三瓶山神社(みかめやまじんじゃ)は 承暦永保(1077~1084年)の頃 三瓶山麓に野獸が多く村民が苦しんだので 源頼義の臣の平吉義が農鎌を以て退治し この鎌を神體として熊野三社を勧請鎮祭し 鎌は今でも殿内に奉遷と云う 延喜式内社 石見国 安濃郡 佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)の論社でもあります
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
三瓶山神社(Mikameyama shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
島根県大田市三瓶町小屋原224番地
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》伊邪那美命(いざなみのみこと)
速玉男之命(はやたまのをのみこと)
事解男之命(ことさかのをのみこと)
《配》八束水臣津野命,大国主命,大己貴命,少彦名命,須勢理姫命,金山比古命,金山比売命
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
三瓶山神社(元・佐比賣山神社)由来書
往昔、少名彦命、大己貴命、八束水臣津野命の國造りの際 伯耆大神山と此の石見國佐比賣ヶ嶽を両端の杭として國曳きに因いて國土を拡め給い 正しく治められたので 御神徳を讃え 此の三柱の命を主神として祀り 延喜二年(九〇二年)には 正四位下を授けられる。
明治四年には別に鎮座されていた 延久四年 西暦一〇七二年鎮座 伊弉冉命、他二神を祀る別宮を合併し 明治八年従来の佐比賣山が三瓶山となったので 三瓶山神社と改称し村社に指定された。
因に旧陸軍参謀本部の明治五年制作の精密地図には 石見國では 物部神社、志都岩屋神社、柿本神社、稲抓神社と この佐比賣山神社の五社た が記載され今日に至っている。古は牛馬や農耕の神として 遠近からの参詣が多かったようであるが 昭和十年一月二十日正午 大雪の中 本殿 幣殿 拝殿ことごとくを炎上し 御神体以外の古記録 宝物 什器など一物も残さず灰燼に帰したのは まことに畏れ多い事であった。
尚 大三瓶 小三瓶 西の原から姫ヶ池に至るまで六○○町歩余りの山野が昭和二十二年国有地になるまでは 従来の小屋原村有であり 当所に国引の神が鎮座されたのも 故無しとせずである。
全国の神社は八万座あり 石見国では四四五座、内 延喜式内社は三四座であるが 三瓶山神社はその一社であって 吾々は誠に由緒ある誇高き氏神を奉戴して居るのであります。
氏子として 今後一層の神社護符に努め 国運の興隆に また郷土の発展に励みましょう
現地案内板より
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【由 緒 (History)】
御由緒
当社は人皇七一二代白河天皇御宇承暦永保の頃、三瓶山の麓に野獣の繁殖多く人畜に被害を蒙り、当時源頼義家臣平吉助逃走し此の地に来り。
勇猛の士にして里人の嘆声を隣み農民の使用せし鎌を以て野獣を退治せり。其鎌を正体として熊野三社を勧請鎮祭す。之れ即ち三瓶山神社是なり。
鎌今に殿内に奉遷しあり。
明治八年九月村社に列せらる。明治四十一年十一月神饌幣帛供進を指定せらる。
2022おおだ神社めぐりHPより
https://jinja-ohda.com/mikameyamajinja/
『安濃郡誌』に記される内容
【抜粋意訳】
第二編 各町村誌 佐比賣村
三瓶山神社 小屋原吉助山鎭座
祭神 伊册那美命、速玉男之命、事解男之命
承暦永實の頃 三瓶山麓に野默 蕃殖し害を爲す時に 源賴義の家臣平吉逃れて此地に來る、勇猛の士にして 里人の歎を憐み農鎌を以て野獸を退治せり 此鎌を神體として熊野三神を合せ祀る 其鎌 今猶ほ殿内に奉安す。
【原文参照】
島根県安濃郡 編『安濃郡誌』,島根県安濃郡,大正4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/932614
『日本民俗学辞典』[本編]に記される内容
【抜粋意訳】
カマシンタイ〔鎌神體〕
石見安濃郡三瓶山神社は小屋原吉助山に鎭座し、祭神は熊野神と同じである。
承暦の頃 野獸が多く村民が苦しんだので、源頼義の臣の平吉義が農鎌を以て退治し、此鎌を神體として祭ったもので鎌は今でも在る(同郡誌)。・・・
・・・
【原文参照】
中山太郎 編『日本民俗学辞典』[本編],昭和書房,昭和8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1443868
『国体と民俗』に記される内容
【抜粋意訳】
上代の農耕儀禮と民族 吾邦の農業起源の考證
農具
・・・
・・・石見安濃郡の三瓶山神社も、蔭摩伊佐那原田村の諏訪神社も、理由に多少の相違はあるが、共に鎌を神體として居る。
・・・
・・・
【原文参照】
中山太郎 著『国体と民俗』,東洋堂,昭和17. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/146002
中山太郎 著『国体と民俗』,東洋堂,昭和17. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/146002
中山太郎 著『国体と民俗』,東洋堂,昭和17. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/146002
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)石見國 34座(並小)[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)安濃郡 10座(並小)[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 佐比賣山神社
[ふ り が な ](さひめやまの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Sahimeyama no kamino yashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の
石見国 安濃郡「佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)」の論社について
三瓶山(さんべさん)の古名は「佐比賣山(さひめやま)」と云い
『出雲國風土記〈編纂733年〉』には 国引き神話の杭に見立てられた「佐比賣山(さひめやま)」として記載されています
奈良時代の二字好字令によって「三瓶山」となったと云います
三瓶山〈佐比賣山〉の山麓には 湧水が8ヶ所あり その湧水ごとに集落があって それぞれの集落に三瓶山〈佐比賣山〉を祀る神社〈八面神社〉が 寛平年間(889~898年)に創建されたと伝わっています
①志学村(八面神社)②久部村③池田村三瓶谷④多根村⑤山口村藤木⑥角井村⑦角井村秩木⑧上山村(本宮神社)
現在 佐比賣山神社の論社は 6つ あります
・佐比賣山神社(大田市三瓶町多根)
佐比賣山神社(さひめやまじんじゃ)は 『延喜式神名帳(927年編纂)』所載の石見国 安濃郡 佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)の論社です 『出雲國風土記733 AD.』の国引き神話では くにを引き寄せた「綱」が「薗の長浜(そののながはま)」この綱を繋ぎ止めた東の杭が「佐比賣山(さひめやま)〈三瓶山〉」とされます
佐比賣山神社(大田市三瓶町多根)〈『延喜式』佐比賣山神社〉
・佐比賣山神社(大田市鳥井町鳥井)
佐比賣山神社(さひめやまじんじゃ)は 寛平3年(891)美濃国石破郡石破関より勧請され 元々は 大字烏井字杵島山に鎮座し厳島大明神と云ったとある 明治四十年(1907)海岸の丘上〈現在地〉に奉遷 八幡宮へ合併し社号を佐比賣山神社としました 延喜式内社 石見国 安濃郡 佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)の論社です
佐比賣山神社(大田市鳥井町鳥井)〈『延喜式』佐比賣山神社〉
・高田八幡宮(大田市三瓶町池田)
〈相殿の佐比賣山神〉
高田八幡宮(たかたはちまんぐう)は 寛喜二年(1230)山城國 綴喜郡 男山八幡宮より勧請したと云う 又 相殿に祀られる佐比賣山神は 明治四十年(1907)四月 佐比賣村 同大字の佐比賣山神社が本社に合併されたもので 延喜式内社 石見国 安濃郡 佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)の論社とされます
高田八幡宮〈相殿 佐比賣山神〉(大田市三瓶町池田)〈『延喜式』佐比賣山神社〉
・八面神社(大田市三瓶町志学)
〈式内論社〈三瓶大明神〉八面神社(久部)を明治39年合祀〉
八面神社(やおもてじんじゃ)は 三瓶山〈佐比賣山〉の山麓に八ヶ所の湧水があって 湧水ごとに八つ集落があり 三瓶山〈佐比賣山〉を祀る八つの神゛八面神社゛が創建された〈寛平年間(889~898年)〉と伝わっています 延喜式内社 石見国 安濃郡 佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)の論社です
八面神社(大田市三瓶町志学ロ)〈『延喜式』佐比賣山神社〉
・三瓶山神社(大田市三瓶町小屋原)
三瓶山神社(みかめやまじんじゃ)は 承暦永保(1077~1084年)の頃 三瓶山麓に野獸が多く村民が苦しんだので 源頼義の臣の平吉義が農鎌を以て退治し この鎌を神體として熊野三社を勧請鎮祭し 鎌は今でも殿内に奉遷と云う 延喜式内社 石見国 安濃郡 佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)の論社でもあります
三瓶山神社(大田市三瓶町小屋原)〈『延喜式』佐比賣山神社〉
・本宮神社(大田市三瓶町上山)
〈本殿合祀or境内社 八面神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR山陰本線 大田駅から県道30号経由で東南方向へ約15.7km 車での所要時間は25~30分程度
県道30号から県道286号へと進み 三瓶町小屋原の集落に入ると道幅が狭まってきました
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車一台が通れるような道を進むと 参道の入口には 鳥居が建てられています
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鳥居の辺りに わずかなスペースがあり ここに車を置いて歩くことをお勧めします
私はそのまま 1000cc小型車のレンタカーで侵入しましたが びくびくしながら通行する羽目になりました(なぜならば 後戻りできないので)
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その先に 何とか空地があり Uターンできると ホッとして ここに車を止めて
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石段があり 鳥居が見えました
三瓶山神社(大田市三瓶町小屋原)に参着
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石段を上がると 社頭の鳥居が建てられています
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鳥居の扁額には゛三瓶山神社゛と刻字がされています
一礼をして 鳥居をくぐり抜けます
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拝殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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社殿は 拝殿の奥に本殿が祀られています
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社殿に一礼をして 参道を戻ります
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車に乗り込み 再び細い農道の参道を戻ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 佐比賣山神社について ゛祭神在所詳ならず゛祭神・所在ともに不明 と記しています
その上で所在について三説ありとして
゛飯石郡佐比賣山、石見與に出雲二國堺゛〈現 佐比賣山神社(大田市三瓶町多根)〉
゛池田村 三瓶八面大明神゛〈現 高田八幡宮〈相殿の佐比賣山神〉(大田市三瓶町池田)〉
゛邇摩郡鳥井村゛〈現 佐比賣山神社(大田市鳥井町鳥井)〉
【抜粋意訳】
佐比賣山神社
佐比賣は假字也、山は夜萬と訓べし
〇祭神在所詳ならず
出雲風土配云、飯石郡佐比賣山、石見與に出雲 二國堺、
〇今社號を稱する處 三社あり、
池田村 三瓶八面大明神、祭神 饒速日命、猿田彦大神、面足尊、大國主神、金山彦命、少彦名命、武甕槌命、木花開耶姫命〔以上〕
式社考、又 邇摩郡鳥井村、祭神 金山彦命、金山姫命、〔以上〕
未孰れ是なるをしらず、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 佐比賣山神社について 所在は゛今 多根村にあり゛〈現 佐比賣山神社(大田市三瓶町多根)〉と記しています
【抜粋意訳】
佐比賣山神社
〔〇按 出雲風土記、飯石郡 佐比賣山は、石見 出雲の界也とみえ、石見國、安濃郡に三瓶山ありて、出雲飯石郡に接けり、今所謂 三瓶山は古の佐比賣山也、姑附て考に備ふ、〕
今 多根村にあり、〔濱田縣神社取調書〕蓋 大已貴命を祀る、
傳云 昔 大已貴命 少彦名命 須勢理命 伯耆國、大神山に御坐し、次 出雲國由来郷に来坐して、百姓に鋤鍬を授て、農事を教 <給ふ、其地を田鍬と云ふ、夫より、琴引山に登り坐し、次に石見の佐比賣山に至り池を作り樋を掛けて 稲種を蒔き、民に鋤鍬を授給ふ、故此里を田根と云ふ、〔出雲飯石郡 多倍神社社傳〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 佐比賣山神社について 所在は゛多根村〔中積〕(安濃郡佐比賣村大字多根)゛〈現 佐比賣山神社(大田市三瓶町多根)〉と記しています
ただし゛八面社八社の内 二社は出雲國 六社は石見國に在り゛として諸説を゜挙げています
゛多根村゛〈現 佐比賣山神社(大田市三瓶町多根)〉
゛池田村゛〈現 高田八幡宮〈相殿の佐比賣山神〉(大田市三瓶町池田)〉
゛小屋原村゛〈現 三瓶山神社(大田市三瓶町小屋原)〉
゛烏井村゛〈現 佐比賣山神社(大田市鳥井町鳥井)〉
゛佐比賣山 西南の麓 久部と云所にも三瓶大明神あり゛〈現 八面神社(三瓶町志学)明治39年に合祀 久部の八面神社〉
゛邑智郡糟淵村にも八面神゛〈現 八面神社(三瓶町志学)〉
【抜粋意訳】
佐比賣山神社
祭神 大已貴命 少彦名命 須勢理姫命
祭日 十一月三日
社格 村社所在 多根村〔中積〕(安濃郡佐比賣村大字多根)
今按 本社の事 此宅池田村 小屋原村 烏井村等に類社ありて 式社と昌ふれ共
鳥井村の方は美濃國不破郡より遷して金山彦命 金山姫命とし 又 正徳三年の棟札には嚴島大明神とあるよしなれは違へりとすへし
宗雄云 今 佐比賣山 西南の麓 久部と云所にも三瓶大明神ありて少か離れて蘇勢理杜と云傳へたるかあり 邑智郡糟淵村にも八面神 世々利姫明神と唱ふる小社あり 扨 佐比賣山の周に八面社とて八社あり 此山に深き御謂れある事のよし語り傅ふ されば上の八面神は佐比賣山神なる又 出雲國飯石郡由來郷 多陪神社社傳に大已貴命 少彦名命 須勢理姫命の三神 伯耆國大神山に御幸坐し 次に出雲國由來郷に來坐て百姓に勘鍬を授け業を教へ給ふ其地を田鍬と云 田鍬社あり 夫より琴引山に登坐し 次に石見國 佐比賣山に到坐て 池を作り樋を掛けて稲種を蒔き また鍬助を授け給ふ此里にも田鍬と云地ありとある みな事實にかなへり云々
さて又 上の八面社八社の内 二社は出雲國 六社は石見國に在り 此六社の内にて何れを式社と定め難けれど 村名を多根と云は彼の稻種より起り 本國美濃郡 佐比賣山神社は此社を移したるものにて 其所にも近く種村あるを以て此所の多根村なるそ本社にて式内ならんと思はるる〔以上 採意〕とあるを本縣注進文は此考に據れりと見えて多根村とすれば姑く之に従ふへし
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
三瓶山神社(大田市三瓶町小屋原)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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石見国 式内社 34座(並小)について に戻る
石見国(いわみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 石見国には 34座(並小)の神々が坐します 現在の論社についても掲載しています
石見國(いわみのくに)の 式内社 34座(並小)について