実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

氷上姉子神社 元宮(名古屋市緑区大高町火上山)〈尾張国造 乎止與命の館跡〉

氷上姉子神社 元宮ひかみあねごじん もとみやは 御祭神 宮簀媛命の父で尾張国造であった乎止命(おとよのみこと)の館跡に 元宮(もとみや)として仲哀天皇四年(195)に創建されたと云う その後 持統天皇四年(690に現在地に遷座されたと伝わる 延喜式内社 尾張國 愛智郡 火上姉子(ほのかみあねこ)神社の元宮です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

氷上姉子神社 元宮(Hikamianego shrine motomiya

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

愛知県名古屋市緑区大高町火上山

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》宮簀媛命(みやすひめのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社の元宮

【創  (Beginning of history)】

建稲種公・宮簀媛の父で 尾張国造であった乎止命(おとよのみこと)の館跡に 元宮(もとみや)として仲哀天皇四年(195)に創建されたと云う 持統天皇4年690までは 氷上姉子神社の鎮座地であったとされます

【由  (History)】

摂社 氷上姉子神社(せっしゃ ひかみあねごじんじゃ)

熱田神宮創祀にゆかりの深い古社

日本武尊(やまとたけるのみこと)のお妃・宮簀媛命(みやすひめのみこと)をお祀りしています。

日本武尊なきあと、この地で祀っていた草薙神剣を、熱田の地に遷してお祀りしたのが熱田神宮の始まりとされ、

現在は名古屋市緑区大高町の氏神様として親しまれています。

仲哀天皇の時代に創祀され、持統天皇4(690)年、現在地に遷座されました。故地は宮簀媛命の父神の館があった地とされます。この地は往古、火上の里とよばれていました。永徳2(1382)年、社殿が火災にあったため火の字を避けて「氷上」と改め、火高は「大高」に改められました。

当社は、熱田神宮の創祀に最もゆかりの深い社です。

熱田神宮公式HPより
https://www.atsutajingu.or.jp/jingu/about/yukari/yukari_detail03.html

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・氷上姉子神社 元宮《主》宮簀媛命

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・〈石碑〉宮簀媛命宅趾

〈この地は 宮簀媛命の父で尾張国造(おわりのくにのみやつこ)であった乎止命(おとよのみこと)の館跡(やかたあと)とされます

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石碑には「倭武天皇皇妃 尾張國造之祖 宮簀媛命宅趾」と刻字があります

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・神明社《主》天照大神

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・参道入口の社号標と鳥居

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・社号標

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

〈当地は 日本武尊と宮簀媛命が居た当時 辺りは一面の浅海で 島が点在していたと伝わります このことを示す場所が 周囲に点在しています〉

・氷上姉子神社 一の鳥居(いちのとりい)(浜鳥居)跡

〈ここから先が 神域であることを示します(ご本殿はここから約600メ-トル先に鎮座します) 海辺に建っていたことから、通称『浜鳥居』と呼ばれました〉

氷上姉子神社 一の鳥居(いちのとりい)(浜鳥居)跡

ここは、氷上姉子神社の一の鳥居があった場所です。

氷上姉子神社は、熱田神宮の創始(そうし)と縁(ゆかり)が深く、古代の英雄 日本武尊(やまとたけるのみこと)の妃(きさき)として草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)護(まも)り祀(まつ)った宮簀媛命(みやすひめのみこと)が御祭神です。

 当社ははじめ、宮簀媛命の父で尾張国造(おわりのくにのみやつこ)であった乎止命(おとよのみこと)の館跡(やかたあと)に、元宮(もとみや)として仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)四年(195)に創建(そうけん)。その後、持統天皇(じとうてんのう)四年(690に現在地に遷座されました。

 一の鳥居は第一番目の鳥居の意味で、ここから先が神域であることを示します(ご本殿はここから約600メ-トル先に鎮座します)。

 海辺に建っていたことから、通称『浜鳥居』と呼ばれ広く参拝者に親しまれていました。
平成二十六年 三月吉日
熱田神宮摂社 氷上姉子神社
熱田神宮 宮庁(きゅうちょう)

現地案内板より

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・浜宮跡

浜宮跡(はまみやあと)

 ここには「浜宮」というお社がありました。

ご祭神は「塩土老翁(しおつちのおじ)」という、航海・製塩など海を司どる神様が祀られていました。

 熱田神宮と氷上姉子神社の間が海だった頃、参拝者は神宮から氷上姉子神社へ船で訪れ、この近くの浜鳥居付近に上陸しました。その際、まずここ「浜宮」を参拝し心身を清めました。

 下の図は、江戸時代の氷上姉子神社の古図です。「浜宮」の場所が旧字で「濱宮」と示されています。

大高歴史の会

現地立札より

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・寝覚の里

寝覚(ねざめ)の里(さと)

ここは日本武尊(やまとたけるのみこと)と宮簀媛命(みやずひめのみこと)が新婚のひと時を過ごした館があったと伝えられる所です。

当時海辺であったこの地は、毎朝寄せてくる潮騒に寝覚めを得ていました。そのことから里人はここを「寝覚の里」と呼んできました。

初めはここよりやや東の田の中に塚が設けられていましたが、伊勢湾台風で散逸してしまいました。今の碑は昭和五十五年、この場所に再建されたものです。碑文は次の通りです。

 大高里なる この寝覚の地名はしも千八百年の昔 倭武天皇の火上の行在所に坐時、朝な朝なに海潮の波音に寝覚し給ひし方なる 故にかく云い効ハセるものならは 故この地名を万代に傳へまくを予に其事この石面に書付てよと里人の請はるるままにかくなむ

明治四十三年十月 熱田神宮宮司 正五位勲六等 角田忠行
大高学区 大高歴史の会

現地立札より

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〈沓脱島〉

・沓脱島跡

沓脱島跡(くつぬぎじまあと)

 ここは「沓脱島」といわれた所です。
日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征のおり立ち寄られたときに沓を脱いで休息された説と、「火上山」全体を島にみたて、ここから先が氷上姉子神社の神域になるので、参拝客が沓を脱いだ場所であった、という説があります。
 下の図は江戸時代の氷上姉子神社の古図です。

「沓脱島」の場所が異体字で「沓脱嶋」と示されています。

大高歴史の会

現地立札より

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〈常世島〉

・玉根社《主》少彦名命

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玉根社

ご祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと)

医薬、医業、酒造りの神様。長寿、病気平癒の信仰が厚い

大国主命と共に国造りに力を尽くされた神様です。
氷上姉子神社

現地立札より

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玉根社の本殿

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式・風土記など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ

記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)愛智郡 17座(大4座・小13座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 火上姉子神社
[ふ り が な ]ほのかみあねこの かみのやしろ
[Old Shrine name]Honokamianeko no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

宮簀媛命の墓であろうされる 熱田の北にある゛断夫山古墳゛について

断夫山古墳

熱田神宮公園管理事務所HPより
https://www.atsutajingu-park.com/enjoy/danpusan/index.html

『愛知県史要 : 郷土研究』〈昭和6年(1931)〉に記される内容

【抜粋意訳】

第二編 尾張部各説 (二)日本武尊と尾張 ⑵宮簀媛命夫山古墳

宮簀媛命

尾張國造小止與命の女建稻種命の妹に當り ,日本武尊の皇妃である。始めは小止女命と稱した。

日本武尊御東征のみぎり、尾張に進み給ふや 宮簀媛の館に入り給ひ建稻種命に命じて之を納れさせられ、寵幸甚だ厚く、数日御滯在の上、御東征の途に就かせ給うた。又御凱旋の際にも媛の許に留まり給うこと月餘、膽吹山に暴神ありと聞き、草薙剣を媛の家にきて近江に赴き給ひしが山中に於て病に罹らせ給ひ、遂に伊勢の能褒野に薨去あらせられた。

宮賛媛は尊との御約を守り、獨り寢殿の床上に神劍を安置して奉仕せられたので、宮主媛命とするに至った。宮主とは宮司の意味である。かくて媛命年老いて凡そ百ばかりになられた仲哀天皇の元年に神託と朝命とに依って美しき社殿を熱田に営み、神を遷し祀られる事となつた。之が即ち熱田神宮の起原である。

熱田神宮第四相殿及び知多郡大高町火上山鎭座の氷上姉子神社には宮簀媛命を祀ってあり、夫山古墳はその御墓と云はれて居る

夫山古墳(名古屋市南区熱田西町)

名古屋市南区熱田西町字根山にある前方後圓型の一大古墳である。此種のものとしては縣下第一の大古墳であるのみでなく、東海道地方第一のものと云はれて居る。
墳上には雜木林が繁茂して、中に数本の大木もあるが、所々に残って居る切株から察すると曾ては老木が多数あったのを知る事が出來る。

墳の大さは前後の長さ七十一間三尺、前方の幅六十間三尺、高さ約八間あって、前面は東南に向つて居る。昔は周囲に幅八間乃至十間の環湟を巡らしてあったが、今は其痕跡を一部に於て認め得るに過ぎない。前方部と後圓部の接触部の右側に半圓形の陪塚があり、又後圓部の西南其他に陶質の圓筒埴輪が露出して居る。

此古墳は宮簀媛命の御墓として世に知られ、古來熱田大宮司たる千秋家に於て奉仕して來たが、明治九年、白鳥陵と共に熱田神宮所属地と定められ、現に「宮簀媛命之墓」と云ふ標柱が建てられて居る

【原文参照】

愛知県教育会 編『愛知県史要 : 郷土研究』,川瀬書店,昭和6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1174058

愛知県教育会 編『愛知県史要 : 郷土研究』,川瀬書店,昭和6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1174058

延喜式内社 尾張國 愛智郡 火上姉子神社(ほのかみあねこの かみのやしろ)

・氷上姉子神社(名古屋市緑区大高町火上山)
〈熱田神宮の境外別宮〉

一緒に読む
氷上姉子神社(名古屋市緑区大高町火上山)〈熱田神宮の元宮〉

氷上姉子神社(ひかみあねごじんしゃ)は 『寛平熱田縁起』によれば 日本武尊を 建稲種(たけいなだね)命が火上(ほかみ)(現大高町)にお迎えした時 妹の宮簀媛を妃とされ 東征の帰途にも立寄られ 草薙劔を留められたと云う 仲哀天皇四年 館跡に社殿を設けて媛を祀ったのが起源で 持統天皇四年(690)に現在地に移ったと云う

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・氷上姉子神社 元宮(名古屋市緑区大高町火上山)
〈氷上姉子神社の元宮〉

一緒に読む
氷上姉子神社 元宮(名古屋市緑区大高町火上山)〈尾張国造 乎止與命の館跡〉

氷上姉子神社 元宮(ひかみあねごじんしゃ もとみや)は 御祭神 宮簀媛命の父で尾張国造 乎止與命(おとよのみこと)の館跡に 元宮(もとみや)として仲哀天皇四年(195)に創建されたと云う その後 持統天皇四年(690)に現在地に遷座されたと伝わる 延喜式内社 尾張國 愛智郡 火上姉子(ほのかみあねこ)神社の元宮です

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

氷上姉子神社 一の鳥居の正面に 元宮の参道入口があります

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火上山への登り口に 元宮の社頭の社号標と鳥居が建ちます

氷上姉子神社 元宮(名古屋市緑区大高町火上山)に参着

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一礼をしてから 鳥居をくぐりぬけます

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火上山の参道を上がります

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しばらく上がると 右手に社が見えます

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右手の社は 透塀で囲まれた中に 一宇の社があります

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近づくと ゛神明社゛です

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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一礼をして 参道へと戻ります

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少し上ると頂上辺りなのでしょうか 右手が開けてきます

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奥の方に 透塀で囲まれた中に 一宇の社があります

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殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿のすぐ脇には

〈石碑〉宮簀媛命宅趾があります

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社殿に一礼をして 参道に戻ります

参道の先には まだ道が続いていて もしかすると裏参道でしょうか

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表参道を下ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 火上姉子神社について 所在は゛大高庄大高村に在す、今知多郡に属す、゛〈現 氷上姉子神社名古屋市緑区大高町火上山〉と記しています

祭神については ゛宮簀姫命、傳〕両道入姫命、頭注〕゛と両説を挙げています

【抜粋意訳】

火上姉子神社

火上姉子は比加美阿禰古と訓べし

○祭神 宮簀姫命、傳〕両道入姫命、頭注

〇大高庄大高村に在す、今知多郡に属す、集説府志

 集説云、熱田縁起曰、宮簀姫下世之後建祠崇祭之、號氷上姉子天神、其祠在愛智郡氷上邑、以海部氏為神圭、海部尾張氏別姓也、云々、凡座、八劒、日割、火上称熱田四所別宮、延久元年合大宮称五所大神、」
張州府志云、熱田縁起曰、日本武尊到尾張國愛智郡時、稻種公啓曰、当郡氷上邑有に桑梓之地、伏晴大王税駕息之、云々、又説、大高村者始火高也、後改火字為大字云々、宮簀媛命者、神祇宝典曰、蓋宮簀媛者尾張連稲種之姉也、今称姉子神社是也、按、神皇正統記及熱田清稻縁起等、皆為稻種之妹、二説不知孰是也、と云り、
神名帳頭注云、両道入姫命日本武妃也、本作姉誤仲哀母、』
そもそも当社祭神の説前の如し、まづ両説を挙て後の考をまつ、

〇熱田尊命記云、祈年新嘗の祭の外の諸祭は、皆此社を先とし、後に大宮諸神を祭る、

神位
 國内神名帳云、從二位火上姉子明神、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 火上姉子神社について 所在は゛今知多郡 庄大村にあり、゛〈現 氷上姉子神社名古屋市緑区大高町火上山〉と記しています

祭神については゛日本武尊の妃 火上姉子天神を祭る、火上姉子は即 宮酢姫なり゛と記しています

【抜粋意訳】

火上姉子(ヒカミアネコノ)神社

今知多郡 庄大村にあり、〔国内帳集説、神名帳考証、式社考、張州府志〕〔〇按大高、古名 火髙と云り〕

日本武尊の妃 火上姉子天神を祭る、火上姉子は即 宮酢姫なり、〔熱田縁起、諸神記、〕

凡 社司、大宮司、権宮司、祝師、總檢校、大内人、別當檢校、楽官等二百三十餘人あり、〔海邦名勝志〕

已上四座、之を熟田四所別宮と云 ,〔国内帳集説〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 火上姉子神社について 所在は゛大高庄大高村゛〈現 氷上姉子神社名古屋市緑区大高町火上山〉と記しています

元の鎮座地名゛火上゛を大高と改めたとも記しています

【抜粋意訳】

氷上姉子(ヒカミアネコノ)神社

祭神 宮簀媛(ミヤスヒメノ)命

祭日 朔日至三月二日上己午日十一月上卯日
社格 郷社 熱田攝社

所在 大高庄大高村 今属 知多郡(知多郡富貴村大字東大高 官幣大社熱田神宮攝社)

 今按 式社考に或書に氷上邑 後謂 火高里 神社氏家数度依回祿改 火髙謂大高と云へり 氷上の大高と名の變(かわ)りたることはあるべけれど 火災によりてと云ことは如何あらむと云り 是にて火上を大高と改めたること明なり

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

氷上姉子神社 元宮(名古屋市緑区大高町火上山) (hai)」(90度のお辞儀)

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御祭神 建稻種命とかかわる式内社について

御祭神 建稲種命は「尾張氏の祖神」とされ 古代豪族の尾張氏と関係ある古社に祀られています

延喜式内社 尾張國 愛智郡 火上姉子神社(ほのかみあねこの かみのやしろ)

尾張国造城館の所在地とされる「火高(現在の大高)」の地

日本武尊の后 宮簀媛命・建稻種命の居住地

・氷上姉子神社(名古屋市緑区大高町火上山) 〈熱田神宮の境外別宮〉

一緒に読む
氷上姉子神社(名古屋市緑区大高町火上山)〈熱田神宮の元宮〉

氷上姉子神社(ひかみあねごじんしゃ)は 『寛平熱田縁起』によれば 日本武尊を 建稲種(たけいなだね)命が火上(ほかみ)(現大高町)にお迎えした時 妹の宮簀媛を妃とされ 東征の帰途にも立寄られ 草薙劔を留められたと云う 仲哀天皇四年 館跡に社殿を設けて媛を祀ったのが起源で 持統天皇四年(690)に現在地に移ったと云う

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・氷上姉子神社 元宮(名古屋市緑区大高町火上山) 〈氷上姉子神社の元宮〉

一緒に読む
氷上姉子神社 元宮(名古屋市緑区大高町火上山)〈尾張国造 乎止與命の館跡〉

氷上姉子神社 元宮(ひかみあねごじんしゃ もとみや)は 御祭神 宮簀媛命の父で尾張国造 乎止與命(おとよのみこと)の館跡に 元宮(もとみや)として仲哀天皇四年(195)に創建されたと云う その後 持統天皇四年(690)に現在地に遷座されたと伝わる 延喜式内社 尾張國 愛智郡 火上姉子(ほのかみあねこ)神社の元宮です

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延喜式内社 尾張國 愛智郡 成海神社(なるみの かみのやしろ)

東征から帰還の日本武尊は 鳴海潟(現在の鳴海駅北)から対岸の火高丘陵まで船で渡ったと伝わります

「火高(現在の大高)」とは 尾張国造城館の所在地 日本武尊の后 宮簀媛命・建稻種命の居住地

・成海神社(名古屋市緑区鳴海町乙子山)

一緒に読む
成海神社(名古屋市緑区鳴海町乙子山)〈日本武尊ゆかりの延喜式内社〉

成海神社(なるみじんじゃ)は 日本武尊が 東征からの帰還の際 鳴海潟(現 鳴海駅北)から対岸の宮簀媛命の居住する火高丘陵〈建稲種命の館〉(現 氷上姉子神社)まで船で渡ったと伝わる地に 天武天皇の朱鳥元年(686)草薙神剣が熱田に還座の時に鎮座しました 延喜式内社 尾張國 愛智郡 成海神社(なるみの かみのやしろ)です

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・天神社(名古屋市緑区鳴海町) 〈成海神社の創祠の地・現 御旅所〉

一緒に読む
天神社(名古屋市緑区鳴海町)〈成海神社の創祠の地・現 御旅所〉

天神社(てんじんしゃ)は 現今「城」と呼ぶ鳴海駅北の高台で 太古は鳴海潟の波打ち際で 日本武尊がこの地にお立ちになり 対岸の火高丘陵(現 大高)の尾張氏館〈宮簀媛命〉へと渡られた地であり 是を由縁とし 天武天皇 朱鳥元年(686)尊の御東征の旗頭であった建稻種命と宮簀媛命を祀り この所に創建された〈成海神社創祠の地〉

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延喜式内社 尾張國 知多郡 羽豆神社(はつの かみのやしろ)

駿河の海で命を落とされた 「建稲種命(take inatane no mikoto)」の衣服が 羽豆岬に漂着し 御神体とされた

・羽豆神社(知多郡南知多町)

一緒に読む
羽豆神社(南知多町師崎明神山)〈日本武尊の東征の副将軍 尾張水軍の大将軍を祀る〉

羽豆神社(はずじんじゃ)は 尾張氏の祖神「建稲種命(take inatane no mikoto)」が祀られています 1900年前 強大な尾張水軍を統率し 日本武尊(yamatotakeru no mikoto)の東征を勝利に導いた将軍「幡頭(hata gashira)の神」です

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延喜式内社 参河國 播豆郡 羽豆神社(はつの かみのやしろ)

駿河の海で命を落とされた 「建稲種命(take inatane no mikoto)」の遺骸が 宮崎海岸に漂着し 葬られた

・幡頭神社(西尾市吉良町)

一緒に読む
幡頭神社(西尾市吉良町宮崎前留谷)〈延喜式内社 参河國 播豆郡 羽豆神社〉

幡頭神社(はずじんじゃ)は 日本武尊の東征の際 旗頭であり 大功を立てた建稲種命は 帰途海上で御薨去 御遺骸が この岬に着かれたのをお祀りしたのが本神社で 大宝二年(702)文武天皇が勅して 社殿を建て官社に列せられたと伝えられる 延喜式内社 参河國 播豆郡 羽豆神社(はつの かみのやしろ) です

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延喜式内社 尾張國 春日部郡 内内神社(うちうちの かみのやしろ)

建稲種命が 駿河の海に落ち水死された との知らせを聞かれた「日本武尊(yamatotakeru no mikoto)」が「うつつかな ああ うつつかな」と嘆かれたと云われる地

その霊をまつられたのが 内津神社で 神社の有る町を内津というようになったという

・内々神社(春日井市内津町字上町)

一緒に読む
内々神社(春日井市内津町上町)〈日本武尊 東征の副将軍 建稻種命を祀る〉

内々神社(うつつじんじゃ)は 創建について 日本武尊が東征を終えて尾張國境の内津峠まで戻ると 副将軍 建稲種命(たけいなだねのみこと)の従者 久米八腹(くめのやはら)が早馬で駆けつけ 副将軍が駿河の海で水死されたと報告を受けた 尊は悲泣して「ああ現哉(うつつかな)々々」と嘆き その霊を祀られたので「うつつ」と云う

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・旧妙見宮奥之院〈巌屋神社〉(春日井市内津町) 〈内々神社 当初の鎮座地〉

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旧妙見宮奥之院〈巌屋神社〉(春日井市内津町)〈内々神社 当初の鎮座地〉

旧妙見宮奥之院(きゅう みょうけんぐう おくのいん)は 内々神社(うつつじんじゃ)〈延喜式内社 尾張國 春日部郡 内内神社(うちうちの かみのやしろ)〉の当初の鎮座地とされ 内々神社から山道を登り 断崖岩の絶壁の割れ目にお堂〈巌屋神社〉があり 今は鉄の階段ですが かつては梯子や鎖で登ったと云う゛奥の院゛です

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延喜式内社 尾張國 愛智郡 熱田神社(名神大)(あつたの かみのやしろ)

日本武尊に従い 副将軍として 東国の平定に赴きその帰途亡くなられた 尾張地方繁栄の礎を築いた神とされて 祀られています

・熱田神宮(名古屋市熱田区神宮)〈延喜式内社 名神大社〉

延喜式内社 尾張國 山田郡 尾張戸神社(をはりへの かみのやしろ)

宮簀媛命の勧請と伝える古社

・尾張戸神社(瀬戸市十軒町)

・八幡社(小牧市大字上末字新田)

延喜式内社 尾張國 丹羽郡 針綱神社(はりつなの かみのやしろ)

尾治針名根連命(おわりはりなねむらじのみこと)を主祭神として 建稲種命玉姫命大荒田命尻調根命(尾綱根命)健多乎利(たけだおり)命建稲種命の祖父 他を祀っています

・犬山城天守台付近(犬山市大字犬山字北古券) 〈針綱神社の旧鎮座地〉

・針綱神社(犬山市大字犬山字北古券) 〈天文6年(1537)犬山城の築城により遷座〉

・立野神社(犬山市大字上野字郷)

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尾張國 式内社 121座(大8座・小113座)について

尾張国(おわりのくに・をはりのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 尾張国には 121座(大8座・小113座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています