熊野社(くまのしゃ)は 『式内社調査報告』に「神社明細帳によれば、社傳として創祀を景行天皇十四年と傳へ『尾張太古圓』(信憑性が極めて低い史料)に岩崎の名があるとして岩崎村の熊野社を乎江神社と主張してゐる」とあり延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)の論社です 境内の〈熊野神社の五枚岩〉が有名です
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
熊野社(Kumano sha)
【通称名(Common name)】
・岩崎熊野神社(いわさきくまのじんじゃ)
【鎮座地 (Location) 】
愛知県小牧市大字岩崎1337
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
『式内社調査報告第八巻』昭和59年に記される内容
『式内社調査報告』に記される式内社 乎江神社の論社の一つとして 岩崎村説があり その説では゛岩崎村の熊野社を乎江神社と主張してゐる゛〈現 熊野社〈熊野神社の五枚岩〉(小牧市岩崎独山)〉と記しています
【抜粋】
尾張國 春日部郡 乎江神社
【所在】
未詳 (或いは廃絶したものと思はれる。)
當社については、江戸時代以降六社程議論されてゐるが、いづれも式内乎江神社とするには、根據が弱く説得力に乏しい。
〔B〕岩崎村熊野社(現在の小牧市岩崎)
神社明細帳によれば、社傳として創祀を景行天皇十四年と傳へ、『尾張太古圓』(信憑性が極めて低い史料)に岩崎の名があるとして 岩崎村の熊野社を乎江神社と主張してゐるが、近世の地誌類には單に熊野祠として所在を記してゐるのみである。
岩崎村は岩崎山を圍むやうに廣がる集落で、熊野神社は山頂あたりに鎭座し、その隣に杲洞寺がある。又近くには圓墳の岩屋古墳が半ば崩れた形で殘ってゐる。
熊野神社が岩山の山頂に岩に圍まれた樣に鎭座する狀態は、乎江(小江)神社の名とは程遠く思はれ、さらに岩崎村は春日部郡と丹羽郡との境で、『日本地理志料』は岩崎を春日部郡に入れてゐるが、推定の域を出てをらず、春日部•丹羽の郡境は不明であってはつきりしない。或いは岩崎は丹羽郡かもしれない。加へて神社明細帳の記載以外、本社を乎江神社とする史料はみあたらず、乎江神社とは決し難い。
【原文】
『式内社調査報告第八巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より
【由 緒 (History)】
熊野社
鎮座地 小牧市大字岩崎字独山一三三七番地
祭 神 伊邪那岐尊・伊邪那美尊
由 緒
熊野社は海抜六○米の田園の中に孤立した、独り山で全山巨岩で覆い山腹に県に指定された天然記念物五枚岩あり、古代磐境として尊崇した所である。明治五年、村社に列し同四十年十月二十六日供進指定をうけた。また昭和十年、北麓の田園より、独木船の舵を発見した。
小牧山と相対し、四季眺めよし。天正年間、豊臣方が砦に築いた。名古屋城築城の際、大石を大量に切り出した。例祭日 十月 体育の日
社 殿 本殿(流造)幣殿 神殿 社務所
境内地 境内地 社有地
氏 子 岩崎地区氏子中現地石碑文より
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・熊野社 本殿
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・熊野社 社殿
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・熊野社 拝殿
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・熊野社 舞台
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・熊野神社の五枚岩
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愛知県指定天然記念物 熊野神社(くまのじんじゃ)の五枚岩(ごまいいわ)
昭和35年6月2日指定
岩崎山は、新期堆積層からなる平坦な濃尾平野の中に、基盤の花崗岩が高く突出して山丘を成したものである。五枚岩は、この花崗岩が山丘面から局部的にさらに高く突出し、5枚に分かれたものて、それぞれの厚さが0.7~2.5m程で平行に並び、奥行約10m、高さ約5mに及ぶ。岩崎山の花崗岩は二方向の節理が明瞭に認められ、地表に突出している部分で、この節理面に沿って風化浸食が進んだため、5枚に分離し平行に相並んで独立に高く突出した奇観を呈するに至ったものである。
なお、石材の産地として知られた岩崎山には、各所に点在する刻紋石や切支丹灯篭、岩屋古墳など、石にまつわる文化財が数多く見られる。
愛知県・小牧市教育委員会現地案内板より
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・手水鉢
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・〈境内社〉金比羅社《主》大物主命
・参道石段
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・社頭の鳥居
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・岩崎山砦跡
岩崎山砦跡(いわさきやまとりであと)
天正十二年(一五八四)の小牧長久手の合戦で、羽柴秀吉方の砦が築かれた。砦は、現在の熊野神社境内、山頂にあったといわれ、秀吉軍の武将 稲葉一鉄が守備した。徳川家康・織田信雄連合軍の陣城である小牧山を望むことができる最前線の砦であった。
小牧市教育委員会
現地案内板より
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)春日部郡 12座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 乎江神社
[ふ り が な ](をえの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Woe no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)〈廃絶〉の論社について
延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社は〈廃絶〉と伝わっていますが 江戸時代以降 6社程の論社が議論されています いずれも根拠が乏しく確定はしていません
・廃絶と伝えられ 祭祀を継承した神社は明らかではない
・〈参考論社〉八所社(小牧市本庄郷浦)
八所社(はっしょ しゃ)は 鎮座地の本庄は味岡庄の中心という意味で 味岡庄の総氏神として祀られてきました 天正3年(1575)に平戸松浦肥前守の舎弟 松浦勝政が京都の御霊社を合祀して八所社と名づけて再建したと伝えられます 延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)の論社となっています
八所社(小牧市本庄郷浦)〈『延喜式』乎江神社〉
・〈参考論社〉熊野社〈熊野神社の五枚岩〉(小牧市岩崎独山)
熊野社(くまのしゃ)は 『式内社調査報告』に「神社明細帳によれば、社傳として創祀を景行天皇十四年と傳へ『尾張太古圓』(信憑性が極めて低い史料)に岩崎の名があるとして岩崎村の熊野社を乎江神社と主張してゐる」とあり延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)の論社です 境内の〈熊野神社の五枚岩〉が有名です
熊野社〈熊野神社の五枚岩〉(小牧市岩崎独山)〈『延喜式』乎江神社〉
・〈参考論社〉天神神社(小牧市三ツ淵宮前)
・〈参考論社〉八幡社(瀬戸市水北町)
・〈参考論社〉神明社(春日井市大留)
神明社(しんめいしゃ)は 創建年代等不明です しかし『式内社調査報告』に「根據が弱く説得力に乏しい」としながらも 二つの式内社〈①延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)②延喜式内社 尾張國 山田郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)〉の参考論社と記されています
神明社(春日井市大留)〈『延喜式』乎江神社・大目神社〉
・〈参考論社〉六所神社(名古屋市西区比良)
〈本殿の両脇に2つの式内論社・非多神社・ 大江神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
名鉄小牧線 味岡駅から西方向へ約1.0km 徒歩での所要時間15~18分程度
県道179号を西へ向かうと「能登山観音堂」の号標があったので 岩崎山の方向へ右折して進みました
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熊野社〈熊野神社の五枚岩〉(小牧市岩崎独山)に参着
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岩崎山の南側斜面に大きな岩があり その上に舞台が見えています
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この岩崎山の南側中腹にある大きな岩が「熊野社の五枚岩」です
花崗岩の節理面に沿って風化侵食作用が進み 5枚に分離したものと云われ 5枚の岩が平行に並び 独立して高く突出し奇観を呈します
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「熊野社の五枚岩」を見上げながら 社殿へと続く石段を上がって行きます
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中腹には 社殿が建てられています
拝殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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拝殿からは「熊野社の五枚岩」の裏側が見えます
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社殿に一礼をして「熊野社の五枚岩」を見ながら石段を下ります
ちょうど舞台の横辺りの位置になります
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石段の先には参道が南へと伸びていて 晴れていれば「小牧山」が見えます
天正十二年(一五八四)の小牧長久手の合戦で 羽柴秀吉方の砦が築かれ 徳川家康・織田信雄連合軍の陣城である小牧山を望むことができる最前線の砦であったとされるのもわかります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 乎江神社について 祭神 所在は良くわからないと記しています
【抜粋意訳】
乎江神社
乎江は假字也
○祭神在所等詳ならず
上田百木は、國帳魚江 又 一本宇江とあるに依るときは宇乎江にて、互に一字脱せるかと云り、〔連胤〕按るに、當國山田郡 別小江神社もあれば、必脱字にはあるべからず、
類社
近江國淺井郡、但馬國城崎郡 小江神社、神位
國内神名帳云、從三位 乎江天神、 〔一本作ニ 宇江、又 作ニ 魚江、〕
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 乎江神社について 論社とされているが難しいとして゛本庄村に八所明神あり゛〈現 八所社(小牧市本庄郷浦)〉を記しています
【抜粋意訳】
乎江(ヲエノ)神社、
〔○按 乎江、本書一本、宇江に作り、國内神名帳一本、魚江に作る、之に據らは、乎江疑らくは宇乎江の誤りならむ、○又按 本庄村に八所明神あり 山を宇江山と云ひ、社の左の小川を宇江川と云ふは、由縁あるに似たれど、社傳に建武中の建立と云へは、いと新しく証とし難し、〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 乎江神社について 所在は記されていません しかし 論社として推定できる幾つかを挙げています
゛本庄村 八所明神゛〈現 八所社(小牧市本庄郷浦)〉
゛下大留村なる神明社゛〈現 神明社(春日井市大留)〉
゛上水野村字江山八幡社゛〈現 八幡社(瀬戸市水北町)〉
【抜粋意訳】
乎江(ヲエノ)神社
祭神
祭日
社格所在
今按 此社は本庄村 八所明神にて其山を宇江山社の左の小川を宇江川と云へど 社傳に建武年中 肥前國人 松浦讃岐守建立とあれば 式社にはあるべからず
又 篠本庄 下大留村なる神明社と云るも證なし
又 上水野村字江山八幡社と云説あれど こは古への山田郡なれば從ひがたし
姑く附て考に備ふ
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
熊野社〈熊野神社の五枚岩〉(小牧市岩崎独山)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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尾張国(おわりのくに・をはりのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 尾張国には 121座(大8座・小113座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
尾張國 式内社 121座(大8座・小113座)について