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お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉

伊勢神宮お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社別宮所管社8社

お伊勢さん〈伊勢神宮〉125社の内訳

  正宮 別宮 摂社 末社 所管社 別宮所管社
皇大神宮 1 10 27 16 30 8 92
豊受大神宮 1 4 16 8 4   33
2 14 43 24 34 8 125

〈正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮14社・摂社43末社24社・所管社34社・別宮所管社8社

伊勢神宮お伊勢さん〉゛は ゛神宮゛の二文字が 正式名称です 神宮の読み方は(かみのみや・じんぐう) その内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・14の別宮(わけみや)・109の摂社(せっしゃ)・24の末社(まっしゃ)・34の所管社(しょかんしゃ)・8の別宮所管社゛の合わせて125のお社から成り立っています

〈参考〉伊勢神宮崇敬会HP
お伊勢さん125社まいり
https://www.jingukaikan.jp/125mairi/

正宮(しょうぐう)について

天照大御神(あまてらすおみかみ)をお祀りする皇大神宮(内宮)
豊受大御神(とようけのおみかみ)をお祀りする豊受大神宮(外宮)

皇大神宮(内宮)

天照大御神(あまてらすおほみかみ)をお祀りします

・皇大神宮(内宮)

一緒に読む
皇大神宮〈内宮〉(伊勢市宇治館町)〈伊勢神宮〉

皇大神宮(こうたいじんぐう)は 私たち日本人の総氏神「伊勢へ行きたい 伊勢路が見たい せめて一生に一度でも」と全国の人々で賑わう伊勢詣が有名です 通称を゛伊勢の内宮(ないくう)゛鎮座は゛垂仁天皇26年〈今から2000年前〉 御祭神は゛皇祖神 天照大御神゛御神体は皇位のしるし三種の神器の一つ゛八咫鏡(やたのかがみ)゛です

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豊受大神宮(外宮)

豊受大御神(とようけのおほみかみ)をお祀りします

・豊受⼤神宮(外宮)

一緒に読む
豐受大神宮〈外宮〉(伊勢市豊川町)〈伊勢神宮〉

豊受大神宮(とようけだいじんぐう)は 今から約1500年前 内宮の御祭神 天照大御神のお食事を司る御饌都神(みけつかみ)として 丹波国から現在の地にお迎えされました 御饌殿では 今日も神々に食事を供える日別朝夕大御饌祭が続けられています 内宮に対して外宮と並び称され 衣食住 産業の守り神としても崇敬されています

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別宮(べつぐう)14宮 について

別宮 ゛正宮のわけみやの意味

神宮の社宮のうち 正宮に次いで尊いとされます
正宮と関わりの深い神を祀るお宮 伊勢神宮のうち正宮に次いで格の高いお宮

式年遷宮も御正宮につづいて斎行されます
皇大神宮に10所豊受大神宮に4所

内宮 別宮(べつぐう)10宮

荒祭宮(あらまつりのみや)内宮域内の別宮〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 荒祭宮(大 月次 新嘗)(あらまつりのみや)

・荒祭宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉 《主》天照大御神荒御魂

一緒に読む
荒祭宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉

荒祭宮(あらまつりのみや)は 『皇太神宮儀式帳〈延暦23年(804)〉』に「荒祭宮一院 大神宮の北にあり 相去ること二十四丈 大神宮の荒御魂宮と称す」とあり『延喜太神宮式〈延長5年(927)〉』に「荒祭宮一座 大神の荒魂」とも見える古社です 天照大御神の荒御魂を祀り 内宮に所属する十所の別宮のうち 第一に位しています

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月讀宮(つきよみのみや)伊勢市中村町)〈内宮域外の別宮〉
月讀荒御魂宮(つきよみあらみたまのみや)内宮域外の別宮(月讀宮境内)〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 月讀宮二座(荒御魂命一座・並 大 月次 新嘗)(つきよみのみや ふたくら)

・⽉讀宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉 《主》⽉読尊
⽉讀荒御魂宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉《主》⽉読尊荒御魂

一緒に読む
月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉

月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮は 各々が皇大神宮(内宮)の別宮で 明治6年(1873)現在の四つ宮並列した形で鎮座しました 『皇太神宮儀式帳(804年)』には「月讀宮一院 正殿四区」と一宮に四殿と記し 『延喜式〈927年〉』には「伊佐奈岐宮・伊佐奈彌社が瑞垣を巡らしたー院」「「月讀宮・月讀尊荒御魂社で一院」と二宮であったと記されています

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伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)内宮域外の別宮(月讀宮境内)〉
伊佐奈宮(いざなみのみや)内宮域外の別宮(月讀宮境内)〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 伊佐奈岐宮二座(伊佐奈弥命一座・並 大 月次 新嘗)(いさなきのみや ふたくら)

・伊佐奈岐宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉《主》伊弉諾尊
・伊佐奈弥宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉《主》伊弉冉尊

一緒に読む
月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉

月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮は 各々が皇大神宮(内宮)の別宮で 明治6年(1873)現在の四つ宮並列した形で鎮座しました 『皇太神宮儀式帳(804年)』には「月讀宮一院 正殿四区」と一宮に四殿と記し 『延喜式〈927年〉』には「伊佐奈岐宮・伊佐奈彌社が瑞垣を巡らしたー院」「「月讀宮・月讀尊荒御魂社で一院」と二宮であったと記されています

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瀧原宮(たきはらのみや)度会郡大紀町内宮域外の別宮〉
瀧原竝宮(たきはらならびのみや)内宮域外の別宮(瀧原宮境内)〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 瀧原宮(大 月次 新嘗)(たきはらのみや)

・瀧原宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉《主》天照大御神御魂

一緒に読む
瀧原宮・瀧原竝宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉

瀧原宮(たきはらのみや)・瀧原竝宮(たきらのならびのみや)は 二つの内宮の別宮が並列して鎮座します 御船倉を有するなど他の別宮と異なる点が多々あり゛大神の遥宮(とおのみや)゛として大きな信仰を集めます 倭姫命の創建で 元伊勢とも伝えられ 内宮を連想させる神域内の樹齢数百年を越える杉の木立の参道と谷水の流れる御手洗場は太古の信仰へと誘います

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伊雑宮(いざわのみや)志摩市磯部町上之郷内宮域外の別宮〉

延喜式内社 伊勢國 答志 粟嶋坐伊射波神社二座(貞・並大)(あはしまのます いさはの かみのやしろ ふたくら)

・伊雜宮(志摩市磯部町)志摩国一之宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉《主》天照大御神御魂

一緒に読む
伊雑宮(志摩市磯部町)〈皇大神宮(内宮)別宮〉

伊雑宮(いざわのみや)は 謎多き「志摩國 一之宮」とされています 伊勢の別宮としての高い格式も持ち「遙宮(tono miya)」と尊崇を集めます 「懸税(kake chikara)神事」の発祥の地として 御田植式(otaue shiki)があり 香取神宮・住吉大社とあわせて日本三大植祭の一つとされています

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風日祈宮(かざひのみのみや)内宮域内の別宮〉

風日祈宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉《主》級長津彦命 級長戸辺命

一緒に読む
風日祈宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉

風日祈宮(かざひのみのみや)は 鎌倉時代 蒙古襲来・2度の元寇(1274年文永の役・1281年弘安の役)の時 伊勢の神風を吹かせ給い 国難を救ったと伝えられ 豊受大神宮(外宮)の風宮(かぜのみや)とともに 末社の格「風神社(かぜのかみのやしろ)」から 正応6年(1293)皇大神宮(内宮)別宮に昇格し゛風日祈宮゛と号します

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倭姫宮(やまとひめのみや)伊勢市楠部町)〈内宮域外の別宮〉

倭姫〈皇大神宮(内宮)別宮〉《主》倭姫命

一緒に読む
倭姫宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉

倭姫宮(やまとひめのみや)は 倭姫命(やまとひめのみこと)を祀るために 大正12年(1923)新しく創建された皇大神宮〈内宮〉別宮です 倭姫命は 2000年以上前に天照大御神の御鎮座の地を求め各地を巡幸された時 御神託を受けて伊勢に来られ 現在の五十鈴川のほとりに皇大神宮(内宮)を創建された 第11代 垂仁天皇の第二皇女です 伝説の初代 斎王(さいおう)でもあります

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外宮 別宮(べつぐう)4宮

別宮とは ゛正宮のわけみや゛の意味
神宮の社宮のうち正宮に次いで尊いとされます

多賀宮 (たかのみや)外宮の別宮〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 髙宮(大 月次 新嘗)(たかのみや)

・多賀宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉《主》豊受大御神荒御魂(とようけのおおみかみのあらみたま)

一緒に読む
多賀宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉

多賀宮(たかのみや)〉は 今から約1500年前 第21代 雄略天皇22年 天照大御神の御神勅によって豊受大御神が丹波の国から御饌都神として迎えられ 豊受大神宮が創立されたのと同時に創建されたと伝えられています 豊受大神宮(外宮)には・多賀宮・土宮・月夜見宮・風宮の四別宮があり その第一の宮とされます

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土宮 (つちのみや)外宮の別宮〉

土宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉《主》大土御祖神(おおつちみおやのかみ)

一緒に読む
土宮〈豊受大神宮(外宮)別宮〉

土宮(つちのみや)は 外宮鎮座以前から山田原に祀られていた鎮守神でした 外宮が鎮座した後 宮域の゛地主神゛となり その後 大治3年(1128)宮川の洪水から外宮を守る堤防の守護神として゛別宮゛に昇格しました ご祭神は大土乃御祖神(おほつちのみおやのかみ)で 神域内の御池にかかる「亀石」を渡った西側に 他の宮とは異なり〈外宮鎮座以前の姿のまま〉社殿は東を向き鎮座します

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月夜見宮 (つきよみのみや)伊勢市宮後

延喜式内社 伊勢國 度會郡 月夜見神社(つきよみの かみのやしろ)

・月夜見宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉《主》月夜見尊(つきよみのみこと)月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)

一緒に読む
月夜見宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉

月夜見宮(つきよみのみや)は 古くは 高河原(たかがわら)と呼ばれ 農耕の神を祀る神社であったと云います 延喜式〈927年12月編纂〉式内社 伊勢國 度會郡 月夜見神社(つきよみの かみのやしろ)の時は 外宮摂社の首位でした その後 土御門天皇の承元四年(1210)土宮の嘉例に淮じ豊受大神宮(外宮)の別宮に昇格しました

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風宮 (かぜのみや)外宮の別宮〉

風宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉《主》級長津彦命(しなつひこのみこと)級長戸辺命(しなとべのみこと)

一緒に読む
風宮〈豊受大神宮(外宮)の境内 別宮〉〈お伊勢さん125社〉

風宮(かぜのみや)は 鎌倉時代 蒙古襲来・2度の元寇(1274年文永の役・1281年弘安の役)の時 伊勢の神風を吹かせ給い 国難を救ったと伝えられ 皇大神宮(内宮)の風日祈宮(かざひのみのみや)とともに 末社の格「風神社(かぜのかみのやしろ)」から 正応6年(1293)豊受大神宮(外宮)別宮に昇格し゛風宮゛と号します

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摂社(せっしゃ)について

延喜式神名帳(えんぎしきじんめいちょう927年〉』)に所載のある神社
皇大神宮に27社豊受大神宮に16社

内宮 摂社(せっしゃ)27社

摂社は 『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に記載神社
定義では 正宮 別宮を除く 摂社は全て式内社
戦国時代に ほぼすべてが廃絶となり 江戸時代の寛永年間(16241644年)明治初頭(1870年代)にかけて復興されたものです

1.朝熊神社 (あさくまじんじゃ内宮域外の摂社〉
2.朝熊御前神社 (あさくまみまえじんじゃ内宮域外の摂社朝熊神社境内

延喜式内社 伊勢國 度會郡 朝熊神社(あさくまの かみのやしろ)

・朝熊神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》大歳神(おおとしのかみ)・苔虫神(こけむしのかみ)・朝熊水神(あさくまのみずのかみ)
・朝熊御前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》朝熊御前神(あさくまみまえのかみ)

一緒に読む
朝熊神社&朝熊御前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

朝熊神社(あさくまじんじゃ)&朝熊御前神社(あさくまみまえじんじゃ)は 五十鈴川と朝熊川の合流する東岸丘にあり 垂仁天皇27年(BC3)倭姫命が石と化した大歳神(おほとしのかみ)を祀ったのが創祀と伝える 皇大神宮(内宮)の27摂社の内 第1摂社です『延喜式神名帳』では 伊勢国 度會郡 朝熊神社(あさくまの かみのやしろ)と記されています

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3.園相神社 座 (そないじんじゃ

延喜式内社 伊勢國 度會郡 園相神社(そのふの かみのやしろ)

・園相神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》曽奈比比古命(そなひひこのみこと)・御前神(みまえのかみ)

一緒に読む
園相神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

園相神社(そないじんじゃ)は ゛園作神〈曽奈比比古命〉゛が皇大神に御園を奉り これを祝い 倭姫命が社を定めたと伝わる古社 皇大神宮(内宮)摂社の27社中 第3位と格式高い神社ですが 中世には頽廃して社地も不明となり 寛文3年(1663)河邊精長が度会郡積良村に再興 この再興地に疑義があり 元禄七年(1694)大中臣長春が津村を旧社地と定め 現在地へ遷座しました

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4.鴨神社 座(かもじんじゃ内宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 鴨神社(かもの かみのやしろ)

・鴨神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》石己呂和居命(いしころわけのみこと)・御前神(みまえのかみ)

一緒に読む
鴨神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

鴨神社(かもじんじゃ) は 皇大神宮(内宮)の摂社で『延暦儀式帳』〈延暦23年(804)〉によれば ゛倭姫命の祝ひ定め給ふ所゛と伝わり その後 中世に頽廃しましたが 寬文三年(1663)攝社として再興され この時は 本村字竈谷の地゛氷室洞くつ゛の所に本社が造立されています 明治九年(1876)更に神宮司廳に於て 現在の地に移造されています

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5.田乃家神社 (たのえじんじゃ内宮域外の摂社〉
6.田乃家御前神社 (たのえみまえじんじゃ〈田乃家神社御同座〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 田乃家神社(たのいへの かみのやしろ)

・田乃家神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》大神御滄川神(おおかみのみさむかわのかみ)
・〈御同座〉田乃家御前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》御前神(みまえのかみ)

一緒に読む
田乃家神社〈御同座 田乃家御前神社〉〈皇大神宮(内宮)摂社〉

田乃家神社(たのえじんじゃ)〈御同座 田乃家御前神社(たのえみまえじんじゃ)〉は 創建は 第21代 雄略天皇の御代(457~479年)と伝わる皇大神宮(内宮)の摂社 かつて造宮使造替六社の一つで高い格式がありましたが ここも中世に頽廃し 寬文三年(1663)に再興されました その際 御前神は正殿に御同座し〈昔は二殿あり〉 現在に至ります

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7.蚊野神社 (かのじんじゃ内宮域外の摂社〉
8.蚊野御前神社 (かのみまえじんじゃ蚊野神社御同座〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 蚊野神社(かのの かみのやしろ)

・蚊野神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》大神御蔭川神(おおかみのみかげかわのかみ)
・〈御同座〉蚊野御前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》御前神(みまえのかみ)

一緒に読む
蚊野神社〈御同座 蚊野御前神社〉〈皇大神宮(内宮)摂社〉

蚊野神社(かのじんじゃ)御同座する 蚊野御前神社(かのみまえじんじゃ)は 第21代 雄略天皇(457~479年)が定めたと伝え 皇大神宮(内宮)の27摂社の第7位と格式があります 規定では 造替使がその任に当り 20年に1度正宮と並び正殿を造替える神社でしたが 中世には頽廃してしまいます 寬文三年(1663)大宮司 河邊精長により 現社地に再興され 現在に至ります

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9.湯田神社  座(ゆたじんじゃ内宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 湯田神社(ゆたの かみのやしろ)

・湯田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》大歳御祖命(おおとしのみおやのみこと)・御前神(みまえのかみ)

一緒に読む
湯田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

湯田神社(ゆたじんじゃ)は 雄略天皇朝の創立 造宮使造替六社中の一で格式も高かったが 中世に廃絶し 社地は明らかになりませんでした 産土社の境内社 湯田社に再興したもので 祭神についても大歳御祖命(おほとしみをやのみこと)御前神(みまへのかみ)とされますが 鳴宸電(なるいかつち)を祀る説があり 式内社・湯田神社 ・雷電神社の二つの論社となっています

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10.大土御祖神社 (おおつちみおやじんじゃ内宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 大土御祖神社(おほつちの みおやの かみのやしろ)

・大土御祖神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》大国玉命(おおくにたまのみこと)・水佐佐良比古命(みずささらひこのみこと)・水佐佐良比賣命(みずささらひめのみこと)
御同座 
宇治乃奴鬼神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》高水上命(たかみなかみのみこと)

一緒に読む
大土御祖神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 宇治乃奴鬼神社〈内宮末社〉)

大土御祖神社(おおつちみおやじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 御同座に宇治乃奴鬼(うじのぬき)神社〈内宮 末社〉が祀られます 式内社 伊勢國 度會郡 大土御祖神社(おほつちのみおやの かみのやしろ)とされ 境内には同じく式内社の國津御祖神社〈内宮 摂社〉と御同座する葦立弖神社(内宮末社)が鎮座 隣接地にも 倭姫命ゆかりの橡楠尾神社が鎮座し 神社の南東には 新嘗祭で神宮への奉納米を奉る神宮神田があります

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11.津御祖神社 (くにつみおやじんじゃ内宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 國津御祖神社(くにつみおやの かみのやしろ)

・國津御祖神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》宇治比賣命(うじひめのみこと)・田村比賣命(たむらひめのみこと)
御同座 葦立弖神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》玉移良比女命(たまやらひめのみこと)

一緒に読む
國津御祖神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 葦立弖神社〈内宮 末社〉)

國津御祖神社(くにつみおやじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 御同座に葦立弖(あしだて)神社〈内宮 末社〉が祀られます 式内社 伊勢國 度會郡 國津御祖神社(くにつみおやの かみのやしろ)とされ 同じく式内社の大土御祖神社〈内宮 摂社〉境内に鎮座します 隣接地には 倭姫命ゆかりの橡楠尾神社が鎮座し 神社の南東には 新嘗祭で神宮への奉納米を奉る神宮神田があります

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12.朽羅神社(くちらじんじゃ内宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 朽羅神社(くちらの かみのやしろ)

・朽羅神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》千依比賣命(ちよりひめのみこと)千依比古命(ちよりひこのみこと)

一緒に読む
朽羅神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

朽羅神社(くちらじんじゃ)〈皇大神宮(内宮)摂社〉は 倭姫命が祝い定めたとされ 水田の中いかにも神が坐します雰囲気の゛宮田森゛に鎮座します 社名は゛朽羅(くちら)とも久麻良比(くまらひ)゛とも云い 共に゛籠(こもる)゛の転訛りで゛神の籠る森゛であるという意味とのことです 延喜式内社 伊勢國 度会郡 朽羅神社(くちらの かみのやしろ)とされます

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13.宇治山田神社 (うじようだじんじゃ内宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 大國玉比賣神社(おほくにたまひめの かみのやしろ)

・宇治山田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》山田姫命(ようだひめのみこと)
御同座 
那自賣神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》大水上御祖命(おおみなかみのみおやのみこと)・御裳乃須蘇比賣命(みものすそひめのみこと)

一緒に読む
宇治山田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 那自賣神社〈内宮 末社〉)

宇治山田神社(うじようだじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 大國玉比賣神社(おほくにたまひめの かみのやしろ)の論社となっています 御同座に 那自賣神社(なじめじんじゃ)〈内宮 末社〉が祀られ 2社ともに 倭姫命が定めた神社であるとされています

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14.津長神社 (つながじんじゃ内宮域内の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 津長大水神社(つなかの おほみつの かみのやしろ)

・津長神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》栖長比賣命(すながひめのみこと)
・御同座 新川神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》新川比賣命(にいかわひめのみこと)
・御同座 石井神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》高水上命(たかみなかみのみこと)

一緒に読む
津長神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〈御同座 新川神社・石井神社〉

津長神社(つながじんじゃ)〉は 皇大神宮(内宮)の摂社です 鎮座地の古地名を「津長原止」と云い 倭姫命が上陸したと伝えらる 五十鈴川を遡上した船の留場〈津〉でした 水神の栖長比賣命を祀る津長神社には 皇大神宮(内宮)の末社〈新川神社〉新川比賣命・〈石井神社〉高水上命が御同座しています

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15.堅田神社 (かただじんじゃ内宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 大國玉比賣神社(おほくにたまひめの かみのやしろ)

・堅田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》佐見都日女命(さみつひめのみこと)

一緒に読む
堅田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

堅田神社(かただじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 垂仁天皇25年(BC5)二見の地に巡幸された倭姫命に 佐見都日女命(さみつひめのみこと〈地主神〉)は 黙して堅塩(かたしお)を奉った これを祝して倭姫命は当地に堅田神社を定めたと創建伝説に云う 二つの式内社〈①大國玉比賣神社(おほくにたまひめの かみのやしろ)②榎村神社(えむらの かみのやしろ)〉の論社となっています 

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16.大水神社 (おおみずじんじゃ内宮域内の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 大水神社(おほみつの かみのやしろ)

・大水神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》大山祗御祖命(おおやまづみのみおやのみこと)
・御同座 川相神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》細川水神(ほそかはのみずのかみ)
・御同座 熊淵神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》多支大刀自神(たきおおとじのかみ)

一緒に読む
大水神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〈御同座 川相神社・熊淵神社〉

大水神社(おおみずじんじゃ)は 皇大神宮(内宮)の摂社で 皇大神宮(内宮)末社の2社〈・細川水神〈川相神社(かわあいじんじゃ)・多支大刀自神〈熊淵神社(くまぶちじんじゃ)〉が御同座します 3社ともに垂仁天皇の御代 倭姫命によって御鎭祭されたと伝わります

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17.江神社 (えじんじゃ内宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 江神社(えの かみのやしろ)

・江神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》長口女命(ながくちめのみこと)・大歳御祖命(おおとしのみおやのみこと)・宇加乃御玉命(うかのみたまのみこと)

一緒に読む
江神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉& 栄野神社(伊勢市二見町江)

江神社(えじんじゃ) 〈皇大神宮(内宮)摂社〉は 皇大神〈天照大神〉を倭姫命(やまとひめのみこと)が奉遷され 当地の海岸に着船 出迎えた゛佐見都比古命(さみつひこのみこと)゛に土地の名前を尋ねたのちに江社を定められたと伝わります 栄野神社(えいのじんじゃ)にも同様の言い伝えがあります

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18.神前神社 (こうざきじんじゃ内宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 神前神社(かむさきの かみのやしろ)

・神前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》荒前比賣命(あらさきひめのみこと)
・御同座 許母利神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》粟嶋神御魂(あわしまのかみのみたま)
・御同座 荒前神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》荒前比賣命(あらさきひめのみこと)

一緒に読む
神前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 許母利神社・荒前神社〈内宮末社〉)

神前神社(こうざきじんじゃ)〈御同座 許母利神社(こもりじんじゃ)・荒前神社(あらさきじんじゃ)〉は 3社ともに『皇太神宮儀式帳(804年)』に所載の古社 中世頽廃し廃絶の後 寬文三年(1663)松下村の北方海岸の山麓「カリヤノ森」再興〈儀式帳所載の舊地ではない〉其の後 高浪により山上に移転 さらに明治40年(1907)に現在地に移轉され2社が御同座したものです

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19.粟皇子神社 (あわみこじんじゃ内宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 粟皇子神社(あはかうしの かみのやしろ)

・粟皇子神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》須佐乃乎命御玉道主命(すさのおのみことのみたまのみちぬしのみこと)

一緒に読む
粟皇子神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉& 土宮神社(鳥羽市小浜町)

粟皇子神社(あわみこじんじゃ) 〈皇大神宮(内宮)摂社〉は 元祿五年(1692)大宮司 河邊長春が現在地に再興しました 創建は垂仁天皇の御宇 倭姫命が 皇大神を伊勢に鎮座の明年 御贄所を定めるため志摩國にいでまし御帰途 淡良伎(アハラキ)之島を經て 伊氣浦(イケノウラ)に至り ここで御贄を奉られた神を淡海子(アハミコノ)神と名付けて社を定めたと伝わります

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20.川原神社 (かわらじんじゃ内宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 川原神社(かはらの かみのやしろ)

・川原神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》月読尊御魂(つきよみのみことのみたま)

一緒に読む
川原神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

川原神社(かわらじんじゃ)は 『倭姫命世紀』によると倭姫命が宮川の上流から此の邊りを御通過の時 澤道(さはち)の野原を「澤道の小野(さはちのをの)」と名付け祝ひ定められた神社と云う 『皇太神宮儀式帳』〈延暦23年(804)〉に゛川原神社(カハラノヤシロ)一處(ヒトトコロ)゛と記される古社で 皇大神宮(内宮)の摂社です

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21.久具都比賣神社 座(くぐつひめじんじゃ内宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 久久都比賣神社(くくつひめの かみのやしろ)

・久具都比賣神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》久具都比女命(くぐつひめのみこと)・久具都比古命(くぐつひこのみこと)・御前神(みまえのかみ)

一緒に読む
久具都比賣神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

久具都比賣神社(くぐつひめじんじゃ)は 皇大神宮(内宮)摂社として『皇太神宮儀式帳』〈延暦23年(804)〉に゛久具神社一處゛(クグノヤシロ ヒトトコロ)と記載される古社 かつては正殿が三區あったとされ゛一區は久々都比女命の御形(ミカタ)を齋(イハ)ひ ー區は久々都比古命を齋ひ 又一區は前社にて 右の神 の御蔭(ミカゲ)を祭奉る゛とあります

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22.奈良波良神社 (ならはらじんじゃ内宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 奈良波良神社(ならはらの かみのやしろ)

・奈良波良神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》那良原比女命(ならはらひめのみこと)

一緒に読む
奈良波良神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

奈良波良神社(ならはらじんじゃ)は 『皇太神宮儀式帳〈延暦23年(804)〉』゛楢原神社 大水上の兒 那良原比女(ナラハラヒメ)命を祀る 倭姫命の祝ひ定め給ふ所゛と記される古社です 中世に頽廃しますが 寛文3年(1663)大宮司 大中臣精長によって再興されました 延喜式内社 伊勢國 度會郡 奈良波良神社(ならはらの かみのやしろ)の論社です

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23.棒原神社 二座(すぎはらじんじゃ内宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 榛原神社(をいはらの かみのやしろ)

棒原神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》天須婆留女命御魂(あめのすばるめのみことのみたま)・御前神(みまえのかみ)

一緒に読む
棒原神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

棒原神社(すぎはらじんじゃ) は 『皇太神宮儀式帳』〈延暦23年(804)〉に所載される皇大神宮(内宮)の摂社で 奈良朝廷の時〈奈良時代(710~784年)〉に創建と伝わる古社です 「杉の森」と呼ばれる古墳丘の上に鎮座します 『延喜式神名帳927 AD.』には 棒原神社(をいはらの かみのやしろ)とも読むことがあります

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24.御船神社 (みふねじんじゃ内宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 大神乃御船神社(をほみわの みふねの かみのやしろ)

・御船神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》大神御蔭川神(おおかみのみかげかわのかみ)
・御同座 牟彌乃神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》寒川比古命(さむわかひこのみこと)寒川比女命(さむかわひめのみこと)

一緒に読む
御船神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〈御同座 牟彌乃神社(内宮末社)〉

御船神社(みふねじんじゃ) 〈皇大神宮(内宮)摂社〉〈御同座 牟弥乃神社(むみのじんじゃ) (内宮末社)〉は 2社ともに゛倭姫命が祝ひ定め給ふ所゛と伝わります ともに中世に廃絶してしまいますが 御船神社は寛文三年(1663)の再興 牟弥乃神社は 御船神社の附近にあったとされますが確定されず明治四年(1871)に 御船神社に御同座奉祀されました

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25.坂手生神社 (さかてくなりじんじゃ内宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 坂手國生神社(さかての くなりの かみのやしろ)

・坂手國生神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》高水上神(たかみなかみのかみ)

一緒に読む
坂手國生神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

坂手國生神社(さかてくなりじんじゃ)〈皇大神宮(内宮)摂社〉は 創建について『倭姫命世紀』に゛垂仁天皇の御時 倭姫命が皇大神を奉戴し この地に御遷幸の時 國つ神の゛高水神(たかみづのかみ)゛が この國は岳高田深坂手國(をかたかしたふかしさかてのくに)とお迎え申し゛田上御田(たのへのみた)゛を奉られたので 坂手社(さかてのやしろ)が祝い定められたと云います

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26.狭田生神社 (さたくなりじんじゃ内宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 狭田國生神社(さたの くなりの かみのやしろ)

・狭田國生神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》速川比古命(はやかわひこのみこと)・速川比女命(はやかわひめのみこと)・山末御魂(やまずえのみたま)

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狭田國生神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

狭田國生神社(さたくなりじんじゃ)〈皇大神宮(内宮)摂社〉は 『倭姫命世記』に「倭姫命が皇大神を奉じ 寒川を遡った時 速河彦命が参り゛畔廣之狹田(アゼヒロノサタ)の國゛の神田を献上し 倭姫命が゛速河狭田社゛を祝定めた」と云う 延喜式内社 伊勢國 度會郡 狭田國生神社(さたの くなりの かみのやしろ)とされます

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27.多岐原神社 (たきはらじんじゃ内宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 多伎原神社(たきはらの かみのやしろ)

・多岐原神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》真奈胡神(まなこのかみ)

一緒に読む
多岐原神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

多岐原神社(たきはらじんじゃ)〈皇大神宮(内宮)摂社〉は 内宮別宮の瀧原宮から宮川を約6km下ったところに鎮座します ここは倭姫命が 皇大神(天照大神)を奉じて巡幸中 宮川を渡ろうとしたが 砂も流れる早瀬があり 渡河難渋であった時 真奈胡神(まなごのかみ)があらわれ その案内で渡ることができた 故に多岐原神社が定め祀られたと伝わります

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外宮 摂社(せっしゃ)16社

摂社は 『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に記載の神社
〈定義では 正宮 別宮を除く 摂社は全て式内社〉
※戦国時代に ほぼすべてが廃絶となり 江戸時代の寛永年間(1624~1644年)~明治初頭(1870年代頃)にかけて復興されたものです

1.草奈伎神社 (くさなぎじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 草名伎神社(くさなきの かみのやしろ)

・草奈伎神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉《主》御剣仗神(みしるしのつるぎのかみ)

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草奈伎神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

草奈伎神社(くさなぎじんじゃ)は 豊受⼤神宮(外宮)の第一摂社であり その祭神は・神名祕書に草薙劔・類聚神祇本源所引の社記に標劔杖(ミシルシノツルギ)とあります 中世に頽廃しましたが 正保二年(1645)に現在地に再興されています 延喜式内社 伊勢国 度會郡 草奈伎神社(くさなきの かみのやしろ)です

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2.大間生神社二座 (おおまくなりじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 大間國生神社(をほまの くななりの かみのやしろ)

・大間國生神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉《主》大若子命(おおわかこのみこと)

一緒に読む
大間國生神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

大間國生神社(おおまくなりじんじゃ) 〈豊受大神宮(外宮)摂社〉は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 大間國生神社(をほまの くななりの かみのやしろ)です 『倭姫命世記』に゛雄略天皇二十二年(478)の條に大若子(オホワカゴ)命の社を定む 大間社是なり゛とあります 中世に廃絶し 江戸時代に現在地に祀られました 玉垣内には 正殿が二殿〈大間社(祭神・大若子命)國生社(祭神・乙若子命)〉あります

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3.度会御神社 (わたらいくにみじんじゃ)〈宮域の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 度會國御神社(わたらひの くにみの かみのやしろ)

・度會國御神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉《主》彦国見賀岐建與束命(ひこくにみがきたけよつかのみこと)

一緒に読む
度會國御神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

度会国御神社(わたらい くにみ じんじゃ)は  豊受大神宮(外宮)宮域内に鎮座する摂社です しかし かつての鎭座地は宮域外とされ『度會元長の内外宮諸社記』に 室町時代の文明(1469~1487)の頃までは 豊受大神宮の神域より堀を隔てた所〈現在の山田工作場の辺り〉と記載があり その後頽廃して社地を失い 正保二年(1645)に禰宜 常晨が その位置に再興したが 古今その旧社地には諸説があり定まっていません

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4.度会大国玉比賣神社 (わたらいおおくにたまひめじんじゃ)〈宮域の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 度會乃大國玉比賣神社(わたらひの をほくにたまひめの かみのやしろ)

・度會乃大國玉比賣神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉《主》大国玉命(おおくにたまのみこと)・弥豆佐佐良比賣命(みずささらひめのみこと)

一緒に読む
度會乃大國玉比賣神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

度會大國玉比賣神社(わたらいおほくにたまひめじんじゃ)は 神武天皇の御代 伊勢国造の祖・天日別命(あめのひわけのみこと)が伊勢の國覓(くにまぎ)〈平定〉の時 地主神に梓弓を以て橋と為して出迎えられ 歓んで゛刀自に度り會ひぬ゛と云い度會の名を為したという故事を持つ古社で 中世時代にも頽廃せずに祭祀が継続されていた神社であったと伝わる 豊受大神宮(外宮)摂社です

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5.田上大水神社 (たのえおおみずじんじゃ)〈宮域外の摂社〉
6.田上大水御前神社 (たのえおおみずみまえじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 田上大水神社(たのへのおほみつの かみのやしろ)

・田上大水神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉《主》小事神主(おごとかんぬし)
・〈御同座〉田上大水御前神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉《主》宮子(みやこ)

一緒に読む
田上大水神社〈御同座 田上大水御前神社〉〈豊受大神宮(外宮)摂社〉

田上大水神社(たのえおおみずじんじゃ)・御同座 田上大水御前(たのえおおみずみまえ)神社は 『止由気宮儀式帳〈延暦23年(804)〉』に記載ある古社ですが 中世に頽廃してしまい 権禰宜 出口延良が承応元年(1652)度会四門の氏人らとともに現地に再建したものです 寛文三年の再興では取り上げられず 明治四年の神宮御改正までは氏人により社殿の造替えが続けられました

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7.志等美神社 (しとみじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 志等美神社(しとみの かみのやしろ)

・志等美神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉《主》久久能智神(くくのちのかみ)

一緒に読む
志等美神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

志等美神社(しとみじんじゃ)は 豊受大神宮(外宮)の摂社として『止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に゛蔀野井庭(シトミノヰバ)神社゛と載り 『延喜式神名帳(927年)』に伊勢國 度會郡 志等美神社(しとみの かみのやしろ)と所載ある古社 中世に廃絶して旧址も不明でしたが 明治十六年(1883)神宮司廳による研究の結果 現在地に奉遷

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・上社(伊勢市辻久留)
志等美神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉の旧跡〉

一緒に読む
上社(伊勢市辻久留)

上社(かみのやしろ)は むかし この社地には 外宮の摂社 志等美神社・同 大河内神社・同末社 打縣神社があったと考えられています 中世に廃絶しましたが 土地の住民が産土神(うぶすなかみ)として 今日まで祀り続けてきたと伝わっています

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8.大河内神社 (おおこうちじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 大川内神社(おほかはちの かみのやしろ)

・大河内神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉《主》大山祗神(おおやまづみのかみ)

一緒に読む
大河内神社(伊勢市辻久留)〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

大河内神社(おおこうちじんじゃ)は 豊受大神宮(外宮)の摂社で『止由気宮儀式帳』〈延暦23年(804)〉に゛大河内社゛と載り 『延喜式神名帳(927年)』に伊勢國 度會郡 大川内神社(おほかはちの かみのやしろ)と載る古社 中世に廃絶して旧址も不明でしたが 明治十六年(1883)神宮司廳による研究の結果 現在地に奉遷

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・上社(伊勢市辻久留)
大河内神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉の旧跡〉

一緒に読む
上社(伊勢市辻久留)

上社(かみのやしろ)は むかし この社地には 外宮の摂社 志等美神社・同 大河内神社・同末社 打縣神社があったと考えられています 中世に廃絶しましたが 土地の住民が産土神(うぶすなかみ)として 今日まで祀り続けてきたと伝わっています

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9.清野井庭神社 (きよのいばじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 清野井庭神社(しのヰての かみのやしろ)

・清野井庭神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉《主》草野姫命(かやのひめのみこと)

一緒に読む
清野井庭神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

清野井庭神社(きよのいばじんじゃ)は 『止由気宮儀式帳』〈延暦23年(804)〉に載る豊受大神宮(外宮)の摂社で 『延喜式神名帳〈927 AD.〉』には伊勢國 度會郡 清野井庭神社(しのゐての かみのやしろ)と所載される古社です 中世に頽廃し社地不明となりました 現在の社地は 寛文三年(1663)大宮司・河邊精長により 再興されたものです

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10.高河原神社 (たかがわらじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 川原坐國生神社(かわはらのます くなりの かみのやしろ)

・高河原神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉《主》月夜見尊御魂(つきよみのみことのみたま)

一緒に読む
高河原神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉(月夜見宮 域内)

高河原神社(たかがわらじんじゃ) は 豊受大神宮(外宮)の摂社です 『延喜式神名帳927 AD.』所載 伊勢國 度會郡 川原坐國生神社(かわはらのます くなりの かみのやしろ)とされます その後 応永26年(1419)に焼失し 近世には社地不明となりましたが 寛文3年(1663)現社地(月夜見宮 域内)に再興されました

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11.河原神社 (かわらじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 川原大社(かはらの おほやしろ)

・河原神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉《主》川神(かわのかみ)
御同座(一緒に祭られる神社)〈外宮 末社〉毛理神社《主》木神(きのかみ)

一緒に読む
河原神社〈御同座 毛理神社〉〈豊受大神宮(外宮)摂社〉

河原神社(かわらじんじゃ)〈御同座 毛理神社(もりじんじゃ)〉は どちらも『延曆儀式帳(804年成立)』に川原社(かはらのやしろ)毛理社(もりのやしろ)と記載される千年以上の古社 川原社は寛文三年に当地に再興された『延喜式神名帳(927年)』所載の伊勢國 度會郡 川原大社(かはらの おほやしろ)の論社 毛理社は明治三年(1870)に御同座御再興されて 今日に至ります

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12.河原淵神社 (かわらぶちじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 川原淵神社(貞)(かはらふちの かみのやしろ)

・河原淵神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉《主》澤姫命(さわひめのみこと)

一緒に読む
河原淵神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

河原淵神社(かわらぶちじんじゃ) 〈豊受大神宮(外宮)摂社〉は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 川原淵神社(かはらふちの かみのやしろ)に比定される古社です 中世に社地が湮滅し 寛文三年(1663)船江町檜尻(ひのきじり)の檜尻社の境内に再興されました この檜尻社が 式内社 川原大社(かはらの おほやしろ)の論社になっています 明治十一年(1878)現社地に遷座しました

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13.山末神社 (やまずえじんじゃ)〈宮域の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 山末神社(やますえの かみのやしろ)

・山末神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉《主》大山津姫命(おおやまつひめのみこと)

一緒に読む
山末神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

山末神社(やまずえじんじゃ)は 豊受大神宮(外宮)の摂社 『止由気宮儀式帳〈延暦23年(804)〉』には゛山末社(やまずえのやしろ)゛とあり 『延喜式神名帳〈927 AD.〉』には 伊勢國 度會郡 山末神社(やますえの かみのやしろ)と記載されます 中世に廃絶し 廃亡した為 寬文三年(1663)に旧地が判明せず 現在地に再興されたものです

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14.宇須乃野神社 (うすののじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 宇須乃野神社(うすののの かみのやしろ)

・宇須乃野神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉《主》宇須乃女命(うすのめのみこと)
・〈御同座〉(一緒に祭られる神社)〈外宮 末社〉縣神社《主》縣神(あがたのかみ)

一緒に読む
宇須乃野神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉〈御同座 縣神社(外宮 末社)〉

宇須乃野神社(うすののじんじゃ) 〈御同座 縣神社(あがたじんじゃ)〉は 豊受大神宮(外宮)の摂社・末社で 両社ともに『止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に載る古社です 中世に廃絶し社地も不明となり 寛文三年(1663)宇須乃野神社は現在地に再興され 明治三年(1870)縣神社は御同座されました

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15.御食神社 (みけじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 御食神社(みけの かみのやしろ)

・御食神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉《主》水戸御饗都神(みなとのみけつかみ)

一緒に読む
御食神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

御食神社(みけじんじゃ) 〈豊受大神宮(外宮)摂社〉は 『倭姫命世紀』には 倭姫命が皇大神宮御遷幸の時 鷲取老翁(わしとりのをきな)が清水を奉り その功績を賞し 水饗社(みけのやしろ)を定めたと起源を傳えている 中世に廃絶しますが 寛文3年(1663)現社地で再興されました 延喜式内社 伊勢國 度會郡 御食神社(みけの かみのやしろ)とされます

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16.小俣神社 (おばたじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 小俣神社(をまたの かみのやしろ)

・小俣神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉《主》宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)

一緒に読む
小俣神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉&八柱神社(伊勢市小俣町元)

小俣神社(おばたじんじゃ)は 『止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に載る古社で 豊受大神宮(外宮)の摂社です 中世に頽廃するも 産土神として八王子祠と称し里人に祀られてきました 小俣神社は 寛文三年(1663)現地に一社両殿として再興されました 明治6年(1873)境内を〈神宮側・村側〉の二等分にして現在に至ります

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末社(まっしゃ)について

延喜式神名帳には載らないが 『延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)804年〉』に記載のある神社
皇大神宮に16社豊受大神宮に8社

内宮 末社(まっしゃ)16社

末社は 『延暦儀式帳』に記載される神社正宮 別宮 摂社を除く

1.鴨下神社 (かもしもじんじゃ内宮域外の末社

・鴨下神社〈皇大神宮(内宮)末社〉
《主》石己呂和居命(いしころわけのみこと)鴨比古命(かもひこのみこと)鴨比賣命(かもひめのみこと)

一緒に読む
鴨下神社〈皇大神宮(内宮)末社〉

鴨下神社(かもしもじんじゃ) は 皇大神宮(内宮)の末社として『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に所載される古社です 中世に廃絶していましたが 明治7年(1874)に再興されて現在に至ります

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2.津布良神社 (つぶらじんじゃ内宮域外の末社

・津布良神社〈皇大神宮(内宮)末社〉
《主》津布良比古命(つぶらひこのみこと)津布良比賣命(つぶらひめのみこと)

一緒に読む
津布良神社〈皇大神宮(内宮)末社〉

津布良神社(つぶらじんじゃ)は 皇大神宮(内宮)の末社で『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に所載される古社です 中世に廃絶し 明治六年(1873)積良(ツムロ)の産土神 八柱神社の社地内に再興されました その後 八柱神社は明治四十一年に外城田神社に合祀されました

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3.葭原神社 (あしはらじんじゃ内宮域外の末社

・葭原神社〈皇大神宮(内宮)末社〉
《主》佐佐津比古命(ささつひこのみこと)宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおやのみこと)伊加利比賣命(いかりひめのみこと)

一緒に読む
葭原神社(伊勢市中村町)〈皇大神宮末社〉

葭原神社(あしはらじんじゃ)は 『日本文徳天皇實録』天安2年(858)2月に官社に預った記録がある古社で 皇大神宮(内宮)の末社16社のうち 第3位の末社です 『延喜式神名帳』所載 伊勢國 度會郡 荻原神社(貞)(をきはらの かみのやしろ)の論社ですが 中世に廃絶しました 明治6年(1873)現在地〈内宮の別宮゛月讀宮゛境内〉に再興されました

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4.小社神社 (おごそじんじゃ内宮域外の末社

・小社神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》高水上命(たかみなかみのみこと)

一緒に読む
小社神社〈皇大神宮(内宮)末社〉

小社神社(おごそじんじゃ)〈皇大神宮(内宮)末社〉は 『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に所載される古社です 中世に頽廃して社地も不明となりましたが 明治13年(1880)小社村の産土神を以て本社の舊地と爲して再興されたものです

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5.許母利神社 (こもりじんじゃ内宮域外の末社

神前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉に 御同座(一緒に祭られる神社)
・御同座 許母利神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》粟嶋神御魂(あわしまのかみのみたま)

一緒に読む
神前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 許母利神社・荒前神社〈内宮末社〉)

神前神社(こうざきじんじゃ)〈御同座 許母利神社(こもりじんじゃ)・荒前神社(あらさきじんじゃ)〉は 3社ともに『皇太神宮儀式帳(804年)』に所載の古社 中世頽廃し廃絶の後 寬文三年(1663)松下村の北方海岸の山麓「カリヤノ森」再興〈儀式帳所載の舊地ではない〉其の後 高浪により山上に移転 さらに明治40年(1907)に現在地に移轉され2社が御同座したものです

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6.新川神社 (にいかわじんじゃ内宮域内の末社(津長神社に御同座)
7.石井神社 (いわいじんじゃ内宮域内の末社(津長神社に御同座)

津長神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉に 御同座(一緒に祭られる神社)
・御同座 新川神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》新川比賣命(にいかわひめのみこと)
・御同座 石井神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》高水上命(たかみなかみのみこと)

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津長神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〈御同座 新川神社・石井神社〉

津長神社(つながじんじゃ)〉は 皇大神宮(内宮)の摂社です 鎮座地の古地名を「津長原止」と云い 倭姫命が上陸したと伝えらる 五十鈴川を遡上した船の留場〈津〉でした 水神の栖長比賣命を祀る津長神社には 皇大神宮(内宮)の末社〈新川神社〉新川比賣命・〈石井神社〉高水上命が御同座しています

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8.宇治乃奴鬼神社(うじのぬきじんじゃ内宮域外の末社〉(大土御祖神社に御同座)

大土御祖神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉に 御同座(一緒に祭られる神社)
・御同座 宇治乃奴鬼神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》高水上命(たかみなかみのみこと)〈五十鈴川の川水の守り神〉

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大土御祖神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 宇治乃奴鬼神社〈内宮末社〉)

大土御祖神社(おおつちみおやじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 御同座に宇治乃奴鬼(うじのぬき)神社〈内宮 末社〉が祀られます 式内社 伊勢國 度會郡 大土御祖神社(おほつちのみおやの かみのやしろ)とされ 境内には同じく式内社の國津御祖神社〈内宮 摂社〉と御同座する葦立弖神社(内宮末社)が鎮座 隣接地にも 倭姫命ゆかりの橡楠尾神社が鎮座し 神社の南東には 新嘗祭で神宮への奉納米を奉る神宮神田があります

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9.加努神社 (かぬみじんじゃ内宮域外の末社

・加努彌神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》稲依比女命(いなよりひめのみこと)

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加努弥神社〈皇大神宮(内宮)末社〉

加努弥神社(かぬみじんじゃ)〈皇大神宮(内宮)末社〉は 『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に所載される古社です 明治以後 西鹿海(ニシカノミ)村の産土神〔鹿海神社〕を本社としましたが 村人等の反対により 明治十九年(1886)その東方に新地を卜して鎭祭されたのが 現社地の゛田中の森゛です

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10.川相神社 (かわあいじんじゃ内宮域内の末社(大水神社に御同座)
11.熊淵神社 (くまぶちじんじゃ内宮域内の末社(大水神社に御同座)

大水神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉に 御同座(一緒に祭られる神社)
御同座 川相神社〈皇大神宮(内宮)社〉《主》細川水神(ほそかのみずのかみ)
・御同座 熊淵神社〈皇大神宮(内宮)社〉《主》多支大刀自神(たきおおとじのかみ)

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大水神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〈御同座 川相神社・熊淵神社〉

大水神社(おおみずじんじゃ)は 皇大神宮(内宮)の摂社で 皇大神宮(内宮)末社の2社〈・細川水神〈川相神社(かわあいじんじゃ)・多支大刀自神〈熊淵神社(くまぶちじんじゃ)〉が御同座します 3社ともに垂仁天皇の御代 倭姫命によって御鎭祭されたと伝わります

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12.荒前神社 (あらさきじんじゃ内宮域外の末社〉(神前神社に御同座)

神前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉に 御同座(一緒に祭られる神社)
・御同座 荒前神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》荒前比賣命(あらさきひめのみこと)

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神前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 許母利神社・荒前神社〈内宮末社〉)

神前神社(こうざきじんじゃ)〈御同座 許母利神社(こもりじんじゃ)・荒前神社(あらさきじんじゃ)〉は 3社ともに『皇太神宮儀式帳(804年)』に所載の古社 中世頽廃し廃絶の後 寬文三年(1663)松下村の北方海岸の山麓「カリヤノ森」再興〈儀式帳所載の舊地ではない〉其の後 高浪により山上に移転 さらに明治40年(1907)に現在地に移轉され2社が御同座したものです

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13.那自賣神社 (なじめじんじゃ内宮域外の末社〉(宇治山田神社に御同座)

宇治山田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉に 御同座(一緒に祭られる神社)
・御同座 那自賣神社〈皇大神宮(内宮)末社〉
《主》大水上御祖命(おおみなかみのみおやのみこと)御裳乃須蘇比賣命(みものすそひめのみこと)

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宇治山田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 那自賣神社〈内宮 末社〉)

宇治山田神社(うじようだじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 大國玉比賣神社(おほくにたまひめの かみのやしろ)の論社となっています 御同座に 那自賣神社(なじめじんじゃ)〈内宮 末社〉が祀られ 2社ともに 倭姫命が定めた神社であるとされています

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那自賣神社〈皇大神宮(内宮)末社〉の旧地
・宇治神社(伊勢市宇治今在家町)

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宇治神社&足神神社(伊勢市宇治今在家町)

宇治神社(うぢじんじゃ)は 創祀について古来二説あり 一つは那自賣神社〈皇大神宮(内宮)末社〉の跡地に土地の神を祀ったというもので 宇治橋の鳥居から約350mと内宮のすぐ近くに鎮座します 境内には 葦立弖(あしたて)社〈皇大神宮(内宮)末社〉に擬したされる゛足神さま゛〈足神神社〉足腰の病にご利益があり 内宮を参拝したあとに詣でる人が後を絶ちません

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14.葦立弖神社 (あしだてじんじゃ内宮域外の末社〉(國津御祖神社に御同座)

國津御祖神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉に 御同座(一緒に祭られる神社)
・御同座 葦立弖神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》玉移良比女命(たまやらひめのみこと)
〈宇治都比女命(うじつひめのみこと)の御子神 この地方の産土神〉

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國津御祖神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 葦立弖神社〈内宮 末社〉)

國津御祖神社(くにつみおやじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 御同座に葦立弖(あしだて)神社〈内宮 末社〉が祀られます 式内社 伊勢國 度會郡 國津御祖神社(くにつみおやの かみのやしろ)とされ 同じく式内社の大土御祖神社〈内宮 摂社〉境内に鎮座します 隣接地には 倭姫命ゆかりの橡楠尾神社が鎮座し 神社の南東には 新嘗祭で神宮への奉納米を奉る神宮神田があります

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15.乃神社 (むみのじんじゃ内宮域外の末社〉(御船神社に御同座)

・御船神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉に 御同座(一緒に祭られる神社)
・御同座 牟彌乃神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》寒川比古命(さむわかひこのみこと)寒川比女命(さむかわひめのみこと)

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御船神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〈御同座 牟彌乃神社(内宮末社)〉

御船神社(みふねじんじゃ) 〈皇大神宮(内宮)摂社〉〈御同座 牟弥乃神社(むみのじんじゃ) (内宮末社)〉は 2社ともに゛倭姫命が祝ひ定め給ふ所゛と伝わります ともに中世に廃絶してしまいますが 御船神社は寛文三年(1663)の再興 牟弥乃神社は 御船神社の附近にあったとされますが確定されず明治四年(1871)に 御船神社に御同座奉祀されました

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16.鏡宮神社 (かがみのみやじんじゃ内宮域外の末社

・鏡宮神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》岩上二面神鏡霊(いわのうえのふたつのみかがみのみたま)
〈朝熊神社の御前神 岩上二面神鏡霊で御鏡を鎮祭する〉

一緒に読む
鏡宮神社〈皇大神宮(内宮)末社〉

鏡宮神社(かがみのみやじんじゃ)は 朝熊神社の御前神゛御神鏡゛〈岩上二面神鏡霊(いはのうえふたつのみがみのみたま)〉を鎮祭する皇大神宮(内宮)の末社です かつて二面の神鏡は 二つの川の合流点にある神聖な岩の上に祀られていた〈虎石(とらいし)〉(神域内〈朝熊川の岸〉木柵の中にある)とも〈潮干石(しほひいし)(五十鈴川の川中にある)とも伝わります

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外宮 末社(まっしゃ)8社

末社は 『延暦儀式帳』に記載される神社〈正宮 別宮 摂社を除く〉

1.伊我理神社 (いがりじんじゃ)〈外宮域内の末社〉

・伊我理神社〈豊受大神宮(外宮)末社〉《主》伊我利比女命(いがりひめのみこと)
・御同座 井中神社〈豊受⼤神宮(外宮)末社〉《主》井中神(いなかのかみ)

一緒に読む
伊我理神社〈御同座 井中神社〉〈豊受大神宮(外宮)末社〉

伊我理神社(いがりじんじゃ)は 『止由気宮儀式帳〈延暦23年(804)〉』に記載のある古社〈豊受大神宮(外宮)末社〉です 中世に頽廃しますが 寬文三年 (1663)舊地に再興されました “鍬山伊賀利神事”に深く関わりがある伊我理比女命が祀られています 御同座するのは 同じく(外宮)末社の井中神社(いなかじんじゃ)が坐ます

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2.縣神社 (あがたじんじゃ)〈外宮域外の末社〉(宇須乃野神社に御同座)

宇須乃野神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉に 御同座(一緒に祭られる神社)
縣神社〈豊受⼤神宮(外宮)末社〉《主》縣神(あがたのかみ)

一緒に読む
宇須乃野神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉〈御同座 縣神社(外宮 末社)〉

宇須乃野神社(うすののじんじゃ) 〈御同座 縣神社(あがたじんじゃ)〉は 豊受大神宮(外宮)の摂社・末社で 両社ともに『止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に載る古社です 中世に廃絶し社地も不明となり 寛文三年(1663)宇須乃野神社は現在地に再興され 明治三年(1870)縣神社は御同座されました

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3.井中神社 (いなかじんじゃ)〈外宮域内の末社〉(伊我理神社に御同座)

伊我理神社〈豊受大神宮(外宮)末社〉に 御同座(一緒に祭られる神社)
・御同座 井中神社〈豊受⼤神宮(外宮)末社〉《主》井中神(いなかのかみ)

一緒に読む
伊我理神社〈御同座 井中神社〉〈豊受大神宮(外宮)末社〉

伊我理神社(いがりじんじゃ)は 『止由気宮儀式帳〈延暦23年(804)〉』に記載のある古社〈豊受大神宮(外宮)末社〉です 中世に頽廃しますが 寬文三年 (1663)舊地に再興されました “鍬山伊賀利神事”に深く関わりがある伊我理比女命が祀られています 御同座するのは 同じく(外宮)末社の井中神社(いなかじんじゃ)が坐ます

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4.打懸神社 (うちかけじんじゃ)〈外宮域外の末社〉

・打懸神社〈豊受大神宮(外宮)末社〉《主》打懸名神(うちかけみょうじん)

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打懸神社〈豊受大神宮(内宮)末社〉

打懸神社(うちかけじんじゃ) は 撫懸(ナデカケ)社とも呼ばれます 豊受大神宮(外宮)の末社で『止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)』には〈延暦23年(804)〉には゛打懸社゛と載る古社です 中世に廃絶して旧跡地は不明でした 明治十六年(1883)神宮司廳による研究の結果〈志等美神社・大河内神社〉が再興された地の横に遷座されました

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・上社(伊勢市辻久留)
〈打懸神社〈豊受大神宮(外宮)末社〉の旧跡〉

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上社(伊勢市辻久留)

上社(かみのやしろ)は むかし この社地には 外宮の摂社 志等美神社・同 大河内神社・同末社 打縣神社があったと考えられています 中世に廃絶しましたが 土地の住民が産土神(うぶすなかみ)として 今日まで祀り続けてきたと伝わっています

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5.赤崎神社 (あかさきじんじゃ)〈外宮域外の末社〉

・赤崎神社〈豊受大神宮(外宮)末社〉《主》荒崎姫命(あらさきひめのみこと)

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赤崎神社〈豊受大神宮(外宮)末社〉

赤崎神社(あかさきじんじゃ) は 豊受大神宮(外宮)の末社です 建久年間(1190~1199年)の皇太神宮年中行事〔贄海神事 六月十五日條〕に゛悪志(アクシ)・赤崎(アカサキ)加布良古(カブラコ)明神を祭る゛と記されています 御祭神は 荒崎姫命(あらさきひめのみこと)贄海〈海の海産物を捧げる〉の守り神とされています

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・賀多神社(鳥羽市鳥羽)
〈赤崎神社の旧鎮座地〉

一緒に読む
賀多神社(鳥羽市鳥羽)

賀多神社(かたじんじゃ)は 聖武天皇の神亀元年(724)の御鎮座と云い 古くは八王子社と称されていましたが 明治四年(1871)郷社 賀多神社と改め 明治四十年に近郷の十二社を合祀して今日に至っています 豊受大神宮(外宮)末社の赤崎神社の旧跡とも伝わっています

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6.毛理神社 (もりじんじゃ)〈外宮域外の末社〉(河原神社に御同座)

河原神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉に 御同座(一緒に祭られる神社)
毛理神社〈豊受⼤神宮(外宮)末社〉《主》木神(きのかみ)

一緒に読む
河原神社〈御同座 毛理神社〉〈豊受大神宮(外宮)摂社〉

河原神社(かわらじんじゃ)〈御同座 毛理神社(もりじんじゃ)〉は どちらも『延曆儀式帳(804年成立)』に川原社(かはらのやしろ)毛理社(もりのやしろ)と記載される千年以上の古社 川原社は寛文三年に当地に再興された『延喜式神名帳(927年)』所載の伊勢國 度會郡 川原大社(かはらの おほやしろ)の論社 毛理社は明治三年(1870)に御同座御再興されて 今日に至ります

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7.大津神社 (おおつじんじゃ)〈外宮域外の末社〉

・大津神社〈豊受大神宮(外宮)末社〉《主》葦原神(あしはらのかみ)

一緒に読む
大津神社〈豊受大神宮(外宮)末社〉

大津神社(おおつじんじゃ)〈豊受大神宮(外宮)末社〉は 明治六年(1873)現在地〈外宮宮域内〉に新たに社殿を設け再興されました その際 旧鎮座地を搜索しましたが ゛雖も猶明かならざるを以て そのままゝ今日に至れり゛とあり 旧鎮座地は不明のまま 現在に至っています

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8.志宝屋神社 (しおやじんじゃ)〈外宮域外の末社〉

・志宝屋神社〈豊受大神宮(外宮)末社〉《主》塩土老翁(しおつちのおじ)

一緒に読む
志寶屋神社〈豊受大神宮(外宮)末社〉

志宝屋神社(しおやじんじゃ)は 『止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に゛土賣屋社゛と載る古社 明応7年(1498)大地震の津波により大鹽村ともども流失 その後 村民によって再興 寬永21年(1644)豊受大神宮(外宮)末社と確認され 明治25年(1892)復旧して現在に至ります

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所管社(しょかんしゃ)について

正宮や別宮に直接かかわりがある宮
井戸や酒、米、塩、麻、絹など衣食住をつかさどる神々が多く祭られ
皇大神宮に30社豊受大神宮に4社

内宮 所管社(しょかんしゃ)30社

所管社は 正宮・別宮・摂社・末社以外の神社

1.滝祭神 (たきまつりのかみ)内宮域内の所管社

・滝祭神〈皇大神宮(内宮)所管社〉(内宮境内)

一緒に読む
滝祭神〈皇大神宮(内宮)所管社〉(内宮境内)

滝祭神(たきまつりのかみ)は 社殿を持ちませんが『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に゛瀧祭神社(たきまつりのかみのやしろ)゛と載せられている古社です 格式は 皇大神宮(内宮)所管社とされていますが 神饌は別宮に准じられ 幣帛は攝社格に據って祭祀されています

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2.興玉神 (おきたまのかみ)内宮域内の所管社

※御垣内なので一般には 参拝できません

・興玉神〈皇大神宮(内宮)所管社〉(内宮境内)

3.宮比神 (みやびのかみ)内宮域内の所管社

※御垣内なので一般には 参拝できません

・宮比神〈皇大神宮(内宮)所管社〉(内宮境内)

4.屋乃波比伎神 (やのはひきのかみ)内宮域内の所管社

※一般には 参拝できません

・屋乃波比伎神〈皇大神宮(内宮)所管社〉(内宮境内)

5.御酒殿神 (みさかどののかみ)内宮域内の所管社

・御酒殿神〈皇大神宮(内宮)所管社〉(内宮境内)

一緒に読む
御酒殿神・由貴御倉〈皇大神宮(内宮)所管社〉&忌火屋殿(内宮境内)

御酒殿神(みさかどののかみ)は 古くは諸神にお供えする神酒を醸造する所・由貴御倉(ゆきのみくら)は 古くは御饌祭(みけさい)の御贄(みにへ)時菓(ときじく)〈果物〉などを納めておく倉 どちらも皇大神宮(内宮)所管社です 忌火屋殿(いみびやでん)は忌火〈清浄な火〉神饌を調理する殿です

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6.御稲御倉 (みしねのみくらのかみ)内宮域内の所管社

・御稲御倉〈皇大神宮(内宮)所管社〉(内宮境内)

一緒に読む
御稲御倉〈皇大神宮(内宮)所管社〉&外幣殿(内宮境内)

御稲御倉(みしねのみくら)は 神宮神田から収穫した抜穂(ぬいぼ)〈三節祭で大御饌(おおみけ)として神前にお供えされる〉御稲が納められます 祭神は御倉の守護神とされ 皇大神宮(内宮)の所管社です その少し北側には かつて天皇以外のものから奉られた幣帛も納めた外幣殿(げへいでん)があります

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7.由貴御倉 (ゆきのみくらのかみ)内宮域内の所管社

・由貴御倉〈皇大神宮(内宮)所管社〉(内宮境内)

一緒に読む
御酒殿神・由貴御倉〈皇大神宮(内宮)所管社〉&忌火屋殿(内宮境内)

御酒殿神(みさかどののかみ)は 古くは諸神にお供えする神酒を醸造する所・由貴御倉(ゆきのみくら)は 古くは御饌祭(みけさい)の御贄(みにへ)時菓(ときじく)〈果物〉などを納めておく倉 どちらも皇大神宮(内宮)所管社です 忌火屋殿(いみびやでん)は忌火〈清浄な火〉神饌を調理する殿です

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8.四至神 (みやのめぐりのかみ)内宮域内の所管社

・四至神〈皇大神宮(内宮)所管社〉(内宮境内)

一緒に読む
四至神〈皇大神宮(内宮)所管社〉&五丈殿(内宮境内)

四至神(みやのめぐりのかみ)は 皇大神宮(内宮)所管社で『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉の「一、年中行事幷月記事の條」に゛宮廻神百二十四前を祭る゛ことが二月十三日・六月・九月の十八日に記され 古くからの神であることが分ります 五丈殿(ごじょうでん)は 雨儀の時に祓の行事等の行われる所です

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9.神服織機殿神社 (かんはとりはたどのじんじゃ内宮域外の所管社
10~17.神服織機殿神社末社八所神服織機殿神社境内〉

延喜式内社 伊勢國 多氣 服部麻刀方神社二座(はとりのまとまの かみのやしろ ふたくら)

・神服織機殿神社〈皇大神宮(内宮)所管社〉《主》神服織機殿鎮守神(かんはとりはたどののまもりのかみ)

一緒に読む
八尋殿・神服織機殿神社(松阪市大垣内町)〈皇大神宮(内宮)所管社〉

神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)は 八尋殿(やひろでん)の守護神を祀り〈機殿〉八尋殿で奉織した和妙(にぎたえ)の神衣は 神御衣祭(かむみそさい)で皇大神宮・荒祭宮に供進されます 起源は『倭姫命世記』垂仁天皇22年機屋を作り 25年磯宮に服織社を建て 五十鈴川上に御鎭座の時 大宮の傍に八尋の機屋〈宇治の機殿〉を建て 清寧天皇3年(482)服織社の地に移ったとします

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18.神麻続機殿神社 (かんおみはたどのじんじゃ内宮域外の所管社
19~26.神麻続機殿神社末社八所神麻続機殿神社境内〉

延喜式内社 伊勢國 多氣 麻續神社(をみの かみのやしろ)

・神麻続機殿神社〈皇大神宮(内宮)所管社〉《主》神麻続機殿鎮守神(かんおみはたどののまもりのかみ)

一緒に読む
八尋殿・神麻續機殿神社(松阪市井口中町)〈皇大神宮(内宮)所管社〉

神麻續機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)〈皇大神宮(内宮)所管社〉は 八尋殿(やひろでん)の守護神゛神麻続機殿鎮守神(かんおみはたどののまもりのかみ)゛を祀り〈機殿〉八尋殿で奉織した荒妙(あらたえ)(麻)の神衣は 神御衣祭(かむみそさい)で皇大神宮・荒祭宮に供進されます

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27.御塩殿神社 (みしおどのじんじゃ内宮域外の所管社

・御塩殿神社〈皇大神宮(内宮)所管社〉《主》御塩殿鎮守神(みしおどののまもりのかみ)

一緒に読む
御鹽殿・御塩殿神社〈皇大神宮(内宮)所管社〉

御塩殿神社(みしおどのじんじゃ) 〈皇大神宮(内宮)所管社〉は 元来 御酒殿神又は由貴御倉神と同じく 独立の神殿を設けず 御鹽殿内に奉祀されていました 後世に至り 別に神殿を造立し 現狀と為します 御塩殿(みしおどの)では 三角錐の土器型に荒鹽(あらしお)を入れ 忌火で焼き固めた堅鹽(かたしお)を作り これを御鹽(みしお)と云い 神宮に調進します

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28.饗土橋姫神社 (あえどはしひめじんじゃ内宮域内の所管社

・饗土橋姫神社〈皇大神宮(内宮)所管社〉《主》宇治橋鎮守神(うじばしのまもりのかみ)

一緒に読む
饗土橋姫神社〈皇大神宮(内宮)所管社〉&宇治橋

饗土橋姫神社(あえどはしひめじんじゃ)は 宇治橋の守護神〈宇治橋より惡しきものが入らざるように 橋の守護の神〉宇治橋鎮守神(うじばしのまもりのかみ)を齋き祭った皇大神宮(内宮)所管社で 社號゛饗土(あえど)゛は 内宮の宮域四方の境に悪しきものが入ってこないよう 防ぎお祭りする土地の意〉宇治橋の対面〈西側〉鎮座します

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29.大山祇神社 (おおやまつみじんじゃ内宮域内の所管社
30.子安神社 (こやすじんじゃ内宮域内の所管社

・大山祇神社〈皇大神宮(内宮)所管社〉(内宮境内)
・子安神社〈皇大神宮(内宮)所管社〉(内宮境内)

一緒に読む
大山祇神社・子安神社〈皇大神宮(内宮)所管社〉

大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)・子安神社(こやすじんじゃ)は 宇治橋の東詰(内側)から約五〇メートル 神宮司廳の南側(内宮境内)に鎮座する皇大神宮(内宮)の所管社です 鎌倉時代初期の(1192年)『建久三年皇太神宮年中行事』には記載のある古社です

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外宮 所管社(しょかんしゃ)4社

所管社は 正宮・別宮・摂社・末社以外の神社

1.御酒殿神 (みさかどののかみ)

※一般には 参拝できません

・御酒殿神〈豊受大神宮(外宮)所管社〉(外宮境内)

 

2.四至神 (みやのめぐりのかみ)

・四至神〈豊受大神宮(外宮)所管社〉(外宮境内)

一緒に読む
四至神〈豊受大神宮(外宮)所管社〉&九丈殿・五丈殿(外宮境内)

四至神(みやのめぐりのかみ)は 元々は 豊受大神宮(外宮)の神域各所〈二百除前〉に祭祀されていた四至(神域の四方の境界)を守る所管社です 中世に廃絶 近世に一所〈九丈殿南側 石畳に榊(さかき)が立つ所〉に再興されています その奥には・九丈殿(くぢょうでん)・五丈殿(ごぢょうでん)・玉串行事所〈石を敷きつめた広い石原〉があります

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3.上御井神社 (かみのみいのじんじゃ

※一般には 参拝できません

・上御井神社〈豊受大神宮(外宮)所管社〉(外宮境内)

 

4.下御井神社 (しものみいのじんじゃ

・下御井神社〈豊受大神宮(外宮)所管社〉(外宮境内)

一緒に読む
下御井神社〈豊受大神宮(外宮)所管社〉(外宮境内)

下御井神社(しものみいのじんじゃ)は 豊受大神宮(外宮)の所管社で 覆屋の中には井戸があり 外宮の祭りに供える水を汲む上御井神社の水に不都合があった場合は この井戸の御水をいただくと伝わります 元來 下御井は 多賀宮の御料水とされ 上御井神社に対し 下御井神社 又は少宮(わかみや)とも称せられます

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・別宮所管社(べつぐうしょかんしゃ)について

別宮 瀧原宮に3社別宮 伊雑宮に5社

別宮 瀧原宮 所管社(しょかんしゃ)3

・若宮神社(わかみやじんじゃ)〈瀧原宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉の境内〉
・長由介神社(ながゆけじんじゃ)〈瀧原宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉の境内〉
・川島神社 (かわしまじんじゃ)〈瀧原宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉の境内〉

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瀧原宮・瀧原竝宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉

瀧原宮(たきはらのみや)・瀧原竝宮(たきらのならびのみや)は 二つの内宮の別宮が並列して鎮座します 御船倉を有するなど他の別宮と異なる点が多々あり゛大神の遥宮(とおのみや)゛として大きな信仰を集めます 倭姫命の創建で 元伊勢とも伝えられ 内宮を連想させる神域内の樹齢数百年を越える杉の木立の参道と谷水の流れる御手洗場は太古の信仰へと誘います

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別宮 伊雑宮 所管社(しょかんしゃ)5社

・佐美長神社(さみながじんじゃ)
・佐美長御前神社四社(さみながみまえじんじゃ)

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佐美長神社・佐美長御前神社(磯部町恵利原)〈伊雑宮所管社〉

佐美長神社(さみながじんじゃ) ・佐美長御前神社四社(さみながみまえじんじゃ)は ともに『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に記される伊雑宮の所管社です 『延喜式神名帳(927)』志摩国 答志郡 同島坐神乎多乃御子神社(おなしきしまにます かむをたのみこの かみのやしろ)の論社でもあります

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その他 関連する神社

・宇治神社(伊勢市宇治今在家町)

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宇治神社&足神神社(伊勢市宇治今在家町)

宇治神社(うぢじんじゃ)は 創祀について古来二説あり 一つは那自賣神社〈皇大神宮(内宮)末社〉の跡地に土地の神を祀ったというもので 宇治橋の鳥居から約350mと内宮のすぐ近くに鎮座します 境内には 葦立弖(あしたて)社〈皇大神宮(内宮)末社〉に擬したされる゛足神さま゛〈足神神社〉足腰の病にご利益があり 内宮を参拝したあとに詣でる人が後を絶ちません

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・雷電神社(伊勢市小俣町本町)

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雷電神社(伊勢市小俣町本町)

雷電神社(らいでんじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 雷電神社(いかつちの かみのやしろ)の論社の一つです 雷電神社の旧鎮座地は 確定しておらず その多数の論社があり 諸書に「離宮院の坤方(ひつじさる)〈南西方向〉」にありと記されている社で 此処に祀られていた〈裏の宮・八王子〉とも称していた゛雷電神社゛ことです

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・髙向大社(伊勢市御薗町高向)

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髙向大社(伊勢市御薗町高向)

高向大社(たかぶくたいしゃ)は 『高向村神社記』に 第45代 聖武天皇の御代 天平三年(731)の創建と云い 又 貞観三年(861)八月 大雨洪水があり大杉の根本に゛白羽の蓋根矢゛が流れ着いたと 山城 賀茂別雷神社の「丹塗矢伝承」と同類の伝承があり 延喜式内社 伊勢國 度會郡 雷電神社(いかつちの かみのやしろ)であるとの説があります

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・神村神社 旧跡(伊勢市御薗町高向)

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神村神社 社地跡(伊勢市御薗町高向)

神村神社 社地跡(かぶらじんじゃ しゃちあと)は 明治41年(1908)に高向大社に合祀された゛神村社(かぶらのやしろ)〈加牟良社・鏑社神とも〉゛の社地跡です 高向区の御頭神事は現在でも゛大社(かみ)さん゛゛神村社(かぶら)さん゛の二社の御頭(おかしら)によって神事が催行されています 延喜式内社 伊勢國 度會郡 雷電神社(いかつちの かみのやしろ)の論社です

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・大口神社(伊勢市竹ケ鼻町)
〈式内社の論社 川原大神社の旧鎮座に祀られていた祠(水饗社)を合祀〉

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大口神社(伊勢市竹ケ鼻町)

大口神社(おおくちじんじゃ)は 明応7年(1498)大地震の津波のために流出した式内社〈往古 水郷の守り神として 勾村字 三津社に河原大社・水饗社・河原饗社という三社の水神あり〉この内 水饗社を竹ヶ鼻に遷座させた小祠の後継神社です 延喜式内社 伊勢國 度會郡 川原大社(かはらの おほやしろ)の論社とされます

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・船江上社(伊勢市船江)
〈河原淵神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉の旧社地〉

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船江上社(伊勢市船江)

船江上社(ふなえかみのやしろ)は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 川原淵神社(かはらふちの かみのやしろ)の旧跡地であったとする説を度会延賢〈享保3年(1718)『二十二社参詣記』著者の渡会延賢〉が唱え 以来これが通説となり 明治11年(1878)当社域内に外宮摂社 河原淵神社が遷座されてきました

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・箕曲神社(伊勢市小木町)
〈式内社・川原淵神社の旧地に在った曽禰社(伊勢市小木)を合祀〉

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箕曲神社(伊勢市小木町)

箕曲神社(みのわじんじゃ)は 明治39年 3社を合祀〈小木社・曽祢社・今田社〉明治41~42年〈大口神社・日和神社・馬瀬神社〉を移遷合祀 新たな神社名を箕曲神社と称したものです 昭和時代に大口神社・日和神社の2社は旧鎮座地に分祀遷座しました 合祀の曽祢社は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 川原淵神社(かはらふちの かみのやしろ)の論社となっています

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・上宮古神社(玉城町宮古)〈奈良原神社 旧鎮座地とする説あり〉

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上宮古神社(玉城町宮古)

上宮古神社(かみみやこじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 奈良波良神社(ならはらの かみのやしろ)の旧鎮座地とする説があります 江戸時代末期の国学者 御巫清直(みかなぎ きよなお)〈1812~1894年生没〉は 廣泰寺寺地を比定地としています

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・今社(伊勢市宮町)
〈清野井庭神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉の古社地〉

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今社(伊勢市宮町)

今社(いまのやしろ)は 『止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に載る「清野井庭神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉」の旧鎮座地とされる古社です 今社(いまのやしろ)と呼ぶのは 井庭の社(いばのやしろ)の訛とも伝わります

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・官舎神社(伊勢市小俣町本町)
大神宮司(だいじんぐうじ) (今の神宮司廳(じんぐうしちゃう)の如き役所)役所が設けられ その官舎の守護の神を祀った神社

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官舎神社(伊勢市小俣町本町)

官舎神社(かんしゃじんじゃ)は 大神宮司(だいじんぐうじ) (今の神宮司廳(じんぐうしちゃう)の如き役所)役所が設けられ 沢山の官舎(廳院(ちゃういん)と云い御厨(みくりや)調御倉(つきのみくら)宮司宿館(ぐうじのしゅくかん)等の建物)が立ち並んでいたので それらの官舎の守護の神を祀った神社であるため この名が起つたものとされます

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・磯神社(伊勢市磯町)
磯神社(伊勢市磯町)は 度會郡の式内社ですが 大神宮の摂社には 入っていない不思議な神社です

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磯神社(伊勢市磯町)

磯神社(いそじんじゃ)は 倭姫命(やまとひめのみこと)の巡幸地の一つ゛伊蘇宮 或は磯宮゛とされ 旧地は宮川の氾濫によって崩壊 水没した爲 現在地に遷座したと伝わります 旧地は延喜式内社 伊勢国 度會郡 磯神社(いその かみのやしろ)とされますが 皇大神宮・豊受宮の管攝する社にはその名が見えず ゛磯宮・伊蘇宮゛と゛磯神社゛との関連性にも諸説があります

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伊勢國の延喜式内社について

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伊勢國 式内社 253座(大18座・小235座)について

伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています