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Shrine-heritager

日光二荒山神社 本社(日光市山内)〈世界遺産「日光の社寺」〉

日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は 標高2486m霊峰「男体山(二荒山)」をご神体として 古くから日光における信仰の中心となってきました 残存する最も古い記録には 767年に勝道上人(しょうどうしょうにん)が 日光山を開基したとあり 世界遺産「日光の社寺」(The World Heritage Shrines and Temples of Nikko)の一群で 日光東照宮(Nikko Toshogu)と日光山輪王寺(Nikkozan Rinnoji Temple)の中間の位置に鎮座します

1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name

日光二荒山神社Nikko Futarasan Shrine
(にっこうふたらさんじんじゃ

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (location) 

栃木県日光市山内2307

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》二荒山大神Futarayama no okami)

⇒二荒山大神して 親子3神を祀る

男体山 父 大己貴命(onamuchi no mikoto)
女峯山 母 田心姫命(tagorihime no mikoto)
太郎山 子 味耜高彦根命(ajisukitakahikone no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

・農業の祖神 God of agriculture
・醸造の祖神 God of brewing
・婚姻の祖神 God of marriage
・温泉の祖神 God of hot springs
・医薬の祖神 God of medicine
・等 etc

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社(名神大)
・ 下野一之宮Shimotsuke no kuni ichinomiya)
・ 別表神社

【創  (Beginning of history)】

御由緒

御祭神 大巳貴(おおなむち)命(大國主命)
田心姫(たごりひめ)命、味耜高彦根(あぢしきたかひこね)命

御神徳 國土の安泰、産業開発、農耕狩猟を司どられて福の神と稱(たた)へ婚姻温泉医薬醸造の祖神(おやがみ)として遍わく國土國民を
守り幸はへ給ふ
御鎮座
太古から二荒山(男体山)を始め八峯を二荒山の大神と崇めて奉祀し 神護景雲年間社殿を造営し奉って以来 千二百年余、延喜式名神大社であります

御社殿(二十四棟、旧国宝 重要文化財)
本社 新宮と称し大巳貴命を祀る
別宮 瀧尾神社 田心姫命を祀る
本宮神社 味耜高彦根命を祀る
中宮 二荒山の中腹 幸湖(さちのうみ)
(中禅寺湖)湖畔に鎮座 中宮祠と申す
奥宮 二荒山頂上に鎮座
攝末社 女峯山外六峯の頂上に鎮座

御境内 日光連山の主峯二荒山を始め八峯に亘る 凡そ三千四百町歩 伊勢神宮に次ぐ廣大な境域で日光國立公園特別地域の中樞を占めてをります

御祭典 彌生祭(やよいさい)(例大祭)四月十三日から十七日まで 本社
男体山登拝大祭 八月一日から八月七日まで 中宮祠

関東総鎮守 下野國一之宮 日光二荒山神社

社頭由緒板より

【由  (history)】

関東総鎮守
下野国一之宮 日光二荒山神社

当神社は関東第一の霊峯男体山(二荒山)を始め八峯の二荒山の大神と崇めて奉拝し、神護景雲年間社殿を造営し、奉祀して以来千二百年余の、由緒をもつ延喜式名神大社である。
男体山頂標高2,486mに奥の宮・中禅寺湖畔に中宮祠 そしてこの山内の神域に本社が鎮座する。

御祭神 二荒山大神
大巳貴命(大国主命)・田心姫命・味耜高彦根命

御神徳
国土経営・産業開発・凡ての産業を司られ福の神と称えられ、農業・婚姻(縁結び)・醸造・学業(医薬健康)の祖神として守り幸え給う。
これより神苑内

御社殿 重要文化財
本殿・拝殿・日枝社・朋友社・神輿舎
大国殿
銅燈篭(化灯篭)銅製春日造
二荒霊泉  霊水拝戴
別宮 滝尾神社(霊石安産子種石・酒の泉)本宮神社

 
例祭(弥生祭)4月13日~17日   本社
男体登拝大祭 7月31日~8月8日 中宮祠

境内案内板より

由緒

日光二荒山神社は太古、秀峰二荒山(男体山2484米)を神鎮まり坐す御神体山として尊崇したことから奉祀された御社である。

御祭神は二荒山の大神と申し大己貴命(大国主命)、妃神の田心姫命、御子神味耜高彦根命三柱の大神をお祀りし、延喜式名神大社、下野国一の宮と崇められ国幣中社に列せられた名社である。

主神大己貴命は国土経営、産業開発、凡ての産業を司り福の神と称へられ、農業、醸造、婚姻、温泉、医薬の祖神として遍ねく国土国民を守り幸へ給う神で、妃神、御子神と共に御神徳いよいよ高く広く輝き給うのである。

男体の御山に大己貴命、女峰の御山に妃神、太郎の御山に御子神が鎮まりまして、親子三神大空に聳えて和気あいあい団欒の和やかさを拝すれば自ら景仰の思ひ新たなるものがある。

当社の境内地は面積凡そ3400町歩に及び伊勢神宮に次ぐ広大な境域で、日光連山の主峰男体山を始め、女峰山、太郎山、大真名子山、小真名子山、前白根山、奥白根山の諸山は夫々神体山として気高くそそり、鬱蒼たる原始林に囲まれ華厳滝、白雲滝、般若、方等七滝等名瀑がどうどうと千古の神韻を轟かしている。此等の地域は悉く神域たると共に日光国立公園の中枢となっている。

「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から

【境内社 (Other deities within the precincts)】

神苑五社

朋友神社Mitomo Shrine)
《主》少名彦名命(sukunahikona no mikoto)

祭日:5月15日 末社 重要文化財(Important cultural property)

大国殿Okuni Shrine)
《主》招き大国(大己貴命)

重要文化財(Important cultural property)
延享2年(1745年)鎮座 内部には大太刀「太郎丸」が展示されています

日枝神社Hie Shrine)
《主》大山咋命(oyamakui no mikoto)

末社 重要文化財(Important cultural property)
嘉祥元年(848年)鎮座

若子神社遥拝所Jakko Shrine.. A place to worship in the distance

摂社・若子神社(Jakko Shrine)の遥拝所 磐座が祭られています

日光連山遥拝所
(A place to worship the mountains of Nikko in the distance)

日光連山の八峰の遥拝所 磐座が祭られています
・男体山奥宮(Futarasan Shrine Okumiya)
・女峰山神社(Nyohosan Shrine)
・太郎山神社(Tarosan Shrine)
・大真名子山神社(Omanakosan Shrine)
・小真名子山神社(Komanakosan Shrine)
・赤薙山神社(Akanagisan Shrine)
・前白根山神社(Maeshiranesan Shrine)
・奥白根山神社(Okushiranesan Shrine)

滝尾社遥拝所(A place to worship Takinoo Shrine from afar)

別宮・滝尾神社(Takinoo Shrine)の遥拝所
神苑五社には含まれません 樹齢約700年の御神木の下に石碑が祭られています

男体山(二荒山)を始めとする 八峯に祀られる二荒山大神Futarayama no okami)

日光連山の八連峰⇒男体山・女峰山・太郎山・奥白根山・前白根山・大真名子山・小真名子山・赤薙山

二荒山神社 中宮祠(Futarasan Shrine Chugushi)
・二荒山神社 奥宮(Futarasan Shrine Okumiya)

《主》大己貴命(onamuchi no mikoto)
田心姫命(tagorihime no mikoto)
味耜高彦根命(ajisukitakahikone no mikoto)

二荒山神社 中宮祠・奥宮(Futarasan Shrine Chugushi・Okumiya)の記事をご覧ください

一緒に読む
日光二荒山神社・中宮祠・奥宮(日光市)

日光二荒山神社・中宮祠・奥宮は 男体山の山頂にあるので奥宮と呼ばれ 奥宮と日光二荒山神社本社の中間にあるので中宮祠と呼ばれています 御祭神は日光二荒山神社と同じ・大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命の3神です 中宮祠の本殿右側には山頂の奥宮への登拝門があり 5月から10月に登山口の門が開き ここから男体山に登ることができます

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女峯山神社Nyohosan Shrine) 滝尾神社の奥社
《主》田心姫命(tagorihime no mikoto)

太郎山神社Tarosan Shrine)
《主》味耜高彦根命(ajisukitakahikone no mikoto)

大真名子山神社Omanakosan Shrine)
《主》味耜高彦根命(ajisukitakahikone no mikoto)

小真名子山神社Komanakosan Shrine)
《主》建御名方命(Takeminakata no mikoto)

赤薙山神社Akanagisan Shrine)
古くは奥宮も存在しましたが 現在は奥宮跡が残ります
《主》少彦名命(Sukunahikona no mikoto)

前白根山神社Maeshiranesan Shrine)
《主》味耜高彦根命(ajisukitakahikone no mikoto)

奥白根山神社Okushiranesan Shrine)
《主》大己貴命(onamuchi no mikoto)

別宮

本宮神社Hongu Shrine)
《主》味耜高彦根命(ajisukitakahikone no mikoto)

本宮神社Hongu Shrine)の記事をご覧ください

一緒に読む
本宮神社(日光発祥の地)

本宮神社(ほんぐうじんじゃ)は 神護景雲元年(766年)勝道上人(shodo shonin)が「山菅の蛇橋」(現在の神橋)を渡りこの地(日光)に神仏を祀り 庵を結んだのが始まりとされています ここは日光の原点であり 二荒山神社発祥の地であり 開運の神社と言われます 古くは 新宮(現在の二荒山神社)と滝尾神社と共に 日光三社と呼ばれていました

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滝尾神社Takinoo Shrine)(霊石安産子種石・酒の泉)
《主》田心姫命(tagorihime no mikoto)

尾神社Takinoo Shrine)の記事をご覧ください

一緒に読む
瀧尾神社(日光市山内)〈弘仁11年(820)弘法大師空海が創建 日光瀧尾女躰権現〉

滝尾神社(たきのおじんじゃ)は 弘仁11年(820)弘法大師空海(くうかい)が創建したと伝え 江戸時代までは 日光山を信仰する三社の1つとして 日光三社権現(にっこうさんしゃごんげん)(滝尾権現・新宮権現・本宮権現)と呼ばれていました 女峰山を御神体山と仰ぎ 田心姫命(たごりひめのみこと)を祀り「女体中宮」とたたえます

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【摂社末社】

本社周辺

・若子神社(Jakko Shrine境内には寂光の滝があります
《主》下照姫命(shitateruhime no mikoto)

祭日:10月30日
弘仁11年(820年)に空海が滝尾神社に続いて この地で修行したと伝わり
元の名称は「寂光寺」または「寂光権現」と呼ばれていて
室町時代には七堂伽藍が立ち並び 釘念仏道場として栄えたとされます

・池石(生石)(ikeishi)寂光の滝へ向かう参道

若子神社遥拝所 本社と若子神社の中間に鎮座する遥拝所(前立て)大きな磐座が祭られ その岩の上にある窪みの水が枯れないことから名前が付いたとされます

若子神社(Jakko Shrine)の記事をご覧ください

一緒に読む
若子神社(日光市)& 池石(生石)(ikeishi)

若子神社(じゃっこじんじゃ)は 弘仁11年(820)日光を訪れた弘法大師(空海)が 「白糸の滝」で修行し滝尾神社(たきのおじんじゃ)を開き 次いで この「寂光の滝」で修行した時 夢の中で女神のお告げを受け ここに祠を建てたと伝えられます 往時は神仏習合し 寂光権現と称していましたが 明治以降「若子神社」と改められます 境内の直下には日光八景に数えられる「寂光の滝」があります

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・北野神社Kitano Shrine)滝尾道(稲荷川に沿う道)に鎮座
《主》菅原道真公(sugawara no michizane ko)

祭日:8月25日
寛文元年(1661年)筑紫安楽寺の大鳥居信祐が太宰府天満宮より勧請 梅鉢の紋を掘り込んだ巨岩もあります

北野神社Kitano Shrine)の記事をご覧ください

一緒に読む
北野神社(日光市)

北野神社(きたのじんじゃ)は 日光二荒山神社(Nikko Futarasan Shrine)の末社です 寛文元年(1661)大宰府天満宮(福岡県)の別當である大鳥居氏の一族「大僧都法印(Daisozu hoin)菅原信祐(Sugawara no shinyu)」(亀戸天神の創建者)が 天神信仰を広めるために「社殿建立の志」を立てて諸国を巡った時 大宰府天満宮よりこの地に勧請された由緒を持つ神社です

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滝尾高徳水神社Takinotakatokusui Shrine)滝尾神社の参道入り口に鎮座
《主》罔象女大神(mizuhanome no okami)

祭日:10月10日
通称:水神社 昭和52年(1977)横川信夫県知事が藤原町高徳の鬼怒川沿いに鎮座の丹生川上神社より勧請 1998年(平成10年)道路拡幅のため現在地に遷座

滝尾高徳水神社Takinotakatokusui Shrine)の記事をご覧ください

一緒に読む
瀧尾高徳水神社(日光市)

瀧尾高徳水神社(たきのお たかとく すいじんじゃ)は 奥吉野(奈良県吉野郡東吉野村)の水の宗社「丹生川上神社 中社(にうかわかみじんじゃ ちゅうしゃ)」の御祭神 罔象女命(みずはめのみこと)の御分霊を勧請し 昭和52年(1977)11月26日 当時の栃木県知事 横川信夫氏 より藤原町高徳の鬼怒川沿いに鎮座していましたが 1998年(平成10年)道路拡幅のため現在地に遷座しました

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・滝尾稲荷神社Takinoinari Shrine)滝尾神社の本殿裏に鎮座
《主》倉稲魂神(ukano mitama no kami)(稲荷大明神)

祭日:3月25日(例祭)5月25日(講社大祭)
弘仁11年(820年)に空海が滝尾神社と共に開いたと伝わります

滝尾稲荷神社Takinoinari Shrine)の記事をご覧ください

一緒に読む
滝尾稲荷神社(日光市 滝尾神社境内) 

瀧尾稲荷神社(たきのおいなりじんじゃ)は 弘仁11年(820年)弘法大師(空海)が 滝尾神社と共に開いたと伝わる古社です 「昔 瀧尾上人が朝のお供えを忘れると 稲荷の神が化けて出ては 催促した」という伝説が残っています 東照宮ができる以前は 日光山として仏教の栄えた聖地「白糸の滝」がある滝尾神社本殿奥の境内に鎮座します

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兼務社

神橋周辺

・磐裂神社Iwasaku Shrine) 通称:星宮
日光東町(上中下鉢石町・御幸町・石屋町・松原町)の総鎮守
神橋の前に「磐裂の水」があります

本社周辺(日光西町五社)

・磐裂神社Iwasaku Shrine)- 匠町(旧大工町・板挽町)の氏神

・青龍神社Seiryu Shrine) - 本町(旧四軒町・袋町・下本町)の氏神

青龍神社Seiryu Shrine) の記事をご覧ください

一緒に読む
青龍神社(日光西町五社)

青龍神社(せいりゅうじんじゃ)は 日光西町五社の一つです 弘法大師(空海)が滝尾・寂光を開いた時に弟子が ご加護を祈って京都醍醐の青龍神を移し祀ったと伝わります 明治維新以前には「青龍大権現」と称していました 本町の氏神様で 東照宮・二荒山神社の大祭の前には晴天を祈って祈晴際が行われます

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・八幡神社Hachiman Shrine) - 本町と安川町(旧中本町・原町)の氏神

・花石神社Hanaishi Shrine) - 花石町の氏神

・久次良神社Kujira Shrine) - 久次良町の氏神

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

延喜式神名帳】(engishiki jimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)下野国 11座(大1座・小10座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)河内郡 1座(大)

[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 ] 二荒山神社(貞・名神大)
[ふ り が な  ](ふたあらさんの かみのやしろ)
[How to read ]Futaarasan no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

世界遺産「日光の社寺」(The World Heritage Shrines and Temples of Nikko)
日光三社権現(Nikko sansha gongen)について

日光山に鎮座する3つの神社の総称で「日光三社(Nikko sansha)」とも呼ばれます

日光山の信仰は
三山(女峰山〈Mt. Nyoho〉・男体山〈Mt. Nantai〉・太郎山〈Mt. Taro〉を御神体山として
【山・所・仏・神・社】は 神仏習合をして 唱えられていました

三山 (女峰山  ・男体山  ・太郎山)
・三所 (女体権現 ・男体権現 ・太郎大明神
三仏 (阿弥陀如来・千手観音 ・馬頭観音)
・三神 (田心姫命 ・大巳貴命 ・味耜高彦根命
三社 (滝尾権現 ・新宮権現 ・本宮権現)

江戸時代までは 日光山を信仰する三社として
日光三社権現(Nikko sansha gongen(滝尾権現・新宮権現・本宮権現)と呼ばれ
明治元年(1868)3月「神仏判然令(神仏分離令)」に伴って
明治4年に現在の「滝尾神社・日光二荒山神社・本宮神社」と改められています

現在 日光三山を御神体として祀る神社は 次の通りです

女峯山〈Mt. Nyoho〉⇒
頂上には女峯山神社Nyohosan Shrine)奥社
山麓の遥拝処には瀧尾神社Takinoo Shrine)

男体山〈Mt. Nantai〉⇒
頂上には二荒山神社 奥宮(Futarasan Shrine Okumiya)
中腹には二荒山神社 中宮祠(Futarasan Shrine Chugushi)
山麓の遥拝処には日光二荒山神社 本社Nikko Futarasan Shrine

太郎山〈Mt. Nantai〉⇒
頂上には太郎山神社Tarosan Shrine)
山麓の遥拝処には本宮神社Hongu Shrine)

日光二荒山神社(Nikko Futarasan Shrine)と その別宮である「本宮神社・滝尾神社」の「日光三社権現(Nikko sansha gongen)」は いずれも世界遺産(World Heritage)「日光の社寺(Shrines and Temples of Nikko)」の一群です

本宮神社Hongu Shrine)の記事をご覧ください

一緒に読む
本宮神社(日光発祥の地)

本宮神社(ほんぐうじんじゃ)は 神護景雲元年(766年)勝道上人(shodo shonin)が「山菅の蛇橋」(現在の神橋)を渡りこの地(日光)に神仏を祀り 庵を結んだのが始まりとされています ここは日光の原点であり 二荒山神社発祥の地であり 開運の神社と言われます 古くは 新宮(現在の二荒山神社)と滝尾神社と共に 日光三社と呼ばれていました

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日光二荒山神社Nikko Futarasan Shrineの記事をご覧ください〈当社〉

一緒に読む
日光二荒山神社 本社(日光市山内)〈世界遺産「日光の社寺」〉

日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は 標高2486m霊峰「男体山(二荒山)」をご神体として 古くから日光における信仰の中心となってきました 残存する最も古い記録には 767年に勝道上人が 日光山を開基したとあり 世界遺産「日光の社寺」の一群で 日光東照宮と日光山輪王寺の中間の位置に鎮座します

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滝尾神社Takinoo Shrine)の記事をご覧ください

一緒に読む
瀧尾神社(日光市山内)〈弘仁11年(820)弘法大師空海が創建 日光瀧尾女躰権現〉

滝尾神社(たきのおじんじゃ)は 弘仁11年(820)弘法大師空海(くうかい)が創建したと伝え 江戸時代までは 日光山を信仰する三社の1つとして 日光三社権現(にっこうさんしゃごんげん)(滝尾権現・新宮権現・本宮権現)と呼ばれていました 女峰山を御神体山と仰ぎ 田心姫命(たごりひめのみこと)を祀り「女体中宮」とたたえます

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『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)に所載の
下野国 河内郡 二荒山神社Futaarasan no kamino yashiro)(貞・名神大)の論社について

現在 論社とされている神社は 全部で6神社あります
日光に4神社と宇都宮に2神社が鎮座します

・日光二荒山神社 本社(Nikko Futarasan Shrine)
・本宮神社(Hongu Shrine)
・二荒山神社 中宮祠(Futarasan Shrine Chugushi)
・二荒山神社 奥宮(Futarasan Shrine Okumiya)

・宇都宮二荒山神社(Utsunomiya Futarasan Shrine)
・二荒山神社 下之宮(Futarasan Shrine Shimonomiya)

それぞれの記事をご覧ください

・日光二荒山神社 本社Nikko Futarasan Shrineの記事をご覧ください

一緒に読む
日光二荒山神社 本社(日光市山内)〈世界遺産「日光の社寺」〉

日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は 標高2486m霊峰「男体山(二荒山)」をご神体として 古くから日光における信仰の中心となってきました 残存する最も古い記録には 767年に勝道上人が 日光山を開基したとあり 世界遺産「日光の社寺」の一群で 日光東照宮と日光山輪王寺の中間の位置に鎮座します

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本宮神社(Hongu Shrineの記事をご覧ください

一緒に読む
本宮神社(日光発祥の地)

本宮神社(ほんぐうじんじゃ)は 神護景雲元年(766年)勝道上人(shodo shonin)が「山菅の蛇橋」(現在の神橋)を渡りこの地(日光)に神仏を祀り 庵を結んだのが始まりとされています ここは日光の原点であり 二荒山神社発祥の地であり 開運の神社と言われます 古くは 新宮(現在の二荒山神社)と滝尾神社と共に 日光三社と呼ばれていました

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二荒山神社 中宮祠(Futarasan Shrine Chugushi)
・二荒山神社 奥宮(Futarasan Shrine Okumiya)の記事をご覧ください

一緒に読む
日光二荒山神社・中宮祠・奥宮(日光市)

日光二荒山神社・中宮祠・奥宮は 男体山の山頂にあるので奥宮と呼ばれ 奥宮と日光二荒山神社本社の中間にあるので中宮祠と呼ばれています 御祭神は日光二荒山神社と同じ・大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命の3神です 中宮祠の本殿右側には山頂の奥宮への登拝門があり 5月から10月に登山口の門が開き ここから男体山に登ることができます

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宇都宮二荒山神社Utsunomiya Futarasan Shrineの記事をご覧ください

一緒に読む
宇都宮二荒山神社(宇都宮市)

宇都宮二荒山神社(うつのみや ふたあらやま じんじゃ)は 宇都宮市の中心部 明神山(臼ヶ峰、標高約135m)山頂に鎮座します 大変歴史が古く 創建は 第10代 崇神天皇の御代に遡ると云われます 戦災で多くの資料を喪失し 現存の社記には 第16代 仁徳天皇の御代(約1600年前)毛野国が下野国と上野国の二国に分割された時 下野国国造に任じられた奈良別王(ならわけのきみ)が 曽祖父・豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)を氏神として祀ったのに始まると記されます

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二荒山神社 下之宮Futarasan Shrine Shimonomiyaの記事をご覧ください

一緒に読む
宇都宮二荒山神社 下之宮(宇都宮市)

二荒山神社 下之宮は 宇都宮二荒山神社の旧 鎮座地に祀られる元宮です 御祭神の4世の孫 奈良別王が 第16代 仁徳天皇の御代(1600年程前)に下野の初代国造となり 国を治めるに当たり 御神霊を荒尾崎(現在の下之宮)の地に祀り合せたとされます その後 神社は 平安時代前半の承和5年(838)に臼ヶ峰(現在地)に還座しましたが 下之宮は発祥の聖地に鎮座するとして永く奉斎されてきました 1995年以後の再開発の際に現在地に再建されました

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

日光駅から R119号経由 約3.2km 車10分程度

世界遺産(World Heritage)「日光の社寺(Shrines and Temples of Nikko)」の一群です 日光東照宮と日光山輪王寺の中間の位置に鎮座します

日光東照宮から日光二荒山神社(Nikko Futarasan Shrine)に伸びている「上新道」を通り楼門へ向かう

日光東照宮から日光山 輪王寺 大猷院 仁王門へ向かう「下新道」のどちらを通っても御参拝出来ます

日光二荒山神社Nikko Futarasan Shrineに参着

「上新道」を通り楼門へ向かいます

楼門をくぐり抜けると 境内に銅製の鳥居が建ちます

鳥居の扁額には「二荒山神社」とあります

ご朱印の見本が 摂社・末社のものも含めて展示されています

一礼して 鳥居をくぐると 境内が一望できます

奉献された酒樽(sakadaru)が並びます
元々は瀧尾神社にあった酒の泉(sake no izumi)

弘法大師Kobotaishi)空海Kukai)が この泉を汲んで神に捧げたといわれています この御供水(ごくうすい)には 酒の味があるといわれ 持ち帰って元水として酒を造ると良酒ができると伝わり
醸造家の崇敬が厚く 古くから栃木県内の酒造家たちで酒泉講が結成され 秋に祈醸祭 春に報醸祭が行われます 昭和24年の今市地震で消失してしまい 現在は 西神苑の「二荒霊泉」で行われれています

立札には

霊水「酒の泉」を種水とし醸造された県内銘酒

献備 酒樽(さかだる)

栃木県酒造組合

拝殿と繫がる御祈祷・昇殿参拝受付所が建ちます その後ろに本殿の屋根が見えます

左手には神札授与所があり ご朱印に長蛇の列になっています
そのすく横には「夫婦杉」があります

立札には

夫婦円満の御神木 夫婦杉〈めおとすぎ〉

御祭神の御神徳のあらわれといわれている杉

お賽銭箱もあり お詣りをします

「下新道」からの神門が建ちますので 下新道から境内に入り直してみます
石段を下りてみると 「日光山 輪王寺 常行堂」の目の前に参道と鳥居が建つのがわかります

鳥居の横には 大きな「打ち出の小槌」があり

案内板には次のようにあります

良い縁 打出の小槌

令和元年、天皇陛下御即位を奉祝し、良い縁を願い奉納されました。
古くより「打ち出の小槌」は願い事を唱えて振ると、願い通りのものがあらわれると言う。福を招く宝物とされています。

どうぞ小槌に触れて、あらゆる良い縁をお祈り下さい。

仕切り直して 一礼して鳥居をくぐります

参道には 杉の大木に楢の木が宿り木になっていて 立札に次のようにあります

杉に楢のやどり木

縁結〈えんむすび〉の御神木〈ごしんぼく〉

すぎ〈き〉ならいっしょに!好きならば一緒になりました

目の前には神門が建ちます

一礼して神門をくぐります

神門をくぐると 直ぐ左に「親子杉」立札には

家庭円満の御神木

親子杉〈おやこすぎ〉

御祭神 親子三神に因み根を一つにした三本杉

すぐ横に手水舎があり 清めます

正面に拝殿が建ちます

拝殿の手前には「開運のねずみ」案内板には

拝殿にすすみます 

賽銭をおさめ お祈りです 

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

すぐ横には「神楽殿」が建ち 古事記の説話に因み「黄金の大黒像」と「銀色のネズミ」が置かれています

神楽殿の左手には「三本杉」があり御神木とあります

神苑に続く入り口には 狛犬ではなく 狛ライオンが座しています

神苑の境内社にお詣りをします

参道を銅製の鳥居まで戻ります

石畳の参道の先に楼門が建ちます

その先には 日光東照宮ので一直線に「上新道」の参道が続いています

楼門の外から 振り返り一礼をします

神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

六国史(rikkokushi)には 30年間で度々〈836年・841年・849年・857年・859年・860年・865年・869年〉神階を上げていることが 記されています

『続日本後紀(shoku nihon koki)』承和3年(836)12月丁巳(25日)条に記される伝承

奉レ授二下野国従五位上勲四等二荒神正五位下一。余如レ故

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

『続日本後紀(shoku nihon koki)』承和8年(841)4月乙卯(15日)条に記される伝承

奉レ授二下野国正五位下勲四等二荒神正五位上一 余如レ故

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

『続日本後紀(shoku nihon koki)』嘉祥元年(849)8月甲寅(28日)条に記される伝承

奉レ授二下野国正五位上勲四等二荒神従四位下一 余如レ故

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

『日本文徳天皇実録(nihon montokutenno jitsuroku)』
天安元年(857)11月庚戌(17日)条に記される伝承

在二下野国一従三位勲四等二荒神充二封戸一烟一

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成
選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=

『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』
貞観元年(859)正月27日甲申条に記される伝承

京畿七道諸神進レ階及新叙 惣二百六十七社・・・・・・・・・下野国従三位勲四等二荒神正三位

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』貞観2年(860)9月19日丙寅条に記される伝承

貞観2年9月19日丙寅条(860)詔 下野国正三位勲四等二荒神社始置二神主一

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』貞観7年(865)12月21日戊辰条に記される伝承

授二下野国正三位勲四等二荒神従二位 武蔵国正五位下氷川神従四位下 駿河国従五位下御盧神従五位上 正六位上大井神従五位下一

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』貞観11年(869)2月28日丙辰条に記される伝承

進二下野国従二位勲四等二荒神階一加二正二位一 授二従四位下勲五等温泉神従四位上一

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

日光二荒山神社Nikko Futarasan Shrine (hai)」(90度のお辞儀)

それぞれの記事をご覧ください

・日光二荒山神社 本社Nikko Futarasan Shrineの記事をご覧ください

一緒に読む
日光二荒山神社 本社(日光市山内)〈世界遺産「日光の社寺」〉

日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は 標高2486m霊峰「男体山(二荒山)」をご神体として 古くから日光における信仰の中心となってきました 残存する最も古い記録には 767年に勝道上人が 日光山を開基したとあり 世界遺産「日光の社寺」の一群で 日光東照宮と日光山輪王寺の中間の位置に鎮座します

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本宮神社(Hongu Shrineの記事をご覧ください

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本宮神社(日光発祥の地)

本宮神社(ほんぐうじんじゃ)は 神護景雲元年(766年)勝道上人(shodo shonin)が「山菅の蛇橋」(現在の神橋)を渡りこの地(日光)に神仏を祀り 庵を結んだのが始まりとされています ここは日光の原点であり 二荒山神社発祥の地であり 開運の神社と言われます 古くは 新宮(現在の二荒山神社)と滝尾神社と共に 日光三社と呼ばれていました

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二荒山神社 中宮祠(Futarasan Shrine Chugushi)
・二荒山神社 奥宮(Futarasan Shrine Okumiya)の記事をご覧ください

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日光二荒山神社・中宮祠・奥宮(日光市)

日光二荒山神社・中宮祠・奥宮は 男体山の山頂にあるので奥宮と呼ばれ 奥宮と日光二荒山神社本社の中間にあるので中宮祠と呼ばれています 御祭神は日光二荒山神社と同じ・大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命の3神です 中宮祠の本殿右側には山頂の奥宮への登拝門があり 5月から10月に登山口の門が開き ここから男体山に登ることができます

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宇都宮二荒山神社Utsunomiya Futarasan Shrineの記事をご覧ください

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宇都宮二荒山神社(宇都宮市)

宇都宮二荒山神社(うつのみや ふたあらやま じんじゃ)は 宇都宮市の中心部 明神山(臼ヶ峰、標高約135m)山頂に鎮座します 大変歴史が古く 創建は 第10代 崇神天皇の御代に遡ると云われます 戦災で多くの資料を喪失し 現存の社記には 第16代 仁徳天皇の御代(約1600年前)毛野国が下野国と上野国の二国に分割された時 下野国国造に任じられた奈良別王(ならわけのきみ)が 曽祖父・豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)を氏神として祀ったのに始まると記されます

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二荒山神社 下之宮Futarasan Shrine Shimonomiyaの記事をご覧ください

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宇都宮二荒山神社 下之宮(宇都宮市)

二荒山神社 下之宮は 宇都宮二荒山神社の旧 鎮座地に祀られる元宮です 御祭神の4世の孫 奈良別王が 第16代 仁徳天皇の御代(1600年程前)に下野の初代国造となり 国を治めるに当たり 御神霊を荒尾崎(現在の下之宮)の地に祀り合せたとされます その後 神社は 平安時代前半の承和5年(838)に臼ヶ峰(現在地)に還座しましたが 下之宮は発祥の聖地に鎮座するとして永く奉斎されてきました 1995年以後の再開発の際に現在地に再建されました

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日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」について

日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」は 律令時代に発生した制度・社格で 律令時代の国司の参拝に伴う制度・社格として生じました 全国各地に現在でも「一宮」の地名が沢山あり 呼び方については「いちのみや」は同じでも 標記の仕方は「一宮」・「一之宮」・「一の宮」「一ノ宮」など様々です

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下野国 式内社 11座(大1座・小10座)について に戻る

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下野國 式内社 11座(大1座・小10座)について

下野国(しもつけのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 下野国には 11座(大1座・小10座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています