圓田神社(まるたじんじゃ)は 『神社明細帳』によると 天應元年(781)四月の創立 社殿は大同二年(807)飛騨の内匠の作と伝える 丸田を中心に名立谷に勢力をもつた有力氏族が奉斎したのであろうとされます 延喜式内社 越後國 頸城郡 圓田神社(まろた〈えんた〉の かみのやしろ)です
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
圓田神社(Maruta shrine)
【通称名(Common name)】
・園田神社(えんたじんじゃ)
【鎮座地 (Location) 】
新潟県上越市名立区丸田(まるだ)字宮ノ下476番地
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》道臣命(みちのおみのみこと)
《配》大己貴命(おほなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
『西頸城郡誌』昭和5年に記される内容
【抜粋意訳】
名立村
字社と稱すべきものゝ內 丸田円田神社は遠く天應年中の創立に係り 延喜式內頸城十三社の一たる 道臣命を祀る。(郡地理歴史編纂資料)
円田神社 丸田
神名帳考證によれば 円田神社 今在 丸田村去高田南四里也、
姓氏錄云、日臣命(一名道臣命)九世孫全村大連之後也と名立町の南一里 名立川の西岸丸田にあり、天應元年の勧請にして式内社たり、景勝公より奉納せし連歌の一軸あり 社殿は大同中 飛騨工匠の作に係る古雅賞すべし。(名立案內)圓田 今 名立村の大字にして 丸田に作る式内 圓田神社 此に在り 寬保年中に記せる傳記あれど採るに足らす。(大日本地名辞書)
【原文参照】
新潟県西頸城郡教育会 編『西頸城郡誌』,新潟県西頸城郡教育会,昭和5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1213052
【由 緒 (History)】
『越佐史料』巻1,大正14-15年に記される内容
【抜粋意訳】
圓田神社
神名帳考證云、今在に丸田村、去 高田南四里、祭 日臣命、
姓氏錄云、仲丸子日臣命 七世孫 金村大連之後也とあり、右丸田村は江崎郷名立谷の内なり、
神名帳祕釋に、圓田の訓米利多とあれば、上件の説に随ふべき歟、
北越太平記に、丸田伊豆守と云者 糸魚川城主なりと、由ありげなる氏なり、又 丸田左京進清盆と云も見えたり〔但姓氏錄仲丸子を緣に、圓田神社 祭神を日臣命又名道臣命と爲し ならば、いかがあらむ。〕
【原文参照】
高橋義彦 編『越佐史料』巻1,高橋義彦,大正14-15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1020551
『式内社調査報告第十六・十七巻』に記される内容
【抜粋意訳】
『神社明細帳』によると、天応元年(七八一)四月の創立で、社殿は大同二年(八〇七)、飛騨の内匠の作と伝える。丸田を中心に名立谷に勢力をもつた有力氏族が奉斎したのであろう。
『式内圓田神社御由緒大累』によると、 寛治年中(一〇八七~九四)、奥州後三年の役の際、鳥海彌三郎が鎌倉権五郎景政に追はれて逃亡し、守り神 少彦名命の御神体を当社に納め、自らは付近の池に入水して果てたといふ。大永二年(一五二二)、神告により合祀したとのことである。
【原文】
『式内社調査報告第十六・十七巻』式内社研究会編纂1976年より
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・〈境内社〉稲荷神社《主》倉稲魂命
圓田神社公式インスタグラムより
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・兼務社もあわせ13社を兼業
圓田神社公式インスタグラムより
「延喜式内 圓田(まるた)神社の公式アカウントです。新潟県上越市名立区丸田(まるだ)に鎮座し、兼務社もあわせ13社を兼業しながらお守りしています。社家である我が家だけでお守りしている特別な神社です。」
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越後國 56座(大1座・小55座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)頸城郡 13座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 圓田神社
[ふ り が な ](まろた〈えんた〉の かみのやしろ)
[Old Shrine name](Marota〈enta〉 no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』に「まろたの かみのやしろ」と所載される式内社について
延喜式内社 越後國 頸城郡 圓田神社(まろた〈えんた〉の かみのやしろ)の論社
・圓田神社(上越市名立区丸田)
圓田神社(まるたじんじゃ)は 『神社明細帳』によると 天應元年(781)四月の創立 社殿は大同二年(807)飛騨の内匠の作と伝える 丸田を中心に名立谷に勢力をもつた有力氏族が奉斎したのであろうとされます 延喜式内社 越後國 頸城郡 圓田神社(まろた〈えんた〉の かみのやしろ)です
圓田神社(上越市名立区丸田)〈『延喜式』圓田神社〉
・圓田神社(上越市柿崎区岩手)
圓田神社(えんたじんじゃ)は 神代の昔 大己貴神が国土平定に高志に来た時 圓田沖に船を入れ龍ケ峰に船を繋ぎ上陸 郷民は龍ケ峰に一祠を建て奉斎創始 天武天皇(676年)巡察使中臣清麿が當社に参拜 從來の石祠から社殿を建立と口碑に伝わる 延喜式内社 越後國 頸城郡 圓田神社(まろた〈えんた〉の かみのやしろ)の論社です
圓田神社(上越市柿崎区岩手)〈『延喜式』圓田神社〉
延喜式内社 丹後國 熊野郡 丸田神社(まろたの かみのやしろ)の論社
・丸田神社(京丹後市久美浜町甲山亀石)
丸田神社(まるたじんじゃ)は 第11代 垂仁天皇の時代 川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)によって建立されたと伝わります 神体山 甲山(カブトヤマ)山上の〈式内社〉熊野神社を奥宮とし 里宮として大膳職(食物)の神を祀られた 延喜式内社 丹後國熊野郡 丸田神社(まろたの かみのやしろ)です
丸田神社(京丹後市久美浜町甲山亀石)〈『延喜式』丸田神社〉
・蛭子神社&奥宮〈末社〉丸田神社(京丹後市久美浜町関家ノ上)
蛭子神社(ひるこじんじゃ)は 関地区の氏神で 奥宮〈末社〉丸田神社(まるたじんじゃ)〔境内に合併とも〕は 創立年代等不詳ですが 往古 七ケ村の氏神であったと伝わります「丸田神社は奥宮」「蛭子神社は里宮」の関係にあり 奥宮〈末社〉丸田神社は 延喜式内社 丹後國 熊野郡 丸田神社(まろたの かみのやしろ)の論社とされます
蛭子神社&奥宮〈末社〉丸田神社(京丹後市久美浜町関家ノ上)〈『延喜式』丸田神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
日本海ひすいライン 名立駅から県道245号を南下して約5km 車での所要時間は8~10分程度
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名立川を遡るように南下して 丸田地区に入ると棚田が綺麗に並んでいます
参拝日は 5/5田植えの頃でした
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県道245号から西側の山に 圓田神社が鎮座しますので 上り坂の途中から東方向の景色です
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上り坂の途中に 参道の石段らしきものがありました
しかし 車道の上り坂の道幅も狭く 周囲には 駐車スペースはありませんでしたので そのまま上り坂をあがります
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上り坂を上がり切ると 神社の裏手に通じていました 車一台分のスペースがありましたので停めます
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裏手にも鳥居が設けられていて 裏からの裏参道となっています 右手に見えているのが本殿の覆い屋となります
圓田神社(上越市名立区丸田)に参着
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鳥居をくぐり抜けて振り返ると
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裏手から境内に入ると 境内の前面に 東方向を向いて鳥居が建っています
表参道からの鳥居でしょう
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東を向いている鳥居の先は 斜面となっています 斜面には棚田が作られています
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植え込みがあり 細い石段の参道となっています おそらく 先程 上り坂の途中に 参道の石段らしきものがありましたが その石段が表参道で そこを上がってくると ここに通じている筈です
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これ以上は表参道を戻らずに 境内を振り返ると
見事な鳥居に「圓田神社」と記されていて 鳥居と同じく東を向いて拝殿が建てられています
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石燈籠の先にある 拝殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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写真でもお分かりの様に このような山の中の境内であるのに 枯葉一つ落ちていません きれいに掃き清められた境内 手入れされている社殿に 心が安らぎます
社家があり 立派に奉斎されていることがわかりました
圓田神社公式インスタグラムより
「延喜式内 圓田(まるた)神社の公式アカウントです。新潟県上越市名立区丸田(まるだ)に鎮座し、兼務社もあわせ13社を兼業しながらお守りしています。社家である我が家だけでお守りしている特別な神社です。」
https://www.instagram.com/maruta_shrine_official/
表参道の鳥居に一礼をしてから 社頭の方向を振り返ります
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社殿に一礼をしてから 裏手の参道へと戻ります
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行きに来た上り坂を 帰りは当然 下って行きます
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下り坂からの景色は 絶景です
南方には 雪をかぶった 火打岳と新潟焼山が見えます
想わず 息をのみ込むような美しさでした
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 圓田神社について 所在は゛名立谷丸田村に在す゛〈現 圓田神社(上越市名立区丸田)〉と記しています
【抜粋意訳】
圓田神社
圓田は麻呂多と訓べし
○祭神 日臣命〔風土記節解〕
○名立谷丸田村に在す、〔案内〕
類社
丹後國 熊野郡 丸田神社
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 圓田神社について 所在は゛今 九田村宮下に在り゛〈現 圓田神社(上越市名立区丸田)〉と記しています
【抜粋意訳】
圓田(マロタノ)神社、
今 九田村宮下に在り、
凡 其祭三月十三日 九月廿九日を用ふ、〔式社案内記、神名帳考証、式社考証、〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 圓田神社について 所在は゛丸田村 (西頸城郡名立町大字丸田)゛〈現 圓田神社(上越市名立区丸田)〉と記しています
又 ゛同郡 岩手村八幡宮を當社なりと云゛〈現 圓田神社(上越市柿崎区岩手)〉とする説もあるが 確かな証拠がなく採用できないと記しています
【抜粋意訳】
圓田神社
祭神 道臣命
今按 社傳 祭神 道臣命に大巳貴命 少彥名命とあり 此神社の略傳記と云は しとけなきものなれど 道臣命を祭り 其今の神官の祖に大伴宿禰能次 また能久と云が 本社の神主として仕奉れる事を かつかつ記せるも由緣あり 越後風土記節解の説も同じければ證とすべと
祭日 三月十三日 九月二十九日
社格所在 丸田村 (西頸城郡名立町大字丸田)
今按 同郡 岩手村八幡宮を當社なりと云は たしかなる證あるにあらねばとらず
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
圓田神社(上越市名立区丸田)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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越後国(えちごのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 越後国には 56座(大1座・小55座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
越後國(えちごのくに)の 式内社 56座(大1座・小55座)について