実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について

伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊豆国 92座(大5座・小87座)の神社です

伊豆國(いつのくに)について

伊豆国(Itsunokuni)は  令制国の一つ東海道に属する
現在の静岡県伊豆半島、東京都伊豆諸島

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伊豆国(いつのくに)について  記紀や六国史に記載はない

『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)第10巻「国造本紀」によれば

神功皇后の時 服部氏族の伊豆国造(いつのくにのみやつこ)を定めた
孝徳天皇の時 駿河国に合併
天武天皇の時 再び元のように分けた

724年 遠流(おんる)の地とされた
配流された源頼朝 の地で挙兵し 鎌倉幕府開いた
中世には 小田原北条氏の支配
江戸時代は幕府領となり 三島に代官所かれた

明治1年(1868)に韮山(にらやま)県となる
明治4年1871)7月 廃藩置県 足柄(あしがら)県に編入
明治9年(1876)足柄県の旧伊豆国地域は 静岡県に編入
明治11年(1878)伊豆諸島は 東京府〈現 東京都〉に編入

伊豆國(いつのくに) 92座(大5座・小87座)

大社5座は 5社大社5社は 全て名神大
小社87座は 83社
 計92座は 88社

※座は神の柱数 社は神社数

郡として 3郡〈延喜式の当時〉
賀茂郡(かもの こおり)田方郡(たかたの こおり)那賀郡(なかの こおり)

賀茂郡(かもの こおり) 46座(大4座・小44座)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

伊豆三嶋神社(名神大 月次 新嘗)(いつみしまの かみのやしろ)

・三嶋大社(三島市)

一緒に読む
三嶋大社(三島市大宮町)〈延喜式内社 名神大社・伊豆國一之宮〉

三嶋大社(みしまたいしゃ)は 古くから伊豆諸島の噴火・造島活動を司る神として 朝廷の尊崇を受ける 伊豆国一之宮です 平安中期以降に伊豆国賀茂郡から現在地に移ったとされ 平安末期には源頼朝が 源氏の再興を願い参詣祈願の後 治承4年(1180)旗挙げを果たし 鎌倉武家政権を樹立し 鎌倉幕府崇敬の神社となり 現在に至ります

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・伊古奈比咩命神社(白浜神社)
〈三嶋大社の元宮〉

旧鎮座地
伊古奈比咩命神社〈白浜神社〉(下田市白浜)

伊古奈比咩命神社(いこなひめのみことじんじゃ)は 三嶋大社の元宮とされ 神社の縁起に「この神 三宅島よりここに遷り 後更に 三島に遷座す」とあります 鎮座地 白浜海岸にある丘陵「火達山(ひたちやま)」は 古代から 伊豆半島から伊豆諸島に向けて神に祈り祀る祭祀遺跡で 祭神は伊豆諸島の開拓神「御島神=三嶋神」と その后神「伊古奈比咩命」が祀られます

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富賀神社(三宅島 阿古)
〈三島神の発祥地ともされます〉

一緒に読む
富賀神社(三宅島 阿古)〈延喜式内社 阿米都(和)氣命神社の論社〉

富賀神社(とがじんじゃ)は もともとは 峯富賀平(雄山の8合目付近)に鎮座するも 噴火により 二島ヶ山(新富賀山(二富賀山)古錆浜の荒島神社へ遷座し その後 現在地の富賀山(海抜60.4m)中腹に鎮座したと伝わります 古来より伊豆七島の総鎮守「三島大明神」として 伊豆の三島大社の祭神の発祥地だとする説もあります

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波布比賣命神社(はふひめのみことの かみのやしろ)

・波布比咩命神社(大島町波浮港)

・波布比咩命神社(下田市東本郷)

波布比咩命神社(下田市東本郷)

波布比咩命神社(はぶひめのみことじんじゃ)は 2つの式内社〈 ①波布比賣命神社 ➁大津往命神社 〉の論社とされています ①波布比賣命神社は 伊豆大島の波浮港に鎮座する波布比咩命神社の遥拝所であろうとされていて ➁大津往命神社は 大きな津〈港〉を守護する女神であろうとされています

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伊賀牟比賣命神社(いかむひめのみことの かみのやしろ)

后神社(三宅島 伊ヶ谷

一緒に読む
后神社(三宅島 伊ヶ谷)

后神社(きさきじんじゃ)は 御祭神について 三島大明神の三宅島の后「伊賀牟比売命(いかむひめのみこと)」は 幼い子を抱いて 入水し石になって海中に鎮まっていると『三宅記(みやけき)』に記されます そうした訳でしょうか 三宅島の伊ヶ谷港の高台から太平洋を眺めるように鎮座します 又『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される格式ある由緒を持ちます 江戸時代に 三宅島に流された「禊教の教祖・井上正鐵の碑」もあります

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・物見処遺跡【后神社 旧鎮座地】

旧鎮座地
物見処遺跡【后神社 旧鎮座地】(三宅島 伊豆)

物見処遺跡(もれんど いせき)は おおよそ中世から近世にかけての遺跡と考えられています 仏教的な経塚信仰と 三宅島在来の積石信仰が融合した特殊な施設遺跡です 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の「伊豆國 賀茂郡 伊賀牟比賣命神社(Ikamuhime no mikoto no kamino yashiro)」の比定社とされる「后神社(Kisaki Shrine)」(三宅島 伊ヶ谷に鎮座) の旧鎮座地だったと伝わり 室町時代の文明3年(1471) 伊カ谷部落を創設するときに 「后神社」は現在地へ遷座したとされます 

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浅間神社(伊豆国二之宮)〈論社〉

論社
浅間神社(伊豆国二之宮)

浅間神社(せんげんじんじゃ)は 伊豆国二之宮とされています 古くは三嶋大社の摂社「八所別宮」でした 富士講が賑わいを見せた当時は 富士登山をする三島・伊豆方面の者は 必ず立ち寄り 安全を祈願して出発した と伝えられています 同じ境内敷地内に祀られる「芝岡神社」は 世古本陣から遷座されました

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伊古奈比咩命神社(名神大)(いこなひめのみことの かみのやしろ)

・伊古奈比咩命神社(白浜神社)

一緒に読む
伊古奈比咩命神社〈白浜神社〉(下田市白浜)

伊古奈比咩命神社(いこなひめのみことじんじゃ)は 三嶋大社の元宮とされ 神社の縁起に「この神 三宅島よりここに遷り 後更に 三島に遷座す」とあります 鎮座地 白浜海岸にある丘陵「火達山(ひたちやま)」は 古代から 伊豆半島から伊豆諸島に向けて神に祈り祀る祭祀遺跡で 祭神は伊豆諸島の開拓神「御島神=三嶋神」と その后神「伊古奈比咩命」が祀られます

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佐伎多麻比咩命神社(さきたまひめのみことの かみのやしろ)

御笏神社Oshaku Shrine)〈比定社〉

一緒に読む
御笏神社(三宅島 神着)

御笏神社(おしゃくじんじゃ)は ご神託に基づき永正13年(1516)現社地(三宅島 神着(かみつき)に ご遷座になりました 元々は「神着の東郷(ひがしごう)」三宅島の北東に鎮座していました 旧社地は明治7年(1874)の火山噴火で溶岩流の下になってしまいました 格式は高く『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「佐伎多麻比咩命神社(Sakitamahime no mikoto no kamino yashiro)」に比定され その他に4つの式内社の論社を合祀している由緒ある古社です

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祖師堂Soshido)御笏神社の旧鎮座地

旧鎮座地
祖師堂(三宅島 神着)【御笏神社(Oshaku Shrine)旧鎮座地】

祖師堂(そしどう)は  一説には 御笏神社(Oshaku Shrine)の旧鎮座地で 現在の祖師堂(観音堂)の場所であったとされています 御笏神社(Oshaku Shrine)の東北100m程のところ 三宅一周道路に面しています

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・椎取神社(三宅島神着)〈古社地〉 

古社地
椎取神社(三宅島 神着)

椎取神社(しいとりじんじゃ)は ジオスポットとして有名です 笠木だけを残して埋まったかつての鳥居が残され 平成12年(2000年)の噴火当時発生した 大量の泥流の凄まじさが判ります 神社の歴史は『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の由緒(格式ある歴史)を持っています この拝殿から さらに南西に約100m程奥の森の中には 太古から変わらずに残る神秘的な聖域に 聳え立つ溶岩の陰に 御本殿が祀られています

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両神社下田市須崎)〈論社〉

論社
両神社(下田市須崎)

両神社(りょうじんじゃ)は 伊豆半島 下田の須崎港に鎮座します 須崎には 古代祭祀遺蹟の残る恵比寿島があり 伊豆半島の三島信仰の聖地ともされいて 当社も 江戸期には「両社明神」と呼ばれ「薬師堂」が祀られ「三島明神」であるとされていました こうしたことから『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の論社となっています

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波夜多麻和氣神社下田市相玉)〈論社〉

論社
波夜多麻和氣命神社(下田市 相玉)

波夜多麻和気命神社(はやたまわけのみことじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の論社で 由緒(格式ある歴史)があります しかし 御祭神「波夜多麻和気命(Hayatamawake no mikoto)」は謎の神とされます 鎮座地の相玉は 辺りは山深い郷ですが 古くは「大井 (おほゐ) 」と呼ばれ豊かな水があって栄えていたであろうことは 稲生沢川(inozawa gawa)を挟むような相玉の郷の田園風景を一望すれば 推測はできます 稲生沢川は 下田の港に流れ込みますので これを遡れば この辺りの交通の便は良かったのであろうと想像は出来ます 下田から 海上ルートで容易に その先の伊豆諸島と繋がります「三島(御島)の神々」なのかも知れません

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伊大氐和氣命神社(いたてわけのみことの かみのやしろ)

・稲根神社本殿(御蔵島村)

・稲根神社(御蔵島村)

阿豆佐和氣命神社(あつさわけのみことの かみのやしろ)

・阿豆佐和気命神社本宮(利島村)

・阿豆佐和気命神社(利島村)

・熱海 來宮神社(熱海市西山町)

多祁美加加命神社(たけみかかのみことの かみのやしろ)

・大三王子神社(新島村大三山)

・八幡神社(下田市吉佐美)〈境内 若宮〉

八幡神社(下田市吉佐美)

八幡神社(はちまんじんじゃ)は『平家物語』の鵺(ぬえ)退治の説話でも有名な源 頼政公〈1104~1180〉が知行国の伊豆国に石清水八幡宮を勧請して 地名を朝日里から吉佐美に改めたのが当社 合わせて配祀の若宮〈八幡若宮ではなく 三島神の若宮〉をこの地に遷座と伝わります 3つの式内社の論社で 本殿・相殿・右殿にそれぞれ① 加彌命神社〈本殿〉➁ 竹麻神社 三座〈相殿 三島神社〉➂ 多祁美加々命神社〈右殿 若宮〉が祀られています

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・八幡神社(下田市河内)

八幡神社(下田市河内)

八幡神社(はちまんじんじゃ)は 『南豆神祇誌 1928年』著者の足立鍬太郎氏によれば 大正6年(1917)の棟札には「八幡神社 旧称王子神社」と記されていて 第三王子 則ち 多祁美加々命を祭った社と記しています

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物忌奈命神社(名神大)(ものいみなのみことの かみのやしろ)

・物忌奈命神社(神津島村)

波夜多麻和氣命神社(はやたまわけのみことの かみのやしろ)

波夜多麻和氣命神社(下田市)

一緒に読む
波夜多麻和氣命神社(下田市 相玉)

波夜多麻和気命神社(はやたまわけのみことじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の論社で 由緒(格式ある歴史)があります しかし 御祭神「波夜多麻和気命(Hayatamawake no mikoto)」は謎の神とされます 鎮座地の相玉は 辺りは山深い郷ですが 古くは「大井 (おほゐ) 」と呼ばれ豊かな水があって栄えていたであろうことは 稲生沢川(inozawa gawa)を挟むような相玉の郷の田園風景を一望すれば 推測はできます 稲生沢川は 下田の港に流れ込みますので これを遡れば この辺りの交通の便は良かったのであろうと想像は出来ます 下田から 海上ルートで容易に その先の伊豆諸島と繋がります「三島(御島)の神々」なのかも知れません

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・伊豆山 子恋の森公園「古々比社跡地」or「古々井社跡地」(廃絶)

伊波例命神社(いはれみことの かみのやしろ)

・石室神社(南伊豆町石廊崎)

一緒に読む
石室神社(南伊豆町石廊崎)

石室神社(いろうじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載「伊波例命神社(いはれのみことの かみのやしろ)」とされます 石廊崎の先端 絶壁の岩肌に鎮座します 神社の土台には 千石船の帆柱が使われていて 伊豆七不思議の一つとなっています

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・八幡宮来宮神社(伊東市八幡野)

一緒に読む
八幡宮来宮神社(伊東市八幡野)

八幡宮来宮神社(はちまんぐうきのみやじんじゃ)は 八幡宮と来宮神社の合殿です 社伝によれば 八幡宮は 正八幡宮を一国一社と定めて勧請〈神護景雲3年(769年)〉した際の伊豆国の代表八幡宮です 来宮神社は 伊波久良和気命を祀り 古来から 来宮大明神と崇められた延喜式神名帳所載の式内社です

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・伊豆山 子恋の森公園「古々比社跡地」or「古々井社跡地」(廃絶)

伊豆奈比咩命神社(いつなひめのみことの かみのやしろ)

・走湯神社(下田市大賀茂)

一緒に読む
走湯神社(下田市大賀茂)

走湯神社は 「(そうとうじんじゃ)or(すとうじんじゃ)」と呼ばれます 『南国伊豆の昔話』によれば 蓮台寺の神様と お湯の取り合いをして 走り戦いましたので「走湯」というと云われています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の由緒(格式ある歴史)を持っています

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阿米都和氣命神社〈阿米都氣命神社〉(あめつけのみことの かみのやしろ)

峯富賀平(雄山の八合目あたり)の地〈発祥地〉 

 ※噴火の為 具体的な鎮座の地は全く不詳 (現在はカルデラの底?)(笠地の上あたりとも? 
 参考まで 雄山の山頂を取り囲むように雄山林道があり 笠地観音があります

荒島神社(三宅島 阿古)〈旧鎮座地〉 

旧鎮座地
荒島神社(三宅島 阿古)

荒島神社(あらしまじんじゃ)は 富賀神社(Toga Shrine)の旧鎮座地です もとは 雄山の八合目あたりの地に鎮座しましたが 噴火により本殿を焼失し その後 古錆浜にある荒島神社の二島山(ニシマヤマ)あたりへ移り さらに現在の富賀神社の地へ遷座したと伝わっています

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富賀神社(三宅島 阿古)

一緒に読む
富賀神社(三宅島 阿古)〈延喜式内社 阿米都(和)氣命神社の論社〉

富賀神社(とがじんじゃ)は もともとは 峯富賀平(雄山の8合目付近)に鎮座するも 噴火により 二島ヶ山(新富賀山(二富賀山)古錆浜の荒島神社へ遷座し その後 現在地の富賀山(海抜60.4m)中腹に鎮座したと伝わります 古来より伊豆七島の総鎮守「三島大明神」として 伊豆の三島大社の祭神の発祥地だとする説もあります

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波夜志命神社(はやしのみことの かみのやしろ)

峯指神社Hoshi no kamino yashiro)御笏神社の本殿に合祀

一緒に読む
御笏神社(三宅島 神着)

御笏神社(おしゃくじんじゃ)は ご神託に基づき永正13年(1516)現社地(三宅島 神着(かみつき)に ご遷座になりました 元々は「神着の東郷(ひがしごう)」三宅島の北東に鎮座していました 旧社地は明治7年(1874)の火山噴火で溶岩流の下になってしまいました 格式は高く『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「佐伎多麻比咩命神社(Sakitamahime no mikoto no kamino yashiro)」に比定され その他に4つの式内社の論社を合祀している由緒ある古社です

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峯指神社Hoshi no kamino yashiro) 旧鎮座地

旧鎮座地
峯指神社〔 旧鎮座地 〕(三宅島 神着)

峯指神社(ほうしじんじゃ)〔 旧鎮座地 〕は 風速山を祀っていたと伝わります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載された格式高い由緒を持ちますが 明治7年(1874)の噴火で 旧鎮座地は 溶岩流の台地の中にあります 現在は御笏神社(おしゃくじんじゃ)に合祀されています

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走湯神社(下田市大賀茂)〈論社〉

論社
走湯神社(下田市大賀茂)

走湯神社は 「(そうとうじんじゃ)or(すとうじんじゃ)」と呼ばれます 『南国伊豆の昔話』によれば 蓮台寺の神様と お湯の取り合いをして 走り戦いましたので「走湯」というと云われています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の由緒(格式ある歴史)を持っています

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優波夷命神社(うはいのみことの かみのやしろ)

・優婆夷宝明神社八丈島

一緒に読む
優婆夷宝明神社(八丈島 八丈町大賀郷)

優婆夷宝明神社(うばいほうめいじんじゃ)は 八丈島・八丈小島・青ヶ島の総鎮守として 御島神(みしまのかみ)の后「いなはゑ后=(優婆夷命)」と その子「五郎の王子(許志伎命=宝明神)」が祀られています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の2つの式内社〈・優波夷命神社(うはいのみことの かみのやしろ)・許志伎命神社(こしきのみことの かみのやしろ)〉に該当する格式の高い由緒ある神社です

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片菅命神社(かたすかのみことの かみのやしろ)

・片菅神社(三宅島 神着美茂井)

一緒に読む
片菅神社(三宅島 神着 美茂井)

片菅神社(かたすげじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)にも所載されて 由緒(格式ある歴史)を持っています 『三宅記(みやけき)』(鎌倉時代末期の作)によれば 三女〈三島大明神の后神(佐岐多麻比咩命(さきたまひめのみこと〉のお産みになられた 7番目の御子の名が「かたすけ」と呼ばれ この御子神が 当社の御祭神「片菅命(かたすげのみこと)」であるとされています

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・御笏神社 に合祀された境内神社の勝祖神社

論社
御笏神社(三宅島 神着)

御笏神社(おしゃくじんじゃ)は ご神託に基づき永正13年(1516)現社地(三宅島 神着(かみつき)に ご遷座になりました 元々は「神着の東郷(ひがしごう)」三宅島の北東に鎮座していました 旧社地は明治7年(1874)の火山噴火で溶岩流の下になってしまいました 格式は高く『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「佐伎多麻比咩命神社(Sakitamahime no mikoto no kamino yashiro)」に比定され その他に4つの式内社の論社を合祀している由緒ある古社です

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・若宮神社(三宅島 伊ヶ谷)后神社の境内社 もしくは 后神社の本殿に合祀

論社
后神社(三宅島 伊ヶ谷)

后神社(きさきじんじゃ)は 御祭神について 三島大明神の三宅島の后「伊賀牟比売命(いかむひめのみこと)」は 幼い子を抱いて 入水し石になって海中に鎮まっていると『三宅記(みやけき)』に記されます そうした訳でしょうか 三宅島の伊ヶ谷港の高台から太平洋を眺めるように鎮座します 又『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される格式ある由緒を持ちます 江戸時代に 三宅島に流された「禊教の教祖・井上正鐵の碑」もあります

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・若宮神社(三宅島 伊豆)后神社の境外社

論社
若宮神社(三宅島 伊豆)(后神社の境外 末社)

若宮神社は 后神社の境外社です 三宅一周道路から 伊豆岬灯台へと下る道路の左側 道路と海の間にある藪の中に に小さな祠が鎮座しています

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・片菅神社(東伊豆町片瀬)

論社
片菅神社(片瀬白田)〈延喜式内社 片菅命神社の論社〉

片菅神社(かたすげじんじゃ)は 徳治2年(1307)創始と伝えますが この説は 若宮八幡神を合祀勧請した時のものとされ 別の説では 片菅神社の創祀は さらに以前であって 三宅島に鎮座する片菅神社を分霊したもので 伊豆地方では「若宮」とは「三島神の御子神」を意味し 7番目の御子名「かたすけ」とされます

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久良恵命神社(くらえのみことの かみのやしろ)

・【当初】久良神社三宅島 坪田
 ※未参拝

  島民は「高山さん」は非常にこわい神様だとして恐れ足を踏み入れない

・【遥拝所】久良神社【出張(でばり)】

遥拝所
久良濱神社〈高山様 出張〉(三宅島 坪田)

久良浜神社〈高山様 出張〉〈たかやまさま でばり〉は 昭和15~16年頃(1940~1941)二宮神社(坪田)に合祀された「久良濱神社(くらはまじんじゃ)の遥拝所」です 「久良濱神社」は『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の比定社で 由緒(格式ある歴史)を持っています 島民は「高山さん」は非常にこわい神様だとして恐れ 「出張〈でばり〉」からおまいりし 本殿「高山さん」には足を踏み入れたことはない ということである

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・【合祀】二宮神社三宅島 坪田 

合祀
二宮神社(三宅島 坪田)

二宮神社(にのみやじんじゃ)は 現在の鎮座地には 元は「管原神社」がありました 昭和29年(1954)に「二宮神社跡(伊波乃比咩命神社 旧鎮座地)」を合祀して神社名が「二宮神社」と改称され 同じく 昭和29年(1954)には 坪田集落周辺の「4つの式内社の論社」が合祀され 現在に到っています

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夜須命神社(やすのみことの かみのやしろ)

・【当初?】嶽比良神社三宅島 伊豆
 ※掟により入山禁止の為 未参拝

・【嶽比良神社の遥拝所?】子安宮(三宅島 神着)

遥拝所
子安宮(三宅島 神着)

子安宮(こやすのみや)は 三宅島の神着 字 門ノ原に 通称「バンバ山」という小丘があり ここに母体を像どる石神の側に陰陽を表わす二個の石が祀られています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載「夜須命神社(Yasu no Mikoto Shrine)」の旧鎮座地とも 遥拝所ともされています

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・【当初?】御嶽神社(三宅島 坪田)

旧 鎮座地
御嶽神社 跡(三宅島 坪田)

御嶽神社 跡(みたけじんじゃあと)は 由緒(格式ある歴史)を持っ『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載されている「夜須命神社(やすのみことの かみのやしろ)」の元の鎮座地とされています 昭和29年(1954)に「二宮神社(にのみやじんじゃ)」に合祀されていて 現在は旧鎮座地となり 鳥居が残ります

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・【合祀】二宮神社三宅島 坪田

合祀
二宮神社(三宅島 坪田)

二宮神社(にのみやじんじゃ)は 現在の鎮座地には 元は「管原神社」がありました 昭和29年(1954)に「二宮神社跡(伊波乃比咩命神社 旧鎮座地)」を合祀して神社名が「二宮神社」と改称され 同じく 昭和29年(1954)には 坪田集落周辺の「4つの式内社の論社」が合祀され 現在に到っています

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奈疑知命神社(なきちみことの かみのやしろ)

・子安神社〈奈疑知命神社〉(河津町縄地)

子安神社〈奈疑知命神社〉(河津町縄地)

子安神社(こやすじんじゃ)は 里人には「乳の神様」と呼ばれています 式内社「 奈疑知命神社(なきちのみことの かみのやしろ)」は かつては 縄地川(なわじ)上流の「なぎの森」に鎮座していたと伝わり 後に子安社の地に遷座したと考えられています

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加彌命神社(かみのみことの かみのやしろ)

・【当初】カミイノ宮 旧鎮座地(三宅島 神着 首山
  ※原生林の奥の為 未参拝

・【次に】二宮神社【旧地】山ノ神(三宅島 神着 東郷)

旧鎮座地
二宮神社【旧地】山ノ神(三宅島 神着東郷)

二宮神社【旧地】山ノ神(にのみやじんじゃ【きゅうちんざち】やまのかみ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「加弥命神社(かみのみことの かみのやしろ)」の旧鎮座地とされています 当初は神着 首山の「カミイノ宮」に鎮座 その後神着 東郷の「山の神(二宮神社)」〈当社〉に遷座したと伝わり さらに 明治7年(1874)の噴火で この地から 御笏神社の境内西の奥にへ遷座し 現在は 御笏神社の本殿に合祀されています

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・【合祀】カミイノ宮 御笏神社の本殿に合祀

合祀
御笏神社(三宅島 神着)

御笏神社(おしゃくじんじゃ)は ご神託に基づき永正13年(1516)現社地(三宅島 神着(かみつき)に ご遷座になりました 元々は「神着の東郷(ひがしごう)」三宅島の北東に鎮座していました 旧社地は明治7年(1874)の火山噴火で溶岩流の下になってしまいました 格式は高く『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「佐伎多麻比咩命神社(Sakitamahime no mikoto no kamino yashiro)」に比定され その他に4つの式内社の論社を合祀している由緒ある古社です

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・【論社】二宮神社(三宅島 坪田)(合祀先)

合祀
二宮神社(三宅島 坪田)

二宮神社(にのみやじんじゃ)は 現在の鎮座地には 元は「管原神社」がありました 昭和29年(1954)に「二宮神社跡(伊波乃比咩命神社 旧鎮座地)」を合祀して神社名が「二宮神社」と改称され 同じく 昭和29年(1954)には 坪田集落周辺の「4つの式内社の論社」が合祀され 現在に到っています

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・八幡神社(下田市吉佐美)

八幡神社(下田市吉佐美)

八幡神社(はちまんじんじゃ)は『平家物語』の鵺(ぬえ)退治の説話でも有名な源 頼政公〈1104~1180〉が知行国の伊豆国に石清水八幡宮を勧請して 地名を朝日里から吉佐美に改めたのが当社 合わせて配祀の若宮〈八幡若宮ではなく 三島神の若宮〉をこの地に遷座と伝わります 3つの式内社の論社で 本殿・相殿・右殿にそれぞれ① 加彌命神社〈本殿〉➁ 竹麻神社 三座〈相殿 三島神社〉➂ 多祁美加々命神社〈右殿 若宮〉が祀られています

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氐良命神社(てらのみことの かみのやしろ)

神澤神社(三宅島 伊豆)

一緒に読む
神澤神社(三宅島 伊豆)

神沢神社(かんざわじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「弖良命神社(Tera no mikoto Shrine)」に比定される格式の高い由緒ある神社です 三宅島の伊豆にある神座山の太古の森の中に 静かに鎮座しています

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湯船神社三宅島 神着〈論社〉 

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湯船神社(三宅島 神着)

湯船神社(ゆぶねじんじゃ)は 三宅一周道路 神着のバス停 湯舟グラウンドの横に鎮座しています 元々の鎮座地は「東郷の湯池の湖畔」に鎮座していましたが 明治7年(1874年)7月3日正午頃より始まった噴火により 東郷集落が埋没焼失したため この地に遷座しました

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八王子社下田市中 〈論社〉 

許志伎命神社(こしきのみことの かみのやしろ)

・優婆夷宝明神社八丈島

一緒に読む
優婆夷宝明神社(八丈島 八丈町大賀郷)

優婆夷宝明神社(うばいほうめいじんじゃ)は 八丈島・八丈小島・青ヶ島の総鎮守として 御島神(みしまのかみ)の后「いなはゑ后=(優婆夷命)」と その子「五郎の王子(許志伎命=宝明神)」が祀られています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の2つの式内社〈・優波夷命神社(うはいのみことの かみのやしろ)・許志伎命神社(こしきのみことの かみのやしろ)〉に該当する格式の高い由緒ある神社です

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・富戸三島神社 (元御島神社)〈論社〉

論社
富戸三島神社(伊東市富戸)

富戸三島神社(ふとみしまじんじゃ)は 源頼朝公の御子「千鶴丸(ちずるまる/せんつるまる)」を若宮として相殿に祀る伝承を持ちます 本殿に祀るご祭神は 異名を伝える「御島神(みしまのかみ)」とされ すなわち御祭神のご巡行の地に鎮座する古社と伝わり 創建は定かではありませんが 奈良時代の最盛期にあたる天平年間(729年-749年)の棟札が現存します 

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多祁伊志豆伎命神社(たきいしつきのみことの かみのやしろ)

・竹麻神社(下田市高馬)

竹麻神社(下田市高馬)

竹麻神社(ちくまじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の2つの式内社〈  ①竹麻神社 三座 ➁ 多祁伊志豆伎命神社 〉の論社です ①竹麻の音を「ちくま」or「たかま」と呼称し  ➁ 同様にタケイシズキにも 地名の高馬(たけま)が近く 論社となっているようです

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・見高神社(河津町見高)

見高神社(河津町見高)

見高神社(みたかじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の式内「多祁伊志豆伎命神社」の論社です その創建は 聖武天皇 天平5年(733)9月23日であるとも 光仁天皇 天慶3年(940)三島より奉遷とも伝わります

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・三島神社(南伊豆町蝶ヶ野)〈参考〉

三島神社(南伊豆町蝶ヶ野)

三島神社(みしまじんじゃ)は 一色村のすぐ隣 蝶野村の三島明神と称されて 『豆州志稿』には 応永18年(1411)の金鼓に 平臣長殿 蝶狩野大知口國吉國重 と鎧す 平臣長殿の守 誤寫(あやまりうつし)か 末社3権 21社なるし伝 と記されています 『延喜式神名帳』所載の 多祁伊志豆伎命神社(たきいしつきのみことの かみのやしろ)の論社ともされます

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・姫宮神社〈姫宮大明神〉(南伊豆町一色)〈合祀 三島神社〉

姫宮神社〈姫宮大明神〉(南伊豆町一色)

姫宮神社(ひめみやじんじゃ)は 3つの式内社〈 ①伊波比咩命神社 ➁阿米都加多比咩命神社 ➂多祁伊志豆伎命神社 〉の論社とされています 江戸時代の『豆州志稿』によれば 一色村の姫宮明神と称され 一棟三扉の祠で 中は姫宮 左は権現 右は御霊 廃絶して100年が経過しているが 天神社と云う旧祠があり 式内社であると記しています

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・三島神社(南伊豆町青野)

三島神社(南伊豆町青野)

三島神社(みしまじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の式内社「多祁伊志豆伎命神社(たきいしつきのみことの かみのやしろ)」の論社とされます その説によれば 一色村に鎮座する三島神社の祭神は 村老の伝えとして 青野村の三島神の妹神と伝わり 必ず2社共に式内社であるとしています

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・瀧山神社(河津町川津筏場)

瀧山神社(河津町川津筏場)

瀧山神社(たきやまじんじゃ)は 江戸時代 寛政12年(1800)頃は 瀧権現と称され 祠の傍に瀑布があった 棟札に筏場下村の土ノ神と記されています 大永7年(1527)の棟札には 小川村から移された小川三島大明神 元和3年(1617)の棟札には 熊野神社と称され 天神でもあったようで 現在の祭神 伊佐那岐尊とも符合します

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久爾都比咩命神社(くにつひめのみことの かみのやしろ)

・泊神社(式根島)

伊波乃比咩命神社(いはのひめのみことの かみのやしろ)

・【当初】坪田観音【旧蹟 伊波耶観音神社】

当初
坪田観音【旧蹟 伊波耶観音神社】(三宅島 坪田)

坪田観音(つぼたかんのん)は『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の由緒(格式ある歴史)を持っています 現在は「二宮神社(坪田)」に合祀されている「伊波比咩命神社(いはひめのみことの かみのやしろ)」の当初の鎮座地であると云われる「伊波耶観音神社(いわのかんのんじんじゃ)」の旧蹟です 

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・【次に】二宮神社跡(伊波乃比咩命神社 旧鎮座地)

論社
二宮神社跡(伊波乃比咩命神社 旧鎮座地)

二宮神社跡は 伊波乃比咩命神社の 旧鎮座地です 三宅島では 度重なる火山活動によって 多くの神社で遷座が繰り返されています 当神社も 当初の鎮座地「坪田観音(Tsubota kannon)」から 坪田村小倉山「当地〈二宮神社跡〉」に遷座して 現在は 二宮神社(三宅島 坪田)に合祀されています

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・【合祀】二宮神社(三宅島 坪田)

論社
二宮神社(三宅島 坪田)

二宮神社(にのみやじんじゃ)は 現在の鎮座地には 元は「管原神社」がありました 昭和29年(1954)に「二宮神社跡(伊波乃比咩命神社 旧鎮座地)」を合祀して神社名が「二宮神社」と改称され 同じく 昭和29年(1954)には 坪田集落周辺の「4つの式内社の論社」が合祀され 現在に到っています

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・【論社】雲見浅間神社(松崎町雲見)

論社
雲見浅間神社(松崎町雲見)

雲見浅間神社(くもみせんげんじんじゃ)は 伊豆半島の最西端の雲見海岸に聳える烏帽子山(162m)に鎮座します ・山麗には「拝殿」・中腹には「中之宮」・山頂付近には「本殿」があり 全国の浅間信仰の神社(約1,300社)の中でも 祭神として「磐長姫命(いわながひめのみこと)」一柱のみを祀る 大変珍しい祭祀形態の神社です

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杉桙別命神社(すきほこわけのみことの かみのやしろ)

・川津来宮神社〈杉桙別命神社〉(河津町田中)

川津来宮神社〈杉桙別命神社〉(河津町田中)

杉桙別命神社(すぎほこわけのみことじんじゃ) は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の式内社「杉桙別命神社」です 本殿横の「大クス」は 昭和11年 国天然記念物に指定された目通り周14m高さ24m樹齢1000年以上といわれる巨木のご神木です

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・来宮神社(伊豆市八幡)

来宮神社(伊豆市八幡)

来宮神社(きのみやじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「杉桙別命神社」の論社です 別説には 藤原朝臣祐義公により貞和年中(1345~49)荒廃していた社殿に 来宮大明神を祀って新建とも伝わります 鳥居杉が見事です

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多祁富許都久和気命神社(たきふこつくわけのみことの かみのやしろ)

・三島神社〈柿崎神社〉(下田市柿崎)〈合祀 武峰神社〉

三島神社(下田市柿崎)

三島神社(みしまじんじゃ)は 江戸時代には 三島大明神・住吉大明神と呼称されていて 古くからの土ノ神〈鎮守〉です 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の2つの式内社〈  ①竹麻神社 三座 ➁ 多祁富許都久和氣命神社 〉の論社であった武峯山〈武山〉に鎮座していた「武峰神社」を合祀しています

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伊波久良和氣命神社(いはくらわけのみことの かみのやしろ)

・八幡宮来宮神社(伊東市八幡野)

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八幡宮来宮神社(伊東市八幡野)

八幡宮来宮神社(はちまんぐうきのみやじんじゃ)は 八幡宮と来宮神社の合殿です 社伝によれば 八幡宮は 正八幡宮を一国一社と定めて勧請〈神護景雲3年(769年)〉した際の伊豆国の代表八幡宮です 来宮神社は 伊波久良和気命を祀り 古来から 来宮大明神と崇められた延喜式神名帳所載の式内社です

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・八幡神社(南伊豆町子浦)

一緒に読む
八幡神社(南伊豆町子浦)

八幡神社(はちまんじんじゃ)は 南伊豆町子浦の小高い斜面にあり 本殿の覆い屋の中に〈八幡宮〉と〈天満宮〉の2つの本殿が鎮座しています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「伊波久良和氣命神社(いはくらわけのみことの かみのやしろ)」の論社です

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意波與命神社(いはよのみことの かみのやしろ)

・本郷富士浅間神社(下田市)

阿米都加多比咩命神社(あめつかたひめのみことの かみのやしろ)

・三島神社(南伊豆町下小野)

三島神社(南伊豆町下小野)

三島神社(みしまじんじゃ)は 古くは門野明神 江戸時代には大宮と称して 上下小野の総鎮守であったとされ 村の古老の伝えでは 青野村の三島神の妹神であると云い 式内社「阿米都加多比咩命神社(あめつかたひめのみことの かみのやしろ)」に違いないとの説もあり 比定社とされています

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・姫宮神社〈姫宮大明神〉(南伊豆町一色)

姫宮神社〈姫宮大明神〉(南伊豆町一色)

姫宮神社(ひめみやじんじゃ)は 3つの式内社〈 ①伊波比咩命神社 ➁阿米都加多比咩命神社 ➂多祁伊志豆伎命神社 〉の論社とされています 江戸時代の『豆州志稿』によれば 一色村の姫宮明神と称され 一棟三扉の祠で 中は姫宮 左は権現 右は御霊 廃絶して100年が経過しているが 天神社と云う旧祠があり 式内社であると記しています

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・三島神社(南伊豆町妻良)

三島神社(南伊豆町妻良)

三島神社(みしまじんじゃ)は 2つの式内社〈 ①大津往命神社 ➁阿米都加多比咩命神社 〉の論社とされる古社と伝わります 祭神の大津往命(おほつのゆきのみこと)は 大津(港)を守護する姫神とも 三嶋神の御子神とも 大国主命の妻神とも伝わります

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阿治古神社(あちこの かみのやしろ)

・大宮神社(大島町)

・阿治古神社(熱海市網代)

伊波比咩命神社(いはひめのみことの かみのやしろ)

・姫宮神社〈姫宮大明神〉(南伊豆町一色)

姫宮神社〈姫宮大明神〉(南伊豆町一色)

姫宮神社(ひめみやじんじゃ)は 3つの式内社〈 ①伊波比咩命神社 ➁阿米都加多比咩命神社 ➂多祁伊志豆伎命神社 〉の論社とされています 江戸時代の『豆州志稿』によれば 一色村の姫宮明神と称され 一棟三扉の祠で 中は姫宮 左は権現 右は御霊 廃絶して100年が経過しているが 天神社と云う旧祠があり 式内社であると記しています

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阿波神社(名神大)(あはの かみのやしろ)

・阿波命神社(神津島村)

志理太宜神社〈志理太乎宜神社〉(しりたをきの かみのやしろ)

・椎取神社(三宅島神着)

一緒に読む
椎取神社(三宅島 神着)

椎取神社(しいとりじんじゃ)は ジオスポットとして有名です 笠木だけを残して埋まったかつての鳥居が残され 平成12年(2000年)の噴火当時発生した 大量の泥流の凄まじさが判ります 神社の歴史は『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の由緒(格式ある歴史)を持っています この拝殿から さらに南西に約100m程奥の森の中には 太古から変わらずに残る神秘的な聖域に 聳え立つ溶岩の陰に 御本殿が祀られています

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・志理太乎宜神社(片瀬白田) 

論社
志理太乎宜神社(片瀬白田)

志理太乎宜神社(しりたおぎじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の論社とされ 早い時期から 三宅島の御祭神の分霊を祀っていたとも云われます 一方で八幡神を配祀して「来宮」とも「木の宮」ともされています 地元では 親しみを込めて「白田のキノミヤさん」と呼ばれています

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南子神社(みなみこの かみのやしろ)

南子神社Minamiko no kamino yashiro)三宅村 神着

一緒に読む
南子神社(三宅島 神着)

南子神社(なごじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の格式の高い由緒のある神社です 御笏神社の祭神「佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)」の一番目の王子とされる「南子命(Nago no mikoto)」を御祭神として祀ります 神着の南方にある 南子山の原生林の中に鎮座しています 

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三ノ朔幣神社(san no sakuheino kamino yashiro)〈南子宮 遥拝所〉御笏神社の本殿に合祀

遥拝所
御笏神社(三宅島 神着)

御笏神社(おしゃくじんじゃ)は ご神託に基づき永正13年(1516)現社地(三宅島 神着(かみつき)に ご遷座になりました 元々は「神着の東郷(ひがしごう)」三宅島の北東に鎮座していました 旧社地は明治7年(1874)の火山噴火で溶岩流の下になってしまいました 格式は高く『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「佐伎多麻比咩命神社(Sakitamahime no mikoto no kamino yashiro)」に比定され その他に4つの式内社の論社を合祀している由緒ある古社です

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三ノ朔幣神社〈南子宮 遥拝所〉 旧鎮座地

旧鎮座地
三ノ朔幣神社 旧鎮座地(三宅島 神着)

三ノ朔幣神社 旧鎮座地は 御笏神社(Oshaku Shrine)の東北100m程に鎮座します 三宅島 神着の南方にある南子山に鎮座する「南子神社(Nago Shrine)」の遥拝所であったとも 三宅島 阿古に鎮座する「富賀神社(Toga Shrine)」の遥拝所であったとも伝わります 現在は 御笏神社(Oshaku Shrine)に合祀されています

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后神社Kisaki Shrine)境内社の南子神社〈論社〉

論社
后神社(三宅島 伊ヶ谷)

后神社(きさきじんじゃ)は 御祭神について 三島大明神の三宅島の后「伊賀牟比売命(いかむひめのみこと)」は 幼い子を抱いて 入水し石になって海中に鎮まっていると『三宅記(みやけき)』に記されます そうした訳でしょうか 三宅島の伊ヶ谷港の高台から太平洋を眺めるように鎮座します 又『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される格式ある由緒を持ちます 江戸時代に 三宅島に流された「禊教の教祖・井上正鐵の碑」もあります

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南子神社(下田市 神子元島)
※式内社調査報告には記されていますが 現在 神子元島には神社や祠は見あたりません
波風が強く 何度も消失したとも伝わります

伊波氐別命神社(いはてわけのみことの かみのやしろ)

・諏訪神社(南伊豆町岩殿)

諏訪神社(南伊豆町岩殿)

諏訪神社(南伊豆町岩殿)は 『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の式内社「伊波氐別命神社」の論社で 「数十丈削立たる如き巌石上に鎮座す」と伝わります 現地も急斜面の上ですが この地は岩山なのでしょうか

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・右内神社(三島市梅名)

論社
右内神社(三島市梅名)

右内神社(うないじんじゃ)は 下田街道の左右に「左内神社」とともに 三嶋大社の御門守護神として 鎮座していたと伝わります 源頼朝公が伊豆に配流されていた頃 源氏再興を願い三嶋大社への参拝途上で 度々参詣したといわれています

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・夷子神社(伊東市川奈)

夷子神社(伊東市川奈)

夷子神社(えびすじんじゃ)は 川奈の漁師の信仰が厚い祠であったようです 『豆州志稿』に「ことに古い祠で 神ノ主〈御神体〉は 自然石」と記され 古老の口伝に「此の祠は 殊に古く 御神体は崇厳な自然石で 本殿真下の空井戸に鎮座している」と伝わります 一説に式内社 伊波氐別命神社の論社とされています

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穂都佐和氣命神社(ほつさわけのみことの かみのやしろ)

・両神社(下田市須崎)

一緒に読む
両神社(下田市須崎)

両神社(りょうじんじゃ)は 伊豆半島 下田の須崎港に鎮座します 須崎には 古代祭祀遺蹟の残る恵比寿島があり 伊豆半島の三島信仰の聖地ともされいて 当社も 江戸期には「両社明神」と呼ばれ「薬師堂」が祀られ「三島明神」であるとされていました こうしたことから『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の論社となっています

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・王子神社(南伊豆町 

一緒に読む
王子神社(南伊豆町)&(八幡神社(長鶴村))

王子神社(おうじじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載「穂都佐氣命神社(Hotsusake no mikoto no kamino yashiro)」の論社です 御祭神の別名は「満寧子(manneiko)」or「酒王子(Shuoji)」と呼ばれます 神社名称の「王子(おうじ)神社」とは ここから来ているのだと思われます

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・三島神社(南伊豆町入間

一緒に読む
三島神社(南伊豆町入間)

三島神社(みしまじんじゃ)は 『豆州志稿(ずしゅうしこう)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に 鎌倉時代末(1320年頃)修復の棟札がある と記されている古社です 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の 伊豆国 賀茂郡 穂都佐氣命神社(ほつさけのみことの かみのやしろ)の論社ともされています

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大津往命神社(おほつのゆきのみことの かみのやしろ)

・三島神社(南伊豆町妻良)

三島神社(南伊豆町妻良)

三島神社(みしまじんじゃ)は 2つの式内社〈 ①大津往命神社 ➁阿米都加多比咩命神社 〉の論社とされる古社と伝わります 祭神の大津往命(おほつのゆきのみこと)は 大津(港)を守護する姫神とも 三嶋神の御子神とも 大国主命の妻神とも伝わります

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・波布比咩命神社(下田市東本郷)

波布比咩命神社(下田市東本郷)

波布比咩命神社(はぶひめのみことじんじゃ)は 2つの式内社〈 ①波布比賣命神社 ➁大津往命神社 〉の論社とされています ①波布比賣命神社は 伊豆大島の波浮港に鎮座する波布比咩命神社の遥拝所であろうとされていて ➁大津往命神社は 大きな津〈港〉を守護する女神であろうとされています

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波治神社(はちの かみのやしろ)

・波知加麻神社(大島町)

布佐乎宜神社(ふさをきの かみのやしろ)

・三嶋神社(河津町逆川)

三嶋神社(河津町逆川)

三嶋神社(みしまじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「布佐乎宜神社(ふさをきの かみのやしろ)」の論社です 配祀の若宮〈三島神の御子神 布佐乎宜命〉がそうではないかとも云われています

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・三島神社(河津町川津筏場)

三島神社(河津町川津筏場)

三島神社(みしまじんじゃ)は もと筏場小川に鎮座した「小川三島大明神」を元亀年間(1570〜73)に現在地に遷座されたと伝わります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「布佐乎宜神社(ふさをきの かみのやしろ)」の論社です

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佐佐原比咩命神社(ささはらひめのみことの かみのやしろ)

・姫宮神社〈笹原明神〉(河津町笹原)

姫宮神社(河津町笹原)

姫宮神社(ひめみやじんじゃ)は 奥伊豆最古ともいわれ『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「佐々原比咩命神社(ささはらひめのみことのかみのやしろ)」の比定社です しかし 河津川に面した湿地帯に在って 昔から洪水で流され再建することを繰り返し大社殿になれず 最後の庁屋も洪水で流失したといわれ 代々来宮神社の法印に祭祀されていたと伝わります 平成14年(2002)現在地に再建

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・川津来宮神社〈杉桙別命神社〉(河津町田中)〈合祀先〉

川津来宮神社〈杉桙別命神社〉(河津町田中)

杉桙別命神社(すぎほこわけのみことじんじゃ) は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の式内社「杉桙別命神社」です 本殿横の「大クス」は 昭和11年 国天然記念物に指定された目通り周14m高さ24m樹齢1000年以上といわれる巨木のご神木です

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竹麻神社三座(たかまの かみのやしろ みくら)

・月間神社(南伊豆町手石)

月間神社(南伊豆町手石)

月間神社(つきまじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「竹麻神社 三座」の一座とされています 村人の伝えでは 竹麻神社三座の三嶋大神・后神・御子神が神津島から上陸された場所で 更に この地から田方の三島大社に遷座されたと伝承されています

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・八幡神社(下田市吉佐美)〈合祀 三島神社〉

八幡神社(下田市吉佐美)

八幡神社(はちまんじんじゃ)は『平家物語』の鵺(ぬえ)退治の説話でも有名な源 頼政公〈1104~1180〉が知行国の伊豆国に石清水八幡宮を勧請して 地名を朝日里から吉佐美に改めたのが当社 合わせて配祀の若宮〈八幡若宮ではなく 三島神の若宮〉をこの地に遷座と伝わります 3つの式内社の論社で 本殿・相殿・右殿にそれぞれ① 加彌命神社〈本殿〉➁ 竹麻神社 三座〈相殿 三島神社〉➂ 多祁美加々命神社〈右殿 若宮〉が祀られています

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・若宮神社(南伊豆町湊)

若宮神社(南伊豆町湊)

若宮神社(わかみやじんじゃ)は 三嶋大神の若宮〈御子神 物忌奈命〉を祀ります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社 竹麻神社 三座(たかまの かみのやしろ みくら)〈三嶋大神・后神・御子神〉の一座とされます 伊豆半島から上対馬〈神津島〉を遥拝するように創建されたのが竹麻神社三座の初めとされています

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・竹麻神社(下田市高馬)

竹麻神社(下田市高馬)

竹麻神社(ちくまじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の2つの式内社〈  ①竹麻神社 三座 ➁ 多祁伊志豆伎命神社 〉の論社です ①竹麻の音を「ちくま」or「たかま」と呼称し  ➁ 同様にタケイシズキにも 地名の高馬(たけま)が近く 論社となっているようです

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・本郷富士浅間神社(下田市)

・三島神社(南伊豆町青市)

三島神社(南伊豆町青市)

三島神社(みしまじんじゃ)は 上青市の産土神です 静岡縣神社誌などに式内社「竹麻神社 三座」の論社とされています 末社の高根祠はかつて山の上に在ったが 鯉名沖を往来する船が遥拝しないと必ず災いがあったので この里に遷座したとの伝承を持ちます

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・三島神社〈柿崎神社〉(下田市柿崎)〈合祀 武峰神社〉

三島神社(下田市柿崎)

三島神社(みしまじんじゃ)は 江戸時代には 三島大明神・住吉大明神と呼称されていて 古くからの土ノ神〈鎮守〉です 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の2つの式内社〈  ①竹麻神社 三座 ➁ 多祁富許都久和氣命神社 〉の論社であった武峯山〈武山〉に鎮座していた「武峰神社」を合祀しています

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加毛神社二座(かもの かみのやしろ ふたくら)

・加畑賀茂神社(南伊豆町町下賀茂)

加畑賀茂神社(南伊豆町町下賀茂)

加畑賀茂神社(かばたかもじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 式内社「加毛神社 二座」の内の一座とされ 創建は 平安時代初期 大同年間(806~810)と伝えられています 御神木 ビャクシン(イブキ)の樹齢は1200年で その頃からあるとされます

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・三島神社(南伊豆町二條)

三島神社(南伊豆町二條)

三島神社(みしまじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「加毛神社 二座(かものかみのやしろ ふたくら)」の内 一座(ひとくら)とされています 社頭には伊豆半島でも屈指の樹齢千年以上の大楠2株「夫婦楠」があり その存在感には圧倒されます

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田方郡(たかたの こおり) 24座(大1座・小23座)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

荒木神社(あらきの かみのやしろ)

・荒木神社(伊豆の国市原木)

文梨神社(ふむなしの かみのやしろ)

・左内神社(三島市

論社
左内神社(三島市中島)

左内神社(さないじんじゃ)は 三嶋大社の御門の守護神として 右内神社とともに下田街道の左右に祀られていました その旧鎮座地は手無という地名です 『延喜式神名帳』の論社とされいて 手無にある「手無地蔵」は「式内社・文梨神社」の旧社地とも云われます 更に通称名として「天地(ame tsuchi)宮」とも呼ばれていて「式内社・阿米都知(ame tsuchi)命神社」の論社とも云われています

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満宮神社函南町

論社
満宮神社(田方郡函南町)

満宮神社(まんぐうじんじゃ)は 第84代 順徳天皇の著『八雲御抄(yakumo misho)』〈鎌倉時代〉の歌論書に「伊豆国 田方郡(たがたのこおり)」にある鎮守の杜を指す言葉として「田方の杜(たがたのもり)」と称されたとする伝承があります 「田方の杜(たがたのもり)」ですから 田方郡でも 重要な神社として認識されていたであろうことが伺えます

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神明神社(西浦江梨)

論社
神明神社(沼津市西浦江梨)

神明神社は 『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉には 神社名を「文梨神社(Fumunashi no kamino yashiro)」「八幡(ハチマン)神明(シンメイ)あわせ祀る」と記されています 

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輕野神社(かろのの かみのやしろ)

軽野神社(伊豆市)

一緒に読む
軽野神社(伊豆市)

軽野神社(かるのじんじゃ)は 『日本書紀(にほんしょき)』応神天皇 5年10月の条 に「伊豆国に造船を命じた 長さ十丈(約30m)試しに海に浮かべると 軽くてよく走るので その船を『枯野(カルノ)』と名付けた」とあり これが狩野(カルノ)郷の語源であると言われています

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・子神社(伊豆市)

一緒に読む
子神社(伊豆市加殿)

子神社(ねのじんじゃ)は 大正初年(1912)境内より4世紀頃の神獣鏡(仿製鏡)が出土しています 古代からの祭祀場であったのかもしれません『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の所載「伊豆国 田方郡 輕野神社(かろのの かみのやしろ)」の論社でもあります 

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廣瀬神社(伊豆の国市)

論社
廣瀬神社(伊豆の国市)

広瀬神社(ひろせじんじゃ)は 古来より 田中郷5ヶ村の総鎮守で『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の論社です 社伝によれば 往古 社殿は 金銀をちりばめ壮大にして 禰宜36人 供僧6坊を置き 神領8町8反大50歩永80貫文を充てられ 隆盛を極めたとされ 三島大社はその昔 下田の白浜から この地に移り その後に三島に遷祀したと伝わります

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倭文神社(しとりの かみのやしろ)

倭文神社(伊豆市大野) 

一緒に読む
倭文神社(伊豆市大野)

倭文神社(しどりじんじゃ)は 伊豆市大野にある倭文山の山頂に鎮座する『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 式内社゛倭文神社(しとりの かみのやしろ)゛の論社です 縄文遺跡もあり この地が古くから 渡来文化(機織技術など)で開けていたことを示すものとされています

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鍬戸神社(三島市長伏) 

一緒に読む
鍬戸神社(三島市長伏)

鍬戸神社(くわとじんじゃ)は 江戸期には 鍬手明神と云われていました 同じ境内地の中に 同じく延喜式内社の高橋神社〈東北東向き〉と背中合わせに 鍬戸神社の本殿〈南南東向き〉が並び建てらけて お祀りされています

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小坂神社(伊豆の国市小坂)合祀 の葛城山に鎮座した葛城神社」

一緒に読む
小坂神社(伊豆の国市)

小坂神社(おさかじんじゃ)は 明治6年(1873) に 地区内各所に祀られていた17の神社が合祀されました その中の一祠は 古来から葛城山の山頂に鎮座し 合祀当時は 山麓の寺に遷されて小祠として祀られていた「葛城神社」〈式内社「倭文神社(しとりの かみのやしろ)」の論社〉です

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聖神社(伊豆市月ヶ瀬) 

一緒に読む
聖神社(伊豆市月ヶ瀬)

聖神社(ひじりじんじゃ)は 聖ヶ森に鎮座していた聖宮大明神を明治9年(1876)この社殿に合祀し主神として祀ったものです 最古の上梁文に永正9年(1512)のものがあり 村名に「槻瀬村」とあり 現在の地名『月ヶ瀬』の由来を示す者とされています

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高椅神社(たかよりの かみのやしろ)

・高橋神社(三島市)

一緒に読む
高橋神社(三島市)

高橋神社(たかはしじんじゃ)は 第40代 天武天皇(テンムテンノウ)〈即位AD673~686〉から 高橋朝臣(タカハシノアソミ)を賜り〈膳臣(かしわでのおみ)の姓(かばね)を改めた〉高橋氏の子孫が この地に住み 祖神を祀ったのが その起源とされています

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長濱神社(なかはまの かみのやしろ)

・長濱神社(沼津市内浦長浜)

久豆弥神社(くつみの かみのやしろ)

・葛見神社(伊東市馬場町)

葛見神社(伊東市馬場町)

葛見神社(くずみじんじゃ)は 葛見の庄の初代地頭 工藤祐高公〈伊東家次・・・伊東家の祖〉が社殿を造営し 守護神として京都伏見稲荷を勧進合祀して 伊東家の厚い保護と崇敬を受けて神威を高めてきました 境内の大クスは 樹齢約千年 目通り20mに及び全国でも有数な老樟として有名です

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・湯前神社(熱海市上宿町)

湯前神社(熱海市上宿町)

湯前神社(ゆぜんじんじゃ)は 熱海温泉の守り神として 少彦名命が祀られる 式内社「久豆弥神社(くつみの かみのやしろ)」の論社です 創建は 今から1200年程前 天平勝寶元年(749)と伝わり 伝説では その頃 熱海の海中に沸いていた熱湯を 高僧の萬巻上人が山腹に移し その近くに祠を祀ったのが始まりと伝わります 

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石徳髙神社(いはとくのたかの かみのやしろ)

・守山八幡宮(伊豆の国市寺家)

守山八幡宮(伊豆の国市寺家)

守山八幡宮(もりやまはちまんぐう)は 1180年(治承4年)源頼朝公が 源氏再興を祈願して挙兵した時に本陣を張った北條郷の地で 辺りには北条氏の屋敷があり 源頼朝公は 襲い討った山木判官平兼隆の屋敷から火の手が上がるのをこの辺りから見たとされます

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・豆塚神社(伊豆の国市北江間)

豆塚神社(伊豆の国市北江間)

豆塚神社(まめづかじんじゃ)は かつて石徳高命が降られたという雄徳山に式内社「石徳高神社」が祀られていました その後 狩野川が流路を西に変え 郷(依馬郷)が 江間と北條に二分されたので 鎮守も二社(当社と守山八幡宮)に分祀されたものと伝わります

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・多賀神社(三島市谷田)

多賀神社(三島市谷田)

多賀神社(たがじんじゃ)は もと三嶋大社 摂社の一つで 田川神社とも田河とも称された 2つの式内社「① 石徳髙神社(いはとくのたかの かみのやしろ)➁ 劔刀乎夜尓命神社(けむとをやにのみことの かみのやしろ)」の論社です

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・岩徳高神社(伊豆市徳永)

岩徳高神社(伊豆市徳永)

岩徳高神社(いわとくたかじんじゃ)は 境内に昭和50年頃まで樹齢約500年の年輪を数えたスギの大木があったという 昔から八軒の世襲の鍵取が決まっていて 当番の鍵取はその年一年は 毎月1日15日に献饌などの奉仕をし 氏子は蒜(ヒル)を栽培すると災いがおきるとの禁忌があり 今もその伝えは守られている

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伊加麻志神社(いかましの かみのやしろ)

・伊加麻志神社(伊豆市堀切)

・神益麻志神社(伊豆の国市神島)

廣瀬神社(ひろせの かみのやしろ)

廣瀬神社(伊豆の国市)

一緒に読む
廣瀬神社(伊豆の国市)

広瀬神社(ひろせじんじゃ)は 古来より 田中郷5ヶ村の総鎮守で『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の論社です 社伝によれば 往古 社殿は 金銀をちりばめ壮大にして 禰宜36人 供僧6坊を置き 神領8町8反大50歩永80貫文を充てられ 隆盛を極めたとされ 三島大社はその昔 下田の白浜から この地に移り その後に三島に遷祀したと伝わります

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廣瀬神社(伊豆国四之宮)〈楽寿園 内〉

論社
廣瀬神社(伊豆国四之宮)〈楽寿園 内〉

廣瀬神社(楽寿園内)(ひろせじんじゃ)(らくじゅえんない)は 三嶋大社が 現在地(三島にあったとされる伊豆国の国府の傍)に遷座した時に 伊豆国府から国守が 廣瀨瀬神社を遥拝するために設けた遥拝所との説もあります 三嶋大社の元摂社で「伊豆国四之宮」とされています 一時は 隣接地の浅間神社(伊豆国二之宮)境内に遷座しましたが 昭和27年(1952)に楽寿園が公営公園となった際に園内に再建されました

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満宮神社函南町

論社
満宮神社(田方郡函南町)

満宮神社(まんぐうじんじゃ)は 第84代 順徳天皇の著『八雲御抄(yakumo misho)』〈鎌倉時代〉の歌論書に「伊豆国 田方郡(たがたのこおり)」にある鎮守の杜を指す言葉として「田方の杜(たがたのもり)」と称されたとする伝承があります 「田方の杜(たがたのもり)」ですから 田方郡でも 重要な神社として認識されていたであろうことが伺えます

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小河泉水神社(をかはいつみの かみのやしろ)

・小河泉水神社(清水町湯川宮脇)

・伊豆山 子恋の森公園「古々比社跡地」or「古々井社跡地」(廃絶)

大朝神社(をほあさの かみのやしろ)

・大宮神社〈白岩大朝神社〉(伊豆市上白岩)

・大朝神社(沼津市下香貫)

・神益麻志神社(伊豆の国市神島)

・赤王神社(三島市大場)

・鷲頭神社 奥宮(沼津市大平)

・鷲頭神社(沼津市大平)

玉作水神社(たまつくりのみの かみのやしろ)

・玉作神社(沼津市黒瀬町)

・愛鷹神社(三島市三好町)

・神明宮(三島市平田)

楊原神社(名神大)(やなきはらの かみのやしろ)

・楊原神社(沼津市下香貫)

・楊原神社(伊豆国三之宮)

論社
楊原神社〈伊豆国三之宮〉三島市北田町

楊原神社(やなぎはらじんじゃ)は 伊豆国三之宮とされる名社で 三嶋大社に次ぐ古い歴史を持ち『延喜式神名帳』所載の名神大社です この地は 三嶋大社の境外摂社として かつて伊豆国の国府があった場所の付近に鎮座していますので 沼津に鎮座する楊原神社を国司が遥拝する為の遥拝所とした説や 国境が変わったので遷座したのであろうとの説もあります

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加理波夜須多祁比波預命神社(かりはやすたきひはよのみことの かみのやしろ)

・比波預天神社(伊東市宇佐美)

・三島神社(伊東市赤沢)

・山木 皇大神社(伊豆の国市韮山山木)

剱刀乎夜尓命神社(けむとをやにのみことの かみのやしろ)

・劔刀神社(伊豆の国市戸沢)

・赤王神社(三島市大場)

・多賀神社(三島市谷田)

多賀神社(三島市谷田)

多賀神社(たがじんじゃ)は もと三嶋大社 摂社の一つで 田川神社とも田河とも称された 2つの式内社「① 石徳髙神社(いはとくのたかの かみのやしろ)➁ 劔刀乎夜尓命神社(けむとをやにのみことの かみのやしろ)」の論社です

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火牟須比命神社(ほむすひのみことの かみのやしろ)

・雷電社〈伊豆山神社 境内摂社〉

・本宮社(熱海市伊豆山)

・伊豆山神社(熱海市伊豆山)

・伊豆山 子恋の森公園「古々比社跡地」or「古々井社跡地」(廃絶)

・竈神社〈荒神社〉(伊豆の国市南條)

・火牟須比神社(伊東市鎌田)

白浪之弥奈阿和命神社(しらなみのみなあわのみことの かみのやしろ)

・多賀神社(熱海市上多賀)

・下多賀神社(熱海市下多賀)

・大瀬神社(沼津市西浦江梨)

・淡島神社〈厳島神社〉(沼津市内浦重寺淡島)

金村五百君和氣命神社(かなむらいほきみわけのみことの かみのやしろ)

・奈胡谷神社(伊豆の国市奈古谷)

・御嶽神社(伊豆の国市韮山金谷)

・熊野神社(伊豆市熊坂)

引手力命神社(ひきたちからのみことの かみのやしろ)

・引手力男神社(伊東市十足)

・大瀬神社(沼津市西浦江梨)

・肥田神社(函南町肥田)

金村五百村咩命神社(かなむらいほむらひめのみことの かみのやしろ)

・初姫神社(函南町仁田)

阿米都瀬氣多知命神社(あめつせのけたちのみことの かみのやしろ)

・右内神社(三島市梅名)

論社
右内神社(三島市梅名)

右内神社(うないじんじゃ)は 下田街道の左右に「左内神社」とともに 三嶋大社の御門守護神として 鎮座していたと伝わります 源頼朝公が伊豆に配流されていた頃 源氏再興を願い三嶋大社への参拝途上で 度々参詣したといわれています

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・左内神社(三島市中島)

論社
左内神社(三島市中島)

左内神社(さないじんじゃ)は 三嶋大社の御門の守護神として 右内神社とともに下田街道の左右に祀られていました その旧鎮座地は手無という地名です 『延喜式神名帳』の論社とされいて 手無にある「手無地蔵」は「式内社・文梨神社」の旧社地とも云われます 更に通称名として「天地(ame tsuchi)宮」とも呼ばれていて「式内社・阿米都知(ame tsuchi)命神社」の論社とも云われています

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・天地神社(函南町平井)

・気多神社(沼津市内浦三津)

剱刀石床別命神社(けむといはとこわけのみことの かみのやしろ)

・劒刀石床別命神社(三島市谷田)

・山木 皇大神社(伊豆の国市韮山山木)

鮑玉白珠比咩命神社(あはびたましらたまひめのみことの かみのやしろ)

・鮑玉白珠比咩命神社(沼津市西浦木負)

・佐野神社(伊豆市雲金佐野)

那賀郡(なかの こおり) 22座(並小)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

箕勾神社(みのわの かみのやしろ)

・箕勾神社(松崎町峰輪)

箕勾神社(松崎町峰輪)

箕勾神社(みのわじんじゃ)は 創建年代など不詳ですが 頗る古社で 天神の杜(もり)に鎮座する天神社と呼ばれたと伝わっています 延喜式内社 伊豆国 那賀郡 箕勾神社(みのわの かみのやしろ)の論社ともされています

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・野本神社〈大神宮〉(松崎町峰輪)

野本神社〈大神宮〉(松崎町峰輪)

野本神社〈大神宮〉(のもとじんじゃ)は 元和二年(1616)の棟札に「大神宮大六天魔王野本村鎮守也」と記され 享保の初め(1716年~)の火災で小祠となったと伝わります 延喜式内社 伊豆国 那賀郡 箕勾神社(みのわの かみのやしろ)の論社でもあります

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伊志夫神社(いしふの かみのやしろ)

・伊志夫神社(松崎町石部)

・伊那下神社(松崎町松崎)

伊那上神社(いなかみの かみのやしろ)

・伊那上神社(松崎町宮内)

・仲神社(松崎町那賀)

仲神社(なかの かみのやしろ)

・仲神社(松崎町那賀)

・伊那上神社(松崎町宮内)

井田神社(ヰたの かみのやしろ)

・井田神社(沼津市井田)

・気多神社(沼津市内浦三津)

伊那下神社(いなしもの かみのやしろ)

・伊那下神社(松崎町松崎)

・舟寄神社(松崎町江奈)

仲大歳神社(なかおほとしの かみのやしろ)

・神明神社(西伊豆町中)

・伊那下神社(松崎町松崎)

・仲神社(松崎町那賀)

・伊那上神社(松崎町宮内)

多尓夜神社(たにやの かみのやしろ)

・多爾夜神社(西伊豆町安良里)

・山神社(西伊豆町安良里)〈多爾夜神社の古社地〉

哆胡神社(たこの かみのやしろ)

・哆胡神社(西伊豆町田子)

宇久須神社(うくすの かみのやしろ)

・宇久須神社(西伊豆町宇久須)

・別所神社〈熊野大権現〉(西伊豆町宇久須)

部多神社(へたの かみのやしろ)

・部田神社(沼津市戸田)

佐波神社二座(さはの かみのやしろ ふたくら)

・佐波神社(西伊豆町仁科)

佐波神社(西伊豆町仁科)

佐波神社(さわじんじゃ)は 巨船を造り崇神天皇に献上したとされる゛鴨ケ池(かまがき)゛と呼ばれる池の辺り〈現在の゛鴨ヶ池遺跡゛仁科港の一部(船溜まり)〉に鎮座していましたが 明応7年(1498)に発生した゛明応東海地震の津波゛に流され 御神体が現在の鎮座地に漂着したと伝わります 延喜式内社 伊豆國 那賀郡 佐波神社二座(さはの かみのやしろ ふたくら)の論社です

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・山神社〈山王神社〉(西伊豆町大沢里)

山神社〈山王神社〉(西伊豆町大沢里)

山神社〈山王神社〉(やまじんじゃ)は 創建年代などは不祥です かつて゛子ノ神を宇波明神゛゛山王を山神゛と称していたらしく 延喜式内社 伊豆國 那賀郡 佐波神社二座(さはの かみのやしろ ふたくら)の内一座とする説があります 又同じく式内社の瓺玉命神社(みかたまのみことの かみのやしろ)の論社ともされています

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布刀主若玉命神社(ふとぬしのわかたまのみことの かみのやしろ)

・神明神社(西伊豆町仁科)

國柱命神社(くにはしらのみことの かみのやしろ)

・國柱命神社(松崎町岩科南側)

稲宮命神社(いなみやのみことの かみのやしろ)

・稲宮神社(伊豆市土肥)

稲宮神社(伊豆市土肥)

稲宮神社(いなみやじんじゃ)は 室町時代に稲宮神社の神主が神社の傍で微温湯に正月初頃 試に稻種を浸し発育をまち 社前に設けた神饌田に移植すると 水温適し 霜雪虫害の患もなく発育し結実良好 土用前〈6月〉には収穫ができたといいます 延喜式内社 伊豆國 那賀郡 稲宮命神社(いなみやのみことの かみのやしろ)の論社です

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・神明神社(伊豆市八木沢)

神明神社(伊豆市八木沢)

神明神社(しんめいじんじゃ)は 一時廃頽し所在不明であった『伊豆国神階帳(1343年)』所載゛みかたま姫の明神゛『延喜式神名帳(927年)』所載の゛甕玉命神社(みかたまのみことの かみのやしろ)゛の論社です 又 鎮座地の八木澤は 昔゛米澤゛の地名であったので式内社 稻宮命神社(いなみやのみことの かみのやしろ)との説もあり 現在 二つの式内社の論社となっています

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石倉命神社(いはくらのみことの かみのやしろ)

・浅間神社(伊豆市小下田)

國玉命神社(くにたまのみことの かみのやしろ)

・諸口神社(沼津市戸田)

・国玉神社(伊豆市小土肥)

玉命神社(みかたまのみことの かみのやしろ)

・神明神社(伊豆市八木沢)

神明神社(伊豆市八木沢)

神明神社(しんめいじんじゃ)は 一時廃頽し所在不明であった『伊豆国神階帳(1343年)』所載゛みかたま姫の明神゛『延喜式神名帳(927年)』所載の゛甕玉命神社(みかたまのみことの かみのやしろ)゛の論社です 又 鎮座地の八木澤は 昔゛米澤゛の地名であったので式内社 稻宮命神社(いなみやのみことの かみのやしろ)との説もあり 現在 二つの式内社の論社となっています

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・山神社〈山王神社〉(西伊豆町大沢里)

山神社〈山王神社〉(西伊豆町大沢里)

山神社〈山王神社〉(やまじんじゃ)は 創建年代などは不祥です かつて゛子ノ神を宇波明神゛゛山王を山神゛と称していたらしく 延喜式内社 伊豆國 那賀郡 佐波神社二座(さはの かみのやしろ ふたくら)の内一座とする説があります 又同じく式内社の瓺玉命神社(みかたまのみことの かみのやしろ)の論社ともされています

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・山神社(西伊豆町大沢里宜ノ畑

山神社(西伊豆町大沢里禰宜ノ畑)

山神社(やまじんじゃ)は 西伊豆の大浜海岸の辺りから仁科川を溯り 天城連山に分け入る県道59号を進み 仁科の集落を抜けて さらに山道へ〈平家の落人伝説も残る山深い〉祢宜ノ畑の集落に鎮座します 延喜式内社 伊豆國 那賀郡 瓺玉命神社(みかたまのみことの かみのやしろ)の論社とされています

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國玉命神社(くにたまのみことの かみのやしろ)

・諸口神社(沼津市戸田)

・国玉神社(伊豆市小土肥)

・浦守神社(西伊豆町安良里)

豊御玉命神社(とよみたまのみことの かみのやしろ)

・土肥神社(伊豆市土肥)

青玉比賣命神社(あをたまひめのみことの かみのやしろ)

・八幡神社(伊豆市小土肥)

・淡島神社〈厳島神社〉(沼津市内浦重寺淡島)

東海道に鎮座する 731座『延喜式神名帳』の所載一覧 に戻る

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東海道に鎮座する 731座『延喜式神名帳』の所載一覧

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています

このページは
「東海道」に鎮座する(731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679)神社の一覧表です

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています