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『出雲國風土記』大原郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】13社

出典近畿中国森林管理局Webサイト(httpswww.rinya.maff.go.jpkinkisimanemori-enjoyizumonokunihudoki.html)

大原郡の神社は 写本の順番で並んでいます " Shrines are arranged in order of manuscripts "

 『出雲國風土記』大原郡(ohara no kori)条 所載の神社の数は「29社」です 
 「13社」 神祇官社(jingikan sha)=『延喜式神名帳』所載社
 「16社」 不在神祇官社(fuzai jingikan sha)

『出雲國風土記』大原郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】13社は 写本の順番で並んでいます

矢口社 (やくち) (yakuchi no) yashiro

・八口神社

一緒に読む
八口神社(雲南市加茂町神原)

八口神社(やぐちじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 神祇官社「矢口社(やくち)のやしろ」とされます 伝承によれば 八塩折りの酒に酔い草枕(くさまくら)山に伏せっている八岐大蛇(やまたのおろち)を 須佐之男命が この地から矢で仕留めたと伝わります

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宇乃遅社 (うのぢ) (unoji) yashiro

・宇能遅神社

一緒に読む
宇能遲神社(雲南市加茂町)

宇能遲神社(うのちじんじゃ)は 『出雲國風土記』屋裏郷(yauchi no sato)の伝承「古老が伝えて言うには「所造天下大神(amenoshita tsukurashishi okami)=大国主命」が 笶(ya)を 殖(ta)て 令(shi)めなさった所であります だから 矢内(yauchi)といいます」に通じる「矢聲神事(yagoe no shinji)」を今に伝えます

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支須支社 (きすき) (kisuki no) yashiro

・来次神社

一緒に読む
來次神社(雲南市木次町木次)

來次神社(きすきじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』に「こすきのかみのやしろ」『出雲國風土記733 AD.』には「支須支社(きすき)のやしろ」と記され 來以郷(きすきのさと)は 大己貴命が 八十神(やそがみ)を追廃(おいしりぞける)た故事から 名付けられたと記されています

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布須社 (ふす) (fusu no) yashiro

・布須神社 (延野)

一緒に読む
布須神社(雲南市加茂町延野)

布須神社(ふすじんじゃ)は 後方の山を御室山といい 麓に「フス池」〈須佐之男命が逗留の際 用いられた清水〉があり 神社東方約1Kmの所には「赤池」〈八岐大蛇を斬られた剣を洗われ 池の水が赤色に変わったと云う〉がありました 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 神祇官社「布須社(ふす)のやしろ」の論社の一つです

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・布須神社 (木次町)

一緒に読む
布須神社(雲南市木次町宇谷)

布須神社(ふすじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 神祇官社「布須社(ふす)のやしろ」の論社の一つです 社殿は 室山の南半腹の急斜面に造営されていて 御本殿はなく 室山そのものご神体として崇拝する「神奈備」式のお社として祀られています

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御代社 (みしろ) (mishiro no) yashiro

・御代神社

一緒に読む
御代神社(雲南市)

御代神社(みしろじんじゃ)は 八岐大蛇(yamata no orochi)の”尻尾を斬り留め””その尾を割って”中から「三種の神器の一つ天叢雲剱」(草薙剣)が取り出された場所とされるのが 旧鎮座地の「尾留大明神」です

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・尾留大明神〈御代神社の旧社地〉

御代神社 旧社地
尾留大明神(雲南市)

尾留大明神(おとめだいみょうじん)は 八岐大蛇(yamata no orochi)の”尻尾を斬り留め””その尾を割って”中から「三種の神器の一つ天叢雲剱」(草薙剣)が取り出された場所であるとの由緒を持ちます

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汗乃遅社 (うのぢ) (unoji) yashiro

・須美禰神社

一緒に読む
須美禰神社(雲南市加茂町立原)

須美禰神社(すみねじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 神祇官社「汗乃遅社(うのぢ)のやしろ」とされ 古くから現在の宇能遅神社(宇治)と深い関係があり 社伝では 宇治村より須美禰神社を立原の地に再興したものとされます 創立された年代は不詳です 

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・〈宇能遲神社に合祀〉

宇能遲神社に合祀
宇能遲神社(雲南市加茂町)

宇能遲神社(うのちじんじゃ)は 『出雲國風土記』屋裏郷(yauchi no sato)の伝承「古老が伝えて言うには「所造天下大神(amenoshita tsukurashishi okami)=大国主命」が 笶(ya)を 殖(ta)て 令(shi)めなさった所であります だから 矢内(yauchi)といいます」に通じる「矢聲神事(yagoe no shinji)」を今に伝えます

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神原社 (かんばら)(kanbara no)yashiro

・神原神社

一緒に読む
神原神社(雲南市加茂町神原)

神原神社(かんばらじんじゃ)は かつて 古墳〈神話時代の出雲王と思われる人物の竪穴式石室〉の上に本殿が鎮座していました 『出雲國風土記733 AD.』には 神原について 所造天下大神〈大国主命〉が 神御財(かみのみたから)を積み置き給う所 と記しています 大原郡 神祇官社「神原社(かんばら)のやしろ」とされます 

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樋社 (ひ) (hi no) yashiro

・斐伊神社

一緒に読む
斐伊神社(雲南市木次町)

斐伊神社(ひいじんじゃ)は 「肥(hi)の河上」に鎮座する社とされています 斐伊神社(hii shrine)の古史伝の記載では 武藏國一之宮「大宮氷川神社」(さいたま市大宮)は 孝昭天皇5年に分霊奉遷したものとしています これによれば 東京都・埼玉県に数多く分布する氷川神社(hikawa shrine)の発祥の元宮となります

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樋社 (ひ) (hi no) yashiro

・〈斐伊神社に合祀〉「同[斐伊]社坐斐伊波夜比古神社」

斐伊神社に合祀
斐伊神社(雲南市木次町)

斐伊神社(ひいじんじゃ)は 「肥(hi)の河上」に鎮座する社とされています 斐伊神社(hii shrine)の古史伝の記載では 武藏國一之宮「大宮氷川神社」(さいたま市大宮)は 孝昭天皇5年に分霊奉遷したものとしています これによれば 東京都・埼玉県に数多く分布する氷川神社(hikawa shrine)の発祥の元宮となります

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・八本杉〈斐伊波夜比古神社の旧鎮座地〉

斐伊波夜比古神社 旧地
八本杉(雲南市木次町)Eight Cedar Trees

八本杉(はちほんすぎ)は 神代より「しるしの杉なり」八岐大蛇(yamata no orochi)の「8つの角」を埋めた所なりと伝わります 『出雲国風土記』に記されている「樋社(hi no) yashiro」の旧鎮座地とされています

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佐世社 (させ) (sase no) yashiro

・佐世神社

一緒に読む
佐世神社(雲南市大東町下佐世)

佐世神社(させじんじゃ)は 『雲陽志』に「里人は「白神明神」を本宮と号す」「白神八幡」は「当国 八所八幡宮 第八番なり」とあり 2社が別々に記されています 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 神祇官社「佐世社(させ)のやしろ」の論社とされています

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・〈狩山八幡宮に合祀〉月根尾神社

一緒に読む
狩山八幡宮(雲南市大東町下佐世)

狩山八幡宮(かりやまはちまんぐう)は 社伝に 聖武天皇の御宇元年〈大宝元年〉(701)九州宇佐八幡宮を勧請し創建とあります 字清水に鎮座した月根尾神社〈『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 神祇官社「佐世社(させ)のやしろ」の論社〉を大正8年(1919)12月に合祀しています

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世裡陀社 (せりた) (serita no) yashiro

・西利太神社

一緒に読む
西利太神社(雲南市大東町清田)

西利太神社(せりたじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 神祇官社「世裡陀社(せりた)のやしろ」とされます 江戸期には「辛大明神(かのとみょうじん)」又「十二所権現」と称していました 明治初期に延喜式の「西利太神社」に改称しました

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得鹽社 (うしお) (ushio no) yashiro

・海潮神社

一緒に読む
海潮神社(雲南市大東町)

海潮神社(うしおじんじゃ)は 遠く神代に出雲の海水をこの山辺りまで押し上げてきたと伝わる海潮の神「宇能治比古命(unojihiko no mikoto)」が坐ます 『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』には「この地まで その海潮(u shio)が至りました だから 得塩(u shio)といいます」と伝えています

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・奥田神社

一緒に読む
奥田神社(雲南市大東町中湯石)

奥田神社(おくだじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』に「この地まで その海潮(うしお)が至りました 故に 得塩(うしお)と云う」と記す海潮郷の入口に鎮座します 『延喜式神名帳927 AD.』出雲國 大原郡「海潮神社 うしほの かみのやしろ」の論社です 

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加多社 (かた) (kata no) yashiro

・加多神社

一緒に読む
加多神社(雲南市大東町大東)

加多神社(かたじんじゃ)は 社伝によれば「御祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと)〈大国主命と国造りをなされた神〉は 此の地を根拠地として農耕医療等を教導された」とあります 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 神祇官社「加多社(かた)のやしろ」とされます

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『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳(Jimmeicho)』に戻る

一緒に読む
『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳(Jimmeicho)』399社

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」でありますので 各郡の条に「〇〇郡 神社」として 神社名の所載があります
『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」でありますので 各郡の条に「〇〇郡 神社」として 神社名の所載があります
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