実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

美和神社(長野市三輪)

美和神社(みわじんじゃ)は 善光寺七社の一つとされ 長野電鉄本郷駅の西側に鎮座します 『延喜式神名帳927 AD.』信濃国 水内郡九座の筆頭に記される式内社で 三輪山をご神体とする奈良県〈大和国〉の大神神社と同じく古代の大三輪氏大神一族によって祀られたとされます 社頭には三輪鳥居が構え 美和神社付近の住所は三輪(みわ)と呼ばれています

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

美和神社(Miwa shrine)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

長野県長野市三輪8-1-2

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大物主命(おおものぬしのみこと)

》国業比(くになりひめのかみ)
   神部神(かんべのかみ)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社
・ 善光寺七社

【創  (Beginning of history)】

”心のふるさと 美和神社”

鎮座地
長野市大字三輪字相木東五一四番地

御祭神
大物主命(大国主命の和魂 にぎみたま)・相殿 國業比賣神 神部神

由緒
創立年月はあまりにも上代のことで伺い知ることはできませんが、歴史のうえに現われるのは、貞観八年(八六六年)二月の三代実録の記事に、信濃国水内郡三和神部の両神が大変怒って、兵乱や病気をはやらせる、といわれたので、朝廷は国司や講師に命じて沢山のお経を読んで神様の怒りを鎮めさせた。という事で一躍有名になる。

後、延喜年間、醍醐天皇が命じて作らせた延喜式の神名帳に当神社も記載された神社(延喜式内社)であり、我国では最古の歴史を持つ神社として認められ、氏子八ヶ町はもとより近町崇敬者の尊崇を受ける。

現在の御社殿は寛政五年(一、七九三年)の建立であり、明治六年四月に村社、昭和十年八月には縣社に昇格、今年昭和六十一年七月からは、御由緒・諸設備・維持管理が秀でていることが認められ、「献幣使参向神社」に指定、昇格する。

なお十二月十六日に謹行される、越年祭は、境内百末社石祠の全国一之宮の天神・地神の神々に対し、祝膳を捧げ、感謝の誠を尽くす御祭儀は大変特殊な神事で当社だけのものである。

祭日
一月一日 元旦祭
二月三日 節分追儺祭
四月二十七日 春季大祭
九月一日 風祭
九月二十六・二十七日 秋季大祭
十一月二十七日 新嘗祭
十二月十六日 越年祭(特殊神事)
十二月三十一日 大祓い

現地案内板より

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【由  (History)】

美和神社

信濃國水内郡有 美和神祠實延喜式所載也相傳呂為 大己貴命貞観八年二月七日神祇奏将有兵疫廻 敕國司斎式奉幣災害終不赴永禄中禁籞羅兵逐無有子遺而禋祀無懈頺址梢興令茲土人恐年序之久洒掃有闕馬廼建石呂為碑鳴呼方令名祀口廢淫祀月興持此祠之巋存可不嘉尚乎囙書薬名且聊記其由呂傳云爾
文化十一年甲戌九月朔
三位行勘解由長官菅原朝臣長親

現地石碑より

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『善光寺縁起』安政6年1859には大和三輪出身の三輪時丸が善光寺に参詣しそのまま当地に留まったこのとき大神神社の神体を奉納したので大神神社には神体がないという伝説が記されている

美和神社(みわじんじゃ)

善光寺の東方三輪に鎮座します。御祭神は大国主命で相殿に国業比売神と神服部神をおまつりしています。大国主命は大和の三輪山に祭られる大神神社の祭神と同神であることから大神族が祭った神社と考えられています。国業比売神は貞観三年神階従5位下を授けられた神。醍醐天皇の時、延喜式内名神社に選ばれ旧称三輪神社といい、安永年間に吉田神道管領家から現在の美和神社の社号を許されました。昔から医薬の神として信仰されています。
普段は閉鎖しており、お問い合わせは武井神社電話026-232-2838へ。

全国善光寺会事務局HPより
http://www.zenkojikai.com/shinetsu/s-179.html

【境内社 (Other deities within the precincts)】

青麻神社(あおそじんじゃ)《主》天照大神,天之御中主神,月読神,常陸坊海尊

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青麻神社起因

 奥州に御本社ある青麻神社は 古来より中風病退除、家内安全の守神として其霊験あらたかな事世に広く知られ信仰する患者は必ず快方に向うと言われ健康な人々は中風を除けんと全国より参詣する者多くあると云う。
 たまたま明治年間、大須賀忠右衛門と云う方が中風にかかりなかなか快方に向かわず思案していた所 知人の話に青麻神社を信仰すれば良いとすすめられ、一心に信仰いたしましたところ病気もだんだん快方に向いつつあった。
 折も折、美和神社境内に六十末社を建設するという話が持ち上がったので、忠右衛門氏も青麻神社を勧誘して美和神社境内にお社を建立し請願したところ中風も全快したのである。
 以来当青麻神社は近辺に稀な中風病退除、家内安全の守神として日々参詣があり近隣は申すに及ばず、遠方は越後方面より参詣に来られる者も多数ある様になった。

維時 昭和六十三年十月一日 宮司 斎藤吉仁謹白

現地案内板より

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縁結比乃大神の石祠

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境内百末社

境内の北側〈本殿裏〉に玉垣のように鎮座する100社程の石祠群

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

善光寺七社(ぜんこうじななしゃ)について

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善光寺には古くから七橋、七井、七清水、七塚、七小路、七社、七院の7×7=49名所があり このうち善光寺七社のこと

善光寺三鎮守湯福神社、武井神社、妻科神社の他に 善光寺と関わりの深い四社を加え七つの神社

湯福神社(ゆぶくじんじゃ)《主》健御名方命の荒魂命
武井神社(たけいじんじゃ)《主》健御名方命
妻科神社(つましなじんじゃ)《主》八坂刀売命
美和神社(みわじんじゃ)《主》大物主命
加茂神社(かもじんじゃ)《主》玉依比売命
木留神社(きとめじんじゃ)《主》健御名方命
柳原神社(やなぎはらじんじゃ)《主》健御名方命、少彦名命、誉田別命


詳しくは 善光寺七社(ぜんこうじななしゃ)の記事を参照下さい

善光寺は もともとは水内神社の社地に建てられたのではないかという説あり

善光寺境内に江戸時代まで〉鎮座した 健御名方富命彦神別神社水内大社

・善光寺 本堂の奥地に〈江戸時代まで〉鎮座した 歳神堂の跡地

・健御名方富命彦神別神社(長野市長野)

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)信濃国 48座(大7座・小41座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)水内郡 9座(大1座・小8座)
[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 美和神社
[ふ り が な ]みわの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Miwa no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

三ツ鳥居(みつとりい)三輪鳥居(みわとりい)〉について

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奈良県〈大和国〉の大神神社(桜井市三輪)が発祥とされます

大神神社(おほみわじんじゃ)のHPによれば

大神神社拝殿の奥は禁足地として普段は神職さえ足を踏み入れない神聖な場所で、禁足地と拝殿の間には結界として三ツ鳥居みつとりいと瑞垣が設けられています。
三ツ鳥居みつとりいの起源は不詳で、古文書にも「古来一社の神秘なり」と記され、本殿にかわるものとして神聖視されてきました。
この鳥居は明神型の鳥居を横一列に三つ組み合わせた独特の形式で「三輪鳥居」とも呼ばれています。中央の鳥居には御扉みとびらがあり、三輪山を本殿とすれば、三ツ鳥居みつとりいは本殿の御扉の役割を果たしていると言えます
https://oomiwa.or.jp/jinja/mitsudorii/

美和神社(長野市三輪)の祭祀発祥について

美和神社(長野市三輪)は 大神神社(桜井市三輪)の祭神 大物主命(おおものぬしのみこと)を 大神族が祀った神社と考えられています

・大神神社(桜井市三輪)

一緒に読む
大神神社(桜井市三輪)〈三輪山を〈御神体〉とする大和國一之宮〉

大神神社(おおみわじんじゃ)は 『記紀神話』に創建に関わる伝承が記されており 『延喜式』には名神大社と所載される 大和国一之宮です 古来から本殿は設けず 拝殿の奥にある三ッ鳥居を通し 三輪山〈御神体〉に祈りを捧げる原初の神祀りで 我が国最古の神社と呼ばれています 神社の社殿が成立する以前の祭祀の姿を今に伝えています 

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大神神社(桜井市三輪)の分霊(わけみたま)と思われる式内社 について

境内社 青麻神社(あおそじんじゃ)の御本社 青麻神社仙台市について

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美和神社(長野市三輪)の境内にある案内板の説明には

大青麻彦神社
 御本社は仙台市岩切青麻山にある。五五代文徳天皇の御代(仁寿二年)都人穂積保昌が諸人に麻を植えることを教え且つ日月星の青麻三光神と称し、古来より中風病退除・家内安全・商売繁盛と各地青麻神社守神として神徳高く言い伝えられた。現在は美和神社の末社である。
 長野市制百周年記念事業三輪地区実行委員会建之

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詳しくは 青麻神社仙台市宮城野区岩切青麻沢)の記事をご覧ください

一緒に読む
青麻神社(仙台市宮城野区岩切)〈青麻岩戸三光宮〉

青麻神社(あおそじんじゃ)は 社伝によれば 仁寿2年(852)現社家の祖 穂積保昌が 都よりこの地に来て 土民に麻の栽培を教え 一族の尊崇する日月星の三光神を窟中に奉祀したのが青麻岩戸三光宮の創始で 天和2年(1682)に常陸坊海尊(長寿伝説)が下野国(栃木県)出流山大日窟よりこの地に至り霊験を顕し中風病退除の神として 各地に青麻神社が広まりました

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

善光寺七社の一つとされ 長野電鉄本郷駅のすぐ西側に鎮座します

美和神社(長野市三輪)に参着

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一礼をして三ツ鳥居(みつとりい)くぐります
脇には 社号標が立ち「郷社 美和神社」と刻まれています

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石畳み参道が伸びていて 高い石組の上に狛犬が構えています

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左手〈西側〉に案内板と社号標「延喜式内 美和神社」とあります

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拝殿にすすみます 

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿には 奉納「和算額」懸けられています

下の算額説明には1問から3問までの解説が書かれています

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拝殿の向かって左手には 鳥居が建ち 縁結比乃大神の石祠

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その奥には 青麻神社 さらに奥には 境内百末社

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拝殿の奥には 幣殿〈白壁の覆屋の中に〉本殿が鎮座します

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

貞観三年には 國業比賣神(くになりひめのかみ)に 神階の奉授

貞観八年には 兵疾の災いを防ぐため 朝廷による三和神・神部神の両神への奉幣読経が記されています

【抜粋意訳】

貞觀三年(八六一)二月七日辛亥〉の条

授(さずく)
信濃 正六位上 國業比賣神(くになりひめのかみ)に 從五位下

貞觀八年(八六六)二月七日癸丑〉の条

神祇官奏言 信濃 水内郡(みのちのこおり)三和 神部兩神 忿怒之心 しと兵疾之を 勅すを 國司講師 至誠潔奉幣を 讀金剛般若巻 般若心巻を 謝神怒せよ兵疾

信濃国水内郡の・三和・神部の両神が大変怒って 兵乱や病気をはやらせる といわれたので 朝廷は国司や講師に命じて 沢山のお経を読んで神の怒りを鎮めさせた

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

美和神社(長野市三輪)に (hai)」(90度のお辞儀)

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

信濃国 48座(大7座・小41座) に戻る

一緒に読む
信濃國 式内社 48座(大7座・小41座)について

信濃国(しなののくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 信濃国(しなののくに)には 48座(大7座・小41座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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