摩氣神社(まけじんじゃ)は 社伝には「嵯峨天皇御宇 弘仁二年(812) 僧空海の勧請せし所にして 摩氣郷十一ヶ村の總氏神たりといふ」とあるが『新抄格勅符抄』には「稱徳天皇 神護景雲四年(770)神封一戸を奉ず」とあり 奈良時代以前の創建と推測されます 延喜式内社 丹波國 船井郡 麻氣神社〔名神大〕(まけの かみのやしろ)です
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
摩氣神社(Make shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
京都府南丹市園部町竹井字宮ノ谷1
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大御饌津彦命 (おほみけつひこのみこと)
〈天児雲根命(あめのこやねのみこと)の御子神 天忍雲根神(あめのおしくもねのかみ)の別称〉
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・ 国史記載社〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』)に記載されている神社〉
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
摩氣(まけ)神社
摩氣神社は「延喜式」神名帳にその名がみえ、船井郡の名神大社と記されている。摩氣郷十一ヶ村の総社とされ、本殿は北を向いて建てられている。永歴三年(1079)白河天皇が当社に行幸された折、社殿一円修造の上、「船井第一摩氣大社」の勅額を賜ったと伝えられる。江戸時代には園部藩主 小出氏の累代の祈願所となった。宝暦十一年(1761)に火災に遭ったが、その六年後には、藩主 小出英持によって本殿・摂社などが再建された。
当神社の主な例祭は、六月に行われる「お田植祭り」や十月中旬に行われる「神幸祭」などがある。
祭神 大御饌津彦命(おおみつけひこのみこと)
文化財指定
京都府指定文化財〔昭和五十九年(1984)〕
本殿 一間社流造、こけら葺
東摂社 桁行二間、梁行一間、一重、切妻造、こけら葺
西摂社 桁行三間、梁行一間、一重、切妻造、こげら葺
附 覆屋、三棟〔明和四年(1767)〕京都府登録文化財〔昭和五十九年(1984)〕
絵馬舎 桁行二間、梁行一間、一重、入母屋造、妻入、鉄板葺〔明和四年(1767)〕
神門 三間一戸八脚門、入母屋造、銅板葺〔文化五年(1808)〕
鳥居 石造明神鳥居〔寛文十二年(1672)〕京都府決定摩氣神社環境保全地区〔昭和五十九年(1984)〕
本殿・摂社
本殿は大型の一間社流造で丹波のみならず京都府下においても、規模の大きさからいって一間社としては最大のものである。
・・・
・・・〈略〉
・・・平成二十一年三月 南丹市教育委員会
現地案内板より
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【由 緒 (History)】
摩氣神社 由緒
当社は延喜式内の名神大社で(延喜式三及十、名神祭二百八十五座の中の大社)、祭神は大御饌津彦神(おうみけつひこのかみ)である。
昔は摩気郷11ケ村の総氏神であったので摂社にこれを祀る。
称徳天皇の神護景雲4年(770)勅して神封1戸を充て給い 文徳天皇の仁寿2年11月(852)勅使を遣わされて幣帛を奉られ 清和天皇貞観元年正月(859)神位従五位上を賜った。
醍醐天皇の朝、延喜の制により名神大社に列せられ〔注〕祝部(はふり)をおいて奉仕せしめられた。〔注〕名神大社とは名神祭にあずかった神社に対して名付けられた名称で、官国幣の大社中、年代も古く由緒正しく崇敬の深厚な神祇を選んで特に奉称したものである。名神大社の中、往古国家の事変に際し祈願のため奉幣して神祇官を遣わす臨時勅祭を行なうを名神祭という。その後ようやく荒廃に到らんとしたが、承歴3年(1079)白河天皇行幸され其の御崇敬により神事祭礼の旧式を復興し給い、「船井第一摩気大社」の勅額を賜った。
後水尾天皇の元和五年(1619)に小出吉親公封を園部に移して藩主となつてからは、領主代々の祈願所となり、神社建物の一切は官営となっていた。
宝歴11年12月18日(1751)不幸火災を被り全焼、宝物其の他一切烏有に帰したが 明和4年(1767)に時の藩主小出英持公、社殿を始め一切の建物を再建され現在に至る。白河天皇以来、当社は九品寺の鎮守として尊崇され、明治以来以前まで久しく当町船阪にある九品寺(真言宗)が当社及び各村末社の祭祀一切を主宰し、本社は当時ここに建てられた神宮寺胎金寺の別当職の社僧により奉仕され、白河天皇皇子覚行法親王も深く御崇敬になり屡々行啓参拝のことがあったが、明治元年神社制度の確立により神仏混淆禁じられ爾来このことは止むに至った。
このように皇室の御崇敬、領主の尊崇も深かったのであるが、明治6年郷社に列し 同43年神饌幣帛料指定の神社となり、大正5年3月6日府社に昇格となった。
御祭神 大御饌津彦神は、天忍雲根命(あめのおしくもねのみこと)の尊称であって、天御中主神十一世の御孫である天児屋根命の御子である。
神代の昔、天祖天照大神が皇孫瓊瓊杵尊に神勅をもって「豊芦原の瑞穂の国を安らかな国として治め、天津日嗣の高御座(皇位)にあって天津御饌を永遠の御饌とし、幾千代変わることなく尊い土地として治めよ」と仰せられて、この国にお降し遊ばされて後、御父の天児屋根命は皇孫に従い仕え奉り、皇孫の御食の水には現国の水に天津水を加えて奉れと申されて御子天忍雲根命をして天上に行き天津水(あまつみづ)を乞わしめられた。そこで命は天の神漏岐、神漏美命の詔により、天玉串を刺し立て、夕方から朝日の照るまで、一心に天津詔詞の太詔詞を申されて遂に天八井(あめのやい)の水を乞い受けられ、天よりお下りになって天神の神勅の通り天津水を奉られた。これより歴朝の大嘗祭に奉る悠紀、主基の大御酒を始め、皇孫命の大御食の水には其の天津水を奉る例となり、命の御仁徳により国民の五穀は豊かになつた。
この奇霊の御神徳と御功績により、天忍雲根命を称え奉って大御饌津彦神と申し、農業、食物主宰の神としてお祀りしたものである。このように五穀の豊饒を守り給い、食糧を始め我が国産業の発達を守護されるのみでなく、御心性非常に情け深く且つ勇ましく優れていられたので国土の安穏、平和を守らせられ国民を慈しみ給うみいずまことに尊く高いのである。(巷間伝えていう、明治37.8年戦役の時、某日本兵満州の戦場に友軍と離れて飢餓にさ迷い夜中夢の中に白髪白衣の老人現われて一椀の粥を与えて曰く、「これを食してわが指さす方に進め」兵士大いに喜び粥をすすれども尽きず、其の名を尋ねるに「我は丹波北向きの神なり」とのみ答えて姿を消したが、兵士力を得て老人の示す方向に進み無事友軍に帰るを得たという)丹波北向の神は当摩気神社唯一という。摩気の村名は社号より定まり、社名は祭神より起こったものである。御饌(みけ)神社の「み」が「ま」となって摩気神社と号し、その郷を摩気郷といつたのである。饌(け)は食物の古語で「みけ」は神に奉る御食べ物の意である。現在の竹井は「上新江」と呼ばれ今の仁江を下新江と呼んでいた。即ち昔は現在の竹井、仁江を「新江郷」と称していたものである。「新江」は即ち「新饗」であって新穀を神.人に饗ること(大言海による)である。大御饌の神に奉る、またはその御神徳により作られる新穀の土地を称えて呼んだ名で、まことにゆかしい由緒ある土地と申すべきである。この事は昔から竹井の氏子の家で精米をするのに、足踏みの「から臼」は決して使わなかったことでもうかがえるのである。
・・・
・・・
・・・※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
〇京都府丹波國船井郡摩氣村大字竹井字宮ノ谷
鄉社 摩氣神社
祭神 大饌氣津彦(オホミケツヒコノ)神
本社創建は、嵯峨天皇御宇 弘仁二年 僧空海の勧請せし所にして、摩氣郷十一ヶ村の總氏神たりといふ、神祇志料に「麻氣神社 今 麻氣村にあり、〔神社覈録、丹波式社考證〕
稱徳天皇 神護景雲四年神封一戸を充て奉り、〔新鈔格勅符〕
文徳天皇 仁壽二年十一月甲辰 使を遺して幣を奉り、〔文徳実録〕
清和天皇 貞觀元年正月甲申 從五位下 麻氣神に従五位上を授け、〔三代実録〕
醍醐天皇 延喜の制 名神大社に列る〔延喜式〕
祝部を置て本社に仕奉らしむ〔東寺所蔵延十七年田券〕云々、」と見ゆ
爾後 漸く荒廢に委せんとせしが、白河天皇の崇敬により、承暦三年行幸ありて神事祭禮等 舊式を復興せさせ、船井第一摩氣大社の社號と共に勅額を賜ひ、皇子仁和寺宮覺行法親王も屡々行啓せられき、後水尾天皇元和五年、小出吉親封を園部に移せしより、代々祈願所となる、社殿、三棟、境内三百三十七坪(民有地第二種)あり、明治六年郷社に列す。境内神社
菅原神社 八幡神社 天滿宮 稲荷神社
大山咋神社 塞神社 琴比羅神社
【原文参照】
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・摩氣神社 社殿
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・摩氣神社 本殿
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〈本殿向かって右 境内社〉3扉の8社合殿
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・〈境内社〉大森大神(半田)《主》大森大神
・〈境内社〉菅原大神(半田)《主》菅原大神
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・〈境内社〉菅原大神(宍人)《主》菅原大神
・〈境内社〉熊野大神(黒田)《主》熊野大神
・〈境内社〉加茂大神(城南)《主》加茂大神
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・〈境内社〉三輪大神(上横田)《主》三輪大神
・〈境内社〉若宮大神(下横田)《主》若宮大神
・〈境内社〉月読大神(志和賀)《主》月読大神
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〈本殿向かって左 境内社〉2扉の6社合殿
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・〈境内社〉葛城大神(京丹波町八田)《主》葛城大神
・〈境内社〉八幡大神(船阪)《主》八幡大神
・〈境内社〉蛭子大神(仁江)《主》蛭子大神
・〈境内社〉八幡大神(西山)《主》八幡大神
・〈境内社〉八幡大神(大坪)《主》八幡大神
・〈境内社〉山王大神(胡麻)《主》山王大神
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・摩氣神社 拝殿
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・伊勢神宮遙拝所
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・〈境内社〉塞神社・琴平神社・山王神社・稲荷神社
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・境内・舞殿
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・神門
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神門之記
文化五年(1808年)園部藩主 小出英筠公 再建するところで 昭和四十四年より百六十一年前である。
・・・
・・・〈以下略〉
・・・現地案内板より
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・社頭・鳥居
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・摩気神社御旅所(八幡神社)(園部町船阪)
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毎年10月15日町内船阪(約3キロメ~トル東方)のお旅所における例祭神幸の神事に、牛馬をひき、鋤をかつぎ、俵を持って廻るのは当祭神奉祀の昔、時あたかも陰暦5月5日の田植時で、村民皆、すき、くわを持ち、牛をひいて供養したと伝えられる古事と共に農業主宰の神であることを尊崇する意である。また、現在も往古からの例により6月5日創祀を記念してお田植祭を執行し、宮主の奉る「ちまき」を早苗に見立てて、神前で田植の手振りを行い、お神楽をあげて乙女のお田植踊りを奉納している。
※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『日本文徳天皇實録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)〈元慶3年(879年)完成〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
卷四仁寿二年(八五二)十一月甲辰〈十二〉
○甲辰
遣使者(つかひをつかはし)向(むかひし)
丹波國 麻氣神社(まけのかみのやしろ)に 奉(たてまつり)幣(みてぐら)を
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
京畿七道諸神 267社と共に神階の奉授が記されています
【抜粋意訳】
卷二貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申
○廿七日甲申
京畿七道諸神 進階及新叙 惣二百六十七社 奉授
淡路國 无品勳八等 伊佐奈岐命一品
備中國 三品 吉備都彦命二品・・・
・・・〈中略〉
・・・丹波國 從五位下 小川月神 麻氣神 並に從五位上
丹後國 從五位下 大川神 大宮賣神 並に從五位上
出雲國 從三位 熊野神 勳八等杵築神 並に正三位・・・
・・・〈下略〉
・・・
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用
『延喜式(Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭(Meijin sai)」の条 285座
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
延喜式巻第3は『臨時祭』〈・遷宮・天皇の即位や行幸・国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で『名神祭(Meijin sai)』の条には 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています
名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています
【抜粋意訳】
巻3神祇 臨時祭 名神祭二百八十五座
園神社一座 韓神社二座〈已上坐宮内省〉
・・・
・・・〈中略〉
・・・
若狭比古神社二座〈若狭国〉
気比神社七座 大虫神社一座〈已上越前国〉
気多神社一座〈能登国〉
伊夜比古神社一座〈越後国〉出雲神社一座 小川月神社一座 麻気神社一座 櫛石窓神社二座〈已上丹波国〉
・・・
・・・〈中略〉
・・・座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合〉加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹波國 71座(大5座・小66座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)舩井郡 10座(大1座・小9座)
[名神大 大 小] 式内名神大社
[旧 神社 名称 ] 麻氣神社〔名神大〕
[ふ り が な ](まけの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Make no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』に記載される「まけのかみのやしろ」の社号をもつ式内社の類社について
延喜式内社 大和國 城下郡 鏡作麻氣神社(かかみつくり まけの かみのやしろ)
・鏡作麻氣神社(田原本町小阪)
鏡作麻氣神社(かがみつくりまけじんじゃ)は 延喜式内社 大和國 城下郡 鏡作麻氣神社(かかみつくり まけの かみのやしろ)とされます 鎮座地の周辺には 鏡作の守護神を祭祀した式内社「鏡作坐天照御魂神社・鏡作伊多神社」などが鎮座し 古くは鏡を製作していた技術者集団が居住した古代 大和國「鏡作郷」であったとされます
鏡作麻氣神社(田原本町小阪)〈『延喜式』鏡作麻氣神社〉
延喜式内社 近江國 高嶋郡 麻希神社(まけの かみのやしろ)
・山神社(高島市マキノ町牧野)
山神社(さんじんじゃ)は 『高島郡誌』神社誌に 西庄村大字牧野に鎭座する「山神社」の社傳として「社傳に云、もと麻氣神社と稱し、字 眞毛野に鎭座ありしが、中古 彌馬野(ヤマノ)に移して 彌馬野神社と稱したり」とあり 延喜式内社 近江國 高嶋郡 麻希神社(まけの かみのやしろ)とされています
山神社(高島市マキノ町牧野)〈『三代實録』麻氣神『延喜式』麻希神社〉
延喜式内社 越前國 丹生郡 麻氣神社(まけの かみのやしろ)の論社
・麻氣神社(南条郡南越前町牧谷)
麻氣神社(まきじんじゃ)は 創建不祥とされるが 一説として荒樫神社の伝があり「大男迹王(継体天皇)二歳にして 御生母(振媛命)と是の国に御鳳來の時 先づ麻和介命(振媛の兄)の家に御着留ありと云 此の如き御親戚の因なみに依り祭りしものなり」とあります 延喜式内社 越前國 丹生郡 麻氣神社(まけの かみのやしろ)の論社です
麻氣神社(南条郡南越前町牧谷)〈『延喜式』麻氣神社〉
・麻氣神社(丹生郡越前町真木)
麻氣神社(まきじんじゃ)は 『越前官社考』に「此御社は眞木村に座す〔牧神社 牧村ならんが神龜三年(726)民部省のロ宣に依て麻気の二字を用ひしものなり〕つまり郡や郷名を二文字の「好字」で表せとの詔勅に対応して゛麻氣゛としたと云う 延喜式内社 越前國 丹生郡 麻氣神社(まけの かみのやしろ)の論社です
麻氣神社(丹生郡越前町真木)〈『延喜式』麻氣神社〉
・酒列神社(越前市牧町)
酒列神社(さかつらじんじゃ)は 神社明細帳には「創建不詳と雖も 從來 當村 稲葉山峰に安置したると村老の云、然る處 明治十年(1877)四月 類焼に罹り社殿失より該地に再建す」とあり 地名「牧」祭神「少名彦尊」の類似から延喜式内社 越前國 丹生郡 麻氣神社(まけの かみのやしろ)の論社とされています
酒列神社(越前市牧町)〈『延喜式』麻氣神社〉
延喜式内社 越前國 足羽郡 麻氣神社(まけ かみのやしろ)〈廃絶〉
・廃絶とされる 所在など不明
延喜式内社 丹波國 船井郡 麻氣神社〔名神大〕(まけの かみのやしろ)
・摩氣神社(南丹市園部町竹井字宮ノ谷)〈延喜式内社 名神大社〉
摩氣神社(まけじんじゃ)は 社伝には「嵯峨天皇御宇 弘仁二年(812) 僧空海の勧請せし所にして 摩氣郷十一ヶ村の總氏神たりといふ」とあるが『新抄格勅符抄』には「稱徳天皇 神護景雲四年(770)神封一戸を奉ず」とあり 奈良時代以前の創建と推測されます 延喜式内社 丹波國 船井郡 麻氣神社〔名神大〕(まけの かみのやしろ)です
摩氣神社(園部町竹井)〈『文徳天皇實録』麻氣神社『延喜式』麻氣神社〔名神大〕〉
延喜式内社 隠岐國 知夫郡 眞氣命神社(貞)(まけのみことの かみのやしろ)
・眞氣命神社(隠岐 西ノ島町宇賀)
眞氣命神社(まけのみことじんじゃ)は 隠岐 西ノ島の物井地区に鎮座する『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の式内社とされます 江戸時代には所在不明とされていましたが 明治初期の式内社調査で比定されています 祭神の眞氣命については おそらく地主神であろうとされています
眞氣命神社(隠岐 西ノ島町宇賀)〈『延喜式』眞氣命神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR山陰本線 園部駅からR477号・府道54号経由で西へ約8km 車での所要時間は13~15分程度
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園部川を遡るように府道54号を園部町竹井まで来ると 南方向にある園部川を渡る摩気橋が参道の御神鏡のようになつています
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社殿 境内 社頭は 胎金寺山の北麓に北向きに鎮座しています
駐車場は 神門の右手にあります
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摩氣神社(南丹市園部町竹井字宮ノ谷)に参着
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一礼をしてから鳥居をくぐり抜けると 境内参道の脇に「創祀1200年奉祝祭記念碑」があり 歴史の深さがわかります
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その先には文化五年(1808年)園部藩主 小出英筠公によって 再建された神門が構えています
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神門をくぐり抜けます
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神門を抜けると 綺麗に手入れされている砂利の境内に広めの石畳みの参道があり 中央に萱葺の古色美しい拝殿があります
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拝殿の手前には 孝明天皇から「日本一」の賛辞を賜ったという伝説の石工「丹波佐吉」が手掛けた狛犬が座しています
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拝殿にすすみます
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拝所は本殿前に設けられていますので 拝殿を廻り込んで本殿へと向かいます
拝殿の後方 萱葺の覆屋根の中に流造の大きな本殿があります
又 本殿の左右には 同じく萱葺の覆屋根があって 末社の合祀社が祀られています
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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社殿に一礼をして 境内を戻ります
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神門を抜けます
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社頭の鳥居の先には 参道が北方向へ伸びています
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社頭の前には 広々とした棚田があり 御饌神を祀る神社に相応しい光景です
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 麻氣神社〔名神大〕について 所在は゛麻氣村に在す゛〈現 摩氣神社(南丹市園部町竹井字宮ノ谷)〉と記しています
【抜粋意訳】
麻氣神社 名神大
麻氣は假字也
○祭神詳ならず
○麻氣村に在す
○式三、〔臨時祭〕名神祭二百八十五座、〔中略〕丹波國麻氣神社一座,
類社
大和國城下郡 鏡作麻氣神社の條見合すべし神位
三代實錄,貞觀元年正月廿七日甲申、奉 授ニ 丹波國從五位下 麻氣神 從五位上、官幣
文德實錄、仁壽二年十一月甲辰、遣ニ 使者、向ニ 丹波國 麻氣神社、奉祭、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 麻氣神社〔名神大〕について 所在は゛今 麻氣村にあり、゛〈現 摩氣神社(南丹市園部町竹井字宮ノ谷)〉と記しています
【抜粋意訳】
麻氣神社
今 麻氣村にあり、〔神社覈録、丹波式社考証〕
稱徳天皇 神護景雲四年(770)神封一戸を充奉り〔新抄格勅符〕
文徳天皇 仁寿二年十一月甲辰(852)使を遣して幣を奉り、〔文徳実録〕
清和天皇 貞観元年正月甲申(859)従五位下 麻氣神に従五位上を授け、〔三代実録〕
醍醐天皇 延喜の制、名神大社に列る、〔延喜式〕
祝部(はふり)を置て仕奉らしむ、〔東寺所蔵延十七年田券〕凡 毎年八月晦日祭を行ふ、〔丹波式社考証〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 麻氣神社〔名神大〕について 所在は゛摩氣村(船井郡摩氣村大字竹井)゛〈現 摩氣神社(南丹市園部町竹井字宮ノ谷)〉と記しています
【抜粋意訳】
麻氣(マケノ)神社 名神大
祭神 大御氣津姫(オホミケツヒメノ)命
神位
文德天皇 仁壽二年十一月甲辰 遣使者向丹波國麻氣神社奉幣
清和天皇 貞觀元年正月二十七日甲申 奉授丹波國從五位下麻氣神從五位上祭日 八月晦日
社格 〔竹井村に麻氣神社とあり〕(府社)所在 摩氣村(船井郡摩氣村大字竹井)
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
摩氣神社(南丹市園部町竹井字宮ノ谷)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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丹波国(たんばのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 丹波国には 式内社 71座(大5座・小66座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
丹波國 式内社 71座(大5座・小66座)について