稲荷神社(いなりじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 延暦二十年(801)に建てられたとも云い伝えられています 延喜式内社 遠江國 長上郡 子倉神社(こくらの かみのやしろ)であるとも 延喜式内社 遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)であるとも云い 二つの式内社の論社となっています
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
稲荷神社(Inari shrine)
【通称名(Common name)】
飯田町稲荷神社
【鎮座地 (Location) 】
静岡県浜松市中央区飯田町929
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主祭神》蒼稲魂命(うがのみたまのみこと)
《相殿神》
保食命 大国主命
大宮姫命 大田命
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
郷社 稲荷神社
祭神
蒼稲魂命
相殿
保食命 大国主命
大宮姫命 大田命由緒
當神社は 延喜式内長上郡五座の一にして子倉ノ神社と稱す 創立年度詳かならずと雖も本村 子倉と稱ふる字あり 文化十一甲戌年九月 再建の棟札あり
往古より本村崇敬の産土神にして神徳廣大 霊験殊に著しく信仰深大なり
文録二年九月十一日 堀尾澤之介殿 御墨附を以て當神社 神領として上田一反歩御寄進これあり
其後 慶長六年二月十五日 伊奈備前守忠次殿 本社神領として旧高四石八斗御寄附相成
爾後慶安元年 徳川家光公右神領を御朱印に改め御下付
天保十年九月徳川家慶公迄継続御下賜相成
明治維新の際 総て奉還せり
明治六年三月五日 郷社に列す
明治四十年一月十二日 供進指定大祭日
毎年十月二十二日執行現地案内板より
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郷社 稲荷神社
祭神
蒼稲魂命
相殿
保食命 大国主命
大宮姫命 大田命由緒
當神社ハ延喜式内長上郡五座ノ一ニシテ子倉ノ神社ト稱ス創立年度詳カナラズト雖モ本村子倉ト稱フル字アリ文化十一甲戌年九月再建ノ棟札アリ往古ヨリ本村崇敬ノ産土神ニシテ神徳廣大霊験殊ニ著シク信仰深大ナリ文録二年九月十一日堀尾澤之介殿御墨附ヲ以テ当神社神領トシテ上田一反歩御寄進コレアリ其後慶長六年二月十五日伊奈備前守忠次殿本社神領トシテ旧高四石八斗御寄附相成爾後慶安元年徳川家光公右神領ヲ御朱印ニ改メ御下付。天保十年九月徳川家慶公迄継続御下賜相成明治維新ノ際総テ奉還セリ。
明治六年三月五日 郷社二列ス
明治四十年一月十二日 供進指定大祭日
毎年十月二十二日執行拝殿に掲げられた由緒書き(原文のまま)より
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【由 緒 (History)】
飯田町稲荷神社の由緒
神社庁浜松支部内には、特三等級から十五等級の神社が二三八社ありますが、その中で飯田町稲荷神社の等級は、九等級です。
飯田町稲荷神社には、京都の伏見稲荷神社から神様を分けてもらいまつってあります。
まつってある神様は蒼稲魂命(ウガノミタマノミコト)といいます。
「蒼稲」(うがの)とは食(うけ)の意味があって食科を担当して稲の生育を守る神様です。
お参りしてお願いごとをすると次の五つのお願いをきいて日々の生活を守ってくれています。
①人々の生命を守り育ててくれる
②お米や野菜を守ってくれる
③商売を繁盛させてくれる
④一年の幸福を守つてくれる
⑤人々のけがれや悪いことを取り払ってくれる飯田町稲荷神社が建てられたのはいつかわかっていませんが、延暦二十年(西暦八〇一年、一二一三年前)に建てられたという説もあります。
現在の稲荷神社の本殿は文化十一年(西暦一八一四年、二○○年前)に建て直されたと棟礼(本殿天井裏にある木の札)に書かれています。
平成二十六年(西暦二○一四年)に秋まつりと兼ねて再建二百年祭が行われます。
また本殿の西隣にある建物は、津島神社といい(合併社ともいわれる)飯田の近くにある氏神様を一箇所に集めたものです、(これは明治の初めに金原明善(きんはらめいぜん)の提案で建てられました。
しかし、氏子の願いによって現在のようになっています。
飯田町稲荷神社では。年に六回、次のお祭りをしています。
一月 元日祭(がんたんさい)
一年の始まりを祝い、一年健康に過ごせるようにお祈りします。
二月 祈念祭(きねんさい)「としごいのまつり」ともいいます。
お米や野菜など農作物がたくさん採れるようお祈りします。
六月 大祓式(おおはらいしき)
知らず知らず犯した罪やけがれを払つて身を清めて元気に過ごせるようお祈りします。
八月 祇園祭(ざおんまつり)(夏まつり)
平安時代、祇園の神様に災厄を取り除いてくれるよう祈つたのが始まりです。
十月 宵祭りと例大祭(よいまつりとれいたいさい)(秋まつり)
本祭りの前の夜に宵祭りを行いまず、まつってある神様の誕生日など特別な日に行う一年で最も重要なお祭りです。
十一月 新嘗祭(にいなめさい)
お米など農作物の豊作に感謝し、祝つて行うお祭りです。
十二月 大祓式(おおはらいしき)
六月の大祓式と同じ、一年の罪やけがれを払つて身を清めて元気に過ごせるようお祈りします。この式に続いて元旦祭になります。
例大祭は、飯田町稲荷神社の最も重要なお祭りで、毎年十月二十二日に行われることになっていますが、最近では十月第三の土曜日・日曜日に行われます。
土曜日に宵祭り(よいまつり)日曜日に本祭りとして行なわれています。
二〇一四年三月 飯田町稲荷神社
現地張り紙より
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『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
〇靜岡縣 遠江國 濱名郡飯田村大字上飯田字山之内
郷社 稻荷(イナリノ)神社
祭神 倉稻魂(ウカノミタマノ)命
創立年代詳ならず、但し社傅には式内社 子倉神社と称す、當社が式内社なりや否やは、既に式内社摘考に、「子倉神社、飯田村にある稻荷なりといへども、未詳」の文字を用いたるが、
風土記傳に「子倉神社 今人謂ニ上飯田村 稲荷明神 式内子倉神社者、地理違、飯田當ニ長下郡」といひ、
特選神名牒には、「今按、注進状に、長上郡飯田村字子倉にます稲荷神社といへども、風土記傳に云々、子安明神即本社にして、云々、飯田村も是より移せし社なりと云へぱ、今はこの説によりて記せり、尚よく考べし」
と記せり、舊と朱印高四石八斗を有せり、明治六年三月郷社に列す、明治七年近郷鎮座の十三社を合併せしが、十二年十一月より十三年五月に至る間に於いて、復舊若しくは合祀替となれり。
社殿は本殿、雨覆、幣殿、拝殿を具へ、境内は四百六十二坪(官有地第一種)を有す。境内神社
大歳神社 妙婦宮 六所神社〔二社〕 八柱神社〔二社〕
蛭子神社 八幡神社〔三社〕 椎河脇神社〔四社〕 水神社〔二社〕
稻荷神社〔二社〕 神明社〔二社〕 若宮八幡神社
【原文参照】
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
稲荷神社(浜松市中央区飯田町)は 二つの式内社の論社です
①遠江國 長上郡 朝日波多加神社
②遠江國 長上郡 子倉神社
①遠江國 長上郡 朝日波多加神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)遠江國 62座(大2座・小60座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)長上郡 5座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 朝日波多加神社
[ふ り が な ](あさひはたかの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Asahihataka no kaminoyashiro)
②遠江國 長上郡 子倉神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)遠江國 62座(大2座・小60座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)長上郡 5座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 子倉神社
[ふ り が な ](こくらの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kokura no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
稲荷神社(浜松市中央区飯田町)は 二つの式内社の論社です
①遠江國 長上郡 朝日波多加神社
②遠江國 長上郡 子倉神社
①延喜式内社 遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)の論社について
・神明宮(浜松市浜名区内野)
神明宮(しんめいぐう)は 創立年代不詳ですが 鎮座の地「内野(うちの)」が「宇治乃(うぢの)」と呼ばれていた頃 伊勢神宮より勧請したと云い 又 神明宮由緒によると寛永二年(1625)正月十五日 現在地に創建したと云います 延喜式内社 遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)の論社です
神明宮(浜松市浜名区内野)〈『延喜式』朝日波多加神社〉
・六所神社(浜松市中央区半田町)
六所神社(ろくしょじんじゃ)は 朝日(あさひ)山〈往古 村名゛波多(はた)村゛にある〉の中腹に 社殿・境内は東を向いて 旭日(あさひ)を迎えるように鎮座しています 創建年代不詳ですが この地名と地形からみて 延喜式内社 遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)の論社との説があります
六所神社(浜松市中央区半田町)〈『延喜式』朝日波多加神社〉
・有玉神社(浜松市中央区有玉南町)
有玉神社(ありたまじんじゃ)は 明治四十年 八幡宮境内〈現在地〉に郷社 神明宮〈式内論社 遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)〉を移転し 当時の有玉村の地域内にあった 郷社 神明宮 村社 無格社などと八幡宮 俊光将軍社等 併せて十一社を合祀して 郷社 有玉神社と称したものです
有玉神社(浜松市中央区有玉南町)〈『延喜式』朝日波多加神社〉
・蒲神明宮(浜松市中央区神立町)
蒲神明宮(かばしんめいぐう)は 『三代實録』蒲太神とする説があり これによって三つの式内社〈①遠江國 長上郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)②遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)③遠江國 長上郡 子倉神社(こくらの かみのやしろ)〉の論社となっています
蒲神明宮(浜松市中央区神立町)〈『延喜式』大歳神社・朝日波多加神社・子倉神社〉
・稲荷神社(浜松市中央区飯田町)
稲荷神社(いなりじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 延暦二十年(801)に建てられたとも云い伝えられています 延喜式内社 遠江國 長上郡 子倉神社(こくらの かみのやしろ)であるとも 延喜式内社 遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)であるとも云い 二つの式内社の論社となっています
稲荷神社(浜松市中央区飯田町)〈『延喜式』子倉神社・朝日波多加神社
②延喜式内社 遠江國 長上郡 子倉神社(こくらの かみのやしろ)の論社について
・子安神社(浜松市中央区白鳥町)
・稲荷神社(浜松市中央区飯田町)
稲荷神社(いなりじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 延暦二十年(801)に建てられたとも云い伝えられています 延喜式内社 遠江國 長上郡 子倉神社(こくらの かみのやしろ)であるとも 延喜式内社 遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)であるとも云い 二つの式内社の論社となっています
稲荷神社(浜松市中央区飯田町)〈『延喜式』子倉神社・朝日波多加神社
・子倉神社(磐田市笠梅)
・蒲神明宮(浜松市中央区神立町)
蒲神明宮(かばしんめいぐう)は 『三代實録』蒲太神とする説があり これによって三つの式内社〈①遠江國 長上郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)②遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)③遠江國 長上郡 子倉神社(こくらの かみのやしろ)〉の論社となっています
蒲神明宮(浜松市中央区神立町)〈『延喜式』大歳神社・朝日波多加神社・子倉神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR東海道本線 天竜川駅から南方向へ約1.8km 車での所要時間は5~6分
延喜式内社の論社の由緒があり その為か 稲荷神社ですが 朱色の鳥居も 狛狐もありません
稲荷神社(浜松市中央区飯田町)に参着
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一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて 向かって左手には゛祓戸四柱大神゛の石柱があります
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拝殿にすすみます
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正面は 稲荷神社の拝殿 向かって右は〈境内社〉合併社です
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〈境内社〉合併社については
張り紙があり 由緒が記されていました
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稲荷神社の拝殿に
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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社殿に一礼をして 境内を戻ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 朝日波多加神社について 所在は゛飯田村に在す、今稻荷社と稱す、゛〈現 稲荷神社(浜松市南区飯田町)〉と記しています
【抜粋意訳】
朝日波多加神社
朝日は阿左比と訓べし、波多加は假字也、
○祭神詳ならず
〇飯田村に在す、今稻荷社と稱す、〔土人説〕
式内社 子倉神社について ゛祭神在所等詳ならず゛〈祭神 所在ともに不明〉と記しています
【抜粋意訳】
子倉神社
子倉は古久良と訓べし
○祭神在所等詳ならず
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 朝日波多加神社について 所在は゛今 半田の隣堺 内野村、邊多の地にあり゛〈現 六所神社(浜松市東区半田町)〉と記しています
【抜粋意訳】
朝日波多加(アサヒノハタカノ)神社
今 半田の隣堺 内野村、邊多の地にあり、〔遠江風土記傳〕〔〇按 和名抄、鞘多郷 今 邊多といふ、即 半田村盖是也、〕
式内社 子倉神社について ゛社号のみ記載゛〈祭神 所在ともに不明〉と記しています
【抜粋意訳】
子倉(コクラノ)神社
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 朝日波多加神社について 所在は記載なく 諸説について゛共に明證あらざれば今從ひがたし゛と記しています
諸説については
゛蒲郷神立村 蒲神宮゛〈現 蒲神明宮(浜松市中央区神立町)〉
゛半田村 朝日山六所明神と云説゛〈現 六所神社(浜松市東区半田町)〉
゛有玉村神明宮゛〈現 有玉神社(浜松市東区有玉南町)〉
゛内野村 神明社゛〈現 神明宮(浜松市浜北区内野)〉
【抜粋意訳】
朝日波多加(アサヒハタカノ)神社
祭神
祭日
社格所在
今按 注進狀に蒲郷神立村 蒲神宮を以て本社にあてたれども こは式外の蒲大神と聞ゆれば此社にはあるべからず
又 半田村 朝日山六所明神と云説もあれど こは山號の朝日と半田村の波多加に通ふより云るに似たり
又 有玉村神明宮をあてたるは 其地 畑屋村に績きて 往古 畑家とかけりと云によりて附會したるが如く聞え
風土記傳に 内野村 神明社地を野波多氣とも邊多とも云によりてあてたるも疑はしく 共に明證あらざれば今從ひがたし
式内社 子倉神社について ゛富田村〔今属 豐田郡〕゛〈現 子安神社(浜松市東区白鳥町)(※昭和14年5月天龍川対岸富田村字堤外中ノ町から〈現地〉に移転しています)〉と記しています
其の他の説として
゛長上郡飯田村字子倉にます稻荷神社゛〈現 稲荷神社(浜松市南区飯田町)〉
゛豐田郡大海村 小倉神社゛〈現 子倉神社(磐田市笠梅)※豊田郡大海村は現在の静岡県磐田市笠梅に位置していた地域〉
【抜粋意訳】
子倉(コクラノ)神社
祭神 木花開耶姫(コノハナサクヤヒメノ)命
祭日 三月十六日
社格 (明細帳に子安神社とあり 今無格社)所在 富田村〔今属 豐田郡〕
今按 注進狀に長上郡飯田村字子倉にます稻荷神社と云へど 風土記傳にこの地は長下郡なるべく思はるれば地理違へりと云は信がたし
又 豐田郡大海村 小倉神社とも云へど
風土記傳に今 富田村 子安明神 即本社にして 大海村は之より移し 飯田村も是より移せし社なりと云へば 今はこの説によりて記せり 尚よく考ふべし
【原文参照】
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稲荷神社(浜松市中央区飯田町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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遠江国(とほとうみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 遠江国には 62座(大2座・小60座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
遠江國 式内社 62座(大2座・小60座)について