白山神社(はくさんじんじゃ)は 社記に延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)と云う 第二十三代顕宗天皇の御宇(485~487年)の勧請 天文十一年(1542)火災となり現在地に遷座と伝へられます 明治四十年(1907)三月勅令を奉り 白山神社に諏訪神社 伊勢神明社を合祀されました
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
白山神社(Hakusan shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
山梨県北杜市明野町上神取組字寺前1070
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》伊弉冊命(いざなぎのみこと)
経津主命(ふつぬしのみこと)
《合》建御名方命(たけみなかたのみこと)
大日霊女命(おほひるめのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
白山神社 御由緒
鎮座地 山梨県北巨摩郡明野村上神取一〇七〇番地
祭神名
伊弉冊命、建御名方命
大日霊女命、経津主命例祭日 四月第一日曜日(旧三月)、十月第一日曜日
境内地 二反二畝歩、山林三反五畝歩沿革
第二十三代顕宗天皇の御宇勧請。天文十一年火災となり現在地に遷座と伝へられる。
「甲斐国志」に「上下両村ノ鎮守ナリ、黒印神領四斗四升社地弐千七拾九坪相伝テ神部ノ神社ナリト云」。諏訪明神、社記ニ慶長十九年屋代越中守夢想ニ依テ勧請ス。神明宮、除地壱段五畝弐拾八坪社地三百坪神主赤岡平馬云々」とある。
明治四十年三月勅令の御主旨を奉し白山神社に諏訪神社、伊勢神明社を合祀す。現地案内板より
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【由 緒 (History)】
『甲斐国式内社並国史現在社考』に記される内容
【抜粋意訳】
第二 延喜式内社 巨摩郡五座
・神部神社 村社
北巨摩郡朝神村上神取組字寺前 (舊名 白山)鎭座
祭神 伊弉冉尊 経津主命
社記云。神部神社也。黑印神領四斗四升。上下両材の鎭守なり。
【原文参照】
赤岡重樹 著『甲斐国式内社並国史現在社考』,赤岡書店,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/958555
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・白山神社 本殿覆屋・〈境内社〉石祠
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・白山神社 拝殿
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・参道石段・正面は拝殿・左手に神楽殿
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・社頭
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・参道入口の鳥居
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)甲斐國 20座(大1座・小19座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)巨麻郡 5座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 神部神社
[ふ り が な ](かむへの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kamuhe no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式』に所載されている神部神社(かむへの かみのやしろ)について
『延喜式』には 駿河國に一か所 甲斐國に二ヶ所が 所載されています
延喜式内社 駿河國 安倍郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社
・静岡浅間神社(静岡市)
静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)は 駿河国総社として崇敬され(通称 おせんげんさま)と云い 神部神社・淺間神社・大歳御祖神社の3つの本社と4つの境内社の総称です 徳川家康公(幼名 竹千代)の元服式より幕府の崇敬が厚く 現在の社殿は 江戸時代に60年の歳月をかけて再建された総漆塗り極彩色の豪壮華麗な建築群です
静岡浅間神社(静岡市葵区宮ヶ崎町)〈『延喜式』神部神社・大歳御祖神社〉
延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社
・神部神社(甲州市塩山)
神部神社(かんべじんじゃ)は 貞観二年(860)の創建とされ 古くから岩間を湯山に作る霊泉があり 温泉湧出の霊験から岩間明神とも湯山明神とも称されたと伝わります 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です 往古は 当地は 神戸神社の鎮座により神戸荘と云われたそうです
神部神社(甲州市塩山上萩原)〈『延喜式』神部神社〉
・神部神社(山梨市上神内川)
神部神社(かんべじんじゃ)は 社記によれば 景行天皇43年 甲斐国造 塩海足尼勅を蒙り 近江国 比叡山より分霊し 神日吉と云ふをもって゛神部゛これによって神部神社と称し 国郡鎮護の社とされ 江戸時代には゛山王権現゛と称されました 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です
神部神社(山梨市上神内川)〈『延喜式』神部神社〉
・賀茂春日神社(笛吹市春日居町)
賀茂春日神社(かもかすがじんじゃ)は 賀茂社〈欽明天皇の御代(540)〉春日社〈文武天皇(698)〉が並んで祭祀されていたが 天正十年に社殿が兵火に罹り神寶古文書等が焼失 天正十四年(1517)洪水で両社共に流失し 相殿として合併されたと云う 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です
賀茂春日神社(笛吹市春日居町加茂)〈『延喜式』神部神社〉
・神明神社(笛吹市石和町窪中島)
延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社
・〈旧 三輪神社の山宮〉八幡神社(南アルプス市上宮地)
八幡神社(はちまんじんじゃ)は 嘉永年間(1848~1854年)三輪神社〈今の・神部神社(南アルプス市下宮地)〉の山宮であった 大神山伝嗣院より この八幡神社に遷座し゛三輪山宮社゛と称したと伝わり 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の山宮と考えられています
八幡神社(南アルプス市上宮地)〈『延喜式』神部神社の山宮〉
・〈旧 三輪神社の里宮〉神部神社(南アルプス市下宮地)
神部神社(かんべじんじゃ)は 垂仁天皇の御代 大和の三輪神社から大物主神を勧請し「三輪明神」とも云う 上古 甲府盆地は湖水で 社前迄湖であった 例祭の゛舟引祭゛は 大和から奉遷の時 船にて此地に渡った遷座の状況を神事として伝えていると云う 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です
神部神社(南アルプス市下宮地)〈『延喜式』神部神社〉
・白山神社(明野町上神取)
白山神社(はくさんじんじゃ)は 社記に延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)と云う 第二十三代顕宗天皇の御宇(485~487年)の勧請 天文十一年(1542)火災となり現在地に遷座と伝へられます 明治四十年(1907)三月勅令を奉り 白山神社に諏訪神社 伊勢神明社を合祀されました
白山神社(北杜市明野町上神取)〈『延喜式』神部神社〉
・神部神社(須玉町小尾)
神部神社(かんべじんじゃ)は 崇神天皇の御代 当社前の御門 神戸は神地とされたと云う 又 日本武尊が東征の折り 東小尾で湯治し当社前を通り猛獣 毒蛇 叛賊を退治して東征に向かったと伝わり 文武天皇の大宝元年(701) 四柱を祀ったのが創立と云う 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です
神部神社(北杜市須玉町小尾)〈『延喜式』神部神社〉
・熱那神社(北杜市高根町)
熱那神社(あつなじんじゃ)は 社伝には 創立の年代は不詳であるが その昔 日本武尊の神徳を尊崇し 地主神として社に奉祀し 石剣を奉安し神体とした 古来 神部神社 又は 熱那神総社と称し 近傍九ヶ村の総称 熱那ノ庄の総社なることは明白であると伝わる 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)とされます
熱那神社(北杜市高根町村山西割)〈『延喜式』神部神社〉
・南宮大神社(韮崎市大草町)
南宮大神社(なんぐうだいじんしゃ)は 社記によれば 平安時代の名将 源義光〈新羅三郎義光〉が 甲斐任国の時 崇敬して社壇を造営したと云う 武田一条氏が 当社を産土神として崇敬し その支族の武川衆諸氏も協力して当社に奉仕した記録も伝へている 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です
南宮大神社(韮崎市大草町上条東割)〈『延喜式』神部神社〉
・神部社(南アルプス市寺部)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR中央本線 穴山駅から県道603号経由で北上 約6.2km 車で12分程度
社頭からは 冬の山々が見えています
社頭は 西向きで参道の先には ちょっとわかり辛いですが 参道入口の鳥居が建てられています
その奥に住宅が並んでいて その裏手は谷となっていて 塩川が流れています
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白山神社(北杜市明野町上神取)に参着
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境内の鳥居の石扁額には゛白山大権現゛と刻まれています
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一礼をして 鳥居をくぐり 石段を上がります
正面には拝殿 左手には神楽殿が見えています
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拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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社殿に一礼をして 参道石段を下ります
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社前の参道の先に白山の地名の通り 白く雪化粧した山々の景観があります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
延喜式内社 神部神社について 所在は゛甘利郷上條東割村に在す、今 南宮明神と稱す、゛〈現 南宮大神社(韮崎市大草町)〉と記しています
【抜粋意訳】
神部神社
神部は 加牟倍と讀り
〇祭神 金山彦命、建御名方命、事代主命、〔名勝志、参考〕
〇甘利郷上條東割村に在す、今 南宮明神と稱す、〔名勝志、参考〕例祭 月 日、
〇當國山梨郡神部神社あり
甲斐名勝志に、龜山院 文永九年造營の事、社記に見えたりと云り、
類社
駿河國 安倍郡 神部神社の條見合すべし社領
當代御朱印高十六石余
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
延喜式内社 神部神社について 所在は゛舊 上宮地村大神山〔又 神山とも云〕にあり、後 下宮地村に移す、之を三輪大明神と云、゛〈現 八幡神社(南アルプス市上宮地)から神部神社(南アルプス市下宮地)へ遷座した〉と記しています
【抜粋意訳】
神部(ミワベノ)神社
舊 上宮地村大神山〔又 神山とも云〕にあり、後 下宮地村に移す、之を三輪大明神と云、〔三才圖繪、甲斐國志、〕
盖 三輪大物主神を祀る、〔参酌延喜式、社傳説、〕
清和天皇 貞観五年六月巳亥、從五位下勳十二等 美和神に從五位上を授け、八年三月甲辰、正五位下を加へ、十八年七月丙戌、正五位上に叙され、陽成天皇元慶四年二月壬辰、從四位を加ふ、〔三代實録〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
延喜式内社 神部神社について 所在は下宮地村〔字三輪〕(中巨摩郡大井村 )゛〈現 神部神社(南アルプス市下宮地)〉と記しています
その他の説もあるが証拠が不足している その他の説とは
゛上條東割村の南宮明神なり゛〈現 南宮大神社(韮崎市大草町)〉
゛神取村白山大神゛〈現 白山神社(明野町上神取)〉
゛小尾村藏王椎現とも云り゛〈現 神部神社(須玉町小尾)〉
【抜粋意訳】
神部神社 稱 三輪明神
祭神 大物主神
祭日 一月十五日 二月二日 四月卯日〔三卯用 中卯〕
社格 郷社所在 下宮地村〔字三輪〕(中巨摩郡大井村 )
今按 本社所在の地を三輪と云ひ 神を三輪明神と稱し 又 永正中僧居一神山に住して 大に禪林を開き 大神山傳祠院と名けたるも神部神社の祭神 大物主神なるによりてのこと なるべく今に 其境内に拜殿ありと云るも由ありて證とするに足れり
されば神部神社はこの社なるべし然るを上條東割村の南宮明神なりとも 神取村白山大神とも 小尾村藏王椎現とも云り されど束割村は是と申す程の證なく 神取村はもと神戸と云ひしを後に今の村名に改めしなりと云ひ 小尾村は烏井前に神戸と云耕地ありと云るのみにて 證とすべきことなければ信がたし
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
白山神社(北杜市明野町上神取)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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甲斐国(かひのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 甲斐国には 20座(大1座・小19座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
甲斐國 式内社 20座(大1座・小19座)について