長柄神社(ながらじんじゃ)は 御祭神の下照姫命を葛木一言主神社や高鴨神社の姫宮と考え 別名「姫の宮」と云う 又 鎮座地は『日本書紀』天武天皇 即位九年の条に「長柄杜(ながらのもり)で゛馬的を射させ゛」と流鏑馬をご覧になった記述があり 延喜式内社 大和國 葛上郡 長柄神社(鍬靫)(なからの かみのやしろ)の由緒を持ちます
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
長柄神社(Nagara shrine)
【通称名(Common name)】
・姫の宮(ひめのみや)
【鎮座地 (Location) 】
奈良県御所市名柄271
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》下照姫命(したてるひめのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
長柄神社
長柄の地名は長江(ながえ)が長柄(ながえ)になり音読して長柄(ながら)になった。長江はゆるやかく長い葛城山の尾根(丘陵)を意味し、ナガラは急斜面の扇状地に残った古語であるともいわれる。
この神社の祭神は、下照姫命であり、俗称を姫の宮といわれている。
本殿は昭和三十三年三月二十日、奈良県重要文化財に指定された。一間社春日造り、桧皮葺(ひはだぶき)、丹塗の建物である。細部に禅宗様(唐(から)様と称した手法)が見られる優秀な建築である。
ここに棟札(むなふだ)が保存されていて、最古のものは、正和元年(一三一二年)鎌倉時代、花園天皇の代に当り、以下十七枚に及んでいる。
建築様式上から正和まで古く見ることは困難であるが、室町中期の頃と推定することができる。軒から屋根に及ぶ材料が新しいのは、後の改修によるものとしても、その他の部分も風蝕(ふうしょく)が極めて少ないのは、恐らく覆屋で保護されていた為であろうといわれている。
また、手水屋は朝原寺から移したものということである。
平成元年十一月吉日 寄贈 御所ライオンズクラブ
現地案内板より
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長柄神社(Nagara-jinja shrine)
御祭神は「下照姫命(したてるひめのみこと)」で、一言主神社や高鴨神社の姫宮と考えられており、 別名「姫の宮」と言われています。『日本書紀』天武天皇 9年に、天皇がこの社で流鏑馬をご覧になったという記述があります。本殿は奈良県指定文化財に指定されており、ひさしには、 どこから見ても睨まれているように見える 「八方睨みの龍」が描かれています。『延喜式』神名帳に記載されている。
現地案内板より
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【由 緒 (History)】
『大和志料』下巻,昭和21年に記される内容
【抜粋意訳】
長柄(ナガラ)神社
吐田郷村大字長柄宮ニアリ、延喜式神名帳ニ見ユ。天武天皇紀ニ「九年九月癸酉朔辛已。幸ニ于 朝嬬(アサツマ)。因テ以看ニ大山位ヨリ 以下之馬ヲ於長柄杜(ナカラノモリ)乃俾ニ馬的射之」
又 應永二十五年伴田庄注進狀ニ 所謂 長柄宮ハ卽チ當社ヲ謂フ。今 村社タリ。祭神ハ下照姫命卜傳フ。
大神分身類社鈔ニ據ルニ 高照光姫ノ別名ヲ長柄比賣卜稱スルハ據アルニ似タリ。
【原文参照】
奈良県教育会 編『大和志料』下巻,養徳社,昭和21. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1042208
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・長柄神社 本殿
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・長柄神社 割拝殿
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・長柄神社 社殿
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・〈本殿向って左側(西側)境内社〉三社の祠
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・別名「姫の宮」のいわれについて
長柄神社(御所市名柄)は 御祭神は「下照姫命(したてるひめのみこと)」で ①葛木一言主神社 ②高鴨神社の姫宮と考えられており 別名「姫の宮」と云います
①葛木一言主神社 ②高鴨神社は ともに延喜式内 名神大社です
それぞれの記事を参照ください
①大和國 葛上郡 葛木坐一言主神社(名神大 月次 相嘗 新嘗)(かつらきにます ひとことぬしの かみのやしろ)
・葛城一言主神社(御所市)
葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんじゃ)は 「葛城之一言主大神」を祀ります 境内には 推定樹齢1,200年の大イチョウがあり 古社であることが見事にわかります 里人は どの様な願い事でも 一言の願いならば叶う「一言さん(いちごんさん)」と信仰し続けています 『記紀神話』の伝承によれぱ 一言主神は 第21代雄略天皇の条に 雄略天皇と葛城山で狩りを競われた神として記され 大和朝廷の中心で大王家と対等ともされた最大の古代豪族「葛城氏」が 一極集中に向かう大王家(雄略天皇)との対立構図のように描かれているとも窺えます 『続日本紀』天平宝字8年( 764年)条では 雄略天皇と狩りを競った「高鴨神」が土佐国に流されていたが 天平宝字8年に元の地に祀ったとあります
葛城一言主神社(御所市大字森脇)
②大和國 葛上郡 高鴨阿治須岐託彦根命神社四座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(たかかもの あじすきたかひこねのみことの かみのやしろ)
・高鴨神社(御所市鴨神)
高鴨神社(たかかもじんじゃ)は 阿遅志貴高日子根命を祀ります 別名 迦毛之大御神(かものおほみかみ)と云い 大御神は 記紀神話には・天照大御神・伊邪那岐大御神・迦毛之大御神の三神のみ 死した神々をも甦えらせる御神力の強き神とされ 延喜式内社 大和國 葛上郡 高鴨阿治須岐託彦根命神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗です
高鴨神社(御所市鴨神)〈高鴨阿治須岐託彦根命神社四座(並名神大月次相嘗新嘗)〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『日本書紀(Nihon Shoki)〈養老4年(720)編纂〉』に記される伝承
天武天皇が この社の長柄杜(ながらのもり)で「馬的(うままと)を射させた」〈流鏑馬〉をご覧になったという記述があります
【抜粋意訳】
天武天皇(即位九年)九月
九月九日 朝嬬(あさつま)〈現 奈良県御所市朝妻〉にお出でになられた
大山位(だいせんい)〈649~685年に用いられた冠位〉以下の者の馬を 長柄杜(ながらのもり)〈現 長柄神社(御所市名柄)〉でご覧になられた そこで馬的(うままと)を射させました
九月二十三日 地震あり
九月二十七日 桑内王(くわうちのおおきみ)が私家〈自宅〉で卒〈お亡くなり〉なられた
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047528&ID=M2017042515415226619&TYPE=&NO=画像利用
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和國 286座(第128座(な月次新嘗・就中31座預り相詳細)・小158座(波官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)葛上郡 17座(大12座・小5座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 長柄神社(鍬靫)
[ふ り が な ](なからの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Nakara no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』(927年)に所載される「長柄神社(なからの かみのやしろ)」の論社について
延喜式内社 大和國 葛上郡 長柄神社(鍬靫)(なからの かみのやしろ)
・長柄神社(御所市名柄)
長柄神社(ながらじんじゃ)は 御祭神の下照姫命を葛木一言主神社や高鴨神社の姫宮と考え 別名「姫の宮」と云う 又 鎮座地は『日本書紀』天武天皇 即位九年の条に「長柄杜(ながらのもり)で゛馬的を射させ゛」と流鏑馬をご覧になった記述があり 延喜式内社 大和國 葛上郡 長柄神社(鍬靫)(なからの かみのやしろ)の由緒を持ちます
長柄神社(御所市名柄)〈『日本書紀』長柄杜『延喜式』長柄神社(鍬靫)〉
延喜式内社 河内國 若江郡 長柄神社(鍬)(なからの かみのやしろ)
・長柄神社跡(八尾市東本町)
長柄神社跡(ながらじんじゃ あと)は 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』に『河内国若江郡 長柄神社(鍬)』とある祈年祭に鍬一口を加えられた由緒ある式内社ですが 明治40年(1907)10月神社統合令で「矢作神社(八尾市)」に合祀されました
長柄神社跡(八尾市東本町)(『延喜式』長柄神社の跡地)
・矢作神社に合祀(八尾市)
矢作神社(やはぎじんじゃ)は 鎮座する八尾の地名は当社から由来したと云う 一帯は物部氏一族の矢作連の屋敷跡と伝わり その祖神である「経津主命」を祀る 延喜式内社 河内國 若江郡 矢作神社(やはぎの/やつくりの かみのやしろ)です 又 明治40年(1907)式内社 長柄神社(なからの かみのやしろ)を合祀しています
矢作神社(八尾市南本町)〈『三代實録』掃部神『延喜式』矢作神社・長柄神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR和歌山線 御所駅・近鉄御所線 御所駅からR268号・県道24号経由で南下して約4.2km 車での所要時間は10~15分程度
参道の入口と想えるのは 長柄神社の西側 龍正寺の前に社号標が建てられています
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道路から 境内は一望にできます
境内境には玉垣が廻されていて 入口には石灯籠
鳥居は 割拝殿の前に建てられています
社殿の向かって左手には 境内社の祠が三宇祀られています
長柄神社(御所市名柄)に参着
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石燈籠の脇には由緒案内板があります
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割拝殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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社殿は 割拝殿の奥に石垣で一段高い壇があり本殿が祀られています
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境内社にもお参りをして境内を戻ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 長柄神社について 所在は゛吐田荘長柄村に在す、゛〈現 長柄神社(御所市名柄)〉と記しています
【抜粋意訳】
長柄神社
長柄は奈賀良と訓べし
○祭神長柄首祖歟
○吐田荘長柄村に在す、〔大和志、同名所圖繪〕
○日本紀、神武天皇 己未年二月條、臍見長柄丘岬有ニ猪祝者、〔下略〕
〇姓氏録、〔大和國神別〕長柄首、天乃八重事代主神之後也、
類社
河内国 若江郡 長柄神社雑事
日本紀、天武天皇九年九月癸酉朔辛巳、幸ニ于朝嬬、因以看ニ大山位以下之馬於長柄(ナカラ)社、乃俾ニ馬的射之、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 長柄神社について 所在は゛今長柄村にあり、゛〈現 長柄神社(御所市名柄)〉と記しています
【抜粋意訳】
長柄(ナガラ)神社、
今長柄村にあり、〔大和志、神名帳考證、〕
盖 長柄首(ナカラノオビト)の祖 天乃八重事代主神を祭る、〔新撰姓氏録〕
醍醐天皇 延喜の制、祈年祭幣に鍬靫各一口を加奉りき、〔延喜式〕
凡 其祭九月四日を用ふ、〔奈良縣神社取調書〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第8,9巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815494
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 長柄神社について 所在は゛名柄村 (南葛城郡吐田郷村大字名柄)゛〈現 長柄神社(御所市名柄)〉と記しています
【抜粋意訳】
長柄(ナガラノ)神社(鍬靫)
祭神 天乃八重事代主命
今按 注進狀に祭神不詳とあり 土人は姫之宮と云ひ 一說には下照比賣命ともあれど 姓氏錄〔大和國地祇〕に長柄首(ナカラノオビト)天乃八重事代主神(アメノヤヘコトシロヌシノカミ)之後也とみえ 又 長柄村にます一言主神社 即 事代主神同神なれば 此社の祭神は長柄ノ首ノ祖神 八重事代主神ならんとぞ思はる故 今決めて記せり
祭日 九月四日
社格 村社所在 名柄村 (南葛城郡吐田郷村大字名柄)
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
長柄神社(御所市名柄)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る
大和国(やまとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 大和國の286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)の神社のことです
大和國 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)