石部神社(いそべじんじゃ)は 「石部・石邊君」などの古代氏族と関係が深く 社伝に創立は崇神天皇の御代 天日方奇比方命を石部邑に奉齋 翌八年九月 大名牟遅尊を相殿に勧請 次いで垂仁天皇の御代 奇比方命の神託により天照皇大神を正座に奉祀と云う 延喜式内社 近江國 愛智郡 石部神社二座(いそへの かみのやしろ ふたくら)です
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
石部神社 下社(Isobe shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
滋賀県愛知郡愛荘町沓掛147
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天照坐皇大御神(あまてらします すめおほみかみ)
《主》天日方奇日方命(あめのひかたくしひかたのみこと)
《配》国造大名牟遅命(くにのみやつこ おほなむちのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
石部神社
石部神社は、延喜(えんぎ)五年(九〇五)に醍醐(だいご)天皇の命により編纂(へんさん)された『延喜式』にその名がみられる。
社伝の一つには神護景雲(じんごけいうん)元年(七六七)石部公行冨の創祀と記され、石辺公の始祖、久斯比賀多命(くしひがたのみこと)(天日方奇日方命 あめひがたくしひがたのみこと)が祭神に含まれることから、「石部」や「石辺君」などの古代氏族と関係が深い神社であるとされる。
かつては上社(かみしゃ)と下社(しもしゃ)に分かれていたが、応仁の乱で上社は罹災(りさい)し、下社(現在地)境内に移されたと伝わる。上社の跡地は磯部の小字善法寺方といわれ、現在は石部神社の御旅所となっている。
本殿の右奥に位置する境内社は上ノ社と呼ばれ、寛政三年(一七九一)の棟札が残る。もとは本殿であったが、新本殿造営のため昭和十八年(一九四三)に現在地に移築された。
平成二十六年三月 愛荘町教育委員会
現地案内板より
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石部神社
祭神
天照大御神
天日方奇日方命
大名牟遅命
大國主命
當社ハ 延喜式近江國愛知郡三座 石部神社トアル名社ナリ 人皇第十代崇神天皇の御代創立ニシテ初メ・・・
・・・・〈判読不能につき以下略〉
現地案内板より
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【由 緒 (History)】
石部(イソベ)神社
御由緒
延喜式内社で崇神天皇の御代 天日方奇日方命を祀る。
後年 神託により国造大名牟遅命を相殿に勧請し、垂仁天皇の御代に天照大神 倭笠縫邑より度会邑に遷らせ給う途次 当社に半歳奉安したことにより元伊勢乃石部之宮と称し、天照大神を主神として奉斎した。
天正年間 僧行基は大日如来、十一面観音、延命地蔵の三軀を本地仏として配祀するなどのこともあった。
武家の尊敬も篤く、後鳥羽上皇は戦勝御祈願のため名刀と菊桐の紋章を奉納されたとも伝えられている。
再三兵火に遭っているが都度復旧し、明治初年石部神社と改称し同9年村社に、同15年郷社となり 昭和5年更に県社に昇格した。
本殿、祝詞殿、中門等は昭和4年神宮御遷座の古材によって建設されたものである。
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
〇滋賀縣 近江國 愛知郡愛知川町大字沓掛
郷社 石部神社
祭神
天照坐皇大御神(アマテラシマス スメオホミカミ)
天日方奇比方命(アメノヒカタクシヒカタノミコト)
相殿
國造大名牟遅尊(クニノミヤツコ オホナムチノミコト)創立は崇神天皇七年三月にして、初め天日方奇比方命を石部邑に奉齋せしが、翌八年九月 大名牟遅尊を相殿に勧請し、次いで垂仁天皇の二十八年三月、奇比方命の神託により、天照皇大神を正座に奉祀せりといふ(社伝)、文徳天皇 仁壽元年正月 正六位上を奉授せられ、醍醐天皐 延喜の制 小社に列す、爾後 進階十度に及び、靈元天皇 延宝七年正一位に進められたり、故に明治維新前迄は正一位式内石部神社と稱したり、
明治九年十月村社に列し、同十五年八月郷社に昇格せらる、
社殿は本殿、拝殿、神輿庫、祝詞殿、渡り殿、社務所等あり、境内凡千四百三十坪(官有地第一種)并に民有地六百十九坪を有せり、御神體は八花形寶鏡にして、寶物は天和元年書寫の石部神社記、応永九年書寫の石部神社記あり。境内神社
豊受神社 八幡神社 小森神社
【原文参照】
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・石部神社 社殿
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・石部神社 本殿
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・石部神社 拝殿
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・〈境内社〉石部上社
石部神社は 元々は二座で 上社(かみしゃ)と下社(しもしゃ)に分かれていたが 応仁の乱で上社は罹災(りさい)し 下社(現在地)境内に移されたと伝わる
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・社頭・二の鳥居
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・一の鳥居
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・石部神社の御旅所〈石部神社 上社跡(愛知郡愛荘町石橋)〉
石部神社は 元々は二座で
上社(かみしゃ)と下社(しもしゃ)に分かれていたが 応仁の乱で上社は罹災(りさい)し 下社(現在地)境内に移されたと伝わる 上社の跡地は磯部の小字善法寺方といわれ 現在は石部神社の御旅所となっている
・石部神社 上社跡(愛知郡愛荘町石橋)についての詳細は こちらの記事を参照
〈現在は 石部神社 下社の御旅所〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)近江國 155座(大13座・小142座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)愛智郡 3座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 石部神社二座
[ふ り が な ](いそへの かみのやしろ ふたくら)
[Old Shrine name](Isohe no kaminoyashiro futakura)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 近江國 愛智郡 石部神社二座(いそへの かみのやしろ ふたくら)の論社について
・石部神社 下社(愛知郡愛荘町沓掛)
石部神社(いそべじんじゃ)は 「石部・石邊君」などの古代氏族と関係が深く 社伝に創立は崇神天皇の御代 天日方奇比方命を石部邑に奉齋 翌八年九月 大名牟遅尊を相殿に勧請 次いで垂仁天皇の御代 奇比方命の神託により天照皇大神を正座に奉祀と云う 延喜式内社 近江國 愛智郡 石部神社二座(いそへの かみのやしろ ふたくら)です
石部神社 下社(愛知郡愛荘町沓掛)〈『延喜式』石部神社二座〉
・石部神社 上社跡(愛知郡愛荘町石橋)
〈現在は 石部神社 下社の御旅所〉
『延喜式神名帳』所載「いそへのかみのやしろ」の社号を持つ式内社とその論社について
『延喜式神名帳』に所載される各々の「いそへのかみのやしろ」は 古代の氏族・「石邊公」「石部氏」に関係する神社 又は 海人族の「磯部氏」に関係する神社とも云われ 数多く分布しています
音は「いそへ」と同じでも その要因は 様々な要素から成り立っていて 特定は非常に難しく その為 各々の神社を検証してみます
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
近江鉄道湖東東近江線 愛知川駅から線路に沿うように 北へ約900m 徒歩での所要時間12~15分程度
旧中山道を進みます
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旧中山道沿いに一の鳥居 社号標があり 参道の入口となっています
石部神社(愛知郡愛荘町沓掛)に参着
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こちらの参道入口の鳥居は 北西方向を向いていて 参道を進むと途中に南方向を向いている石部神社の鳥居・境内・社殿が左手にあります
参道の入口とは 境内が直角に交わっているようなイメージです
又 この参道は石部神社の先で畑になっていて 新幹線の線路等があり進めませんが 仮に さらに直線で伸ばすと 現在は 石部神社 下社の御旅所となっている石部神社 上社跡(愛知郡愛荘町石橋)の位置に通じています さらに御旅所から 宇曾川まで参道は伸びています つまり上社(かみしゃ)と下社(しもしゃ)に分かれていた頃からの道の名残なのかもしれません
ちょっとわかり難い説明なので 地図を添付しておきます
南を向いている石部神社の鳥居・境内・社殿です
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拝殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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石部神社の社殿は 拝殿の奥に更地があり 少し離れて 神門 本殿が建てられています
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本殿は 神門のある御透塀に囲まれて祀られています
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本殿の向かって右には 本殿と同じ方向を向いて〈境内社〉石部上社が祀られています
これは 石部神社は 元々は二座で 上社(かみしゃ)と下社(しもしゃ)に分かれていたが 応仁の乱で上社は罹災(りさい)し 下社(現在地)境内に移されたと伝わる上社です
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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社殿に一礼をして 境内を戻ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 石部神社 二座について 所在は゛沓掛村に在す゛〈現 石部神社(愛知郡愛荘町沓掛)〉と記しています
【抜粋意訳】
石部神社 二座
石部は伊曾倍と訓べし
○祭神 石邊公祖神歟
○沓掛村に在す、砥部 土橋 二村産土神なり、〔與地志〕
姓氏録〔左京神別下〕石邊公、大物主命男 久斯比賀多命之後也、`類社
(缺く)
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 石部神社 二座について 所在は゛今 沓掛村にあり゛〈現 石部神社(愛知郡愛荘町沓掛)〉と記しています
【抜粋意訳】
石部(イソベノ)神社 二座
今 沓掛村にあり、磯部 土橋 二村の産土神とす、
凡毎年三月初酉日、祭を行ふ、〔近江與地志略〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 石部神社 二座について 所在は゛石部村〔今 石橋村〕゛〈現 石部神社 上社跡(愛知郡愛荘町石橋)〈現在は 石部神社 下社の御旅所〉〉と記しています
【抜粋意訳】
石部(イソベノ)神社 二座
祭神
今按 姓氏錄 石邊公 大物主命男 久斯比賀多命之後也とあるに據ば 大物主命 久斯比賀多命の二神を祭れるか 猶よく考べし
祭日 三月初酉日
社格 (合祀す)所在 石部村〔今 石橋村〕
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
石部神社(愛知郡愛荘町沓掛)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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近江国(おうみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 近江国には 式内社 155座(大13座・小142座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
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