実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

訓原神社〈栗原天神社〉(北名古屋市井瀬木東五反地)

訓原神社(くにはらじんじゃ)は 創始年代不詳ですが 延喜式内社 尾張國 春日部郡 訓原神社(くにはらの かみのやしろ)とされます 祭神については 社説には少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀ると云い 一說には 火明命十七世の孫 尾治佐迷連の子 尾張栗原連とし この栗原連を祀るのではないかとする説もあります

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

訓原神社(Kunihara shrime

通称名(Common name)

栗原天神社(くりはらてんじんしゃ)

【鎮座地 (Location) 

愛知県北名古屋市井瀬木東五反地甲418番地

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》少彦名命(すくなひこなのみこと)

一說に 尾治佐迷連の子 栗原連とも云う

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『西春日井郡誌』大正12年に記される内容

【抜粋意訳】

第十二章 神社佛閣 第二節 神社

訓原神社(式内

師勝村大字井瀨木字南五反地イ四百十八番地にあり。

祭神 少彥名尊(一說に尾治佐迷連の子 栗原連ともいふ)を祀れる郷社にして、一名 栗原天神ともいふ、 創始年代不詳、延喜式神名帳に、訓原神社、本國神名帳に、從三位訓原天神とある官社なり。

境内四百三十三坪、雜木繁茂して奥床し。神殿・拜殿、祭文殿、籠堂兼社務所等の建物り。
境內神社には、白山社(祭神菊理姫)市岐島社(祭神市杵島姫命)あり。
例祭は十月十日に行ふ。

【原文参照】

愛知県西春日井郡 編『西春日井郡誌』,愛知県西春日井郡,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/97866

『尾張志』6 春日郡,明313 に記される内容

【抜粋意訳】

尾張志春日郡 神社 かみのやしろ

訓原神社

延喜神名式に春日部 郡訓原神社 尾張神名帳に從三位訓原天神と見えたり

〔本國帳集說 府志ともに井瀬木村の栗原天神ノ社を是とし 舊事紀に記せる尾張佐迷(ヲハリサメ)ノ連之子 栗原ノ連を祭れるよしいへり くにはら くりはら唱へ近し
丹後ノ國 竹野郡 久示原ノ神社と同じ号の社也

 又 參考本國帳には訓原神社は外原村白山ノ社是歟としるしたれとも是又ほつかなき考へなり〕

【原文参照】

深田正韶 等編 ほか『尾張志』6 春日郡,博文社,明31.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/764867

【由  (History)】

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

式内社 訓原神社である と記しています
別説として゛外原村白山社゛を式内論社とする説も挙げています

【抜粋意訳】

〇愛知縣 尾張國西春日井郡 師勝(シカツ)村大字井瀬木

郷社 訓原神社

祭神 少彦名(スクナヒコナノ)命

舊と栗原天神とも稱す、創立年代詳ならずといへども、延喜式内社にして、奉唱國帳に「從三位訓原天神」、参考に「一本作 正四位下」、集説に「山田庄井圓村、〔稱ニ栗原天神、〕」と見えたり、

明治五年村社に列せられしが、十二年十二月郷社に昇格す。

社殿は本殿、拝殿を具へ、境内地四百三十三坪(官有地第一種)あり、

因みに尾張志に云く、本國帳集説府志ともに、井瀬木村の栗原天神社を是とし、舊事記に記せる尾治佐迷連之子 尾治原連を祭れるより上り、くにばらと くりはらとは唱へ近し云々、
又 参考本国帳には、訓原神社は外原村白山社是歟としるしたれども、是又おぼつかなき考へなり。

境内神社 白山社

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

訓原神社 社殿

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訓原神社 拝殿

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・鳥居・蕃塀

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・〈境内社〉市岐島社《主》市杵島姫命

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・社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)春日部郡 12座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 訓原神社
[ふ り が な ]くにはらの かみのやしろ
[Old Shrine name]Kunihara no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「くにはらのかみのやしろ」の音を持つ式内社について

延喜式内社 尾張國 春日部郡 訓原神社(くにはらの かみのやしろ)の論社

・訓原神社〈栗原天神社〉(北名古屋市井瀬木東五反地)

一緒に読む
訓原神社〈栗原天神社〉(北名古屋市井瀬木東五反地)

訓原神社(くにはらじんじゃ)は 創始年代不詳ですが 延喜式内社 尾張國 春日部郡 訓原神社(くにはらの かみのやしろ)とされます 祭神については 社説には少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀ると云い 一說には 火明命十七世の孫 尾治佐迷連の子 尾張栗原連とし この栗原連を祀るのではないかとする説もあります

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・白山社(春日井市外之原字前田)

延喜式内社 丹後國 竹野郡 久尓原神社(くにはらの かみのやしろ)の論社

國原神社旧鎮座地〉「高田の森」高田大明神
明治四十三年(1910)四月 杉森神社に合併し 更に 国原神社と改称す

・國原神社(京丹後市弥栄町国久)

一緒に読む
國原神社(京丹後市弥栄町国久)〈『延喜式』久尓原神社〉

國原神社(くにはらじんじや)は 延喜式内社 丹後國 竹野郡 久尓原神社(くにはらの かみのやしろ)です 旧鎮座地「高田の森」〈国久集落から南へ約500mの水田の中にある丘 今は樹木はなく地膚をのぞかせている 大杉のあった頃は その日影が国久まで届いたと云う〉明治43年(1910)杉森神社に合併し更に 国原神社と改称した

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

名鉄犬山線 西春駅から東へ約1.9km 車での所要時間は7~8分程度

社殿 境内 社頭 参道はすべて 東〈やや南〉向きで 参道の入口には石燈籠と青銅製の鳥居が建ちます

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社頭には 社号標があり゛郷社 訓原神社゛と刻字がされています

訓原神社(北名古屋市井瀬木東五反地)に参着

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一礼をしてから鳥居をくぐると 蕃塀〈参道上で拝殿の前にある塀 社殿を直視 又 不浄なものの侵入 等を防ぐために造られた「隠し塀」とも〉が設けられています

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蕃塀を廻り込んで

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 幣殿〈中門〉瑞垣に囲まれて本殿が祀られています

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 訓原神社について 所在は゛山田庄井村に在す、今栗原天神と称す、゛〈現 訓原神社(北名古屋市井瀬木東五反地)〉と記しています

【抜粋意訳】

訓原神社

訓原は久爾波良と訓べし

○祭神詳ならず

○山田庄井村に在す、今栗原天神と称す、集説

 集説云、按、事紀曰、尾治佐迷連之子 尾治粟原連、云々、久爾與久利 音通と云り、猶考ふべし、

類社
 丹後國竹野郡 久爾原神社

神位
 國内神名帳云、從三位 訓原天神、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingoistic)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 訓原神社について 所在は゛ 山田庄井關村にあり、栗原天神と云、゛〈現 訓原神社(北名古屋市井瀬木東五反地)〉と記しています

【抜粋意訳】

訓原神社

 山田庄井關村にあり、栗原天神と云、〔國帳集説、式社考、〕
〔〇按 舊事本紀、火明命十八世の孫 尾張栗原連と云人みゆ、之に依らは此神 或 其族類の祭れる氏神にや

凡 毎年八月二十五日祭を行ふ、〔愛智縣神社調〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 訓原神社について 所在は゛小田井庄井瀨木村 (酉春日井郡師勝村大字井瀬木 )゛〈現 訓原神社(北名古屋市井瀬木東五反地)〉と記しています

【抜粋意訳】

訓原神社  栗原天神

祭神 尾治栗原連

 今按 社說に少彥名命を祭るとあれど 舊事紀 火明命十七世の孫 尾治佐迷連の子 尾張栗原連とある 此 栗原連を祭れるにやと 本國帳集説に云るに從ふ 又 社説には少彦名命を祭ると云り

祭日 八月廿五日
社格 郷社〔十二年十二月許可〕

所在 小田井庄井瀨木村 (酉春日井郡師勝村大字井瀬木 ) 

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

訓原神社(北名古屋市井瀬木東五反地) (hai)」(90度のお辞儀)

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尾張国 式内社 121座(大8座・小113座)について に戻る

一緒に読む
尾張國 式内社 121座(大8座・小113座)について

尾張国(おわりのくに・をはりのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 尾張国には 121座(大8座・小113座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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