実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

二十五柱神社(松阪市柿木原町)〈多氣郡の式内社論社8つを合祀〉

二十五柱神社(にじゅうごはしらじんじゃ)は 三重県令に依り旧東黒部村内25社の神社を明治411907930日に合祀して二十五柱神社創建 合祀社の内 伊勢國多氣郡の8つの式内社〈・須麻漏賣神社・服部伊刀麻神社・林神社・服部麻刀方神社二座・流田神社・流田上社神社・火地神社・牛庭神社〉の論社をみます

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

二十五柱神社(Nijugohashira shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

三重県松阪市柿木原町52

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

合祀社

式内 服部伊刀麻神社式内 上流田神社
式内 牛庭神社
式内 麻刀方神社
式内 須麻漏売神社
宇気比神社
須加 神社
山 神 社
浜 神 社
事代主神社
宇気比神社
事代主神社
富士淺間社
菅原 神社
林 神 社
田中 神社
菅原 神社
宇気比神社
神明 神社
高之宮神社
八 幡 宮
八幡 神社
宇気比神社
宇気比神社
宇気比神社
拝殿内の銘板より

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御祭神

 速佐須良比売神
 月弓命
 少彦名神
 須佐之男
 伊吹戸主神
 大山祗命
 天鈿女命
 豊受比売
 大山咋神
 事代主神
 天忍穂耳
 天之穂日命
 熊野樟日
 天津彦根命
 活津彦根命
 市杵比売命
 多岐比売命
 田心比売命
 主神
 木花佐久夜比売
 木俣神
 誉田別
 庭高津日神
 埴安比売神
 菅原神

拝殿内の銘板より

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【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社の合祀先

【創  (Beginning of history)】

二十五柱神社由緒

 当神社は明治四十一年八月(一九〇七)の三重県令に依り旧東黒部村内二十五社の神社を同年九月三十日合祀
 明治四十二年三月十五日に大祭が行われました 創建以来 地区民の氏神として崇敬せられています

 合祀神社名

宇気比神社 南出
須賀 神社 川原
山 神 社 笹張
浜 神 社 奥ノ山
事代主神社 浜垣内
宇気比神社 柿木原
事代主神社
富士浅間社
式内 服部伊刀麻神社 出間
菅原 神社
林 神 社
田中 神社
菅原 神社
宇気比神社 土古路
神明 神社 大垣内
高之宮神社
八 幡 宮
式内 上流田神社 神守
八幡 神社
式内 牛庭神社 牛草
宇気比神社 連花寺
式内 麻刀方神社 垣内田
式内 須麻漏売神社
宇気比神社
宇気比神社 乙部

 昭和五十六年十二月

現地石碑文より

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【由  (History)】

由 緒

 当社は、明治41年9月30日、当氏子地域の神社25社を合祀して創建された神社である。しかし、合祀される前の神社の中には『延喜式神名帳』の多気郡中に登録されている式内社も含まれている。すなわち、出間里中の服部伊刀麻神社・林神社、土古路里中の国乃御神社、牛草の牛庭神社、垣内田里本殿の須麻漏売神社・麻刀方神社の合計6社がそれである。

三重県神社庁教化委員会HPより
http://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E4%BA%94%E6%9F%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE/

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

〈境内社〉黒部神社

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奉献

この神社は昭和二十七年四月一日 明治以降国のために喪華した英霊と郷土の発展に寄与された先人の霊を追慕するために報恩崇敬の念深き氏子一同がその誠をこめて創建したものである この度元海軍一等飛行兵曹 鈴木進氏の篤志によりて当社に合祀された諸霊の銘を名に刻しその遺芳を永遠に伝えんがためこの碑を奉献する
平成五年九月吉日

現地碑文より

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〈境内社〉黒部神社の社頭・祓所

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・山神

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二十五柱神社 参道の鳥居

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二十五柱神社の社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

二十五柱神社(松阪市柿木原町)は 8つの式内社も含む 神社25社を合祀して創建された神社で

(伊勢國多氣郡 須麻漏賣神社) (合祀)粒形社(松阪市垣内田町)
(伊勢國多氣郡 服部伊刀麻神社)(合祀)服部伊刀麻神社 舊地(松阪市出間町)
(伊勢國多氣郡 林神社)    (合祀)林神社の旧鎮座地(松阪市出間町)
(伊勢國多氣郡 服部麻刀方神社二座)(合祀)松方社(松阪市垣内田町)
(伊勢國多氣郡 流田神社)   (合祀)事代主神社(松阪市柿木原町)
(伊勢國多氣郡 流田上社神社) (合祀)流田上社神社 跡(松阪市神守町)
(伊勢國多氣郡 火地神社)   (合祀)宇気比神社(乙部町 極楽寺境内)
(伊勢國多氣郡 牛庭神社)   (合祀)牛庭神社 跡(松阪市牛草町)

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[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

(伊勢國多氣郡 須麻漏賣神社) (合祀)粒形社(松阪市垣内田町)

[旧 神社 名称 ] 須麻漏賣神社
[ふ り が な ]すまろめ かみのやしろ
[Old Shrine name]Sumarome no kaminoyashiro

(伊勢國多氣郡 服部伊刀麻神社)(合祀)服部伊刀麻神社 舊地(松阪市出間町)

[旧 神社 名称 ] 服部伊刀麻神社
[ふ り が な ]はとりのいとま かみのやしろ
[Old Shrine name]Hatorinoitoma no kaminoyashiro

(伊勢國多氣郡 林神社)    (合祀)林神社の旧鎮座地(松阪市出間町)

[旧 神社 名称 ] 林神社
[ふ り が な ](はやしの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Hayashi no kaminoyashiro

(伊勢國多氣郡 服部麻刀方神社二座)(合祀)松方社(松阪市垣内田町)

[旧 神社 名称 ] 服部麻刀方神社二座
[ふ り が な ](はとりのまとかたの かみのやしろ ふたくら)
[Old Shrine name]Hatarino matokata no kaminoyashiro

(伊勢國多氣郡 流田神社)   (合祀)事代主神社(松阪市柿木原町)

[旧 神社 名称 ] 流田神社
[ふ り が な ](なかれたの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Nakareta no kaminoyashiro

(伊勢國多氣郡 流田上社神社) (合祀)流田上社神社 跡(松阪市神守町)

[旧 神社 名称 ] 流田上社神社
[ふ り が な ](なかれたのうへの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Nakaretanouhe no kaminoyashiro

(伊勢國多氣郡 火地神社)   (合祀)宇気比神社(乙部町 極楽寺境内)

[旧 神社 名称 ] 火地神社
[ふ り が な ]ひちの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Hichi no kaminoyashiro

(伊勢國多氣郡 牛庭神社)   (合祀)牛庭神社 跡(松阪市牛草町)

[旧 神社 名称 ] 牛庭神社
[ふ り が な ](うしにはの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ushiniha no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

二十五柱神社(松阪市柿木原町)は 『延喜式』伊勢國多氣郡に所載の式内社8合祀されています

それぞれの論社については各記事を参照

須麻漏賣神社(すまろめの かみのやしろ)の論社

・須麻漏賣神社舊地 麻刀方神社舊地(松阪市垣内田町)
〈二十五柱神社に合祀された粒形社(須麻漏賣神社)の舊地〉

・二十五柱神社(松阪市柿木原町)
〈二十五柱神社に合祀された粒形社(須麻漏賣神社)〉

一緒に読む
二十五柱神社(松阪市柿木原町)〈多氣郡の式内社論社8つを合祀〉

二十五柱神社(にじゅうごはしらじんじゃ)は 三重県令に依り旧東黒部村内25社の神社を明治41年(1907)9月30日に合祀して二十五柱神社が創建 合祀社の内 伊勢國多氣郡の8つの式内社〈・須麻漏賣神社・服部伊刀麻神社・林神社・服部麻刀方神社二座・流田神社・流田上社神社・火地神社・牛庭神社〉の論社を含みます

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・須麻漏賣神社 舊鎮座地(多気町平谷)
〈佐那神社に合祀された須麻漏賣神社跡 〉

・佐那神社(多気町仁田)
〈佐那神社に合祀された須麻漏賣神社〉

服部伊刀麻神社(はとりの いとまの かみのやしろ)の論社

・服部伊刀麻神社 舊地(松阪市出間町)
〈二十五柱神社に合祀された服部伊刀麻神社の旧地〉

〈二十五柱神社に合祀された服部伊刀麻神社〉二十五柱神社(松阪市柿木原町)

一緒に読む
二十五柱神社(松阪市柿木原町)〈多氣郡の式内社論社8つを合祀〉

二十五柱神社(にじゅうごはしらじんじゃ)は 三重県令に依り旧東黒部村内25社の神社を明治41年(1907)9月30日に合祀して二十五柱神社が創建 合祀社の内 伊勢國多氣郡の8つの式内社〈・須麻漏賣神社・服部伊刀麻神社・林神社・服部麻刀方神社二座・流田神社・流田上社神社・火地神社・牛庭神社〉の論社を含みます

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林神社(はやしの かみのやしろ)の論社

・津田神社(多気町井内林)

〈二十五柱神社に合祀された林神社の旧鎮座地(松阪市出間町)〉現在は私有地の田畑の為 未参拝

〈二十五柱神社に合祀された林神社〉二十五柱神社(松阪市柿木原町)

一緒に読む
二十五柱神社(松阪市柿木原町)〈多氣郡の式内社論社8つを合祀〉

二十五柱神社(にじゅうごはしらじんじゃ)は 三重県令に依り旧東黒部村内25社の神社を明治41年(1907)9月30日に合祀して二十五柱神社が創建 合祀社の内 伊勢國多氣郡の8つの式内社〈・須麻漏賣神社・服部伊刀麻神社・林神社・服部麻刀方神社二座・流田神社・流田上社神社・火地神社・牛庭神社〉の論社を含みます

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服部麻刀方神社二座(はとりのまとかたの かみのやしろ ふたくら)の論社

・須麻漏賣神社舊地 麻刀方神社舊地(松阪市垣内田町)
〈二十五柱神社に合祀された松方社(麻刀方神社)の舊地〉

〈二十五柱神社に合祀された松方社(麻刀方神社)〉二十五柱神社(松阪市柿木原町)

一緒に読む
二十五柱神社(松阪市柿木原町)〈多氣郡の式内社論社8つを合祀〉

二十五柱神社(にじゅうごはしらじんじゃ)は 三重県令に依り旧東黒部村内25社の神社を明治41年(1907)9月30日に合祀して二十五柱神社が創建 合祀社の内 伊勢國多氣郡の8つの式内社〈・須麻漏賣神社・服部伊刀麻神社・林神社・服部麻刀方神社二座・流田神社・流田上社神社・火地神社・牛庭神社〉の論社を含みます

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・神服織機殿神社(松阪市大垣内町)

一緒に読む
八尋殿・神服織機殿神社(松阪市大垣内町)〈皇大神宮(内宮)所管社〉

神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)は 八尋殿(やひろでん)の守護神を祀り〈機殿〉八尋殿で奉織した和妙(にぎたえ)の神衣は 神御衣祭(かむみそさい)で皇大神宮・荒祭宮に供進されます 起源は『倭姫命世記』垂仁天皇22年機屋を作り 25年磯宮に服織社を建て 五十鈴川上に御鎭座の時 大宮の傍に八尋の機屋〈宇治の機殿〉を建て 清寧天皇3年(482)服織社の地に移ったとします

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流田神社(なかれたの かみのやしろ)の論社

〈二十五柱神社に合祀された流田神社〈明治23年 宇気比神社相殿に合祀された事代主神社〉(松阪市柿木原町)〉
現在は私有地の為 未参拝

〈二十五柱神社に合祀された流田神社〉二十五柱神社(松阪市柿木原町)

一緒に読む
二十五柱神社(松阪市柿木原町)〈多氣郡の式内社論社8つを合祀〉

二十五柱神社(にじゅうごはしらじんじゃ)は 三重県令に依り旧東黒部村内25社の神社を明治41年(1907)9月30日に合祀して二十五柱神社が創建 合祀社の内 伊勢國多氣郡の8つの式内社〈・須麻漏賣神社・服部伊刀麻神社・林神社・服部麻刀方神社二座・流田神社・流田上社神社・火地神社・牛庭神社〉の論社を含みます

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・清水神社(松阪市清水町)
〈清水神社 に合祀された 流田神社〉

・飯野高宮神山神社(松阪市山添町)清水神社を合祀

清水神社(松阪市清水町)は 江戸時代には 俗に午頭天王と称したが 明治41年2月11日 神山神社〈現 飯野高宮神山神社(松阪市山添町)に合祀されました
昭和28年 清水神社(松阪市清水町)は 清水の地に清水神社を分祀し 
現在は 飯野高宮神山神社(松阪市山添町)飛び地境内社となっています

流田上神社(なかれたのうへの かみのやしろ)の論社

・流田上社神社 跡(松阪市神守町)
〈二十五柱神社に合祀された流田上社神社 跡〉

一緒に読む
流田上社神社 跡(松阪市神守町)〈『延喜式』流田上神社〉

流田上社神社 跡(ながれたのうえのじんじゃあと)は 江戸時代には゛八王子゛と称し 明治39年 字東浦鎮座の八幡宮を合祀し゛上流田八幡神社゛と改称 その後 明治41年(1907)二十五柱神社に合祀された 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 流田上神社(なかれたのうへの かみのやしろ)の論社であった流田上社神社の旧鎮座地です

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〈二十五柱神社に合祀された流田上社神社〉二十五柱神社(松阪市柿木原町)

一緒に読む
二十五柱神社(松阪市柿木原町)〈多氣郡の式内社論社8つを合祀〉

二十五柱神社(にじゅうごはしらじんじゃ)は 三重県令に依り旧東黒部村内25社の神社を明治41年(1907)9月30日に合祀して二十五柱神社が創建 合祀社の内 伊勢國多氣郡の8つの式内社〈・須麻漏賣神社・服部伊刀麻神社・林神社・服部麻刀方神社二座・流田神社・流田上社神社・火地神社・牛庭神社〉の論社を含みます

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火地神社(ひちの かみのやしろ)の論社

・天香山神社(松阪市保津町)
〈火地神社を合祀〉

一緒に読む
天香山神社(松阪市保津町)〈『延喜式』天香山神社・火地神社〉

天香山神社(あめのがぐやまじんじゃ)は 宮吉右衛門宅内の小祠〈高崎(コウサキ)ノ宮〉が 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 天香山神社(あまのかぐやまの かみのやしろ)の論社で(1903年)宇氣比神社(八王子)境内に合祀 さらに明治42年(1909)大国玉神社に合祀 その後 昭和10年(1935)旧宇氣比神社の地に分祀再興されました

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・麻續神社(明和町中海)
〈麻續神社に合祀された 馬之上の宇気比神社(火地神社)〉

一緒に読む
麻續神社(明和町中海)

麻續神社(おおみじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 麻續神社(をみの かみのやしろ)の論社であった豊城入彦命を祀る中麻續神社に明治45年(1912)村内の佐賀茂神社・田中神社・粟須美神社・美里神社・宇気比神社・須賀神社の6社が合祀され その際に麻續神社と改称されたものです

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〈二十五柱神社に合祀された宇気比神社の舊地〉極楽寺境内(松阪市乙部町)

〈二十五柱神社に合祀された宇気比神社〉二十五柱神社(松阪市柿木原町)

一緒に読む
二十五柱神社(松阪市柿木原町)〈多氣郡の式内社論社8つを合祀〉

二十五柱神社(にじゅうごはしらじんじゃ)は 三重県令に依り旧東黒部村内25社の神社を明治41年(1907)9月30日に合祀して二十五柱神社が創建 合祀社の内 伊勢國多氣郡の8つの式内社〈・須麻漏賣神社・服部伊刀麻神社・林神社・服部麻刀方神社二座・流田神社・流田上社神社・火地神社・牛庭神社〉の論社を含みます

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・八柱神社跡地(多気町油夫)
〈佐那神社に合祀された八柱神社の旧鎮座地〉

・佐那神社(多気町仁田)
〈佐那神社に合祀された八柱神社(多気町油夫)〉

・火地神社 古社地(明和町岩内 光安寺境内)
〈竹神社に合祀された火地神社 古社地〉

・竹神社(明和町斎宮)
〈竹神社に合祀された火地神社(明和町岩内 光安寺境内)〉

牛庭神社(うしにはの かみのやしろ)の論社

・牛庭神社(松阪市下蛸路町)

一緒に読む
牛庭神社(松阪市下蛸路町)〈『延喜式』牛庭神社〉

牛庭神社(うしばじんじゃ)は 往古 里人が神社の前の野に牛を放ち飼いにしていたので牛飼場と呼ばれたと云う 旧名を牛庭牛頭天王 又は牛嶺天王社と云い 明治六年(1873)社寺御改めに際し 牛庭神社と改称しました 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 牛庭神社(うしにはの かみのやしろ)の論社です

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・牛庭神社 跡(松阪市東久保町)
〈二十五柱神社に合祀された牛庭神社 跡〉

一緒に読む
牛庭神社 跡(松阪市東久保町)〈『延喜式』牛庭神社〉

牛庭神社 跡(うしばじんじゃあと)は 明治41年 (1908) 二十五柱神社に合祀された 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 牛庭神社(うしにはの かみのやしろ)の旧跡地で 元々は現在地の北東75mの位置 牛草町に鎮座していました この跡地の石碑は 昭和六十年三月に耕地整理によって 現在地に移転しています

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・二十五柱神社(松阪市柿木原町)
〈二十五柱神社に合祀された牛庭神社〉

一緒に読む
二十五柱神社(松阪市柿木原町)〈多氣郡の式内社論社8つを合祀〉

二十五柱神社(にじゅうごはしらじんじゃ)は 三重県令に依り旧東黒部村内25社の神社を明治41年(1907)9月30日に合祀して二十五柱神社が創建 合祀社の内 伊勢國多氣郡の8つの式内社〈・須麻漏賣神社・服部伊刀麻神社・林神社・服部麻刀方神社二座・流田神社・流田上社神社・火地神社・牛庭神社〉の論社を含みます

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・伊勢庭神社(松阪市伊勢場町)

一緒に読む
伊勢庭神社(松阪市伊勢場町)〈『延喜式』牛庭神社〉

伊勢庭神社(いせばじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 牛庭神社(うしにはの かみのやしろ)の論社とされています 明治40年(1907)神社合祀令により漕代神社(現 葉生田神社)に合祀されましたが 昭和28年(1953)現在地〈旧社地〉に分祀されました

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・葉生田神社(松阪市法田町)
伊勢庭神社(松阪市伊勢場町)は 明治40年(1907)漕代神社(現 葉生田神社)に合祀され 昭和28年(1953)現在地〈旧社地〉に分祀されました
現在は 葉生田神社(松阪市法田町)の飛地の境外社です

一緒に読む
葉生田神社(松阪市法田町)〈『延喜式』牛庭神社・神垣神社〉

葉生田神社(はふだじんじゃ)は 平安時代末期から土田(はふだ)村の神仏混淆の産土神「日天八王子社」でした 明治3年 神仏分離により「葉生田神社」と改称 明治40年の県令により 漕代(こいしろ)村の22社26祭神を合社・合祀 昭和28年に分社・分祀するも 正式な手続きは社名変更のみで 現在も22社26祭神が祀られています

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

松坂駅からR23号経由で東へ約7.8km 車での所要時間は12~15分程度

田の中に鎮守の杜がありす

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二十五柱神社(松阪市柿木原町)に参着

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社頭の鳥居は南方向を向いていて 一礼をしてから鳥居をくぐると 参道は北方向へとまっすぐ伸びていて 北側にも鳥居が建てられています

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明治四十一年八月(一九〇七)三重県令に依り旧東黒部村内二十五社の神社を同年九月三十日合祀したと 石碑に刻まれています

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社務所には 二十五柱神社の年中行事が示されています

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南北に通じている参道の生垣には 西を向いて鳥居が建てられていて この鳥居をくぐり抜けると境内へと進むことが出来ます

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一礼をしてから 鳥居をくぐり抜けると 二つの参道があって 連なる鳥居が二列になっています

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手前〈西側〉が〈境内社〉黒部神社の参道です

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奥側〈東側〉が二十五柱神社の参道となっています

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一礼をしてから 連なる鳥居をくぐり抜けて

拝殿にすすみます

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拝殿内には

合祀された旧東黒部村内二十五社の神社の社号が掲げられています

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合祀された祭神名も掲げられています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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参拝をおえて 境内を出ます

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 須麻漏神社について 所在は゛服部垣内田村に在す゛〈現 須麻漏賣神社舊地 麻刀方神社舊地(松阪市垣内田町)〉と記しています

【抜粋意訳】

須麻漏神社

須麻漏は假字也

○祭神明か也

○服部垣内田村に在す、證〕

〇式四、伊勢大神宮凡大神宮年限満應に修造者、遣使、〔中略〕孟冬始作之、神宮七院、社十二〔中略〕須麻漏社、云々、

○儀式帳、江神社〕稱に天須婆留女命云々、解云、此神系知がたし、〕

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

式内社 服部伊刀麻神社について 所在は゛御糸郷出間村に在す゛〈現 服部伊刀麻神社 舊地(松阪市出間町)〉と記しています

【抜粋意訳】

服部伊刀麻神社

服部は波止利と訓べし、伊刀麻は假字也、

〇祭神(く)

○御糸郷出間村に在す證、解、〕

 神名秘書伝、神服部機殿、三狐神、」
 皇字沙汰文云、御氣津神、機殿坐、服部機殿北也、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

式内社 林神社について 所在は゛林に在す゛〈現 津田神社(多気町井内林)〉と記しています

【抜粋意訳】

林神社

林は波夜之と訓べし

〇祭神詳ならず、林氏の祖神歟

○林に在す、證、俚諺、〕

 云、木祖句々廼馳、」
 勢陽俚諺云、木俣神、」共にを志らず、
連胤按るに、姓氏録、左京皇別上、河内國皇別林朝臣、』

 同、河内神別林宿禰、』
 同、諸蕃林史、林連、林等の数姓あり、此等の中の氏社も量りがたし、猶國に氏人の有無を考ふべし、

類社
 越中國砺波郡、播磨國明石郡 林神社各一座

氏人
 日本後紀、延暦二十四月丁巳、近江人正六位上 林朝臣茂継云々、附

于左京、
 續後紀、承和年正月正六位上 林朝臣常継、
 文徳録、齊衡元年十二月庚辰、散位正六位上 林朝臣並人等改姓紀朝臣と見え、此他にもあり、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

式内社 服部麻刀方神社 二座について 所在は゛流田郷服村に、又云 大垣内村に在す、゛〈現 須麻漏賣神社舊地 麻刀方神社舊地(松阪市垣内田町)〉又は〈現 神服織機殿神社(松阪市大垣内町)〉と記しています

【抜粋意訳】

服部麻刀方神社 二座

 服部は前に伺じ、麻刀方は末止加多と訓べし、

〇祭神詳ならず

○流田郷服村に、又云 大垣内村に在す、儀式解

○倭姫世記伝、日本建尊 比々羅木乃以八尋鉾根天、奉献皇太神宮、即倭姫皇女、彼鉾根波、納天、皇太神乃貴財止為天、八尋機殿圓方機殿是也〕應収天、為皇太神御弖、奉崇祭留、令天棚機姫神斎八千々姫命、毎年夏四月秋九月、織神服、以供神明、故曰神衣祭也、」
神宮雑例集云、嘉応年、服織機澱大神部道尚解、以神部等遠祖 天御鉾命爲司、以八千々媛為織汝奉織之、

○万葉注釈曰、伊勢國風士記云、的形浦者、此浦地形似的、因似為名也、今巳跡絶、成江湖也、天皇行幸濱歌曰、麻須良遠能、佐都夜多波佐美、牢加此多知、伊流夜麻度加多、波麻乃佐夜氣佐、万葉集一に、舎人娘子從窺作歌、丈夫之、得物矢乎挿、立向、射流圓方波、見爾清潔之、ともあり、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

式内社 流田神杜について 所在は゛清水村に在す゛〈現 (合祀)清水神社(松阪市清水町)〉と記しています

【抜粋意訳】

流田神杜

流田は奈加禮多と訓べし、和名鈔郷名部流田、假字上の如し

○祭神詳ならず

○清水村に在す、俚諺 飯野郡に属す、

式内社 流田上神社について 所在は゛清水村に在す゛〈現 不明〉と記しています

【抜粋意訳】

流田上(ナガレタノカミノ)神社

流田上は前に同じ

〇祭神詳ならず

○清水村に在す、俚諺 飯野郡に属す、

 諸本 流田上社神社とあるに依て、上田百木云、上社はミコソトベキ歟、近江國浅井郡 上許曽神社アリ、又按に、上社はカミノモリ歟、今 神森(カンモリ)と云ふ森あり、これ流田上社(カムモリ)跡歟、
伴信友云、此説に拠れば、社は杜の誤か可考、
連胤按るに、上詐曽神社も許曽の上社といふにて、下社と相対したるか、下社は式外にあるべし、郡中にも、和鹿上伊蘇上等の例に從ひて、何の害か有べき、たまたま上社の上許と同じ唱へに通(キコ)ゆるとて、かく穿ちたる説をたてずともよけむ、信友がいへるも過たるべし、

式内社 火地神社について 所在は゛岩内村に在す、゛〈現 火地神社 古社地(明和町岩内 光安寺境内)〈竹神社に合祀された火地神社 古社地〉〉と記しています

【抜粋意訳】

火地(ヒチノ)神社

火地は假字也

〇祭神詳ならず

○岩内村に在す、〔俚諺〕

類社

 伊賀國伊賀郡 比地神社の條見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

式内社 牛庭神社について 所在は゛蛸路村に在す、゛〈現 牛庭神社(松阪市下蛸路町)〉と記しています

【抜粋意訳】

牛庭神社

牛庭は 宇志尓波と訓べし

〇祭神詳ならず

〇蛸路村に在す、〔考証、俚諺〕今 飯野郡に属す

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 須麻漏神社について 所在は゛今 佐原郷平谷村にあり、一之大宮と云ふ゛〈現 須麻漏賣神社 舊鎮座地(多気町平谷)〈佐那神社に合祀された須麻漏賣神社跡 〉〉と記しています

【抜粋意訳】

須麻漏賣(スマロメノ)神社

 佐原郷平谷村にあり、一之大宮と云ふ、〔本社造替寄附名帳、伊勢式内社検録、〕
盖 天須婆留女命を祭る、〔延暦儀式帳、延喜式〕

式内社 服部伊刀麻神社について 所在は゛今 大垣内村にあり、神服機殿の鎮守即是也゛〈現 神服織機殿神社(松阪市大垣内町)〉と記しています

又゛機殿の東北に出間村あるも、伊刀麻の名の遺れる也゛〈現 服部伊刀麻神社 舊地(松阪市出間町)〉

【抜粋意訳】

服部伊刀麻(ハトリノイトマノ)神社

 大垣内村にあり、神服機殿の鎮守即是也、〔式内社検録、〕〔〇按 宇爾日記にハットリの宮とある証とすべし、又 機殿の東北に出間村あるも、伊刀麻の名の遺れる也、

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

式内社 林神社について 所在は゛今 相可郷 林村にあり゛〈現 津田神社(多気町井内林)〉と記しています

【抜粋意訳】

(ハヤシノ)神社

今 相可郷 林村にあり、〔神名帳考証、勢陽雑記、〕

式内社 服部麻刀方神社 二座について 所在は゛ 垣内田村 東南の森にあり、一を末都加多の社、一を都褒加多の社と云゛〈現 松方社(松阪市垣内田町)須麻漏賣神社舊地 麻刀方神社舊地(松阪市垣内田町)〉と記しています

【抜粋意訳】

服部麻刀方(ハトリノマトカタノ)神社二座

〔〇按 麻刀方、印本 麻刀方に作る、今 一本及万葉集に據て之を訂す

垣内田村 東南の森にあり、一を末都加多の社、一を都褒加多の社と云、即ち是也、〔伊勢式内社検録〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

式内社 流田神杜について 所在は゛柿木原村あり、村西に千年の古樟樹あり、下に舊祠あり゛〈現 〈二十五柱神社に合祀された流田神社〈明治23年 宇気比神社相殿に合祀された事代主神社〉(松阪市柿木原町)〉〉と記しています

【抜粋意訳】

流田(ナガレタノ)神社

〔〇按 伊勢式内社検録云、雑例集、に流田郷 服村とある 服村 後世分かれて八村となる、八村の内に柿木原村あり、村西に千年の古樟樹あり、下に舊祠あり、土人傳へて 往古 洪水に流多(ナカレタ)社を此に留め祭ると、盖 里俗 流田を漂流の事に混訛しなるへしと云り、

式内社 流田上神社について 所在は゛今 神守村にあり゛〈現 流田上社神社 跡(松阪市神守町)〉と記しています

【抜粋意訳】

流田上社(ナカレタノウヘノヤシロ)神社

〔〇按 斎宮式に、上の社字なし〕
 神守村にあり、柿木原村と南北相対ふ、〔伊勢式内社検録〕
〔〇上社は流田社二所あるが故に、上下地勢を以て云分てる也、上社、神守、音相通ふ時は、神守は上社の轉也、〕

式内社 火地神社について 所在は゛今 乙部村の東南にあり、゛〈現 〈二十五柱神社に合祀された宇気比神社の舊地〉極楽寺境内(松阪市乙部町)〉と記しています

【抜粋意訳】

火地(ヒチノ)神社

今 乙部村の東南にあり、〔式内社検録〇按 本書に、貞治七年紛失日記云、飯野郡長田郷三條四里火所里とある火所火地共にホトと訓へし、条里を推考ふるに、乙部村に當れり、乙部は神宮雑例集に、外部御薗ともある地なりと云り〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

式内社 牛庭神社について 所在は゛今 伊勢場村産神゛〈現 伊勢庭神社(松阪市伊勢場町)〉と記しています

【抜粋意訳】

牛庭(ウシハノ)神社

 伊勢場村産神 盖是也、
〔〇按 神宮雑例集、神鳳鈔、牛庭御園あり、藤波氏古文書、牛庭御厨あり、神領目録に伊勢場御園あり、所謂 牛庭訛て伊勢塲となりし事著し、附て考に備ふ、

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 須麻漏神社について 所在は゛三重縣佐奈谷平谷村(多氣郡佐奈村々社 佐奈神社に合併)゛〈現 須麻漏賣神社 舊鎮座地(多気町平谷)〈佐那神社に合祀された須麻漏賣神社跡 〉〉と記しています

【抜粋意訳】

須麻漏神社

祭神 天須婆留女命

祭日 正月八日
社格 村社

所在 三重縣佐奈谷平谷村(多氣郡佐奈村々社 佐奈神社に合併)

 今按 本社所在 佐奈平谷村とも 垣内田村 横地村とも云り 儉綠に平谷村の産神社の造替寄附讀立文に平谷邑之惣社 氏神は者恭 外宮末社 佐奈神社にて而御座せば則本殿者 須麻漏女命 並 勧請於 未社而奉に崇敬者也と記せり 土俗 一之大宮と唱ふれは 當社の位次にかなへりと云る據あり
然るを式社調帳に飯野郡横地村畑地に市本と稱地あり 其邊すべてすばると云 その間にせいかん山の字あり 星神にやと云れど 内宮一禰宜の注進にも平谷村とあれば今之に從へり

式内社 服部伊刀麻神社について 所在は゛三重縣(合併)流田郷出間村゛〈現 服部伊刀麻神社 舊地(松阪市出間町)〈二十五柱神社に合祀された服部伊刀麻神社の旧地〉〉と記しています

【抜粋意訳】

服部伊刀麻神社

祭神
祭日
社格 村社

所在 三重縣(合併)流田郷出間村

 今按に檢錄に神宮雜例集に流田郷服村とある 服村後に分れて八村となる其内に出間村あり 出間は伊刀麻の轉なり 其村の産神に かけ社といふを當社に配せり 調書區別帳にも出間村とあれはこれに從はむか 井口村大垣内村等にも在りといへど證なし

【原文参照】

Please do not reproduce without prior permission.

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

式内社 林神社について 所在は゛三重縣相可郷林村゛〈現 津田神社(多気町井内林)〉と記しています

【抜粋意訳】

(ハヤシノ)神社

祭神
祭日
社格 村社

所在 三重縣相可郷林村 (多氣郡津田村大字井内林 ) 

式内社 服部麻刀方神社 二座について 所在は 三重縣流田郷垣内田村としているが該当の村には゛須麻漏賣神社境内社に松方神社゛〈現 須麻漏賣神社跡地 麻刀方神社跡地(松阪市垣内田町)〉があるが このことを指すのであろうか?

不明とする

又 神服機殿を圓方(まとかた)機殿という とも記しています

【抜粋意訳】

服部麻刀方神社

祭神
祭日
社格

所在 三重縣流田郷垣内田村

(垣内田村とあれども明細帳に該村に當社にあたるものなし、須麻漏賣神社境内社に松方神社なるあり、或は是を指したるか、覈録の説もあれど服村は該部になしいづれにしても不明なり) 

今按 検録云 村の東南に壺方末津方社と云ふ末津方は麻刀方の通言なり萬葉集 伊勢國風土記等に的形浦あり 神服機殿を圓方機殿と云由 倭姫命世記にあり みな此邊の地を謂ふなるべしと云へり

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

式内社 流田神杜について 所在は゛流田郷柿木原村の西北隅に大樟樹ある森あり 其處に祭れる社゛〈現 〈二十五柱神社に合祀された流田神社〈明治23年 宇気比神社相殿に合祀された事代主神社〉(松阪市柿木原町)〉〉と記しています

【抜粋意訳】

流田神社

祭神
祭日
社格

所在

 今按るに 清水村に在といへど 其村は流田郷に非ざれば從がたし 檢錄に流田郷柿木原村の西北隅に大樟樹ある森あり 其處に祭れる社は村内九戸の産神にして 往昔流たるを拾て祭る蛭子神なりとの口傅あり 是流田社と云を謬り蛭子をさへ附會せしなりと云り 尚下の流田上神社の條と合考べし

式内社 流田上神社について 所在は゛三重縣 (合併)流田郷神守村゛〈現 流田上社神社 跡(松阪市神守町)〉と記しています

【抜粋意訳】

流田上社神社

祭神
祭日 正月八日
社格 村社

所在 三重縣 (合併)流田郷神守村

 今按 檢錄に上件 柿木原の流田社と南北に相対して自ら上社の稱 昭然たりと云へり

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

式内社 火地神社について 所在は決めかねています

゛明細帳飯野郡に乙部村゛〈現 〈二十五柱神社に合祀された宇気比神社の舊地〉極楽寺境内(松阪市乙部町)〉
゛多氣郡岩内村に火地神社ありて式社と稱す゛〈現 火地神社 古社地(明和町岩内 光安寺境内)〈竹神社に合祀された火地神社 古社地〉〉

【抜粋意訳】

火地神社

祭神
祭日
社格

(明細帳飯野郡に乙部村なるものなし 區別牒に依るも火地神社と云村社なし 多氣郡岩内村に火地神社ありて式社と稱す區別牒になし 明細帳に村社とし十四年訓正無格なり)

所在

 今按 檢錄に貞治七年紛失日記云 飯野郡長田郷三條四里火所里とあり 火所火地共に ほと と訓すへし 條里の制を以て推すに三條四里は多氣と犬牙して 今 乙部村に當れリ 乙部は雑倒集には外部御園にも作れり おともそとも並にほとの通音にて 當社所在の地名なり 村の東南に産神社あり是ならむと云へり 又 享保中 紀伊家より岩内村の産神社に火地神社の標石を建たるは神名帳考證の臆断によれりとあるが如くなるべし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

式内社 牛庭神社について 所在は 諸説あって一定しない と記しています

諸説の所在は
 飯野郡に伊勢場村あり其村の東北 畠中に産神社あり是に配すへし゛〈現 伊勢庭神社(松阪市伊勢場町)〉
神鳳抄に云ふ所とは 東西大に懸隔せりと云ひ
神名帳考諦等には 飯野郡蜻路村牛嶺にあり゛〈現 牛庭神社(松阪市下蛸路町)〉
明細帳には 本郡の牛草村なりと云゛〈現 牛庭神社 跡(松阪市東久保町)〈二十五柱神社に合祀された牛庭神社 跡〉〉

【抜粋意訳】

牛庭神社

祭神
祭日
社格

所在 (合併)

 今按 檢錄に雜例集神鳳抄に飯野郡牛庭御菌あり 當社所在の地名なり 然るに神領目錄には伊勢庭御蘭に作る 今 飯野郡に伊勢場村あり其村の東北 畠中に産神社あり是に配すへし
 下宇爾村新茶屋の北に牛庭長者舊址と唱ふる地あり
 神鳳抄に云ふ所とは 東西大に懸隔せりと云ひ
神名帳考諦等には 飯野郡蜻路村牛嶺にありとし
明細帳には 本郡の牛草村なりと云て一定せず

【原文参照】

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二十五柱神社(松阪市柿木原町) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

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