久世神社(くせじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 聖武天皇 天平年間(729~749年)の棟札 木彫神像二躰がある古社です 口碑によると 往古は形部神社と称し 後に生建大明神 現今は久世神社と改称したと伝わり 延喜式内社 美作國 大庭郡 形部神社(かたへの かみのやしろ)であるとの伝承があります
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
久世神社(Kuse shrine)
【通称名(Common name)】
明神さま(みょうじんさま)
【鎮座地 (Location) 】
岡山県真庭市久世1433
〈旧住所〉真庭郡久世町大字久世1433・1434-1
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主祭神》
神阿陀都姫命(かむあだつひめのみこと)
《相殿神》
素盞嗚命(すさのをのみこと)
大己貴命(おほなむちのみこと)
倭姫命(やまとひめのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・ 国史に記載される神社
〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇實録』『日本三代實録』)に記載されている神社〉
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
久世神社由緒記
鎮座地 久世町大字久世字方辺山
社号
上古 形部(かたべ)神社 従五位上
中近世 生健(なまたけ)神社 正一位(宗源宣旨)
美作国官社十處の中祭神
神阿陀都姫命(かむあだつひめのみこと)
見目美しきより木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)と称へらる
天孫 瓊瓊杵命(ににぎのみこと)の妃、海幸彦・山幸彦の母、神武天皇の祖母相殿
素盞嗚命(すさのおのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、倭姫命(やまとひめのみこと)
祭日
大祭
例 祭 十月二十五日
祈年祭 四月二十五日
新嘗祭 十一月二十五日中祭
初 祭(厄除け御神火祭)元旦
建国祭 二月十一日
夏 祭(茅輪潜祭)七月十四日
子ノ刻祭 十月二十二日
齋 祭(甜酒膝餅神事)十月二十三日小祭
七五三祭 十一月十五日前の日曜日御遷座場
本殿修築造営に伴ふ仮殿遷座の齋場なり
境内神社
白猪臣神社
屯倉(みやけ)の長官にて当社を敬仰(けいきょう)、修築に尽せる白猪臣(しらゐのおみ)証人(あかひと)を祀る稲荷神社
忠魂碑 旧久世出身の戦歿者を祀る創建年代詳ならずと雖(いへど)も聖武天皇 天平年間の棟札、木彫神像二躰ありといへば、その古社たるを知るべし、往古は形部神社と称せしも、後花園天皇 長保年間 生健神社と改称す、古式の熟饌を今に伝ふ
境域坪数 七千五百八十九坪
境内地 五千二百六十三坪旧境外地は現今球場、近隣公園、少年の森(キャンプ施設)に整備せらる
境内の照葉樹林は極めて貴重なる太古以来の遺産なり現地案内板より
Please do not reproduce without prior permission.
【由 緒 (History)】
久世神社 クセジンジャ
由緒
当社は永禄12年火災により、書類を焼失したので、創建年月及び由緒は不詳であるが、聖武天皇(天平年間)の棟札、木彫神像2躰が現存する。
口碑によると、往古は形部神社と称し、後に生建大明神と改称した。
美作国官社10処の内に入る延喜式内社である。
貞観6年8月従5位上被叙社田を賜り、享保17年6月正5位に叙せられた。明治6年2月久世神社と改称した。明治12年5月10日郷社に列格。
古式(平安以前)熟饌及び古儀の祭典が伝わっており、例大祭には他社の神輿と相会し、「五社祝詞」を奏し古式膝餅と天の甜酒(タムサケ)を供す。
岡山県神社庁HPより抜粋
https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/19194/
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
○岡山縣 美作國 眞庭郡久世町字久世
鄉社 久世(クゼノ)神社
祭神
神阿陀都姬(カムアタツヒメノ)命
相殿
素戔嗚(スサノヲノ)命
大己貴(オホナムチノ)命
倭姫(ヤマトヒメノ)命創建年代詳ならずと雖も、聖武天皇 天平年間の棟札ありといへば、その古社たるを知るべし、往古は形部神社と稱せしも、後花園天皇 長保年間 生建神社と改稱す(社傳)作陽誌に曰く、
生健神社或曰ニ 高健、今按、高健者崇健也、播磨國加茂郡 崇健神社見ニ 延喜式、是 健飯勝命而事代主命之孫也、
又 因幡國邑美郡 中臣崇健神社 亦見 式、嘗聞、夫社有 石為ニ 之神體、其石逐年漸長大、重不可ニ 轉動、求ニ 膂力、人毎祈ニ 此、隣邦皆有ニ 此等神、彼是疑同神歟、正親町天皇 永祿十二年祝融の災に罹り、舊記文書悉く烏有に歸し、由緒等知るべからず、享保十七年六月正一位を授けらる、鏡及び劔を神體とす、明治六年二月久世神社と改稱し、村社に列し、同十二年五月郷社に昇格す。
社殿は本殿〔権現造十一坪四合〕幣殿、釣殿〔平屋入母屋造二十二坪九合〕等を具備し、境内地五千二百六十三坪(官有地第一種)あり、社域は小丘の上に位し老樹鬱茂し、南方一帶久世町その他の村落を望み、近郷無比の風景なり、寶物には天平の棟札、木像二軀、平鈴一筒、長刀、太刀、鏡等あり。
境内神社 白猪臣神社 稲荷神社
例祭日 十一月十日
神饌幣帛料供進 明治四十年一月二十七日
氏子數 五百三十三戸
【原文参照】
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』下,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088313
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』下,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088313
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・〈境内社〉白猪臣神社《主》白猪臣證人
・〈境内社〉稲荷神社《主》倉稲魂命
・〈境内社〉姫神社 (通称へこき様)
・〈境内社〉荒神社
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
形賣神に神階の奉授が記されています
【抜粋意訳】
卷九 貞觀六年(八六四)八月十五日己巳
○十五日己巳
美作國 從五位下 長田神 兎上神 田神 加佐美神〈佐原神〉 形賣神 壹粟神 横見神 久止神 高野神等 並に授に從五位上を
是日 制す 筑前國 香椎廟司を 以て六年を爲に任限と
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陽道140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)美作國 11座(大1座・小10座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)大庭郡 8座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 形部神社
[ふ り が な ](かたへの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Katahe no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 美作國 大庭郡 形部神社(かたへの かみのやしろ)の論社
・形部神社・佐波良神社(真庭市社)
形部神社・佐波良神社(かたべじんじゃ・さわらじんじゃ)は 二つ延喜式内社〔美作國 大庭郡・左殿 佐波良神社(さはらの かみのやしろ)・右殿〈相殿〉形部神社(かたへの かみのやしろ)〕が並び祀られています 六国史『三代實録』には貞觀六年(864)八月十五日己巳 美作國從五位下 佐原神 形賣神 並に授に從五位上とあります
形部神社・佐波良神社〈『三代實録』佐原神・形賣神『延喜式』佐波良神社・形部神社〉
・久世神社(真庭市久世)
久世神社(くせじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 聖武天皇 天平年間(729~749年)の棟札 木彫神像二躰がある古社です 口碑によると 往古は形部神社と称し 後に生建大明神 現今は久世神社と改称したと伝わり 延喜式内社 美作國 大庭郡 形部神社(かたへの かみのやしろ)であるとの伝承があります
久世神社(真庭市久世)〈『三代實録』形賣神『延喜式』形部神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR姫新線 久世駅から北方向へ約1.2km 車での所要時間は3~6分程度
宮芝グラウンドの駐車場から グラウンド北側へと道が続いていて 進んでいくと社頭です
Please do not reproduce without prior permission.
久世神社(真庭市久世)に参着
Please do not reproduce without prior permission.
一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて境内に進みます
Please do not reproduce without prior permission.
石段を上がって
拝殿にすすみます
Please do not reproduce without prior permission.
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
Please do not reproduce without prior permission.
拝殿の奥には 幣殿 本殿が続いています
Please do not reproduce without prior permission.
社殿に一礼をして 参道を戻ります
南を向いている鳥居の先には かつての境内地であった宮芝グラウンドがあります
Please do not reproduce without prior permission.
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 形部神社について 所在は゛社村に在す、゛〈現 形部神社・佐波良神社(真庭市社)〉と記しています
【抜粋意訳】
形部神社
形部は加多倍と調べし、〔續日本紀一本、契沖本等に、刑部とあるは誤りか、〕
〇祭神詳ならず、〔形部氏の祖神歟〕
〇社村に在す、〔作陽誌、式社考〕、例祭 月 日、
神位
三代實錄、貞觀六年八月十五日己巳、授ニ美作國從五位下形賣神從五位上、
上田百木云、形部を形賣と書るは、河内國 茨田郡 津島部神社を、津島女ともある例なるべし、氏人
續日本記、天平勝寶三年七月丁亥、授ニ女婿无位 形部勝麻呂外從五位下、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 形部神社について 所在は゛今 社村 佐波良社相殿に在り、五宮と云ふ、゛〈現 形部神社・佐波良神社(真庭市社)〉と記しています
【抜粋意訳】
形部(カタヘノ)神社、
〔〇按 三代實録、形部を形賣に作る、部と賣と音相近し〕
今 社村 佐波良社相殿に在り、五宮と云ふ、〔作州記、作州風土略、作陽誌、〕
清和天皇 貞觀六年八月己己、從五位下 形賣神に従五位上を授く、〔三代實録、〕
凡 毎年三祭の外 二月十一月十五日小忌祭を行ふ、〔作陽誌、〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 形部神社について 所在は゛社村(眞庭郡湯原村大字社)゛〈現 形部神社・佐波良神社(真庭市社)〉と記しています
【抜粋意訳】
形部神社
〔明細帳二十四年五月三十一日縣社許可とあり 然るに前同上 不判然に付取調もの〕
祭神 神阿多都姫命
神位 清和天皇 貞觀六年八月十五日己已 授美作國 從五位下 形賣神 從五位上
祭日
社格 村社(縣社)所在 社村(眞庭郡湯原村大字社)
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
久世神社(真庭市久世)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
Please do not reproduce without prior permission.
美作国 式内社 11座(大1座・小10座)についてに戻る
美作国(みまさかのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 美作国には 11座(大1座・小10座)の神々が坐します 現在の論社についても記しています
美作国 式内社 11座(大1座・小10座)について