実践和學 Cultural Japan heritage

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村檜神社(栃木市岩舟町小野寺)〈第36代 孝徳天皇 大化二年(646)創建と伝〉

村檜神社(むらひじんじゃ)は 創建は 第36代 孝徳天皇 大化二年(646)と云う 熊野大神 大山咋命の二柱を祀り のち 第51代 平城天皇 大同二年(807)皆川村小野口に鎮座る八幡宮を当社に合祀主祭神と仰ぎ 佐野庄小野寺十郷の総鎮守として崇敬されます 延喜式内社 下野國 都賀郡 村檜神社むらひの かみのやしろの論社です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

村檜神社Murahi shrine

通称名(Common name)

・八幡様(はちまんさま)

【鎮座地 (Location) 

栃木県栃木市岩舟町小野寺4697

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》誉田別命(ほんだわけのみこと)

《配》熊野大神(くまのおほかみ)
   大山咋命(おほやまくいのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

・子授け安産・開運出世・勝負必勝

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

村檜神社(むらひじんじゃ)

 村檜神社は、大化(たいか)2年の創建と伝えられ、誉田別命(ほんだわけのみこと)、熊野大神(くまのおおかみ)、大山咋命(おおやまくいのみこと)をお祀(まつ)りおする神社です。延喜(えんぎ)5年(905年)に制定された延喜式(えんぎしき)の神名帳(じんみょうちょう)では、下野國(しもつけのくに)三之宮(さんのみや)として崇敬されています。

 本殿は、室町時代後期の三間社(さんげんしゃ)春日造(かすがづくり)という様式で建てられており、屋根は(ひのき)の皮と竹釘を用いた皮葺(ひわだぶき)であり、明治41年(1908年)国の重要文化財の指定されました。

環境庁・栃木県

現地案内板より

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岩舟町指定文化財(天然記念物)村檜神社社叢

 昭和47年41日指定

 646年(大化2年)に熊野大神と日枝大神をむかえて祀られた村檜神社の祭神は誉田別命です。

 延喜式内社の一つに数えられ、本殿は三間社春日造、屋根は檜皮葺で1553年(天分22年)に建てられたものです

 1908年(明治41年)に、の重要文化財として指定されました。
 神社の境内は広大で、参道両側の杉などの社叢は樹齢 1000年にも及ぶと思われます。

平成13年3月 岩舟町教育委員会

現地案内板より

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【由  (History)】

村檜神社(むらひじんじゃ)

 創建は孝徳天皇の御宇大化二年(646)と伝えられ、熊野大神、大山咋命の二柱を祀り、佐野庄小野寺十郷の総鎮守として崇敬され、のち平城天皇の御宇大同二年(807)に皆川村小野口に鎮座せる八幡宮を当社に合祀、主祭神と仰ぐ。醍醐天皇の御宇延喜年間には勅命により、国内神社を調査せし時にその撰に入り、延喜式内社に列せられ、下野國三之宮として今もなお崇敬されている。

現在の社殿は室町後期の建物で三間社春日造屋根は檜皮葦にして国の重要文化財の指定を受けている。

栃木県神社庁HPより
http://www.tochigi-jinjacho.or.jp/?p=547

由緒

 創祀は孝徳天皇の御宇大化2年(646)と伝えられ、熊野大神、大山咋命二柱を祀り、佐野庄小野寺十郷(小野寺、上岡、下岡、三谷、新里、古江、下津原、駒場、鷲巣、畳岡)の総鎮守として崇敬され、のち平城天皇の御宇大同2年(807)に皆川村小野口に鎮齋せる八幡宮を当社に合祀、主祭神と仰ぐ。

 醍醐天皇の御宇延喜年間には勅命により、国内神社を調査せし時にその撰に入り、全国2861社の延喜式内社に列せられる。

 藤原秀郷公、唐沢山に築城の際当神社が鬼門に当ることから守護神として、厚く崇敬し、天慶2年(939)平将門叛せし時、藤原秀郷公これを亡ぼし村桧神社の御神徳の賜ものであると奉幣且つ弓矢を奉納、又永代70貫文を奉り特に尊信した。(下野国誌。)
 現在の社殿(本殿)は室町後期の建物で3間社春日造屋根は桧皮葺にして国の重要文化財の指定を受けて居り、造営に付いては小野寺領主、唐沢城主、足利義持等があたったと伝えられている。など崇敬極めて厚く、下野国式内三之宮として今もなお崇敬せられている。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・本殿

明治41年(1908)国の重要文化財に指定される

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・拝所

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・賽銭箱

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・狛犬〈拝所の前〉

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・〈本殿向かって右 境内社〉西宮神社の末社 と 複数の石祠

〈おそらく 西宮神社へ合祀の8社か?

〈かつて 村檜神社には 11社の境内社住吉神社 時平神社 白山神社 東照宮 天満宮 大行司神社 稲荷神社 深津八幡宮 茂間神社 疱瘡神社 西宮神社)があったと云う その内8社を西宮神社へ合祀と云う〉

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・〈本殿向かって右手前〉神楽殿

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・〈本殿向かって左 境内社〉〈石碑〉猿田彦尊・石清水

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・授与所〈本殿向かって左手前〉

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・御神木

おそらく檜か?

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・京路戸峠への道・境内社一宇

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・〈境内社〉西宮神社《主》事代主尊

〈かつて 村檜神社には 11社の境内社住吉神社 時平神社 白山神社 東照宮 天満宮 大行司神社 稲荷神社 深津八幡宮 茂間神社 疱瘡神社 西宮神社)があったと云う その内8社を西宮神社へ合祀と云う〉

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・神門

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・〈境内社〉住吉神社〈石段の途中向かって左手〉

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・参道石段

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・手水舎

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・社頭の鳥居 と 社号標゛延喜式内゛村檜神社

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・社頭の石橋〈神橋〉

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・社頭

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・社頭の大慈寺の案内

大慈寺(だいじじ)

 大慈寺は、天平9年(737年)に行基(ぎょうき)によって建立されたと伝えられ、下野薬師寺(しもつけやくしじ)、下野国分寺(しもつけこくぶんじ)と並ぶ古い寺院です。また、『入唐求法巡礼行記』を記した慈覚大師円仁は、ライシャワー元アメリカ大使が研究したことで知られていますが、この寺からは、多くの高僧がうまれました。

・・・・
環境省・栃木県

現地掲示板より

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・参道入り口の看板

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・一の鳥居〈社頭から南へ300m程

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・〈境内社〉雷電神社・愛宕神社

・史跡 小野小町の墓

〈鎮座地のすぐ脇にあり 小野寺村とは 小野氏に深く関係する土地柄か?

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式・風土記など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ

記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)下野國 11座(大1座・小10座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)都賀郡 3座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 村檜神社(貞)
[ふ り が な ]むらひの かみのやしろ
[Old Shrine name]Murahi no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 下野國 都賀郡 村檜神社むらひの かみのやしろの論社

式内社 村檜神社について 通説では 所在は゛小野寺村八幡山 (下都賀郡小野寺村大字小野寺 )゛〈現 村檜神社(栃木市岩舟町小野寺)〉とするが これは゛社傅 祭神を誤りしなるべし゛とも云われ

一説には ゛村井村なる女體権現ならん 又 村井はもと村檜なるを改めたるなり゛〈現 胸形神社(鹿沼市村井町)〉とする説があります

どちらも確証があるわけではありません

・村檜神社(栃木市岩舟町小野寺)

一緒に読む
村檜神社(栃木市岩舟町小野寺)〈第36代 孝徳天皇 大化二年(646)創建と伝〉

村檜神社(むらひじんじゃ)は 創建は 第36代 孝徳天皇 大化二年(646)熊野大神 大山咋命の二柱を祀り のち第51代 平城天皇 大同二年(807)皆川村小野口に鎮座の八幡宮を当社に合祀し主祭神と仰いだ 佐野庄小野寺十郷の総鎮守として崇敬された 延喜式内社 下野國 都賀郡 村檜神社(むらひの かみのやしろ)の論社です

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・胸形神社(鹿沼市村井町)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR両毛線 東武佐野線 佐野駅から県道75号経由で北上 約8.6km

一の鳥居は 社頭から南に300m辺り 県道沿いに建っています

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村檜神社栃木市岩舟町小野寺に参着

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社頭には 社号標と石灯籠が建ちます

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石橋の御神橋があり その先には゛延喜式内 村檜神社゛との社号標
木製の両部鳥居が建ちます

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一礼をして 鳥居をくぐり参道を進みます

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玉垣の建設記念碑

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石段の手前には 手水舎があります
水は水道の蛇口から出ます

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参道の脇には 檜or杉の大木が御神木として祀られています

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石段の上には 石垣が組まれた上に神門が構えていて 山城のような感じです

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神門をくぐり抜けると 社殿が見えてきます

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殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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室町時代の建築である本殿は 国の重要文化財となっています

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社殿の向かって右手前には 神楽殿があります

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社殿の向かって右奥には 境内社と多数の石祠

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境内の向かって左手奥には 境内社の西宮神社が祀られています

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西宮神社の奥にさらに道がついていました

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西宮神社から 境内を振り返ると 御神木があります

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すぐ脇には 境内社が一宇

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 村檜神社について 所在は゛小野寺村に在す゛〈現 村檜神社(栃木市岩舟町小野寺)〉とするが これは八幡宮であり古社ではあるが゛村檜神社とおぼしき證據はなし、よく考ふべし、゛と記し

一説に゛村井村に村井女體権現社あり、一説には神名帳に載せたる村檜神社なりともいふ゛〈現 胸形神社(鹿沼市村井町)〉とする説を紹介しています

【抜粋意訳】

村檜神社

村檜は 牟良比と訓べし

〇祭神詳ならず

〇小野寺村に在す〔下野國志〕

 地名記云、譽田別天皇、下野國志云、今八幡宮を村檜神社なりと唱ふ、〔中略〕當社は鎭守府將軍 藤原秀郷朝臣、佐野唐澤山に居城を構へし時、當地は鬼門にあたりて一里許にあれば、城中鎭護のために建立する所なりと云、宮司家記にも、承平二年秀郷朝臣再建と記して、其後佐野家代々修覆を加ふるよし棟札等あり、また文治年中は、當所の住人小野寺太郞藤原通綱再建の棟札もありといへり、されば古くより鎮まりいまして、ゆえよしある社なるべけれども、村檜神社とおぼしき證據はなし、よく考ふべし、

又日、村井村に村井女體権現社あり、一説には神名帳に載せたる村檜神社なりともいふ、里長開口某か云、當所はもと村檜檜といひしを、村中に井の六ツある故に、後世村井と改めたるなりといへう、よく考ふベしと云へり、然れど今は多分の説に據て、小野寺村の方に從ふ、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 村檜神社について 所在は゛今 小野寺村にあり、八幡宮と云ふ゛〈現 村檜神社(栃木市岩舟町小野寺)〉と記しています

【抜粋意訳】

村檜(ムラヒノ)神社

今 小野寺村にあり、八幡宮と云ふ、即是也、

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 村檜神社について 所在は゛小野寺村八幡山 (下都賀郡小野寺村大字小野寺 )゛〈現 村檜神社(栃木市岩舟町小野寺)〉とするが これは゛社傅 祭神を誤りしなるべし゛と記し

一説に゛村井村なる女體権現ならん 又 村井はもと村檜なるを改めたるなり゛〈現 胸形神社(鹿沼市村井町)〉とする説を紹介しています

【抜粋意訳】

村檜神社

祭神
 今按 社傅 祭神を誤りしなるべし 下野國志 相殿に熊野山王を祀りてありと云る 熊野神疑らくは此神ならん 姑附て考を俟つ

祭日 八月十五日
社格 郷社

所在 小野寺村八幡山 (下都賀郡小野寺村大字小野寺 )
 今按 下野國誌 一説 村檜神社 同郡鹿沼驛の邊なる村井村なる女體権現ならん 又 村井はもと村檜なるを改めたるなりと云り されど確証あらねば普通の説に從へり

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

村檜神社(栃木市岩舟町小野寺)について 式内社 村檜神社としています

神社覈録を引用して 一説に゛村井村に村井女體権現社あり、一説には神名帳に載せたる村檜神社なりともいふ、里長開口某か云、當所はもと村檜檜といひしを、村中に井の六ツある故に、後世村井と改めたるなりといへう、゛〈現 胸形神社(鹿沼市村井町)〉とする説を紹介しています

【抜粋意訳】

〇栃木縣 下野國 下都賀郡小野寺村大字小野寺

郷社 村檜(ムラヒノ)神社

祭神 譽田別(ホムダワケノ)命

村檜神社 今小野寺に在り、大宮司寺内氏 社家河田氏とあり〔下野掌覧〕
社傳に云ふ、孝照天皇の大化二年の創立なりと、延喜式に都賀郡三座並小とある中の一座にして、
神社覈録には 下野國志を引き、「今八幡宮を村檜神社なりと唱ふ、〔中略〕當社は鎭守府將軍 藤原秀郷朝臣、佐野唐澤山に居城を構へし時、當地は鬼門にあたりて一里許にあれば、城中鎭護のために建立する所なりと云、宮司家記にも、承平二年秀郷朝臣再建と記して、其後佐野家代々修覆を加ふるよし棟札等あり、また文治年中は、當所の住人小野寺太郞藤原通綱再建の棟札もありといへり、されば古くより鎮まりいまして、ゆえよしある社なるべけれども、村檜神社とおぼしき證據はなし、よく考ふべし、

又日、村井村に村井女體権現社あり、一説には神名帳に載せたる村檜神社なりともいふ、里長開口某か云、當所はもと村檜檜といひしを、村中に井の六ツある故に、後世村井と改めたるなりといへう、」

神祇志料には、「今 小野寺村にあり、八幡宮と云ふ、即是也、」とあり、

以上諸説あれども今は小野寺村なるに從ふ、當社の如きは、社傳由緒として特に憑る可きものなければ、式社なるや否やは暫く疑を存じて可ならんか、明治五年郷社に列す。

社殿は本殿、拜殿・神樂にして境内貮千四百九十九坪 (官有地第一種)あり、老木鬱蒼として、就中神木と稱する古檜は周二丈餘にして中段六岐に分れ、何れも青々天に聳え・社域廣潤風趣に富めり、神實には神祇管領卜部朝臣、及新田徳紀の揮毫せる神號の扁額を蔵す。 

境内神社

住吉神社 時平神社 白山神社 東照宮 天満宮
大行司神社 稲荷神社 深津八幡宮 茂間神社 疱瘡神社
西宮神社

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

村檜神社栃木市岩舟町小野寺 (hai)」(90度のお辞儀)

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下野国 式内社 11座(大1座・小10座)について に戻る

一緒に読む
下野國 式内社 11座(大1座・小10座)について

下野国(しもつけのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 下野国には 11座(大1座・小10座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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