白山神社(はくさんじんじゃ)は 社伝は失われ明らかではありませんが 里老の口伝には「延長元癸未年(923年)の創建」と伝えられます 『張州府志』には鎮座地の「外原と訓原と字様も相近く 鎭座も古く」と云った理由から 延喜式内社 尾張國 春日部郡 訓原神社(くにはらの かみのやしろ)の論社とされています
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
白山神社(Hakusan shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
愛知県春日井市外之原町字前田2631番地
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》菊理姫命(くくりひめのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
『東春日井郡誌』大正12年に記される内容
【抜粋意訳】
白山神社
所在 高藏寺村大字外之原字前田二千六百三十一番
社格 村社〔明治四十年十月二十六日 神供幣帛料供進指定〕
祭神 菊理姫命
例祭日 陰磨九月十五日
由緒
社傳 明かならざれども、延長元年の創建なる由、云ひ傳へり。
張州府志に曰く、白山祠、在 外原村、里老傳云、醍醐天皇 延長元年建之、然失 社傳、按 神名式、從三位 訓原天神、不知 所在、或以為 井關村 栗原天神、然 外原 訓原、字様相近、且鎭座久遠、恐是、然不可 臆斷、此地 秋冬之交、毎曉風起、東北甚烈、若 巳時以前 風止、則 其日必雨、土俗謂之外原私風、
尾張志に曰く、白山社外原村にあり、里老の傳へに延長元癸未年の創建といへり、然れども社傳をうしなへり、
〔按ずるに 神名式に載たる訓原神社の在所を知らす 或は井關村の栗原天神とす しかれども外原と訓原と字様も相近く 鎭座も久しければ恐らくは是ならんか 然れども臆斷しかたきよし府志に記せり〕云々。寶物 棟札 寬延始元戊辰二月十五日 一枚
境内 千二百二十八坪境内神社
神明社 祭神 天照大御神
八幡社 祭神 應神天皇 但し延長年中の創建なりと言傳へり。
嚴島社 祭神 市杵島姫命
多賀社 祭神 伊弉諾尊 伊弉冉尊
【原文参照】
東春日井郡 編『東春日井郡誌』,東春日井郡,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/978680
東春日井郡 編『東春日井郡誌』,東春日井郡,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/978680
【由 緒 (History)】
『尾張志』6 春日郡,明治31年3月 に記される内容
【抜粋意訳】
白山社
外原村にあり 里老の傳へに 延長元癸未年の創建といへり 然れとも社傳をうしなへり
〔按ずるに 神名式に載たる訓原神社の在所を知らす 或は井關村の栗原天神とす しかれども外原と訓原と字様も相近く 鎭座も久しければ恐らくは是ならんか 然れども臆斷しかたきよし府志に記せり〕
此地 秋冬のあはひ晩ごとに東北より風起りて甚烈し もし巳の時以前に風やめは其日必雨降 土俗是を外原の私風といふ
白山社
外原村にあり 永正五戊辰年 僧 順智勧請す
【原文参照】
深田正韶 等編 ほか『尾張志』6 春日郡,博文社,明31.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/764867
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
資料によれば 境内神社は4社となっています
〔確かに 社殿の向かって右の森に2社が祀られ 本殿の両脇に2社が祀られています〕
しかし どれがどの社かは 私はわかりません
神明社《主》天照大御神
八幡社《主》應神天皇 但し延長年中の創建なりと言傳へり。
嚴島社《主》市杵島姫命
多賀社《主》伊弉諾尊 伊弉冉尊
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)春日部郡 12座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 訓原神社
[ふ り が な ](くにはらの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kunihara no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「くにはらのかみのやしろ」の音を持つ式内社について
延喜式内社 尾張國 春日部郡 訓原神社(くにはらの かみのやしろ)の論社
・訓原神社〈栗原天神社〉(北名古屋市井瀬木東五反地)
訓原神社(くにはらじんじゃ)は 創始年代不詳ですが 延喜式内社 尾張國 春日部郡 訓原神社(くにはらの かみのやしろ)とされます 祭神については 社説には少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀ると云い 一說には 火明命十七世の孫 尾治佐迷連の子 尾張栗原連とし この栗原連を祀るのではないかとする説もあります
訓原神社〈栗原天神社〉(北名古屋市井瀬木東五反地)
・白山社(春日井市外之原字前田)
白山神社(はくさんじんじゃ)は 社伝は失われ明らかではありませんが 里老の口伝には「延長元癸未年(923年)の創建」と伝えられます 『張州府志』には鎮座地の「外原と訓原と字様も相近く 鎭座も古く」と云った理由から 延喜式内社 尾張國 春日部郡 訓原神社(くにはらの かみのやしろ)の論社とされています
白山神社(春日井市外之原字前田)〈『延喜式』訓原神社〉
延喜式内社 丹後國 竹野郡 久尓原神社(くにはらの かみのやしろ)の論社
・〈國原神社の旧鎮座地〉「高田の森」高田大明神
〈明治四十三年(1910)四月 杉森神社に合併し 更に 国原神社と改称す〉
・國原神社(京丹後市弥栄町国久)
國原神社(くにはらじんじや)は 延喜式内社 丹後國 竹野郡 久尓原神社(くにはらの かみのやしろ)です 旧鎮座地「高田の森」〈国久集落から南へ約500mの水田の中にある丘 今は樹木はなく地膚をのぞかせている 大杉のあった頃は その日影が国久まで届いたと云う〉明治43年(1910)杉森神社に合併し更に 国原神社と改称した
國原神社(京丹後市弥栄町国久)〈『延喜式』久尓原神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR中央西線 高蔵寺駅から北東方向へ約4.8km 車での所要時間は8~10分程度
県道53号から細野玉野線に入り 外之原町で牛臥山(うしがやま)(標高 380m)が西へ張り出した尾根の末端部 うぐい川を渡る天王橋の脇に沿って斜めに進みます
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白山神社(春日井市外之原字前田)に参着
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資料によれば 境内神社は4社となっています
〔確かに 社殿の向かって右の森に2社が祀られ 本殿の両脇に2社が祀られています〕
しかし どれがどの社かは 私はわかりません
〈境内社4社〉
神明社《主》天照大御神
八幡社《主》應神天皇 但し延長年中の創建なりと言傳へり。
嚴島社《主》市杵島姫命
多賀社《主》伊弉諾尊 伊弉冉尊
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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社殿を横から見ると 拝殿の奥に渡殿があり 本殿の覆い屋の内に 本殿と境内社2社〈本殿の両脇に1社ずつ〉が祀られています
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境内の西側にも道が付いていました
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帰りは うぐい川を渡り 来た道を南へと戻りました
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 訓原神社について 所在は゛山田庄井關村に在す、今栗原天神と称す、゛〈現 訓原神社(北名古屋市井瀬木東五反地)〉と記しています
【抜粋意訳】
訓原神社
訓原は久爾波良と訓べし
○祭神詳ならず
○山田庄井關村に在す、今栗原天神と称す、〔集説〕
集説云、按、舊事紀曰、尾治佐迷連之子 尾治粟原連、云々、久爾與ニ久利 音通と云り、猶考ふべし、
類社
丹後國竹野郡 久爾原神社神位
國内神名帳云、從三位 訓原天神、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
『神祇志料(Jingoistic)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 訓原神社について 所在は゛今 山田庄井關村にあり、栗原天神と云、゛〈現 訓原神社(北名古屋市井瀬木東五反地)〉と記しています
【抜粋意訳】
訓原神社
今 山田庄井關村にあり、栗原天神と云、〔國内帳集説、式社考、〕
〔〇按 舊事本紀、火明命十八世の孫 尾張栗原連と云人みゆ、之に依らは此神 或 其族類の祭れる氏神にや〕凡 毎年八月二十五日祭を行ふ、〔愛智縣神社調〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 訓原神社について 所在は゛小田井庄井瀨木村 (酉春日井郡師勝村大字井瀬木 )゛〈現 訓原神社(北名古屋市井瀬木東五反地)〉と記しています
【抜粋意訳】
訓原神社 稱 栗原天神
祭神 尾治栗原連
今按 社說に少彥名命を祭るとあれど 舊事紀 火明命十七世の孫 尾治佐迷連の子 尾張栗原連とある 此 栗原連を祭れるにやと 本國帳集説に云るに從ふ 又 社説には少彦名命を祭ると云り
祭日 八月廿五日
社格 郷社〔十二年十二月許可〕所在 小田井庄井瀨木村 (酉春日井郡師勝村大字井瀬木 )
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
白山神社(春日井市外之原字前田)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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尾張国(おわりのくに・をはりのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 尾張国には 121座(大8座・小113座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
尾張國 式内社 121座(大8座・小113座)について