大原郡の神社は 写本の順番で並んでいます " Shrines are arranged in order of manuscripts "
『出雲國風土記』大原郡(ohara no kori)条 所載の神社の数は「29社」です
「13社」 神祇官社(jingikan sha)=『延喜式神名帳』所載社
「16社」 不在神祇官社(fuzai jingikan sha)
『出雲國風土記』大原郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】16社は 写本の順番で並んでいます
赤秦社 (あかはた) (akahata no) yashiro
・赤秦神社
赤秦神社(あかはだじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「赤秦社(あかはた)のやしろ」とされます 古老の伝えに 御神体の「石体」は 年を経る毎に段々大きくなり ついに本殿に納まらなくなり「若隠居さん」「隠居さん」と呼んで境内に祀られたと伝わります
赤秦神社(雲南市加茂町大竹)
等々呂吉社 (とどろき) (todoroki no) yashiro
・等等呂吉神社
等等呂吉神社(とどろきじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「等々呂吉社(とどろき)のやしろ」の論社とされます 社記に「出雲風土記に掲載されており 歴史は古い 川のとどろきの音から龍王神も祭る」とあります
等等呂吉神社(雲南市大東町篠淵)
矢代社 (やしろ) (yashiro no) yashiro
・〈御代神社の境内社 貴布禰社に合祀〉高麻神社
・〈加茂神社の境内社〉上賀茂神社
加茂神社(かもじんじゃ)&境内社 上賀茂大明神(かみがもだいみょうじん)は どちらも御祭神に出雲の神を祀る古社です 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社の条に「矢代社」「屋代社」と「(やしろ)のやしろ」が 二つありますが それぞれの論社となっています
加茂神社(雲南市加茂町加茂中)&境内社 上賀茂神社
比和社 (ひわ) (hiwa no) yashiro
・〈御代神社に合祀〉日吉社
・比和神社
比和神社(ひわじんじゃ)は 古老の伝によれば 大穴牟遅命が各地を巡られる途中 この地において猪を追い打ちになる時 猿田彦命がこれを導かれ 当社に祭神として祀られたという『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「比和社(ひわ)のやしろ」の論社です
比和神社(雲南市加茂町砂子原)
・鏡神社
鏡神社(かがみじんじゃ)は 社記に 当地住人の福間重賢が鑪(タタラ)事業で成功し櫨場の守護神として鏡作社(石凝姥尊)を勧請し祀っていたが土地の産土 比和社へ合祀せんと(独力で)再建御造営して社号を鏡宮大明神と改めたとあり『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「比和社(ひわ)のやしろ」の論社の一つです
鏡神社(雲南市大東町新庄)
日原社 (ひはら) (hihara no) yashiro
・日原神社
日原神社(ひはらじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「日原社(ひはら)のやしろ」の論社です 御祭神 天之日腹大科度美神(あめのひばらおおしなどみのかみ)は この地「日の原」にて御誕生になり この地に御鎮まりになった と伝えられています
日原神社(雲南市大東町中湯石)
・大森神社
大森神社(おおもりじんじゃ)は 八岐大蛇を退治された素戔嗚尊が 稲田姫命を伴い須賀に赴かれる途中 暫し宿られ 御大婚の準備された所と伝わり その後 大己貴命の孫神 天日腹大斜戸美神(あめのひはらおほしなどみのかみ)が 赴かれ給える所とされます 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「日原社(ひはら)のやしろ」の論社です
大森神社(雲南市木次町東日登)
幡屋社 (はたや) (hataya no) yashiro
・幡屋神社
幡屋神社(はたやじんじゃ)は 本社と八幡宮境内 若宮神社の双方が『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「幡屋社(はたや)のやしろ」論社となっています 古代出雲の忌部氏には二流あり 一方は玉湯町玉造を中心に曲玉制作を手がけ もう一方は ここ幡屋において機織りに携わったとされ この忌部一族によって創建されたと伝えられます
幡屋神社(雲南市大東町幡屋)
・若宮社〈幡屋神社(八幡宮)の境内社〉
幡屋神社(はたやじんじゃ)は 本社と八幡宮境内 若宮神社の双方が『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「幡屋社(はたや)のやしろ」論社となっています 古代出雲の忌部氏には二流あり 一方は玉湯町玉造を中心に曲玉制作を手がけ もう一方は ここ幡屋において機織りに携わったとされ この忌部一族によって創建されたと伝えられます
幡屋神社(雲南市大東町幡屋)
春殖社 (はるえ) (harue no) yashiro
・春殖神社
春殖神社(はるえじんじゃ)は 元は 現在地の東方 山田川を隔てた対陵(たいりょう)に鎮座 後世 八幡宮をこの地に勧請し合祀されます 明治四年 村社となり八幡宮を改め「春殖神社」と称して今に至ります 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「春殖社(はるえ)のやしろ」の論社の一つです
春殖神社(雲南市大東町大東下分)
・獄神社
獄神社(だけじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「春殖社(はるえ)のやしろ」の論社の一つです 境内には 須佐之男命と 御子 五十猛尊に木種を蒔かれるように願い出た大木奴主命(おおきのぬしのみこと)を祀る大木奴主命神社があります
獄神社(雲南市大東町上久野)
・岩根神社
岩根神社(いわねじんじゃ)は 天平元年(729)信濃國 樋浦郷 葦原邑(あしはらむら)より御神霊を迎え 高ノ峯(こうのみね)(当社奥宮)に社殿を創建したと伝えられ 古くは三体妙現宮と称しました 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「春殖社(はるえ)のやしろ」の論社の一つです
岩根神社(雲南市大東町山田)
船林社 (ふなはやし) (funahayashi no) yashiro
・船林神社
船林神社(ふなばやしじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「船林社(ふなはやし)のやしろ」の論社で 『出雲国風土記』には 鎮座する「船岡山」について 「阿波枳閉委奈佐比古命(あわ きへ わなさひこのみこと)が 曳いてきて据えた船が 山になったので「船岡」という」伝承が記されます
船林神社(雲南市大東町北村)〈船林社『出雲國風土記733 AD.』不在神祇官社〉
・貴船神社
舩林神社・貴船神社(ふなばやしじんじゃ・きふねじんじゃ)は 拝殿の扁額には「貴舩神社」と記されています 『出雲神社巡拝記(1833)』には゛南加茂村 貴船大明神は風土記に云 船岡山の麓にあり゛とし 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「船林社(ふなはやし)のやしろ」の論社としています
舩林神社・貴船神社(雲南市加茂町南加茂)〈船林社『出雲國風土記』不在神祇官社〉
宮津日社 (みやつひ) (miyatsuhi no) yashiro
・宮津日社〈子安八幡宮の境内社〉
宮津日社(みやつひのやしろ)〈子安八幡宮 境内〉は もと舟木山(ふなきやま)の山上に鎮座 その後 子安八幡宮に合祀され 今は 境内社として祀られています 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「宮津日社(みやつひ)のやしろ」とされます
宮津日社〈子安八幡宮 境内〉(雲南市木次町山方)
阿用社 (あよ) (ayo no) yashiro
・阿用神社
阿用神社(あようじんじゃ)は 推定樹齢800年の御神木〈タブの木の荒神〉があり 滝戸大明神 又は 剣大明神とも称されました 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「阿用社(あよ)のやしろ」とされます
阿用神社(雲南市大東町東阿用)
置谷社 (おきたに) (okitani no) yashiro
・置谷神社
置谷神社(おきたにじんじゃ)は 古伝に 八岐大蛇(やまたのおろち)の生息した丘谷〈現 大ケ谷(おほがたに)〉に鎮座したとされ 瑞離大明神(いがきだいみょうじん)と呼ばれていました 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「置谷社(おきたに)のやしろ」とされます
置谷神社(雲南市大東町大ケ谷)
伊佐山社 (いさやま) (isayama no) yashiro
・伊佐山神社
伊佐山神社(いさやまじんじゃ)は 遠所川の清流に守られて『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』所載の社が鎮座しています 御祭神は「瓊々杵尊(ninigi no mikoto)」の妻神となられた姉妹の女神を祀ります 出雲の地にある古社としては 稀ですが天孫降臨で名高い「大和の皇子」ゆかりの神々を祀ります
伊佐山神社(大東町遠所)
須我社 (すが) (suga no) yashiro
・須我神社 奥宮(磐座)
・須我神社
須我神社(すがじんじゃ)は 八岐遠呂智を退治された須佐之男命が「この地に来て 私の心はすがすがしい」とおっしゃって 須賀の宮をお造りになられた〈『古事記712AD.』に所載〉と伝わり 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「須我社(すが)のやしろ」とされます
須我神社(雲南市大東町須賀)
川原社 (かわら) (kawara no) yashiro
・川原神社
川原神社(かわはらじんじゃ)は 雲南市大東町小河内の「引那岐(ひきなぎ)」に鎮座し 同じ「那岐(なぎ)」を持つ 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)を祀ります 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「川原社(かわら)のやしろ」の論社です
川原神社(雲南市大東町小河内)
・熊野神社 (川原社)
熊野神社(くまのじんじゃ)は 社伝では 明徳5年(1394)5月17日の棟札に「川原社」とあったと伝えている 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「川原社(かわら)のやしろ」の論社です
熊野神社(雲南市大東町田中)
除川社 (よけがは) (yokegaha no) yashiro
・除川神社& 與都彦命神社
除川神社(よけがわじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「除川社(よけがは)のやしろ」の論社とされます 與都彦命神社(よとひこのみことじんじゃ)は 『日本文徳天皇実録879 AD.』の仁壽(にんじゅ)元年(851)九月の条に神階の奉授が記されている古社です
除川神社 & 與都彦命神社(雲南市大東町小河内)
・除川神社
除川神社(よけがわじんじゃ)は 『出雲国風土記考』(弘化3年(1846年)頃)に「遠所(えんじょ)の高木(たかき)大明神」と記され 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「除川社(よけがは)のやしろ」の論社の一つとされます
除川神社(雲南市大東町遠所)
屋代社 (やしろ) (yashiro no) yashiro
・加茂神社
加茂神社(かもじんじゃ)&境内社 上賀茂大明神(かみがもだいみょうじん)は どちらも御祭神に出雲の神を祀る古社です 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社の条に「矢代社」「屋代社」と「(やしろ)のやしろ」が 二つありますが それぞれの論社となっています
加茂神社(雲南市加茂町加茂中)&境内社 上賀茂神社
・貴布禰社〈御代神社の境内社〉
『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳(Jimmeicho)』に戻る
出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています
『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳』399社