ふたくら)の論社

・関神社(亀山市関町)
明治42年(1909)関神社に合祀された大井神社(亀山市関町古厩)

一緒に読む
關神社(亀山市関町木崎)〈二つの式内社・大井神社・片山神社を合祀〉

関神社(せきじんじゃ)は 江戸時代には 熊野三所大権現と呼ばれていました 明治42年(1909)地域の各字の神社を合祀して 關神社と改号しました その時 古厩に鎮座していた二つの式内社①大井神社の論社・大井神社(亀山市関町古厩)②片山神社の論社・八王子祠 (亀山市関町古厩)も一緒に合祀されました

続きを見る

・大井神社の遺跡(亀山市関町古厩)
〈大井神社の旧鎮座地(明治42年(1909)関神社に合祀)〉

一緒に読む
大井神社の遺跡(亀山市関町古厩)〈大井神社の旧鎮座地(明治42年 関神社に合祀)〉

大井神社の遺跡(おおいじんじゃのいせき)は 史跡 鈴鹿駅跡(すずかのうまやあと)にあった延喜式内社 伊勢國 鈴鹿郡 大井神社二座(をほゐの かみのやしろ ふたくら)とされ ここから北40m程の所には゛都追美井(つつみい)゛〈神社の御神体とされる井戸〉もあります 明治42年(1909)関神社(亀山市関町)に合祀されました

続きを見る

・大井神社(鈴鹿市山辺町)

一緒に読む
大井神社(鈴鹿市山辺町)〈延喜式内社 大井神社二座(をほゐの かみのやしろ)〉

大井神社(おおいじんじゃ)は 西に約400mの所に゛山辺の御井(やまべのみい)゛もあり 延喜式内社 伊勢國 鈴鹿郡 大井神社二座(をほゐの かみのやしろ ふたくら)の論社となっています 明治44年(1911)川神社(鈴鹿市河田町)に合祀〈神社合祀令〉された後 地元の熱意によつて昭和26年(1951)3月に再興されました

続きを見る

・江神社(亀山市下庄町)

一緒に読む
江神社(亀山市下庄町)〈二つの延喜式内社の論社①大井神社二座②江神社〉

江神社(えのじんじゃ)は 雨を司る神として 社伝には゛当地は天名川〈中の川〉が流れ 上流は闇淵(くらふち)と称する大沼があって龍神が住んでいた゛と云い 社名を「鈴の宮」〈上社〉と呼び 又 下社もあったとされ これを延喜式内社 大井神社二座としていたと伝わります 又 江神社ともされ 二つの式内社の論社となっています 

続きを見る

延喜式内社 尾張國 山田郡 大井神社(おほゐの かみのやしろ)の論社

・大井神社(名古屋市北区如意)

延喜式内社 常陸國 那賀郡 大井神社(おほゐの かみのやしろ)の論社

・大井神社(水戸市飯富町)

・大井神社(笠間市大渕)

延喜式内社 丹波國 桑田郡 大井神社(をほゐの かみのやしろ)の論社

・大井神社 (亀岡市大井町)

一緒に読む
大井神社(亀岡市大井町並河)〈『延喜式』大井神社〉

大井神社(おおいじんじゃ)は 和銅3年の創建。祭神の木俣命が保津川を鯉に乗って上がってきたと伝えられ、通称「鯉明神」といわれています。この地域ではでは鯉を神の使いと考えられ、鯉を食べず、鯉のぼりも揚げない風習が伝わっています

続きを見る

延喜式内社 出雲國 秋鹿郡 大井神社(おほゐの かみのやしろ)の論社

・大井神社

一緒に読む
大井神社(松江市鹿島町)

大井神社(おおいじんじゃ)は 大井乃神(oi no kami)と水罔象女神(mitsuha no me no kami)を祀ります 式内社の論社として里人に守られるお社です

続きを見る

・五十田神社

一緒に読む
五十田神社(松江市古志町)

五十田神社(いそだじんじゃ)は 『出雲國風土記』所載の秋鹿郡 大井社です もとの鎮座地は現在地の東方にあった佐太水海の沖の大井の輪と言われる浜にあったが 洪水により社殿が西の丘麓の大井垣の輪に漂着し大井神社と称した 更に現在地の磯田に遷座し磯田神社となり 『日本書記』にある武甕槌命・経津主命が「出雲の国護りの舞台」五十田狭の小汀に天降ったのは ここなりとしての両神を祀り 五十田神社と改称した

続きを見る

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR山陰本線 並河駅西口から線路を越えて南東方向へ約350m 徒歩での所要時間5~6分程度

社殿 境内は東向きです
参道の入口は東南を向いています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

駐車場は社頭に設けられています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

大井神社 (亀岡市大井町並河に参着

Please do not reproduce without prior permission.

一礼をして鳥居をくぐり抜けて境内に進みます

Please do not reproduce without prior permission.

正面に拝殿 右手に手水舎があり 清めます

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿にすすみます 右手には絵馬殿

奉納の「鯉」の絵馬

祭神 木俣命が大井川〈保津川を鯉に乗って上がってきたと伝えられていて 通称「鯉明神」といわれています。この地域ではでは鯉を神の使いと考えられ、鯉を食べず、鯉のぼりも揚げない風習が伝わっています

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿建築記念の石碑と 由緒書きがあります

Please do not reproduce without prior permission.

本殿はガラス張りの覆い屋の中に祀られています

Please do not reproduce without prior permission.

本殿の後ろには 境内社が7社 石仏が一体 祀られています

向って右から

・〈境内社〉大原神社《主》伊邪諾命
・〈境内社〉愛宕神社《主》火具槌命
・〈境内社〉蛭子神社《主》事代主命
・〈境内社〉春日神社《主》建御賀豆智命
・〈石仏〉阿弥陀如来《主》阿弥陀如来
・〈境内社〉出雲神社《主》大己貴命
・〈境内社〉厳島神社《主》田心姫命
・〈境内社〉松尾神社《主》大山咋命

Please do not reproduce without prior permission.

社殿に一礼をして境内を戻ります
先程 境内に進み入って来た鳥居は東向きです
南へも参道が伸びていましたので そちらへ進みます

Please do not reproduce without prior permission.

すぐに〈境内社〉天満宮《主》菅原道真公があります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

南側の入口には注連柱があり 忠魂碑が建てられています

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 大井神社について 所在は゛大井村在す゛〈現 大井神社 (亀岡市大井町並河〉と記しています

【抜粋意訳】

大井神社

大井は於保爲と訓べし

〇祭神詳ならず、〔頭注云、月讀命〕

〇大井村在す

〇頭注云建治元年四月、神與依 大井河大水 而流 此地國民祭之云々、類社
 山城國乙訓郡 大井神社の條見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 大井神社について 所在は゛ 大井村にあり、大井大明神と云ふ、本村 及.並川村の產神也、゛〈現 大井神社 (亀岡市大井町並河〉と記しています

【抜粋意訳】

大井(オホヰノ)神社、

 大井村にあり、大井大明神と云ふ、本村 及.並川村の產神也、〔湯島道之記、神名帳考、神名帳打聞、〕

 松尾に坐 胷形中都(ムナカタナカツ)大神を祀る〔本社傳説、参取本朝月令、〕
は市杵嶋姫命に坐り〔古事記〕
凡其祭 七月十九日、九月十六日之を行ふ〔神社明細帳〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 大井神社について 所在は゛並河村 (南桑田郡大井村大字並河 )゛〈現 大井神社 (亀岡市大井町並河〉と記しています

【抜粋意訳】

大井(オホヰノ)神社

祭神

 今按 祭神社傳に木股神 月讀命也とあれど 盥魚に社僧云 所祭の神は 中津大神なりと 里民の口號に上代 山城 松尾神社 胷形津大神 龜に乗り大井川を上り玉ふ云々 今云ふ在 元淵まで來り玉ふ 折しも近郷の工匠を業とすろ者 是を見奉るに異形の尊體たヾ人にあらず 依て いかなる人ぞと問奉れば 松尾の中津大神也 此所に跡を垂んと思ひ來れりと云々とあるを思ふに 俗傳の如くなれど こは決めて松尾にます 市杵島姫神を祭れる御社なるべし

祭日 七月十九日 九月十六日

社格 郷社

所在 並河村 (南桑田郡大井村大字並河 )

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

大井神社 (亀岡市大井町並河 (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

丹波国 式内社 71座(大5座・小66座)について に戻る

一緒に読む
丹波國 式内社 71座(大5座・小66座)について

丹波国(たんばのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 丹波国には 式内社 71座(大5座・小66座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

続きを見る

  • B!

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています