実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

御谷神社(長岡京市浄土谷宮ノ谷)〈『延喜式』御谷神社〉

御谷神社(みたにじんじゃ)は 延喜式内社 山城國 乙訓郡 御谷神社(みたにの かみのやしろ)と伝わります 鎮座する浄土谷宮ノ谷の一帯は 平安時代以前に開かれたらしく「観音檀(かんのんだん)」からは九世紀の千手観音立像が出土し「釈迦(しゃか)ん谷」「たいこん堂」「欄杆房(なんかぶ)」などの地名も残っています

Please do not reproduce without prior permission.

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

御谷神社(Mitani shrine

通称名(Common name)

近世以前は「五社大明神」

【鎮座地 (Location) 

京都府長岡京市浄土谷(じょうどだに)宮ノ谷(みやのたに)3

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天屋根命(あめのこやねのみこと)
   應神天皇(おうじんてんのう)
   別雷神(わけいかづちのかみ)
   倉稲魂神(うかのみたまのかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『大日本史』に記される内容

【抜粋意訳】

御谷神社

○今在 浄土谷村 御谷谷

【原文参照】

Please do not reproduce without prior permission.

『旧都巡遊記稿』に記される内容

【抜粋意訳】

乘願寺

 同村字淨土谷にあり淨土宗にして本堂は南面し中央に惠心僧都作の本尊 阿彌陀佛の坐像丈け八尺を安置し左右は善導圓光二大師の像なり本尊の背部に一尺四方許の扉ありて内に阿彌陀佛の小像を安置し之を御腹彿と云 前に不動尊の像あり

御谷神社

 乘願寺の東に隣る式内の村社にして祭神は伊勢 加茂 八幡 稻荷の四所なり

【原文参照】

[秋元興朝] [著] ほか『旧都巡遊記稿』近郊之部 貞之二,秋元春朝,大正7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3436290

[秋元興朝] [著] ほか『旧都巡遊記稿』近郊之部 貞之二,秋元春朝,大正7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3436290

【由  (History)】

乗願寺(じょうがんじ)

 西山(せいざん)浄土宗 光明寺(こうみょうじ)の末寺。西山の大仏(おおぼとけ)とも言う。

 寺縁起によれば、天延年中(九七三~九七六)に恵心僧都(えしんそうず)がこの地で修行中に阿弥陀仏の来迎を拝み、その姿を写して仏像を刻み草庵を結んだのが同寺の始まりと言う。

 この浄土谷の一帯は、平安時代以前に開かれたらしく、「観音檀(かんのんだん)」からは九世紀の千手観音立像が出土した。そのほか式内社(御谷(みたに)神社)があり、釈迦(しゃか)ん谷」「たいこん堂」「欄杆房(なんかぶ)」などの地名も残っている。「本朝新修往生伝(ほんちょうしんしゅうおうじょうでん)」には、平安時代末の阿弥陀信仰者の姿が伝えられ、往時の浄土信仰の様子がうかがえる。

 本尊の阿弥陀如来坐像は平安時代後期の作で、丈六(高さ二、八メートル)の巨像で大仏と言われ、京都府の指定文化財となっている。

 長岡京市観光協会
 ㈳京都府観光連盟

現地立札より

Please do not reproduce without prior permission.

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・〈南隣接する〉乗願寺

Please do not reproduce without prior permission.

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城國 122座(大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)乙訓郡 19座(大5座・小14座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 御谷神社
[ふ り が な ](みたにの かみのやしろ)
[Old Shrine name]MItani no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「みたにの かみのやしろ」について

「みたにの かみのやしろ」と読まれる神社は二ヶ所あります
①山城國 乙訓郡 御谷神社(みたにの かみのやしろ)
②因幡國 法美郡 美歎神社(みたにの かみのやしろ)
各々の論社について

延喜式内社 山城國 乙訓郡 御谷神社(みたにの かみのやしろ)

・御谷神社(長岡京市浄土谷宮ノ谷)

一緒に読む
御谷神社(長岡京市浄土谷宮ノ谷)〈『延喜式』御谷神社〉

御谷神社(みたにじんじゃ)は 延喜式内社 山城國 乙訓郡 御谷神社(みたにの かみのやしろ)と伝わります 鎮座する浄土谷宮ノ谷の一帯は 平安時代以前に開かれたらしく「観音檀(かんのんだん)」からは九世紀の千手観音立像が出土し「釈迦(しゃか)ん谷」「たいこん堂」「欄杆房(なんかぶ)」などの地名も残っています

続きを見る

延喜式内社 因幡國 法美郡 美歎神社(みたにの かみのやしろ)

・美歎神社(鳥取市国府町美歎)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

阪急京都線 西山天王山駅からR478号・府道79号経由で西へ約4.1km 車での所要時間は11~15分程度

それ程の遠隔地ではありませんが 人里離れた山間にある小さな集落といった感のある浄土谷宮ノ谷です

社殿 境内 鳥居は南を向いています

御谷神社(長岡京市浄土谷宮ノ谷)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて 境内に進むと 石灯籠には近世以前の呼称「伍社大明神」と刻字があります

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿にすすみます
ほんの数年以前までは この境内の中央辺りに舞殿〈拝殿〉が建てられていたようです

Please do not reproduce without prior permission.

社殿の前の石段を上がります

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

社殿に一礼をして 境内を戻ります

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 御谷神社について 所在はよくわからない

山城志によれば 所在は゛或は浄土谷村に在す、今 五社とすと云り、゛〈現 御谷神社(長岡京市浄土谷宮ノ谷)〉と記していますが 尚良く考えるべきも 添えてあります

【抜粋意訳】

御谷神社

御谷は美多爾と訓べし

○祭神詳ならず

○在所分明ならず

 山城志に、或は浄土谷村に在す、今 五社とすと云り、猶考ふべし、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 御谷神社について 所在は゛ 淨谷村にあり五社といふ、゛〈現 御谷神社(長岡京市浄土谷宮ノ谷)〉と記しています

【抜粋意訳】

御谷(ミタニノ)神社、

 淨谷村にあり五社といふ、〔山城志、式社考證、

【原文参照】

Please do not reproduce without prior permission.

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 御谷神社について 所在は゛淨土谷村字御谷ノ谷(乙訓郡海印寺村大字淨土谷)゛〈現 御谷神社(長岡京市浄土谷宮ノ谷)〉と記しています

【抜粋意訳】

御谷神社  五社神社

祭神
祭日 九月九日
社格 村社

所在 淨土谷村字御谷ノ谷(乙訓郡海印寺村大字淨土谷)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

御谷神社(長岡京市浄土谷宮ノ谷) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

山城国 式内社 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)について に戻る

一緒に読む
山城國 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)

山城国(やましろのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 山城国 の122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)の神社のことです

続きを見る

  • B!

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています