実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

子倉神社(磐田市笠梅)〈『延喜式』子倉神社〉

子倉神社(こくらじんじゃ)は 遠江風土記傳』に「富田村 子安明神 天龍河洪水之時 田村流亡 海村有 子倉明神者移是以齋彼所也」とあり 天竜川の洪水により子安神社(白鳥町富田)から この地に遷座したと記されています 延喜式内社 遠江國 長上郡 子倉神社(こくらの かみのやしろ)の論社です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

子倉神社(Kokura shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

静岡県磐田市笠梅1156

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天兒屋根命(あめのこやねのみこと)
   伊弉册命(いざなみのみこと)

》祭神不詳三柱稻荷八幡社を合祀

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『掛川誌』丙篇に記される内容

【抜粋意訳】

大海村

小倉大明神

 一村の鎭守とす、除地一石、內山眞龍云、此祠は延喜式の長上郡 子倉神社を延祀せしものならんと、然る時は小倉はコクラと』呼ぴたるならん、今はヲクラと稱する也

【原文参照】

静岡郷土研究会 編『掛川誌』丙篇,静岡郷土研究会,昭和4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1214828

【由  (History)】

『静岡県磐田郡誌』に記される内容

【抜粋意訳】

第十三章 神社及宗教 第一節神社 第四項 村社

第二目 村社略記

一二七、小倉神社(向笠村)
由緒

 向笠村笠梅 元大海字宮ケ谷に在り。
祭神は天兒屋根命及伊弉册命にして 稻荷
八幡兩社を合祀しあり。傳へて式內 子倉神社と云ふ。創立年代詳かならず。

社記に依れば、正德二年三月再興、爾後寬延三年六月造立あ。從來除地高一石あり。
明治七年村社に列せらる。八幡社は從前より合祀しありしも稻荷神社は元本村稻荷山に勧請しありしを、明治九年七月當社に祀したり。
毎年十十七日と定む。
境内社を山王神社と云ふ。祭神は大山咋命なるも、由緒傳はらさるを以て今其の詳を知るを得。然れも正德元年霜月十日再建棟札に依れば當所產神山王大權現とあり。明細帳書上の際、子倉神社を產神とせしものか。

【文書及記傳】

遠江風土記傳(社部)に云ふ
子倉神社
 式載長上郡 按今 豐田郡富田村子安明神乎。此地邊古今天龍河洪水之時 田村流亡 其名僅存倉中瀨 子安明神等也。於大海村有 子倉明神者移是以齋彼所也於長上郡飯田村齋 倉稻魂命(稲荷明神)以稱子倉神社是亦移此神乎。

【原文参照】

静岡県磐田郡教育会 編『静岡県磐田郡誌』,静岡県磐田郡,大正10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/965680

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

子倉神社 社殿〈拝殿 幣殿 本殿覆い屋〉

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子倉神社 拝殿・祭殿

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・〈境内社〉山王神社《主》大山咋命

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・石碑〈石碑文は判読できず〉

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・社頭・鳥居

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)遠江國 62座(大2座・小60座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)長上郡 5座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 子倉神社
[ふ り が な ]こくらの かみのやしろ
[Old Shrine name]Kokura no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 遠江國 長上郡 子倉神社(こくらの かみのやしろ)の論社について

・子安神社(浜松市中央区白鳥町富田

一緒に読む
子安神社(浜松市中央区白鳥町富田)〈『延喜式』子倉神社〉

子安神社(こやすじんじゃ)は 元々は天竜川左岸の集落(富田村字堤外中ノ町)に鎮座していましたが 昭和14年(1939)5月天龍川改修工事によって 堤防傍の現在地に遷座しています 延喜式内社 遠江國 長上郡 子倉神社(こくらの かみのやしろ)の論社です

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・稲荷神社(浜松市中央区飯田町)

一緒に読む
稲荷神社(浜松市中央区飯田町)〈『延喜式』子倉神社・朝日波多加神社

稲荷神社(いなりじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 延暦二十年(801)に建てられたとも云い伝えられています 延喜式内社 遠江國 長上郡 子倉神社(こくらの かみのやしろ)であるとも 延喜式内社 遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)であるとも云い 二つの式内社の論社となっています

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・子倉神社(磐田市笠梅)

一緒に読む
子倉神社(磐田市笠梅)〈『延喜式』子倉神社〉

子倉神社(こくらじんじゃ)は 『遠江風土記傳』に「富田村 子安明神 天龍河洪水之時 田村流亡 大海村有 子倉明神者移是以齋彼所也」とあり 天竜川の洪水により子安神社(白鳥町富田)から この地に遷座したと記されています 延喜式内社 遠江國 長上郡 子倉神社(こくらの かみのやしろ)の論社です

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・蒲神明宮(浜松市中央区神立町)

一緒に読む
蒲神明宮(浜松市中央区神立町)〈『延喜式』大歳神社・朝日波多加神社・子倉神社〉

蒲神明宮(かばしんめいぐう)は 『三代實録』蒲太神とする説があり これによって三つの式内社〈①遠江國 長上郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)②遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)③遠江國 長上郡 子倉神社(こくらの かみのやしろ)〉の論社となっています

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

天竜浜名湖鉄道 遠江一宮駅から県道273号を南下しすこと約6.8km 車での所要時間は10~15分

子倉神社(磐田市笠梅)に参着

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社頭の社号標には「村社 子倉神社」と刻字あり

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一礼をしてから 鳥居をくぐり抜けて 境内に進みます

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正面には拝殿 向かって左に建屋があります

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建屋の中には 小舟と灯籠が置かれています
何か祭に使うのでしょうか?
子倉神社は 寛延2年に天竜川の洪水のため この地 数地川脇の小高い丘の麓に遷座したと伝わっていますので それに関係するのか?

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拝殿にすすみます

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿の向かって右奥には〈境内社〉山王神社が祀られています

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社殿に一礼をして境内を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 子倉神社について ゛祭神在所等詳ならず゛〈祭神 所在ともに不明〉と記しています

【抜粋意訳】

子倉神社

子倉は古久良と訓べし

○祭神在所等詳ならず

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 子倉神社について ゛社号のみ記載゛〈祭神 所在ともに不明〉と記しています

【抜粋意訳】

子倉(コクラノ)神社

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 子倉神社について ゛富田村〔今属 豐田郡〕゛〈現 子安神社(浜松市東区白鳥町)(※昭和14年5月天龍川対岸富田村字堤外中ノ町から〈現地〉に移転しています)〉と記しています

其の他の説として
゛長上郡飯田村字子倉にます稻荷神社゛〈現 稲荷神社(浜松市南区飯田町)〉
゛豐田郡大海村 小倉神社゛〈現 子倉神社(磐田市笠梅)※豊田郡大海村は現在の静岡県磐田市笠梅に位置していた地域〉

【抜粋意訳】

子倉(コクラノ)神社

祭神 木花開耶姫(コノハナサクヤヒメノ)命

祭日 三月十六日
社格 (明細帳に子安神社とあり 今無格社)

所在 富田村〔今属 豐田郡

 今按 注進狀に長上郡飯田村字子倉にます稻荷神社と云へど 風土記傳にこの地は長下郡なるべく思はるれば地理違へりと云は信がたし
 又 豐田郡大海村 小倉神社とも云へど
 風土記傳に今 富田村 子安明神 即本社にして 大海村は之より移し 飯田村も是より移せし社なりと云へば 今はこの説によりて記せり 尚よく考ふべし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

子倉神社(磐田市笠梅) (hai)」(90度のお辞儀)

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遠江國 式内社 62座(大2座・小60座)について

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